序
「古代から人間は、大宇宙(マクロコスモス)のすべての力と実体を凝縮して体現する「小宇宙(ミクロコスモス)」と考えられていた。」(P.ⅸ)
「明らかに人間的だと思われる要素を純粋に生物学的なものだと主張して無視してしまうのは、ある人々に言わせれば還元主義であり、実際、そうなってしまう可能性も大いにある。しかし、社会生物学が還元主義になる必要はない。人間の考えと自由選択は、生物学的活動、特に神経生理学的活動に左右されることがあるかもしれない(たとえば脳がひどく損傷されると、考えたり決断したりできなくなる)。だからといって生物学的活動と同一というわけではない。」(P.ⅹ)
「私という自己は、ある特定の文化のなかにしっかりと定着し、その文化から他者、世界、あるいは自分自身と折り合うための固有の方法を学びとるが、それでいてその文化とは別の自由な存在として漂っている。」(P.ⅺ)
「あなたが私にとってどれほど親密な関係にあろうと、私は絶対あなたではない。」(P.ⅺ)
「というのは、人間の遺伝的遺産は生物以前の段階までさかのぼるものであるし、人間の知性と、その知性が展開する弁証法を支える自由の唯一の居場所は、生物学的に処理しえない、自由に漂う自意識だからである。換言すれば、個人の独立した意識の内にこそ、知識や人間の自由は存在するのである。」(P.ⅻ)
第Ⅰ部 背景
(P.2)__対立はAとBとの対立ではなく、主体(自我)と客体との対立に集約される。AとBは対立しているし、相補しているが、それをそう考えるのは主体である。主体が客体を「取り戻す」、つまり自分自身を取り戻すために、そしてそれができないがために、「対立」という概念を持ち出す(作り出す)。そして、それは客体、そして自分自身を自分のもの、所有、支配、コントロールするためにほかならない。
第1章
対立
人間__西欧人のこと
「エリック・エリクソンは弧度は行動の手がかりとして精神の境界線を見つけなければならず、未知の領域に曖昧な形で近づいているという不安から自分を解放するためには、ある特定の敵 しばしば「オバケ」 を設定し、頭のなかで思い描く必要すらあると述べている(Erikson, 1963: 410-11)。しかし人間は、成長するにつれて、自己を一つにまとめるためになんらかの敵を見つけ出したり、想定する必要がなくなってくる。精神構造が内面化し、外部の存在を必要としなくなるからである。」(P.4)
「対立するものによってエンペドクレスは宇宙論を、ホッブズは一種の社会学を、ヘーゲルは歴史的変化の形而上学を、チャールズ・ダーウィンとハーバート・スペンサーは生存競争という生物力学を構築した。」(P.5)
(パース)「反対がないものは、反対がないというまさにその事実によって存在しないことになる」(P.6)
シャルダン、ノイマン
「ただ古代ギリシア人は、他の文化以上に多くを対立から学び取って、しだいにその対立を再構成していったのである。その理由はもちろん文字文化と無関(FF)係ではない。なぜなら口頭では適当に調整されたり、言い繕われたりしがちだった些細な違いも、文字によって表され固定されれば、同じものではないことがはっきりとわかるからである(Goody, 1968: 56, 67-68)。」(P.10-11)
「この「名声」(fame)は語源はラテン語の fama (人が自分について言うことの意。また fari は話すことの意)であり、話すという行為が重要な位置を占めていた原始口承文化は、後述するように闘争的な性格を帯びた文化のまさに典型だった。」(P.11)
「私たちが知っている形式論理学(Bochenski, 1961: 10-18, 23-39, 417)は、感情を交えず協調的な状況から生まれたわけではない。論理学という概念自体からはそう想像されるかもしれない。論理学以上に客観的で、中立で、偏りのないものが他にあろうか、と思われるからだ。しかし、実際には形式論理学は論争、すなわち言葉と知性の競い合い、「私の発言を君の発言で覆してしまうのはどうしてなのだ?」という疑問を反芻することから発生した。」(P.12)
「インドで論理学が生まれたのは、ギリシアの論理学よりもはるか後であったため、なんらかの影響関係があるのではないかと疑われるかもしれないが、インドの論理学は世界中で唯一、ギリシアの論理学から影響を受けることなく独自に誕生したものである(Bochenski, 1961:416−17,430-40)。いずれにせよインドの論理学も討論を、すなわち対立するものを分析することから発生した。これとは対象的に中国文化は討論を最小限度に抑え、美しい言葉遣いには礼節と静謐を保つ効果があると考え、融和をより重視して個々の違いは控えめにしか表現しなかった(Oliver 1971: 145−81, 特に 180 及び Maspero, 1928 を参照)。したがって他の分野では素晴らしい文化を築きあげたにもかかわらず、中国では形式論理学の類はまったく誕生しなかったのである。」(P.12)__すごいうぬぼれ。インド論理学がいつ誕生したのかは知らない。他の文化で論理学が誕生しなかったかどうかも不明。言語の専門家なのに、西洋論理が印欧語文法であることに気づいていない。言語が違えば思考が違う(ウォーフ)。西洋論理学が唯一正しいわけでも、唯一の思考法でもない。対立の代わりに融和があったのであれば、「闘争」を「普遍的なもの」とはできない。ただし、「遊び」と考えることは否定できない。
「以上の分野や他のさまざまな分野に見られる、表面的には無関係ないくつかの現象が、実は深層で密接に関係していることを示すのが本書の主旨である。その結果、人間の意識が進化した過程をよりよく理解できるようになると思われるからである。」(P.14)__「意識の進化」、それを進化と言いうるか。
本書の研究の出発点
「私たちは臆面もない平和主義者で、昔と比べるとどれだけ協調的になっているかということにさえ気づかぬほどの恥知らずなのである。」(P.15)
「書く技術や印刷・電子工学の技術は、現実の世界を作り上げる音や出来事を一種の不変で固定したものに変えてしまうように思われる。言葉や思想それ自体は、言語活動が変化したり科学技術の恩恵を受けるようになると驚くほどの新しい力をもつようになり、人間の精神も再構築される。修辞学や弁証法や論理学と言った「学問」(arts)は、言葉を文字に表す技術のおかげで誕生した。文法と合わせて以上のような学問は、西洋では古代から後々まで、討論や弁論や言葉による意志伝達のための技術(ラテン語の artes sermocinales )となった。」(P.17)__「恩恵」。「ネクスト押し」「今年の流行」「来年の流行色」・・・
「自己の創造性を尊ぶ(したがって原則としては争いを好まない)ロマン主義的精神は、印刷術によって培われた感性なのである(Ong, 1958a, 1958b, 1971, 1977a 及び以上にの書に慶されている参考文献を参照)。(LF)種々の文化における純粋知性の作用の秩序とその進化の研究書に目を通すと、古代では、西洋に限らず世界のいたる所で膨大な量の言葉による闘争という現象が見られ、その現象は普遍的なもののようであったことがはっきりと分かる(Peristiany, 1966; Goody, 1968; Ong, 1958b, 1967, 1971 及び以上の書の参考文献)。言葉による闘争は、書くことの影響が皆無であった原始の口承文化で最も顕著に見られ、書く技術(特にアルファベットという文字体系)が一度発明されると、弱体化して減少し、しだいに人間精神の内面に閉じ込められるようになったのである。」(P.18)__言葉による闘争という「遊び」。私は争いが嫌いだ。それは西洋人に比べて日本人はそう思っているような気がする。それが戦後民主主義教育を受けたせいなのか、島国のせいなのか、労働者階級・非支配者階級に特徴的なことなのか、あるいはすべて逆なのか、わかりようがない。私は、書くこと、主体をもつこと、進化論、印欧語、神の視点、等が「争い好き」の原因だと考えている。自分の影に気付くこと、自分を客体視すること。
「このように考えてくると言葉の闘争の起源は、意識よりも深い所、歴史的には意識の発生以前にあることがわかる。」(P.19)__動物が「闘争」しているとどうして考えるのか
「闘争は生物進化の過程で重要な地位を占めており、人間の知的活動が発展する過程でも重要な、(FF)まさにその本質と思われる位置を占めていることがわかったからである。」(P.19-20)
「本書では主として、意識により近い領域に見られる闘争、つまり知識それ自体を作り上げ、司る過程に関わり、私たちが学問的と考える知識を生み出した闘争を扱っている。この学問的知識とは、体系化されたり、直接・間接に文字に助けられながら比較的抽象化されて人々に教えられる知識で、家庭で得られる知識や、商人や猟師、漁師等のような専門的な職業の人が言葉はそれほど用いず修業によって身につけていく知識とは対照的なものである。」(P.20)__教えられる<=>ヴァナキュラーな。本書の成立時期。『ジェンダー』、新自由主義、ベトナム戦争、冷戦
考察の過程 理解と非対称的対立
「哲学や文化の重要な点に関する本当に深淵で意義ある原理や結論とは、間違いなく格言のようなもので、普遍の真理を表すと同時に逆説的なものだと私は確信している。」(P.23)
(P.24)__言語は否定であるか。生は肯定である。否定性でしか「存在」は述べられない。
「対話はある種の否定性を必然的に伴う。」(P.25)__肯定では対話にならない。
「発言が二重の意味をもっていることは驚くべきことではない。なぜなら肉体を伴った意識である人間は、本質的に二重性を備えた存在だからである。私の肉体は、私の内面であると同時に、外面でもある(FF)(例えば「私の身体を蹴るな」と言わずに、「私を蹴るな」という。また、私自身は私の身体の中にいると感じるが、その身体は私が「私」であると考える「私」と、「私」以外のあらゆる存在(自分の身体をも含む)との境界線となっている)。」(P.25-26)
闘争と言語と思想
(P.28)__対立は主観性の内にある
「宇宙開発競争そのものにとって、より重要であったのは競争をしているという感覚であった。」(P.30)
「宇宙を開拓することは科学的ばかりでなく、ロマン(FF)ティックなことでもあり、その意義は挑戦せずにはいられないほど大きく、闘争性を帯びたものである。」(P.30-31)
「言語や思想の闘争的構造を扱うに際してはっきりさせておきたいのは、闘争的構造が言語や思想の唯一の構造だと言うつもりはないということである。また、この闘争的構造を特に男性の儀式的闘争に関連づけて考えるからといって、そのような闘争が言語を完全に操っていると述べるつもりもない。」(P.31)
「それにひきかえ「父親の言葉」はない。」(P.31)__母親の言葉 mother tonge
「簡単に言うと patrius sermo は、祖先が一種の財産として子孫の遺贈した国語を意味し、linga materna はまさに「母親からもたらされた舌」、つまり母親の胎内から生まれる際に自分の身体の一部となった舌を意味するのである。したがってこの二つの表現は、法的に伝えられた言語と「自然」にもたらされた言語との違いを対照的に示しているわけである(Spitzer, 1968: 25-29)。」(P.32)
闘争の代わりの概念
ローレンツ『攻撃』Aggression
「したがって aggression は、基本的には自分の身体とその身体が占める空間という領域に関する単語で、自分自身の空間を出て他人の空間に侵入するという意味だったのである。自分自身の空間とは、自分の肉体が占めている空間とそれに隣接する空間で、通常他人が侵入してこない「身体空間(ボティ・スペース)」とでも言うべきものである。」(P.33)
「母親は子どもが抱く攻撃性を吸収し、子どもがある程度の攻撃をしかけてもそれを許容する。同時に母親は子どもとほとんど一体化するため、子どもは自分が攻撃性を向けた他者という感覚を事実上失ってしまい、(FF)その他者から受けるはずの脅威もなきに等しいものになってしまうのである。つまり、子どもは自分の身体の枠組みの外や自分の領域を越えた他者の領域、すなわち自分を育てる母親という、自分とは別の身体空間あるいは人格に侵入しながら、自分の「家」にいるかのように安心しているのである。これは一つには、子どもが最初は、母親が自分とは別の人間であると考えないためである。しかし、マーガレト・マーラーが見事に解き明かしているように、子どもは母親離れと自我の確立という段階を経て、母親が自分とは別の人格であることを理解しなければならなくなる(Mahler, 1965 and 1971; Mahler and Furer, 1963も参照)。」(P.36-37)
「自分の体内に他者を入れることによって自分の身体を共有し、安定と力とを伝えることは、もちろん女性の特権である(この典型的な例は、性交と妊娠である)。解剖学的に言って男性は、攻撃性を吸収して創造的なものに転化したり、新しい生命に変容させるようにはできていないのである。」(P.37)
