プロタゴラス 希: Πρωταγόρας、英: Protagoras プラトン全集8 藤沢令夫訳 1975/04/07 岩波書店

プラトン全集
高木仁三郎さんの『いま自然をどうみるか』で引用していたので読みました。ギリシャ神話の話を読んでみたかったからです。

ソクラテスがまだ30代の頃です。若いので、老プロタゴラス[wiki(JP)](60歳くらい)の前でちょっと困るシーンがあります。ヒッポクラテスという中心人物は医者の祖とは違います。

話の内容は「『徳』を教えることができるか」です。対話はスリリングです。対話のルールをその場で「両者の合意で」決めるのはいいことです(ルールは途中で変えてもいい)。

気になるのは、全体と一部の関係です。プロタゴラスは相対主義者として有名だそうですが、ソクラテスは絶対主義者というか、白黒をはっきりとしたい派です。A=B、AnotB、A∈B、A∋Bのどれかです。そして、同時にそれ以外であってはいけません。明快です[1]。それにプロタゴラスが巻き込まれます。ずるいです。「グレーもある」と言ってるのに「グレーは白か黒か」と言ってくるのですから(笑)。デジタル的思考ですよね。

デジタルは白か黒、OnかOffです。0(ゼロ)か1です。中間の0.5(灰色)を表したければ、白を00(十進法で0)黒を11(3)として01(1、白に近い灰色),10(2、黒に近い灰色)が灰色になります。白を000(0)黒を111(7)とすれば、灰色は001,010,011,100,101,110です。実はいくら桁を増やしても、真ん中(0.5)は表せません。だって2進法ですから、表せる数は2のn乗なので偶数個です。真ん中はありません。(^_^;)[2]

「彼ら食物の商人たちも、自分たちが持ってくる商品について、そのどれが身体に良いか悪いかを自分自身でも知らないのに、売るにあたって何もかもほめたてるし、彼らから買うほうは買うほうでまた、体育家や医者でもないかぎり、そのよしあしがわからない。」(ソクラテス)(P.121)2,500年前も今と買わないですね(笑)。「貨幣経済=商品」があるところではどうしてもこういう現象が起こります。当たり前です。「数量化」というのは「デジタル化」ですから。ソクラテスはこのように言うことで、自分自身を批判しているのです。多分、ソクラテスは商人と同じで「よい」か「わるい」かしかないのではないでしょうか。

(ソフィストは、その)「技術がまねく憎悪をおそれて、仮面をもうけてその偽装のか(FF)げにかくれていた」(プロタゴラス)(P.127-128)、詩作や音楽や体育術という仮面。「彼らは、世人のなかでもその国々において実権をにぎる人々の目をくらますことができなかったが、これらの偽装も結局はそういう人々が目当てなのであるから。なるほど大衆はといえば、これはいわば何も気づいていないといいてよく、ただ前者の宣託するところを、何でもそのままくりかえしているだけなのであるが。」(プロタゴラス)(P.128)彼はわかっていながら仮面を着けない選択をしたわけです。ソクラテスは、あるいはプラトンはどうだったのでしょうか。書いてありません(^_^;)。やっていることは同じだったと思うのですが。[3]

「こういったさまざまのかたちの教育は、最も能力のある人々がこれをもっとも熱心に行ない、そして最も能力のある人々とは、最も富める人々にほかならない。」(プロタゴラス)(P.147)好きじゃないです。まあ、プラトンの創作かもしれないし。論理を追うことにしましょう。

公平な聞き手でなければならないけれども、平等な聞き手であってはならなのだ」「賢い方により多くの価値を」「おかねばならない」。「討論しあっても口論しあうべきではないと思う。」(P.173)公平(κοινος)と平等(ισος)、難しいですね。「討論と口論」はなんとなくわかりますが。

「法においてではなく、自然において。なぜならば、相似たる者は自然において互いに同族の間柄にあるのであるが、これに対して法は、人の世を支配する専制君主であって、多くの反自然的なことを強制するからである。」(ヒッピアス[wiki(JP)])(P.174)自然と法とは対立するのですね。「自然本来のもの」を「法律・習慣(ノモスνόμος)」より上に位置づけているわけです。多分プラトンなら、自然(ピュシスφύσις)よりもロゴス(λόγος)を大切だと思っていると思います。神(Θεός)が、自然や人間を作ったという考え(上から下)と、理性や法によって神に近づく(下から上)、あるいは神の論理が理性だ、という考え方の違いですね。「自然法」[wiki(JP)]って何?怪しいですね。

