負債論 貨幣と暴力の5000年 デヴィッド・グレーバー著(2011年) 酒井 隆史監訳, 高祖 岩三郎, 佐々木 夏子訳 以文社(2016/11/15)

原書が出版されてから翻訳まで約5年。私は約1年かけてやっと読み終えた。

とにかくすごい本である。著者が自分を「ワーカホリックだ」と言っているが、その知識量は膨大なものだ。人類学だけでなく、経済学や歴史、社会学、国家論、科学論、宗教等、あらゆる学問に精通してるようだ。それもヨーロッパだけでなく、中東、インド、南北アメリカ、インド、中国、東南アジア、更には日本まで、その知の範囲は広い。そして、活動家として<運動>に積極的に参加(指導と言いたいところだが、本人はそれを望まないであろう)している。知識(学問)と実践の人である。

本書の原題は"Debt: The First 5000 Years"。"Capital:A Critique of Political Economy"が意識にあることは間違いないだろう。『資本論』が資本主義の学問の論理と言葉で書かれ、それを自己否定していくのとは対象的に、『負債論』は事実を積み重ね、現在流布している学問や考え方を否定していく。

内容は多岐にわたっており、詳細に書くことはできないが、まず「借りたお金は返さないと」ならない、という自明となっている考えに対する疑問の提示から始まる。そこから、義務とモラル、交換と贈与、貨幣と国家と戦争、宗教や哲学と経済、名誉と尊敬,信用と利子、利潤と唯物論等様々なテーマが理論と歴史から述べられていく。そして「負債とは約束の倒錯に過ぎない。それは数学と暴力によって腐敗してしまった約束なのである。」と定義される。

グレーバーは新しい社会を提示しない。負債を人類史の中でトレースすることで、別の社会の可能性、「視野を開放し、わたしたちの可能性についての感覚を拡大」しようとしている。

権力は『資本論』と同様に、この本を抹殺あるいは黙殺しようとするだろう。あるいはこの本の厚さが読者を遠ざけるかもしれない(『資本論』も厚かったがゆえに検閲を免れた。)。

しかし、間違えなく後世に読み継がれる本である。