マルクスを超えるマルクス 『経済学批判要綱』研究 アントニオ・ネグリ著 1979 清水和巳ほか訳 2003 作品社

マルクスを超えるマルクス 『経済学批判要綱』研究 アントニオ・ネグリ著 1979 清水和巳ほか訳 2003 作品社

  久しぶりに大変おもしろい本に巡り会えた。論理は荒削りだが、今必要なことが書かれている。「今」といってもこの本が書かれたのはアウトノミア運動が盛んだった頃である。しかし、その論理は現在でも通用する。

 コミュニズムの可能性を「今」「ここに」見いだそうとする発想は私の考えとも共通し、また、マルクスが「コミュニズムとは過程である」と言っていることとも合致する。

 資本主義の発達がそれを可能にしたという発想はマルクスとも共通しているが、私はそうは思わない。マルクスの時も今も変わっていない。もちろん生産力の発展が、その展望を容易に(?)したことはあるが。もしコミュニズムに今の(あるいは1979年の)生産力が必要であるとするならば、今日よりも明日の方がコミュニズムに近いことになる。そう考える分、コミュニズムは遠のく。

 対立する階級が成熟するためには時間がかかるかも知れないが、その時々の生産力と関係性(生産関係)に応じた階級が生まれるのだ。

 私は生産関係の批判は生産力の批判にならなければならないと考える。生産力が生産者に外在的な場合は常にそうあるべきだ。

 人間はもっと不便でいい。快楽原則と死への衝動は本来一体のものである。それを分離し、死を遠ざけ、快楽のみを追求している限りコミュニズムは実現しない。

 マルチチュードに対する期待は、運動をしている人のみが持つものであろう。私には今ひとつ理解ができない。「大衆」と「自律」と「自己」との関係が現実(生活、仕事)の中で考察されなければならない。

 ネグリの論理をそのまま日本に当てはめるわけにはいかない。日本が持つ先進(資本主義は常に先進性を持つ。先進性が資本主義の代名詞である。)資本主義と、その内に抱える日本的なもの(仏教的、儒教的なものを含めて)を同時に分析しなければならない。日本には世界共通の反資本主義と、日本独特の反資本主義がある。


Tue Dec 16 19:12:56 2003



⟨impressions⟩

I came across a very interesting book for the first time in a long time. The logic is rough, but what you need now is written. Even though it was "now," this book was written around the time when the outnomia movement was flourishing. However, that logic still holds.

The idea of ​​finding the possibility of communism "now" and "here" is common to my thoughts, and it is also consistent with Marx's statement that "communism is a process".

The idea that the development of capitalism made it possible is common with Marx, but I don't think so. It hasn't changed since Marx. Of course, the development of productivity has made that outlook easy (?). If communism needs current (or 1979) productivity, then tomorrow will be closer to communism than it is today. Communism is far away because of that.

It may take some time for the opposing classes to mature, but a class will be created according to the productivity and relationship (production relationship) at that time.

I think that criticism of production relations must be criticism of productivity. This should be the case whenever productivity is extrinsic to the producer.

Humans are more inconvenient. The pleasure principle and the urge to die are essentially one. Communism will not be realized as long as it is separated, death is kept away, and only pleasure is pursued.

Expectations for multitude will only be held by those who are exercising. I just can't understand. The relationship between the "popular", "autonomy" and "self" must be considered in reality (life, work).

Negri's logic cannot be applied to Japan as it is. Japan's advanced (capitalism is always advanced. Advanced is synonymous with capitalism) Capitalism and the Japanese things (including Buddhist and Confucian) that it has Must be analyzed at the same time. Japan has anti-capitalism that is common throughout the world and anti-capitalism that is unique to Japan.


Tue Dec 16 19:12:56 2003




[出演者(プロフィール)]

ネグリ,アントニオ
1933年生まれ。1970年代、イタリア・パドヴァ大学政治学研究所教授として国家論などを講義。また、イタリア全土を揺り動かした「アウトノミア」運動の理論的リーダーとして注目された。79年、フランスのエコール・ノルマル・スペリウールで行なった『経済学批判要綱』の講義をまとめた『マルクスを超えるマルクス』を刊行。しかし78年に発生した「赤い旅団」によるモロ元首相暗殺事件の首謀者として、同書の刊行の同年にイタリア政府によりでっち上げ逮捕される。83年、獄中から国会議員に立候補し、当選。議員特権により釈放されるが、2ヶ月後、議員特権が剥奪されたためフランスへ亡命。パリでは、ガタリやドゥルーズなどの支援を受け、パリ第8大学で教鞭を執り、『転覆の政治学』『構成的権力』などを執筆。97年、自発的にイタリアに帰還し空港で再逮捕。再収監を経て「選択的拘留」状態となっていたが、2003年4月25日、自由の身をかちとった。2000年に刊行した『帝国』が世界的な注目を集めているが、現在、その続編を執筆中である

清水/和巳
1961年生まれ。早稲田大学大学院経済学研究科博士後期課程単位取得退学。グルノーブル大学(仏)経済学博士。現在、早稲田大学政治経済学部助教授。専攻は経済思想史・方法論

小倉/利丸
1951年生まれ。東京大学大学院経済学研究科博士課程単位取得退学。富山大学経済学部教授。専攻は現代資本主義論

大町/慎浩
1965年生まれ。早稲田大学大学院経済学研究科博士後期課程単位取得退学

香内/力
1965年生まれ。早稲田大学大学院経済学研究科博士後期課程単位取得退学



なぜ、ネグリ『資本論』ではなく『経済学批判要綱』のマルクスに回帰しなくてはならなかったのか?なぜ、ネグリは『資本論』で精緻化されている「労働」「価値」「階級闘争」などの概念をあえて「転覆」させたのか?それは、アウトノミア運動の渦中において、前衛党主導でも労働組合中心でもない「主体」的な運動に、新たなコミュニズムの可能性を見出すためだった―。『経済学批判要綱』の政治的読解によって、マルクスをめぐるあらゆる既成の言説を退け、まったく新たなマルクスを見出し、新たなるコミュニズムの定義を行なった、ネグリの名高き代表作。




[ ISBN-13 : 978-4878935596 ]


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