神や自然を上に置く立場と、人間とその理性を中心に置く立場が明確に現れています。

現在の快楽と現在の苦痛を経ての将来の快楽とを計量する知識が善だという考えが述べられます。(P.205-)その技術としての知識がないものが無知であると。キリスト教にもつながる考えです。これが近代にまた別の形で復活します。

プラトンはいろいろな意味で、近代の合理的(=科学的)知識の祖です。あるいは、時代ごとにプラトンを「利用」しているのかもしれません。キリスト教にしても資本主義的思考にしても。そしてここで皮肉に描かれているプロタゴラスはまだ「自然の中の人間」「自然と切り離されていない人間」という考えを残しているのだと思います。

プロタゴラスは「ほかの用事にかからなければならない時間だ」(P.231)と逃げてしまいます。もう少し頑張ればいいのに。(^_^;)[wiki(JP)](60歳くらい)の前でちょっと困るシーンがあります。ヒッポクラテスという中心人物は医者の祖とは違います。

話の内容は「『徳』を教えることができるか」です。対話はスリリングです。対話のルールをその場で「両者の合意で」決めるのはいいことです(ルールは途中で変えてもいい)。

気になるのは、全体と一部の関係です。プロタゴラスは相対主義者として有名だそうですが、ソクラテスは絶対主義者というか、白黒をはっきりとしたい派です。A=B、AnotB、A∈B、A∋Bのどれかです。そして、同時にそれ以外であってはいけません。明快です[1]。それにプロタゴラスが巻き込まれます。ずるいです。「グレーもある」と言ってるのに「グレーは白か黒か」と言ってくるのですから(笑)。デジタル的思考ですよね。

デジタルは白か黒、OnかOffです。0(ゼロ)か1です。中間の0.5(灰色)を表したければ、白を00(十進法で0)黒を11(3)として01(1、白に近い灰色),10(2、黒に近い灰色)が灰色になります。白を000(0)黒を111(7)とすれば、灰色は001,010,011,100,101,110です。実はいくら桁を増やしても、真ん中(0.5)は表せません。だって2進法ですから、表せる数は2のn乗なので偶数個です。真ん中はありません。(^_^;)[2]

「彼ら食物の商人たちも、自分たちが持ってくる商品について、そのどれが身体に良いか悪いかを自分自身でも知らないのに、売るにあたって何もかもほめたてるし、彼らから買うほうは買うほうでまた、体育家や医者でもないかぎり、そのよしあしがわからない。」(ソクラテス)(P.121)2,500年前も今と買わないですね(笑)。「貨幣経済=商品」があるところではどうしてもこういう現象が起こります。当たり前です。「数量化」というのは「デジタル化」ですから。ソクラテスはこのように言うことで、自分自身を批判しているのです。多分、ソクラテスは商人と同じで「よい」か「わるい」かしかないのではないでしょうか。

(ソフィストは、その)「技術がまねく憎悪をおそれて、仮面をもうけてその偽装のか(FF)げにかくれていた」(プロタゴラス)(P.127-128)、詩作や音楽や体育術という仮面。「彼らは、世人のなかでもその国々において実権をにぎる人々の目をくらますことができなかったが、これらの偽装も結局はそういう人々が目当てなのであるから。なるほど大衆はといえば、これはいわば何も気づいていないといいてよく、ただ前者の宣託するところを、何でもそのままくりかえしているだけなのであるが。」(プロタゴラス)(P.128)彼はわかっていながら仮面を着けない選択をしたわけです。ソクラテスは、あるいはプラトンはどうだったのでしょうか。書いてありません(^_^;)。やっていることは同じだったと思うのですが。[3]

「こういったさまざまのかたちの教育は、最も能力のある人々がこれをもっとも熱心に行ない、そして最も能力のある人々とは、最も富める人々にほかならない。」(プロタゴラス)(P.147)好きじゃないです。まあ、プラトンの創作かもしれないし。論理を追うことにしましょう。

