ソフィーの世界 哲学者からの不思議な手紙 ヨースタイン・ゴルデル著 池田香代子訳 1995/06/30 日本放送出版会


Sofies verden (1991)

もう30年も経つのですね。この30年間、私はサラリーマンをしていました。この本が古本屋に並ぶのを待って買ったのが懐かしいです。なにせ650ページの大書です。枕にして寝ることはできても、読むことはできずにいました。

退職して、時間に余裕ができた今(気持ちに余裕は全然ありませんが)、やっと読もうという気になりました。といっても、トイレ本、トイレに入っているあいだだけ読む本にしました。また読むのに何年もかかるんだろうな(『Harry Potter』は20年かかりました(^_^;))と思っていたのですが、じつにあっという間に読んでしまいました。

面白い。哲学の話なのに、面白いのです。同じ哲学文学(哲学小説)では、筒井康隆の『文学部唯野教授』を読んだことがありますが、『文学部・・・』は、難しすぎて、面白さも感じずに「義務的に」読んだ感じで、なにも憶えていません。なので、この感想文は『文学部・・・』のことは、少しも考慮に入れていません。

「世界で一番やさしい哲学の本」

この本の帯にはこう書いてあります。「世界で一番」かどうかはわかりませんが、わかりやすい本です。難しい漢字にはふりがなが振ってあります。哲学の本で難しいのは、単語(語彙)です。特に、日本語に訳された時点で、難しい「造語」がされたものはニュアンスがわからないので、理解しにくいのです。「新しい概念には新しい用語を」というのはわからないでもありません。西周の造語は、仏教用語を借用したり、そうでなくても漢字と概念をうまく取り合わせています。でもそののち、無理に「新しい言葉をつくらなくちゃ」として、かえってわかりにくくすることが続いたような気がします。「存在」と「現存在」と「実存」はちがう概念なことはわかります。でも、「存在」以外は普段聞くことがありません。でも、西欧では、「be」とか「sein(Dasein)」とか「existenz」とか、日常使われることばです(外国に住んだことがないので、推測です)。それに、「範疇」なんて漢字は書けないどころか読めない(笑)。

逆に、「動的な」に「ダイナミック」、「主観的」「主体的」に同じ「サブジェクティブ」というルビを付けてもらうと、イメージが湧いたり、理解が助かったりします。読者思いの本です。

それに、できるだけ漢字を使わないようにしている気がします。14歳の中学生にも読んでほしいという気持ちが伝わってきます。訳者の人柄が浮かんできます。優しい人なのでしょうね。

『14歳の・・・』

主人公のソフィーは、もうすぐ15歳の誕生日を迎える14歳の少女です。日本でも、『14歳の・・』とか『14歳からの・・』という本がたくさん出ています(Amazonで「本」「14歳の」で検索すると、検索結果が「10,000以上」となったので、例を挙げるのをやめました)。

14歳といえば、日本では中学生です。2年生ぐらいでしょうか。これだけ『14歳の・・』という本が出ているということは、この年齢に意味があるんでしょうね。みなさんも思い当たることがあるんじゃないですか。ちょうど思春期です。青春です。「子供」から「おとな」へ変わっていく時期です。この時、多くの人が、「自分とは何なのか」とか「人生とは何なのか」とかいろいろなことを悩み始めるのでしょう。進学のこともありますし、恋愛のこともあります。「反抗期」と言われることもありますね。女の子は月経が始まり、「第二次性徴期」とも言われます。女の子はこの時期に「宗教に目覚める」ことも多いそうです(『性(セックス)と宗教』島田裕巳著、P.35)。

「多感な年齢」ですね。人によって「淡い思い出」「酸っぱい思い出」「辛い思い出」など、さまざまな思い出があるようです。でも、それは「あとからほのぼの思うもの」で、「青春時代の真ん中は、道に迷っているばかり」です(『青春時代』森田公一とトップギャラン)。

近年は、受験は高校受験が始まりではなくて、中学受験や小学受験、幼稚園受験なんかもあるようですね。そこで人生の大半が決まってしまう、とまで言われて、両親は必死です。合格する・しないにかかわらず、そこで人生が決まってしまうのなら、その後の「迷い」なんてなくなってしまいます。迷えなくなってしまうのです。「青春時代」そのものが無くなりつつあると言えるのかもしれません。

それはそれで、重大な意味があると思うのですが、逆に「思春期」があるのは当たり前なのでしょうか。どの国でもどの時代にもあったのでしょうか。

ソフィーは突然、先生はどうでもいいことばかり喋っている、と気がついた。どうして先生は、人間とは何かとか、世界とは何かとか、世界はどのようにしてできたかとか、そういう話をしてくれないのだろう?(P.20)

ソフィーは「目覚めて」しまいました。それが良かったのか、悪かったのか。

古代ギリシアから現代まで

西欧哲学の歴史(著者はノルウェー人です)が、時系列的に書かれています。前半は、ただの「物語風哲学史」ですが、後半、そこに播かれた種(たね)が突然動き始めます。それが、哲学史とリンクしているところが素晴らしい。

某『西欧哲学史』なんかよりずっとわかりやすいし、それでいてちゃんと核心をついていると思います。

わたしたちにいちばん興味があるのは、この最初の哲学者たちがどんな解決にいたったかではありません。彼らがどんな問いを立てたのか、そしてどんな方向に答えを見つけようとしたのか、ということです。わたしたちにとっては、彼らが何を考えたかということよりも、どのように考えたかということのほうが重要なのです。(P.48)

普通の哲学史は、「誰々は、何々と言った(書いた)」という事実の羅列です。でも、大切なのはなぜ考えたのか、どう考えたのかというところです。それこそが、大切なことで、わたしたちが「何をどう考えるのか」の糧になるのです。

ただ、「どのように(How)」というのは「テクニック(テクネー)」です。「何を(What)」は「存在(存在論 Ontology)」に関わることなので、後述します。もう一つは「なぜ(Why)」です。

たとば、太陽が沈むことについて地動説を持ち出し、地球の自転から答えることができよう。しかし、それは実は《なぜ》の答えにはなっていない。(中略)私たちが答えているのは、実は《いかに》という問いへの答えにすぎない。(中略)《なぜ》と《いかに》の分離、《なぜ》の棚上げ、これこそ近代科学成立の要件であった(高木任三郎著『いま自然をどうみるか』P.111-112)

この「なぜ」はどこにいったのでしょう。哲学でも、「なぜ」は触れられますが、それは「どのように」の付随物としてです。つまり、「なぜ」という問の答えが、「どのように」でつくられているのです。「〇〇だから××」という因果律で表されます。そしてそれを「論理的だ」と呼ぶわけです。

子供の「なぜ夕日は赤いの?」という問いに、「それは大陽の光のうち、大気圏で吸収される・・・」と答えるのは「How」です。「どうして、ソクラテスは毒杯をのんだの?」という問いに、

つまりソフィストたちとは反対に、ソクラテスは、正と不正を区別する力は理性にあって社会にはない、と信じていたんだね。(P.96-97)

と答えるのはどうでしょうか。微妙です。

ソクラテスは社会(国家・ポリス)に従いました。彼は、理性にとって(自分にとって)の正義と、社会にとっての正義があると考えたのかもしれません。でも、その二つはソクラテスにとっては「一つのもの」であるべきものだったです。「社会の死」と「自分の死」を天秤にかける、そのことすらソクラテスにとってはおかしなことだったのではないでしょうか。

師匠の死に直面したプラトンにとっては、社会の判断を簡単に認めるわけにはいかなかった。だから、個人の理性も、社会の正義も超えた存在としての「イデア」を想定せざるを得なかった、などと言ってみても、所詮想像にしか過ぎません。

言論の自由

いつの世にも、疑問を投げかける人はもっとも危険な人物なのだ。答えるのは危険ではない。いくつかの問のほうが、千の答えよりも多くの起爆剤をふくんでいる。(P.95)

「言論の自由」は「答えを言う自由」ではなくて「問いを発する自由」なんですね。「問い」というのは肯定でも否定でもありません。その枠組の「外」にあるものです。だから、質問された側が嫌がるのと同時に、反対の側も困ります。反対する理由を説明しなければならないからです。

一番じゃなきゃダメですか?」という蓮舫さんの質問は、「二番ならいいんですか」「何番ならいいんですか」と質問を返されることを覚悟しなればなりません。

「どうして?」「変じゃない?」。「空気を読む」ことを知らない子供は、いつでもどこでも聞いてきます。聞かれた親(おとな)は困ります。わからないからです。わかっていたように過ごしてきた自分が「揺るがされる」からです。そのとき「それはね、・・・」と「How」で答えても、子供は納得しません。次の質問が飛んでくるだけです。子供が質問しているのは「How」ではなく「Why」だからです。そして、「Why」の答えは科学にも、そしてたぶん「哲学」にもありません。それは、神あるいは宗教の領域です。

うるさく質問してくる子供に、「うるさい!」と言ってしまうのは、「言論の自由」を侵害していることになります。

最近でも、質問をする子供は「頭がいい」「賢い」と大人に「褒められる」のでしょうか。

見ること、存在すること、信じること

インドーヨーロッパの人びとにとっては「見ること」がきわめて大きな意味をもっていた、と言いきってしまっていいと思う。(P.197)

もちろん、人間にとっては「見ること」も「聞くこと」も大切です。でも、文化によってどちらに「より」重点を置くのかは違っていると思います。「百聞は一見にしかず」ということわざがあります。これは中国の『漢書』からきています。たぶん、中国ではより見ることに重点があるのでしょう。でも、日本は「虫の音を聞く」という文化があります。これは西欧にはないそうです。「古池や蛙飛びこむ水の音」という俳句を聞くと何かしらの情景が浮かびます(私はなぜか、「古井戸」のイメージが浮かびます)。これも印欧語に翻訳するのは難しいでしょう。日本は、聞くことに重点があると言えるかもしれません。

見えない小さいものを顕微鏡で覗き、見えない遠くのものを望遠鏡で見る。「見える化」することによって、インド=ヨーロッパの人は、その「存在」を「信じる」ことができるのではないでしょうか。その文化は今や世界中に浸透してきています(と言われます)。2019年、ブラックホールの直接撮影に成功、というニュースが流れました。それもカラーで。専門的なことはわかりませんが、ブラックホールは「見えない(光が外に出ることができない)」からブラックホールです。新型コロナウィルスの電子顕微鏡写真が、カラーで放送されていました。レントゲン写真はもとより、顕微鏡写真は可視光線より波長が短いのですから、「色」はありません。紫外線や放射能が見えないように、「見えない」のです。でも、写真を示されると「すなおに(なにも考えずに)」「存在」すると「信じてしまう」人が多いのではないでしょうか。

ガラス窓

先日、「100分de名著」の「カフカ『変身』」の再放送がありました。「窓」というのが、部屋にいるグレーゴルの興味を引いたようです。ガラス窓は、「見える」けど音を遮断します。とても西欧的だと思いました。日本にはガラスを作る技術がなかったのかもしれませんが、一般住宅にガラス窓がついたのは明治以降でしょうね。窓は、光を取り入れたり、換気のために必要ですが、ガラスではない窓は、見える時には音が聞こえる、むしろ見えなくても音が聞こえます。ガラス窓によって、見る文化は加速された気がします。

運命

でも、健康になりますようにって神さまに祈る人はいくらでもいる。だったらその人たちは、だれが病気になってだれが健康になるかという問題には、神がかかわっていると信じていることになる。(P.69)

この本は「科学史」ではないし、数学史でもありません。統計学や、確率論はこの「運命」を「数値化」「目に見える」形にしたものです。

『アンラッキーガール』というドラマがありました。とっても面白いドラマでした。わたしの大好きな福原遥ちゃんを中心に3人の「運の悪い」女の子が主人公です。対して長井短ちゃんは「超ラッキーガール」。人生は、「いいときもある、悪いときもある」のでしょうか。

