生への闘争 闘争本能・性・意識 ウォルター・J・オング著 高柳俊一・橋爪由美子訳 1992/04/25 法政大学出版局

生への闘争 闘争本能・性・意識 ウォルター・J・オング著 高柳俊一・橋爪由美子訳 1992/04/25 法政大学出版局

裏庭

昨日、久々に外に出ました(笑)。裏庭にある小さな畑で、妻が家庭菜園をやっているのを眺めました。

私は草花にはあまり興味がありません。理由は簡単で、虫が嫌いだからです。小さい頃は昆虫を捕まえて遊んだりしてたんですが。

まとまった雨が降った後の湿った土から雑草を抜いている妻を手伝いもせず眺めていたのですが、雑草ってすごいですよね。どんどん生えてきます。やっと芽が出てきた野菜とは比べようもありません。生命力がすごい。それを抜くのですが、野菜も雑草も植物(生物)です。雑草を抜いてしまうのは人間の都合です。ミニトマトが房のようになっています。今年は間引きをせずにいるのだそうです。その他にも何種類かの野菜があるのですが、大抵は剪定をして大きく実らせます。

花も何種類か咲いていたのですが、同じ種類は花はだいたい同じ頃に咲きます。虫が飛んでいて、受粉を手伝っています。ふと「一つづつ順番に咲けば、競争しなくていいんじゃないかな」と思いました。野菜も、いっぺんにできずに少しづつ実ればいいのに。人間にとっても、虫や小動物にとってもそのほうがいいような気がします。専門家に聞けばもっといろんな理由を知っているのでしょうね。

野菜と雑草は「生存競争」しているのでしょうか。同じ種類の花や実も「闘争」しているのでしょうか。

進化論

私は動物も動物園にいる種類(+α)しか知りません。そして、テレビの動物番組で紹介されるのは、同じ種の「オスがメスを獲得する闘争」です。猿山に代表されるように、数少ないおとな(成体)のオスが他のオスを排除してメスを独占します。

多くの種の場合、闘争の最も直接の目的は縄張りを得ることであり、より間接的な目的は雌の獲得である。(P.58)

私のように体力も統率力もないオスは排除されるんだろうな、可哀想だな、と思いながら観ています。

そして、オスの排除は「優秀な遺伝子を残すため」と説明されます。生存競争、弱肉強食、自然淘汰、適者生存・・・によって、「生物は進化する」と学校で習いました。

今日の私たちには、宇宙の進化の頂点である生物進化のその頂点に人間が位置しているとわかっている。実際、それは頂点と言う以上のものである。なぜなら、女性であれ男性であれ人間には、言葉では表せないほど神秘的な自我があり、その人間の内面、すなわち名前以上のものである、「私」と各々が言うときの「私」は生物進化からはるかに飛躍したものであり、その飛躍の結果、生物学的起源を持ち、生物学的に機能しながら生物学的には特定できない、徹底した内省を性格としてもつ意識が誕生したのである。(P.265)

「生物進化」が「宇宙進化」の頂点であり、「人間」が「生物進化」の頂点である、そう思いますか。

私は戦後の高度経済成長のなかで「科学」の絶対性を疑わずに生きてきました。そして「進化論」は、その科学を生み出した人間理性の結晶であり、反宗教の象徴でした。だから、私は進化論を信じていました。

でも思うのです。そのことと「人類が進化の頂点」だということはまったく違うことです。現在が進化の頂点だとしても、そのことが意味するのは犬も猫もゴキブリも植物も、あるいは宇宙も、すべて「進化の頂点」にあります。そのなかでなぜ「人類が進化の頂点」なのでしょうか。

古代の人々が得た情報は今と比較すれば乏しく、まとめるのが難しかったため、抽象的な客観論を古代人は理解できなかった(P.148)

