自然・人類・文明 F.A.ハイエク、今西錦司著 1979/09/20 NHKブックス

自然・人類・文明 F.A.ハイエク、今西錦司著 1979/09/20 NHKブックス

西洋と東洋の対立

1978年9月に京都で行われた3回の対談と、ハイエク・今西それぞれの講演、それにハイエクと桑原武夫の対談が収められています。ハイエクは79歳、今西は76歳です。

二人は共通点を模索し続けますが、結局すれ違いのまま終わっているような気がします。今西さんは、途中からちょっと苛ついている感じ(「イラチ」)です(笑)。

対談はハイエクからの申し出のようですが、日本がセッティングし立会人も今西に近しい人たちですから、編集も今西側に偏っている気がします。

私は今西のファン(?)なので、彼の言うことはいちいち納得ができます。それに比べて新自由主義の中心的な経済学者であるハイエクの言うことは、いちいち引っかかりました。

今西はブルジョアの出身、ハイエクは貴族の出身だそうです。そのことと思想とは一致しませんが、影響はあるのではないでしょうか。

それよりも私が感じるのは、今西が生まれ育った京都の自然と歴史、ハイエクが生まれ育ったウィーンの街並みと歴史、その影響がとても強いのではないかと思います。それがヨーロッパの歴史と文化としてハイエクの中に流れ、今西の中に日本の歴史と文化が流れているような気がします。

ハイエクの思想

ハイエクは対談ではかなり今西に近づこうと努力しているように思います。ただ思想の核心の部分では一歩も譲っていません。

ハイエクの思想は対談よりも附論の中で明確になっていると思います。

だが実際には、文明は大部分、生得の動物的本能を非合理的な慣習に服従させることで可能になってきたのであり、これらの慣習が徐々にその規模を増すことで、より大きな規律正しい集団の形成を可能にしてきたのでした。(P.109)

これは、のちほど習得された規範の主要機能の一つが、生得的あるいは自然な本能を偉大な社会を可能ならならしめるのに必要とされる方法で抑制することであったためです。私たちは今でも、自然のものは良いことに違いないと思いこみがちです。しかし偉大な社会では自然のものは良いどころではないかもしれません。人間を良くしてきたのは自然でも理性でもなく、伝統なのです。種の生物学的特質には共通の人間性はあまりありません。しかし大多数の集団はより大きな社会を形成するためにある種の類似した特徴を獲得しなければなりませんでした。あるいは、獲得しなかった人々は獲得した人々に根絶されたということも考えられます。(P.117)

人間は「より大きな集団」を作るために「規律(ディシプリン)」が必要だったということです。それは「自然でも理性でもなく、伝統」なのです。

もし規範(ルール)が商業活動をうながすものであるとしますと、それは私たちの感情を傷つけるところがある。私たちの生得的感情はつねに社会主義者であって、資本主義者ではない。たとえば食物を近くの貧しい人に分け与えないで、商品として外国へ売るのには反感がある。(P.22)

その「生得的感情(本能)」を「規律で抑制」することによって、商業や「偉大な社会(「開かれた社会(オープン・ソサエティ)」、P.116)」が可能になったということです。その「規律」を「獲得しなかった人々は獲得した人々に根絶された」というのです。ハイエクの頭の中にあるのは多分、ホモ・サピエンスが残り他のホモ属が滅びたということ、あるいはヨーロッパによって支配されたアフリカや南アメリカやアジアなどのことなんでしょうね。ヨーロッパが支配できたのは「規律」を持っていたからです。なんと傲慢なのでしょう。ヨーロッパ中心主義、白人優位主義だと私は思います。

自分たちが習得したことのないものには愛着をもっていないと主張し、あまつさえ「反文化」の構成を企てる教化されていない野蛮人たちは、文化の責務を伝えそこない、野蛮人の本能である生来の本能を信頼する許容的教育の必然的産物なのです。(P.140)

