チャーリーとチョコレート工場 2005米・英 ティム・バートン監督

チャーリーとチョコレート工場 2005米・英 ティム・バートン監督

不思議な映画です。吹替版と、字幕版で2度観ました。

原作は1964年にロアルド・ダールが発表した児童小説です。読んでいません。私が好きなのは、"Testing Room"のシーン。『ツァラトゥストラはかく語りき』が流れて、『2001年宇宙の旅』のパロディーが始まります。実際の映画のシーンも使われています。ビートルズのパロディーや、キッス?のパロディー・・・、探せばまだまだ色々ありそうです。ビートルズは別として、他のものは出版当時にはなかった物です。

チャーリーは拾ったお金でチョコレートを買います。日本の児童文学なら「交番に届ける」ということになるのでしょうが、外国には交番がありません。拾ったものはどうするのでしょう。わかりません。多分「所有」というものに対する考えが違うのでしょう。特にお金に対する考え方は、もっと違うでしょうね。

単純に「悪い子」に罰が当たるという話ではありません。その要素は大きいですが。

「家族」に対する「想い」が濃厚に描かれています。そこには、当然親子関係が含まれます。「悪い子」は親にも責任があると言われます。これも西欧的ですね、多分。日本の昔話で、「悪い子」の責任が親にあるというようなストーリーは(すぐには)思い出せません。夫婦のことについては(つまり「恋愛」については)何も触れられていません。

「親子の情」は『カム・カム・エブリバディー』でのテーマでもあるし、たまたま神田陽子の講談『五郎正宗孝子伝』を今日見たところでもあって、考えさせられます。

親子の情は、すぐに「母親の情」、つまり「母性本能」に結び付けられます。この映画では「父子の情」です。「父性本能」という言葉もありますが、あまり聞かないですよね。親子の情、つまり「家族」というのは本当に必要なのでしょうか。一緒に暮らしていれば、「情」がわきます。ペットもそうですが、人間は特にそうなります。今は、親子の関係で一番重視されるのは「血の繋がり」ですね。『真犯人フラグ』でも、「DNA親子鑑定」が出てきます。たしかに、「誰が誰の子供で、誰の親か」はどんな社会でも重要だと思います。でも、それが「血の繋がり」である社会はそれほど一般的では「ない」のではないでしょうか。日本でも半世紀前までは、「養子」というのは当たり前の制度でした。民法が改正されて、「非嫡出子」と「嫡出子」の差は縮まりましたが、「養子」はずっと「嫡出子」と同じ扱いです。「血」よりも「関係」あるいは「制度」が優先されている証拠です。

男と女がいれば、「子供」ができる可能性があります。「子供は愛の結晶」と言われることもありますが、子供と両親相互の愛には直接の関係はありません(あるかもしれません)。「愛」と「家庭」も直接の関係はありません。別に家庭を作らなくても子供は生まれます。「我と汝」という2者の関係(対立)は当然重要ですが、それから派生する「第三者」(それは「別の〈我〉」あるいは「超自我」と言ってもいいのですが)の存在がとても重要なのです。アダムとイブの話での、「神」あるいは「蛇」の存在が決定的なのです。それは「社会」です。つまり、「エデンの園」は前提されているその「園」の存在が、「神」あるいは「蛇」の存在を決定づけているのです。

「我と汝」の関係というのも、その「我と汝」の存在が前提されています。「ロミオ、あなたはなぜロミオなの?」と恋に悩むジュリエットが忘れているのは「ロミオ」の存在が「モンタギュー家」の存在を前提としていること、ジュリエットの存在が「キャピュレット家」の存在を前提としていることを「忘れる(脇に置く、カッコに入れる)」ことから生じます。簡単に言うと、恋愛を「ロミオ」と「ジュリエット」という「二人の〈独立した〉個人の関係」だと捉えるのは、西欧的であるとともに、近代的だということです。そして、そこには「独立した個人」、つまり「自分」という「拠り所」しかないのです。そこでは「家」などは「障害物」でしかありません。ロミオにとってはジュリエット以外は障害物でしかないのです。そしてそれが昂じると「ジュリエット」すら障害物となります。「殺してしまいたいほどの愛」は「恋愛」の極致だと言われることもありますね。最近話題が多い「児童虐待」や「DV」は近代社会が生み出したものなのかもしれないのです。

〈私(ロミオ)〉や〈あなた(ジュリエット)〉の存在を、その二人を生み出した関係をカッコに入れたまま考えるとき、〈あなた〉や〈私自身〉でさえ〈私〉と対立してものとして立ち現れるしかないような気がします。

