失語症 笹沼澄子著 『岩波講座 日本語学 別巻 日本語研究の周辺』1978/03/28,所収

サルの言語と人類の言語 伊谷純一郎著 『岩波講座 日本語学 別巻 日本語研究の周辺』1978/03/28,所収
私は失語症?

いえ、単なるボケです。でも、ここに書かれている症状に当てはまる部分が多い気がします。

この論文では、失語症について網羅的に書かれています。病状や、治療(リハビリテーション)などです。

著者によれば、失語症とは

大脳の左半球には、言語野と呼ばれる領域があり、概念とか思考内容を言語という一種の符号体系に変換したり(符号化)、逆二この符号体系から特定の意味内容を抽出したり(復号化)する働きを営んでいる。失語症とは、この言語野が種々の原因で損傷を受け(脳血管障害が最も多く、外傷性脳挫傷、脳腫瘍、炎症などがこれに次ぐ)、その結果、それまで正常に働いていた言語符号の操作機能に障害をきたした状態をいう。(P.201)

きっと現在は医学的にはもっとすすんでいるんでしょうね。

符号体系

言語は符号体系でしょうか。言語学や記号論の結果を受けてこの言葉があるのは明らかです。外界の物事を関連付ける主体の存在という関係の中では(つまり、「言語」を客観的存在ととらえると)、言語は符号体系です。木と水のように、どちらも客観的存在と捉える主体の存在を前提としています。ところが、言語というのは(自己・主体と同様に)「外」にあるわけではありません。そこに言語学の根本問題があると思います。

言語の研究は、その「主客構造」そのものにかかわるのです。それをメスでがん組織を取り出すように、取り出した上で研究しようとするのです。

そのために仮想されたのが「言語野」です。確かにその部分を傷つけると障害が起こります。でもそのことは、「その部分に言語がある」ということではありません。

失語症の症状

症状として大きく3つが挙げられています。(P.202-203)

(一) 音声言語と文字言語の理解面と表出面を含む言語機能の全領域(すなわちことばを聞き、話し、読み、書くすべての側面が多かれ少なかれ障害される場合が大多数を占める。

(二) 一般に自動的、具体的、単純な言語の側面は比較的障害されがたく、しかも回復しやすいのに対し、意図的、抽象的、複雑になるにしたがって、より重度に障害されやすく、しかも回復しがたいという側面が見られる。

(三) 多数の患者に比較的共通して認められるいくつかの言語症状  例えば、構音の障害、喚語障害、統語障害、聴覚的理解の障害、読みの障害、書字障害など  があり、これらの症状のいくつかがいろいろな割合で結びついたものを失語症候群という。

さらに、それを分類すると「(一) 構音または音素産生の障害、(二) 喚語障害、(三) 統語障害、(四) 聴覚的理解の障害、(五) 復唱の障害、(六) 読みの障害、(七) 書字の障害」 となります。

失語症候群は「(一) ブローカー失語(運動失語、表出性失語)、(二) ウェルニッケ失語(感覚性失語、受容性失語)、(三) 失名詞失語(健忘失語)、(四) 伝導失語、(五) 超皮質性失語、(六) 流暢な失語と非流暢な失語、(七) 全失語(不可逆的失語)、(八) 純粋例」です。

関連する障害としてあげられているのは、「(一) 計算障害、(二) 失認・失行、(三) 知的機能の障害」です。それぞれの内容については省略します。

これらの知見は一見ランダムにさえ見える複雑多様な失語症状に、従来の方法では見出しえなかった秩序と予測性とをもたらすものであると同時に、こうした理論の心理学的実在性を裏づけるものといえよう。しかし一方、前述のように、失語症患者の言語症状にみられるこのような特徴には、言語理論から予測できる側面と共に、予測できない側面も認められ、後者はおそらくコミュニケーションの実場面における言語運用のしくみと、それを支える心理的、生理的諸過程の特性や制約をも同時に反映したものと推測される。(P.222)

その「後者」こそ、言語であり、それなくしては言語が成立しません。全体から切り出した「言語」は実は言語ではないのです。

失語症の治療

失語症治療の理論的根拠として「①自然治癒説、②劣位半球による代償説、③周辺領域による代償説、④機能の再編成説、⑤脱抑制説。」(P.223)が挙げられています。それぞれについては、詳しくは書いてありません。でも、それらのほとんどは「言語野だけに言語があるのではない」ということをいっているのではないでしょうか。言語野「にも」言語機能はあります。私の脳が私ではないように言語野が言語ではないこと、取り出したがん細胞ががんではないこと、でもそういった「取り違い」で学問の世界は満ちています。

切り取った「部分」を調べて「全体」を類推するのが西欧の学問です。それは「一つの考え方」にすぎません。それが「唯一の方法」ではありません。

一方、失語症の回復の限界を見越した、地域ぐるみの受け入れ体制を確立することも急務であり、地域社会全体の協力の下に、総合的かつ具体的な施策を推進する必要に迫られている。(P.234)

その「限界」を相対的なものとみなすか、つまり、医療が発展すれば、その限界は「少なくなっていく」と思うかどうかは、「発展(進化)」を信じるかどうかということだと思います。それを考えたときに、「生きている」ということはどういうことなのかが見えてくる気がしています。






[著者等]

笹沼 澄子(ささぬま すみこ1929年 -2021年 )は、日本の言語聴覚士である。日本における言語聴覚障害領域の研究と臨床の先駆者であり、世界の失語症研究の第一人者である。Academy of Aphasia名誉会員。




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