「野蛮人は文化を持っていない」あるいは「野蛮人の文化は文化じゃない」と思っているのかもしれません。

その「社会の規律(規範・ルール)」は、

ルールは教えこまれるものであって、理解されるものではない。しかもたえず反撥されつづけるものです。(P.20-21)

規律を教え込む場所、それはまさしく「学校」ですが、ハイエクはそれに言及していません。現代の学校がその役目を負っているのは間違いありませんが(学校自体がそういう性格を持っていたとしても)、それは近代以降の学校で顕著になった(勉強や学びよりも)ことであって、それ以前の学校とは性格を異にします。商業にしても社会のあり方にしても進化にしても、ハイエクは近代からそれ以前を見ているような気がします。

私たちがしばしば進化を好まないのは、新しい可能性がつねに新しい規律(ルール)もまたもたらすからです。(P.130)

しかし不幸なことに進歩を加減することはできません。(これに関しては経済成長も同様です。)私たちにできることはそれに都合のよい条件をつくりだし、その上で最善を望むことだけです。(P.131)

集団選択によって形成された文化では平等主義の重荷はさらなる進化を阻むにちがいありません。(P.136)

無制限の民主主義の悪宣伝が科学主義的な心理学に助けられて、社会の富が当然帰すべき規律に服従することなく分け前を要求する者たちを援助するようになったのは、「それはあなたのせいではない」というスローガンのせいなのです。(P.136)

人類学という科学にとってあらゆる文化または道徳は等しくすぐれたものであるかもしれませんが、私たちは他の人々はそう善良ではないとみなして社会を維持しています。(P.137)

だから、平等を犠牲にして、自由を優先することになります。

人間は(人間以外の動物も)「わがままで利己的」です。ですから(生存)競争は必然です。「生得的本能(生得的情緒、生得的感情=社会主義)」を「規律で抑制」する社会は、商業的(資本主義的)な「規律(ルール)」の下で競争します。それは善悪を越えたものでしょう。「具象的な目標」(P.123)はありません。「盲目的(非合理的)集団選択」でしかないのですが、「同一の抽象的規範」(同)、つまり「資本主義的規律(ルール、自生的秩序 P.133)」へ「服従することで結合を保たれる社会」(同)が、「開かれた社会」を作り得たのです。

「開かれた社会」は、「隣人」「既知の誰それだと見分けのつく人々」への「分配」を禁止することによって、「未知の人の必要を満たし、また自分の隣人を助けるようなことを自分は意識せずして、知らずしておこなう」(P.91)社会、つまり、「自由競争社会」です。アダム・スミスの「見えざる手」から続く経済学の常套手段です。

「Sie wissen das nicht, aber sie tun es.(彼らはそれを知ってはいないが、しかし、それを行うのである。)」マルクス『資本論』第一巻、S.88、邦訳 大月書店版 P.100。

資本主義社会とは、意識的、理性的社会だと思われていますが、実際はその反対の原理から成り立っていることをマルクスもハイエクもわかっているのです。

競争(盲目的・非合理的選択)によって、つまり個人が利己的に自由に選択することによって、「結果として」「適者」が「選択」され「生存」し(「勝ち組」と「負け組」)、「弱者」は「淘汰」されていく。それが「社会の進化」です。

しかし不幸なことに進歩を加減することはできません。(これに関しては経済成長も同様です。)私たちにできることはそれに都合のよい条件をつくりだし、その上で最善を望むことだけです。(P.131)

人間は彼の運命の主人ではありませんしこれからもそうなることはないでしょう人間の理性そのものが人間が新しいことを学ぶ未知の予測しにくい世界へと彼を導きながらつねに進歩し続けるのです。(P.143)

一見、「ヒューマニズム(人間中心主義)」を超えた発言に聞こえなくもありませんが、それでもそこにあるのはあくまでも「人間の理性」です。しかしその理性は、社会がどう変わるのか、人間がどうなるのか、環境がどうなるかを知るためにあるのではありません。それを考えたり、知ったりすることは「社会主義的」であり、「フロイド的」です。