〈私〉を捨てること、乗り越えることは難しいことです。でも、〈他者(ジュリエット)〉との恋愛は、それ自体が〈自己の乗り越え〉を見せてくれるものでしょう。そして、家族に対する〈無償の愛〉も同じではないでしょうか。

ただ、それは「恋人同士」あるいは「家族」(あるいは、「共同体」や「国家」)というものを「大きな(拡大された)自我」とすることは、「破綻する可能性」を常に秘めていると思うのです。。








[スタッフ・キャスト等]

監督:ティム・バートン[wiki(JP)]
製作:ブラッド・グレイ[wiki(JP)] リチャード・D・ザナック[wiki(JP)]
製作総指揮:マイケル・シーゲル[wiki(JP)] ブルース・バーマン[wiki(JP)] グレアム・バーク[wiki(JP)] フェリシティ・ダール[wiki(JP)] パトリック・マコーミック[wiki(JP)]
原作:ロアルド・ダール[wiki(JP)] 『チョコレート工場の秘密』[wiki(JP)]
脚本:ジョン・オーガスト[wiki(JP)]
撮影:フィリップ・ルースロ[wiki(JP)]
美術:アレックス・マクダウェル[wiki(JP)]
衣装:ガブリエラ・ペスクッチ[wiki(JP)]
編集:クリス・レベンゾン[wiki(JP)]
音楽:ダニー・エルフマン[wiki(JP)] ナレーション[wiki(JP)] ジェフリー・ホールダー[wiki(JP)]
<出演>
ジョニー・デップ[wiki(JP)]:ウィリー・ウォンカ
フレディ・ハイモア[wiki(JP)]:チャーリー・バケット
デヴィッド・ケリー[wiki(JP)]:ジョーじいちゃん
ヘレナ・ボナム・カーター[wiki(JP)]:バケット夫人
ノア・テイラー[wiki(JP)]:バケット氏
ミッシー・パイル[wiki(JP)]:ボーレガード夫人
ジェームズ・フォックス[wiki(JP)]:ソルト氏
ディープ・ロイ[wiki(JP)]:ウンパ・ルンパ
クリストファー・リー[wiki(JP)]:ドクター・ウォンカ
アダム・ゴドリー[wiki(JP)]:ティービー氏
アナソフィア・ロブ[wiki(JP)]:バイオレット・ボーレガード
ジュリア・ウィンター[wiki(JP)]:ベルーカ・ソルト
ジョーダン・フライ[wiki(JP)]:マイク・ティービー
フィリップ・ウィーグラッツ[wiki(JP)]:オーガスタス・グループ
リズ・スミス[wiki(JP)]:ジョージナおばあちゃん
アイリーン・エッセル[wiki(JP)]:ジョゼフィーンおばあちゃん
デヴィッド・モリス[wiki(JP)]:ジョージおじいちゃん
シェリー・コン
ニティン・ガナトラ
フランツィスカ・トローグナー[wiki(JP)]:グループ夫人



 ロアルド・ダールの世界的ロングセラー児童書『チョコレート工場の秘密』を、71年のジーン・ワイルダー主演「夢のチョコレート工場」に続いて2度目の映画化。監督・主演は、これが4度目のコンビ作となるティム・バートン&ジョニー・デップ。一風変わった経営者に案内され、謎に満ちたチョコレート工場を見学できることになった一癖も二癖もある5人の子供たちが体験する驚きの世界を、イマジネーション溢れるヴィジュアルとブラックなユーモア満載で描き出す。
 失業中の父、母、そして2組の寝たきり祖父母に囲まれ貧しいながらも幸せに暮らしている少年チャーリー。彼の家のそばには、ここ15年間誰一人出入りしたことがないにもかかわらず、世界一のチョコレートをつくり続ける謎に包まれた不思議なチョコレート工場があった。ある日、工場の経営者ウィリー・ウォンカ氏は、全商品のうち5枚だけに入っている“ゴールデン・チケット”を引き当てた者にだけ、特別に工場の見学を許可する、と驚くべき声明を発表した。そして一年に一枚しかチョコを買えないチャーリーも、奇跡的に幸運のチケットを手にし、晴れて工場へと招かれるのだが…。




CHARLIE AND THE CHOCOLATE FACTORY
映画
コメディ
ファンタジー
アメリカ / イギリス Color 115分
初公開日: 2005/09/10 公開情報:ワーナー


[]

シェアする

フォローする