インド文明とわれわれ ルイ・デュモン著 竹内信夫、小倉泰訳 1997/03/06 みすず書房

インド文明とわれわれ ルイ・デュモン著 竹内信夫、小倉泰訳 1997/03/06 みすず書房
私のインド旅行

私は半世紀ほど前にインドに旅行をしたことがあります。インドに関する本を読むと、インド人の黒光りした肌と、その匂いが身近に感じられることもあります。私が行ったのは乾季ですが、連日40℃を超える気温も、湿度が低いので、木陰に入ると気になりません。バクシーシ(乞食)の物乞いもしばらくすると気にならなくなります。私が旅行者風から段々とひげと汚れとインドの風にマッチしてきて、物乞いされる対象とはみられなくなったせいかもしれません。

旅行者としての私は「カースト外」の存在でした。カタコト(中学生程度)の英語しか話せなかったのですが、向こうの英語はわかりやすいし、英語を話すインド人は警察官など「上流のカースト」に所属する(だろう)人たちで、親切で、結構救けてもらいました(警察署の留置所に入れられたこともあったけど、そのときはたまたま同じ宿泊施設に泊まっていた日本人に救けてもらいました)。

革のサンダルの鼻緒が切れた時、道端の靴修理屋に「〇〇ルピー」と請求された時(それでも安いと思ったんだけど)、警察官らしい人が横から手を出して、私の手持ちのコインから一枚取り出して修理屋に渡したことがあります。多分、請求額の10分の一くらいだったと思います。その人は、同じインド人ではなく私の味方をしてくれたのです。不思議な感じでした。

満月に合わせてタージマハルに行く計画だったのですが、シーク教徒の暴動で行けなくなったりいろいろなことがありましたが、なんとか生きて帰ってきました。

カーストは厳格なようで、テーブルを拭くカースト、床に落ちたゴミを拾うカーストなど、細かく分かれています。別のカースト、たとえバラモンであろうとテーブルを拭くことはしません。しないのではなく「できない」のです。それはテーブルを拭くカーストの存在を否定する行為ですから。インド人はそういう「関係性」の中に生きています。まさしく「他者(他のカースト)と共存」しているのです。「個人」として独立している日本人には、それは「差別」と映ります。

つまり、ほとんど常に、たくさんのカーストが一つの集落に一つの社会を作る形で暮らしているという事実である。(本書、P.21、以下本書は省略)

インド文化(異文化)について、どう考えるのか。フランスの比較社会学者のデュモンが「一般向け概説書」(P.194、訳者あとがき)として書いたのが本書です。


本書について

Louis Dumont : La Civilisation indienne et nous ( Librarie Armand Colin, Paris, 1975) の邦訳です。

デュモンの主著『ホモ・ヒエラルキクス』も邦訳がでていますが(2001年、みすず書房)、高価で手が出ません。同じく『個人主義論考  近代イデオロギーについての人類学的展望』(1993年、言叢社)も手が出せません。きっと読めないで終わるでしょうね。残念です。

本書の半分以上を占めるのが書名の「インド文明とわれわれ」です。社会、宗教、思想、歴史など、複数の視点からインドを記述しています。

「主宰神アイヤナール」は、アイヤナールという南方インドの神を取り挙げて、そこに住む人々の思いやカーストのこと、アーリア人やドラヴィダ(タミル)人の歴史的関係が現在にどのような影響を与えているか、菜食者と肉食者との関係など、社会学の研究方法が具体的な例で述べられています。

「マンローからメインまでの「村落共同体」概念」は、「村落共同体」という単語(術語)がどのように使われてきたかを、主要著作や政府の公文書などから紐解いています。特にマルクスへの言及(批判)が面白いと思いました。