公平な聞き手でなければならないけれども、平等な聞き手であってはならなのだ」「賢い方により多くの価値を」「おかねばならない」。「討論しあっても口論しあうべきではないと思う。」(P.173)公平(κοινος)と平等(ισος)、難しいですね。「討論と口論」はなんとなくわかりますが。

「法においてではなく、自然において。なぜならば、相似たる者は自然において互いに同族の間柄にあるのであるが、これに対して法は、人の世を支配する専制君主であって、多くの反自然的なことを強制するからである。」(ヒッピアス[wiki(JP)])(P.174)自然と法とは対立するのですね。「自然本来のもの」を「法律・習慣(ノモスνόμος)」より上に位置づけているわけです。多分プラトンなら、自然(ピュシスφύσις)よりもロゴス(λόγος)を大切だと思っていると思います。神(Θεός)が、自然や人間を作ったという考え(上から下)と、理性や法によって神に近づく(下から上)、あるいは神の論理が理性だ、という考え方の違いですね。「自然法」[wiki(JP)]って何?怪しいですね。

神や自然を上に置く立場と、人間とその理性を中心に置く立場が明確に現れています。

現在の快楽と現在の苦痛を経ての将来の快楽とを計量する知識が善だという考えが述べられます。(P.205-)その技術としての知識がないものが無知であると。キリスト教にもつながる考えです。これが近代にまた別の形で復活します。

プラトンはいろいろな意味で、近代の合理的(=科学的)知識の祖です。あるいは、時代ごとにプラトンを「利用」しているのかもしれません。キリスト教にしても資本主義的思考にしても。そしてここで皮肉に描かれているプロタゴラスはまだ「自然の中の人間」「自然と切り離されていない人間」という考えを残しているのだと思います。

プロタゴラスは「ほかの用事にかからなければならない時間だ」(P.231)と逃げてしまいます。もう少し頑張ればいいのに。(^_^;)" target="_blank">[wiki(JP)][wiki(JP)](60歳くらい)の前でちょっと困るシーンがあります。ヒッポクラテスという中心人物は医者の祖とは違います。

話の内容は「『徳』を教えることができるか」です。対話はスリリングです。対話のルールをその場で「両者の合意で」決めるのはいいことです(ルールは途中で変えてもいい)。

気になるのは、全体と一部の関係です。プロタゴラスは相対主義者として有名だそうですが、ソクラテスは絶対主義者というか、白黒をはっきりとしたい派です。A=B、AnotB、A∈B、A∋Bのどれかです。そして、同時にそれ以外であってはいけません。明快です[1]。それにプロタゴラスが巻き込まれます。ずるいです。「グレーもある」と言ってるのに「グレーは白か黒か」と言ってくるのですから(笑)。デジタル的思考ですよね。

デジタルは白か黒、OnかOffです。0(ゼロ)か1です。中間の0.5(灰色)を表したければ、白を00(十進法で0)黒を11(3)として01(1、白に近い灰色),10(2、黒に近い灰色)が灰色になります。白を000(0)黒を111(7)とすれば、灰色は001,010,011,100,101,110です。実はいくら桁を増やしても、真ん中(0.5)は表せません。だって2進法ですから、表せる数は2のn乗なので偶数個です。真ん中はありません。(^_^;)[2]

「彼ら食物の商人たちも、自分たちが持ってくる商品について、そのどれが身体に良いか悪いかを自分自身でも知らないのに、売るにあたって何もかもほめたてるし、彼らから買うほうは買うほうでまた、体育家や医者でもないかぎり、そのよしあしがわからない。」(ソクラテス)(P.121)2,500年前も今と買わないですね(笑)。「貨幣経済=商品」があるところではどうしてもこういう現象が起こります。当たり前です。「数量化」というのは「デジタル化」ですから。ソクラテスはこのように言うことで、自分自身を批判しているのです。多分、ソクラテスは商人と同じで「よい」か「わるい」かしかないのではないでしょうか。

(ソフィストは、その)「技術がまねく憎悪をおそれて、仮面をもうけてその偽装のか(FF)げにかくれていた」(プロタゴラス)(P.127-128)、詩作や音楽や体育術という仮面。「彼らは、世人のなかでもその国々において実権をにぎる人々の目をくらますことができなかったが、これらの偽装も結局はそういう人々が目当てなのであるから。なるほど大衆はといえば、これはいわば何も気づいていないといいてよく、ただ前者の宣託するところを、何でもそのままくりかえしているだけなのであるが。」(プロタゴラス)(P.128)彼はわかっていながら仮面を着けない選択をしたわけです。ソクラテスは、あるいはプラトンはどうだったのでしょうか。書いてありません(^_^;)。やっていることは同じだったと思うのですが。[3]