どうも私にはオングのいう「人類」というのが、「現代」の「西欧人」のことを指しているように思えるのです。そして「文化・文明」というのも、基本的には「近現代の先進国文化」のことを指していて、そこから歴史や、科学(生物学)や、進化論や、男女の問題を考えているようにしか思えないのです。

私はたしかに、自我や意識をもっているし、それは私が生まれ育った社会(文化)のなかで形作られたもので、それ「以外の私」はいません。日本語で考えているし、進化論や科学は私の「思考」ではなくて、むしろ「私の身体」そのものです。「私」を形造っています。それでも、自分が古代人よりすぐれているとは思わないのです。犬や猫よりもすぐれているとも思いませんし、庭のトマトよりすぐれているとも思わないのです。だって、そう思ってしまったら「人間」の「男性」としてはとても弱い私が惨めじゃないですか。

闘争と遊び

ホイジンガは、「闘争も遊戯も根は一つのものである」と主張している(Hoizinga, 1955: 31)。この根がなんであれ、本書はホイジンガがあまり注目しなかった問題のうちで特になわばり意識や生物学的進化、男性らしさの確立、いわゆるコミュニケーション・メディアの変化が人間社会や精神の闘争性に及ぼした影響、そして学問の世界の内面史とも呼ぶべきものを取り上げている。ホイジンガは洞察力にすぐれ、「本質的にあらゆる知識  これには哲学も含まれる  は闘争的である」と述べたが、闘争的な議論の進め方が学問教育の現場で歴史的にどのような役目を果たしたか、詳しく論じることはなかった。実際、ホイジンガは意識の進化には関心を寄せ、時にはかなりの関心を抱いていたことが明らかなのだが、「近代生活」を過度に敵視し、深層心理学には無関心であったため、意識の進化はホイジンガの研究からあらかじめ除外され、効果的には論じられなかったのである。(P.43)

ホイジンガの『ホモ・ルーデンス』とオングの違いを挙げるとすれば、それはホイジンガが「性」にほとんど注目していないということです。そこで取り上げられているのはほとんどが男性の遊びです。

『ホモ・ルーデンス』は「何といっても、遊ぶということが、すべての文化そのものの基礎なのだ。」(高橋英夫訳、中公文庫、P.214)という基本的な視点で書かれています。そして、戦争や決闘などの様々な例を挙げているのですが、

古代社会は、暴力をふるうことを許される許容範囲を  言い換えれば、戦争の遊びの規則というものを  同じ種族、同等の立場の相手だけに認めるという、ごく狭い圏に限っていた。あくまでも誠実さをもって名誉を守らねばならないのは、ただ同等の立場に立つ者を敵として闘うときだけである。(同書、P.212)

つまり、相手を「悪魔」「未開人」「非人間」などといって撲滅することが目的ではないのです。だから「名誉」さえ守られれば、相手を殺す(傷つける)必要さえありません。これと近代戦争との違いは明らかです。

歴史上の闘争(戦争、決闘、仇討ちなど)を見るとき、あるいは他の文化(未開といわれる文化を含めて)の闘争を見るとき、どうしても自分の感情、意識、あるいは論理(正義観なども含めて)から見てしまいます。そして、納得することもあれば腹が立つこともあります。また、「どうしてそういう行動を取ったのだろう」と疑問に思うこともあります。

私たちは神の視点に立つことはできません。古代人の視点に立つこともできません。それどころか隣の人の視点に立つことさえもできないのです。それでも、自分の意識が神の視点ではないことを考えることはできます。自分の意識や感情が自分の文化のなかで育まれた(作られた)ものであることも考えることはできます。

「闘争」は暗に、明文化されたものであれ暗黙のものであれ、なんらかの規則をもとにして対立する両者の間に、ある種の公平無私な距離を置くことを意味する。無論、対決することもある。しかし、それは真理に到達するためのことなのである。(P.44-45)