日本人は、日本語という「インド=ヨーロッパ諸語(印欧語)」ではない言葉でインドを考えます。デュモンはフランス人ですから、ヒンズー語と同じ印欧語です。日本人にとってインドは「仏教の故郷」、「三蔵法師が向かった天竺」という、遠い国ですが、ヨーロッパ人にとってはバスコ・ダ・ガマの「インド航路開拓」や「東インド会社」「香辛料」などもっと身近なんでしょうね。「魅惑の国」「不思議の(不可解な)国」「発展途上国」など、様々な印象があるでしょう。

本書は学術書ではなく一般書ですから、ヨーロッパ(フランス)の民衆と同じ目線からインドを書いています。それが民衆に「おもねっている」ようにも見えます。でも、書いてあることはヨーロッパ人の「インド観」をひっくり返すような内容です。そのバランスが微妙ですが、かつての宗主国目線ではなく、近代西欧的な「平等観」と対立するものです。当時の東洋思想(哲学)ブーム(フリッチョフ・カプラの『タオ自然学』が出版されたのがこの本と同じ1975年)がインドに対する「幻想」を植え付けましたが、デュモンはそんな「外側」からの目線には立ちません。でも、その「異文化」をフランス語(フランス文化)で表現することはとても難しいのです。さらにそれを日本語(日本文化)に翻訳することはさらに難しい。その困難に学者は挑戦しています。


カースト
われわれが公共建造物の正面に「自由、平等、博愛」と書くのは、真の人間的現実とは個人である、つまりそれ自身でそれ自身のために存在する原則的に自足した独立の存在である、ということが了解ずみであるからにすぎない。同じように、しかしまったく正反対に、インドでそれぞれのカーストが分離し階層化しているのは、諸カーストの、したがって個別の人間の相互依存の上に、しかも真の人間的現実を作り上げている一定の秩序のなかに社会が築かれていることを、口にするまでもなく誰もが知っているからである。(P.19-20)

カーストは学校で習いました。「身分制度」だと。一応『精選版 日本国語大辞典』から引用しておきます。

カースト
〘 名詞 〙 ( [英語] caste ポルトガル語の「血統」「生まれ」の意の casta に由来 )
① インド特有の社会身分。紀元前一〇〇〇年頃ガンジス川上流に定住したアーリア人が、司祭者をバラモン、王族をクシャトリヤ、庶民をバイシャ、征服された先住民をシュードラの四階級に区別したことに始まるが、現在は二千数百種に及ぶ。同一カーストに属する者は同じ信仰で結ばれ、部内結婚をし、同じ職業に従事し、食事などに一定の生活習慣を持って、内部的統制を行なった。種姓。姓。
[初出の実例]「釈迦が彼カスト〈略〉の第一等なる波羅門の掌握せる幽顕二界の専権を非として」(出典:人権新説(1882)〈加藤弘之〉一)
② 社会的階級、地位。〔音引正解近代新用語辞典(1928)〕(精選版 日本国語大辞典

一応「身分」も。

み‐ぶん【身分】
〘 名詞 〙
① 社会における地位。社会的な序列。
[初出の実例]「己が身分(ミブン)をかへりみず」(出典:浮世草子・人倫糸屑(1688)潜上者)
「すべて国民は、法の下に平等であって、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない」(出典:日本国憲法(1946)一四条)
② 身の上。境遇。
[初出の実例]「ハテ、結構な御身分(ゴミブン)だ」(出典:滑稽本・浮世風呂(1809‐13)四)
③ 人の法律上における地位、資格。
(イ) 民法では親族法上における特定の地位をさす。〔仏和法律字彙(1886)〕
[初出の実例]「父が認知した子は、その父母の婚姻によって嫡出子たる身分を取得する」(出典:民法(1947)七八九条)
(ロ) 社会的組織の中での地位。特に、公務員など公務上の一定の地位、その地位に伴う権利・義務。→身分犯。
④ ⇒しんぶん(身分)(精選版 日本国語大辞典