人生で、ラッキーとアンラッキーが五分五分だとします。つまり、確率は2分の1です。コインの裏表と同じですね。さて、コイントスのギャンブルがあるとします。あなたは、かしこいのでしばらくは賭けずに見ているとします。9回続けて「うら」が出ました。さて10回目、あなたは表と裏とどちらに賭けますか。私は「そろそろ表が出そうだ」と思ってしまいます。高校時代の数学を思い出して、「10回裏が出る確率」を計算する人もいるかも知れません。1/2の10乗は1024分の1です。もっと数学を知っている人は、何回投げてどんな目が出ていようと、つぎのオモテウラの確率は1/2、と言うでしょう。ギャンブルのプロは「それだけ裏が出ているということは、なにか理由がある」と考えて、裏にかけるそうです。

数学的な正解は、「どちらに賭けても1/2」でしょうね。10回とも裏でも不思議ではないし、10回目に表が出ることもあります。だから、生まれてから死ぬまで、ずっとアンラッキーがつづく人もいれば、ずっとラッキーがつづく人もいるのです。だから、運が悪くて落ち込んでいる人に「きっといいこともあるよ」と言うのは、気休めにはなりますが、「科学的」とは言えません。わたしは、福良幸(福原遥)ちゃんの「相対性ラッキー理論」が素晴らしいと思います。

統計学は、「統治の技術」として近代ヨーロッパで始まりました。それは同時に、産業における利益の指標となりました。利益ということで言えば、「保険」「投資」という「商品をつくらない資本」を生み出します。賭け事は胴元が儲かるルールになっているのです。

ギャンブル社会(資本主義社会)では、ギャンブラーが言うことを聞くのもいいかもしれません。ラッキーとアンラッキーが偏っている時には、きっと何かの「仕掛け」があるのです。

インド=ヨーロッパとセム

イエスはユダヤ人で、ユダヤの民族はセム語の文化圏に属している。ギリシアとローマはインドーヨーロッパ語族の文化圏に入っている。だから、ヨーロッパ文明には二つのルーツがある、と言っていい。(P.194)

似通った言語には似通った考え方もふくまれている。だから、「インドーヨーロッパ文化圏」と言うんだね。

インドーヨーロッパ文化の特徴は、なんと言っても、さまざまなおびただしい神々を信じることだ。(P.195)

インドーヨーロッパの人びとは、回帰する歴史観をはぐくんだ。歴史は、ちょうど四季が夏と冬をくりかえすように、円を描く、あるいは循環する、という考え方だ。だとすると、歴史にははっきりとした始まりもなければ終わりもない、ということになる。インドーヨーロッパのれきしとは、生と死が永遠に交代するように、生まれては滅びるいくつもの世界をさまざまに語ることだった。

東方の二大宗教、ヒンドゥー教と仏教は、インドーヨーロッパに起源をもっている。(P.197)

セムの人びとは、驚いたことに、すでに早い時期からたった一人の神を信仰していた。これが「一神教」だ。ユダヤ教とイスラム教は、神はたった一人だ、という考えをもとにしている。

更にセムに共通するのは「直線的な歴史観」だ。歴史はまっしぐらに進む、ということだ。いつかある時、神が歴史をつくり、歴史はそこから始まった。けれどもいつかある日、歴史は終わり、しかもその時には生きている者も死んだ者も神によって裁かれる。最後の審判が行われる。

西方の三大宗教のポイントは、まさにこの歴史のとらえ方にある。(P.199)

セムとインド=ヨーロッパ文化の違いは、ほかにも述べられていますが、ある意味で「全く逆」ですよね。日本は、「多神教」で「緩やかな輪廻観」です。どちらかといえば、インド=ヨーロッパ的です。仏教文化が、日本固有の信仰と結びついた結果だと思います。

わたしは、西欧の文化は古代ギリシア(古典ギリシャ)から、綿々と「引き継がれ」て「発展してきた」、と思っていましたが、そうではないようです。「理性の絶対視」という意味でギリシア的(ヘレニズム的)ですが、進化観(直線で一方方向の発展)という意味ではセム的(キリスト教的)だということでしょうか。中世の哲学者(宗教者)たちは、この二つの流れを結びつけようとしていたのです。

ルネサンス

キリスト教の世界で、「ギリシアの文化が再発見された」(P.256)とき、理性は明確な《自己(われ、ego)》となります。

ルネサンス以来、人間はもう、ただの被造物の一つではない。自然に手を出して、自分の思うようにつくりかえている。人間は、被造物は被造物でも、驚くべき被造物だということだね(P.261)

《自己(われ)》は「私」であり、「(私が所属する)社会・国家」あるいは「人類」です。「今」は「歴史の最先端」です。神の意志は「歴史」に現れ、「神の意志」の実現過程は「理性」の実現過程になります。つまり、「神の意志は理性として現れ、私の意志が神の意志」となります。

でも、わたしたちの時間はいつも同じようには進まない。ある世代が成長するにつれて、ある世代は年老いてゆく。まあ、物語はどんどん進んでいくわけだが。ヨーロッパの歴史は一人の人間の一生のようだ、なんて考えたことがあるかな?古代はヨーロッパの子供時代だ。それから長い中世。これはヨーロッパの学校時代だ。今はその長い学校時代が終わって、若いヨーロッパがいよいよ人生に飛び出していく時だ。ルネサンスはヨーロッパの一五歳の誕生日と言っていい。(P.248)

これが、著者の考え方の中心なのでしょう。「15歳の誕生日」、つまり「14歳」の重要性がここに現れています。じゃあ、今は大人時代?それとも老人時代?と著者に聞いてみたい気がします。

歴史を「個体(個人)の成長」と結びつけるのは、「個体発生は系統発生を繰り返す」(ヘッケル)という言葉に現れています。輪廻と直線的歴史観を一見、うまく統合しているように見えます。でも、それは「見せかけ」で、これが簡単に「人類至上論」「社会ダーウィニズム」につながることは予想されます。

一七世紀になって初めて、哲学者たちは心と身体をすっぱりと切り離した。動物や人間の身体をふくめて、すべての物質的なものは機械的な過程で説明される、というわけだ。(P.300)

つまり、思春期というのは「心と体」が分離する過程です。たしかに、今まで気にすることの少なかった身体が「自分に対峙するもの」「制御する対象」として現れます。

自分の体は、自分の意志から独立します。そして、なかなか自分の思い通りにはならないですよね。

啓蒙主義

理性と知識が広まりさえすれば人類は大きく進歩する、と啓蒙主義者たちは考えた。これはこの時代のたった一つのテーマだった。これさえ解決すれば、不合理も無知もあとを絶って、啓蒙された人類が出現するはずだった。」(P.401-402)

「はずだった」のですが、なかなかそうはいきません。分離した「心と体」を持って、西欧は苦悩し続けます。そして、人類の「思春期」は、どんどん引き伸ばされていきます。

「自分の体」は「制御するもの」「支配するもの」、つまり「他者」として現れたあとは、完全に「支配」するか、完全に「排除」してしまうまで、《自我》を悩ませ続けます。

他者を「完全に」支配することは難しい。たとえば、「犬の調教」。自分の体すら制御(支配)できないのが人間です。犬の調教のほうが簡単でしょうか。川(「水」)を制御するために、治水をしますが、それがどこまでできているでしょうか。日本では、毎年どこかで川の氾濫が起きています。

支配できないものは「排除」します。GHQが「ヤブ蚊」に悩まされたと気に、近所の池や沼などを埋めちゃったそうです。いかにも西欧的ですよね。

三番目の方法は、他者との間に契約を結ぶ方法です。今日気がついたのですが、iPadのCMで「The winner is ...」と言っていました。日本語でも「選挙で勝つ」という言い方をしますが、勝った人は日本語では「勝者」ではなく「当選者」です。先日友人と話をしていて、「西欧では、個人個人がつねに対立しているから、契約が必要だ。そして勝者は絶対的な権限を持つ」と私が言うと、友人は「勝ったからといって、何をしてもいいわけじゃない」と言いました。日本ではそうですよね。「少数者の意見を大切にする」ということを(多数決の弊害をなくすために)、日本ではさかんに言われます(勝者も敗者も言います)。でも、それは「多数決」を否定することになって、混乱が生じるでしょう。わたしは、西欧では「勝者は何をしてもいいと考えている」と思っています。選挙(多数決)は、「勝者に従う」という契約です。裁判もそうです。「判決に従う」という契約なのです。そういう前提がなければ、本来、議会制民主主義も裁判制度も成り立たないのです。

軋轢を解消する方法がもう一つあります。それは、「対象(他者)」ではなく「《自我》をなくすこと」です。自然を「支配(所有)」や「排除」の対象にするのではなく、「人間が自然に帰る」ことです。

『自然に帰れ』が新しい合言葉になった。でも、啓蒙主義者たちは自然を、理性とほとんど同じ意味で使っていた。なぜなら、理性は人間が教会や文明から押しつけられたものではなくて、自然からさずかったものだからだ。(P.402)

問題は、《自我》ではなく、「理性」なのです。西欧では、理性(あるいは理性に基づいた論理)がとても重要視されます。

元々は、「人間は理性を持つ」と考えられていたのが、「理性を持つのが人間だ」という逆転が生じます。人間と人間でないものを区別する指標は、理性を持つかどうかです。豚も牛も植物も理性を持たないので「人間」ではありません。異民族も、「理性がある」と認めたものは「人間」ですが、「非理性的」だとみなされた異民族は人間ではありません。

西欧人(欧米人)が「奴隷」としてきた民族は「非理性的」で「人間ではない」のです。理性的かどうかの判断のひとつが、「ことば(ロゴス、λόγος)」です。話ができないものは、理性的ではありません。古代ギリシャにおける「バルバロイ(βάρβαροι)」は英語の「バーバリアン(野蛮人)」の語源ですが、「変な言葉を話す」ということです。バルバロイの話すことばは、理解できないから、理性的ではありません。

逆に言葉が通じなくても、分かり合えれば、それは人間として尊重されます。たとえ、それが犬であっても。

分かり合えないもの、たとえば「狂人」は、話ができても人間ではありません。同様に、子供は人間ではありません。分かり合えないことでは、男性にとっては女性も「永遠の謎(神秘)」であり、人間ではないのです。

デカルト( René Descartes、1596年3月31日 - 1650年2月11日)

言ってみればデカルトは、哲学上の真理を数学の定理のようにきちんと示そうとしたんだ。デカルトは僕たちが計算するときに使う道具、つまり『理性』を用いようとしたんだね。(P.301)

ユークリッド幾何学の「第5公準(公理)=平行線公準」を変えれば、別の数学体系が出来上がります。ちがう定理(公理)があれば、別の体系が成り立つということです。

デカルトが使った定理である『理性』は、そのまま「ロゴス」「ことば」です。デカルトが使ったことばはフランス語、ギリシア語と同じ「インド=ヨーロッパ語(印欧語)」です。

印欧語の特徴は明確な「主語=述語構造」です。アリストテレスの論理学(ロジック)、たとえば「同一律(AはAであって、同時にBではない)」や「排中律(AはAであるか、Aでないかのどちらかである)」などは「主語=述語」という印欧語の文法構造そのものです。

カント(Immanuel Kant、当て字は「韓圖」、1724年4月22日 - 1804年2月12日)

「AならばB」であるというのは、「因果律」です。これも「主語=述語構造」から派生します。

因果律は永遠で絶対に正しい。その理由はただ一つ、人間の理性がすべての出来事を原因と結果の関係でとらえるからなんだ(P.416)

ぼくたち人間は理性というこのサングラスをはずせない、と言っていい(P.415)

理性というのは、デカルトの定理と同じで、印欧語の文法構造です。人間が理性をもっている、と言うのは「印欧語は理性である」ということなのです。

カントによれば、人間が世界を認識するためには二つの要素がいる。一つは外からやってくる、感覚によって感じとらなければ知りえないものだ。これは認識の素材だ。もう一つは、すべてを時間と空間の中の因果律にそった出来事とみなすような、人間にそなわっている内的条件だ。こっちは認識の形式だ(P.418)

