沈黙の春 レイチェル・カーソン著 青樹簗一訳 2001/06/25 新潮社

沈黙の春 レイチェル・カーソン著 青樹簗一訳 2001/06/25 新潮社

本書について

"Silent Spring", by Rachel Carson, 1962, Houghton Mifflin Company Boston" の訳です。1964年に『生と死の妙薬-自然均衡の破壊者〈科学薬品〉』という邦題で新潮社から出版されました。私の本は2001/06/25初版、2003/04/20第8刷の単行本です。「100円」のシールがはられている中古本です。いつ買ったかは忘れました。

2004年に文庫化されています。改訳があったかどうかはわかりません。

訳者「青樹簗一」について

訳者については全く知りませんでした。漢字がとても少なくて、とても読みやすい文章です。いくらかイラストも入っていて、本の雰囲気を盛り上げています(原書の扉の写しがあって、イラストは「Lois and Louis Darling」とあります)。

その文章から、訳者は科学者でも哲学系の人でもなく文学系の人だな、とは感じていましたが、この感想を書くにあたって調べたところ(wikiwand)、ドイツ文学者でした。本名は「南原實」。父は南原繁[wiki(JP)]

私は普通、訳者を気にしないのですが、あまりにいい本でいい文章だったので調べたのです。この訳には批判もあるようです(「『沈黙の春』邦訳の問題点とその背景」笠松直)。この論文のなかに「青樹はこのように,相当自由に翻訳しており,ときおり補注を紛れ込ませ,ときには原文を任意に訳し落とす。この点をとりあげて極論すれば,我々はカーソンにではなく,青樹と出逢ったのではないのか,という問題設定さえ可能である。」「青樹訳については,時代的制約もあり,現代的には疑念のある箇所,訂正を要する箇所も存する。」とあります。

私は外国語が読めないので、外国の本は邦訳で読んでいます。それは、原著者の思想を伝えるとともに翻訳者の思想を伝えています。私は、翻訳書は原著者と訳者の共同著作だと思っているし、本は著者と読者で意味を作り上げていると思っています。原書が読めない私はそう思うしかないのです(笑)。

わたしを含め日本人の多く、特に原書が読めない人は翻訳者の思想のもとで思考しています。わたしは最近、自分が西周の手のひらで思考していることに気が付きました。自由、平等、民主主義、恋愛、意識、思想、理性、主観、客観、対象、・・・どれが翻訳語で、どれが漢語で、どれが仏教用語か、いちいち考えていると、考えること自体ができなくなってしまいます。少なくともそれらはもともとの日本語(大和言葉)でないことは明らかです。もちろん、翻訳語には原語の文化の、漢語には中国文化の、仏教用語には仏教思想が反映されています。そしてそれぞれが日本の文化と意味合いを含んで使われていると思います。

DDTの思い出

私が小さかった頃は、まだ普通にDDTを使っていました。頭から振りかけられることはなかったと思うけど、トイレ(汲取式)の中や周りなど、蛆虫(うじむし)が発生しそうな場所には自宅でも学校でも噴霧器でDDTを振り撒いていました。

初めは粉でしたが、いつからか液体になった気がします。液体はフマキラーだったかもしれません。よく憶えてない。

農薬の思い出

私の祖父母の家は農家でした。毎年、お盆と年末年始は親に連れられて遊びに行きました。山で昆虫を取ったり、近くの小川で釣りをしたりしました。捕れたのはフナなどの小魚ですが。

ところが、ある年以降全く魚がいなくなりました。翌年も翌年も全く捕れません。数年後、ドジョウが何匹かいましたが、フナは二度と見ることがありませんでした。

夜は蛙の声がうるさく眠れないほどでしたが、ある年以降全く蛙の声がしなくなりました。まさしく「沈黙の夏」でした。その不気味さを憶えています。空が暗くなるほど飛んでいたトンボもいなくなりました。

その頃は農薬のせいだなどと考えることもしませんでしたが、馬がいなくなった馬小屋に劇物マークの農薬や硫黄などが無造作においてあったことを憶えています。

お風呂もトイレも家の外。手動ポンプでの水汲み。遊びに来るのはいいけど、こんなところに住むのは嫌だと思いました。私は農村の「自然豊かな生活」から決裂しました。

給食

給食には必ず「脱脂粉乳を溶いた物」が出ました。当時、牛乳は銭湯で飲むもので、家庭では飲む物ではないと思っていました。確か、牛乳を定期的に配達してもらっている家はありましたが、少しお金のある家か、病人がいるなど特別な環境の家だったと思います。

牛乳が一般的じゃないということは、牛肉も一般的ではありませんでした。実物の牛を見たのは、おとなになってからじゃないかな。たぶん、食用牛や、乳牛は周りにはいませんでした。私の地方には役牛もいませんでした。

肉食(牛肉食)の文化は、明治以降に西洋文化の影響で生まれたものです。東京では牛肉文化が栄えたのでしょうが、わたしが牛肉と触れたのはおとなになってオーストラリアやニュージーランドから安い牛肉が輸入されるようになってからです。突然スーパーに牛肉のバラ肉が豚肉と同じような値段でならんでいて、驚いたことを記憶しています。

牛乳(脱脂粉乳)が余れば押し付けられ、牛肉が余れば押し付けられ、殺虫剤が余れば押し付けられる。いや、押し付けられるのではなくて売りつけられるのです。その過程は堤未果さんの著作(『日本が売られる』幻冬舎新書)に詳しく書かれています。