そっか、「身分制度」じゃなくて「階級制度」なんですね。どう違うんでしょう。

かい‐きゅう‥キフ【階級】
〘 名詞 〙 ( 古く「かいぎゅう」とも )
① 階段。きざはし。
[初出の実例]「殿の両方に階級が二つあるぞ。東をば阼階と云、主人が升るぞ」(出典:史記抄(1477)八)
[その他の文献]〔邵憲祖‐明堂賦〕
② 物事の順序。進歩、発展などの段階。また、守られるべき順序。
[初出の実例]「かれらが所集は、ただ還源返本の様子なり、いたづらに息慮凝寂の経営なり、観練薫修の階級におよばず」(出典:正法眼蔵(1231‐53)坐禅箴)
③ 地位や身分などの等級。
[初出の実例]「誠是階級有レ卑、人情不レ勧」(出典:続日本紀‐天平神護二年(766)六月丙甲)
[その他の文献]〔後漢書‐文苑伝・辺譲〕
④ 一定の社会で身分、職業、財産などを同じくする者によって形成されている集団。また、身分、職業、財産などを基準にして考えられる階層。
[初出の実例]「東洋の社界組織に附帯せし階級の縄を切りたる者」(出典:日本文学史骨(1893)〈北村透谷〉二)
⑤ ボクシング・レスリング・柔道などで、体重によって区分する等級。
[初出の実例]「拳闘は体重によつて八階級(カイキフ)に区分され」(出典:モダン語漫画辞典(1931)〈中山由五郎〉尖端人心得帳)
⑥ 数学で、度数分布表を作るとき、測定値が分類される小区間をいう。測定値の最大値、最小値の間を適当な等間隔に分けて得られる。(精選版 日本国語大辞典

う〜ん、よくわかりません。

カーストは、

それぞれのカーストは一つ一つ分かれているだけでなく、階層化しているためにはっきりと識別されるのである。まず第一に、職業(それは伝統的なものであるが)によって、不浄性の基本的源泉  すでに言及したように生死と食物摂取がそれだ  にかかわる人間は不浄とされる。(中略)

第二に、不浄性の観念は、信仰に応じて、さらに社会的ヒエラルキーそのものに応じて念入りに練りあげられている。家畜、とくに雌牛は一種の宗教的崇拝の対象なので、家畜を屠殺する者〔屠殺業者〕、皮をなめす者〔皮革加工業者〕、太鼓の皮をたたく者〔太鼓たたき〕は、二重の意味で不浄であり、触れてはならない人間〔不可触賤民〕とされる。(P.21)

この分業は、宗教だけでそれを完全に説明することはできない。なぜならはっきりとした宗教的色彩を持たない職業を含んでいるからだ。たとえば、農業労働力の大部分が不可触賤民によって供給されていることが注目される。ガンジス平原では、ほとんどの労働者は実のところチャマールつまり皮革職人のカーストに属している。(P.23)

私はインドの伝統音楽が好きですが(いまも、ラヴィ・シャンカールを聞きながら書いてます)、タブラを叩く演奏家も不可触賤民なのでしょうか。

しかしそれはこの相互依存の枠組みのなかでのことであり、既に見たように、この相互依存自体は宗教的行為であって、本来の意味での経済的行為とは正反対なのである。全体としてみると、インドでは、ちょうどわれわれの世界で経済がそうであるのと同じように、宗教が一般的な枠組を提供しているのである。(P.24)

ここで対として用いられているのが「宗教」と「経済」です。まず、「宗教」について。

しゅう‐きょう‥ケウ【宗教】
〘 名詞 〙
① ( 宗と教、または宗の教、あるいは宗すなわち教の意。「教」は教説で、「宗」はその教が主とするところの理 ) 仏語。仏の教え。また、宗門の教え。
[初出の実例]「象法千年末法万年、自任二宗教之重一」(出典:蕉堅藁(1403)悦雲怡首座、住淡州棲賢、京城諸山疏)
[その他の文献]〔碧巖録‐五則・垂示〕
② ( [英語] religion の訳語 ) 人間生活の究極的な意味をあきらかにし、かつ人間の問題を究極的に解決しうると信じられた営みや体制を総称する文化現象をいい、その営みとの関連において、神観念や聖性を伴う場合が多い。アニミズム、トーテミズムなどの原始宗教や、呪物崇拝、多神教、およびキリスト教、仏教、イスラム教などの世界的な規模のものがあり、文化程度、民族などの違いによって、多種多様である。
[初出の実例]「此国二者種々の宗教あり」(出典:航魯紀行(1866)〈森有礼〉八月二四日)(精選版 日本国語大辞典

