今こそマルクスを読み返す 廣松 渉 1990 講談社現代新書

今こそマルクスを読み返す

今こそマルクスを読み返す


廣松にしてはとてもわかりやすい。絶好のマルクス入門書である。


実は、廣松が死んだことを最近知った。やはり10年のブランクは大きい。


領有法則の転回


忘れていた。


資本の下への労働の形式的包摂


資本の下への労働の実質的包摂


 能意的参加(アンガージュマン)により、よりよい労働者として労働する。彼は必要に駆られて労働する(生存のためにではない)。これは、新しい社会においても必要なことである。ただし、精神的きっかけは異なる。必要とは、本来の自発的必要にならなくてはならない。


 実質的な包摂が思考に与える影響については、余り詳しく書かれていないが、現代社会において、人は「商品語」(すなわち「資本語」)を話すようになる。資本のメカニズムの中において、欲望を生産し、商品として行動する。商品語以外を話す可能性はどこに見いだしたらいいのか。自己は存在しない。自己とは諸関係のアンサンブルにすぎない。諸関係が資本主義的であるとき、自己も資本主義的にならざるを得ない。話す言葉は商品語になる。欲望の生産=大量消費(廃棄)は、まさしく資本としての行動である。どこに可能性を見いだしたらよいのか。


賃労働制度の廃止


 やはりよくわからない。生産手段を共有するだけではだめなことはわかる。しかし、生産手段の共有(国有ではない)は、賃労働の廃止であるとともに、所有概念の転換でもある。所有概念が含む、自由処分権や乱用権は制限(もしくは廃止)されるであろう。(公共の福祉の名の下に?)


 生産を計画的に制御することは不可能に思える。というより、人間の行動を人間が制御してほしくない。人間の行動と同じように偶然や試行錯誤があってもいいのではないか。そのような経済機構の一つとして「市場経済」がある。市場経済を利用することができないのか。もちろんその内実は変わっている。労働力商品が変質するとともに、商品そのものが持つ性格も変化するからである。


 たとえば、貨幣が流通するとしても、それが利潤を生み出さなければ貨幣の性格は変化している。



Mon Apr 16 06:35:21 2001