それどころか社会主義全体が太古からの本能の復活の結果なのです。しかし社会主義理論家の大多数は大変気がきいていますから、偉大な社会では未開人を支配していた行動規範を復活してもそれらの古い本能を充足できないことをさすがに承知しています。それでこれらの常習犯たちは反対の陣営に加わり、本能的渇望をみたす新しい道徳を構成しようとつとめるのです。(P.132)

マルクス主義者か唱える社会主義も、エコロジストが唱える環境保護も、それが「理性」にもとづいているかぎり「新しい規律(ルール)」を作り出します。それは成文化されたルールです。そのルールは目標として事前に提示されます。それに比べると、資本主義のルールは事後的に作られます。ハイエクの言う「規律(ルール)」は、彼が思っている以上に「非理性的」「未開的」です(だから強い力を持っている)。

今西の思想

今西の思想は日本の西の思想です。日本も明治維新以降、ハイエクと同じヨーロッパの思想を吸収しました。なので日本の中心、東京ではハイエク流の思想が浸透しています。日本の西の大阪は、明治維新前から商業が発達していたのでヨーロッパと日本の商業が混合した別の思想が流れています。そして京都は、商人などを支配する立場としてそして商業とは離れた形で日本の古い文化が残っているような気がします。

森林はわれわれの目に植物の集団として映りますね。そうすると、植物社会という考えが出てくるのですけれども、これはやっぱりさきほどいいましたように集団イコール社会とみる西洋的な見方の延長ですね。だから、森林を植物社会と見ることはできても、その森林を構成している一つひとつの種については社会というものを全然考えておらんのです。(P.25)

しかし、ヨーロッパでは、種とか集団よりも個体を尊重するという思想といいますか、そういう傾向が強いですね。いつでも、個か社会かというようなことを問題にしている。(P.155)

近代西洋の思考方法はデカルトの「我思う故に我あり」です。まず〈私〉という個(個人)があります。社会はその個人の集まりですが、〈私(我)〉は絶対に全体(社会)と相容れない「存在」なのです。その「個の集まり(集団)」が西洋の社会です。日本人と違って、西洋人は「個人が集団に埋没」しません。しないのではなくて「できない」のです。

ダーウィン系の進化論は、まず「突然変異した個体」があって、「生存競争」「自然淘汰」「適者生存」「弱肉強食」などで進化を説明します。そして生き残ってものは「生存に有利だった」という「効用説」と「因果関係」で「事後的に」説明されます。

とにかく、適者が生存したという確証がないのに、結果的にみて、生存したものはすべて適者であるというのは、論理の逆立ちである。(P.50)

ではどうして直立二足歩行するようになったんだろうか。これはダーウィンもそうですし、ダーウィンの前にラマルクというフランスの偉い生物学者がおりましたが、そうした人たちはすべて、進化の説明に効用説を持ってくるんです。たとえばある個体が有利な条件を備えていたから生き残ったというふうに。(P.163)

効用説もその一つですけれども、すべて今日の科学は、原因と結果という結びつきで、ものごとを説明しようという傾向が非常に強い。(P.164)

今西はそれらがおかしいと主張します。細かな話は今西の著作を読んでもらうとして、今西進化論の核心は「変わるべくして変わる」ということです。禅問答のようですが、「生存に有利(効用説)」や「原因と結果(因果律)」によらないということです。私はそれが、今西を育て育んだ京都の自然と彼の研究方法から生まれた考えかたのように思えます。

もっぱら野外研究で一生終わる人間でございますが、六十年、自然と接してきて、個体と個体が生きるか死ぬかの格闘しているというようなことは、絶対にないとはいいませんけれども、少なくとも自然における常態ではない。(P.161)

だから、種と種は争わないということが原則なんです。(同)

そうしてみると、ダーウィンの競争原理に対して、私の進化論は共存の原理に立っている。そこに、根本的な違いがあるんですね。(同)

私はそこに、人間を含めた「生命(いのち)」や「自然」に対する優しい眼差しを感じます。登山家としての今西は自然の偉大さ、恐ろしさも実感していると思います。だからこそ、その自然、生命を育み、滅ぼしもする自然のなかで「生きる」ものに対する慈しみの目を感じるのです。