善悪を区別する能力は、理性の他のすべての性質と同じように生まれつきだ。ぼくたちは、出来事には原因があると考える理論理性があるのと同じように、ぼくたちはみんな、普遍的な道徳の法則も理解できるんだ。道徳法則は自然法則と同じように絶対正しい。(P.425-426)

この認識の形式が、文化です。理性というサングラスが西欧文化なのです。言語が文化に与える影響がどのくらいかは難しいですが、このサングラス、つまり思考形式が印欧語の「主語述語形式」に似ていることは明らかでしょう。そしてそれは「主体と客体・対象」、つまり「主客構造」そのものだと私は思います。

カントはまた、人間が知りうることにははっきりとした限界がある、ともいった。理性というサングラスがこの限界をもうけていると考えていい(P.419)

理性というサングラス、印欧語文法という構造が一つの思考形式と、ひとつの認識の限界を定めているのです。

ロマン主義

ぐうたらしていることは天才の理想だし、だらしのないことはロマン主義者としてかっこいいことだったのさ。人生を味わうこと、あるいは人生から逃れる夢を追うことが、ロマン主義者にとっての至上命令だった。日々の営みは俗物にまかせておけばいいのだ(P.444)

「ぐうたら」で「だらしない」生き方、大好きです。「天才の理想」かどうかは知りませんが。当時は、「お金持ちの特権」だったでしょう。「デカダンス」という言葉を思い出します。19世紀末です。また、1960年代の「ヒッピー文化」とかも。「労働至上主義」、「人間とは働くこと」と言うのに反感を思えた若者たちの反抗です。そして、それはけっして有産階級の子息だけの運動ではありませんでした。働かなくてもやっていける、それを証明してくれました。それから半世紀以上経っていますが、生産力が上がっていると言われているのに、仕事量は少しも減っていません。

ヘルダーは、歴史の流れにも目的に向かうプロセスだと考えた。それで、ヘルダーの歴史観は動的な(ダイナミック)歴史観と言われる。啓蒙主義の哲学者たちの歴史観は、たいてい静的(スタティック)だった。啓蒙主義者は、たった一つの普遍的な理性があって、それがさまざまな時代に強く現れたり弱く現れたりする、と考えた。これにたいしてヘルダーは、歴史のそれぞれの時代にはかけがえのない価値があるし、それぞれの民族や文化にはそれぞれの個性、つまり民族の心がある、と言った。問題は、ぼくたちはどうすれば異なる時代や文化を理解できるか、ということだけだ(P.448)

静的であることと動的であること、絶対的であることと相対的であること。西欧の思想は、その揺れの繰り返しなように思います。それは、インド=ヨーロッパとセム、多神教と一神教、創世神話と輪廻の間を行き交う振幅のように思えます。

静的であること、絶対的であることは「認識」に不可欠なことです。ひとつには止まっているもののほうが認識が容易だからです。たとえば、素粒子を検出するときに霧箱や乾板に通ったあとを見ます。病気は進行(変化)していますが、レントゲンを撮ります。カルテに記入します。運動(流れ)の断面をとらえている、と言われますが、動きそのものを見ようとはしないのです。「自己同一性」が論理の前提になるのです。見えるものは、認識する時間、止まっている可能性があります。でも、音は止まっていないのです。

「走っている」とことばにした時点では走っている可能性が大きいですが、「走っている」と書いた時には、走っているかどうかはわかりません。「ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。」(『方丈記』)というのは、川を「流れる水」として、「動的に」運動としてとらえることは難しい、ということです。その運動をカッコに入れて、「静的に」とらえることによって、「川」を認識することができます。「流れる水」そのものは「川」ではありませんがから。

自己同一性は「アイデンティティ」です。「IDカード」は、それを作った時の状態なので、常に現実との差ができます。運転免許証の写真が、実際の顔と違って笑えるのはカメラのせいだけではありません。

そしてそれは、認識の主体である《自己》と、客体である《他者(対象)》の絶対的存在を要求します。少なくとも認識している間はその関係が揺らいではいけないのです。

ヘーゲル(Georg Wilhelm Friedrich Hegel, 1770年8月27日 - 1831年11月14日)

「ところがヘーゲルは、『真理は基本的には主観的なものだ』と考えて、人間の理性の上だか外だかに真理がある、というカントの考えを否定した。(P.462)

人間の認識基盤は時代によって変化する、と考えたんだ。だから永遠の真理も永遠の理性もない。たった一つ、哲学者が当てにできるたしかなものは、歴史そのものだ、とね(P.463)

個人は、ことばのなかに生まれてくるのと同じように、歴史的な環境のなかにも生まれてくる。だれもこの環境と自由な関係はむすべない。国家になじまない人は、だから非歴史的な人間だ。アテナイの偉大な哲学者たちもこういう考え方だったね(P.473)

最後の文章は、ソクラテスの立場そのものです(プラトンはそれに逆らっていた)。今の言葉でいえば、「国家ガチャ」でしょうね。現代日本の若者もソクラテスやヘーゲルの流れのなかにいます。

認識の主体と、対象である客体という「主客構造(主客対立)」を解消するため、ヘーゲルは対象が「外的」に存在すること自体を放棄しちゃったんですね。目をつぶったときに「対象」は見えないのです。「見ること」を重視すると、存在するかどうかもわからない。でも、目をつぶっても認識する(思惟する)《私》は存在するのです。その《私》は、言語・社会・国家・歴史が作り上げたものです。だから、「目に見える」客体の存在は不確かだとしても、言語・社会・国家・歴史は存在しなければなりません。それが必要なのは、《私》の存在に必要だからです。自我の存立基盤は他者の存在だから、他者は必要なのです。「主客対立」は、なくなることがない闘いなのです。

キルケゴール(デンマーク語: Søren Aabye Kierkegaard 、1813年5月5日 - 1855年11月11日)

キルケゴールはまた、真理は主観的(サブジェクティブ)だ、とも言っている。これは、ぼくたちが何を信じて何を考えてもいい、ということじゃないよ。キルケゴールは、本当に重要な真理は個人的だ、と言ったのだ。主体的な(サブジェクティブ)真理だけが、このわたしにとっての真理なのだ(P.486)

キリスト教は真理か、ということが重要なのではない。キリスト教はわたしにとって真実か、ということが重要なのだ。中世にはこれと同じことが、『クレード・クイア・アプスルドゥム』と言い表されていた(P.487)

不条理ゆえにわれ信ず、つまり、理性(あたま)で考えたらでたらめなことだから、これはもう信じるしかない、ということだ。そもそもキリスト教が理性に訴えかけるものだったら、信仰なんて問題にならなかっただろう(P.487-488)

「客観的真理」があったとしても、それを「正しい」と思うのは「客観的存在」ではなくて、「思惟する人間」、「個々の個人」です。キルケゴールは実存主義の創始者と言われていますが、客観的で抽象的な真理ではなく、個々の具体的な存在、「実存する個人」に真理を求めました。でも、これは「肥大化した西欧的自我」が「自我の自己同一性」を求めた結果です。この事自体が自己矛盾(自己言及、トートロジー)ですよね。前提と結論が同じなのです。自我が存在するかどうかを、自我に求めているからです。「真実が主観的」だとしても、その主観を主観と考えるのも主観ですから。

マルクス(独: Karl Marx, 1818年5月5日 - 1883年3月14日)

ヘーゲルが、客観的な存在を歴史に解消してしまったことをマルクスは認めます。その過程で、ヘーゲルが主体に回収してしまった客観性を、唯心論として批判し、存在を客体に投げ返しました。逆立ちしている机を元に戻そうとしたのです。いわゆる「史的唯物論」です。そのうえで、人間存在と客体(自然)との関係を考えようとしました。

共産主義者になる前の若い頃、マルクスは、働く人間に何が起こっているのか、ということに興味をもった。ヘーゲルもそういう分析をやっていて、人間と自然のあいだには相互的な、弁証法的な関係が成り立つ、と考えた。人間が働くというのは自然に手を出してそこに痕跡(こんせき)をつけることだけれど、この労働の過程で、自然も人間に手を出して、人間の意識に痕跡をつけるのだ(P.506)

この考えは後期マルクスまで続いていて、そのあたりは齋藤幸平さんの著作を読んでください(『人新世の「資本論」』)。

「唯心論と唯物論」「主体と客体」「人間と自然」等の対立をマルクスがどこまで解決できたのかはわかりません。『資本論』を書いている間に、彼が「疑問」にぶつかったのは確かでしょう。それは「経済学的」なことだけじゃなかったと思います。大抵は、疑問は疑問として「棚上げ」して、とにかく「書いてしまう」ということを行います。でも、マルクスはあまりにも「すなお」だったんじゃないでしょうか。子供っぽかったと、言ってもいいかもしれません。見栄っ張りだった、のかもしれません。

『資本論』以降にまとまった著作がないので、わかりませんがエンゲルス(やレーニン)が言うように、「物質だけが存在する」というような単純なことではなかったでしょう。

ダーウィン(Charles Robert Darwin , 1809年2月12日 - 1882年4月19日)

ダーウィンの進化論を「弱肉強食」ととらえる傾向が強いですが、ダーウィンは「自然選択」と言っているだけです。「適者生存」らしきことを言ってはいますが、そのとらえ方も一面的だと思います。かれは哲学者ではありません。著作『種の起源』(1859年)は、いろいろな生物種(しゅ)が「出来上がる過程(起源)」を説明したものです。

ダーウィンについては、中学校教科書に書いてあることくらいしかわかりません。進化論は1996年にカトリック教会と折り合いをつけましたが、(生物の進化の)歴史が直線的に一方方向に流れるという考え方は、セムの宗教であるキリスト教と馴染みが深いものです。その進化の頂点が現在であり、われわれ人間だということです。そこにも「自我中心主義(自己中)」が現れています。

もう一つ、ダーウィン系の進化論で中心的に語られているのが、「突然変異」と「適者生存」です。種の中の個体が突然変異を起こします。これは、今でも遺伝子の変異として語られています。ダーウィンは人工的な「品種改良」とは別のものとして「突然変異」を考えたのですが、なぜ遺伝子の変異が起こるのかは今でも「偶然」と考えられているのではないでしょうか。変異の確率は算出できるので、変異そのものは「必然」だとしても、です。生存に有利な変異も、不利な変異も偶然に発生します。その個体が生殖能力を持つかどうかも偶然です。そして、その遺伝子が「生き残る(引き継がれる)」かどうかも偶然です。

いま、新型コロナウィルスの変異株が問題になっています。でも、その変異が何故起こっているのかはだれも説明しようとしないのです。「発見された」という事実があったとしても、それは「変異の結果」でしかありません。

ダーウィン系の進化論の基本にある「個体が変わることによって全体が変わる」ということは本当なのでしょうか。今、一匹(一個、一人)の「新しい種」が誕生したとします。「種」の定義は難しいのですが、ここでは「生殖能力があって子孫を残すことができるもの」としておきます。その種が生き残れたとしても、その遺伝子が残らないのは明らかですよね。有性生殖であれば、伴侶が必要ですから。2個の個体が同じ変異をする確率は1個の個体の2乗分の1です。子孫が生まれて残る可能性はさらにもっともっと低いのです。まあ「偶然の確率」ですから、ゼロではありません。「それだけ生命は尊い」と神秘的な顔をしていることはできますが、学説としてはどうなんでしょうね。だれにも証明できないことなのかもしれません。

今西錦司は「変わるべくして変わる」「種は全体として変わる」と言います。わかりにくい表現です。私は、今西は「部分が集まったのが全体である、という西欧論理を否定した」のだと思っています。