FIGHTING FOR LIFE Contest, Sexuality, and Consciousness : Walter J. Ong 1981
contest
「この他、闘争(コンテスト)関係の単語としては、ギリシア語で戦争を意味する polemic がある(ギリシア語の polemos の語源は不明)。明らかに戦争は、闘争と少なくとも何らかの関連があり、必ずと言っていいくらい頻繁に闘争的要素を帯びているが、かといって闘争がすべて戦争というわけではない。戦争は、相手に実害を及ぼそうとする際の直接行動を意味する。一方、闘争は、他の意味もあるが、直接には儀礼的ないしは象徴的な害を及ぼすことを意味している。」(P.38)
combat, fight, struggle, conflict, cmpetition(試合),
「どちらかといえば「試合」は仕事のようなもので、それ自体に存在意義はなく、明らかに試合そのものの外にある何かに合わせて形作られている。一方、「闘争」は遊びのようなもので、それ自体で存在しうるものである。「試合」は何かを得ようとして行われるが、「闘争」は何かを得ようと(FF)してするものではない。闘争で一番重要なのは、ただ単にその闘争で成功すること、つまりその闘争に勝つことである。とはいえ、「試合」と「闘争」は近い意味をもった単語である。」(P.40-41)
contention, ギリシア語のagōnia
「ホイジンガは、「闘争も遊戯も根は一つのものである」と主張している(Hoizinga, 1955: 31)。この根がなんであれ、本書はホイジンガがあまり注目しなかった問題のうちで特になわばり意識や生物学的進化、男性らしさの確立、いわゆるコミュニケーション・メディアの変化が人間社会や精神の闘争性に及ぼした影響、そして学問の世界の内面史とも呼ぶべきものを取り上げている。ホイジンガは洞察力にすぐれ、「本質的にあらゆる知識 これには哲学も含まれる は闘争的である」と述べたが、闘争的な議論の進め方が学問教育の現場で歴史的にどのような役目を果たしたか、詳しく論じることはなかった。実際、ホイジンガは意識の進化には関心を寄せ、時にはかなりの関心を抱いていたことが明らかなのだが、「近代生活」を過度に敵視し、深層心理学には無関心であったため、意識の進化はホイジンガの研究からあらかじめ除外され、効果的には論じられなかったのである。以上のような欠点すべてを考えても『ホモ・ルーデンス』は、やはり草分けで最も基本的な文献であり、闘争的構造や闘争行為の研究すべての永遠の源として、深く変わらぬ感謝を捧げるにふさわしい書なのである。」(P.43)__ここでも「進化」。オングは近代に対決しないのだろう。ホイジンガに不満な点も彼が使う「進化」。でも、私は文字をなくすために文字を使っている。
「「闘争」は暗に、明文化されたものであれ暗黙のものであれ、なんらかの規則をもとにして対立する両者の間に、ある種の公平無私な距離を置くことを意味する。無論、対決することもある。しかし、(FF)それは真理に到達するためのことなのである。」(P.44-45)__「真理」とはなにか
「いわゆる構造主義は、たとえレヴィ=ストロースやラカンやピアジェのように手際よく応用しても、それ自体で究極のものを説明することはない。つまり言語構造や社会構造の根底に存在するのは「構造」とか「システム」ではなく人間であり、人間とは、閉ざされた体系にも開かれた体系にも同化できるが、しかし結局はそのどちらにもならない存在だからである。私の代わりになるのは私だけ、あなたの代わりになるのはあなただけ、というわけである。」(P.46)__唯一無二の「私(自我)」。人間は規定できない。存在は規定しようとすると逃げていく。
第Ⅱ部 対立関係の諸相
第2章 闘争と性的アイデンティティ
性と闘争性
「人間の場合、意識が出現すると男性も女性も意識を成長させようと務めるが、特に男性は一種の儀式的闘争を通じて意識の成長に力を貸すのである。」(P.51)__「意識」と「自意識」の混同。ここでの意識は自意識。
「逆説的なことだが、同種間の雄同士の戦いは猛烈なものであればあるほど、儀式的と言える(FF)のである。」(P.51-52)__オングはプラトンのように体力に自身があった?
「性は常に所与の文化を通じて、その文化とともに作用する。だからといって、性別によって生じる相違点が真に性に基づくものとは決して言えないとか、それら相違点が文化の違いに還元できると言うわけではない。ただ、雌雄それぞれの行動を決定する要因は、性別以外の決定要因と切り離して現れることはありえないと言っているのである。」(P.52)__微妙。
「強靭さは生物学的に決定づけられたものである。荒々しい遊びは、ヒト以下の動物でも雄固有のものである。しかし強靭さは、エスキモー文化ではある様式で、カメルーン南部のエウォンド族の文化では別の様式で、オーストリア文化ではまたさらに別の様式で表現される。」(P.53)__強さ、power、エネルギー等の概念は文化的なものである。比較したり、数値化する文化「も」ある。
「男の子はどこまでも男の子なのである。性別によって決定づけられた行動は、常に他の決定要因による行動と混在する。しかしそれでもなおかつ性別によって決定づけられた行動なのである。」(P.53)__sex還元論。sexとgenderの違いを認識していない。
消耗が可能な性
「しかし、雄の力は雄が無用であったために副産物として生じたものである。進化の過程における種の選択で、闘争に有利であるようより大きく、より強く、より攻撃性をもつようになるのは雌よりも雄のほうが好都合であるとされたのである。これは一つには、闘うものは殺される可能性が非常に高くなるが、雄が殺されても雌が殺されるほどには種の存続に打撃を与えないからであった。」(P.54)__結果論、因果論、還元論
「一方、多数の雄と交尾する雌は(後述するように例外はあるが)、そうでない雌に比べて多くの子孫を生むわけではない(ベイトマン効果あるいはベイトマン原理、Edward O. Wilson, 1975: 325, 327)。」(P.56)
「そして、雄のなかでもそれら少数の雄だけが次世代の親になれるのである。」(P.56)
「他の多くの場合同様、以上のような観点から見ると男性であるということは、大変な危険をはらんだ状態であることがわかる。つまり、種の存続に最大限に関与できるか、まったく関与できないかのいずれかなのである。」(P.57)__関与できない(かどうかはわからないけど)から「不要」だということではない。つまり、なんらかの形で関与している。私が子どもを作らなくても、ニューヨークの誰かが産んでくれれば、種は存続する。
同種間の雄の闘争
「多くの種の場合、闘争の最も直接の目的は縄張りを得ることであり、より間接的な目的は雌の獲得である。」(P.58)
「相手の攻撃を打ち切る行動パターンは、同種の雌ないし子どもに特徴的な行動パターンと似ていることが多い。」(P.59)
儀式的闘争
「雌の場合、荒っぽい身体のぶつかり合いははるかに少なくなり、人間では仲介者を立てたり(少女たちは自分たちの側に立って仲裁するよう強い大人を連れてくる)、「言葉という投石器や矢」、それに「しばしば熱心な心遣いに隠された、相手を拒絶する陰険さ」等が用いられたりする(Bardwick, 1971: 126-27)。このような性別による違いは、たしかに文化によって強められたり弱められたりするが、根本的には文化から独立したものであり、根源は生物学的(大抵は内分泌的)要素に起因し、人間以外の動物に見られる雌雄の差異に対応するのである(Bardwick, 1971: 84-113, 126-34)。」(P.64)__科学的観察は、観察者の文化の影響を受ける
「したがって進化の過程で、ある一定の線で同種間の雄同士の儀式的闘争をやめさせるような制御の仕組みを、大抵のメスはほとんど身につけることがなかった。」(P.64)
闘争、緊張、そして男性のアイデンティティ
「このように哺乳類の雄は、生命体としての形を取り始めた時から自分を取り巻く環境に対抗していかなければならないのである。その結果、雄は雄であるがために養育されることに対してある種の抵抗を示すようになる。なぜなら雄にとって、養育されるということには雌とは違う危険性が伴われるからである。生物学的及び歴史的に見て、動物の雄や人間の男性がすべきことは受容ではなく、変革であった。くどいようだが雄性ないしは男性の特質とは分化なのである。」(P.68)
(P.69)__ジェンダー
「男性にとって問題になるのは、ここでもやはり分化である。男性は、当初自分が一番近かったものである女性(通常は母親)と自分とは異なると感じるようにならなければならないのである。」(P.71)__文化的なものである。
「それは、これまで道化師は無能な父親像を模すのが常で、そのような父親は滑稽な笑いのもとになりうるが無能な母親は笑いのもとにはなりえないからである。」(P.72)__文化的なものである。
「ストレスとか不安というものが人とその環境とが不安定で落ち着かない関係にあるということを指すとするなら、男性が不安定であるのは、女性に比べて男性がいつも環境と複雑な対立関係にあるからだといえる。」(P.73)__西洋文化的なものである。ストレスという概念が、関係を前提としている。
「女性が家庭外で以前よりも活躍するようになった今日、女性による犯罪は明らかに増加している。しかし、それも経済犯罪(文書偽造、横領、窃盗)のみに限ったことで、経済的に苦しかった昔と同じような増加傾向なのである。」(P.74)
「つまり、種のうちでも雌に比べて雄は消耗してかまわない性として、進んで危険を受け入れるように進化の過程で遺伝子が組み立てられた結果、人間の男性も女性より果敢に危険に立ち向かうようになっているのである。」(P.75)
「したがって女性の性のアイデンティティの危機は、一つの現象として見ても、また流れとして見ても、男性の性的アイデンティティの危機の後から生じたもので、しかも大半は他者からもたらされたもののように思われるのである。」(P.75)
「あるものの「本性」を問うことはそれがどのように生まれてきたかを問うこと、すなわち根本的にはそれどのように女性的なものと結びついているかを尋ねることなのである。」(P.76)
「自分がいる環境から自分自身を分化しなければならない。すなわち、自分は女々しくないことを示さなければならない。」(P.77)
「そのためには少年たちは自分たちの生活から少女を抹殺し、快適さや安全をもたらす女性らしさを軽蔑し、母親や姉妹たちにはできないだろうと期待を込めて考える行動を自分でやってみるようにしなければならない。彼らは「闘わなければならない」 安楽と思われるものなら何でも闘いの対象になる。危険は発見するか、作り出さなければならない。」(P.77)
「肉体的にも精神的にも男性を包み込んだ結果、女性には男性のすべてが、ある意味では男性以上にわかっているのである。」(P.78)
「多くの国では、結婚した女性は自己のアイデンティティが脅かされることをまったく心配せずに夫の名前を「取る」し、そうすることによって自我の構造を強化することが多い。「取る」という単語が攻撃的な行動であることに注目してほしい。第1章で述べたように確かに攻撃は弱さを示すこともあるが、やはり攻撃は力の誇示でもあるのだ。女性が夫の名前を名乗るのは、無論男性に対して服従するというしるしでもあるのだが、逆の意味に理解することも可能なのである。」(P.80)__名前を変えること。再生。成人のときなど。名前と近現代欧米的アイデンティティは別のもの。欧米でも名前はどんどん変えた。なぜ男性が強制するのか。なぜ女性が従うのか。主体性、主観性の問題か。西洋的主観性から見た「強制・服従」以外の見方があるはず。
(P.81)__生まれ変わりや名前の変更について。ペン・ネーム、入会、等
「要するに女性は自分の夫を獲得したのである。」(P.82)
「つまるところその男性は求婚しにきた人間だからである。最終決定を下したの女性であって、求婚にきた男性ではないのである。」(P.82)
「女性たちの進出は、書く技術や印刷術が知的な発達に以前以上に寄与するようになったことや、声のボリュームを増幅する電子機器の発達のおかげで弁論のスタイルがかつての絶叫することの多い、儀式的・闘争的な男性型からテレビでよく見られる、差し向かいの会話調に移行したこと、また女性の声が男性と同じボリュームに増幅されるようになったことと時期的に重なり合っている。」(P.85)__因果関係を勘違いしている。
男性対男性の戦い
「人間の男性は、他者をふくめて環境というものは自分に対抗するようなもの、すなわち自分が闘いをしかけ、変えていくものと考える傾向がある。環境は女性的なものであり、女性は概して自分たちにもたらされた環境のありのままの姿に依存する。」(P.86)__自文化からしか物事を見ていないように思えてしようがない。