「こういったさまざまのかたちの教育は、最も能力のある人々がこれをもっとも熱心に行ない、そして最も能力のある人々とは、最も富める人々にほかならない。」(プロタゴラス)(P.147)好きじゃないです。まあ、プラトンの創作かもしれないし。論理を追うことにしましょう。

公平な聞き手でなければならないけれども、平等な聞き手であってはならなのだ」「賢い方により多くの価値を」「おかねばならない」。「討論しあっても口論しあうべきではないと思う。」(P.173)公平(κοινος)と平等(ισος)、難しいですね。「討論と口論」はなんとなくわかりますが。

「法においてではなく、自然において。なぜならば、相似たる者は自然において互いに同族の間柄にあるのであるが、これに対して法は、人の世を支配する専制君主であって、多くの反自然的なことを強制するからである。」(ヒッピアス[wiki(JP)])(P.174)自然と法とは対立するのですね。「自然本来のもの」を「法律・習慣(ノモスνόμος)」より上に位置づけているわけです。多分プラトンなら、自然(ピュシスφύσις)よりもロゴス(λόγος)を大切だと思っていると思います。神(Θεός)が、自然や人間を作ったという考え(上から下)と、理性や法によって神に近づく(下から上)、あるいは神の論理が理性だ、という考え方の違いですね。「自然法」[wiki(JP)]って何?怪しいですね。

神や自然を上に置く立場と、人間とその理性を中心に置く立場が明確に現れています。

現在の快楽と現在の苦痛を経ての将来の快楽とを計量する知識が善だという考えが述べられます。(P.205-)その技術としての知識がないものが無知であると。キリスト教にもつながる考えです。これが近代にまた別の形で復活します。

プラトンはいろいろな意味で、近代の合理的(=科学的)知識の祖です。あるいは、時代ごとにプラトンを「利用」しているのかもしれません。キリスト教にしても資本主義的思考にしても。そしてここで皮肉に描かれているプロタゴラスはまだ「自然の中の人間」「自然と切り離されていない人間」という考えを残しているのだと思います。

プロタゴラスは「ほかの用事にかからなければならない時間だ」(P.231)と逃げてしまいます。もう少し頑張ればいいのに。(^_^;)[wiki(JP)](60歳くらい)の前でちょっと困るシーンがあります。ヒッポクラテスという中心人物は医者の祖とは違います。

話の内容は「『徳』を教えることができるか」です。対話はスリリングです。対話のルールをその場で「両者の合意で」決めるのはいいことです(ルールは途中で変えてもいい)。

気になるのは、全体と一部の関係です。プロタゴラスは相対主義者として有名だそうですが、ソクラテスは絶対主義者というか、白黒をはっきりとしたい派です。A=B、AnotB、A∈B、A∋Bのどれかです。そして、同時にそれ以外であってはいけません。明快です[1]。それにプロタゴラスが巻き込まれます。ずるいです。「グレーもある」と言ってるのに「グレーは白か黒か」と言ってくるのですから(笑)。デジタル的思考ですよね。

デジタルは白か黒、OnかOffです。0(ゼロ)か1です。中間の0.5(灰色)を表したければ、白を00(十進法で0)黒を11(3)として01(1、白に近い灰色),10(2、黒に近い灰色)が灰色になります。白を000(0)黒を111(7)とすれば、灰色は001,010,011,100,101,110です。実はいくら桁を増やしても、真ん中(0.5)は表せません。だって2進法ですから、表せる数は2のn乗なので偶数個です。真ん中はありません。(^_^;)[2]

「彼ら食物の商人たちも、自分たちが持ってくる商品について、そのどれが身体に良いか悪いかを自分自身でも知らないのに、売るにあたって何もかもほめたてるし、彼らから買うほうは買うほうでまた、体育家や医者でもないかぎり、そのよしあしがわからない。」(ソクラテス)(P.121)2,500年前も今と買わないですね(笑)。「貨幣経済=商品」があるところではどうしてもこういう現象が起こります。当たり前です。「数量化」というのは「デジタル化」ですから。ソクラテスはこのように言うことで、自分自身を批判しているのです。多分、ソクラテスは商人と同じで「よい」か「わるい」かしかないのではないでしょうか。

