ホーキングの最新宇宙論-ブラックホールからベービーユニバスへ スティーブン・W・ホーキング 佐藤勝彦監訳 1990日本放送協会

ホーキングの最新宇宙論-ブラックホールからベビーユニバースへ

ホーキングの最新宇宙論-ブラックホールからベビーユニバースへ


 10年前に欲しかった本だが、今回古本屋で100円だったので買った。


 物理関係の本は久しぶりだし、私は数学がわからないので、正しいのかどうかはわからない。この本には数式はいっさい出てこない。だから、ホーキングの理論そのものを批評するのは無理である。


 本屋にはホーキングの理論のここがおかしい、というような本も出ているが、そんなことはどうでもいい。世界解釈の一理論として読めばいいのだ。



最新かどうか


科学が進むのは早い。しかし、この本の内容については、まだ色があせていないように思える。ホーキンスは「今世紀末までに完全な統一理論が見つかるという方に賭ける」と書いているが、そのような理論は新世紀を迎えた今もできていないし、あるいは出来ていたとしても公認されていない。


ビッグバン(宇宙の始まり)


 量子力学的には10のマイナス44乗秒が物理的に有効な時間の最小単位だそうである。ホーキングは、10のマイナス44乗秒以降は、現在考えられている物理法則が適用されるという。そして、それ以前は、虚数の時間を用いれば説明できるとする。


 しかし、時間の最小単位が10のマイナス44乗秒だとすれば、それ以前は、0とマイナスの時間である(マイナスというより虚数の時間というのが正しいかもしれない。)。従って、虚数の時間を考えるのであれば、特異点定理を否定することはないのではないかと思う。虚数の時間を考えるということは、ビッグバン以前を考えることになるのではないかと思ってしまう。2次元で思考をするとき、「北」という概念は北極では成り立たなくなるというが、2次元で思考するならば、北極より北、虚数で表される北があると思う。それは2次元平面としての地球の裏側のようなものである。問題は、表と裏の境目、その点をどのように表現するかである。それは、「ゼロ」である。そのゼロを持つことによって、実数(あるいは虚数)が意味を持つ。ゼロを体系の中に取り入れることによって、体系は成立し、且つ、体系は完結しない。


特異点


 その「ゼロ」がまさしく特異点である。ゼロは、体系の中にありながら、体系を客観的に見る(体系化・形式化)する点であり、観察者自身である。客観法則は、観察者自身に及ぶときその有効性を失う。観察者が、観察されることになるからである。(自己言及性)


 観察するものが観察の対象になったとき、観察者は自己崩壊の危機に直面する。


時間


 時間は、出来事と出来事との関係である。それは、距離が物と物の関係であるのと同じである。


 時間が一方方向に流れる(と思う)のは、時間が1次元で表されるからである。時間を2次元以上に考えなければ、時間上での位置を特定することは出来ない。時間軸を考えたときに、その時間軸をプラスの方向に移動しているのか、マイナスの方向に移動しているのかは知ることが出来ない。単に現象(出来事)を見て、一方方向に移動していると思いこんでいるだけである。もし、時間が逆に動いたとしても、それを知るのはやはり出来事を見る限りであり、そのことを確認するすべはない。水が高い方から低い方向に流れるのが時間のプラスの流れだとすると、水が低い方から高い方向に流れる世界ではそれがプラスの方向であると思うであろう。


 出来事と出来事との関係というのは、決して原因と結果のことではない。原因は結果から事後に分かるものであり、それは逆でもあり得るのだ。


宇宙の始まりや、行く末を考えるということ


 どうして人は、宇宙の始まりや行く末を知りたがるのだろう。それは、原因-結果という図式にこだわるからではないか。自分が存在する原因や、自分の存在の結果を知りたいのである。要は、自分を知りたいがために、客観的なものを求めるのである。しかし、客観的なものには自分はない。しかし/かつ主観というものは客観性の中にしか求められない。


 熱い社会に住む限り、時間の方向性(発展)を信じ、自分を客観視することによる自己同一性を求めざるを得ない。それが、自己の存在を信じることであり、自己を個人として認めることだからである。自己を個人としてみなければ、現代社会(資本性社会)の中では生きていけないのだ。