ライムライト 1952米 チャールズ・チャップリン監督

ライムライト 1952米 チャールズ・チャップリン監督

映画について

チャールズ・チャプリンについては説明不要でしょう。私は大好きです。

「Limelight」は当時の(電球が普及する前の)舞台の照明です。「名声」の意味があるそうです。

公開されてから71年(日本では70年)、日本でリバイバル上映されてから50年が経ちます。当然白黒。ただし「トーキー」です。

チャプリンはバイオリンもうまかったそうですが、映画の中での演奏が本人のものかどうかはわかりません。

このあとチャプリンが監督した長編映画は『ニューヨークの王様』(1957年)と『伯爵夫人』(1967年)だけのようです。

コントについて

動きが超一流です。パントマイムが素晴らしい。この動きとギャグは今の日本でも受けると思います。日本の若い芸人さん達はチャプリンを観ているのでしょうか。日本人のコントを彷彿させるような動きもたくさんありました。

「ムーンウォーク」のような動きもあり、マイケル・ジャクソンも観てたんじゃないかな、と想像したりしました。

そしてトーキーならではのチャプリンの歌もあります。これは英語なので、私には「韻を踏んでいる」くらいのことしかわかりません。英語を理解できない私には「ギャグ」ではないのです。歌以外のセリフは字幕を読むだけでも、チャプリンのセンスを感じました。

チャプリンは、

『サーカス』が公開された頃、ハリウッドではトーキーの導入が進んでいた。しかし、チャップリンはトーキーについて否定的な立場をとり、トーキーはサイレント映画の芸術性を損なわせてしまうと考えていた。また、チャップリンは小さな放浪者に言葉を入れることで、その国際的魅力と世界共通言語としてのパントマイムの普遍性が失われることを恐れ、自身に成功をもたらしたこの方式を変えることに躊躇した。(Wiki

パントマイムが「世界共通言語」だというのは、「同様の文化圏で」ということで納得します。少なくとも、20世紀初頭にあの山高帽とダブダブのドタ靴とちょび髭とスティックを持つイギリス人男性がどんな階級のどんな生活を送っている人か、すぐにイメージできるような文化でなければなりません。戦後の日本はギリギリOKでしょうね。今の若い人がどう見るのかはわかりませんが。

主人公カルヴェロの友人で、両手を失った芸人が出てきます。足で食事をすることができるし何でもこなすという芸ですが、それを聞いたイギリス紳士が「気持ち悪い」といいます。日本人も「足で食べるのは汚い」くらいに思うでしょう。でも、イギリス人にとっては足は「恥部」です。人に裸足を見せるのは恥ずかしいことですから、英語でどう言っているのかはわかりませんが「なんて破廉恥な」という意味でしょう。

その他にも時代背景や文化に根ざしたものがいくつかありました。日本人が分からなかったり見逃したりする部分には、そういう文化の違いがあるように思います。セリフを言うことによってそれがいくらか鮮明になりますが。

ストーリーについて(ネタバレ注意)

カルヴェロは道化師の王様と言われた人気者でしたが、笑いを取れなくなり酒に逃げて落ちぶれた年寄です。テリーは若い踊り子ですが、精神的な理由から自分が足の病気だと思いこみ、踊れなくなって自殺を図ります。それを同じアパートに住んでいたカルヴェロが偶然助けます。

テリーはダンサーとして成功していきますが、カルヴェロは落ちぶれたままです。カルヴェロはアパートを離れ大道芸人をしますが、それをテリーが見つけカルヴェロと一緒に舞台に立ちます。クラシックバレエと道化師のコラボ舞台もチャプリンが考えたものでしょう。素晴らしいと思いました。この舞台で流れるのが有名な『テリーのテーマ』です。

テリーのオーディション、カルヴェロの興行主やマネージャーとの駆け引きなど、「生きる力」が私にはないな、と思わされます。でもそれは近代西洋文化によって奪われたもので、土地や水などの〈公共財(コモン)〉の代わりとして、土地を耕作する力、家を建てる力、水を獲得する力の代わりに常に近代西洋人には具わっているものです(もちろん、具わっていない人もいます)。言い方を変えれば、近代西洋人が多くのものを失う代わりに手に入れたものです。

カルヴェロは往年の名声と聴衆の喝采を夢見ています。カルヴェロを愛するテリーはなんとかその夢を実現させてあげたいと思います。自分と同じステージに立たせ、笑いの仕込み(サクラ)まで用意します。サクラを用意するということはテリーもカルヴェロを信じていないのです。テリーは「なんであんな老耄が好きなんだ」と言った初恋の青年と同じなのです。テリーはカルヴェロの芸がうけなくなったのは、カルヴェロの「老い」ではなく、「世の中が変わったから」だと思っていたのでしょう。