もともとは仏教のことだったのでしょうか。まあ、漢字(あるいは中国の学問)とともに仏教が伝わったんでしょうから、当然といえば当然です。「宗」という漢字は、

①みたまや。祖先のおたまや。②一族。同姓。同じ祖先から出た一族。③おさ。かしら。族長。④むね。おおもと。一番たいせつなところ。おもなもの。おもだったこと。⑤よつぎ。あととり。⑥同じ源から分かれ出た流派また、その学説や教義。⑦たっと・ぶ。そんけいする。
解字 会意。家を意味する宀に神を祭る机を示す示を加えて、祖先や神を祭る家、「みたまや」の意を示す。そこから祖先・本家などの意に用いる。(明治書院『新釈漢和』)

「経済」が「経世済民(あるいは経国済民)」の略であることは有名です。「国を治めて、民を救済する」ということです。つまり、「政治」のことです。これが economics の訳として用いられて定着するのは明治後期になってからだそうです。『資本論』の副題「Kritik der politischen Ökonomie」は「政治経済学批判」です。

けい‐ざい【経済】
〘 名詞 〙

① ( ━する ) ( 「経国済民」または「経世済民」の略 ) 国を治め、民を救済すること。政治。
[初出の実例]「俗縁未レ尽して政にあづかりて、伊尹や皐陶が如にして天下を経済するぞ」(出典:四河入海(17C前)三)
[その他の文献]〔文中子‐礼楽〕
② 人間の共同生活を維持、発展させるために必要な、物質的財貨の生産、分配、消費などの活動。それらに関する施策。また、それらを通じて形成される社会関係をいう。
[初出の実例]「経済は国家の本なり。古語に、『国に三年の貯(たくわえ)無きを国其国に非ず』」(出典:池田光政日記‐天和二年(1682)五月一日)
「金沢侯往昔よき御家老ありて、御用金にて一時に経済の法やぶれ、下々困窮することを憂ひ」(出典:可験録(1834)一)
③ 金銭のやりくりをすること。
[初出の実例]「自家の経済(ケイサイ)に心を尽して老後の用心に金をたくわえ」(出典:談義本・世間万病回春(1771)五)
④ ( 形動 ) 費用やてまのかからないこと。費用やてまをかけないこと。また、そのさまをいう。倹約。節約。
[初出の実例]「而して子之を食(やしな)はざるは全く経済(ケイザイ)より出る所ならん」(出典:花柳春話(1878‐79)〈織田純一郎訳〉四四)
「自炊生活は清三に取って、結局気楽でもあり経済でもあった」(出典:田舎教師(1909)〈田山花袋〉二八)
⑤ 「けいざいがくぶ(経済学部)」の略。
[初出の実例]「大学は経済か法科が期待され」(出典:生活の探求(1937‐38)〈島木健作〉一)
経済の補助注記
明治前期には、英語の economics の訳語としては「理財」を用いることが多く、「経済」に落ちつくのは後期になってからのことである。(精選版 日本国語大辞典

economics は 

印欧語根
nem- 割り当てることやあてがうこと、取ることを表す。語尾-nomy(astronomy, economyなど)の由来として、分け前、習慣、規則、地域など。numberなどの由来として、数。
weik- (世帯より大きい単位として)一族を表す(villageなど)。ecology, economy, parishなどの由来として、すみか、統治。(weblio
語源
日本語の「経済」は英語の "economy"の訳語となっているが、このeconomyという語は古典ギリシア語の οικονομία(家政術)に由来する。οικος は家を意味し、νομος は規則・管理を意味する。従って、economy の本来の意味は家計であるが、近代になってこれを国家統治の単位にまで拡張し、以前の意味と区別して政治経済学(political economy)という名称が登場する(この名称は後にアルフレッド・マーシャルによって economics と改められた。)。(Wikipedia「経済」)