「余談ながらここでまた思われるのは、現在のエコロジーや環境保全に寄せる関心、すなわち開拓に対する全体論的見方というものが意識の歴史のなかに女性らしさを受け入れる姿勢があることを示している点である。明らかに男性らしさがそれほど安定していない文化(したがって逆に男性的な面を誇示する文化)では、新たに女性らしさを受け入れることはなくなり、エコロジーも人々の関心を引くことはないように思われる。」(P.87)
「この傾向はある文化では拡大され、またある文化では縮小されているかもしれないが、どの文化でも必ず見られるもので、しかも根強く存在しているものである。要するに男性は荒っぽい闘争が好きなのである。」(P.87)
「なぜなら男性であることが意味するのは、まさに不安定さ 必要であるのに敵対しなければならない環境に生きるという、存在そのものがもつ不安定さだからである。」(P.88)
「すでに闘わずして女性は心理的脅威であるのに、実際に戦うことによって女性が肉体的脅威でもあることを認めようものなら、男性の自我は完全に崩壊してしまうだろう。というのも男性の自我は、女性が肉体的には「男性よりも弱い性」であるという事実に支えられており、実際に女性は弱いのだと弁明するように言い続ける必要に迫られているからである。言い換えれば、男性はだれもが女性と闘うことを恐れている。なぜなら男性らしさを確立する唯一の方法は、(FF)自分の人生に最初にすべてを包み込んでいた女性的なものから離れ、独立することだからである。もし男性が女性に打ち負かされたなら、男性はもといた場所に戻ってしまうことになる。そして、彼の恐れていた最悪のことは現実となり、彼の自我は、途方もなく強靭でないかぎり破壊し尽くされてしまいかねないのである。(LF)このような恐怖と結びついた、母親とひいては女性全体に対する尊敬のせいで、男性は女性と闘うことが非常に忌まわしいものだと考えるようになっている。尊敬とは恐れを含むものなのである。」(P.88-89)__自我
「高等動物の雄は、アイデンティティを確立するために懸命になって他者との間に距離を置こうとする。」(P.89)__アイデンティティ(笑)
「つまり相手を抹消するのではなく、むしろ自分と相手との距離を確立し、その距離を保とうとするのである。人間の場合には相手が自分の身代わりであるため、この距離は自我からの距離ということになる。後述するように、男性が禁欲主義に駆り立てられるのはこのためである(Eibl-Eibesfeldt, 1970: 314-25)。」(P.89)
「男性にとって重要なのは、闘争が競い合う行為として形式的に整っていることであり(したがって、ある次元では抽象的に分析できるもので)、同時に非常に激烈なものであるということである。テレビでスポーツ番組を観る男性が直後に映像が繰り返し放送(FF)されるのを喜ぶのは、リプレイの映像によって強烈な闘争行為の構造を分析することができるからである。」(P.90-91)__私も大好き。(笑)
絆のパターンと孤独な人々
「男性が絆を形成していく集団は、孤独な人間同士の集団である。男性は、自分が立ち向かっていける者で、自分に対しても立ち向かってくることのできる人間が相手として大切だと考える。つまり、男性は相手がある程度対抗的な姿勢でいると、自分自身の欲求や潜在的な力を思い起こし安心するのである。」(P.92)
「つまり女性は普通、そのような暴力的なやりとりは本当に敵意を込めての行為だと思ってしまうのである。」(P.92)
「環境はいずれも子宮のようにものを包み込む性質のものである。男性は自由を渇望する。」(P.93)
「やや似たパターンは人間にも見られる。ほとんどが男性である大臣たちに囲まれた女性が時には政治的首長として君臨する社会は多いが、女性が政治的ないしは軍事的指導者であることを通例とする社会は皆無であったことから、母系社会というものはこれまで存在したことがないと考えられている(神話のアマゾーンの世界でさえも、想像上の女性戦士たちが統治していたのは、男女両方が住む社会ではなく完全に女性だけの社会であった。」(P.95)
「母系を、あるいは母親を中心とする社会はこれまでにも存在していたし、現に今でも存在している。」(P.95)
「要するに母方のおじは事実上、母系社会では父親的存在になるのである。このような母親中心の社会の痕跡は、西洋では中世に至るまで残っていた。」(P.95)
「長い目で見れば社会や個人をまとめ、保持していく力としては、女性的なものの方が男性的なものよりも重要であり、強力だと言える。他者との間に距離をおいたり、多様性をもたせたり、変化を生み出すといった、生物学的基盤の上に培われた男性の能力は、最終的には男性を消耗させ(FF)てしまうものなのである。」(P.96-97)
「男性は置き去りにされることを欲することが(FF)ある。なぜなら男性のアイデンティティは、他者との距離に関係しているからである。一方、女性は追い求められたいと考える。もし男性が追い求めなければ、女性は興味を失うし、不機嫌になったり激怒したりする場合もあるのである。」(P.98-99)
男性だけの秘密と女性の秘密
「というのは女性には、そのようなクラブを作る差し迫った理由がないからである。なぜなら、第一に、すでに述べたことだが、人間だけじゃなく高等動物の社会の一般的な特徴は「女性(雌性)が相互に緊密な関係をもつこと」であり(Edward O. Wilson, 1973; 19)、すでに社会全体で実施されていることを確実なものとするために、わざわざ特別な組織を作る必要はないからである。第二は、これもすでに述べたが、女性が一人一人、独自の秘密結社になっているという点である。男性が女性に惹きつけられるのもこのためである。ここで生物面、心理面双方で決定的に重要なのは、女性の性器が体内にあるということである。女性の身体は神秘である。なぜなら、女性であることの最大の特徴、すなわち子どもを作る器官はおおむね目にすることのできないものだからである。したがって、ヌードダンス、ストリップショーや単に透けて見える洋服全般に見られる、女性の性的魅力を開拓しようとする試みの根底にあるのは、隠れているもの(FF)をもっともっと見たいという期待なのだが、無論、その期待が完全に満たされることはない。これとは対照的に、男性の性的魅力を同様の方法で開拓しようという試みにはごく限られた魅力しかなく、大抵の人にはただ滑稽なだけに思われてしまう。男性の性器は秘密でもなく神秘でもない。体外に出ている男性性器はだれにでも見え、笑い話のネタになることもきわめて多いのである。陰茎や睾丸がよく笑い話で取り上げられるのに比べて、女性性器が笑い話に出てくることは稀であり、特に子宮が笑い話に出てくることはまず皆無に近い(Grotjahn, 1957: 103)。普通、笑い話のなかの女性性器は、噛みつき、むさぼり、相手を骨抜きにするような女性が男性に及ぼす脅威を示している。したがって、ここでもやはり女性ではなく男性が嘲笑の対象になっているのである。(LF)女性は深い意味で言えば、男性とは対照的に内面性の具現であり、自己所有である。女性は自分自身と内面的に結びついており、他者 彼女の愛人や子ども もまた彼女と内面的に結びついている。永遠の象徴と具現として処女が体現するのは、この内面性と自己所有および自ら自己を所有するがゆえの巨大な力である。それはすなわち処女自らが所有する、処女自身の侵すべからざる秘密の内面であり、それをわきまえている処女は、そこから自由自在に力を引き出すのである。絆によって結ばれた男性グリープもまた秘密をもっているが、男性たちの秘密は女性のものと比べれば弱く滑稽にさえ思われるものである。男性の秘密は人間の手によって作り出された秘密である。それは、男性を女性とは別の独自の地位につけ、女性に対抗できるよう計算して生み出された、女性の本性としての秘密の模倣なのである(Murphy, 1959)。」(P.104-105)
代理闘争
「人間の儀式的闘争で男性は、男性らしさと男性らしさが内包する不安定さに直面するために他の男性と闘わなければならなかった。だからこそ男性の儀式的闘争では、双方が相手を自分の身代わりであると考え、敵味方の間に「親愛なる敵」という絆のできることが多かったのである。」(P.109)
「すなわち闘牛士は、生きながらえたとしても永遠に続く悲劇のヒーローで、勝利を収めた頭上には依然として死がぶら下がっているのである。だからこそ闘牛士は特別な意味で英雄になる。フットボールや野球やサッカーの英雄は別のタイプの英雄である。なぜなら彼らの闘いはすべて儀式的なものだからである。」(P.109)
「獲得しうるものとしての賞品や賞金がなわばりの代替品であると考えるのは、難しいことではない。」(P.110)__戦争も指導者どうしの代理戦争。
「どこの国でも「上」という言葉は優勢、優秀、卓越、圧倒的という意味合いを持つ。」(P.112)__上を向くという意味。
第3章 分離と自己犠牲 ピエタとドン・キホーテ
男性の外面性
「高等動物の雄、なかでも特に人間の男性は、自らの男性的特質を何らかの形で自分の外に見つけ出す。男性的特質は人間の心理にとって一種異質なものであり、内面のものとして完全に取り込むのは難しい。しかし、人間であることは内面から生きるという意味であるから、男性的特質は人間にとって特に深刻な問題になるのである。」(P.115)__どうも西欧的思考な気がする。
「その闘争はいわば法廷でのもので、男性は自分の本当の姿を示す証拠を見せ、女性ではなく男性なのだと証言してくれる証人 自分のところのものではなく、ある程度離れた外的存在 を呼んでこなければならないのである。」(P.116)__自己確証。自己同一性には当然、他が必要。
(アダムとイヴ)「女性が誕生したとき、すでに彼女が必要とする相手はそこにおり、女性は男性が味わったような欠如を味わわないですんだからである。無論、あらゆる意味でというわけではないが、女性であるということの深い意味は用意された状況に生まれ出るということである。ここでもやはりはっきりとわかるのは、男性の不安定さ、すなわち男性が体験す(FF)るストレスのある状況と男性優位とが相互に作用しあう役割をもっていることである。」(P.116-117)__やっぱりこの欠如は故郷喪失性だと思う。男性の不安定さは主観の不安定さ。神話は文化に深く浸透しているので、キリスト教(ユダヤ教)信者でなくても、西洋人には同様の感覚があるのだろう。ただ、それが観念(書物)以上の意味をもっているのかはわからない。
男女それぞれの献身
「これは女性にもあてはまることなのだが、なぜか女性が喜んで死ぬことはあまり重要だとはされない。女性は必要とされていて、死んでしまうには惜しい存在なのである。したがって通常、女性の英雄は異なった形で誕生している。」(P.117)
「ドン・キホーテの女性版はいない。」(P.117)
「現実の女性たちはもっと常識的だからである。しかし、現実の男性は必ずしもすべて常識的であるわけではない。男性であることにはどこか空しいところがある。」(P.117)
「男性であることと女性であることの違いは、単に男性は非女性で女性は非男性だということではな(FF)い。両者の間に見られるのは相容れないもの同士の、つまり肯定的なものと否定的なものとの対照ではなく、対立しているが、どちらも肯定的なものの対照である。しかも男性と女性は、充分に相互補完的ですらない。男性と女性は第1章で私が「非対称的対立」と称したものの一例なのである。」(P.118)__イリイチに似ているが異なる。
「しかし、健全な心理の母親は、子供たちのために自分の保護しようとする本性をどのように開いて自由なものにするか、どのように放棄するかをわきまえている。」(P.118)
「思いを巡らした上で選ばれた自己犠牲はマリアにとって経験の始まりであり、また終わりでもあったのである。」(P.120)
「男性の動因とは、マルスの槍(♂)のように外に向かって攻撃したり、ものごとや環境を変えることによって、絶え(FF)間なく続く男性の不安定さに対処することである。一方、女性の動因は、受け入れ、収容し、保つことである(性交との類似は明らかで陳腐とさえ言える)。」(P.120-121)
「男女のいずれかが心理的にあるいは人間として「より弱い」ということはない。英雄的な手柄をたてることと、勇気づけ恐怖から守ること 男女それぞれの典型的な役割によって、男女は異なった形で自分自身の枠を越える。」(P.122)
「つまり妻にはできないやり方で夫は妻を理解し(妻には夫が理解しているのがわかる)、その結果、夫に対する妻の理解は夫自身よりも深いところに届くのである(夫には妻の理解が自分のものより深いことがわかり、妻には夫が理解していることがわかり・・・という具合に意識的に測ることができない深みまで、この相互作用は続いていくのである)。」(P.123)
極限に至る男性の危険
「つまり女性同様、男性とは女性の産物なので(FF)ある)。」(P.124-125)
「つまり飛び降り競技は、男性が自分の心理的環境、すなわち自分が直面した通りの世界に対抗しようという、ジェスチャーの一つなのである。」(P.125)__成人式は男性のみ?
