探究2 柄谷行人 1994 講談社学術文庫

探究2

探究2



1度目に読んだとき、漠然ながら自分の生き方が見えたような気がして、もう1度読み直した。よくわからなかったが、自分は共同体の中にいて、共同体的な思考をせざるを得ないが、スタンスは共同体の外にあらざるを得ないのではないかと思っている。それが超越論的立場だ。外といっても、物理的な、あるいは空間的な外ではない。それは、他の共同体の中でしかない。共同体からはずれることはできないのだ。

 独我論を抜け出すには、自分(や自分以外の存在)の単独性を認めなければならない。単独性は「一般」に対する「特殊」ではない。私はかつてそれを「特異点」と呼んだ。それは固有名で表されるものであり、数に還元(抽象)され得ないものである。。そのような(固有名をもった)私というのは、探すものでもなく、見つけるものでもない。ただ他と交換不可能なものとして存在するだけである。それは、共同体性からはみ出している。そのはみ出した部分が社会的かどうかはわからない。それは、共同体としての自分から見た他者である。その他者との関係は非対称的である。それは、他人の中の他者との関係と同じである。同じ言語ゲームを共有しない関係なのだ。


 他者との関係は常に不確定である。そこには規則を想定できないのだ。関係が持ち得たときに、事後的に規則を想定できるだけである。


 私はそう生きざるを得ないとしても、それほど強い人間ではない。同時に心の安定を求めている。不確定な社会性の中で、心の平穏は得られるのだろうか。



Tue Sep 25 23:06:30 2001











共同体性から離れる魅力
共同体はなぜ常に社会性を求め、それを否定し、自分の中に取り込もうとするのか。
(一部の?)人はなぜ、共同体から離れて別の共同体を求めるのか。