個々の個体は簡単に見ることができても、「種そのもの」は見ることができません。「一匹の犬」は見ることができても、「犬そのもの」「犬全体」は見ることができないのです。私は、プラトンが「イデア論」で問題にしたのはまさにこのことだと思います。一つひとつの「善い行い」は見ることができます。でも「善」そのものは見ることができません。小林秀雄が「美しい「花」がある、「花」の美しさといふ様なものはない。」という時、このことを指しています。プラトンは、ソクラテスをしてアテネ中の賢者に聞いて回ります(議論をふっかけます)。でも、だれもちゃんと答えて(反論して)くれません。結局ソクラテスは死刑になるのです。イエス・キリストが背負ったのはセムの罪ではなくて、ソクラテスと同じインド=ヨーロッパの罪なのかもしれません。

なぜ、インド=ヨーロッパの人たちは、「個」「部分」から、「見えるものから」見るのでしょうか。私にはまだわかりません。私も同じような「思考形式」が染み付いているからです。ただ、「個から見る」というのは「私を中心に考える」ということとパラレルです。《私》という存在が絶対的な前提として《ある(存在する)》のです。そして、その存在を「存在たらしめるもの」として、他者が存在します。つまり、常に「自己の自己同一性」を求めているのです。それを言い換えると「存在価値(レゾン・デートル)の探求」、となります。

フロイト(独: Sigmund Freud、1856年5月6日 – 1939年9月23日)

「自己」というのは、「自己の意識」です。「我思う故に我あり」ですから。ところが、フロイトは突拍子もない事を考え始めます。「無意識」です。

意識は、海面から突き出ている氷山の一角のようなものだ。水面下、つまり意識の敷居の下には『下意識』、あるいは『無意識』がある(P.551)

フロイトもそうですが、多くの哲学者や宗教家が「神秘体験」をしたり、「妄想に悩まされ」たりしています。「自我の崩壊の危機」に遭っています。ソクラテスが聞いていた「ダイモニオンの声(ダイモーン?・デーモン?)」とはなんだったのでしょう。イエス・キリストやブッダを苦しめた「悪魔の誘惑」とはなんだったのでしょう。ハイデガーの「エルアイクニス」や西田幾多郎の「悟り」とはなんだったのでしょう。

とにかく、彼らは「こちら側」に「戻って」きました(ニーチェは戻ってこれなかったけど)。戻ってきて彼らが語ったことは、とても難しいのです。無意識を意識的に説明することはできません。フロイトは、「無意識は存在する」と言っているのではないと思います。むしろ、「意識の存在」そのものをカッコに入れようとしたのではないでしょうか。

生まれてすぐ、ぼくたちは身体的な欲望にも心理的な欲望にもわりとストレートにいわば臆面(おくめん)もなく生きている。ミルクがほしければ泣く。おむつが濡れたといって、やっぱり泣く。やさしくしてほしいとか、スキンシップがほしいとか、率直に表現する。ぼくたちがもっているこの本能の原則、あるいは『快楽原則』を、フロイトは『エス』、ラテン語で『イド』と名づけた。(P.549)

フロイトが「本能」と言っているのかどうかは確認していないけど、「エス」、日本語にすると「それ」くらいの意味だと思いますが、それすら「説明」したり「存在を証明」したりできるものではないのです。それは、確かに存在しているように思えます。わたしたち(ハイデガーの「現存在」)はそれに突き動かされているようにも思えます。でも、それは意識ではないし、《自己》とすら言いにくいものなのです。

サルトル(仏: Jean-Paul Charles Aymard Sartre、1905年6月21日 - 1980年4月15日)

人間は、自分が実存すること、いつかは死ななければならないこと、そしてなによりも、そういうことにはまるで意味なんかないことを知ると『不安』になる、とサルトルは言った。(P.581)

サルトルは、人間は意味のない世界で自分を疎遠(フレムト)に感じる、とも言っている。疎外感をいだくのだ。一人ぼっちで場違いなところに投げこまれて、周りはよそよそしいし、孤独だな、という感情だ。人間の『疎外(エントフレムドゥング)』と言う時、サルトルはヘーゲルやマルクスの思想の核心を受けついでいることになる。人間は自分がこの世界のよそ者だと感じると、絶望、倦怠(けんたい)、嘔吐(おうと)、不条理感に襲われる、とサルトルは言った(同)

サルトルは二十世紀の都市の人間を描いた。ルネサンスの人文主義者たちは、人間の自由と独立を高らかにうたいあげたよね。ところがサルトルにとっては、人間の自由は呪(のろ)いだった。サルトルは『人間は自由の刑に処されている』と書いた。自由は人間にとっては運命なんだ。人間は自分で自分を自由であるようにつくったわけではないからだ。世界に投げ出されていながら、何をしても自分の責任になってしまうからだ(同)

きのう、『バトル・オブ・ザ・セクシーズ』を観ました。支配や平等の感覚は、西欧人と日本人では違います。「エゴイズム」は「自分勝手」や「利己主義」ではありません。エゴ(われ)どうしがぶつかるところに「平等」「自由」が必要になるのです。《われ》の存在が薄い日本では、エゴイズムは「自分勝手」「利己主義」と捉えられますが、西欧では「エゴイズム」が「当たり前のもの」「人間のあるべき姿」ですらあるのです。フェミニズムは、「女もエゴである」「女も人間である」という戦いであり、「女にエゴイズムを認めよ」という闘いです。日本では受け入れられにくいのではないでしょうか。

「自由でなければいけない」けど「自由じゃない」、「平等でなければいけない」けど「平等ではない」、「自分を見つけて自分らしく生きなければいけない」けど「自分を見つけることができない」。これらは近代の呪縛のように言われていますが、西欧の呪縛そのものです。

サルトルは、生に決まった意味はないと主張したけれど、だからと言って、なにもかもどうでもいいとは思っていなかった。つまりサルトルは虚無主義者(ニヒリスト)ではなかった(中略)意味のあるものなんかないのだから、なんでも許されるとする人のことだ。サルトルは、生には意味がないわけにはいかない、と考えた。これは逃れられない定めだ。しかも、ぼくたち自身がぼくたちの生の意味をつくらなくてはならない。実存するというのは、自分の存在を自分で創造するということだ」(P.582-583)

まさしく「レゾン・デートル」です。西欧の都市(都市国家「ポリス」も含む)で顕在化した思想ですね(ニヒリズムについて、著者は理解していないと思います)。私の存在にも、リンゴの存在にも意味なんてないのです。だけど、リンゴには「食べる」という意味を与えてしまいました。そんな意味なんてなくてもリンゴは存在するのに。だから、自分の存在にも「意味がないわけにはいかない」のです。

サルトルは「醜い」と言われました。醜い彼にとって、存在理由は最大の問題だったでしょう。でも、彼が囚われていたのはやっぱり「自己という呪縛」なのではないでしょうか。美しい女性、ハンサムな男性に聞いてみてください。きっと彼らも自分がそうだということをどこかで認めつつ、「いや、そうじゃない」と思っているのではないでしょうか。

わたしたちの時代

私は、現在(2022年)の日本で生きています(たぶん現実に、実際に生きています)。私が青春時代を過ごしたのは20世紀の後半です。それがわたしの経験による記憶です。戦後の民主教育を受け、「自由」「平等」「民主主義」が至高のものだということを教わりました。そして、現実がその「理想どおり」じゃないことに、怒りを覚えながら生きてきたのです。

退職するまでに、いろいろなことをし、ほとんどのことができませんでした。満足感より、後悔のほうが多のです。当時は、現実を「こうであるべき」だと思い、なにかをするときは「こうするべき」と思い、それができなかった時には「こうするべきだった」と思いました。

子供の頃から人に強制されるのが嫌いでした。「道徳」なんて大嫌い。「倫理」という言葉に嫌悪感をもっていました。それが、いつの頃からか、自分に「こうするべき」だというようになりました。そして、他人に対しても「こうするべき」ということを強制「するべき」だと思っていたのです。でも、高校生あたりからでしょうか、「自分が強制が嫌なら人に強制することもできないのではないか」と思い始めました。『なにをなすべきか?』(レーニン)という本が、どうしても読めませんでした。そしてそれは、今でも「最大の問題」としてわたしを悩ませ続けています。

1989年の、「天安門事件」そして「ベルリンの壁の崩壊」。バブルがはじけ、世の中が一気に「新自由主義」に流れていきました。労働運動も、どんどん低迷していきました。

本の重圧

私は本が好きです。でも、読むのは苦手でした。読むのに時間がかかるからです。読みたい本はどんどん増えていきますが、読めるのはそのうちのほんの一部です。昔から貧乏だったので、買えないということがとても悔しかったし、欲しい本が買えるようになりたいと思っていました。でも、今思えば買えないということが一種の「免罪符」になっていたのかもしれません。それでも、古本屋を回り、掘り出し物を見つけて買いました。図書館の「リサイクル市」(不用本の無料配布)で、車のトランクいっぱいに本をもらってきました。

結果、家の中は「読んでいない」本がたまりました。私が高校時代から好きな本に、中島敦の『文字禍』があります。その主人公の気持ちがわかります。わたしは、この気持は中島敦の気持ちそのものじゃないかと思っています。

「本を読まなくちゃならない」という「義務感」がわたしを押しつぶしそうになっていました(今でもそうです)。でも、世の中には数え切れないほどの本があります。国会図書館だって、1000万冊の本があると言っても世界中の本から見れば、微々たるものでしょう。それに、間違いなくわたしが読むスピードの何倍かで、新刊書が発行されています。つまり、いくら頑張っても、消化不良のまま、不満が膨らむばかりなのです。

理性的であること、論理的であること

本を読むことは、理性的であることと同じです。

あなたはだれ?(P.10)

紙切れに描かれたこのことばから、この本の物語は始まりました。つまり、「《私》は何なのか」を論理的(理論的に)に説明することが哲学のすべてなのです。それは「人間とはなにか」であり、「自然とは何か」です。「《主体》とは何か」であり、「《客体(対象・存在)》とは何か」ということです。それが「神(宗教)とは何か」「社会とは何か」「歴史とは何か」など、さまざまな問いにつながっていきます。

でも、それは説明できることなのでしょうか。

論理はロジック、「ロゴス(λογός)」です。「Εν αρχῇ ῆν ὴν ὁ λογός, καὶ ὁ λόγος(始めに言葉ありき)」(「ヨハネの福音書」第1章1.1)です。西欧論理からいえば、人間が言葉を発したときから、「論理(理性)」との格闘が始まります。

長い人類の思春期

西洋哲学は、「ことば以前」への郷愁に満ちています。世界と自分がいっしょだった(一体だった)時代、自意識を持つ前の「こども」の時代が懐かしいのです(極端に言えば「胎内回帰」願望です)。そこに戻るために、さまざまな「ことば」を発してきました。その痛切な「叫び」が西洋哲学です。でも、おとなは子供に戻ることはできません。たとえ「永遠の命」があったとしても、です(拙文「AV女優は存在するか」)。

人間は「自分」を持つことによって、「世界」から「隔離され」「剥がされてしまった」存在として、「実在せざるを得ない存在」になってしまったのです。

わたしがあるということは、わたしが何であるかということよりも先なんだ、ということだ。これを縮めると、『実存は本質に先立つ』というサルトルの有名な表現になる(P.580)

人間の本質とは、人間とは本来これこれこういうものである、という定義だ。サルトルによれば、人間にはそういう本質はない。人間は自分をゼロからつくらなければならない。人間は自分の本質をつくらなければならないんだ。そんなもの、もともとないんだからね(同)

「もともとない」ものを要求されて戸惑っているのが、「思春期」ではないでしょうか。

それを求め続けてきたのが、西欧哲学です。それは、「当たり前」のことでも「当然のこと」でも「人類のあるべき姿」でもありません。「西欧が一番進んでいる」「優れている」わけではないのです。

西欧の思春期は世界を覆いつつあるように見えます。それが「真実」かどうかは私はわかりません。西欧の思春期はいつなくなるのでしょうか。それは「おとなになること」ではないように私には思われます。

