鎌倉殿の13人 2022日 吉田照幸、末永創、保坂慶太、安藤大佑、中泉慧、小林直毅、松本仁志、谷口尊洋演出

鎌倉殿の13人 2022日 吉田照幸、末永創、保坂慶太、安藤大佑、中泉慧、小林直毅、松本仁志、谷口尊洋演出

天才・三谷幸喜

私が同世代で天才だと認める男は二人います(もっともっといると思うけど、全国的にマスコミで騒がれるほどに有名な人では)。一人は秋元康、もう一人は三谷幸喜です。

実は三谷のセンスは、よくわかりません。三谷は都会っ子で裕福な家の育ち。私は田舎の貧乏な家の育ちなので、センスが合うわけがないのです。映画も何本か観ました。ドラマも何本か観ています。面白いものもあります。面白くないものもあります。テレビドラマで育った私は、演劇的な要素が強いものは苦手なようです。芝居や演劇は私の環境にはありませんでしたから。私のような環境で育った人が今でも日本人の大多数だと思います。

ただ、三谷の作品は何か彼の思いが伝わってくるのです。自分を表現するのがうまいのでしょう。あるいは、どこかで三谷と私は似ているというだけなのかもしれません。

秋元の作品は、片手間で作ったような作品を含めて面白い。AKBを含めて、つまらないなあと思うし、女の子やスタッフを自分の道具としてうまく使っていると思います。彼が金儲け主義なのは間違いありません。「まだ稼ぐの?」という気持ちで毎回見ています。でも、面白いのです。「面白ければいいじゃないか」「面白さという対価をみんなが得てるじゃないか」という人もいると思います。でも、そこに秋元自身が全然見えないのです。女の子は見えます。音楽は聞こえます。でも、そこに彼はいない気がします。いやむしろ、その「売れる」ということが秋元自身なような気がするのです。

勿論、三谷の作品も三谷自身です。その三谷は、好きなところもあるし嫌いなところもある。でもなんか友達でいられる、そんな感じです(勿論私は三谷さんにも秋元さんにも会ったこともないけど)。

大河ドラマ

私は大河ドラマは殆ど観ません。『鎌倉殿の13人』は、たまたま第一話をちらっと観ました。これが時代劇か、大河か、と思いました。ほぼ現代の家族コメディーです。セリフも時代劇っぽくないし、笑いもある。まさに三谷幸喜の世界です。でも一年間観続けるのは辛いと思い、ずっと観ていなかったのです。

年が明けて、お正月番組も終わった頃、たまたまビデオデッキに残っていた「総集編 第一部」を観たのですが、前に観た三谷幸喜の世界です。これが面白い。ところが、総集編ではストーリーがよくわからないのです。これは編集が悪いのか、あまりにも緻密な三谷作品を馬鹿にしてはいけないということなのか。はじめから見ることにしました。全48回、途方も無い長い道のりに感じました。一週間程度かけて全部観ました。

これは家族ドラマです。「時代に翻弄される男たち」という時代劇さもありますが、描かれているのは「女と家族に翻弄される男たち」であり、「政(まつりごと)に直接参加することなく国を動かす女達」です。昭和の時代にはありえないドラマです。

歴史に残っている女性もたくさん登場します。北条政子はもとより、巴御前、静御前・・・。でも、歴史に残っていない(私の知らない)女性もたくさん登場し、それぞれが男以上に悩み、男を支え、男を支配し、自己実現しようとします。それに比べて男たちは、政治や経済や、国のため、忠義のためなど、自己実現とは関係ないことで悩み、闘い、ある場合には裏切り、殺戮を行います。とても薄っぺらいのです。そういう形でしか、妻や子に対する愛情を表現できない男の寂しさ、悲しさも描かれています。