(ソフィストは、その)「技術がまねく憎悪をおそれて、仮面をもうけてその偽装のか(FF)げにかくれていた」(プロタゴラス)(P.127-128)、詩作や音楽や体育術という仮面。「彼らは、世人のなかでもその国々において実権をにぎる人々の目をくらますことができなかったが、これらの偽装も結局はそういう人々が目当てなのであるから。なるほど大衆はといえば、これはいわば何も気づいていないといいてよく、ただ前者の宣託するところを、何でもそのままくりかえしているだけなのであるが。」(プロタゴラス)(P.128)彼はわかっていながら仮面を着けない選択をしたわけです。ソクラテスは、あるいはプラトンはどうだったのでしょうか。書いてありません(^_^;)。やっていることは同じだったと思うのですが。[3]

「こういったさまざまのかたちの教育は、最も能力のある人々がこれをもっとも熱心に行ない、そして最も能力のある人々とは、最も富める人々にほかならない。」(プロタゴラス)(P.147)好きじゃないです。まあ、プラトンの創作かもしれないし。論理を追うことにしましょう。

公平な聞き手でなければならないけれども、平等な聞き手であってはならなのだ」「賢い方により多くの価値を」「おかねばならない」。「討論しあっても口論しあうべきではないと思う。」(P.173)公平(κοινος)と平等(ισος)、難しいですね。「討論と口論」はなんとなくわかりますが。

「法においてではなく、自然において。なぜならば、相似たる者は自然において互いに同族の間柄にあるのであるが、これに対して法は、人の世を支配する専制君主であって、多くの反自然的なことを強制するからである。」(ヒッピアス[wiki(JP)])(P.174)自然と法とは対立するのですね。「自然本来のもの」を「法律・習慣(ノモスνόμος)」より上に位置づけているわけです。多分プラトンなら、自然(ピュシスφύσις)よりもロゴス(λόγος)を大切だと思っていると思います。神(Θεός)が、自然や人間を作ったという考え(上から下)と、理性や法によって神に近づく(下から上)、あるいは神の論理が理性だ、という考え方の違いですね。「自然法」[wiki(JP)]って何?怪しいですね。

神や自然を上に置く立場と、人間とその理性を中心に置く立場が明確に現れています。

現在の快楽と現在の苦痛を経ての将来の快楽とを計量する知識が善だという考えが述べられます。(P.205-)その技術としての知識がないものが無知であると。キリスト教にもつながる考えです。これが近代にまた別の形で復活します。

プラトンはいろいろな意味で、近代の合理的(=科学的)知識の祖です。あるいは、時代ごとにプラトンを「利用」しているのかもしれません。キリスト教にしても資本主義的思考にしても。そしてここで皮肉に描かれているプロタゴラスはまだ「自然の中の人間」「自然と切り離されていない人間」という考えを残しているのだと思います。

プロタゴラスは「ほかの用事にかからなければならない時間だ」(P.231)と逃げてしまいます。もう少し頑張ればいいのに。(^_^;)



⟨impressions⟩

I read it because it was quoted in "How to see nature now" by Jinzaburo Takagi. I wanted to read the story of Greek mythology.

Socrates was still in his thirties. I'm young, so I'm a little troubled in front of the old Protagoras [wiki (JP)] (about 60 years old) There is a scene. The central figure, Hippocrates, is different from the ancestor of the doctor.

The content of the story is "Can you teach'virtue'?" Dialogue is thrilling. It is good to decide the rules of dialogue on the spot "by agreement of both parties" (the rules can be changed in the middle).

What is worrisome is the relationship between the whole and the part. Protagoras is famous as a relativist, but Socrates is an absolutist, or a group who wants to clarify black and white. One of A = B, AnotB, A ∈ B, A∋B. And at the same time it must not be anything else. It's clear [1] . Protagoras is involved in it. It's sly. He says "there is gray", but he says "is gray white or black?" (Laughs). It's digital thinking, isn't it?

