株式会社アメリカの日本解体計画 堤未果著 2021/01/20 経営科学出版


Youtubeでゲット?

Youtubeを観ていたときに偶然CMが入りました。堤未果の本を無料で差し上げます、と。怪しい。でも、市販していないようだから、ゲットできたら「珍しい本」になるかも、と思って申し込みました。すると、すぐにちゃんと送ってきました。偽物でもなんでもなく本人の本です。「半分が白紙」「広告ばかり」・・・、なんてことはありません。送料代だけでゲットできちゃいました。

いい本を手に入れた、貴重な本だと思っていたのですが、今日Amazonをみたら、ちゃんと売っていました(笑)。

著者の堤未果がどういう人なのかはよくわかりません。この本の出版社「経営科学出版」というのも知りません。『日本が売られる』(2018/10/05 幻冬舎新書)はとても面白かったです。私は今でも国際問題を考えるときには、この本(『日本が売られる』)のスタンスで考えています。

本書は、2020年初頭(月日、場所等不明)の著者の講演録に加筆したものです。『日本が売られる』の延長線上にある本です。講演時期から、新型コロナウィルスについては「プロローグ」でのみ扱われています。

字が大きめで、行間が広く、大切なところが全部太字になっています(入手経路のこともあって、ちょっと新興宗教のパンフレットっぽいです)。私に赤線を引かせる余地をほとんど与えてくれませんでした(^_^;)。言いたいことを強調するのはよくわかります。でもそれは、タイトル太字だけを読ませるSNSと同じですよね。

流れてくる情報を、一瞬で皮膚感覚的にキャッチするので、一瞬で分かったような気になってしまう

情緒的にエスカレートしてゆく作用があるので、冷静さを失いやすい媒体なのです。(P.137)

これは、読み方の問題、いわゆる「インターネットリテラシー」の問題なのでしょうか。読者に赤線を引かせないこと。それは、読者に考える「すき」を与えないことになるのではないでしょうか。

本というもの

本を読む人(ネットを見る人に比べると少ない)にとって、本が面白いのは読む時の状況、落ち着いているとか、焦っているとか、お腹が空いているとか、眠たいとか、周りがうるさいとか、失恋したばかりとか、その状況によって本の中の興味のある部分が変わります。機械と違って、常に同じ速度・精度で「読み取る」わけではありません。

もちろん、年齢によっても興味がある部分は変わってきます。同じ本を何年か後に読み直したとき、面白いと思う部分は変わっています。いい本は何度読んでも、読むたびに新しい発見があります。それが本の楽しさですよね。ネットの文章はそうはいきません。初めから「読み捨てられるために」作られている文章がほとんどだと思います。商品としての文章は、はやく消費されて、次の新しい文章の需要を生むように作られているからです。

なぜ読み返すたびに新しい発見があるのでしょうか。それは、単純に読者の「記憶力のなさ」の問題ではないと思います。本を1冊(あるいは詩の一節)を暗記したとしても、同じことが起こると思います(私は記憶力が悪いので、そんな事はできません)。

文字は、全てを表しているわけではありません。「海」という文字を見たときに、海を見たことがない人でも、ある「イメージ」が湧くと思います。そのイメージは北の海で育った人と、南の海で育った人とでは違うと思います。いろいろな海を見ている人は、それらをいっぺんに「イメージ」するでしょうか。たぶんその時の状況や文字の前後の文章で、イメージする「海」は違ってくるでしょう。

「海」が表意文字だということは関係ありません。「sea」でも同じだと思います。

つまり、文字はその人が持つ経験でその意味が与えられるのです。だから、いくら「リテラシー」と叫んでも、経験をしなければそれは深まらないのです。「恋愛小説」を読めば、恋愛をしたことがない人でも「ドキドキ」とかの感情が湧きます。でも、それは自分が恋愛を経験したときには、殆ど役立たないでしょう。その恋愛は「一人ひとり」「個別」「具体的」で「特殊」なものだからです。相手が変われば、自分の状況や年齢が変われば変わるものだからです。「普通の」「一般的な」「抽象的な」恋愛、などというものはありません。でも「恋愛」という文字は、そんな個別性を捨てた「一般的な恋愛全般」を表しています。でも、それに意味を与えるのはその人の経験なのです。