「思春期」は「どの時代、どの国」、だれにでもあるものではない、と私は最近思っています。








[著者等(プロフィール)]

ヨースタイン・ゴルデル(Jostein Gaarder、1952年8月8日- )は、ノルウェーの小説家、児童文学作家。



世界の人々を魅了した、ノルウェー発の不思議な哲学ファンタジーである。「一番やさしい哲学の本」として記録的なロングセラー小説となり、映画化もされた。主人公はごく普通の14歳の少女ソフィー。「あなたはだれ?」とたった1行だけ書かれた差出人不明の手紙を受け取った日から、彼女の周囲ではミステリアスな出来事が起こっていく。「世界はどこから来た?」「私は一体何者?」これまで当たり前と思っていたことが、次々と問いとして突きつけられる。そしてソフィーはこれらの謎と懸命に向き合っていくのだ。

著者のゴルデルは1952年生まれ。ノルウェーのベルゲンという美しい港町の高校で11年間哲学の教師をした後、首都オスロで作家生活に入り、『鏡の中、神秘の国へ』『カエルの城』など、児童・青少年向けの作品を発表し続けている。また翻訳は気鋭のドイツ文学者の池田香代子が担当、哲学者の須田朗が監修するという本格的なつくりも、本書が好評を博した1つの理由であろう。

本書のもう1つの特色は、「哲学史の宝石箱」であること。ソクラテスやアリストテレス、デカルトやカント、ヘーゲルなど、古代ギリシャから近代哲学にいたる西洋の主要な哲学者の大半が登場する。読者をファンタジックな世界へ誘いながら、ソフィーと一緒に彼らの概念をやさしく生き生きと読み解いていく手法は秀逸である。哲学というこの世界じゅうの物事の根源、存在の意味の解明をおもしろく描き、おとぎ話と融合させた作者の功績はとてつもなく大きい。(田島 薫)




《書抜》


エデンの園 ーー とにかく、いつか何かが無から生まれたはず

シルクハット ーー いい哲学者になるためにたった一つ必要なのは、驚くという才能だ

「ソフィーは突然、先生はどうでもいいことばかり喋っている、と気がついた。どうして先生は、人間とは何かとか、世界とは何かとか、世界はどのようにしてできたかとか、そういう話をしてくれないのだろう?」(P.20)

神話 ーー いい力と悪い力があやういバランスを

「ソフィーは、人間はいつも自然の営みを説明したいと思ってきた、ということを理解した。たぶん、人間はそういう説明なしには生きていけないのだ。だから、まだ科学がなかった時代には神話を考えだしたのだ、と。」(P.43)__多分違うと思う。だって、私の周りにも「説明したい」と思っていない人がたくさんいるから。その人達も、小さい頃は「好奇心旺盛」の子供だったけど、どこかで「挫折」させられた(大人に問いかけると「そんなことは知らなくてもいいの」と言われた、とか)、と考えることは出来る。でも、それは「知ること」「理解すること」が好きで、「学者」になったような人間が「自分のこと」を言っているだけかもしれません。

自然哲学者たち ーー 無からはなにも生まれない

「わたしたちにいちばん興味があるのは、この最初の哲学者たちがどんな解決にいたったかではありません。彼らがどんな問いを立てたのか、そしてどんな方向に答えを見つけようとしたのか、ということです。わたしたちにとっては、彼らが何を考えたかということよりも、どのように考えたかということのほうが重要なのです。」(P.48)

デモクリトス ーー 世界一、超天才的なおもちゃ

(レゴ)

運命 ーー 占い師は、本来意味のないものから何かを読みとろうとする

「でも、健康になりますようにって神さまに祈る人はいくらでもいる。だったらその人たちは、だれが病気になってだれが健康になるかという問題には、神がかかわっていると信じていることになる。」(P.69)

ソクラテス ーー もっともかしこい人は、自分が知らないということを知っている人だ

「ソフィストたちは、さまざまな哲学の問いにはたぶん答えがあるのだろうけれど、人間はけっして自然や宇宙にまつわる謎にたしかな答えを見つけることができない、と考えた。そういう立場は、哲学では「懐疑主義(かいぎしゅぎ)」と呼ばれている。」(P.88)

(プロタゴラス)「神はいるのかいないのか、自分はたしかなことは言えない、と言う人を、「不可知論者」という。」(P.88)

「ソフィストたちは広く旅をして、いろいろな政治のやり方を見て回った。都市国家の習慣や法律はそれこそさまざまだ。そうしたことを踏まえて、何が自然に由来し、何が社会によって形づくられているのか、議論を始めた。つまりソフィストたちは、都市国家アテナ(FF)イで社会批判の基礎を築いたのだ。」(P.88-89)

「いつの世にも、疑問を投げかける人はもっとも危険な人物なのだ。答えるのは危険ではない。いくつかの問のほうが、千の答えよりも多くの起爆剤をふくんでいる。」(P.95)__「言論の自由」は「答えを言う自由」ではなくて「問い(おかしい)を発する自由」です。「どうして?」「変じゃない?」。でも、質問をする子供は「頭がいい」「賢い」と大人には「褒められる」。

「少なくとも人間は、思いこみが強くてかたくなか、どうでもいいや、と思っているかのどちらかだ。」(P.95)

「人間の理性に強い信頼をよせたのだから、ソクラテスは正真正銘の合理主義者だった。」(P.96)

「つまりソフィストたちとは反対に、ソクラテスは、正と不正を区別する力は理性にあって社会にはない、と信じてい(FF)たんだね。」(P.96-97)__でも、ソクラテスは社会に従った。理性にとって(自分にとって)の正義と、社会にとっての正義があると考えたのかもしれない。その二つはソクラテスにとっては「一つのもの」であるべきものだった。「社会の死」と「自分の死」を天秤にかける、そのことすらソクラテスにとってはおかしなことだったのかもしれない。師匠の死に直面したプラトンにとっては、社会(ポリス)を簡単に認めるわけには行かなかった。

アテナイ ーー そして廃墟からいくつもの建物がそびえ立ち

プラトン ーー 魂の本当の住まいへのあこがれ

少佐の小屋 ーー 鏡の少女が両目をつぶった

アリストテレス ーー 人間の頭のなかをきちんと整理しようとした、おそろしくきちょうめんな分類男

「ぼくたちは生まれつき、理性をもっている。ぼくたちは生まれつき、すべての感覚の印象をさまざまなグループや階級に分類する能力があるんだ。」(P.144)

「理性こそはもっとも重要な人間のしるしだ。けれども理性は、ぼくたちがなにも感じないかぎり、まったくの空っぽだ。だから、人間は生まれながらにイデアなどもっていない、ということになるんだよ。」(P.144)__西欧中心の考え方。分類は一通りじゃない。社会が違えば分類も違う。識別能力が理性ではないのは、自我が介在していないということ。

「というわけで、あるものの形相とは、それが何になるかという可能性と、何にしかならないかという限定の両方を表しているのだ。」(P.146)

ヘレニズム ーー 炎から飛び散る花火

「ギリシア文化とギリシア語が主導権をにぎる、国際共同社会ができあがったのだ。およそ三百年つづいたこの時代は、ヘレニズム時代と呼ばれている。ヘレニズムとはギリシア風の文化という意味で、マケドニア、シリア、エジプトの、三つのヘレニズム大国にいきわたっていた。」(P.169)

「さまざまな国や文化の仕切りがとっぱられたことが、ヘレニズムの特賞だ。それまでは、ギリシア人やバビロニア人やシリア人やペルシャ人は、それぞれの民族宗教の枠のなかで、それぞれの神々をあがめていた。それが今やさまざまな文化が、宗教も哲学も科学も、たった一つの巨大な魔女の窯でごった煮されることになる。」(P.169)

「宗教の混交(こんこう)、つまり「習合(シンクレティズム)」が起こった、ということだ。」(P.170)

「古代末期は、宗教上の懐疑や文化の崩壊や悲観論におおわれていた。「世界は老いた」ということが言われた。」(P.170)

「プラトンとアリストテレスから受けついだ哲学の学園のあるアテナイが、相変わらず哲学の都だったけれども、アレクサンドリアは科学の首都だった。この町には巨大な図書館があって、数学や天文学や生物学や医学の中心になった。(LF)ヘレニズムの文化状況は、じつに現代と似ている。二十世紀にも、国際的な共同社会はどんどん広(FF)がっている。ぼくたちの時代にも、信仰と人生観は大きな転換に見舞われている。」(P.170-171)

「彼らに共通していたのは、人はどのようにしてもっともいい人生を送り、また死ぬべきか、という問いに答えようとしたことだった。そんなわけで、倫理学が前面に出てくる。」(P.171)

「キュニコス学派の哲学者たちは、健康のために心をわずらわせることもいらない、と言った。死も病気も、その人自身を苦しめることはない。また、ほかの人の災いを気に病んでもならない、とも。こんにち、「シニカル」とか「シニシズム」とかの「キュニコス」から派生したことばは、たいていは、他者の痛みに冷たいという意味でしか使われない。」(P.172)

絵はがき ーー 自分にきびしく口止めをして

二つの文化圏 ーー それがわかってこそ、きみは空っぽの空間の根無し草ではなくなるのだから

「イエスはユダヤ人で、ユダヤの民族はセム語の文化圏に属している。ギリシアとローマはインドーヨーロッパ語族の文化圏に入っている。だから、ヨーロッパ文明には二つのルーツがある、と言っていい。」(P.194)

インドーヨーロッパ

「似通った言語には似通った考え方もふくまれている。だから、「インドーヨーロッパ文化圏」と言うんだね。(LF)インドーヨーロッパ文化の特徴は、なんと言っても、さまざまなおびただしい神々を信じることだ。」(P.195)

「思考そのものでも、インドーヨーロッパのさまざまな文化は明らかに共通している。典型的なのは、どの文化も、世界を善の力と悪の力がはげしくせめぎあうドラマとしてとらえる、という点だ。そのためインドーヨーロッパの人々は、なにかと言えば世界がどうなるのかを予言によって知ろうとした。(LF)ギリシアの哲学がまさにこのインドーヨーロッパの地域で生み出されたのは、けっして偶然なんか(FF)ではない。インドやギリシアや北方の神話体系には、哲学的な、あるいは理論的な思考法のきっかけになるようなものがある。(LF)インドーヨーロッパの人びとは、世界のなりゆきの見通しを手に入れようとした。そう、インドーヨーロッパのすべての地域で、「見通し」とか「知」とかの特定の言葉が、文化から文化へ、追究されたとすら言っていい。サンスクリット語では、これはヴィデヤーといった。このことばは、ギリシャ語のイデアと同じだ。ほら、プラトンの哲学で大切な意味をもっていた、あのイデアだよ。ラテン語にはウィデオーという動詞があるけれど、これはローマ人にとっては、ただの「見る」ということだった。(ビデオ装置やビデオカセットの、あの「ビデオ」だよ)英語にはワイズ(かしこい)とかウィズダム(かしこさ)、ドイツ語にはヴァイゼ(かしこい)とかヴィッセン(知)ということばがある。ノルウェー語にはヴィーテンということばがある。ノルウェー語の「ヴィーテン」は、インドの「ヴィデヤー」やギリシア語の「イデア」やラテン語の「ウィデオー」と根は同じなんだ。(LF)インドーヨーロッパの人びとにとっては「見ること」がきわめて大きな意味をもっていた、と言いきってしまっていいと思う。インド人やギリシア人、イラン人やゲルマン人の文学は、壮大な宇宙規模の光景(ヴィジョン)に彩られている。(ほらまた、さっきのことばが出てきた。「ヴィジョン」はラテン語の「ウィデオー」からきている。)このほかにも、インドーヨーロッパの文化では、神々や神話上の出来事を絵や像に表すことが広く行われていた。(LF)インドーヨーロッパの人びとは、回帰する歴史観をはぐくんだ。歴史は、ちょうど四季が夏と冬をくりかえすように、円を描く、あるいは循環する、という考え方だ。だとすると、歴史にははっきりとした始まりもなければ終わりもない、ということになる。インドーヨーロッパのれきしとは、生と死が永遠に交代するように、生まれては滅びるいくつもの世界をさまざまに語ることだった。(LF)東方の二大宗教、ヒンドゥー教と仏教は、インドーヨーロッパに起源をもっている。」(P.196-197)