Digital is white or black, On or Off. It is 0 (zero) or 1. If you want to express the middle 0.5 (gray), white is 00 (decimal 0), black is 11 (3), 01 (1, gray close to white), 10 (2, gray close to black) are gray. .. If white is 000 (0) and black is 111 (7), gray is 001,010,011,100,101,110. Actually, no matter how much you increase the digits, the middle (0.5) cannot be expressed. Because it is binary, the number that can be represented is 2 to the nth power, so it is an even number. There is no middle. (^ _ ^;) [2]

"They food merchants also praise everything they bring for sale, even though they don't know which ones are good or bad for them, and they buy from them. Also, unless you're a gymnast or a doctor, you don't know how good it is. "(Socrates) (P.121) I don't buy it 2,500 years ago (laughs). This kind of phenomenon inevitably occurs where there is a "monetary economy = commodities". Of course. Because "quantification" is "digitization". Socrates criticizes himself by saying this. Perhaps Socrates is the same as a merchant and is only "good" or "bad".

(Sophist said) "I was afraid of the hatred of technology, and I was hiding it with a mask (FF)" (Protagoras) (P.127-128), a mask of poetry, music, and physical education. "They couldn't blind the people in the world who were in power in those countries, but these camouflages were ultimately aimed at them. Well, the masses are, so to speak, this. It's okay to say that he didn't notice anything, he just repeated the former mandate, whatever it was. "(Protagoras) (P.128) He knew that he chose not to wear a mask. That's why. How was Socrates, or Plato? Not written (^ _ ^;). I think he was doing the same thing. [3]

"In these various forms of education, the most capable people do this most enthusiastically, and the most capable people are none other than the richest people." (Protagoras) (P.147) It is not. Well, it might be Plato's creation. Let's follow the logic.

"You must be a fair listener, but you must not be a equal listener." "More value for the wise." "Must be." "I don't think we should discuss but quarrel each other." (P.173) Fairness (κοινος) and equality (ισος) are difficult. I can understand "discussion and quarrel" somehow.

"In nature, not in law, because similar people are in a family relationship with each other in nature, whereas law is a tyranny who rules the world of man and has many anti-hippias. Because it forces natural things. "(Hippias [wiki (JP)] ) (P.174) Nature and law are at odds with each other. The "natural thing" is positioned above the "law / custom (NOMOS νόμος)". Perhaps Plato thinks that logos (λόγος) are more important than nature (Physis φύσις). It's the difference between the idea that God (Θεός) created nature and humans (top to bottom) and the idea that God approaches God by reason or law (bottom to top), or that God's logic is reason. What is "natural law" [wiki (JP)] ? It's suspicious.

The position that puts God and nature on top and the position that puts human beings and their reason at the center are clearly shown.

The idea is that knowledge that measures the present pleasure and the future pleasure through the present pain is good. (P.205-) Ignorance is something that has no knowledge of the technology. It is an idea that also leads to Christianity. This will be revived in another way in modern times.

Plato is, in many ways, the ancestor of modern rational (= scientific) knowledge. Or maybe they are "using" Plato from time to time. Whether it's Christianity or capitalist thinking. And I think that the protagoras depicted here ironically still retains the idea of ​​"human beings in nature" and "human beings who are not separated from nature."

Protagoras runs away saying, "It's time to spend on other errands" (P.231). I wish he could do his best. (^ _ ^;)




[出演者(プロフィール)]

プラトン(プラトーン、古代ギリシャ語: Πλάτων、Plátōn、羅: Plato、紀元前427年 - 紀元前347年)は、古代ギリシアの哲学者である。ソクラテスの弟子にして、アリストテレスの師に当たる。[wiki(JP)]



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<注釈>
[1] この考え方は死ぬまで続きます。『エウテュプロン』でも、この論法でやってます。多分、対話篇は全てそうでしょう。
[2] ディスプレイで、「1670万色」とか言われますが、赤、緑、青がそれぞれ256色(8ビット)なので、256×256×256=16,777,216色です。真っ黒が0,真っ白は16,777,215です。中間は8,388,627と8388,628の「あいだ」です。ちなみに、真っ黒も、真っ白もそのディスプレイで表される最低輝度と最高輝度で、本当の(?)真っ黒や真っ白とは無関係です。
[3] ソクラテスの授業料の話(Mixi)。

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