無意識の世界 河合隼雄編 1997 日本評論社

13人の専門家がそれぞれの立場から無意識について書いてあります。一つ一つの章は短いので、著者は書き足りなく、読者は読み足りないと感じるでしょう。専門書ではないので、一般の人にもすんなりと読めると思います。

内容は、フロイトとユングを中心に様々な角度から無意識を扱っています。ラカンも出てきます。心理学入門としても読めますし、家族関係や病気、芸術との関連項目もありますので、広く浅く心理学全般を知ることができます。

全体のトーンとしては、「フロイトは無意識を発見したすごい人。だけどすべてが正しいわけではない。それをユングが補足した。」という感じでしょうか。

経済学で言えば「アダムスミスとマルクス」の関係に近いかもしれません。

私は無意識というのは一つの「概念」だと思います。または「エーテル」仮説のようなものです。誰も無意識を見たことがないしさわったこともありません。でも、無意識が存在するという仮定でたくさんのことが説明でき、多くの患者を治すことができるのです。
ただ、その患者は歴史的に作られたもので、それに対応する形で心理学や精神分析ができあがったことを忘れてはいけません。

無意識は「どこ」にあると思いますか。「脳」というのが無難な答えのように思えますが、概念の存在する場所を特定するというのはあまり意味のあることとは思えません。それでも強いて言おうとすれば、私は無意識は全身にあると答えます。無意識は、意識と外界との媒介の役目を果たしているのです。歩くときに、意識的に「右足の~筋肉を伸ばして。次に・・・」と考えることはありません。物を見るときも視覚の刺激はいったん無意識に伝えられ、そこで選択をされた物のみを意識しています。私たちの行動のほとんどは無意識に行われているのです。それを意識的に行わなければならなくなったときは、意識と身体との連結機能がうまく働かないときです。

無意識には、身体の歴史(考古学的なものも含めて)、過去の記憶等のあつまりです。それをうまく使えば可能性が生じ、間違えると病的になります。