「木の高いところに登ることで男性が自らを誇示するという場面も思い出される。」(P.126)
「この理由の一つは明らかに、女性は男性の自我が強くなると非常に満足するからである。それは母性的な満足感の場合もあり、屈折した満足感の場合もある。また男性を嘲笑するような満足感の場合さえある。」(P.126)
「前に言及した中国の諺のように、女性は常に静けさで勝(FF)つわけである(くどいようだかこの静けさというのは、単純な受け身とはまったく異なるものである)。」(P.127-128)
声や身体で示す虚勢
「このような文化では儀式的闘争が男女双方の人格構造を決定することが多く、その可能性は高度技術の文化の場合よりもはるかに高いと考えられる(Ong, 1967)。」(P.131)
「カバイル属では、男性が安全で静かな自宅で時間を過ごしすぎると、人々はその男性が男らしいか疑うようになる。このような男性らしさを誇示する行為も、外国人から見れば単に怠け者が無意味にぶらぶらしていることになってしまうかもしれない。」(P.131)
「カイバル族の男性や、似たような状況にある男性たちがこの種の解説に賛成するとはとても思えないが、養育に頼ることを認めるのが難しいのは、程度の差こそあれ、あらゆる文化の男性につきまとう問題の一部である。」(P.132)
「つまり、称賛の言葉は、彼らにとっては称賛の形にカモフラージュされた養育だからである。」(P.132)
「このように自慢は複雑な行為であり、どちらかと言えば徹底して男性的な行為ということができる。」(P.133)
(カンタベリー物語のバースの女房)「彼女が自分の身を任せたり関心を寄せたりしているのは、ただ単に自分自身でありさえすれば相手が払ってくれる敬意である。」(P.134)
男性であること、闘争、分化
(P.136)__女性の優先。男性のストレス。ユダヤ教的。
「例えばアリストテレスを初めとする人々は、女性は不安定な、あるいは欠陥のある性だと考えた。これとは反対に、女性よりも男性の方が優れているという感じは、成長過程のある時点で普通の少女にも見られる少年になりたいという願望を生み出す。男の子みたいに私にも何かもっと起こればいいのに、と少女は考える これがお転婆の時期である。」(P.137)
「以上のように考えると男性であることは、人間が完全に満たされていない存在であることと同時に、人間には潜在能力が、すなわち不充分さを越えていこうとするある種の能力があることを証明しているのがわかる。」(P.138)
「人間の男性は心理的には女性に永久に依存している。」(P.138)__母に嫌われること、母を失うこと。女性にとっても大きなものか。しかし母は死ぬ。
「女性に由来する心理的力は無意識の領域と結びついていある。それは性格としては女性的であるため、男性にとっては「他者」のようなものであり、女性が感じる以上に男性にとっては異質なものである。ここでも男性であることが意味しているのは分化、すなわち自分自身の無意識、意識よりも前からあった無意識からの分化である。意識の起源は女性的なものだが、意識は無意識から分化することによって発生したので、男性的な性質を持っている(Neumann, 1954: 121-122, 143-44, 315-20)。」(P.139)
「すなわち、脅威や危険は男性が求めるストレスや、自分の男性らしさや不安定さに対処する能力を示す機会を提供するからである。」(P.139)
(P.140)__生物学に逃げている。
第Ⅲ部 過去、現在、そして未来
第4章 学問や知的活動の闘技場
学問における闘争の伝統
「彼の言う敵意とはどんなに激しいものであれ基本的には儀式的なものであり、学校教育という少年の遊戯の多かれ少なかれ一部と見なされていたことは、彼自身わかっており、また彼は私がそれを理解することもわかっていた。」(P.144)
「しかし、新しく一般的になった状況は前よりも危険なものであった。すでに儀式的闘争は、若者たちにとって自分を試す方法になっていた。そのような闘争が機能しなくなったとき、徹底した敵意は一般に広まることができるようになったのである。大学のキャンパスはすでにそうなっていた。学問の世界は、妥協なしの対決という新しい神話に取り憑かれ、その神話はどこででも力を発揮するわけではなかったが、その神話があることはいたるところで感じ取られた。新しい神話によれば、学生にとって教員は友人であるか無であるかのいずれかなのである。」(P.145)__大学紛争。私もそう思っていた。
「論争的な状況は、真の賢者が修養によって獲得した礼節や静謐とは相容れないものだと見なしていたからである。このため中国文化は、他の分野では素晴らしいものを築きあげたが形式論理学が発達することはなかったのである(Oliver 1971: 84−89; Levenson, 1964-1966: Ⅰ, 9-14, Ⅱ, 90-99; Richardson, 1960: 240-42)。」(P.147)
闘争的認識形態の口承的起源
「彼らは主として論争することによって学科の内容を学びとっていたのである。」(P.148)
「(古代の人々が得た情報は今と比較すれば乏しく、まとめるのが難しかったため、抽象的な客観論を古代人は理解できなかった)。」(P.148)__ここが私と違うんだろうな。今の文字(あるいは画像・映像)」で表す(表わしうる)情報が実在とどれだけ違うか、そこ。文字や画像でそのものを「知った」と思う感覚が問題なのではないか。「抽象的な客観論」という言葉そのものが何を表しているか。古代人とたしかに違っているだろう。でも、それが「進化」の本質。決して近現代人が古代人よりすぐれているわけではない。視点・思考方法が違っているということ。それこそが近代の批判ではないのか。
「すなわち論争とは古代の人々の口承による認識という営みで培われたのである。知識を蓄えたり引き出したりする際の口承形式は、あらゆる国の文化と共通するものを多くもっている。」(P.149)
「知るという行為には記憶が必要なのである。しかし、口承文化ではある事柄をまず定型化し、それを後から記憶するという方法では記憶は保てない。言葉は、それ自体が記憶できる形になっていない限り、一度口にされると消えてしまい、二度と戻ってくることはない。つまり記憶するために戻ってくるものは皆無なのである。ホメロスが述べたようにまさに話し言葉には翼が生えており「飛び去っていく」のである。換言すれば口承文化は知識を記憶用の定型にはめ込んだのではなく、記憶用の定型でものごとを考えたのである。それ以外にうまく進む方法はなかった。口承文化は、ありとあらゆる種類の諺や格言を奇妙にも好んだだけでなく、そういったものに全面的に依存していたのである。決まり文句は思考を形成する。すでにわかっている事柄をたえず繰り返すのは、主要な認識作用である。」(P.149)
「他の競争相手はだれもその語り手ほどうまくは語れない。他の者たちもその物語を口にすることはできるのだから、語る内容そのものは重要ではない。重要なのは、どのように語るかなのである。」(P.150)
「詩集は物でしかないので、著者が没して初めて闘争に加わることができるようになるが、その闘争も生きている演技者どうしの闘争とは明らかに異なるのである。」(P.150)
学問の世界における口承性の名残り
「試験はすべて口頭での討論、ないしは準討論形式の口頭試問であった。」(P.153)
ラテン語文化との関連
「学習ラテン語の習得は、ルネサンス期までには 実際、ルネサンスに先立つ数世紀もの間 この種の思春期儀礼の手段として一番ふさわしいものとされるようになった。第一にラテン語は少年たちを家庭から出して部族へと移動させる働きがあった。」(P.158)
「なぜなら、それぞれの土地の土着語には学問的な問題を論じるのにふさわしい語彙や意味内容と記号を結びつける記号論的体系がなく、ラテン語で論じる以外に良い方法がなかったからである。(LF)第二に、ラテン語の習得は思春期儀礼の特徴である肉体的苦痛を伴う状況のなかで進められた。ラテン語教育には体罰がつきもので、それも偶然ではなく教授法のなかに含まれて定期的に行われるのだった。」(P.159)
「加えてラテン語の学習過程の内容そのものは、思春期儀礼の困難な状況や闘争的な授業形式とおおむね同じ性格のものだった。少年たちがラテン語で読まされたのは暴力がいっぱいの叙事詩や歴史、勇猛な行いの物語であり、ある論者が他の論者に対抗する弁論も含まれていた。」(P.160)
「すなわち、規律と力を獲得するためにラテン語を学ぶ学生たちは、いまや困難な状況で学んだり他の学生の真似をするかわりに自分自身に暴力を振るうようになったのである。」(P.160)
「卒業生たちは思い出話をすることで、思春期儀礼を見事に修了したことを自分に言い聞かせているのである。」(P.161)
「闘争的なものは分析的で新しい分野を開拓する(すなわち男性的)左側の脳に属す。また、闘争性が弱いか皆無のものはもちろん包括的(女性的)と言えるのである(Gardner, 1978)。」(P.162)
「西洋でラテン語学習を通じて形成された男性同士の絆の類型は、他の文化にも見出すことができる。なぜなら、より広範囲に及ぶ他の文化のほとんどで、書くことが文化に充分浸透すると、その文化はやはり誰の母国語でもない、学習用に男性だけがある程度強制されて習得する言語をもつようになるからである。たとえば古典中国語、サンスクリット、古典アラビア語、中世のラビが用いた後期ヘブライ語等である。(Ong,1977a: 22-34)。女性にとって、そのような言語を学ぶことはおよそ魅力のないことで、そのような言語を学ぶと逆に女性として無能になってしまうと考えて遠ざかるのが普通であった。日本の優れた女流作家、紫式部(九七八?生)は、漢文を習う兄の脇に座って漢文を学んだが、少年でさえ漢文ができると嫌われるときに、まして少女の自分が漢文ができると言えば嫌われるのが確実なので誰にも言わなかったと日記に記している。そこで彼女は『源氏物語』を大和ことばで書いたのである(Murasaki, 1935: ⅶ)。」(P163)
闘争的教育から共学へ 根底からの改革
「学校に行くことよりも面白く、役に立ち、しかも報われることで自分たちの時間はいっぱいなのだと女性が考えるのは、難しいことではなかったのである。男性もほとんどは学校教育に特に積極的というわけではなかった。」(P.164)
「元来は男子のためのものであった学校に女子が入るのとほとんど時を同じくして次のようなことが起こった。一,ラテン語はまず最初に授業で使われなくたり、次には必修科目でさえなくなった。二、闘争的で命題を中心とした教授法は、より闘争性が弱い教授法に替えられた。三、人々の間でやる口頭弁論や口頭試問のかわりに筆記試験が行われるようになった。四、もちろん、体罰は最小限度に抑えられるか、まったく廃止されるようになった。」(P.165)
「また、原因ー結果といった直接の関係にあるかどうかさえ疑わしい。しかし、ここで重要なのは、どれが原因でどれが結果か、あるいは原因・結果の双方であるのはこれこれだと言うことではなく、それぞれの出来事は孤立しているのではなく密接に関連した現象だということだけである。」(P.166)__文字による思想=思考の対象化。口承の減少。女子の学問化。結局女性の男性化に結実した。女子の学問化=男性化と、学問の女性化。オングの考えが正しいとすれば、男性が男性化することを放棄することはありえるか。女性が男性化する必要はない。
