デジタル化の結果

機械化全般に言えることですが、政府がデジタル化を推進しようと必死になっているので、デジタル化がどのような結果を生むのかを考えてみようと思います。

まず、デジタル化を推進する根拠(理由)としてあげられているのが「行政のスリム化」ということです。スリム化がどうして必要かということはちゃんと説明されません。

財政問題?現在税収の多くが財政投融資などの政策で一部の大企業に流れていることは詳しく知らなくても分かると思います。現場の公務員の給料を大きく宣伝していますが。

給料が問題となっているうちはまだいいのです。デジタル化は財政の中に占める行政経費を増大します。そうすることによって財政は硬直化します。これは地方自治体にとって致命的です。地方自治体の存在意義そのものが無くなるからです。政府は「地方の活性化」などの空文句を続けていますが、それは政府の言いなりになる自治体をつくるという意味以外にありません。実際、地方公共団体は財政交付金でがんじがらめです(東京都は除く)。

これは、民間の会社でも同じです。ITを導入し従業員を減らせば減らすほど経営は硬直化します。企業の海外進出は「安い労働力」を求めることだけじゃなく、経営の硬直化を鈍化させる意味もあります。たくさんの労働者を雇ったり、首にしたり、工場を閉鎖したり、です。

(もちろん、国内でも非正規雇用、派遣社員などを増やしていますが、それはすぐ限界に達します。そのたびに法改正をして限界を制限に変えていきます。制限は安易に乗り越えられます。乗り越えれば、それが既成事実となります。)

資本は労働者が嫌いです。でも、労働者なしには生きることができません。労働者なしの会社がありえるでしょうか。機械だけの会社(それが資本の理想像です)。それは「永久機関」と同じように空想に過ぎません。持株会社でも従業員はいますが、それ以上に株を発行している会社の労働力に依存しています。それでも資本は労働者を排除する努力を続けています。それが「生産からの撤退」という極端な形をとっているのが現在です。それは第2次産業から第3次産業への変化とか、ハードからソフトへの変換とか、サービス産業・データ産業への変化ということではありません。内部留保、金融資本化、中小企業の破壊と買収などです。(コロナ禍などはまさしくその一環です。人為的かどうかではなくて、事実としてそうなのです。人為的かどうかは歴史が証明してくれるでしょう。)

デジタル化の本質は、抽象化です。音楽のデジタル化で失われた音がいかに多いかを知っている人も多いでしょう。デジタル化をするときには余計なものは全て「無いもの」としなければなりません。業務をデジタル化するということは住民、国民をデジタル化するということです。そこに固有の個々人の個性や特性を捨象する、あるいはそれすらもデジタル化するということです。それは「自然の豊かさ」「人間らしい豊かさ」とは反対のものです。現場の職員がいくら人間らしい仕事をしようとしてもデジタル相手では不可能です。

その象徴的な出来事が「失われた年金」です。はじめから不可能なことを厚生省は膨大な税金を投入して実施しました(もちろん、当時拡大していた大手電機メーカ、のちの大手IT企業のためです)。年金のデジタル化です。結果として照合ができなくなりました。一番の原因は、人間の名前を「カタカナ」にしてしまった事にありました。アナログをデジタルにしたことで、明確に失われたわけです。デジタルをアナログに変換することはできません。せいぜい近似値に近づけるだけです(フーリエ変換)。

(言葉、そして文字も一種のデジタル化です。だからワープロが存在しうるのです。それは対象全体を記述するのではなく、抽象化した結果を話した、記したものです。受け手は今までの知識でそれを肉付けし、対象に近づけます。ですから、受け手が理解できるのは知識・経験の量に制限されます。)

実際のデジタル化はどうなされるのでしょうか。まず初めの大きな投資が行われます。国家レベルのシステムは大手IT企業しか請け負えません。自治体レベルでも不安定で、セキュリティーの弱いシステムは使えません(Windowsとか(笑))。そして、毎年リース料とメインテナンス料を払い続けます。カスタマイズも常に必要です。なぜなら、法令とその解釈はどんどん変わるからです。数年後には機器の更新が必要です。その時は既存のシステムが使えないのです。なぜなら、機器の性能向上に合わせてシステムやデータベースソフトが変わっているからです。蓄積されたデータが使えないことは致命的ですから、国や自治体はIT業者を変えることはできません。データベース構造は特許や著作権があるので、公開されていない(公開されていても使用できない)ことが多いのです。そこでIT業者の言い値で更新が行われ、それは当初の予算より大きいこともしばしばです。

その例が「日本はデジタル後進国」と言われるようになったきっかけの新型コロナ患者のデータベースソフトです(また厚労省・・・)。システムを変えることで、入力の手間が増えたどころか既存のデータが使えなくなったのです。これがデジタルの後進性ではなく、政治の後進性であるのは明らかです。

ただ、本当のところは分りません。感染者数、死亡者数は途切れることなく発表されていますから、「デジタル後進国」が作られたものか、「数字がでたらめ(恣意的)」かのどちらかです。(実際、厚労省が出している感染者や死亡者の基準は変更されています。)

デジタル化が進めば「早く・便利になる」、という政府の宣伝を鵜呑みにしてはいけません。「早く・便利になる」必要があるのでしょうか。もし必要が有って、実際にそうなったとしても(!)それで失われるものの大きさを考える必要があるのではないでしょうか。

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