今日の新聞 2020/12/09

変革急ぐノーベル文学賞

「欧米偏重の選考」「多様性確保へ専門家集団」だって。

最近、日本人の受賞が少ないのかな。学力の低下で「基礎研究」でも「応用研究」でも駄目なのかも知れません。

大体、色んな分野の賞で「それ何?」「知らねえや」「聞いたこともない」というのがほとんどなんじゃないでしょうか。受賞者を知らないだけじゃなく、研究内容もわからないのです。

その点、文学賞は「誰でもわかる(はずだ)」と思われているから、話題になるのでしょう。それは日本の翻訳文化が、その技術の高さや量・分野の多様性で特異な存在だということを自覚してないんじゃないかな、と思います。

日本では、専門家以外は翻訳だけで大体勉強が済んでしまいます。ハウツー本もたくさん出版されているので、原著を読まなくても「入門書」で済ませることすら可能です(笑)。欧米だけでなく、日本以外ではそんなことがないんじゃないかと思います(日本以外に住んだことはないけど)(^_^;)。

日本人が外国語に弱いからそうなっているのか、そういう状況だから外国語が弱くなるのか。相互作用だけど、多分後者が原因なんじゃないかな。翻訳があれば、わざわざ原語で読もうと思わないからね。そうするとだんだん閉鎖的な思考になってきます。「島国根性」とか「過剰同調」もそんなところに原因がある明治以降の思考だと思います(江戸時代までは「勉強する=漢文を読む」、でしたから。西周ってすごいと思う)。「意味」(!)はわかると思いますが。意味がわかることが「文学」ではないですよね。それなら誰でも書けることになりますが、意味以上に大切なのが文体ですよね。

私は全然才能がないので、自分では作りませんが、「俳句」は素晴らしい日本の文化(文学)だと思います。でも、その五七五を外国語に翻訳することは(多分)できないですよね。欧米の詩を日本語で味わうこともできないと思います。

よく引き合いに出されるのが、「古池や蛙飛びこむ水の音」ですが、意味だけなら「古池にカエルが飛び込んだ水の音(がいいなあ)」です。でも、それではこの句の良さが伝わらないし、意味すら誤解されるんじゃないでしょうか。

文体は「翻訳」できないんですよね。学術論文は文体ではなく意味が大切だと思われていますが、多分、文体や言語を抜きにして何かを語ろうとすることはできないんじゃないかな。翻訳を一生懸命読んでも意味がわからない。「原書を原語で読んだほうがわかりやすいよ」といわれたりする。「読めないから、翻訳を読んでるんだよお!!」と叫びたくなります。実際、拙い知識でも原書の単語を辿ったほうがわかったりします。一つ一つの単語ですら使われている地域の文化が深く染み付いているので、日本語にしてもニュアンスが伝わらないですよね(西周はすごい)。言語の本質に関わる話でしょうね。

ノーベル賞が「欧米偏重」なのは当たり前です。ヨーロッパの賞ですから。私は知りませんが、日本が出資しているのでしょうか。出資しているのなら、「日本人が少ないぞ」ということはできると思います。でもそれは、出資者同士で受賞し合う内輪の賞ですよね。そうじゃないなら、欧米人が受賞するのが当たり前でしょう。主催者の気まぐれ、あるいは賞の権威付けのために「たまにアジア人にも上げてみるか」ということなのではないでしょうか。

例えば、「日本アカデミー賞」でジョージ・ルーカスを最優秀監督賞に選ぶことがあるでしょうか。「外国人部門」ならあるかも知れませんね。でも、選んだところで来てもらえるかどうかすらわからない(笑)。ノーベル賞やアカデミー賞なら、日本人はホイホイと行くかも知れませんが。(^_^;)

「優れた文学」、多分あると思います。でも、それって優劣をつけたり、点数化できたりするものでしょうか。夏目漱石と森鴎外を「客観的に」比較することができますか。不可能ですよね。でも、できると思っちゃいます。「世界優秀味覚賞を受賞したシェフが作る安心の美味しさ」のチーズケーキとか言われたら思わず食べたくなりませんか。「世界優秀味覚賞」のことは全く知らないのに(笑)。