不思議なことに、情報を溜めれば溜めるほど、人間は不安が大きくなってゆくのです。自衛のための武器と同じで、もっともっと、となってしまう。(P.149)

経験のない「情報(知識)」というのは、「絵に描いた餅」や「ピースの欠けたパズル」のように、欲求(需要)を掻き立てるだけで、満たされることはありません。情報を溜めれば溜めるほど、欲求不満が募っていきます。

ジョン・F・ケネディの言葉です。

物質的欠乏をなくすため行動するにしても、より大きな課題があるそれは、満足の欠乏との闘いだ・・・(ママ)われわれはみな、そのために苦しんでいる(『これからの「正義」の話をしよう』マイケル・サンデル著 鬼澤忍訳 2010/05/25 早川書房、P.337からの引用)

これが「文字(あるいはそれから派生したテレビやインターネット)」という「情報」によるものだ、という意識は、ケネディにもサンデルさんにもないようですが。

「欠けたピースを埋める」経験がなければ、情報は殆ど意味を成さないと思います。

文化で理解する

恋愛を経験していなくても、海を見たことがなくても、「恋愛」「海」という文字、あるいは言葉であるイメージ(視覚的でなくてもいい)が浮かぶのはなぜでしょう。現実のものとは違っていても何かが浮かぶ場合と、浮かばない場合があります。「カオアーイーボーギー(kaoaibogi)」で、何をイメージしますか。私は4文字(4音節)くらいまでは、何かそれに近い日本語や外来語のイメージが浮かびますが、それを超えるとイメージが浮かんできません(この単語はピダハン語で「精霊の一種」を表す単語です)。なんか「ロールシャッハ・テスト」を思い出します。イメージが浮かんでこないとき、私はどんな性格で、どんな病気の可能性があるのでしょうか。

経験しないものをイメージできる、あるいは文字(言葉)から何もイメージできないということは、イメージする能力が「先天的なもの」じゃないことを示しています。

一語一語はほぼ完璧に訳せても、物語をつかむことはなかなかに難しい。なぜならわたしたちの物語には言葉では表されない前提となる世界があって、その世界は自分たちの文化によって作られているものだからだ。(『ピダハン―― 「言語本能」を超える文化と世界観』 ダニエル・L・エヴェレット著 屋代通子訳 2012/03/22 みすず書房、P.175)

これは、語と語・文と文をつなぐ論理性(?)のことを言っていますが、同じことが単語にも言えます。「恋愛」と「Love」は違います。それは文化の違いです。「海」と実際の海は違います。ことばは、実際の事物(ものごと)そのものではないのですから当然のことです。

わたしたち(の多く)は「原子はある」と思っています。見たことがなくても、そう思っています。「1兆円」という貨幣があると思っています。手にしたことも数えたこともなくてもです。「自由・平等・民主主義」もあると思っています。自分が体験したことがなくても。

それらが「ある(存在する)」というのは、文化的に理解している、一つの「思考形式」なのではないでしょうか。「見たことのないもの」「経験したことがないもの」は存在しない、というのも一つの思考形式です。幽霊や人魂やカッパや天狗や神様は「いない」というとき、その理由は「見たことがないから」「体験したことがないから」という人は多いと思います。

私は、それらのものが「ある」(客観的存在)というのは、「自分というものがある」(主観的実存)と同じ程度の「確かさ」に過ぎないとおもています。むしろ、自分(主体)の存在を言わんがために客体の存在を認めている(信じている)のではないでしょうか。