「体罰はここでは闘争的な構造の学園生活の一部でしかないが、低学年では体罰はおそらく学園生活そのものだったのである。」(P.166)
「ただ、マーガレット・モア(聖トマス・モアの娘)やエリザベス一世のように家庭教師等からラテン語を習った女性もごくわずかだがいる(ラテン語が学問の世界を支配していた数世紀の間、女性は読み書きができたが、それはラテン語を知らない商人等と同じく母国語の読み書きのことであった)。」(P.168)__日本では漢文(漢語)
闘争的構造の再編成
「つまり、女性に比べて男性の方がはるかに大きな声で、しかもはっきりと聞き取れるように話すことができたという理由である。古代ギリシア・ローマ時代のように学校教育が全般として公の話し手、すなわち雄弁家を養成することを目的としていたとき(口承の伝統が続くかぎり、これが絶対目的とならざるをえなかった)、優秀な成績を修めるための鍵は大声であった。」(P.171)
「女性の金切り声は遠くまで届くが、明晰な発音で聞き取れる演説はまた別問題である。口承文化では小さなグループのために女性が民話を実に巧みに生き生きと語ることが多い。」(P.172)
「テレビ世代の第一陣は一九六〇年代に大学のキャンパスに押し寄せたが、彼らは父親や祖父の時代まで何千年と続いて雄弁が概してどのようなものであったのか、雄弁と足並みを揃えていたかつての教授法がどのようなものであったのか、見当もつかなかったのである。」(P.174)__日本の学生は雄弁に論争した。
「敵意が大勢を占めてしまうと話し合いは終わり、当事者たちは訴訟を起こすか、相手を象徴的な意味で「切る」、すなわち相手との関係を断ち切るのである。」(P.175)
「母親の胎内で女性ホルモンの脅威にさらされることから始まる男性の個体発生は、基本的に不安定な状態にあり、男性の系統発生の不安定さとも合致している。」(P.175)__根拠のなさ。擬人化。
「男性は自分の立場を守るために、女性は「か弱い性」であると吹聴する必要があると考える。「か弱い性」とは基本的に(FF)は儀式的闘争をすると弱いということであって、それ以上の意味はない。なぜなら儀式的闘争以外ではおそらく女性の方が男性よりも強いからである(無論、儀式的闘争が意味するものが非常に重要なものであるのは、これまで見てきたとおりである)。(LF)西洋の学問の世界や知的環境を確立した、古代の口頭による闘争性と修辞学の優勢は、まさにこの不安定さに対処するための手段であったと私は指摘したい。これと同じ観点から言えば、古代に学問の世界そのものを作り上げてそれを支配した営為もまた、同様に不安定さに対処する手段であった。学問の世界では論争があらゆることを決定したとか、古代の学問の世界の論争的雰囲気ではあらゆることが男性の不安定さと儀式的闘争に還元される可能性があるなどと言うつもりはない。言いたいのは、ただ、討論を絶対視する傾向と学問の世界の多くのことが、男性の不安定さや儀式的闘争に直接に、また間接に、そして往々にして密接の関連していることがあるということなのである。たしかに過去の学問の世界の事実上全てのものが、男性の不安定さと儀式的闘争に関連しているのかもしれない。しかし、「・・・に関連している」というのは「・・・が原因である」とか「・・・に還元できるという意味ではない。「・・・に影響された」という意味のこともあるのであって、本書の考察が意図しているものは「還元論」ではなく「関連論」を目指すことなのである。」(P.176)
「本書で挙げている考察は限られたものだが、その主たる目的は、闘争的構造の存在と意義について注意を喚起し、無意識の歴史に注目することなく、単に意識の歴史として教育史をまとめることには無理があると指摘することである。思春期儀礼と儀式的闘争と男/女の弁証法は、いずれも意識と無意識が出会う現象であるため、それが学問の世界で再現されるなら注目に値する。」(P.176-177)
新しい状況
「多くの人々が考えている以上に、学園の危機と婦人解放運動は密接に関わっており、同時にその関係はより深いところに潜んでいるのである。」(P.177)
「これらの動きをもって、男子の思春期儀礼としての学問の世界は消滅した。これが共学化によって始まった動きの帰結だったのである。いまや家庭で男女が共存するという環境は、そのままとぎれることなく成人の段階まで引き継がれていくようになったのである。」(P.178)
「というのは、闘争的な要素をもつ抽象概念は、無意識の領域を完全に意識的なものに変えようとする男性化運動の産物だが、ロマン主義もルネサンスもその抽象概念とは別のものを学問の対象とし、具体的な人間の生活により注目しようとする動きだったからである。ルネサンスもロマン主義もそれぞれ独自の形で闘争的なものから離れようとする動き(逆説的なことだが、この動きは歴史的に客観的な思考を生み出す働きをした)と、自己の完成をますます目指すような動きを見せた。自己を完成させることは、男性の心のなかにあっても元来は女性固有の目的である。」(P.178)__存在そのものを表す。「女性固有」がわからない。
「第一に、一九六〇年代の学園紛争は学生対教師の闘争というよりは、むしろ学生対大学当局の闘争であった。」(P.179)
「第二に、一九六〇年代の教授陣に対する批判が、教員あるいは管理者としてのそれぞれの行動ではなく、個々の教員の主義主張を争点としていた点である。」(P.179)
「第三に、教師自身が専門とする科目についてその教師と学生が討論すれば、学生は負けることを覚悟しなければならないという事情があった。」(P.179)
「第四に挙げられるのは、学問の世界そのものが学問的理由からではなく社会的不正であるとして攻撃されることが多かったという点である。この点から言っても、闘争の場としての学問は無視されていたのである。」(P.180)
「五番目に挙げられるのは次のようなことである。」「これとは対照的に、一九六〇年代に(全員ではないが一部の人々によって)提案された新しい闘争構造は、かつての闘争とは別種の革命的なゲリラ戦であり、高度な思想闘争だったかもしれないが、論争とか儀式闘争ではなく命にかかわるよう意図されていたのである。(LF)第六の点は、「妥協の余地なし」という要求を推し進めることはそのまま、少なくとも表面的には、意見交換の規則に従う形式的な話し合いに対する批判であった。」(P.180)
「つまり、テレビでスポーツを観戦することは、儀式的闘争を家庭という安全ですべてを育んでくれる女性的環境に(しかも、闘争的であると同時に客観的な解説者の発言付きで)持ち込むことなのである。」(P.181)
(P.182)__思春期儀礼は文化(社会ではない)に入るためのもの。女性には何故無いか。社会は女性的?それに対して男性は闘争しなければならないか。
第5章 今日の諸問題
「というのは私たちが忘れてはならないのは、意識の進化とは、意識的に計画されたり方向づけられたりしたもののことではなく、むしろ無意識のうちの変化が結果的に意識を意識それ自体や意識を取り巻く世界に向けさせることを意味するからである。」(P.183)
「報告されたケースのうちでは、それほど成功していない人々の場合だけ競争心と成功との相関関係が見られる。つまり、それほど優秀でないなら、競争心をもてば並の成功に到達する助けにはなるということである。また、優秀であるなら競争心は成功の妨げなのである。」(P.185)
スポーツ観戦
「ソクラテスが『弁明』の終わりで述べているように、古代ギリシア人はオリンピックの勝者をもてはやし、ローマ人はコロセウムでの残虐でむごたらしい闘技を熱狂的に観戦した。しかし、このように関心をもっていた者のほとんどは都会の人間やごく限られたグループの人々で、一年を通じていつも関心をもち続けているわけではなかった。これとは対照的に今日の観戦者や視聴者は、いつでもどこでもスポーツに熱中しているのである。」(P.187)
「実際、世界中の何百万もの男性が会話を続けるのにスポーツ以外の話題を考えつかないといったありさまなのである。」(P.187)
「五万人をこす観衆を前にして、グラウンドで最高学府同士がフットボールで徹底的に戦い抜く このような場面をもしエラスムスが見たなら、彼は途方に暮れたに違いない。」(P.188)「つまり、学問の世界で意図的に仕組まれた闘争は、教室や弁論大会から運動場へと闘争の場を移したのである。」(P.188)
「ホメロスからモハメド・アリに至るまで男性の儀式的闘争の特徴であった冗談と口論は、あらゆるスポーツの世界に引き継がれ、口述性と闘争性が依然として結びついていることをはっきりと示している。」(P.189)
「スポーツ その他、法律や政治など闘争性が明らかに高い分野にも に参加するようにというプレッシャーが女性に強まった結果、女性の不安定さの度合いが増し、男性の不安定さを思わせるようなものになりつつあるという証言もある(Bardwick, 1971: 177-87)。」(P.190)
「アメリカの地域ごとの高校女子バスケットの試合は、選手の家族が中心だがかなりの規模の観客を集めることが可能だとわかっているが、成人女性の団体競技は、試合ぶりの見事さと盛んな宣伝にもかかわらず男性の団体競技と比べると、男女いずれの観客動員数もはるかに及ばず、将来動員数が増える見通しも立っていないようである(女子のプロ・バスケットについては例えば『ニューズウィーク』誌、一九七九年二月一九日号、五五頁を参照)。」(P.191)
「すなわち、大部分の写真は完全に絶望的な瞬間を、しかもそれが暴力によって決定的になった瞬間をとられていることが多いのである。そのような瞬間を作り出したり大切だと考える女性はあまりいないし、男女を問わず他の場合なら女性を支持する人でも、もしそのような場面に立ったら女性を支持したいとは思わないであろう。団体競技の報道で通常用いられる戦争用語は、どんなに温厚な父親であれ自分の父親のイメージと重なり合わせるもので、母親のイメージとはどうしても重ならない。このような状況の起源は、社会生物学的に見た過去のあまりにも広範囲な、かつ深いところに存在しているので、過去を意識する人間が何ら大きな変化を見つけたいと思ってもそれはほとんど不可能である。」(P.191)__社会生物学で人間を見る。歴史の取り違え。生物の歴史を人間の意識の歴史としている。
「フィギュア・スケート、体操、ゴルフ、テニス(ダブルスの場合もあるがそれ以上の人数になることはない)等の個人競技の多くや、またトラック競技でもある程度まで、選手の体の動きにはダンス競技の場合のように劇的要素が加えられるようになる。そのような種目には女性選手が多く参加するようになり、その女性選手たちは多くの観客を動員することができるのである。」(P.192)
「しかし、もっと重要なのは、男性の観客や記者が男性固有の性格として統計上の抽象的な数字を振りかざしている点である。つまるところ、スポーツとは男性の世界なのである。(LF)また、抽象化は、この言葉の厳密な意味でもっとはっきりと姿を表す。映像を放送したすぐ次の瞬間に再度放送するという、テレビで可能になったリプレイである。その結果、観客は動きを再度分析し、攻め方の動きに見られる抽象的な計画をより正確に把握することができるようになった。」(P.194)
「それにもかかわらず、男性主導の闘争の場から生まれた抽象的な数字には、蓄積されるとその場の闘争性そのものをある程度まで中和させる働きがある。というのは抽象化は「客観化」することであり、個人の枠を越えることだからである。」(P.195)__Nota Bene!!