ただ、後半、特に吉田さん以外が演出をしている回では歴的事件の描写が忙しく、人物描写が足りない気がしました。

時代劇

登場人物がこのドラマのような話をしていたかどうかはわかりません。なんせ三谷幸喜が考えたものですから。

まあ、鎌倉では鎌倉弁?を、伊豆では伊豆の言葉を話していただろうし、公家は公家の言葉を話していました。それは英語とフランス語くらいの違いはあったでしょう。同じ英語でも、王室や貴族が話す英語と、農民が話す英語は全く違ったようです。

ただ、今までの時代劇のように、悩みながらも「忠義のために妻子を犠牲にする」「妻は夫のために尽くす」という描き方がその時代を正しく反映しているかは疑問です。同じようにこの大河ドラマが当時を正しく反映していないとも限らないのです。確実に言えることは、この大河ドラマは令和の現代から見た鎌倉時代だということです。令和の時代にふさわしいドラマだということです。昭和の時代には昭和にふさわしいドラマがあり、「昭和にふさわしい鎌倉時代」があったということです。

江戸時代には江戸時代の江戸にふさわしい鎌倉時代があったでしょう。歴史は常に解釈され、再解釈され続けます。歴史は現在、もっと言えば〈私〉から観た過去でしかありません。

吾妻鏡

ときどき「歴史的遺物」が発見されます。それで「歴史が変わる」ことも珍しくはありません。歴史が「変わるもの」であることは明らかです。「発見」という言葉は、多分明治以後に使われたものです。「discover、decouvre、entdecken」などの訳でしょうね。「discover」つまり、カバーを取り除く、隠れていたものを明るみに晒すということでしょう。だから、そこには「隠れていた何か」があったということです。その「何か」とは何でしょうか。わからないです。それを「事実」とか「真実」とか呼ぶこともあります。わからないからこそ発見できるのですが、そこには「わからなくてもある」という確信があります。それが「事実」や「真実」である以上、「変わらない」はずなのです。

『ミステリと言う勿れ』(田村由美著)で久能整は「人は主観でしかものを見られない。それが正しいとは言えない。」といいます。さらに「真実は一つじゃない。2つでも3つでもない。真実は、人の数だけあるんですよ。」といいます。そのとおりです。つづけて「でも、事実は一つです。起ったことは。」といいます(第一巻、P.43〜)。彼は、人の感覚や認識、思考とは別に「事実がある」と思っているのです。そして「警察が調べるのはそこです。」と。

三谷幸喜が参考にしたのは『吾妻鏡(東鑑)』だそうです。私は読んでいませんが、Wikiによると北条家が編纂に関わっているようです。だから『吾妻鏡』は、幕府(北条家)が見た歴史(真実)です。その他、当時の記録として『平家物語』や『義経紀』などがありますが、どれも筆者の立場や主観から見た真実であることに変わりはありません。

ただ、「立場から見る見方」と「主観から見る見方」では大きな違いがあります。「立場」を形作っているのは、家族だったり、地域共同体だったり、そこにおける役職(役割)だったりします。「主観」を作っているのは「私」だけです。そしてそれは近代社会では「自己(自我、ego)」です。そして近代社会ではその「役割」の中心にすでに(常に)自我があります。どんな決断をするのもその「自我」です(そこに「責任」と「権限」という発想がついて回ります)。頼朝や北条時政や北条小四郎(義時)は「主観」や「ego」で物事を見ていたのではありません。そもそも主観などという言葉はなかったし(西周が今の意味で翻訳語として作った)、個人は共同体から分離していませんでした。分離していなかったということは個人も共同体もなかった、ということです。個人も社会も「なかった」ということです。(柳父章著『翻訳語成立事情』岩波新書)

「主観が事実(客観)を見て真実を知る(知識)」というのは、「神が人間や自然を作った」そして「人間がその神の意思を代わって(手足や目となって)対象(事実、事物)を見る」という一つの「思考形態」です。