左翼と右翼

アメリカには民主党と共和党があります。共和党が「右」、民主党は「左」です。政権はほぼ交互に担っています。民主党は「共産主義の手先」などと言われることもありますが、私は全然そうは思いません。どちらも「アメリカ資本」つまり「株式会社アメリカ」を守り、育て、利益を最大化することを目指しています。そのためなら戦争も厭いません。「ウォール街は、共和党、民主党の療法にチップを億」(P.78)というより、ウォール街が胴元なのです。仕組みとして必ず勝つようになっているのです。

日本も、ウォール街ならぬ兜町が胴元です。総理大臣は兜町が選びます。「55年体制」は、アメリカの2大政党制を真似したものでしたが、そんなことをしなくても良かったのが日本の特殊性でしょう(一時期、ヤバいときだけ野党に政権を担当させましたが)。

自民党だけではなく、「資本主義制度」(最近、自由主義という言葉が減ってきたなあ)そのものに反対する勢力は確かにあります。著者がどんな思想なのかよくわかりませんが、アメリカ資本には批判的、日本の資本は情けないと思っている、といった感じでしょうか。

右は「民主主義を壊そう」としていて左は「民主主義を守ろう」としている。そして、右が「民主主義は大切」というのは、嘘だ(あるいは建前だ)という「構図」があります。でも、右だって封建制度に戻ろうとは思っていないだろうし、民主主義(自由・平等思想)だから、資本が儲けていることも知っていると思います。どちらも、民主主義は守りたいのです。どちらかと言えば、左は労働者に受けが良くて、右は資本家(中小企業や飲食店も含む)に受けが良いことを言っているだけです。

労働者(再び中小企業や飲食店を含む)だって、「民主主義がいい」と思っています。ただ、労働者は貧しい。だから、「いい暮らしをしたい」のです。そして資本家は、労働者が裕福になってしまうと「働かなくなって、儲からない」と思っています。政治の駆け引きはその一点です。

自我を求める印欧語

どうして「民主主義がいい」のでしょうか。上に「自由・平等・民主主義」と書きましたが、正確には「自由+平等=民主主義」です。フランス革命のスローガンの一つで現在フランスの国旗にもなっているのは「自由・平等・博愛(友愛)」ですが、何故か「博愛」は日本に定着しませんでした。私は「博愛」がキリスト教的「隣人愛」とニュアンス的につながるので、日本には受け入れられなかったのではないか、と思っています。明治以来の廃仏毀釈運動の中では、代わりに仏教的な「慈悲」を使うこともできなかったのでしょう。かといって、神道にはそんな教義はありません(教義そのものがないらしい)。

西欧では、資本主義制度の成立のために自由と平等が必要でした。自由と平等を求めた結果が資本主義だったといってもいいかもしれません。

印欧語に特徴的なのは、「主語=述語構造」です。それが上記の「主体と客体の存在(主客構造)」と似ているのは偶然ではないと思います。同じ印欧語のインドでも「自我(アートマン)」の探求はありました(『自己の探求』中村元著 1980/12/20 青土社 参照)。そして自我に対応するのが梵(ブラフマン)と言われる「宇宙(自然)を制する理」です。その二つは相対立するものではなく、同一のものだ(梵我一如)とすぐに回収されます。ところが、ギリシャ哲学で「自覚された」《自己(我)》は、自然を「自己とは別の」《対象》として、考察の対象(後には研究の対象)としてしまいました。それ以降、西欧では「人間と自然」「個人と社会」「我と汝」など、「自己」を中心とした学問の流れが続きます。それに中東からキリスト教が流入して複雑なことになりました。自己が(ソクラテスのように)社会に吸収されることができなかったのは、キリスト教が邪教(反社会的思想)、あるいは革命的思想だったからだと思います。そのキリスト教自体は西暦380年、テオドシウス帝によってローマ帝国の国教とされることで変質を余儀なくされるのですが、小さな教団内で「隣人愛」とされていたものも「博愛」に変わります。ローマ帝国と対立していたキリスト教が帝国をまとめる役割を担うのです。帝国内の「我」同士は、常に対立しています。スキを見せれば隣の領主から攻められるという関係です。小さくは隣人に殺されるかもしれない関係です。そこで、共通のものとしてのキリスト教と、《公》としての「博愛」が必要なのです。これは後に「万人の万人に対する戦い」と表現され、博愛は「社会契約」と「近代法」につながっていきます。自我は「我思う故に我あり」として、自然や社会に対立するものとして定立されます。