「口述性と闘争性とをもったかつての文化のいずれもが、このように競技場の闘争に半分関わっているような抽象的な状態を作り出すことはできなかったであろう。このような状況が誕生するには文字と活字の世界が必要であり、さらに成熟させるにはコンピューター社会が必要だったのである。」(P.195)
政治
「その変化とは、技術化がそれほど進んでいない文化が高度技術に近づくにつれて起きるもので、本書の観点から言えば元来の口承文化から始まり、口承性をかすかに留めるだけの文化 政治問題を主として「善人」と「悪人」に振り分ける文化 を経て、分析的かつ「客観的な」方法で事実に関する膨大な知識を蓄積することをより重視する文字ー活字ー電子技術文化の思考へと移行していく動きに認められるものである。」(P.196)
「ただ、実際には言葉にはっきりと出せる「客観的」な姿勢の水面下に、非常に強い闘争性が存在しており、表現できない無意識の力が常に作用を及ぼし続けているのである。」(P.196)
「自己批判は個人的なものを、書くという行為が生み出す「客観的な」分析に委ねることである。」(P.197)
「カストロの演説は「読まれることより、むしろ聞かせるつもりで準備された」もので、聴衆は演説の場にいるというだけでなく、「演説そのものを構成する要素であった」。」(P.198)
「カストロはそれら数値を「客観的な問題」と称すが(Castro, 27)、この「客観的」という単語は人間の枠(FF)を越えた、なんとも表現しがたい事実を示し、「問題」という単語は血の通った、人間の世界、すなわち葛藤や闘争の世界を示しているのである。カストロは両方の世界に足を踏み入れていたが、言葉中心に動く人間の実生活にあまりにも隷属している自分とキューバとを開放したいと願っていた。ハヴロックの研究に見られるプラトン同様(Havelock, 1963)、カストロはキューバ国民たちに原始口承文化やその後の文化の人々よりもしっかりと、知識と知識の持ち主とを区別してほしいと考えたのである。」(P.199)
「このような視覚による新しい認識形式と古くからの口承伝統との混在は、今日のいわゆる第三世界を初めとして他の技術革新を進めている社会ではどこでも見られる現象である。」(P.200)
「カストロの演説と同じ頃、毛沢東は新・旧文化を独自の方法で組み合わせ、それを通じて口承性を色濃くもっていた中華人民共和国の民衆を文字と技術の文化へと導こうとしていた。民衆が口承文化から脱するのを促すために、毛沢東は彼らに自分の「言葉」を集めた『語録』を配布したのである。」(P.200)
「国民全体に標準語である北京語を習得させるという目下の課題が達成されれば、これらの問題も解決するだろう。というのは、中国語のいわゆる「方言」の多くは発音しても違う方言の人とは理解しあえないが、一度、国民全体が同じ言語を話せるようになればアルファベットの導入も可能になるし、実際そうなれば導入されるのは確実だと思われるからである。」(P.201)__漢字がもつ意味はもっと別(重い)。
ビジネス
「今日に至るまで、かつての封建秩序の代表者であるイングランド王ないし女王は、ロンドンの中心部であるシティーに足を踏み入れる際に必ずシティーの市長(ロード・メイヤー)の許可を得なければならないことになっている(Dempseym 1943)。」(P.204)
キリスト教信者の生活と礼拝
「キリスト教を少しでも深く理解しようと思ったら、意識の歴史にある程度具体的に触れなければならない。キリスト教の教会は、基本的には教義の体系でも「制度」でもなく、ある記憶を共有する共同体である。「これを私の記念として行いなさい」というのが聖餐を定めたイエスの言葉であり、以後この言葉は聖餐式が行われるときには必ず繰り返され、その数は十億回をかるかに上回り、今日でも続けられているのである。教会はナザレのイエスを知っていた者たちの証言によって、すなわち記憶を共有することによって成立し、その証言を引き継いで証言する人々によって教会は生き続け、今日でも生き続けているのである。」(P.207)
「キリスト教信仰の特徴である共有された記憶には、すでに前段階として、選ばれた民族として神は自分たちをいかに扱ったかというユ(FF)ダヤ人の記憶の共有があった。本質的に記憶に根ざしていることを特徴とするユダヤ・キリスト教の伝統は、他の宗教伝統とは異質なものである。」(P.208)
「記憶は生きている。記憶は真の時間の内に生きるものである。記憶は常に自らを解釈しなおし、現在と結びつこうとする。そうしなければ記憶は存続しえないのである。」(P.208)__現在の記憶にリアリティはあるのか。
「すなわち、人々は記憶し続け、記憶されているものを生き生きとした状態に保たなければならなかったのである。」(P.209)
「最初の文書からヨハネの黙示録に至るまで、聖書はより深い次元では平和を伝えるものであったが、表面的には地球上での人間の生活を、男性対男性の霊的葛藤ないしは戦争というパラダイムで(無論それだけではないが)繰り返し表わしている。このような闘争的雰囲気のなかでサタンという概念ははっきりとした形をとるようになる。サタンという名は反対者を意味する。」(P.210)
「この学問的なラテン語は家庭とは無縁の言語で、明らかに男性用の言語として特定の性に結びつき、古代からの闘争的精神構造と思考(FF)形態を伝えてきた。」(P.210-211)
「実際、教会は自らが保持する真理に対する理解をさらに鋭いものとするために異端者(反対者)を必要としていたのである。これは、あらゆる知的活動は本質的に闘争性を帯びているという学問の世界での仮説を、別な形で示したものである。」(P.211)__社会主義国の文書・政治
「教会は性と結びつけて定義されている。すなわち、人間の心理にとって教会は常に女性的なものであり、聖なる母である教会とされる。」(P.213)
「受肉において、イエスは通常の性的交渉なしで誕生し、したがってイエスには人間の父親がいなかった。このことが意味する最大の恩恵は、一人の女性が自由意志によって全面的な効力をもつ受諾という選択をし、その女性の選択を通じて、人類自身の救済における人類の絶対的な自由が保証されたということなのである。」(P.214)
「神の使いがはっきりと「あなたは身ごもる・・・」と言っているこ(FF)とからわかるように、まず最初に神の意志があったのだが、神の意志はマリアの意思を強制してはいない。「あなたは身ごもる」という言葉は、全知の神が予知していることを示すが、強制していないことは明らかである。なぜならこのくだりのクライマックスはマリア自身の承諾という行為だからであり、この行為によってマリアに示された神の意志は内面に浸透し、自由意志のもとに神の意志はマリアの意志となったのである。」(P.216)
「キリスト教の教えのなかで、神の予知と人間の自由との相互関係を説明するいかなる説が考え出されようと 実際、そのような説はごまんとある 、この聖書の一節から、マリアの答えが神が自由に考えられた計画に対する自由な回答であったことがはっきりとわかる。」(P.216)
「なぜなら、マリアがしたのと同じことをする道は男性にはなかったからである。受肉における自由とは、人間の選択に依存しているかぎり、女性の選択に委ねられねばならない自由であった。」(P.217)
「息子も娘も、父親と叩きあうのと同じ調子で母親とやり合ったりはしない。息子も娘も、母親とは身体的にも心理的にも結びついているからである。」(P.218)__その関係が崩れてきている。男女が「同じ」だとされれば、母と子、子と母の関係は、父と子との関係と同じになる。
「このように(全面的にではないが)生物学的な意味から言えば、神は男性である。神は自然ではない。母なる自然というように、自然は女性である。私たちは自然から発生して成長する。私たちは神から発生して成長するのではなく、また神のいかなる配偶者から生まれて成長するわけでもない。神には配偶者も子孫もいない(だからこそ神は厳密に生物学的な意味で男性とは言えないのである)。私たち人間は神の被造物、すなわち神によって創られたものである。私たちは神から生まれて育ったわけではないのだから、私たちが個人として存在するために神から切り離される必要もない。」(P.219)
「つまり、決して受け身なのではなく、自由意志に基づく積極的な選択である。このような自由選択、すなわち自由な答えがあるからこそ、女性は「静けさ」 受動的になるのは、意志のない人よりも下等な動物の場合である を内面にもっていながら男性にとって魅力的なものになる。そして、この「静けさ」ゆえに中国の諺によれば女性は常に征服する。なぜならこの静けさは力の証だからである。」(P.225)
「しかし、自由意志で自分の身を死に委ねる際に、父なる神に自由意志で従うことによって勝利を収めた点で、イエスと竜退治の英雄とはまったく異なっている。イエスが男性であることは疑問の余地がないが、イエスには大抵の男性がもっている不安定さがそれほど見られないのである。」(P.226)
「すなわちイエスは、男女を問わずすべての人間一人一人にとっての個人的な友であり、実際の歴史のなかで個人的な交わりをもつ存在なのである。」(P.226)
「しかし、生物学の次元から社会・認識の構造に至るまで脈々と存在している闘争性に、キリスト教の教えがいかに深く複雑な形で関わり、含まれているかはおそらく充分示すことができたと思う。古代の論争を継承した神学研究の様式は、第4章で述べたように生物の進化に起源する意識の進化を源としている。しかしキリスト教精神に見られる闘争性は神学の形式以上のものであり、教義が到達しうる最高のものを含んでいるのである。」(P.230)
「キリスト教は平和を切望する。しかし、それはキリストの平和であり、闘争とか禁欲主義、闘争に向けての訓練に結び付けられた平和である。なぜなら愛情ゆえに続けられる闘争を通してのみ平和は確実なものとされるからで(FF)ある。」(P.230-231)