「真理」ってなんでしょうか。それは「正義」の別名なのではないでしょうか。

私は、9・11でアメリカが受けたショックはわかります。でも、それでイラクに爆弾を落とす気持ちはわかりません。もし、イスラム教徒が9・11事件を起こしたのだとしても、その実行犯の気持はわかりません。ただ、それらが「戦争を認める」ということにはならないのです。なぜなら、私は他の男と、あるいは武器を持っている人と対等ではなく、「弱い」からです。そして日本には「勝てば官軍」という言葉があるように、正義や真理は「勝利者」「強者」のことだと感じているからです。

男性と女性

すでに述べたように、男性はすでに誕生する以前から生存のために「環境」と闘うように仕向けられている。(P.243)

はっきりとした形をとる闘争形態を好む男性特有の傾向の基礎として、女性の場合に比べ重要な意義を持っているのは男性の生物学的かつ心理的不安定さであり、この不安定さはおよそ無視できないものと思われる。(P.266)

つまり、種のうちでも雌に比べて雄は消耗してかまわない性として、進んで危険を受け入れるように進化の過程で遺伝子が組み立てられた結果、人間の男性も女性より果敢に危険に立ち向かうようになっているのである。(P.75)

つまり、男性は生物学的に「闘争する」ように定められているというのです。

人間の意識の出現と同時に、闘争の方法は生物学的次元においてさえも変化し、しかもその変化は人間の間にとどまらなかった。人より下等の生物の場合でさえ、人間の意識は、何千年にもわたって闘争が遺伝子決定に影響を及ぼす際に関わってきた。(P.233)

「人間の意識」は生物学的基礎を持つだけではなく、「進化」そのものに影響を与えてきた(関わってきた)というのです。これは「弱肉強食」「適者生存」からの当然の結論かも知れません。

「必要とされる女性」(P.117)と、「消耗が可能な男性」(P.53)という性別の違いが闘争と同時に生物の特徴です。男性と女性は「生物学的に異質な存在」なのです。

男性であることと女性であることの違いは、単に男性は非女性で女性は非男性だということではない。両者の間に見られるのは相容れないもの同士の、つまり肯定的なものと否定的なものとの対照ではなく、対立しているが、どちらも肯定的なものの対照である。しかも男性と女性は、充分に相互補完的ですらない。男性と女性は第1章で私が「非対称的対立」と称したものの一例なのである。(P.117-118)

男も女も「同じ人間」であるということではありません。そこにある差異をオングは生物学的なものに解消してしまいます。

性は常に所与の文化を通じて、その文化とともに作用する。だからといって、性別によって生じる相違点が真に性に基づくものとは決して言えないとか、それら相違点が文化の違いに還元できると言うわけではない。ただ、雌雄それぞれの行動を決定する要因は、性別以外の決定要因と切り離して現れることはありえないと言っているのである。(P.52)

男の子はどこまでも男の子なのである。性別によって決定づけられた行動は、常に他の決定要因による行動と混在する。しかしそれでもなおかつ性別によって決定づけられた行動なのである。(P.53)

原語はわかりませんが、ここでいう「性」はイリイチのいう「sex」でしょう。ですから、

ここで生物面、心理面双方で決定的に重要なのは、女性の性器が体内にあるということである。女性の身体は神秘である。なぜなら、女性であることの最大の特徴、すなわち子どもを作る器官はおおむね目にすることのできないものだからである。(P.104)

などと言えるのでしょう。イリイチは「ヴァナキュラーなジェンダー」を「両義的な対照的補完性」と言っています(イリイチ著『ジェンダー』岩波現代選書、P.157)。これはオングの「非対称的対立」と似ていますが、まったく違います。

ジェンダー同士のあいだの対照的補完性は、非対称的であると同時に両義的である。非対称は、大きさ、価値、力、あるいは重さの不均等であることを意味しているが、両義性はそうではない。非対称は相対的な位置を指しているが、両義性は、二つのものが同じものとなって適合することのないという事実を指している。(同書、P.157-158)