ですから、気をつけなければならないのは「経済」という言葉で、現代西欧人や日本人が連想する「貨幣流通」「商品流通」という経済学的な意味と、「単なる(生産)物の移動」や「家計(家のやりくり)」という本来の意味とを混同してしまうことです。本書では、おもに前者の意味で使われていると思います。


個人という観念
個人としての人間というわれわれの観念と、カーストシステムにおける人間の相互依存というきわめて重要なインドの現実とを、以上にざっと対比した。「個人という観念」という言葉によってわたしが意味しているのは、西欧において、われわれの基本的諸価値は、何よりも、普遍的なものとして考えられている個別の人間に結びつけられるようになっている、ということだ。「人間としての尊厳」とか人間の「普遍の権利」という言葉がしばしば口にされるが、それは個別の人間が制度の(主要な)主体であり、さらにいえば普遍的と考えられるが故に人間的価値の原器でさえあるという事実を表現している。当然、個別の人間は経験的に存在するし、またどんな社会にもある程度において承認されている。しかしわれわれの社会でのように、個別の人間が理性的存在でしかも価値の保持者ということがどこの社会でもそうだということはありえない。(P.25-26)

ここで対比されているのは、「個人」と「相互依存」です(観念、普遍、尊厳なども重要な言葉ですがとりあえずは触れません)。

彼らにとってすべては相対的で、必要なのは階層化されることだけなのだ。したがって、拒絶より統合を、自我の確立より平和的共存を、そして生成よりあるがままの存在を好むのである。

こうしたことはすべて十分に知られている。わたしの言いたいのはその先だ。しかし予め断っておくが、経験のレベルと制度のレベルは注意深く区別しなければならない。経験的にはインド人も人並に、個別の人間主体、つまりわれわれが言い習わしている「個人」を区別し、異なる人称にそって動詞を活用させる。そして日常生活では、可能なかぎり細かくそれぞれの人の人格や性格を識別してもいる。しかしカーストにしろ、土地権利や親族関係にしろ、制度となっているものを研究してみると、個別の人間は本当の意味での主体でないことに気がつく。分析していくと、一つ一つのケースから相互補完性が引き出されてきて、その相互補完性から、結局本当の主体とは、最小限の場合でも異なる行為主体の組からなる、複合的な存在だということが判る。(P.27)

キーワードは「行為主体」です。西欧において「主体」とは「個人」あるいは「その意志(意思)」です。そこから「責任」や「権利」などが発生します。「主体的に行為する」のが「人間」です。その人間が持つ権利が「人権」です。主体的であるためには、その意志は「自由(自らを根拠とするもの)」でなければなりません。ですから、その行為には「責任」が発生します。脅迫や、心神喪失などで行った行為(自由意志ではない行為)は責任を取らなくてよいか、責任が軽減されます。当たり前に思えるかもしれませんが、西欧でもこのような考え方が始まったのは近世以降です。

責任というのは、長い間法律の世界で使われてきたことばです。この行為を〔意図的に〕おこなったことに対して、あなたは責任を負う、という具合に。しかし、十一世紀にはそうした用法はありませんでした。十一世紀において、もしもあなたが木から落ちで誰かの頭にぶつかり、その男を殺してしまったとしたら、あなたがかれを意図的に殺し高い中にかかわらず、あなたはかれの主人に対して、その男の財産価値を償う必要がありました。謀殺を、殺意なき殺人から区別する考え方は、のちの時代に生じたのです。イバン・イリイチ著『生きる意味:「システム」「責任」「生命」への批判』邦訳、P.425)

