自由の新たな空間-闘争機械 F・ガタリ+T・ネグリ 1985 丹生谷貴志訳 1986 朝日出版社

自由の新たな空間-闘争機械力を感じる本である。二人の意気込み、息づかいが聞こえてきそうな本である。しかし、そこには具体的な答えや指示はない。これは、自由の新たな空間、共産主義の可能性が持っている性格に対応するものである。すなわち、「特異/固有性」を生かし続ける新たな生の試みにおいては、運動そのものが「特異/固有」的であるからである。

具体的行動は、万人がそれぞれ異なっているのである。しかし、その万人の行動が、行動する人の考えに関わりなく支配体制に有利に働くこともある。したがって、そのさまざまな実践において忘れてはいけない共通の思想・意志がある。この本はその欠いてはいけないエッセンスを歴史的な運動の反省と成果に基づいて詰め込んだものである。そういった意味では、可能な限りの具体的実践の本なのである。 68年からの運動を評価するとともに、「敗北」を認める。そして、その中に可能性を見つけていく。同様に、80年代の運動、90年代の運動のなかに、成果と敗北を認め、可能性を探していくことが今必要なのである。グリーンピースの運動や、ベルリンの壁の崩壊、ソ連の崩壊等の動きのなかで、労働者(人民)は決して自由を拡大しただけではない。管理体制の網の目はますます細かく、世界中に張り巡らされている。

資本主義(あるいは社会主義、とはもう言わなくてもいいのかもしれないが、社会主義的な思想もまだ権力の一部を担うものとして有効である)が微分的に張り巡らせた網は、資本主義の弱体化と同時に、支配の強化を示している。分子状の闘争の可能性は、その強化された支配の形態である権力の微分化にある。つまり、資本は自らの支配の可能性を延ばすとともに、その反抗の可能性も生み出しているのだ。   (2000年記)

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