そして、男女がともに「経済的中性者としてのsex」(同書、P.25)になり「ジェンダーが忘れられた」ことを非難します。

私は「平等であること(男女平等)」を大切にしてきました。そして今の社会が平等でないことを非難してきました。「平等であるべき」だと考えてきました。そして平等でないのは「経済的な仕組み」つまり「資本主義社会」のせいだと考えてきました。その気持は変わっていません。でも、資本主義に代わる社会としての「社会主義社会」というものがどうもしっくりとこなかったのです。イリイチはジェンダーが失われた経済における労働についてこう書いています。

ジェンダーに規定された女のしごとがたとえどれだけ多く男のそれに従属しているように見えようと、男が女に仕事そのものを指図することができるといった考えは、これまで想像もできなかったことであった。女は、自分たちの領域の喪失を恨み憤った。(同書、P.387)

・・・資本主義的商品は、全然異質な家計に基礎を置く社会の生産物である。それは経済により媒介された  ジェンダー不在の  労働の生産物である。この労働は押しつけられたものといえる。(同書、P.401)

『ジェンダー』をちゃんと読んでいないので、これ以上言及するのはやめましょう。私は「ジェンダー」という(私が若い頃には日本語になかった)言葉ほど、誤解され、体制側にも反体制側にも利用されている言葉は珍しいんじゃないかと思っています。

生物学的男性性と女性性

口承文化と文字・印刷技術・コンピューター

2020年、私はオングの『声の文化と文字の文化』(桜井直文 他訳、1991年、藤原書店)に衝撃を受けました。原書が出版されたのは1982年。この『生への闘争』の原書が出版された1年後です。それまで私は「文字」がもつ不思議さに引かれつつも、「文字とは何か」を考えたことはありませんでした。単純に「言葉が持つ音を書いたもの」としか思っていなかったのです。文字はすごい発明です。そのおかげで昔のこと(歴史)も知ることができるし、科学技術も発展してきました。でも、『声の文化と文字の文化』が教えてくれたのは、文字がそれ以上のものだということです。この本でもすでに文字の持つ重要性が書かれています。

知るという行為には記憶が必要なのである。しかし、口承文化ではある事柄をまず定型化し、それを後から記憶するという方法では記憶は保てない。言葉は、それ自体が記憶できる形になっていない限り、一度口にされると消えてしまい、二度と戻ってくることはない。つまり記憶するために戻ってくるものは皆無なのである。ホメロスが述べたようにまさに話し言葉には翼が生えており「飛び去っていく」のである。換言すれば口承文化は知識を記憶用の定型にはめ込んだのではなく、記憶用の定型でものごとを考えたのである。(P.149)

西洋的学問の祖ともいえるソクラテスが文字に批判的だったことを私が知るのはもう少し後です。

なぜなら、人々がこの文字というものを学ぶと、記憶力の訓練がなおざりにされるため、その人たちの魂の中には、忘れっぽい性質が植えつけられることだろうから。それはほかでもない、彼らは、書いたものを信頼して、ものを思い出すのに、自分以外のものに彫りつけられたしるしによって外から思い出すようになり、自分で自分の力によって内から思い出すことをしないようになるからである。じじつ、あなたが発明したのは、記憶の秘訣ではなくて、想起の秘訣なのだ。また他方、あなたがこれを学ぶ人達に与える知恵というのは、知恵の外見であって、真実の知恵ではない、すなわち、彼らはあなたのおかげで、親しく教えを受けなくても物知りになるため、多くの場合は本当は何も知らないでいながら、見かけだけはひじょうな博識家であると思われるようになるだろうし、また知者となる代わりに知者であるといううぬぼれだけが発達するため、つき合いにくい人間となるだろう(藤沢令夫訳『パイドロス』プラトン全集第5巻、岩波書店 1974年、P.255-256)