それでも、私には「変わるべくして変わる」という禅問答は難しく感じます。西洋的な論理の中で生きてきたからです。この本にもいくつかの例が載っていますが、私が一番しっくりしていると感じた例を挙げます。

もうひとつは、進化は系統発生といいますが、それに対して個体発生ですね。この生ということは、生まれるがいいのか、成るというのがいいのか知りませんが、要するにお母さんのお腹の中に入っている間は抜きにしても、みんな赤ん坊から出発して、子供になり、青年になり、大人になり、年とって死ぬ、これはどうしても経ねばならないことでして、さかさまにするわけにはいかない。これは、やはり変わるべくして変わっているのではないか。(P.166-167)

どうして成長するのか、どうして老化するのか。それを科学は説明しようとします。その時に「分子」や「量子力学」までも持ち出します。

なぜかというと、そういうふうにリダクションリズム( reductionism 還元主義)、つまりよりレベルの低いところで説明したらそれが自然科学であるという、これは自然科学の一つの約束らしくて、物理や化学の世界はそれでうまいこといっているようですけれども、生物はもうちょっと複雑なもので、そういう遺伝子で種の問題とか進化の問題がはたして説明できるのかというところに疑いがある。生物のことを説明するのになにも遺伝子で説明しなくても、生物自身があらわしている行動で、あるいはその行動の追跡で説明したら、それでいいのじゃないかと思いますけどね。(P.35)

還元主義から「遺伝子治療」や「mRNAワクチン」が生みだされます。

病気と病状と病原

近代になって、特にこの半世紀ほどで病気に対する人々の意識は大きく変わりました。病気は「病状」ではなく「病原の存在」になりました。病状、病気の「自覚」ではなくて、客観的数字・存在が病気を決めるようになりました。たとえば「高血圧」は症状ではなく「数値」です。そしてその病気は「頭が痛い」とか「めまいがする」とかの病状ではなくて、「健康診断」で発見されます。さらにその数値は恣意的に作成・変更されます。日本ではその基準値が「ある日突然」「160」から「130」に変更されました。その日を境に、日本では30,000,000人が「病気になった」と言われています。「健康」は生活に支障がないということではなく、「正常な数値を持っている」ということに変わりました。正常な血圧というのがもしあったとしても、それは人によって違うし、同じ人でも状況や年齢によって当然変わる、と私は思います。血圧は意識的にコントロールするものではなく体が自分で適正な血圧コントロールをする(上下する)はずなのです。心拍数や呼吸と同じです。

微小生物が発見され、細菌が発見され、ウィルスが発見され、それらが病気の原因であるとされた時から、「疫病」が実体化しました。でも、それは相変わらず見えないのです。「疫病が見える」宗教者などに代わって、医者が病気の存在を判断します。医者の判断は、もともとは病状でしたでしたが、今は科学的な数字です。またはPCR検査等の客観的証拠です。

でも、「ウィルスがいる」ということと「病気である」ということは同じでしょうか。まさしくそれが今西のいう還元主義(リダクションリズム)だと思います。

ウィルスも細菌もどこにでもいます。その数や種類は、地域によって、季節によってまちまちでしょう。どこにどんなウィルスや細菌がどのくらいいるのかなど、誰も調べません。というか多分調べようがないでしょう。乳酸菌やお酒などを作る酵母菌など、細菌は私たちの生活にはなくてはならないものです。腸内細菌という言葉も最近良く聞きますが、私たちは細菌がいなければ生きていけません。私たちは細菌を避けて生きているのではなくて、細菌やウィルスと共生(symbiosis)しているのです。

抗生物質

酒蔵などでは、いわゆる「雑菌」が侵入しないように管理を徹底しています。雑菌が侵入すると、お酒の酵母菌がすぐに負けて死んでしまうからです。逆に発酵食品など、食品の保存に酵母菌等の菌が活躍する場合もあります。抗生物質(antibiotic)は「微生物が産生し、ほかの微生物の発育を阻害する物質」(Wiki)です。発酵食品が腐敗を防ぐのもこの抗生(antibiosis)作用の一種ではないでしょうか。