「このほか、インドーヨーロッパの多くの文化では「魂の輪廻(りんね)」が大きな意味をもっていた。ヒンドゥー教では信者はみんな、いつか魂の輪廻から解放されることを目指している。プラトンも魂の輪廻を信じていた。」(P.198)

セム

「西方の三つの宗教、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教は、セムの背景をもっている。」(P.199)

「キリスト教となると全体像はもっとこんぐらがっている。バックグラウンドはもちろんセムの文化だ。けれども、新約聖書はギリシア語で書かれたし、キリスト教神学や教義が形づくられた時期にはギリシア語とラテン語で書かれたために、ヘレニズムの哲学が刻みこまれたことになる。(LF)インドーヨーロッパの人びとがたくさんの神々を信じていた、ということはさっき見てきたね。セムの人びとは、驚いたことに、すでに早い時期からたった一人の神を信仰していた。これが「一神教」だ。ユダヤ教とイスラム教は、神はたった一人だ、という考えをもとにしている。(LF)更にセムに共通するのは「直線的な歴史観」だ。歴史はまっしぐらに進む、ということだ。いつかある時、神が歴史をつくり、歴史はそこから始まった。けれどもいつかある日、歴史は終わり、しかもその時には生きている者も死んだ者も神によって裁かれる。最後の審判が行われる。(LF)西方の三大宗教のポイントは、まさにこの歴史のとらえ方にある。それは、神が歴史に干渉するということだ。そう、歴史は神がその意志を世界のすみずみにまで徹底させるためにこそあるんだ。神は、かつてアブラハムを「約束の地」へとみちびいたように、人類を歴史を経て最後の審判へとみちびく。その時、地上のあらゆる悪は滅ぼされる。(LF)神が歴史に干渉すると考えたセムの人びとは、何千年にもわたって歴史を書いた。自分たちのルーツの歴史が、セムの人びとの聖典の中心テーマなんだよ。」(P.199)

「さて、と。インドーヨーロッパの人びとにとっては、見ることが重要な意味をもっていた、ということは先にふれたとおりだ。ところが驚いたことに、セムの人びとにとっては、それと同じほど重要な役割を「聞くこと」が果たしている。」(P.200)

「インドーヨーロッパの人々は神々を絵に描いたり像に作ったりした、ということもさっき言ったね。セムの人びとで目をひくのは、彼らが偶像を禁止しているということだ。」(P.200)

「人間は何かを創造することで神と張りあってはならないんだ。」(P.200)

「東方の二大宗教とは正反対に、西方の三大宗教は、神と被造物のあいだの断絶を強調する。そして、魂が輪廻から救われることではなくて、罪と罰から救われることを目指す。もっと言えば、信仰生活では自分を深めたり瞑想にふけったりすることよりも、祈りと説教と聖典の解釈に重きが置かれている。」(P.201)

イスラエル

イエス

「でも注意しなければならないのは、イエスはほかの人びととはちがって、軍事や政治の指導者ではなかった、ということだ。イエスの使命はもっと大きなものだった。イエスはすべての人びとにたいする神の救いと赦(ゆる)しを告げた。」(P.204)

「イエスは、人はどんなに努力しても神の慈悲に値する人間にはなれない、と言った。ぼくたちは自力て自分を救うことはできないんだ。(多くのギリシア人もそう信じていた!)イエスが山上の垂訓(すいくん)のなかできびしい道徳を説いたのは、神の意志を伝えるためだけではなかった。人間はだれ一人、神の前に立てば義ではない、つまり正義の人だなんて言えないということも伝えたかったんだ。そして神の慈悲は果てしないけど、ぼくたちが神に立ち帰るには、赦しを乞う祈りによるしかないのだ。」(P.205)

「そのラディカルな救いの教えは、あちこちで利権や権利の地位にある人びとをおびやかしたので、邪魔者として消されなけれ(FF)ばならなかったんだ。(LF)ソクラテスのところでは、人間の理性にうったえるのがどれほど危険なことかを見たよね。イエスのばあいでは、際限のない隣人愛や赦しを要求するのがどれほど危険なことかを見たわけだ。」(P.205-206)

パウロ

「(「キリスト」はユダヤの「メシア」にあたるギリシア語で、したがって「香油で聖別されたもの」という意味だ。)」(P.207)

「神とは、歴史のなかに表れ、人間のために十字架で死んだ、人格をもった神なのだ。」(P.209)

使徒信条

「しかしパウロはただの布教者ではなかった。キリスト教の信者グループのなかで大きな影響力をふるいもした。それは、精神的な指導者がほしい、という強い要請があったからだ。」(P.210)

「使徒信条とは、もっとも大切なキリスト教の教義(ドグマ)をまとめたものだ。(LF)教義のうちでももっとも重要なのは、イエスは神であると同時に人間だった、ということだ。つまりイエスは、彼がしたことによって神の御子であるだけではない。イエスが神そのものなんだ。けれども、イエスはまた現実の人間でもあって、人間の生を分かちもち、現実に十字架に上がったんだ。」(P.210)

「でも教会は、イエスは完全の神で完全な人(FF)だ、と説いたんだ。」(P.210-211)__イエス=現人神=天皇

「きみが根ざしている歴史のルーツを教えるためなら、ぼくはどんな労も惜しまない。それがわかってこそ、きみは一人前の人間になれるのだから。裸の猿以上のものになれるのだから。それがわかってこそ、きみは空っぽの空間の根無し草ではなくなるのだから。」(P.211)__思い上がり。歴史のない文化のいかに多いことか。私も根無し草だが、「根無し草」はいかなる仕組みで発生するのか。

中世 ーー とちゅうまでしか進まないことは、迷子になることとはちがう

「じゃあ、ギリシアーローマ分化が、一部は西のローマーカトリック文化に、一部は東ローマ文化に、一部は南のアラブ文化によって後世に伝えられた、と思い描くこともむずかしくないよね。うんと単純に言ってしまうと、新プラトン派は西に、プラトンは東に、そしてアリストテレスは南のアラブ人の間に生きのびたといえる。大切なのは、この三つの流れが中世の終わりに北イタリアで合流して、大きな川になったということだ。スペインのアラブ人がアラブの影響をもたらし、ギリシアとビザンツはギリシアの影響をもたらした。そしてルネサンスが始まった。古代文化が『再生』した。だから見ようによっては、古代の文化は長い中世を生きのびた、と言えるんだ」(P.224)

「中世の哲学者にとって、キリスト教は真理だった。それはほとんど当たり前のことだった。問題は、キリスト教の教えはひたすら信じるべきなのか、それとも理性はキリスト教の真理に近づく助けになあるのか、ということだった。」(P.225)

「悪は人間の不従順から発生する、とアウグスティヌスは考えた。あるいは、彼のことばによれば、善の意志は神の業(わざ)で、悪の意志は神の業からの離反なんだ。」(P.228)

「アウグスティヌスは歴史を哲学と関連づけたヨーロッパ最初の哲学者だ、ということも憶えておいてほしいな。善と悪との闘いという発想はちっとも目新しくない。アウグスティヌスの新しさは、この闘いが歴史をつうじてつづくとしたことだ。」(P.230)__だから、それを名目にヨロッパはいつも戦争をしている。

「中世まっさかりの時代のもっとも偉大な、もっとも重要な哲学者は、一二二五年に生まれて一二七四年に死んだトマス・アクィナスだ。ローマとナポリのあいだのアクィノという小さな町の出身なのでそう呼ばれるんだが、パリの大学で教えていたこともある。」(P.232)

「古代キリスト教やユダヤ教には、神は一〇〇パーセント男性ではない、という考え方がある。神には女性的な面、母性がある、とする考え方だ。だって女性も神の似姿なんだから。神の女性的な面を(FF)ギリシア語では『ソフィア』っていうんだ。ソフィアあるいは『ソフィー』は『知恵』という意味だ。」(P.239-240)

ルネサンス ーー おお、人間の姿をした神の族(うから)よ

「でも、わたしたちの時間はいつも同じようには進まない。ある世代が成長するにつれて、ある世代は年老いてゆく。まあ、物語はどんどん進んでいくわけだが。ヨーロッパの歴史は一人の人間の一生のようだ、なんて考えたことがあるかな?古代はヨーロッパの子供時代だ。それから長い中世。これはヨーロッパの学校時代だ。今はその長い学校時代が終わって、若いヨーロッパがいよいよ人生に飛び出していく時だ。ルネサンスはヨーロッパの一五歳の誕生日と言っていい。」(P.248)__これが、著者の思想の中心。じゃあ、今は大人時代?老人時代?

「人文系の学科を学ぶことは、人間をもっと高級なレベルに押しあげる古典の教養(ビルドゥング)を身につけることにつながる、とされたんだ。『馬は生まれる。だが人間は生まれない。つくられる(ビルデン)のだ』ということばのとおりだ」(P.254)

「半自給自足経済から貨幣経済に変わったことは、時代の大きな決め手だった。中世の終わりには都市ができあがっていた。都市では手工業がさかえ、商取引がさかんに行われた。貨幣経済と銀行制度が確立していた。それをバックに市民階級が成立する。ここでいう市民とは、基本的な生活条件からある程度自由になれた人びとだ。生活に必要なものはお金で買うことができた。これは個人が勉強したり、想像力や創造性をはばたかせることを後押しした。そし(FF)た個人はこれまでにない要求を持つようになった」(P.255-256)

「ギリシア哲学が、農民の文化である神話の世界観を脱け出たことを話したっけね。あれと同じように、ルネサンス時代の市民も封建領主や教会権力の束縛から身をもぎ離しはじめた。同時に、スペインのアラブ人やビザンチン文化と密接に交流するなかから、ギリシアの文化が再発見された」(P.256)

「人間はもう自然の一部ではない。自然は利用し消費できる何かだ。『知は力だ』とイギリスの哲学者、フランシス・ベーコンが言っている。知は現実に活用すべきだ、というわけだが、これは新しい考え方だ。今や人間は自然につかみかかり、支配するようになったんだ」(P.260)

「ルネサンス以来、人間はもう、ただの被造物の一つではない。自然に手を出して、自分の思うようにつくりかえている。人間は、被造物は被造物でも、驚くべき被造物だということだね」(P.261)

バロック ーー 数かずの夢を生む素材

「バロックのあいことばはラテン語で『カルペ・ディエム』、『今を楽しめ』だ。もう一つ、よく引用されるラテン語の格言は『メメント・モリ』、『死を恐れるな』という意味だ。」(P.289)

デカルト ーー 工事現場から古い資材をすっかりどけようとした人

「一七世紀までは、魂はふつう、生きているすべてのものを生かしている生命の息吹のようなものとされていた。ついでに言っておくと、『魂』や『精神』のもともとの意味も、『息』とか『呼吸』だった。それは、ほとんどすべてのインドーヨーロッパ語に共通している。アリストテレスは魂を、一つの有機体のすみずみにまでいきわたった生命原理、したがって肉体から切り離すことな(FF)ど考えられない何か、ととらえていた。だからアリストテレスは、植物の魂や動物の魂なんて言えたんだ。一七世紀になって初めて、哲学者たちは心と身体をすっぱりと切り離した。動物や人間の身体をふくめて、すべての物質的なものは機械的な過程で説明される、というわけだ。でも、人間の心はこの身体という機械のどこにも属さないということになるのだろうか?だとすれば心とはなんだろう?それより何より、精神的なものはどうやって機械的な過程を動かせるのだろう?」(P.300)