じっさい、パイドロス、ものを書くということには、思うに、次のような困った点があって、その事情は、絵画の場合と本当によく似ているようだ。すなわち、絵画が創り出したものをみても、それは、あたかも生きているかのようにきちんと立っているけれども、君が何かをたずねてみると、いとも尊大に、沈黙して答えない。書かれた言葉もこれと同じだ。(中略)それに、言葉というものは、ひとたび書きものにされると、どんな言葉でも、それを理解する人々のところであろうと、ぜんぜん不適当な人々のところであろうとおかまいなしに、転々とめぐり歩く。そして、ぜひ話しかけなければならない人々にだけ話しかけ、そうでない人々には黙っているということができない。(同書、P.257)

文字の知識というのはその人が体験したことではありません。ところが、その文字の知識は自分の経験・記憶と一体になってその人の一部となってしまいます。それが経験したことなのか、本で読んだ知識なのかを区別できることもあります。でも、その知識がその人の意識や感情を作っていることは否定できません。私は日本語で考えたり、日本で生まれ育ったことを意識していないことも多くあります。いや、ほとんど意識することがありません。それが「私」なのですから。

そして学校で学んだこと、科学や歴史、進化論も「知識」です。きっと原子や素粒子はあるのでしょう。聖徳太子や徳川家康は実在したのでしょう(聖徳太子はいなかったという説もあるようですが)。生物は35億年前に誕生し「進化」してきたのでしょう。でも、それらを私が経験したわけでもないし、確かめようもありません。専門家はわかる、と言われるかも知れません。私はどの学問の専門家でもありませんから、専門家がどのように「わかっている」のかを知る由もありません。きっと寝る間も食事をする間も惜しんで勉強や研究をしたのでしょう。私にはできないことです。でも、本で読んだ知識がない専門家はいないでしょう。実験をして本と同じ結果が得られれば、それを「経験した」ということができるかも知れませんが。

ロシアとウクライナの戦争、いや、今日の情報番組でいうならホテルで「首がない死体」が発見されたのも事実でしょう。私はロシアにもウクライナにも行ったことがありませんし、首無し死体も見ていません。

オングは文字の文化がラジオやテレビに繋がり、コンピューターに結実していると考えています(詳しくは『声の文化と文字の文化』参照)。

それにもかかわらず、男性主導の闘争の場から生まれた抽象的な数字には、蓄積されるとその場の闘争性そのものをある程度まで中和させる働きがある。というのは抽象化は「客観化」することであり、個人の枠を越えることだからである。(中略)口述性と闘争性とをもったかつての文化のいずれもが、このように競技場の闘争に半分関わっているような抽象的な状態を作り出すことはできなかったであろう。このような状況が誕生するには文字と活字の世界が必要であり、さらに成熟させるにはコンピューター社会が必要だったのである。(P.195)

そして、

いわゆる「物語の内面化」は、言語化の様式に関連するある種の闘争的構造が減少したことと同時に進行した。というのは物語の内面化は、文学において口承的性格が減少し文字が一層の主流となっていく動きと一致していたからである。(P.236)

闘争の起源はヒト以下の生命世界、すなわち私たちの遠い生物学的遺産であるが、闘争は他の生物にとってよりも人間にとって重要なものである。なぜなら、闘争は「他者を設定すること」に結びついているからである。(P.245)

「他者の設定」つまり「対象の設定」は、アリストテレスがはっきりと表明したことです。それが「形而上学」であり「論理学」です。

自我

「私」は私の意識の最も内面的中心である。それは私にしか発見できないものである。(中略)私自身を除く他のすべての人々は、両親でさえも、この「私」に間接的にしか接触することができない。なぜなら、彼らが私の前にいて私と言葉を交わしているときが、「私」と最大限の接触をしているときであり、にもかかわらずそのとき、他のすべての人々にとって、私が「私」として知っている「私」は、正確には「私」ではなく必然的に「あなた」になっているからである。親しさを最大限に示すためには、「私」と「あなた」が使われなくてはならない。その時、名前は忘れられてしまう。(中略)会話のなかで名前が使われる場合、その名前は必然的にある程度まで相互の間にある種の距離を生み出すのが常である。(P.247)