時代が変われば笑いのツボも変わります。どんどん新しい芸人が出てきて新しいことを行い、古い芸は飽きられ忘れられます。でも芸を古くするのは「時代」なんかじゃありません。新しいものを求める聴衆の意識です。ものと同じく、芸も使い捨てることがあたりまえだという意識です。そして、それは聴衆一人ひとりの自分の生き方(価値観)でもあります。昨日より今日の自分は「進歩していなければならない」という価値観です。それを向上心と呼ぶ人もいるでしょう。若い頃は、昨日より今日が「向上(進歩)」している可能性があります。だから、「向上心なないやつ」「進歩しないやつ」は「怠け者」「堕落者」と非難します。老人が若い人より経験を積んでいるのは明らかです。知識が多い人もいるでしょう。でも、「今日できないことが明日できる」というわけではありません。むしろ「今日できたことが明日できなくなるかもしれない」という恐怖の毎日です。これは私自身が日々感じていることです。自分がそういう立場になってやっと気づきました(もちろん、そう思っていない老人もたくさんいると思います)。老人は「新しくなれる存在」ではないのです。若者にとって老人は「古くなった(捨てられるべき)自分自身」でしかありません。テリーにはカルヴェロが「昨日より芸がうまくなっている存在」ではあり得なかったのではないでしょうか。

カルヴェロの最後の舞台は「大受け」します。それがテリーの仕込んだサクラの笑いかどうかはわかりません。カルヴェロはアンコールも体を張った芸でやり遂げます。そのせいで背骨を傷め心臓発作を起こし、ソファーに横たわったまま舞台袖でテリーのバレエを観ながら息を引き取ります。

感想

カルヴェロの芸は本当に大受けしたのでしょうか。カルヴェロは「テリーの仕込み」に気づいていなかったのでしょうか。カルヴェロのテリーに対する思いは、友情や娘を思うような気持ちではなく、女性として愛していたのでしょうか。テリーのカルヴェロに対する思いは、恩人や父のような存在に対する気持ちではなく、男性として愛していたのでしょうか。

私にはわかりません。私はそういう感覚には鈍いようです。観た人がそれぞれ感じるものですよね。この映画に関する文章は多分数え切れないほどあるでしょう。チャプリン自身が何かを語っているかもしれません。

カルヴェロは間違いなくチャプリン自身ですよね。当時63歳くらい。無声映画時代のちょび髭山高帽・・・で喝采を浴びた若い頃のチャプリンではありません。トーキーに対する疑念は自分の芸に対する自負と変わっていく時代に対する反感から生まれてきたのではないでしょうか。トーキーを受け入れ、はじめて素顔を晒した本作は、チャプリンの決意の表れのような気がします。カルヴェロが浴びた喝采は、チャプリンの望みでもあったでしょう。その望みは叶ったのかもしれないし、仮象のものだったかもしれません。いや、若い頃チャプリンが浴びた喝采も、当時のチャプリンが持っていた名声そのものも「偶像」に過ぎないものだという思いもあったのかもしれません(事実彼はアメリカから裏切られるのです)。それが本物であろうとなかろうと、カルヴェロが死の苦しみの中でテリーを見つけた眼差しは「本物」であったと思います。

父に対する思い、娘に対する思いと「恋愛」を区別する必要があるのでしょうか。男女の友情と男女の恋愛を区別することができるのでしょうか。そこに「肉体関係」があるかないかは「客観的な基準」にはなるでしょうが、本質的な区別ではありません。でも、それは「主観的」なものに還元してしまうこともできません。人と人との関係は「主客を超えた」ところにあると思います。それがカルヴェロを通してチャプリンが観た世界(現実)だったのではないでしょうか。






[スタッフ・キャスト等]

監督:チャールズ・チャップリン[wiki(JP)]
製作:チャールズ・チャップリン[wiki(JP)]
脚本:チャールズ・チャップリン[wiki(JP)]
撮影:カール・ストラス[wiki(JP)]
音楽:チャールズ・チャップリン[wiki(JP)] ラリー・ラッセル[wiki(JP)] レイモンド・ラッシュ[wiki(JP)]
助監督:ロバート・アルドリッチ[wiki(JP)]
<出演>
チャールズ・チャップリン
クレア・ブルーム
バスター・キートン
シドニー・チャップリン
ジェラルディン・チャップリン
エドナ・パーヴィアンス

人生への絶望から自殺を図った踊り子テリーを救った老道化師カルベロは、愛に溢れた笑顔をもって彼女を元気づけた。今の彼には、かつての栄光はなく、生活も楽ではなかったが、何故かこの少女を見捨てることはしのびなかったのだ。大切にしているバイオリンさえも質に入れ、彼女の回復を祈るカルベロ。そして彼はそれまで気乗りしなかった舞台にも立つ決心をするが……。「チャップリンの独裁者」から戦後第1作目の「チャップリンの殺人狂時代」を通して“アカ”呼ばわりされ、非米活動委員会の追及、議会の国外追放提案やマスコミの攻撃などを浴びたチャップリンが、第二の故郷ともいうべき住み慣れたアメリカを捨てて、母国イギリスに戻って発表した作品。落ち目の道化師と美しいバレリーナとのひめたる恋、懐かしい舞台に返り咲き喝采を浴びながら熱演の果ての彼の死など、さながらチャップリン自身の心境を語るかの様な印象が強い、晩年の傑作。



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