「言ってみればデカルトは、哲学上の真理を数学の定理のようにきちんと示そうとしたんだ。デカルトは僕たちが計算するときに使う道具、つまり『理性』を用いようとしたんだね。」(P.301)__ちがう定理(公理)があれば、別の体系が成り立つ。

スピノザ ーー 神は人形使いではない

「スピノザは、野心とか欲望のような人間の感情は、ぼくたちが本当の幸せや調和を手に入れるのをさまたげている、と考えた。でもぼくたちが、すべては必然として起こるのだということを知れば、自然をまるごと直感的に認識できる。すべてはつながりあっている、それどころか、すべては一つだという、クリスタルのようにすきとおる体験にいたることができる。ぼくたちの目的は、存在全体を落ち着いて見おろしてとらえることだ。スピノザはこれを、すべてを『スプ・スペキエ・アエテルニタティス』に見る、と言い表している」(P.323)

「すべてを『永遠の相のもとに』見る、ということだ」(P.323)

ロック ーー 先生が来る前の黒板のようにまっさら

ヒューム ーー さあ、その本を火に投げこめ

「本は燃えても世界は無傷だよ、ソフィー。むしろ以前よりくっきりと、ういういしくなっている。」(P.340)

「ヒュームは、『長いこと形而上学的思考を牛耳(ぎゅうじ)って、すっかり形而上学の評判を落としてしまった、中味のないチンプンカンプンなことばをお払い箱にする』つもりだ、と言っている。でもぼくたちは日常の生活でも、適切かどうか考えもしないで複合概念を使っている。たとえば『わたし』や変わらない『自我』という観念なんかがそれだ。」(P.344)

「人は瞬間ごとに変わっていく。赤ちゃんはそのままおとなにはならない。きょうのわたしはきのうのわたしではない。『これはわたしのものだ』と言えるものはなにもない、『これがわたしだ』と言えるものもない、とブッダは言った。だから『わたし』もなければ変わらない人格もない、とね」(P.345)

「とにかくヒュームは、魂の不死や神の存在を証明しようとする試みを否定した。これは、ヒュームが両方ともありっこないと考えたということではない。信仰の問題を人間の理性で証明しようとするのは、合理主義のはったりだと考えていた、ということだ。ヒュームはキリスト教徒ではなかったけれど、おおっぴらな無神論者でもなかった。ヒュームみたいな人を不可知論者という」(P.346)

「侵攻と知の最後のきずなはヒュームの哲学によってたち切られた、と言っていい」(P.347)

「ヒュームはきみと同じくらいたしかに、石は何度投げても地面に落ちてくると信じていたさ。でも、なぜそうなのかは経験できない、と言ったんだ」(P.348)

「きみが困っている人を助けようと決めたら、それはきみの感情がそうさせたんだ。理性じゃない」(P.352)

「ヒュームによれば、すべての人間はほかの人間の幸不幸にたいする感情をもっている。つまりぼくたちには共感する能力があるってことだ。でも、このことと理性はまるで関係ない」(P.353)

「ヒュームは、けっして『である文』から『べきだ文』は結論できない、といっている。」(P.353)

「そういう人たちは『犯行の時点での責任能力は問えない』と言われる。でも、理性(あたま)は正常なのに感情が抜け落ちていたからって無罪になった人はいない」(P.355)

バークリ ーー 燃える太陽をめぐる惑星

ビャルクリ ーー 曾祖母(ひいばあ)さんがジプシーの女の人から買った古い魔法の鏡

啓蒙主義 ーー 縫い針の作り方から大砲の鋳造(ちゅうぞう)まで

「学校は中世に始まって、教育学は啓蒙主義に始まった」(P.401)

「理性と知識が広まりさえすれば人類は大きく進歩する、と啓蒙主義者たちは考えた。これはこの時代のたった一つのテーマだった。これさえ解決すれば、不合理も無知もあとを絶って、啓蒙された人(FF)類が出現するはずだった。」(P.401-402)

「『自然に帰れ』が新しい合言葉になった。でも、啓蒙主義者たちは自然を、理性とほとんど同じ意味で使っていた。なぜなら、理性は人間が教会や文明から押しつけられたものではなくて、自然からさずかったものだからだ。」(P.402)

カント ーー わたしの頭上の星空とわたしのうちにある道徳律

「カントは時間と空間を、人間の二つ(FF)の『直感の形式』と呼んだ。この二つの形式はぼくたちの意識のなかに、あらゆる経験より前に(アプリオリ)存在する、と言っている。つまりだね、ぼくたちは何かを経験する以前から、その何かを時間と空間のなかに現れるものととらえるだろうということはあらかじめわかっている、ということだ。ぼくたち人間は理性というこのサングラスをはずせない、と言っていい」(P.414-415)

「時間と空間はぼくたちの意識の特性なんだよ。世界の特性ではないんだ」(P.415)

「ぼくたちが世界をどう理解するかには、意識が深くかかわったいる。ほら、水をガラスのピッチャーに入れるのと同じだよ。水はピッチャーの形(フォーム)になる。知覚されたものもぼくたちの『直感の形式』を受けいれるのだ」(P.415)

「因果律は永遠で絶対に正しい。その理由はただ一つ、人間の理性がすべての出来事を原因と結果の関係でとらえるからなんだ」(P.416)

「カントは、因果律はぼくたちに生まれつきそなわっている、と言っている。ぼくたちには世界そのものがどうなっているのか、たしかにはわからない、ということでは、カントはヒュームに賛成だった。ぼくたちにわかるのは、世界がわたしにとって、つまり人間にとってどうなっているのか、ということだけだ。つまりカントは、物自体と現象を区別したんだ。」(P.416)

「それからきみには、その出来事にはかならず原因がある、ということもわかっている。その理由はただ一つ、きみが因果律を意識の一部として持ち歩いているからだ」(P.417)

「ヒュームは、自然法則は知覚も証明もできない、と言った。カントは、とんでもないと思った。カントは、自然法則と呼ばれるものは実際には人間にそなわった認識の法則だ、だから絶対に確実だと証明できる、と考えたんだ。」(P.418)

「カントによれば、人間が世界を認識するためには二つの要素がいる。一つは外からやってくる、感覚によって感じとらなければ知りえないものだ。これは認識の素材だ。もう一つは、すべてを時間と空間の中の因果律にそった出来事とみなすような、人間にそなわっている内的条件だ。こっちは認識の形式だ」(P.418)

「カントはまた、人間が知りうることにははっきりとした限界がある、ともいった。理性というサングラスがこの限界をもうけていると考えていい」(P.419)

「何が見えるかと、どう見えるかってことね」(LF)「そう、感覚の経験と理性だね。」(P.420)

「カントによれば、すべての人間は理論理性だけでなく、行動を正しくみちびく理性、つまり『実践理性』ももっていて、いつもこの理性が、何が正しくて何が正しくないのかを教えてくれるのだ」(P.425)

「善悪を区別する能力は、理性の他のすべての性質と同じように生まれつきだ。ぼくたちは、出来事には原因があると考える理論理性があるのと同じように、ぼくたちはみんな、普遍的な道徳の法(FF)則も理解できるんだ。道徳法則は自然法則と同じように絶対正しい。」(P.425-426)

「ぼくたちは自分のことも、何かを得るための手段に使ってはいけない」(P.427)

「でも道徳的なふるまいは、自分の損得を乗り越えた結果、出てくるものでなくてはいけない。そうするのは自分(FF)の義務だと思ってふるまった時だけ、道徳的にふるまったと言えるんだ。カントの倫理学はだから『義務の倫理学』と呼ばれることがある」(P.427-428)

ロマン主義 ーー 神秘の道が内面につうじ

「ぐうたらしていることは天才の理想だし、だらしのないことはロマン主義者としてかっこいいことだったのさ。人生を味わうこと、あるいは人生から逃れる夢を追うことが、ロマン主義者にとっての至上命令だった。日々の営みは俗物にまかせておけばいいのだ」(P.444)

「たしかに、自然や自然の神秘へのあこがれはロマン主義の大きな特徴だ。」(P.445)

「ヘルダーは、歴史の流れも目的に向かうプロセスだと考えた。それで、ヘルダーの歴史観は動的な(ダイナミック)歴史観と言われる。啓蒙主義の哲学者たちの歴史観は、たいてい静的(スタティック)だった。啓蒙主義者は、たった一つの普遍的な理性があって、それがさまざまな時代に強く現れたり弱く現れたりする、と考えた。これにたいしてヘルダーは、歴史のそれぞれの時代にはかけがえのない価値があるし、それぞれの民族や文化にはそれぞれの個性、つまり民族の心がある、と言った。問題は、ぼくたちはどうすれば異なる時代や文化を理解できるか、ということだけだ」(P.448)

「ロマン主義のおかげで、それぞれの国には独自のアイデンティティがあるんだ、という感情が強まった。」(P.448)

「民族も自然や歴史と同じように、もともともっていた可能性を花開かせていく有機体と考えられたんだ」(P.449)

「ヘルダーは、民間の言い伝えは『民衆の母語』だ、と言った。これを受けて、ハイデルベルクでは民謡や民話の蒐集(しゅうしゅう)が始まった。グリムのメルヒェンは聞いたことがあるだろう?」(P.449)

「そしてヨーロッパじゅうの作曲家は民謡を作品に取り入れた。国民楽派と呼ばれる人たちだ。彼らは、芸術音楽と民衆音楽の橋渡しをしたいと思ったんだね」(P.450)

ヘーゲル ーー 理性的なものだけが生きのびる

「ところがヘーゲルは、『真理は基本的には主観的なものだ』と考えて、人間の理性の上だか外だかに真理がある、というカントの考えを否定した。」(P.462)

「人間の認識基盤は時代によって変化する、と考えたんだ。だから永遠の真理も永遠の理性もない。たった一つ、哲学者が当てにできるたしかなものは、歴史そのものだ、とね」(P.463)

「思想の、というか理性の歴史も、そんな川の流れのようなものだ。ここにはきみより以前の世代が考えたあらゆる思想が流れ込んでいて、きみの時代の生活条件といっしょになって、きみの思考を決定している。だから、ある考えが永遠に正しいなんてことは言えない。きみが今立っているところでは正しかったりするだけだ」(P.463)

「ほんの百年前には、農地をひろげるために大きな(FF)森を切り拓くのは理性にかなったことだった。でも今ではとんでもなく非理性的なことだ。ぼくたちが保護か開発かを判断する基準は、百年前とはがらりと変わったし、しかもかしこくなった」(P.463-464)

「理性もダイナミックなものだ、ひとつのプロセスだ、とヘーゲルは言っている。なにがいちばん真実かとか理性的かとか決定する基準は、歴史のプロセスの外(そと)にはないのだから、真理とはまさにこのプロセスのことなのだ、とね」(P.494)

「哲学も思想も歴史のコンテクストから切り離せない、とヘーゲルは考えた。しかし歴史にはもう一つ別の面もある。つまり、人はつぎからつぎへと新しいことを考えつくわけだが、それは理性が発展的だからなんだ。人間の認識はたえず広がり、進歩している」(P.464)

「結局、何が正しくて何がまちがっているのか、それを証明するのは歴史だ。ヘーゲルは、理性的なものだけが生きのびる、と考えた」(P.468)

「理性はまずことばに現れる。そしてぼくたちはことばのなかに生まれてくる。ノルウェイ語はハンセンさんがいなくても困らないけれど、ハンセンさんはノルウェイ語なしには生きていけない。一人ひとりの個人がノルウェイ語をつくるのではない。ノルウェイ語が一人ひとりの個人をつくっているんだ」(P.472)

「個人は、ことばのなかに生まれてくるのと同じように、歴史的な環境のなかにも生まれてくる。だれもこの環境と自由な関係はむすべない。国家になじまない人は、だから非歴史的な人間だ。アテナイの偉大な哲学者たちもこういう考え方だったね」(P.473)__やっぱりことばね。

