水平思考の世界-電算機時代の創造的思考方法 ドワード・デボノ 1968 白井實訳 1971 講談社ブルーバックス

水平思考の世界-電算機時代の創造的思考方法

水平思考の世界-電算機時代の創造的思考方法


1. 水平思考とは何か


 垂直思考とは、論理的にどこまでも深く穴を掘り進むような思考方法であり、それに対して水平思考というのは、浅くあちらこちらに穴を掘る思考方法である。


 水平思考は、偶然のひらめきを意識的に行う思考方法である。


 訳者がつけた副題の通り、現代は垂直思考(的なもの)はコンピュータが行ってくれるのであり、人は新しい問題解決の「方法」を考えることが必要な時代である。


2. 分裂症と水平思考


 垂直思考は、偏執狂的であり、水平思考は分裂的である。しかし、水平思考と分裂症との違いは、その思考の結果を問題解決へと方向付けられるかどうかである。


 新しいアイデアを生む思考方法は、常に分裂的である。今までにない思考方法を採らなければならないからである。


 時代は分裂的思考方法を必要としている。それは、複雑化した社会において、知識は分散して所有され(専門化され)ており、個人は論理的に、それらのすべてを知ることは出来ないからである。近代社会において、論理的であるというのは思考の前提である。且つ、論理的にすべてを思考することが不可能であるとすれば、分裂的にならざるを得ない。専門化された知識、思考の結果、成果のみを利用して生活せざるを得ず、それが論理的である(科学的である)と思いこまなければならないのである。


3. 水平思考はどのような役に立つのか


 著者が考える水平思考は、新しい発見、発明のためのものであり、結果として新しい科学的論理を作り出すためのものである。


 しかし、今問題なのは、論理性(西洋的な)・科学性であり、非西洋的な論理性や科学性を生み出していく方法としても水平思考は役に立つ。心に浮かんだ思いつきや、ある種の感情を大切にし、それと今支配的な論理性との関係を考えてみることが必要である。


 水平思考は、非西洋的な論理性を崩す(ずらす)可能性を持っている。


4. 水平思考と日常生活


 現代社会が、分裂症を帯びているので私たちは、分裂的な思考をせざるを得ない。それでも、私たちの理解を超えるような事件が多発している。マスコミ等は、それを論理的に説明しようと必死である。(あるいは、非論理的のままにしておき、危機感をあおり立てるのに必死である。)


 まずは、自分たちの思考が論理的な殻をかぶってはいるが、非論理的であることを認識しなければならない。自分の論理を内部崩壊させることが必要なのである。その上で、自分の自由な思考を尊重し、自分の論理を組み立てていくのである。
それは、難しいことではない。私たちの生活は分裂的なのであるから。日々の行動を考えるとわかることだが、決して垂直思考をしながら生活しているのではない。意識するしないに関わらず、水平思考的な行動をしているのである。行動は、思いつきや気まぐれに支配されている。大切なことは、それを意識するということである。