中国では、我と自然(じねん)・社会との関係は「道(タオ)」と「礼」とにまとめられるというか、陰陽として「絡み合いながらも一体化できないまま、共存する」ことになったのかもしれません。

西欧における自我は、他の一切から独立(自立)し、同じ人間と認められる他人との緊張関係は、お互いに平等であり、かつ支配や拘束を受けないものでなければなりません。「自由な個人」です。そこで人間と人間が結ばれる関係は「契約」となります。人間でないものは「支配」「所有」「研究」の《対象》となります。それは契約関係ではありません(ただし、別の他者「第三者」に対抗するための擬制的契約関係を持つことはあります)。人生の目的は、自己を確立し、できるだけ拡充することになります。自己を確立できない者は「人間」と認められません(だから近代において、子供は「人間」ではなくなって、「子供」として再定義・再発見されます)。「則天去私」や「滅私奉公」といった考えとはまったく正反対です。自由で平等な個人(自我)が作る社会が「民主主義社会」です。そこでは人々は互いに同じ条件なのですから、勝者が「正義」です。ただし、身体障害者や異端思想の持ち主などは「人間」とみなさず、排除(支配・所有)することによって、自由や平等が担保されるのです。これが(自己の定立のために「対象」となった)科学技術と結びついたのが資本主義社会です。そしてそれが敗者を切り捨てる「新自由主義」と親和性があるのも当然です。社会保障は、副次的なものとして、必要悪としてのみ存在します。自立できない者のための「貧窮院」(更生施設)の延長でしかありません。

それでも民主主義は理想か

資本主義のあとには社会主義がくるかもしれません。今の新自由主義が進めば、早晩に行き詰まりますから。そこで、社会福祉政策への揺り戻しがあって、その先に来る社会として、です。

その時には「民主主義の実現」が大きく叫ばれるでしょう。でも、民主主義は、拡大された自我そのものです。資本主義は民主主義の結果であり、民主主義は資本主義が要請したものです。それを認識していない社会主義は、資本主義の延長・変種となってしまいます。

自我はたぶん、いくらでも延長することができます。欲求に、あるいは、人間の想像に限界がないのと同じです。でも、自我に「完成」はありません。延長が可能であるということは終わりがないということです。

同じことは自我に対する対象である「科学」にも言えます。どんどん探求が進めば(研究が積み重なれば)「絶対的な・究極的な法則(真理)」にたどり着けるはずだ、という思い込みがあります。たとえたどり着けなくても、「絶対的な・究極的な法則(真理)」はあるはずだ、と考えている科学者は今でも多いのではないでしょうか。控えめに言えば、「それがなくても、それに向かって歩むこと自体が科学である」ということになるでしょうか。

自分の体は、《自我(自己)》を実現するための、手段となりました。「道具は身体の延長」と言われますが、身体そのものが、「自我の延長」なのです。その延長は、家族から地域へ、都市へ、国へ、世界へ・・・更には宇宙へと広がっています。限界が制限に変わるように、目的だったはずのものが次のステップの手段に転化していきます。そうです。資本主義というのは、拡大・延長する自我という構造を実体化したものなのです。

