不屈のために 斎藤貴男著 筑摩書房 (2005/6/8)

不屈のために 階層・監視社会をめぐるキーワード (ちくま文庫)2003年、青春出版社から「日本人を騙す39の言葉」という署名で観光されたものの文庫版である。

それから16年経った。彼が指摘した日本の問題点は、全て拡大・一般化している。

国民は、より無責任になり、官僚と同じく建前しか言わなくなる。そして、低海藻だからこそある様々な事情を認めようとしない。

わからないのだ。なぜ、斎藤貴男の本が出版可能なのか。この出版不況の中で売れない本は出版されないのだ。よほどのコネ(圧力)があるとか、自費出版とかでない限り。

もちろん、斎藤貴男や同じような問題意識を持った著書に同調する人たちは沢山いて、ある程度の売れ行きは想定されるだろう。出版社の良心もあるかもしれない。

しかし、穿った見方もできる。斎藤の言う通りこの日本は権力を持つものがすべてを動かしている。そしてその手段は結局お金である。日本にも不満を持つ人間、意識的な人間はたくさんいる。しかし、彼らは発言方法を持たない。インターネットがあるが、正論を吐いた途端に「サヨ」とかレッテルを貼られて、資本に雇われた「ウヨ」たちから総攻撃を受ける。決して自由に発言できる平等な場ではない。権力が持っている個人情報を使えば、正論を言った人の住所や家族構成を手に入れることは簡単だ。後は共謀罪で警察が動くか、反社会的勢力が半グレを使って家に石を投げたり、子供に暴力を使ったりすることができる。

斎藤の著作で、社会変革を目指そうという勇気を持つ若者もいるかも知れないが、単に不満分子のガス抜きにするため出版を許している可能性もある。なぜなら、彼の著作で怒りが湧いたとしても、希望がないからだ。彼の本を基礎知識として資本に対抗する方法を考えようとするための牙を民衆はもう持っていない。なぜそうなったかは本書に詳しく書いてある。そう。彼の著作は両刃の剣なのだ。そして、彼は切れない方の刃を見せ、もう片方の刃を見てくれといっているように思える。

彼は自身を左翼でも社会主義者でもないという。レッテルはどうでもいい。ジャーナリストなのだから、事実を描くのが彼の役割であり、限界であるのはわかる。であれば、彼の努力を理論化し、実践に結びつける人が必要になる。それは一人ではできない。問題は社会のすべての分野にあるからだ。各分野の専門家が理論化しなければならない。

その結果はわかっている。一人ひとりが自分の権利を主張すること。どこまでも自由と平等を追求することだ。

世界中でその運動は広がっている。マスコミが報道しないので日本では知ることが難しいだけである。

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