今年の展覧会の作品には「Fetish」というタイトルを付けた。
普段,私は作品にタイトルを付けない。付けたとしても「2014-01」みたいな(通常)意味のないタイトルにする。タイトルを付けないのは,絵を観る人が,タイトルにとらわれて,先入観をもって作品を観ることを避けるためだ。
今回,作品にタイトルを付けたのは,鑑賞者にそう観て欲しいと思ったからで,作品自体がそれを語っていないと思えるのは,それだけで失敗作である。
「フェティシズム」「フェティッシュ」(略して「フェチ」)であるが,元々は「物神崇拝」という意味で,本来形のないもの,物質として存在しないものを,物質を通じて感じたり,信仰したりすることである。
であるから,「物」(物質ではない。むしろ「事物」と呼ぶべきか。)として存在するものはフェティッシュの対象とならない。
似たような言葉で,「マニア」とか「ファン」とか「ミーハー」とかがあるが,どれも対象となる物がある。
物のようで物でないものに「人」がある。
アイドルも人であるが,同時に「商品」でもある。「商品」としてのアイドルは「物」である。労働者も「労働力」という商品を売っている「物」である。
ほとんどの物が商品化されてる中で,フェティッシュの対象になるものは限られる。その中で大半を占めるのが「宗教」と「性」である。
「どちらも『商品化』されてるじゃないか。」という意見は正しいが,商品化され尽くせないのも事実である。
話を単純化するために,私が男性で,女性が大好きだということにする。
女性とつきあいたい,ああもしたい,こうもしたい,と思っても思い通りにはならない。
(霊長類,特に人間は,決定権は雌にあるようだ。)
女性は,女神のような存在で,女性自体に触れることは出来ないが,彼女が身につけていたものなど彼女を連想させるものを神聖視することは,宗教と同じであり,そこに物神崇拝(フェティッシュ)が発生する。
これは,ただの印刷された紙切れを「貨幣」として扱うことになれている私たちにはいとも簡単に起こる現象である。
好きなものを買えるという力をその紙切れが持っているというのは幻想であるが,この社会はその幻想で成り立っているのである。
彼女の存在は,「物」に置き換えられたわけだが,物になった彼女は「所有」することができる。