ノーベル文学賞を受賞した人の作品も、その人の名前すら聞いたことがなかったのに読んでみたくなりませんか(それも翻訳で!)。チーズケーキと同じで、面白い(美味しい)かどうかは読んで(食べて)みなけりゃわかりません。そもそも、何でも優劣をつけるという発想そのものがおかしいんですよね。そんな事不可能とか、好みはひとりひとり違うということだけじゃありません。チーズケーキが美味しかったとしましょう(日本には「名物にうまいものなし」という言葉がありますが)。それは、本当に美味しかったんでしょうか。「世界優秀味覚賞を受賞したシェフ」が作ったチーズケーキだから美味しく感じたんじゃないと言い切れますか。わたしなら、「そういうチーズケーキは美味しいと感じなくちゃならない」という意識がどこかにあるように思います。

権威のある賞を受賞したから権威がある、のではなく誰が受賞するかでその賞の権威が決まる、といわれます。なるほどと思います。平和賞などで思い当たるフシがあります。「人殺しの兵器を作ったノーベル」の賞というのも関係ないです。問題はもっと別のところにあるんですよね。(スガさんはエライから総理大臣になったのでしょうか。総理大臣になったからエライんでしょうか。将来ノーベル賞を捕るのかな。)(笑)

「なんで村上春樹が受賞しないの?」と言っている人は、自分が(人間に)優劣をつけられること(つけること)を「当たり前」だと思っているんでしょうか。単に「ゲーム」としてならなんとなくわかりますが、真剣に考えている人もいるんじゃないでしょうか。何かそれが日本の名誉、そして自分の名誉だと言わんばかりに。新聞に真面目に「偏重」だの「多様性」だのと取り上げられるくらいですから。

私は運動音痴(古い?)なので、早く走ることも泳ぐこともボールを器用に扱うこともできません。でも、サッカーやオリンピックを観るのは面白いです。「世界新記録」が出るのを期待しますし、日本人が金メダルを取れば嬉しくもなります。構造としては「ノーベル賞」と同じですよね。村上春樹がノーベル賞を獲ったらとても嬉しくなると思います(実は私は村上春樹が大好きです。彼の小説は多分全部読んでいます)。でも、それは村上春樹がノーベル賞を獲ったからではなく、まして自分がノーベル賞を獲ったからでもありません。村上春樹が世界で一番になったからでもないでしょう。それはわかっているんですが、やっぱり嬉しくなると思います。文字文化から逃れることはとっても難しいです。

(優劣、順番をつけること、数量化することが文字文化であることを書いていませんでした。すいません。)

Strawberry Fields Forever

これは「新聞」とは関係ありません。

ノーベル文学賞のことを書こうと思ったのは実は理由があります。というほど大げさなことではありませんが。

寝ていて頭の中にThe Beatlesの"Strawberry Fields Forever"が浮かんだのです。”Living is easy with eyes close...”、えっ?ずいぶんつづくなあ。どこまで続くの?気になったら眠れなくなりました。起き上がって内田久美子さんの訳の「ビートルズ全詩集」を取り出しました。すごく長いです。詩ですから、どこまでが一文というのはないのですが。

初期の”Love. Love me do. You know I love you."なんか比べ物になりません。Elvisの”Love me tender. Love me sweet.”との差も歴然です。

ちゃんと韻を踏んでいる?う〜ん、微妙ですね。でも、韻なんかは英語を母語にしていないとわかんないんじゃないかな。五七五が日本語を母語とする人にしかわからないように。

上記の通り、私は外国語は苦手です。学生時代から聞いてきたビートルズは今でも意味がわからず聞いています。(笑)

ビートルズって(ジョン・レノンって)すごいな。ビートルズの凄さってこんなところにあったのかなって思いました。奇しくも昨日はジョン・レノンの命日です。

そして、コーヒを飲みに茶の間に行ったら一昨日の新聞(夕刊)がありました。それのトップ記事が「ノーベル文学賞」だったわけです。なんか「運命」的なものを感じてしまいました。(笑)

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コメント

  1. […] 前にちょっと書きましたが、"Love me tender. Love me […]