ある抗生物質がある細菌の繁殖を防いでいたとしても、その他どのような種類の細菌の繁殖を防いでいるのかは分かりません。少なくともすべての細菌の繁殖を防いでいるわけではありません。その証拠にすぐに「耐性菌」が現れます。私たちの身の回りが行く「(自然界)にはどんな種類の細菌やウィルスがいて、それらがどういう相互作用を持っているのかと言うことが全てわかっているわけではありません。

消毒薬 (disinfectant) は抗生物質とは違って直接細菌やウィルスを殺したり不活性化したりします。いろいろな消毒薬がありますが、細胞膜を破壊する消毒薬は、細胞膜がある生物全部につきます。ですから当然人間の肌もあります。逆に言うと細胞膜がないウィルスなどには効果がありません。今回大量の消毒薬が使われたでしょう。それが自然界の微生物のバランスをどれだけ殺して壊したのかは誰にもわかりません。

抗生物質と言う考え方は、ハイエク風の「微生物同士の生存競争」の発想です。今西風の「共生(共存)」の発想とは全く逆です(「腐敗」と「発酵」、「抗生」と「共生」は人間が、人間の都合で名づけたものです)。

自己と非自己

喉などに粘膜という組織があります。PCR検査の検体等はそこから採取されますが、粘膜はウィルス等の侵入を防いでいるだけではなく、抗体の作成を指示しているという説もあります。ワクチン接種というのはその免疫機構をつくり出すためにおこなうのですが、免疫機構の最も重要な仕組みは「自己と非自己」を見分けるということです。自分の細胞を破壊してはいけないからです。臓器移植でいちばん大変なのは、自分のものではない臓器を移植されたときに、それを破壊しようとしてしまうからです(拒絶反応)。そこで様々な免疫抑制剤が使われるわけですが、細胞レベルの話は別として、そもそも他人の臓器は(細菌では他の動物の臓器もありますが)「自己」なのでしょうか。

飲み物も、動物や植物等の食べ物も、もともとは「私の体」ではありません。それらはどの時点で私の体になるのでしょうか。移植された臓器は、いつから自分の体になるのでしょうか。食べ物(動物や植物)や「豚の心臓」には、「自分と自分以外」などと言う区別はありません。自分と自分以外などと言う区別は、「私」の中心の考えで今ないでしょうか。そこには個人主義と言い、人間中心主義と言う「思い上がり」があるようにあるような気がします。

部分と全体

臓器を取り替えることができるという発想は、皮膚や臓器を集めれば、人間ができる、人間は臓器の集合だ、という発想です。これは全体は部分に分割することができる、部分の集合が全体であるという考え方だといいかえることができます。まさしく数学の集合論です。

ある集合Aがあったとします。これが「全体」です。その要素a、b、c、・・・は「部分」です。たとえば「人間」という全体があったとして、「太郎」「次郎」・・・が部分です。さらに太郎は、「頭・腕・足・…」の要素に分解できます。あるいは「皮膚黒、中点・骨・臓器…」というような分に分解できます。でも「皮膚・ ・臓器…」を集めたのが「太郎と言う全体」でないのは明らかです。そこにはその要素間の関係がとても大切です。そこで君の関係各要素間の関係を考える必要があります。「全体「閉じる(集合)」を考えたときに、要素間にはある共通点、つまり集合の要素であると言う共通点があります。しかしその共通点は集合と言う全体を形作るものではありません。その間の関係を集合論では取り入れていますし、群論と言う概念もあります。実は、集合を考えるときには、その要素の数や性質、要素間の関係と言うものが前提となっているのですが、ここでルールの逆転が起こっています。前提とされるものを「事後的に」ろんりにくみいれるからです。