「生産力神話」を信じるかどうかは、どちらでもいいです。「生産力と生産関係の矛盾」で「生産関係が桎梏となる」というのは、生産力はどんどん伸びるんだよ、という「無限の発展」を想定しています。それは、上述の自我の無限の延長と同じです。この発想の中にいるかぎり、資本主義と社会主義はお互いに《他者》であり続けます。どちらかが負けるまで「闘争」が続くのです。そしてそれが「民主主義的」だということなのです。








[著者等(プロフィール)]

堤未果 (つつみ みか、1971年ー )

NYで9.11を目の当たりにし、ジャーナリストになることを決意

2歳で渡米して以来、アメリカは憧れの存在だった。自由の国で、貧乏でもマイノリティでも誰にでもチャンスがある。実際に住んでみると女性差別やアジア人差別もあったが、それでもチャンスだけは無限にある。そう信じていた。

ニューヨークの大学院では国際関係を専攻し、「不当な暴力をなくしたい」という思いから、国連やNGOで勤務。
米国野村証券に務めたのも、その思いをよりスムーズに実現するために、お金のルールを方法論として身につけたかったからだという。

転機は、9・11アメリカ同時多発テロ。2001年9月11日。テロリストにハイジャックされたと言われる旅客機が世界貿易ビルに衝突。当時、米国野村証券に務めていて、そのオフィスが世界貿易センターの隣、世界金融センタービルの20階にあった。

テロを目の当たりにした心理的なショックはあったが、ただそれだけでなく、テロ直後にマンハッタンには2000台、アメリカ全体では3000万台の監視カメラが設置されるようになった。会話も盗聴され、インターネットも当局がチェックするように。

対テロ戦争が国の最優先事項になり、テロ対策という名のもとに警察の権限が拡大し、国の体制を批判するような記者やジャーナリストは次々に逮捕されていった。知り合いの大学教授も突然解雇されたという。

自由の国だったアメリカが一夜にして“全体主義"国家のようになってしまった。自身が大好きだったアメリカはどこに行ってしまったのか。私が信じていたものは何だったのか。突然起きた変貌に、パニックとなった。

それから日本へ帰国後、物を書くことを決めた。目の前で私の大好きなアメリカが壊されていることが許せなかった。

そしていろいろなことを調べていると気づいたという。これはアメリカだけの問題ではない、私のかけがえのない故郷である日本も同じように壊されていると。 資本主義が進化した、アメリカ発の「強欲資本主義」が、いま自国アメリカだけでなく世界中を飲み込もうとしている。そして日本もそのターゲットのひとつになっている…

そのことへの怒りとそれらの脅威から地域共同体を守ろうとする現地の人々の想いが、自身が取材を続ける原動力になっている。



「日本で巨額のお金が動くところには、アメリカの民間金融企業の影がある」

事実・・・日本人の巨額の貯金に狙いをつけたアメリカの民間金融企業出身のある人物から、経済財政・郵政民営化担当大臣を務めていた竹中平蔵氏に手紙で細やかな指示が送られており、それに付き従う形で小泉政権は郵政民営化を達成した(日本の郵政事業は解体され、ゆうちょ銀行は安全な日本国債での運用を減らし、米系企業の債権や株式の比率をどんどん上げて、アメリカに貢献しています)

事実・・・運用比率が1%上がると1兆円を超える資金が市場に流入すると言われるGPIF(年金積立金管理運用独立行政法人)の株式保有率の上限を撤廃した安倍政権は、運用委託先も大きく変更して、アメリカの民間金融企業を中心に据えた(政権支持率を株価に支えられている安倍政権と、運用受注で年間数億円の手数料が流れ込む外資系金融機関および海外投資家は、この政策に大喜びです)

事実・・・アメリカの民間金融企業日本法人の元副社長が、15年6月、ゆうちょ銀行の副社長に就任し、今度はソフトバンクの副社長を務めている(ちなみに孫正義氏の二人の娘のうち、一人がアメリカの民間金融企業に勤務しているそうです)