対象化によって、いや、対象化と同時にできるのが「主体」です。主体と対象との間には、越えることができない溝(壁)が生じます。

都市となる土地の周囲に轍をつけることによって、創建者は内部空間を知覚可能なものとし、境界を設けることで外部空間を排除し、後に壁が築かれる場所で2つの空間の結婚を司る。(イバン・イリイチ著『H2Oと水』新評論、P.40)

アリストテレスになると、空間はもはやそのような「素材」として理解されなくなる。プラトンの「容器」(hypdechomene)は、アリストテレスによって、存在の論理的な四つの「原因」の一つと化し、「質料(hyle)」と同一視されてしまう。アリストテレスは、西洋の空間知覚の最終的な土台、すなわち容器としてではなく、広がりとしての空間認識を築いた。アリストテレスとともに、「イデアとしての都市」は法的虚構となるのである。(同書、P.46)

アリストテレスを読んでいないので詳しいことはわかりませんが、「第一実体(質料)」は、イデア(形相)が姿かたちをあたえる土台、基体(ὑποκείμενον)です。これがラテン語で「subiectum」と訳されます。「主体 subject」の元となった言葉です(古田裕清著『西洋哲学の基本概念と和語の世界』2020/10/01 中央経済社、参照)。人間の頭のなかで「言葉」になる前、言葉として意識される土台としての存在、としてアリストテレスはこの言葉を使ったようです。そういう意味では「主体」に近いでしょう。それと同時に、木材を机ならしめる「机のイデア」が宿るものとしての基体という意味でもこの言葉を使っているようです。そういう意味では「対象(客体)」に近いと思います。これが今の「主体」という意味で使われるのは近代以降です。「主体(主観)と客体(客観)」の対立は、とても「近代的」だということです。

それを古典ギリシアまで遡ることの是非は別として、それがデカルトの「我思う故に我あり」に結実したということはいえるのではないでしょうか。そうして出来上がった「私」を、オングは「I(アイ、人称代名詞)」だと言っています(原語が「I」かどうかは確認していません)。それが「ego」であってもいいのですが、このエゴと一人称単数代名詞の「I」が同じであるとオングは考えているように思えるのです。いくつもの言語を知っているはずのオングが「ego」と「I」を混同しているとすれば、言語(そして文化)が思考にあたえる影響の強さを感じずにはいられません(人称代名詞、特に一人称が絶対的地位を獲得する過程については金谷武洋さんの著書を参照)。

日本語を母語とする日本人にとっては、「私」と「ego(自我)」はまったく違います。いや、まったく違いました。日本人は「自分を世界の中心として世界を見る」という視点を持っていなかったと思います。その視点は相手を含めた「場」にあったのではないでしょうか(鈴木孝夫さんの著書参照)。日本人が日常の会話のなかで「I、You」の意味で「私、あなた」を使うことはあまりありませんでした。でも、翻訳文や学校教育で使われてきた人称代名詞を日本人も使うことが多くなってきた気がします。

キリスト教と戦争

古典ギリシア(ヘレニズム)に流れ込んできたキリスト教(ヘブライズム)は、その「ego」の意識を強めます。作られた「自我の壁」はどうやったら乗り越えられるのでしょうか。

なぜなら、このような状況がもたらし、ふさがれることのない断絶は、愛情の力で越えることができるし、また実際に越えられているからである。しかし、その断絶がなくなったわけではない。(P.250)

私たち二人の自我の間のギャップは埋めることのできないものである。しかし、これまでに示してきたように私たちは、このような断絶を愛情の力で埋めることができる。」(P.252)