ドラマの面白さ

私は(私たちは)「主観でしかものを見ることができない」文化の中で育ちました。でも、「他者(他の主観)」のことが全くわからないわけではありません。すべてが分かるとは思わないまでも。だから、ドラマを見たときにその登場人物や状況に「共感」や「感情移入」をすることができます。そして「その気持わかるぅ」とか「憎たらしいやつだ」とか「仕方なかったんじゃないか」とか「悲しいなあ」とかドラマを楽しむことができます。そして、そこから「教訓」を学んだりもします。同時に、いまドラマで描かれていることを「文化」として、自分に刻み込み、「自己の確立」や「人間性の拡大」ができたと思ったりもします。

それはもともと自分が持っていたものを見ることであり、三谷幸喜が持っているものの表現だったりします。そして、会ったこともない義時や三谷幸喜と自分が似ていると思い込んだりもするのです。

主観の世界では、「主観の認識が客観が同じことが正し」く「異なっていることが誤り」です。これは、正しかろうと間違っていようと、つまり「認識に先立って」客体(事実、客観)の存在が前提されています。勿論主観(主体)は当然前提されています。客体は主体が作り出したものにほかならないのですが、その客体を主体が「発見」するのです。

そういう主観的思考方法が「正しい」とか「間違っている」とか言うことはできません。その意味での「正誤(善悪、優劣)」は主観的思考そのものだからです。ただ、主観的思考が「唯一正しい思考だ」とか、主観を持つ「人間という種」が「優れている」とかは「思い込み」であるということです。

主客構造を持たない文化はたくさんあります(私はそのほうが多いと思っています。また人間以外の動物や昆虫、植物、生物すべてにもないように思われます)。また、主客構造の文化の中に生きていても、私たちの中には「主客構造を超えた思考」が必ずあります。共感や感情移入もそうではないでしょうか。あるいは「我を忘れる瞬間」、遊びに夢中になっているときや人を愛するときもそうかも知れません。しかし、それらはすぐに主観性に取り込まれます。共感が「哀れみ」になったり、無償の愛が「損得ずく」になったりします。遊ぶためにも「お金が必要」な世界であり、働く喜びは「稼ぐ喜び」に変容します。大河を観ながら「小栗旬のギャラはいくらだろう」とか「三谷幸喜はいくらもらったんだろう」などと思い始めたらドラマが面白くありません。(笑)

「義時は本当にそんな事を言ったのだろうか」とかを考え始めても、仕方ありません。自分の中の主観を知りつつ(確認しつつ)、それを忘れて楽しむ、救いようのない主観的存在である私には、そんな楽しみ方しかないようです。






[スタッフ・キャスト等]