第6章 闘争と内面化
闘争の可変的背景
「ただ、生物や認識の歴史の一部を通して闘争の歴史をたどることによって、さもなければ見落とされてしまう人間の実存の特徴に効果的に注目できるというだけのことである。」(P.232)__オングにとって歴史とは何か。
「たしかに男性の闘争心や不安定さは、過去にそうであったのと同じくらい社会に対し影響を及ぼし続けるのだろうが、これまでとまったく同じ形で社会に影響を及ぼすことはないと確言することはできるだろう。」(P.233)__確言できないことが確言できる。
「人間の意識の出現と同時に、闘争の方法は生物学的次元においてさえも変化し、しかもその変化は人間の間にとどまらなかった。人より下等の生物の場合でさえ、人間の意識は、何千年にもわたって闘争が遺伝子決定に影響を及ぼす際に関わってきた。」(P.233)__(近代)西洋人の思考方法で見たときの進化論。
「人間の闘争は、いかに生物学的な基礎をもっていたとしても、事実上、人間の意識と常に関わっている。すなわち人間特有の精神生活のなかでこれまでのことを振り返ったり、これからのことを考慮する要素と関わっているのである。人間は闘いに飛び込むだけではない。闘いを企てもするのである。」(P.134)
「しかし、このような人間の考え(FF)ようとする意識の動きは生物学的次元を超越してしまうというよりは、むしろ生物学的側面と相互に作用しあっているのである。」(P.234-235)
暴力から内面性へ 小説の場合
「今日では貴重な基本的研究とされているエーリッヒ・カーラーの『小説の内面性』はヘーゲルの洞察を援用した研究で、時代を経るにしたがって小説の語りが外面的な出来事から人間精神に密接な出来事、ないしは精神の内面の出来事へといかに焦点を移行させ、ついにはジェイムズ・ジョイスの『ユリシーズ』や『フィネガンズ・ウェイク』といった作品を生むに至ったかを、きわめて詳細に記している(Kahler, 1973)」(P.236)
「同様にオルテガ・イ・ガセットを初めとする人々は、西洋の絵画や他の芸術にも内面化が進んでいると指摘している(Ortega y Gasset, 1956: 99-120 特に 104)(LF)いわゆる「物語の内面化」は、言語化の様式に関連するある種の闘争的構造が減少したことと同時に進行した。というのは物語の内面化は、文学において口承的性格が減少し文字が一層の主流となっていく動きと一致していたからである。」(P.236)__自己の対象化によって生じた。
(P.237)__女性の戦うヒーローはいつできたか。
「それから七世紀ほどがたって、初めて意識は、小説を生み出すのに充分なまでに活字の作り出す沈黙の世界を自分のものとすることができるようになった。」(P.239)
「小説は男性的な闘争の内面化にはほとんど興味を示さず、かつての中世のロマンスと同様、男性が著者である場合でさえ概して女性読者のために書かれていたのである。また、小説は女性によって大量に生み出されるようになった、最初の主要な言語芸術でもある。」(P.239)
「小説の閉ざされた世界とその世界に付随するものが読者の人気を集め続けたのは、近代精神が女性的なものに対する強い負い目を明らかにもっていることの動かせぬ証である。」(P.240)
「例えば西部劇やテレビの推理ドラマのように、露骨な男性的闘争を中心とする物語は、今日では衰退の道をたどっているのが普通である。なぜならそのような作品を、古代口承文化の闘争物語が伝えることができたような、心理の深刻な問題を伝える作品に作り上げることは、今日ではもはや不可能だからである。」(P.240)__Nota
競技と学問の内面への転換
「当時は社会学、経済学、文化人類学といって発達した学問がなかったので、焦点を絞って、比較的に抽象的な形式で問題点を伝えるためには、演説が最良の手段とされてることが多かったのである。」(P.242)__だれか、社会学、経済学、文化人類学ぜんぶを分かる人がいるのか。
「歴史叙述における結果は叙事詩におけるものとほぼ同様であり、闘争的英雄と悪玉、あるいはそのいずれか一方が頻繁に現われ、女性はほとんど登場せず、心理の機微よりも人々の具体的な動きの方が優勢を占めていた。聖書には顕著な内面性が導入されているが、先程も述べたように、初期の文書よりも後期の文書の方がはるかに内面的である。」(P.242)
「すでに述べたように、男性はすでに誕生する以前から生存のために「環境」と闘うように仕向けられている。このように男性が心理的により安定し、闘争がより不必要になるにつれて、男性は、歴史形成のために以前ほど意識的に男性らしさを誇示する必要がなくなり、人生そのものも、男性の儀式的闘争の連続として捉えられる必要がなくなったのである。」(P.243)__よくわからない。
「今日、初期の口承による発達段階にある子供たちが、歴史を分析的に説明されるよりも、闘争として説明されるのを好むのはこのためである。」(P.244)__発達と発展、進化を同列に考える。その先にあるのは文化の死か?
「E・M・バースはその素晴らしい著書のなかで、形式論理学でさえも人格的、対話的世界の一部であり、そこから完全の分離することは決してできないことを証明した(Barth, 1974. 出版予定の Barth and Krabbe も参照)。こうしてバースは形式論理学そのものがもつ「距離」を内面的で、個人的な意識に結(FF)びつけたのである。(LF)本書は明らかに今日非常に多くの思想の分野の特徴となっている、同じ内面化の運動の産物なのである。」(P.244-245)__N.B.
闘争、意識、自我
「闘争の起源はヒト以下の生命世界、すなわち私たちの遠い生物学的遺産であるが、闘争は他の生物にとってよりも人間にとって重要なものである。なぜなら、闘争は「他者を設定すること」に結びついているからである。」(P.245)
「人間の意識がもつ閉鎖性は、反省するという人間の性格、すなわち自分で自分を振り返るという行為ができるという点に一番はっきりと見られる。この反省するという性格があるからこそ、人間は自分のことを「私」と言うことができるのである。なぜなら、「私」とは人間がもつ自己意識によって自分自(FF)身を名指すものであり、またそれ以外に自分自身を名指す方法がないからである。「私」には名前がない。」(P.245-246)
「私自身にとって私は単に「私」である。この「私」を私だけが見出すことができるのである。」(P.246)
「「私」は私の意識の最も内面的中心である。それは私にしか発見できないものである。」(P.247)
「私自身を除く他のすべての人々は、両親でさえも、この「私」に間接的にしか接触することができない。なぜなら、彼らが私の前にいて私と言葉を交わしているときが、「私」と最大限の接触をしているときであり、にもかかわらずそのとき、他のすべての人々にとって、私が「私」として知っている「私」は、正確には「私」ではなく必然的に「あなた」になっているからである。親しさを最大限に示すためには、「私」と「あなた」が使われなくてはならない。その時、名前は忘れられてしまう。」(P.247)
「会話のなかで名前が使われる場合、その名前は必然的にある程度まで相互の間にある種の距離を生み出すのが常である。」(P.247)__そのとおり。ただ、代名詞(一人称単数、二人称)と「私(自我)」は同じではない。
「法律は「私」の後に置かれるこの種の名前の挿入を手段として用いるが、それはまさに法律が要求する正式な距離を作り出すためである。」(P.248)
(ガラテアの信徒への手紙三章二八節、ローマの信徒への手紙一〇章一二節、コロサイの信徒への手紙三章一一節)「「もはや、ユダヤ人もギリシア人もなく、奴隷も自由な身分もなく、男も女もありません」という節は、根本的にはこの「私」が最も深く人間的であるものの根底として、また各々の人間と神との結びつきの根底として与えられている卓越性を認めたものである。」(P.248)__日本人にはわからないだろう。
「この「私」は重複が起きるような類のものではない。それは、自分で「私」を体験することによってのみわかる事柄なのである。」(P.249)__言語としての「私」。
「ある人間の身体であったものは、ちょうど母親の乳がそうであるように、別の人間のものになることができる。しかし、ある日、乳呑み子が言うことができるようになる「私」は、赤の他人の「私」であり、母親には近づくことのできない存在なのである。」(P.249)
「なぜなら、このような状況がもたらし、ふさがれることのない断絶は、愛情の力で越えることができるし、また実際に越えられているからである。しかし、その断絶がなくなったわけではない。」(P.250)
「ヒト以外の動物は、どんなに間接的であっても互いに相手の内面には入り込むことができない。なぜなら、人間がそうであるように、完全に内面的であるには十分なほど隠されたものがなければならないが、そのようなものは動物には何もないからである。」(P.251)
「なにか言葉にすることをもっているのは、人間のように隔離された存在だけである。意志の疎通が可能なのは人間だけである。意志の疎通は、単に物品としての「情報」が端末機間を行き来して情報の伝達を行うといったものではない。意志の疎通とは、秘められた内(FF)部から秘められた内部への動きである。」(P.251-252)
「話すときに私は、自分が本当に話しているかどうかを確かめるために耳を傾けている。そしてあなたは、あたかも自分で話しているかのように聞こえた言葉を頭のなかで繰り返し、それらが現実に話されているかどうかを確かめるのである。」(P.252)
「私たち二人の自我の間のギャップは埋めることのできないものである。しかし、これまでに示してきたように私たちは、このような断絶を愛情の力で埋めることができる。」(P.252)__できなかったら?闘争?戦争?