キリスト教が叫んでやまない「愛(αγάπη)」です。つまり「私の壁」を捨てて(乗り越えて)「他者」と結びつく可能性をそこに求めたのです。愛(αγάπη agápē)にはチャリティー「(英: charity、羅: caritas、カリタス)」 の訳語を当てられました。私はチャリティーという言葉が嫌いです。「慈善」というのが「偽善」という音と似ているかも知れません。そして、それは日本人(日本語)が持っている感覚からもきていると思います。「私(という個人)」がなかった日本では、「愛(恋愛、一応 love としておきましょう)」なんかなくても他者と結びつくことが出来たのです。

日本人だって、大昔から人を好きになったでしょう。「好きだ」というのは「好き=である」つまり「〈好き〉という状態になる」ということです。でも、必死に自我の壁を超えなければならない西洋人は「愛=する」つまり、意識的・能動的に乗り越える行為を行わなければならないのです。なんて悲しい考え方なんだろう、と私には思えてしまいます。

しかし、その時期がいつであったにせよ、私たちが人格と認めるものは現に地球上に存在していたのであり、またそれぞれの人格は男女を問わず内省によって自我を掌握し、自分自身を他者とは完全に異なる唯一無二のユニークな存在でありながら、それでいてなおかつ自分以外の他のすべての存在をできるかぎり自らのユニークな意識の輪の内に、すなわちあらゆるものに向けて開かれている知性を通して、意識の深奥へと他の存在を進んで取り込もうとしているのである(開かれていると言う以上、その前の段階として内面がなければならない)。

このように考えると、開かれた閉鎖すなわち開かれた内面性はそもそもの最初から人間の特徴であったことがわかる。」(P.253-254)

愛情によって「自我のギャップ」を埋めることが出来ない時はどうすればいいのでしょうか。それが闘争だったり戦争だったとするならば、さらにそれが「生物学的に」規定されているのだとしたら、西洋、あるいは先進諸国といわれている国の将来を明るく見ることは、私には出来ません。私自身がそんなに強い存在ではないからです。

オングはキリスト教の神学者(神父?)です。ヘレニズムとヘブライズムの伝統的思考のなかで「平和」を解こうとしているのです。

私たちは臆面もない平和主義者で、昔と比べるとどれだけ協調的になっているかということにさえ気づかぬほどの恥知らずなのである。(P.15)

といいつつ、

最初の文書からヨハネの黙示録に至るまで、聖書はより深い次元では平和を伝えるものであったが、表面的には地球上での人間の生活を、男性対男性の霊的葛藤ないしは戦争というパラダイムで(無論それだけではないが)繰り返し表わしている。このような闘争的雰囲気のなかでサタンという概念ははっきりとした形をとるようになる。サタンという名は反対者を意味する。(P.210)

教会は性と結びつけて定義されている。すなわち、人間の心理にとって教会は常に女性的なものであり、聖なる母である教会とされる。(P.213)

受肉において、イエスは通常の性的交渉なしで誕生し、したがってイエスには人間の父親がいなかった。このことが意味する最大の恩恵は、一人の女性が自由意志によって全面的な効力をもつ受諾という選択をし、その女性の選択を通じて、人類自身の救済における人類の絶対的な自由が保証されたということなのである。(P.214)

つまり、決して受け身なのではなく、自由意志に基づく積極的な選択である。このような自由選択、すなわち自由な答えがあるからこそ、女性は「静けさ」  受動的になるのは、意志のない人よりも下等な動物の場合である  を内面にもっていながら男性にとって魅力的なものになる。そして、この「静けさ」ゆえに中国の諺によれば女性は常に征服する。なぜならこの静けさは力の証だからである。(P.225)