数学や哲学(論理学)ならいざ知らず、「環境問題」や「生態学」でも同様の逆転現象が起きています。戦後戦後、害虫(白みなどを含む)を退治するためにDDTが大量に散布されました。これは生物と言う全体集合から害虫と言う要素を取り除くと言う考えです。でも実際にはその害虫が駆除をされず、逆に大発生したり、他の害虫が大大発生したり、鳥や魚などが激減したりしました。絶滅した種もあります。それだけではなく、その害虫にはすぐに耐性があらわれました。抗生物質によって耐性菌ができたのと同様です。これは全体の取り違いです。全体と言うのは部分の集まりではなく各要素と要素間の関係がわかっているというのが前提なのです。その前提がわかっていて初めて要素を取り除いたり付け加えたりすることが人間にとって可能になるはずなのです。でもその全体と言うのは把握しようがありません。

「全体は部分の合わさったものだ」さらに「全体は部分に分割することができる」と言う発想そのものはいかにもハイエク的(近代西洋的)です。それは「自分が変われば全体が変わる」と言う発想であり、「個体が変われば種が変わる 」と言うダーウィン流の進化論と軌をいつにします。これは原因結果論(因果論)から導かれざるを得ない発想です。全体も部分もその関係もわからないので、目に見える「部分(存在者)」に原因を求め目に見えない「全体(存在そのもの)」の変化を説明しているに過ぎません。その逆が還元論であり、目に見えるものを目に見えないもので説明しています。そしてその説明の主体が私(人間)であり、私は一心論的な神の目を持っています。「私が考えれば(私が発見すれば)世界は変わる」と言っているのと同じです。

それは「存在性と存在の取り違い」であり、そこに付け加わった「自我」と言うものが作り上げた「世界」です。

そういう私もその影響は強くあります。私は進化論と科学の中で育った人間です。私は「自我」の中で生きているからです。そういう私には、今西の「変わるべくして変わる」という発想が発言が素直に受け入れられるわけはありません。でも、そこに含まれているとても大きな気持ちは、ヒントになるような気がします。気になってしょうがないのです。

自由

生物が「変わるべくして変わる」とすれば、人間、あるいは人間の社会はどうなのでしょうか。それも「変わるべくして変わる」とするならば、個人の主体性は意味を成しません。

逆に正統派ダーウィン主義は、言外に「生物の主体性・意思」を想定しています。たしかに「自然選択」という言葉は客観的に聞こえます。そしてまさしく客観的なのです。「性選択」を持ち出すまでもなく、「生存競争」によって「生き延びようとする個体」という発想そのものが「主体の意思」を想定しているからです。私たちは、生物界を見るときに「擬人化」を行う癖があります。犬同士が餌を取り合い、植物同士が栄養や日光を取り合っているように見えてしまうのです。

サーモスタットがエアコンのスイッチを入れるのは暑いと思っているからだと言うこともできる。あるいは、足の指先が丸まるのは、そうすれば暖かくなると指が考えれいるからだとか、あるいは植物が太陽に向かって伸びるのは、そうすべきだと信じているからだとか。確かに実のところ、会話の便法として信念が動物や雲や樹木などにもあるという言い方をする文化は、ピダハンやワリを始めとしてたくさん存在する。だが、私が生活をともにして調査をした部族はほとんどの場合、このような信念があるとするのを文字通りに意図しているわけではなかった。

信念とは、体(脳を含む)が、何かーーたとえそれが概念であっても植物であってもーーの方へ向けられているときに生じる状態だ。信念は言語と文化に参加している個人によって形成される。(ダニエル・L・エヴェレット著『言語の起源 人類の最も偉大な発明』白楊社、P.415)

ここでエヴェレットが言う「信念」を「意思」と取り違えてしまうのです。植物やサーモスタットに意思がある、と思うのは、私たちが意思を持たなくてはならないからです。それが「自由」の基礎だからです。そしてそれは「近代西欧文化」で支配的な信念です。意思を持っていない者、たとえば痴呆老人は「人格」としてみとめられません。サーモスタットも植物も痴呆老人も「意思を持っている」と考えるか「もっていない」と切り捨てるか、二者択一の文化です。意思を持っている者だけが「社会参加可能な文化」「社会参加していると認める文化」です。一世紀前までは女性も意思を持っていないとされていました。