「人間には知能がある。人間は知的に処理した知識をもつことができ、その知識を通じて全宇宙のあらゆるものに人間は開かれているのである。」(P.253)
「人間は開かれた閉鎖である。だからこそ一つの「体系」以上のものだと言えるのである。なぜなら、いかなる体系も閉鎖性と開放性とを同時に合わせもつことは不可能だからである。(Ong, 1977a: 332-41)。」(P.253)
人格と敵対関係の恩恵
(P.253)__Personであること、Personality。人格 Persona が自我と同じものであることを明らかにできないか。
「しかし、その時期がいつであったにせよ、私たちが人格と認めるものは現に地球上に存在していたのであり、またそれぞれの人格は男女を問わず内省に(FF)よって自我を掌握し、自分自身を他者とは完全に異なる唯一無二のユニークな存在でありながら、それでいてなおかつ自分以外の他のすべての存在をできるかぎり自らのユニークな意識の輪の内に、すなわちあらゆるものに向けて開かれている知性を通して、意識の深奥へと他の存在を進んで取り込もうとしているのである(開かれていると言う以上、その前の段階として内面がなければならない)。(LF)このように考えると、開かれた閉鎖すなわち開かれた内面性はそもそもの最初から人間の特徴であったことがわかる。」(P.253-254)
「後世、例えば一四三八年から四五年にかけてフィレンツェ公会議が最終的に定義したように、三つの位格は人間の場合とは異なりそれぞれが他の内面を完全に意識し、同時に他の内に完全に現存するという説明がされるようになったが(Denzinger, 1947: 704)、新約聖書の段階では、明らかに三つの異なる「私」ないしは「あなた」があったのである。」(P.254)
「例えばハンス・ウルス・フォン・バルタザール等の神学者たちは、自然が人間に勝っていた過去の時代には人間は自然を通して神に近づいたが、技術が自然の支配力を崩壊させてしまった現代では人間が自然より力をもつようになり、哲学は人類学的になり、人間の日常生活や人格という観点から神に近づくようになったと述べている。つまり実存主義は工業技術という脚本の副産物なのである。」(P.255)
「このような新しい思想形成の出現と同時に、人間の「非人間化」あるいは「没個性化」は工業技術社会に起因するという、やや神話的な憂慮が人々の間で広く見られるようになった。ここで何かを補足するような、ないしは何かの代償となるようなある種の作用が働いていることは明らかである。なぜなら逆に言えば、高度技術文化のみが人格主義哲学を生むことができるからである。明確にかつ深遠な意味で人を一つの人格として遇するためには、思考が文字や印刷術によって技術化されていなければならない。」(P.255)
「既知の文化は、いずれも個性化されていると同時にまた没個性化されているとも言える。したがって、いかなる文化もそれをより良いものに変えていくことは価値のあることだが、過去のままの形で保存するだけの価値はないと言えるのである。初期の文化は、文字や印刷術という技術(今日では電子工学という技術もある)によって可能になった思考過程が浸透している高度技術文化と比較すると、自らを分析する能力という点で未熟であり、「没個性化」や人格といった問題を後の文化ほどにははっきりと表現できなかったのである。」(P.256)__表現できなかったのではなく、なかった、あるいは必要がなかった、あるいは文字がなくても表現できる。
「メディアに映し出されることを予期し、それを前提として行動しながら、学生側は即座に元来は致命的であったレトリックをゲームに変化させ、その結果、独自のルールが生み出されたのである。」(P.259)
(リチャード・B・グレッグ Gregg, 1971)「研究となったのは一九六〇年代以後の米国の三つのグループ、すなわち、黒人、大学の活動家、ウーマン・リブの活動家である。彼らの闘争的抗議文を分析すると、そのような声明文が実際には主として「自己に向けられた」文章であり、自我の定義を目的とし、他者を敵として自分たちに対比させることで自我の確立を行おうとしたものであることがわかる。」(P.260)__黒人の自己確定、女性の自己確定、自分(自己同一性)を失ったのはなぜか。そこでエリクソンが登場する。黒人の黒人性、女性の女性性、白人男性にはその必要がない。初めから存在しないものの存在を迫られた。
「闘争は人類の進化の遠い過去から存続し、自我意識に近接し、その頂点を極める段階にさえ到達しているのである。」(P.263)
「今日の私たちには、宇宙の進化の頂点である生物進化のその頂点に人間が位置しているとわかっている。実際、それは頂点と言う以上のものである。なぜなら、女性であれ男性であれ人間には、言葉では表せないほど神秘的な自我があり、その人間の内面、すなわち名前以上のものである、「私」と各々が言うときの「私」は生物進化からはるかに飛躍したものであり、その飛躍の結果、生物学的起源を持ち、生物学的に機能しながら生物学的には特定できない、徹底した内省を性格としてもつ意識が誕生したのである。」(P.265)
「しかし、同時に闘争は、人間の知恵と知識や抽象的思考、認識論適距離を築き、男女を問わず個々の人間がアイデンティティを育て「私」と言うまでに自己の人格を発展させるための一要素でもあったのである。」(P.265)
「実際にたどってきた歴史以外に私たちには選択の余地がない。」(P.266)
「はっきりとした形をとる闘争形態を好む男性特有の傾向の基礎として、女性の場合に比べ重要な意義を持っているのは男性の生物学的かつ心理的不安定さであり、この不安定さはおよそ無視できないものと思われる。」(P.266)__心理学そのものが論理(理性)と自我から生まれている。動物や未開人に心理学はない(たぶん)。
「つまり、いずれの時代にも男性的なものと女性的なものとの新しい組み合わせが生まれ、その時代の特徴となってきたからである。意識の全歴史は、常に前進を続ける男女の弁証法との関連でたどることができる。いかなる組み合わせも新しいものであれば、異なっているのは当然である。なぜなら、時代ごとに組み合わせは異なっていくものだからである。」(P.267)__同義反復?何と何の組み合わせ?
「もしも無意識から育った意識の成長過程を、意識の進化のなかに含めるとするならば、意識の次の段階が何であるかを予測することは明らかに不可能であり、それが不可能であるということはむしろ意味があることとさえ言うことができよう。」(P.268)
「意識的に計画を立てるに際して、私たちは自分をどのように作り変えることができるかという点だけでなく、私たちの本当の姿はどのようなものであるのかという点にも注意を払って謙虚に考えていく方が良さそうである。なぜなら現在の私たちの姿から、そしてその本当の姿と私たち自身との関係から、未来は生み出されるからである。」(P.268)
訳者解説
著者の経歴
思想の出発点と形成段階
マクルーハン
「オングは近代的意識の特徴を自我と内面化と捉えている。文字を持たなかった口承の時代から、中世の印刷術がなく写本に頼っていた、いわば中間的な時代を経て、近代の印刷術によって人間の思考と意識の改革がますます進行しはじめたという歴史の中で、自我意識はたえまなく強まり、内面化がとどまることなく進んできたと考えたわけである。さらに彼は、ポストモダンを迎えようとしている二十世紀末、テレビ等の映像文化がふたたび口承性をよみがえらせ、新しい口承文化の時代のきざしが見られると考え、それを第二の口承性と呼んでいる。しかし、それは文字文化にとってかわったり、文字文化を衰退させる新たな口承性ではなく、むしろ今まで以上に、コンピューターの画面に一瞬にして映し出される文字に加えて、印刷と紙に頼ることを推進するものなのである。無意識から意識へ向かった人類の歴史を無文字から文字、さらに活字に至る過程に結びつけて考えながら、オングは各段階が前段階を廃止し、無関係にまったく新しい人間意識をもたらすというのではなく、かえってその新しい段階が前段階、意識の初源の上に成り立つ、すなわち無意識は新しい段階で生き生きと再生していると考えているのである。(LF)オングの考え方はいわばダイアクロニカル、通時的であり、リオタールなどに言わせれば、あの「壮大な物語(神話)」によっているということになるであろうし、デリダからはロゴス中心主義と批判されるに違いない。しかし、オングの歴史意識は、コミュニケーションが人間の外的条件ではなく本質であって、その内面化が知識の記号化によって同時化され、進化していくというものである。つまり、彼は人間意識を集合的ではあるが、一つのものとして捉え、その始まりから、一つの自我の成長、内面化の物語を外的条件の変化を通して確認し、語ろうとしているからである。そしてこの一つの意識はロゴス、すなわち言葉である。(FF)確かにオングにおいて、生けるロゴスの死としての文字化、印刷化がある。しかし、起源の探求が無意味だとか、文字文化と印刷文化の重要性を強調しても、デリダのように、声よりも文字が先にあった(永遠の初めに文字があった)とは彼は言わない。ロゴスの本質が声にあるとは言わないが、言語における音の要素の本質性を否定してもいないのである。(LF)オングは、読む人が音に切り替え判読するとき、初めて文字は意味を持ち、死から生命に復活すると考える。だからこそオングにはロゴスと印刷文字のテクストとの対立は存在しないのである。とはいえ文字や印刷の誕生はいずれもこれまでの歴史を一変させる画期的なできごとであった。人類の歴史で一番長い時代である口承の時代には、言葉と人物の人格とは一体的に捉えられており、いわばカリスマ的言葉の時代であった。言葉は霊と結びつけられていた。筆記に頼っていた中世にもまだこの傾向が残っていたが、近代初頭の印刷術の発明によってロゴスの死、言葉の記号化、無名化、近世化が始まり、その結果、内面を外面化しなければ、ものを考え自我を捉えることしかできなかった口承文化の時代が過去のものとなり、論理的、能率的思考が生み出され、過去の遺産から解放されて自由に思考できるような時代が到来したのである。」(P.275-276)
「文字を通して知識は人格から分離し、記号化されて蓄積されるようになり、過去の記憶に頼らずにいつでも知識を引き出し、未来に向けて人間は思考できるようになったのである。それは人間の過去からの解放、未来へ向かう自由をもたらした。こうしてオングは、意識の進歩という考え方を導入してキリスト教の未来を考えるのである。」(P.277)
「言葉は文字によって技術化の方向に向かい始める。」(P.277)
「活字化によって言葉は対話・討論の形式から自我の読み、知識を習得する方法に変わった。自我意識の高揚は自我が他のからくりから裸になり、疎外され、孤独にさいなまれるようになったことを意味する。しかしそれは一層の内面化という貴重な代償をもたらしたのである。」(P.278)
本書の位置づけ
「本書全体のテーマは生命を進化の実験として捉え、生存のためばかりではなく新しいものを生み出すために、(FF)生命は闘争的でなければならず、そのために本質的にダイナミックであり、そのような進化はいまだに続いているというものであろう。ただこのように生命のなかに植えつけられている攻撃性は人類の段階で頭脳化、内面化され、個としての意識を生む。こうした個の意識を推進するものは文字と活字に向かう人類の文化なのである。」(P.284-285)
「最終的には攻撃性によって得られた新しい形質を受け容れ、安定化し、平和に向かう進化の過程を保証し、さらに推進させるのは女性的要素なのである。」(P.285)
「キューバのフィデル・カストロの政治の大衆動員的な祭典化の描写は、政治というものが闘争を演劇化し、儀式・儀礼化、祝祭化し、規制していくものであることを示すと同時に、第三世界の原始的口頭性が文字・印刷文化を素通りして第二の口頭性につながっているのではなく、その後に訪れた映像文化に支えられていることを示している。」(P.285)
「確かに大学紛争は、学問が闘争的枠組みを失った社会のなかで、若者が無意識に新しい型の枠組みを求めたことを示しているが、フェミニズムは闘争的枠組みの喪失という空白のなかで生まれてきたものである。」(P.286)
「これはある意味では文明の女性化と言えるかも知れない。人間の意識化、内面化という観点から見るならば、知識と言語との関連における印刷文化は、人間の孤独化によって自我意識を高めた。人は静寂のうちに本との対話を通して知識を獲得するようになった。人は聞くことと討論によって知識を我がものとするのではなく、内省によって検証し知識を得るようになったのである。自我は女性的アニマであり、受け入れる姿勢をここで示している。しかし自我は確立された途端から、自分について苦しみはじめる 自分とは一体何であろうと。そしてそれは一人の人間の生涯ばかりでなく、将来に渡って文明のなかで続けられる問いかけなのである。」(P.286)
「しかし、生命にとって消費してもかまわない男性の余剰性は、そのまま男性という性の不安定さにつながってはいるが、その余剰性があるからこそ新しいことを実験する冒険が可能になるのである。女性は心理的にも出発点、根底であり、この冒険の成果を自分の種のなかに受け容れるか、排除するのかの決定は女性にまかされているのである。」(P.287)__必要性、余剰性、が不安定性を生み出しているのではない。排除しようという意図、意志そのものが不安定性である。因果律(効用)で考えてはいけない。そう考えること、自分が排除する側、排除される側だと思いこむ思考方法が不安定さを生み出しているのである。
「近代の逆説は、文化が女性化へと向かう道程で自我意識が高められたことであろう。」(P.287)
「すでに女性はキリストの受肉という形での救いの賜物を受けており、加えて誕生した救い主が女性であったならば、男性は救いの秩序から永遠に除外されてしまうことになるからだとオングは説いている。」(P.288)__イエスの父、大工のイサクの意志は?
「オングにとって人間は言葉であり、言葉は人間である。人間は自分になるために、無意識の世界から出て意識化の道を歩まなければならない。」(P.289)
一九九一年九月 高柳俊一