しかし、生物学の次元から社会・認識の構造に至るまで脈々と存在している闘争性に、キリスト教の教えがいかに深く複雑な形で関わり、含まれているかはおそらく充分示すことができたと思う。古代の論争を継承した神学研究の様式は、第4章で述べたように生物の進化に起源する意識の進化を源としている。しかしキリスト教精神に見られる闘争性は神学の形式以上のものであり、教義が到達しうる最高のものを含んでいるのである。(中略)キリスト教は平和を切望する。しかし、それはキリストの平和であり、闘争とか禁欲主義、闘争に向けての訓練に結び付けられた平和である。なぜなら愛情ゆえに続けられる闘争を通してのみ平和は確実なものとされるからである。」(P.230-231)

キリスト教と生物学、自由(意志)、性、闘争、そして平和の関連を見事に描いています。

どう思いますか。これを「屁理屈」や「妄想」、あるいは「信仰」だと片付けることは出来ません。9・11もイラク戦争も原子爆弾も原発もコンピューターもコンビニも(病院も学校も)全てこの思考のなかで生まれてきたものだからです。「核兵器はだめだけど原発(あるいは電気)は必要だ」「戦争は嫌だけどコンピューター(コンビニ)は必要だ」と西洋人は考えることが出来ないような気がします。どちらも「自由(意志)」から生まれてきたものだからです。

この思考の現代的な例として、オングは学生運動、黒人運動(政治運動)、ウーマン・リブを挙げています。その分析はとても明確(正確)だと思います。学生運動にちょっとだけ関わり、労働運動に結構関わった私としても、自分が何をやっていたのかがわかってきたように思いました。

だからこそ、「文字が何なのか」を気づかせてくれたオングが「闘争(あるいは戦争)」をどう語るのかを私は知りたかったし、それは私にはとても大切なことでした。文字が科学と自我を作ったことは事実です。それが歴史を作り、生物学や進化論を作ったのです。それを支えたのは「客観的な視点」であり、「私」という存在です。

闘争は人類の進化の遠い過去から存続し、自我意識に近接し、その頂点を極める段階にさえ到達しているのである。(P.263)

しかし、同時に闘争は、人間の知恵と知識や抽象的思考、認識論適距離を築き、男女を問わず個々の人間がアイデンティティを育て「私」と言うまでに自己の人格を発展させるための一要素でもあったのである。(P.265)

闘争を「遊び」と見るかどうは大きな問題です。そして「遊び」や「闘争」を「生物学的な性」結びつけるかどうか、それはホイジンガの本の感想のなかで再度考えたいと思います。

実際にたどってきた歴史以外に私たちには選択の余地がない。(P.266)

西洋が発見した「歴史」と「自我」は克服可能なのでしょうか。

つまり、いずれの時代にも男性的なものと女性的なものとの新しい組み合わせが生まれ、その時代の特徴となってきたからである。意識の全歴史は、常に前進を続ける男女の弁証法との関連でたどることができる。いかなる組み合わせも新しいものであれば、異なっているのは当然である。なぜなら、時代ごとに組み合わせは異なっていくものだからである。(P.267)

もしも無意識から育った意識の成長過程を、意識の進化のなかに含めるとするならば、意識の次の段階が何であるかを予測することは明らかに不可能であり、それが不可能であるということはむしろ意味があることとさえ言うことができよう。(P.268)

意識的に計画を立てるに際して、私たちは自分をどのように作り変えることができるかという点だけでなく、私たちの本当の姿はどのようなものであるのかという点にも注意を払って謙虚に考えていく方が良さそうである。なぜなら現在の私たちの姿から、そしてその本当の姿と私たち自身との関係から、未来は生み出されるからである。(同)

どう思いますか。






政治・スポーツ・ビジネス・法廷など人間の生活のあらゆる場で作用する〈闘争〉とはなにか。動物社会学・生態学・文化人類学等の最新の成果をふまえ、精神史・文化史、つまり人間の〈意識の進化〉における〈闘争〉の意味と役割・そのメカニズムを解き明かす。



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