「主体」に対応するのは「客体」です。

そのことは伝統的インドに広く行きわたっている考え方、つまり人間と環境、主体と客体を区別しない考え方についてわたしが述べたことと一致する。反対に、国民国家では、人民は主権主体、あるいはともかく主要な政治主体という地位に昇格している。真に国民国家を形成するのは個人の結合とみなされている。個人の共通の意思が法の源泉である。(P.104)

無学なインド人にとって、人間は、われわれにとってのように、自然から切り離されたものではない。主体の世界に対立する客体の世界は存在しないし、たとえば人間と土地の関係は人間同士の関係によって決められているのだ。」(P.113)

「無学」ということは「学問とは何か」を言わずに言うことはできません。

それはさておいて、私は「主体・客体」というのは、印欧語に特徴的な「主語・述語」に関わっていると思います。「異なる人称にそって動詞を活用させる」(P.27)というのは、英語では「三単現のS」しか残っていませんが、多くの印欧語では主語の単複、性などで動詞の語尾(あるいはそれ以外)が変化します。逆に動詞の活用で主語が特定できるときにはその主語を省略することもできます。「省略」というのはいい表現ではありません。

主語が不可欠な言語は、パルムターの報告によれば、地球上に8つしかなく、それが今、7つになろうとしているのである( David Perlmutter, Deep and Surface Structure in Syntax, 1971 )。(金谷武洋著『述語制言語の日本語と日本文化』文化科学高等研究院出版局、P.18)
具体的に言えば、すべての文に主語が必須な言語は、まずスェーデン語、デンマーク語、ノルウェー語、オランダ語、ドイツ語、英語の6つが挙げられる。一方、ラテン語から派生したロマンス諸語のなかで主語が義務的になったのは2つしかない。それがフランス語とスイスで話されているロマンシュ語である。(同)

学校で習う英文法では、「SV、SVO、SVC、SVOO、SVOC」という「5文型」が文の基本だとされます。どれにも「S(主語)」があります。英文法を基準とした言語学では、主語が必須で、それがないばあいは「省略」されていると言われますが、そうでしょうか。金谷氏が言うように『英語にも主語はなかった』のです。金谷氏が言うように、英語で主語が必須になったのはフランス語(フランスによるイギリス支配)が原因でしょう。そしてそれに加えて英語の活用がなくなったことが、結果として英語において主語を必須にしたのだと思います。

主語の必須化は、主体の強化につながったでしょう。逆かもしれません。主体の強化が主語を必須にしたのかもしれません。相互に「強め合った」と言ったほうがいいでしょう。サンスクリット語やヒンズー語がどうなのかは知りません。少なくとも必須ではないですよね。

ところが西欧においては、社会が、もはや個人の寄せ集め、言い換えればみずからに価値の源泉を見出す具体的な人間である個人の横ならびの集合体としてだけ考えられているという限りにおいて、人間と自然は対立させられているのである。そして、自然に対して絶対的に独立した人間の秩序が個々人の平等のうえに打ち立てられた結果、社会そのものは、いわゆる「自然に対する人間」の闘いと言われるもののなかで単なる道具としか考えられないようになる。(P.36-37)

存在するのは「個人(個)」だけであって、「社会(全体)」は存在しない(認識できない)のです。

「主体」と「主体以外」。「社会」も「全体」も「関係」「構造」も、すべて主体に対立するものです。対立させる(対象化)ことによって、初めて認識することが可能になります。もちろん「自己(主体)」も対象化することで認識可能になります。

実際には、社会はもはや存在しない。社会は個人に吸収されてしまっているからである。(P.56)

「私(主体・個人)」が考えることがすべてです。個人主義、自国主義、人間主義がその結果です。「自己と他者(我と汝)」「観察者と観察対象」「唯心論と唯物論」・・・そして「疎外」(P.57)。西欧哲学、西欧科学はその対立構造の歴史です。その対立は解消されません。客体のない主体はありえないし、主体のない客体もありえませんから。歴史(時間)がそれを解決するものとして想定されるしかありません。「現在」にはその解決がないのです。だから、「過去よりマシ」な現在があるだけです。