事実・・・輸入農産物に使われているモンサント社の危険な除草剤「グリホサート」は、ヨーロッパも、ロシアも、中国も買ってくれず、世界中で使用禁止が相次いでいるというのに、ただひとり日本だけは残留基準を現行の5倍から150倍に大幅緩和している(モンサントの親会社・バイエルには、当然のようにアメリカの民間金融企業が融資を行っています)

事実・・・2018年12月に水道法が改正されたことにより、自治体所有の水道の運営権を企業が買いやすくなるようになった。その水道の運営権売却の規制緩和を決める会議のメンバーの一人は、なぜか利害関係者であるフランス最大手の水企業ヴェオリア・ウォーター社の社員だった(なお、2012年の段階で、アメリカの民間金融企業はヴェオリアを買収済みです)

これらは、私たち日本人の生活が、アメリカの企業たちに握られているという事例のほんの一部にすぎません。

こういう「事実」をマスコミが報じることはありませんが、安心してください。政府、企業、金融機関の「お金」と「人事」を丹念に追えば、きっと真実が見えてくるはずです…


目次:

はじめに ウォール街から見た世界
この街には、ものすごい量の札束が毎年毎年降り注いでいる
ウォール街が世界を動かしている

第1章 アメリカのみならず世界を動かす“神々"
桁違いの年収を稼ぐ花形の職業「ロビイスト」

マスコミは人にフォーカスする

大恐慌前にアメリカを覆っていた狂気が再び息を吹き返した

政界と経済界を高速で行き来する「目に見えない回転ドア」

アメリカのみならず世界をも動かすウォール街の“神"

金融危機を引き起こしたウォール街を誰も取り締まれない

オバマは回転ドア人事を防ぐことができたのか

チェンジの裏舞台では、回転ドアが高速回転していた

メガバンクは税金で救済され、金融業界の責任は追及されなかった

お金の流れと人事を見れば、真の権力構造が見えてくる

アルファベット3文字の怪しい金融商品

多額の報酬に笑いが止まらない人、すべてを失った人

第2章 日本の四大VIP客
ウォール街が大事にする日本のVIP客とは
郵便貯金と簡保のマネーを開放するための民営化だった
私たちの年金の運用は、半分が株で運用されている
スタートアップ企業に投資するソフトバンクの巨大ファンド
WeWorkはテクノロジー企業か、不動産賃貸企業か
「真っ赤っかの大赤字」に陥ったソフトバンク
ソフトバンクの希望をつなぐ後継者の正体
巨額のお金が動くところには、ゴールドマン・サックスの影がある
日銀がソフトバンクの株を大量に買っている?
「今だけ金だけ自分だけ」が繰り返される
ソフトバンク問題に、アメリカの中枢が関わっている可能性

第3章 株式会社アメリカ
株式会社アメリカの国旗デザイン
ワシントンD.C.に降り注ぐ大量の札束が見えてきましたか
ウォール街は、共和党、民主党の両方にチップを置く
絶対にクリントンが勝つはずだった……
ヒラリーの本音が暴露された
トランプ政権になって、ウォール街は政治の中枢から離れたのか

第4章 「日本の宝」が売られていく
株式会社アメリカが狙う「宝の山」
日本の水道が、ハゲタカに狙われている
ウォール街が推す「これから有望になる投資商品」とは
邪魔な法律を取っ払うためには、圧力、交渉のみならず強硬手段も使う
アメリカがいつまでたってもイラクから出ていかない理由
17年前のマスコミの嘘が、トランプ大統領を誕生させた
戦争が、何よりも儲かるビジネスである理由
イラク戦争を始めたのは、石油資源だけが目的ではなかった
イラク戦争を始めた三つ目の理由は水だった
芸能人のスキャンダルの裏側で大変なことが起こっている! ?
日本のロビイスト「有識者会議」の正体
日本の水を狙っているのは、アメリカだけではない
命の水を扱う企業が、核のごみビジネスをも手掛ける怖さ
水源だけじゃない、中国が爆買いする日本の土地
世界中で大問題になっている除草剤が日本で普通に売られている
外国企業が参入することは、日本の発展のためになるのか
マスコミを信じるランキングで日本は世界一位
社会の表と裏をしっかり見たいなら、お金の流れを見る
大手マスコミだけじゃない、SNSも大衆操作ツールである
SNSは思考より感情を捉え、冷静さを失いやすい
シリコンバレーの企業は、次第に政治的な存在になりつつある

