NAM生成 柄谷行人ほか 2001 太田出版

NAM生成

NAM生成


 柄谷が書いている部分は旧来と同じであるが、全体を読み終えたとき、やっとNAMが動き出したと感じた。


 柄谷が経済学出身だと始めて知ったが、それにしては資本の捉え方、貨幣の捉え方が薄いように思える。特別剰余価値の根本にあるのは絶対的剰余価値であり(もちろん、それは資本主義社会全体の中で生じるものであるが)、それを基本視座からはずしてはならない。また、資本への包摂の視座も不可欠である。また、貨幣があるから資本が生ずるのではない。資本が貨幣なのである。LETSに対する視点もそこが抜けると無意味であり、労働貨幣を「互酬」という視点でとらえることと同じになる。


 InterGETSはおもしろいが、「出資」という視点の変更が貨幣の本質を変化させるように読めてしまう。視点が変更されても本質は変わらない。LETSは、視点の変更ではなく、構造の変更に意味があるのである。


 いずれにしても、LETSでもInterGETSでも、使う側が、それに利点を見いださなければ発展しない。つまり、生産・流通・消費の全課程の中での利点を見いだせるかどうかが問題なのである。


(2001年記)