歴史
われわれが歴史を問題にするときに念頭におくのは、単に絶対的あるいは相対的な年代だけではなく、因果関係の連鎖、もっと正確にいえば意味のある変化の総体、つまり発展だ。われわれが歴史を問題にするときに念頭におくのは、単に絶対的あるいは相対的な年代だけではなく、因果関係の連鎖、もっと正確にいえば意味のある変化の総体、つまり発展だ。詮ずるところ、われわれが歴史のなかで生きているというのは、人間、社会、そして文明の本質的なあり方は時間のなかでの発展においてしか真に完全には現れないとわれわれが考えている  たとえそう考えるようになったのはほんの少し前であるにせよ  という意味においてなのだ。われわれは時間に現実性を与えてきたし、人間の重要な存在次元だと考えている。実際は見かけとは違ってこのことは自明のことではなく、時間がこのように人間的な意味を担うようになるにはまさに一つの変換が必要だった。つい昨日まで、歴史は単に偉業や模範的行為の目録にすぎず、古代や近代の人間の尊敬すべき長所がそこで論じられてきた。時間に積極的な意味を与えることは、進歩を、つまり漸次的な終末論を信じることだ。これに関連しているが、われわれは自己を何よりも個人として考え、まわりの世界をさまざまな個体の総体として  歴史も個々の事件の連なりである  把握している。そして、一つの全体として捉えられた個別的人間の集合が、本質的には、自然に対する闘いに従事していると考えている。以上がわれわれの常識で時間を考えるときのいくつかの特徴だ。もう少しでわれわれは、変化だけが意味をもち、恒久不変なものにはなんの意味もないと信じるところまで行きつくだろう。しかし、ほとんどの社会はその反対のことを信じてきたのである。(P.44-45)

時間や空間、いわゆる自然存在が「合理的」あるいは「意味のあるもの」であるというのは「思い上がり」の「勘違い」であって、人間がいなければそんな意味や合理性は存在しません。主体としての人間が「考えたもの」が「存在(実在)」だという思い込みです。自分で考えたものだからこそ、それを「制御」「支配」あるいは「保護」できるものだと思い込みます。

われわれは自分たちがそのなかでもがいている矛盾を理解しようとするかわりに、それを時間のなかに闘争という形で投影したのである。空想上の歴史に救けを求めたというわけなのだ。曖昧さはすべてわれわれの側にある。インドの状況は完全に明快だからだ。(P.72)


西欧化

いくつかのキーワードで本書を読んで思ったことを書きました。

戦後の民主教育は、まさしく「近代西欧思想教育」です。自主性をはじめ、独立心、自由、平等、進歩(進化)、発展、論理的・合理的思考など数え切れない「個人主義的概念」を教え学んできました。「成長する・おとなになる」ということは、「進歩・発展する」ことだと教えられました。「昨日できなかった・知らなかった」ことを、今日、あるいは明日「できるようになる・知る」ことを強制されてきました。現在は「乗り越えられた過去」です。今日は「発展した昨日」です。ですから、昨日の自分は今日との連続性を持ちながら(アイデンティティ・自己同一性)も、否定すべき自分です。若者(子供)は「未来」であり、老人は「過去」に属します。そうやって現在の自分の優越性が担保されます。「後進国」「発展途上国」にたいする優越感もそこから生まれます。「進化論」は他の動植物を研究対象とし、その頂点に「人間」を置きました(それは『創世記』から約束されていたことです)。

デュモンはこの本を書いた趣旨をこう述べています。

わたしがこれを強調するのは、この傾向が人々の考えの一般的方向であるために、その価値をはるかに上回る重要性をまとっているからであり、またインドの進歩的な若い世代を彼らの国の現実から引き離してしまうことによって、彼らに厳しい未来を用意してしまう恐れがあるからにほかならない。(P.89)