演出:吉田照幸[wiki(JP)] 末永創[wiki(JP)] 保坂慶太[wiki(JP)] 安藤大佑[wiki(JP)] 中泉慧[wiki(JP)] 小林直毅[wiki(JP)] 松本仁志[wiki(JP)] 谷口尊洋[wiki(JP)] 制作統括[wiki(JP)] 清水拓哉[wiki(JP)] 尾崎裕和[wiki(JP)] 長谷知記[wiki(JP)]
プロデューサー:長谷知記 大越大士[wiki(JP)] 吉岡和彦[wiki(JP)] 川口俊介[wiki(JP)] 橋本万葉[wiki(JP)] おおずさわこ[wiki(JP)][wiki(JP)] 三谷幸喜[wiki(JP)]
音楽:エバン・コール[wiki(JP)]
語り:長澤まさみ[wiki(JP)]
<出演>
小栗旬[wiki(JP)]:北条義時
小池栄子[wiki(JP)]:北条政子
坂口健太郎[wiki(JP)]:北条頼時(金剛)
瀬戸康史[wiki(JP)]:北条時連
新垣結衣[wiki(JP)]:八重
菅田将暉[wiki(JP)]:源義経
市原隼人[wiki(JP)]:八田知家
堀田真由[wiki(JP)]:比奈
中川大志[wiki(JP)]:畠山重忠
片岡愛之助[wiki(JP)]:北条宗時
宮澤エマ[wiki(JP)]:阿波局
新納慎也[wiki(JP)]:阿野全成
金子大地[wiki(JP)]:源頼家
野添義弘[wiki(JP)]:安達盛長
竹財輝之助[wiki(JP)]:伊東祐清
坪倉由幸[wiki(JP)]:工藤祐経
山本耕史[wiki(JP)]:三浦義村
梶原善[wiki(JP)]:善児
江口のりこ[wiki(JP)]:亀
佳久創[wiki(JP)]:弁慶
横田栄司[wiki(JP)]:和田義盛
田中直樹[wiki(JP)]:九条兼実
八嶋智人[wiki(JP)]:武田信義
柿澤勇人[wiki(JP)]:源実朝
青木崇高[wiki(JP)]:木曽義仲
秋元才加[wiki(JP)]:巴御前
高岸宏行[wiki(JP)]:仁田忠常
堀内敬子[wiki(JP)]:道
岡本信人[wiki(JP)]:千葉常胤
阿南健治[wiki(JP)]:土肥実平
佐藤B作[wiki(JP)]:三浦義澄
小泉孝太郎[wiki(JP)]:平宗盛
中村獅童[wiki(JP)]:梶原景時
山口馬木也[wiki(JP)]:山内首藤経俊
矢柴俊博[wiki(JP)]:平知康
小林隆[wiki(JP)]:三善康信
迫田孝也[wiki(JP)]:源範頼
福地桃子[wiki(JP)]:初
南沙良[wiki(JP)]:大姫
山本千尋[wiki(JP)]:トウ
北香那[wiki(JP)]:つつじ
シルビア・グラブ[wiki(JP)]:藤原兼子
岸田タツヤ[wiki(JP)]:三浦胤義
加藤小夏[wiki(JP)]:千世
きづき[wiki(JP)]:平盛綱(鶴丸)
森優作[wiki(JP)]:阿野時元
尾上松也[wiki(JP)]:後鳥羽上皇
山寺宏一[wiki(JP)]:慈円
菊地凛子[wiki(JP)]:のえ
栗原英雄[wiki(JP)]:大江広元
杉本哲太[wiki(JP)]:源行家
市川染五郎[wiki(JP)]:源義高
生田斗真[wiki(JP)]:源仲章
山崎一[wiki(JP)]:牧宗親
市川猿之助[wiki(JP)]:文覚
佐藤二朗[wiki(JP)]:比企能員
松平健[wiki(JP)]:平清盛
佐藤浩市[wiki(JP)]:上総広常
國村隼[wiki(JP)]:大庭景親
田中泯[wiki(JP)]:藤原秀衡
鈴木京香[wiki(JP)]:丹後局
草笛光子[wiki(JP)]:比企尼
浅野和之[wiki(JP)]:伊東祐親
坂東彌十郎[wiki(JP)]:北条時政
宮沢りえ[wiki(JP)]:牧の方
大泉洋[wiki(JP)]:源頼朝
西田敏行[wiki(JP)]:後白河法皇
<ゲスト出演>
芹澤興人[wiki(JP)]:江間次郎
山口祥行
太田恵晴
吉見一豊
田中なずな
米本学仁
品川徹
木村昴
木原勝利
たかお鷹[wiki(JP)]:岡崎義実
康すおん[wiki(JP)]:佐々木秀義
江澤大樹
諏訪太朗
森本武晴
木全隆浩
増田和也
見寺剛
猪野学
竹内まなぶ
大津尋葵
慈五郎
難波ありさ
濱正悟[wiki(JP)]:平維盛
成河[wiki(JP)]:義円
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平山祐介[wiki(JP)]:藤原国衡
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2022年(令和4年)1月9日から12月18日まで放送されたNHK大河ドラマ第61作。鎌倉幕府の第2代執権となった北条義時を主人公に、平安末期から鎌倉前期を描く。



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