「人類は自由を求めて進化してきた」かのような言説がありますが、それは現在から過去を見て言っているだけです。「信念は言語と文化」によって形成されるので、100年前、200年前、1000年前は今とは違う文化だったのですが、それを「現在の文化の目」で見てしまいます。私があなたの考えていることがわからないように、私は100年前の人がどう思っていたのかはわかりません。「今が進化の頂点」で「一番正しい・正義が実現されている」というのは思い込みにすぎません。「100年前の人は今の人より不幸だった」のでしょうか。そう思うのは傲慢ではないでしょうか。

歴史と主体

人類は大昔、ある時点で、ある個体が「言語って便利だから作ろう」と思って言語を発明したのでしょうか。その言語を聞いて理解する人がいたのでしょうか。そしてその個体が「生存に有利」だったから生き残って子孫をたくさん生んだのでしょうか。その時点を見た人はいません。ただ、赤ちゃんは「喋ることができたら便利だろうな」と思って、話をするのではない気がします。鳥は「飛べたら便利だろうな」と思って飛べるようになるのではないでしょう。歴史(進化)に「主体性」を求めるのは、近代、あるいは主観性の視点から過去を見ているにすぎないのです。「私はこう思う、だから昔の人や動物や植物もこう考えているに違いない」という、人間中心主義、いや自己中心主義を最近はおぞましく感じます。それは私自身がそういう偏見で他人や、動物や、植物や、親や、女性や、子供や、歴史上の人物や、サーモスタットや・・・つまり全ての物事を近代の主観性の視点から見ているからです。

高度成長時代に生きた私が持っている、「新しいものはいいもの」という幻想は崩れつつあります。いくらCMを流しても、「新商品」が「いいもの」「優れているもの」「美味しいもの」・・・という幻想は現実味を持ちません。しかし「古いもの」は高度成長期以降の使い捨て文化の中で残っていないのです。そして古い「物」が意味を持つのは、そのものが作られ使われた環境の中でのみです。ガラケーやアナログテレビ、レコードなど、そのものを使おうと思っても使える環境がないのです。人も物も動植物も、それ単独で存在しているのではありません。

「存在そのもの」や「自然」は肯定的に定義できるものではありません。定義した途端に「存在そのもの」は「対象物」つまり「存在者」になってしまうからです。そしてその「否定性」は資本主義的ではありません。「本能」とか「生得的感情」とハイエクが規定しようとするものはその否定性の一表現です。ハイエクはそれを「社会主義的」であるといいますが、それはむしろ無政府主義に近いものです。現在存在する社会主義国は、まさしくハイエクの言う「ルールの塊」だからです。それが民主主義的か独裁的かは関係ありません。社会や自然を人間が「制御・統制できる」という思い上がりは、資本主義国にも社会主義国にも共通するものです。

私は社会も自然も「なるべくしてなる」と考えることだけが、この暗闇から逃れる方法のような気がしています。






[著者等]

今西 錦司(いまにし きんじ、1902年(明治35年)1月6日 - 1992年(平成4年)6月15日)

日本の生態学者、文化人類学者、登山家。京都大学名誉教授、岐阜大学名誉教授。位階は従三位。日本の霊長類研究の創始者として知られる。理学博士(京都帝国大学、1939年)。京都府出身。


フリードリヒ・アウグスト・フォン・ハイエク(独: Friedrich August von Hayek 、1899年5月8日 - 1992年3月23日)

オーストリア・ウィーン生まれの経済学者、哲学者。オーストリア学派の代表的学者の一人であり、経済学、政治哲学、法哲学、さらに心理学にまで渡る多岐な業績を残した。20世紀を代表する自由主義の思想家。ノーベル経済学賞の受賞者。


[]

シェアする

フォローする