結論を述べよう。唯物論的社会観は、インドのような国の現代史については浅薄な見方しか提示できない。なぜならそれは不可避的に、西欧で発展した現代社会に議論を集中し、カーストを無視して階級  それもまだ発生期にある  しか考えようとせず、お定まりの文句のもとに問題と困難を隠蔽し、事実をないがしろにして失敗する危険があるからだ。現在進行中の変化を指し示すのに、目下流行の「発展」という表現ほど不十分なものがあるだろうか?」(P.115)

「発展」(この単語は「経済発展」を指します)という「プラスチックワード」が、国内、あるいは海外でどんな(ナチスもやらなかったような)破壊を行っているのか。また、そのような世の中に育った子供がどんな考え方をするのか。

人間関係が希薄になり、というか「他人を観たら犯罪者と思え」という雰囲気が充満し、相互監視と告発合戦の世の中になりつつあります。「平等」、大いに結構です。でも、その代償が「バラバラの個人」、「人間関係」を「不快なもの、避けるもの」と思うことだとしたら、あまりにも大きすぎるのではないでしょうか。それでも「未来」に希望を持つことはできるのでしょうか。「カースト」や「封建社会」を擁護する気はありませんが、未来ではなく「現在」に希望を持てるほうがいいと私は思います。




[著者等]

デュモン
でゅもん
Louis Dumont
(1911―1998)

フランスの文化人類学者。ギリシアのテッサロニキに生まれる。晩年のマルセル・モースに師事し人類学に眼(め)を開かれた。第二次世界大戦時、ドイツ軍捕虜として抑留中、ヒンドゥー学者と知り合いサンスクリットの手ほどきを受け、インド学を志す。戦後、「民間伝承博物館」の学芸員をしながら南フランスのタラスコン地方で伝統的な祭りを研究し、その成果を1951年に『タラスク』として刊行した。1949年から1950年代、数回にわたりインドで現地調査を行い、その成果をイギリスで教職に就いていた間に学位論文『南インドの下位カースト』にまとめた。1955年パリの社会科学高等研究院に職を得て、1957年にはポコックと共同でインド研究の専門誌『インド社会学への寄与』を発刊し、この誌上で古典学的発想とは異なるインド社会学、カースト体系論についての論争的な論文を発表した。1966年に刊行された主著の一つ『ホモ・ヒエラルキクス』(階層的人間)はその集大成である。そこではインド社会の根幹が、「浄と不浄」という観念を基礎に形づくられた価値の体系としてのカースト体系にあると主張されている。1960年代後半には、親族関係を価値の体系として分析する視点が探求された。フランス構造主義の泰斗レビ・ストロースと不即不離の立場にたち、親族関係研究においてもその継承・発展者を自認している。1970年ごろから、カースト体系の対極としての西欧社会における「個人主義イデオロギー」の生成展開に関心を向け、1977年刊行の『ホモ・エクワリス』(平等的人間)では、西洋の価値体系における宗教からの政治の自立、さらに政治からの経済の自立がどのように展開したかという主題をたて研究した。その過程は、学としての経済学の成立の過程ととらえられると同時に、宗教に包摂された共同体からの「経済的主体」としての「個人」の自立の過程ととらえられる。そのことはとりわけ1983年に刊行された『個人主義論考』で議論されている。1991年にはフランス的個人主義とドイツ的価値体系を比較した『ドイツ・イデオロギー――ホモ・エクワリス2』を刊行した。デュモンのカースト体系論は、インド研究者にとって批判的検討を行うべき古典とみなされている。後期に展開した近代社会の比較文化研究の視点も、今後さらに本格的な検討が行われる必要があろう。

渡辺公三 2018年12月13日 日本大百科全書(ニッポニカ)

インド社会の構造的原理を「ホモ・ヒエラルキクス」で解明したデュモンが、西欧の自文化中心主義を克服しつつ、未来に向けて提言する、比較社会学の基本書。タミル民衆神、村落共同体変遷のケーススタディを付す。



[ISBN-13 ‏ : ‎ 978-4622038016]

シェアする

フォローする