「まず、世界精神は個人のなかで自分に目覚める。ヘーゲルはこれを『主観的精神』と呼んだ。世界精神は家族や市民社会や国家で、もう一ランク高い目覚めにたっする。ヘーゲルによれば、これは『客観的精神』だ。人びとのたがいの働きかけのなかに現れる精神だね。」(P.473)

「世界精神は『絶対的精神』のなかで自己確認の最高の形をとる。絶対的精神というのは芸術、宗(FF)教、哲学のことだ。」(P.473-474)

キルケゴール ーー ヨーロッパは破産への道をたどっている

「キルケゴールはまた、真理は主観的(サブジェクティブ)だ、とも言っている。これは、ぼくたちが何を信じて何を考えてもいい、ということじゃないよ。キルケゴールは、本当に重要な真理は個人的だ、と言ったのだ。主体的な(サブジェクティブ)真理だけが、このわたしにとっての真理なのだ」(P.486)

「キリスト教は真理か、ということが重要なのではない。キリスト教はわたしにとって真実か、ということが重要なのだ。中世にはこれと同じことが、『クレード・クイア・アプスルドゥム』と言い表されていた」(P.487)

「不条理ゆえにわれ信ず、つまり、理性(あたま)で考えたらでたらめなことだから、これはもう信じるしかな(FF)い、ということだ。そもそもキリスト教が理性に訴えかけるものだったら、信仰なんて問題にならなかっただろう」(P.488)

「きみが何を正しいと考え、何をまちがっていると考えるかは重要ではない。正しいことやまちがったことに、どうかかわろうと決断するかが大切なんだ。」(P.490)

マルクス ーー 妖怪がヨーロッパじゅうを歩きまわっている

「共産主義者になる前の若い頃、マルクスは、働く人間に何が起こっているのか、ということに興味をもった。ヘーゲルもそういう分析をやっていて、人間と自然のあいだには相互的な、弁証法的な関係が成り立つ、と考えた。人間が働くというのは自然に手を出してそこに痕跡(こんせき)をつけることだけれど、この労働の過程で、自然も人間に手を出して、人間の意識に痕跡をつけるのだ」(P.506)

ダーウィン ーー 遺伝子を乗せて生命の海を行く船

フロイト ーー 彼女の心に兆(きざ)したおぞましい、身勝手な願望

「子どもの性という発想はウィーンの上品な市民たちからすさまじい反感をかって、フロイトは爪弾(つまはじ)きにあった」(P.548)__理性をかばうための無意識、西欧哲学の歴史そのもの、フーコーが近代分析の基礎としたもの

「やさしくしてほしいとか、スキンシップがほしいとか、率直に表現する。ぼくたちがもっているこの本能の原則、あるいは『快楽原則』を、フロイトは『エス』、ラテン語で『イド』と名づけた。」(P.549)

「快楽原則を『現実原則』にあわせることを学ぶ。フロイトの言い方だと、こうした調整機能をひきうける『自我』という機関をつくりあげるのだ。」(P.518)

「社会の道徳的な期待はぼくたちのなかに入り込み、まるでぼくたちの一部になってしまったようだ。これをフロイトは『超自我』と呼んだ」(P.550)

「意識は、海面から突き出ている氷山の一角のようなものだ。水面下、つまり意識の敷居の下には『下意識』、あるいは『無意識』がある」(P.551)

「ぼくたちは四六時中すべての体験を意識しているわけではない。でも、過去に考えたり体験したり思いついたりしたことで、その気になれば思い出せることを、フロイトは『前意識』と呼んでいる。それにたいして無意識は、ぼくたちが抑圧したすべてを指している。」(P.551)

「夢そのもの、つまりぼくたちが夢にみた映画やビデオのようなものは顕在的夢内容だ。けれども夢には、意識に隠されている深い意味もある。フロイトはこれを潜在的夢内容と名づけた。」(P.557)

「医者は夢解きを手伝うために立ち会うだけだ。ソクラテスの産婆術に似ているね」(P.557)

「ある意味でフロイトは、人間はみんな芸術家だ、と証明したようなものだ。夢はささやかな芸術作(FF)品なんだよ。」(P.560)__シュルレアリスムや抽象画を観るときの違和感、障害は超自我そのもの

(思考は想像力の息の根をとめる)「シュルレアリストたちはこれをとことん利用しようとした。すべてが自動的に起こる状態に自分をもっていこうとした。白い紙に向かって、なにも考えずにただもう書きはじめた。彼らはこれを自動筆記と呼んだ。このことばは心霊術からきている。」(P.562)

「想像力は新しいものをつくりだす。でも選択は想像力の柄(がら)じゃない。想像力は構成はしない。構成は、まあ芸術作品はみんな構成作品なんだから、芸術作品は、と言ってもいいんだが、想像力と理性の驚くほどみごとな共演から立ちあがるのだ。」(P.563)__この本のこと。

わたしたちの時代 ーー 自由の刑に処されて

「人間が現実に存在する状況を踏まえたいろいろな哲学を、ひっくるめて実存主義と呼ぶんだけど、」・・・(P.578)

「サルトルは、人間以外のものはただごろっとそこにあるもの、自分にべったりくっついて自分から距離をとれないものだけど、人間は自分から離れて自分に向き合うことができる、と考えた。そして、ものがこんなふうに自分べったりで存在していることを『即自存在』と呼んだ。もっとも、自分べったりなら自分というものもないのだけれど。そして人間のように、自分に対面できる存在のしかたを『対自存在』と表現した。だから『人間である』ということは『ものである』というのとはちょっとちがうんだ。」(P.580)__ハイデガーの「現存在」

「わたしがあるということは、わたしが何であるかということよりも先なんだ、ということだ。これを縮めると、『実存は本質に先立つ』というサルトルの有名な表現になる」(P.580)

「人間の本質とは、人間とは本来これこれこういうものである、という定義だ。サルトルによれば、人間にはそういう本質はない。人間は自分をゼロからつくらなければならない。人間は自分の本質をつくらなければならないんだ。そんなもの、もともとないんだからね」(P.580)

「別の言い方をすれば、ぼくたちは生を即興に演(FF)じなければならないという、ハードな運命にあるのだ。」(P.580-581)

「人間は、自分が実存すること、いつかは死ななければならないこと、そしてなによりも、そういうことにはまるで意味なんかないことを知ると『不安』になる、とサルトルは言った。」(P.581)

「サルトルは、人間は意味のない世界で自分を疎遠(フレムト)に感じる、とも言っている。疎外感をいだくのだ。一人ぼっちで場違いなところに投げこまれて、周りはよそよそしいし、孤独だな、という感情だ。人間の『疎外(エントフレムドゥング)』と言う時、サルトルはヘーゲルやマルクスの思想の核心を受けついでいることになる。人間は自分がこの世界のよそ者だと感じると、絶望、倦怠(けんたい)、嘔吐(おうと)、不条理感に襲われる、とサルトルは言った」(P.581)

「サルトルは二十世紀の都市の人間を描いた。ルネサンスの人文主義者たちは、人間の自由と独立を高らかにうたいあげたよね。ところがサルトルにとっては、人間の自由は呪(のろ)いだった。サルトルは『人間は自由の刑に処されている』と書いた。自由は人間にとっては運命なんだ。人間は自分で自分を自由であるようにつくったわけではないからだ。世界に投げ出されていながら、何をしても自分の責任になってしまうからだ」(P.581)__近代の自由の中での発想。個人の責任がなんで問われるか。きのう、『バトル・オブ・ザ・セクシーズ』を観ました。支配や平等の感覚は、西欧人と日本人では違います。「エゴイズム」は「自分勝手」や「利己主義」ではありません。エゴ(われ)どうしがぶつかるところに「平等」「自由」が必要になるのです。〈われ〉の存在が薄い日本では、エゴイズムは「自分勝手」「利己主義」と捉えられますが、西欧では「エゴイズム」が「当たり前のもの」「人間のあるべき姿」ですらあるのです。フェミニズムは、「女もエゴである」「女も人間である」という戦いであり、「女にエゴイズムを認めよ」という闘いです。日本には受け入れられにくいのではないでしょうか。

「サルトルは、生に決まった意味はないと主張したけれど、だからと言って、なにもかもどうでもいいとは思っていなかった。つまりサルトルは虚無主義者(ニヒリスト)ではなかった」(P.582)

「意味のあるものなんかないのだから、なんでも許されるとする人のことだ。サルトルは、生には意味がないわけにはいかない、と考えた。これは逃れられない定めだ。しかも、ぼくたち自身がぼくた(FF)ちの生の意味をつくらなくてはならない。実存するというのは、自分の存在を自分で創造するということだ」(P.582-583)__西欧の都市の思想。ニヒリズムについては理解していない。

「サルトルはまず、なにも知覚していないような意識は存在しない、ということを証明しようとした。なぜなら意識とはかならず何かについての意識だからだ。この何かは、ぼくたち自身と、ぼくたちをとりまく世界との合作だ。何を感じるの決定には、ぼくたち自身も参加しているんだ。だって、ぼくたちは自分にとって意味のあることを自分で選んでいるのだから」(P.583)

「ぼくたち自身の存在のしかた、生き方が、部屋にあるものをどんなふうに知覚するのかを左右している。ぼくたちにとってとるに足らないものは、見えてはいても見てはいないのだ。」(P.583)

(ボーヴォワール)「女を抑圧しているのは男だけではない。女は、自分で生きていく責任をひきうけないかぎり、自分で自分を抑圧しているのだ」(P.585)

「自分のことは自分で決めなければ、自由でもなければ独立してもいないのね?」「そういうことだ。」(P.586)

「チャプリンの映画がおかしいのは、チャプリンがいくら不条理なほどひどい目にあっても、ちっともへんだと思っていないからだ。」(P.587)

「出て行く先はわからないけど、とりあえずここにこうしていてはだめなんだって感じることが正しい場合がある。不条理劇が問いかけるのはそういうことなんだ」「家が火事になったら、ほかに泊まるところがなくても飛び出さなくてはならないわ」(P.587)

「結局、哲学の問とは、それぞれの世代が、それぞれの個人が、何度も何度も新しく立てなければならないんだよ」(P.588)

「科学や研究や技術はみんな、哲学の思索から生まれたんだ。」(P.589)

(P.589-)__自然民族、『パラダイムの変換』、科学的思考の枠組み、『オルターナティブ運動』つまり『もう一つの選択』

(偶然の一致を集める)「だけどこれも、当たりくじだけ集めたくじ引きなんだよ」(P.595)

「すべての真の哲学者は目を大きく開いていなければならない。たとえ白いカラスは見たことがなくても、探すことをやめてはいけないんだ。そしていつの日か、ぼくのような懐疑家だって、それまで信じようとしなかった現象を認めることもあるかもしれない。この可能性を認めなければ、ぼくは教条主義者になってしまう。真の哲学者ではなくなってしまう」(P.597)__著者のこと?

ガーデンパーティ ーー 白いカラス

「あなたの全人生がガラガラと崩壊することに保険はききません。」(P.611)

「そうは言ってもぼくは、みなさん若い方がたに哲学の歴史のささやかな講座を受けることをおすすめして、この話をしめくくりたい。そうすれば、ぼくたちが生きているこの世界について、批判的な見方ができるようになる。親の世代の価値観にも批判的になることができる。ぼくがソフィーに伝えようとしたのは、まさに批判的な思考です。ヘーゲルはこれを否定的思考と呼びました」(P.612)

対位法 ーー 二つかそれ以上のメロディが同時にひびく

ビッグバン ーー わたしたちも星屑なんだ

「宇宙は時間とは関係なく存在する場ではないのだ。宇宙は事件だ、爆発なんだ。」(P.647)__岡本太郎

「アルベルトが、キリスト教の世界観はまっすぐの線のようだ、と言ったのを憶えているね?キリスト教の世界創造にとっては、宇宙はどんどん広がっているとする発想がいちばんしっくりくるのだ」(P.649)__進化論も

__650ページ以上の大書





[ ISBN-13 ‏ : ‎ 978-4140802236 ]

シェアする

フォローする