第5章 ウォール街と対極の価値観を持つ
デジタル断食のススメ
NHKが何を報道したかではなく、何を報道していないかを見る
ニュースがある事件一色になったら、その裏で何かが起きている
自分の直感を信じる
ウォール街が一番怖がっているもの
助け合いの精神「お互いさま」が、日本人のDNAに刻まれている
「日本売り」を食い止めることは手遅れか
今私たちが心に刻むべき「国家百年の計」とは
「お互いさま」の精神を世界中に広げ、貴重な資産を次世代に残そう




《書抜》

(有識者会議)「君の国の総理大臣は賢いね。アメリカでは企業に雇われたロビイストが業界よりの政策をプッシュするのに、日本では企業ロビイストに税金から給料を払っている、ウォール街もびっくりの無駄のないシステムじゃないか」(P.33)

(SNS)「個人の属性や嗜好に沿って表示されるニュースが設定されているからです。同じニュースサイトを見ているのに、あなたのパソコンに表示されているニュースと隣の人のパソコンでは表れる画面がまったく違う。」(P.135)

(SNS)「流れてくる情報を、一瞬で皮膚感覚的にキャッチするので、一瞬で分かったような気になってしまう。(LF)情緒的にエスカレートしてゆく作用があるので、冷静さを失いやすい媒体なのです。」(P.137)

「かわいそうなことに、現代史の授業がちょうど受験の時期に重なるためにすっぽり抜けてしまっているのです。」(P.143)

「テレビの放送でカットされているところこそが知らなければいけないところ、わたしたち日本国民にとって本当に価値のある情報だと思ってください。」(P.146)

「不思議なことに、情報を溜めれば溜めるほど、人間は不安が大きくなってゆくのです。自衛のための武器と同じで、もっともっと、となってしまう。」(P.149)

デジタル断食して直感を働かせるようにするのです。」(P.149)

知識や情報ではなく、こういう自分の中から湧き上がってくるもう一つの声、みぞおちに感じる違和感の方を信じてください。」(P.149)__そういう感覚は自然に出来るのではなく、訓練が必要だと思う。「人間が誰でも、本来持っている感覚」「本能」のように捉えてはいけないと思う。

「通貨が、言語が、情報の集積場所が、政府が一つに統合され、世界が一つのマーケットになるまで、このマネーゲームは続いてゆくのです。」(P.150)__一つにはならないと思うけど、限界を設定できるのは羨ましい。資本主義の「富」という物自体が「仮想」のものなので、理論上は決して限界はありません。「資源の枯渇が限界」とも考えたいけど、その程度の限界は資本はすぐに「制限」に変えてしまいます。もともと、「物(物質)」で成り立っている経済じゃないから。CMを見ればわかります。せいぜいいえるのは、「価値はどこかで物質につながっている」ということでしょうか。それも怪しいけどね。

「日本にはお金で買えない知恵がある、日本人はお金で買えない精神性をもっている。日本が持つこうした宝の数々は、どれだけ札束を積んでも、決して奪うことはできません。(LF)だからこそ、狙われるのです。」(P.153)

「世界中の金融資産の半分以上は、実体のない詐欺商品です。」(P.158)__商品そのものが実体を伴いません。



株式会社アメリカの日本解体計画 堤未果著 2021/01/20 経営科学出版


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