堤さんの著作でもグリホサート(ラウンドアップ[wiki(JP)])のことが取り上げられていますが、それはこの本が出版されて60年以上経つのに状況は少しも良くなってはいないことを意味します。

ラウンドアップに特徴的なのは、それに耐性を持つ「遺伝子組換え作物」と合わせて販売されているということです。

ホームセンターに行けばさまざまな殺虫剤や除草剤が山積みにされていますし、100円ショップにすらさまざまな殺虫剤・除草剤が置いてあります。

わずか二、三分でもいい。どんな薬品がスーパーマーケットにあるかさがしてみよう。たいして化学の知識がなくてもいい。おそろしい毒薬がならんでいるのを見れば、どんなに無神経な者でも愕然とするだろう。(P.197)

わたしは高校で化学に「有機」が出てきた時点で、化学を諦めました。それまでは、わたしにとって科学は「論理的に説明できるもの」だったのですが、有機化学は論理ではなくて暗記科目のような気がしたのです。それでも成分表はなるべく見るようにはしていますが、わたしが知っている物質は殆どありません。それは食品にも当てはまります。身近なお菓子の成分表を見てください。必ずと言っていいほど学校では習わなかった成分が入っています。製造方法が違うだけで名称が変わったりするのではないでしょうか。「アレルゲン表示」だけは企業責任を避けるためにちゃんと書かれているとは思いますが。

許容量

化学薬品の中には法律で製造を禁止されているものもあります。でも、大抵の化学成分は「許容量」が決められています。毒性を認められている物質ものはもちろん、放射線量も決められています。

東日本大震災(2011年)があったとき、放射線の許容量(基準量)が二転三転したのを覚えている方も多いと思います。

一つ一つの薬品について汚染の最大限許容量を管理局では決めて、《許容量》と呼んでいるが、この方法にも明らかな欠点がある。許容量も、現在の状況では、ただ名目上の安全にすぎないのに、許容量がきまっているのだから、ただそれを守っていればよい、ということになる。私たちの食物に少しなら毒をふりかけてもよろしいーーこのおかずにもちょっと毒を、あのおかずにもちょっぴり。(P.205)

わずかづつでも、くりかえしくりかえしふれていれば、わたしたちのからだのなかに化学薬品が蓄積されていき、ついには中毒症状におちいるだろう。いまや、だれが身をよごさず無垢のままでいられようか。外界から隔絶した生活など考えられこそすれ、現実にはありえない。(P.197)

汚染度の低い餌をあたえたのに腫瘍ができたネズミもいた。この分量なら大丈夫という線はなかったのだ。(P.248)

放射能や科学的発癌物質を少量ずつくりかえし摂取すると、正常な細胞の呼吸作用が破壊され、エネルギーが奪われる、という。そして、一度こうした状態になると、もうもとへはもどらない。(P.253)

発癌物質を少量づつくりかえし摂取するほうが、大量に摂取するよりも、場合によっては危險なのはなぜか、これもヴァールブルクの理論で説明がつく。大量なら、細胞はすぐに死んでしまう。少量のときには、細胞はへんにいためつけられたまま生きつづけ、癌細胞となるからなのだ。したがってまた、発癌物質にはこれくらいなら《安全》という線は引けない。

また、同じ因子が癌の治療に役立つかと思うと、発癌の原因になったりする。たとえば、だれでも知っている放射線。そのほか、癌の治療に使われるさまざまな化学薬品。なぜ、こんなに奇妙なことが起こるのか、これもヴァールブルクの理論で説明できる。結局、放射線も化学薬品も、細胞の呼吸作用をきずつける。癌細胞はもともと完全に呼吸できないから、さらにきずつけば死んでしまう。ところが、正常な細胞にこのような傷害をあたえれば、死なないで悪性腫瘍への道を歩むことになる。(P.254)

放射線治療も抗がん剤の治療も高額なようです(それが「がん保険」などという商品を生み出す)。でも、わたしは思うのです。放射線が癌細胞を破壊するのなら、正常細胞も破壊するだろうと。抗がん剤が癌細胞を殺すなら、正常細胞も少なからず殺すだろうと。どちらも「自分の細胞」なのですから。

物質(化学物質)は単独で存在するのではない

ある種の化学物質は、それ自体が体内や土壌の中で変化します。

また、ヘプタクロールには奇妙な性格があって、ヘプタクロール・エポキシドといわれる、化学的に性質の異なる物質に変化する。土壌や、植物、動物の組織のなかに入ってから変化するのである。鳥を使っての実験では、このように変化したエポキシドは、はじめにくらべて、約四倍も毒性が強い。(P.42-43)

著者は、一つの化学物質だけではなく、べつの化学物質との関係も問題だと指摘します。

いろいろな化学薬品が相互に作用しあうとき、どういうおそろしいことになるのか、これについては、いままでほとんど何も知られなかったといってもいい。(P.50)

海についたときにはきわめて希薄な状態になっているので、成分を検出できる確実な方法も現在はない。長い途を旅してくるうちに化学薬品は変化を起こすにちがいないが、はたして毒性が強くなるのか、弱くなるのか、知るすべもない。また、化学薬品がたがいにどういう作用を及ぼしあうのか、ーーこれも未知の領域だ。(P.175)

Aという薬品(新しい化学物質)単独での毒性はメーカーによって測定されます。Bについても。でも、AとBが体内で出会ったときにどういう影響があるのかは測定されません。かんたんな例では「食べ合わせ」です。「鰻と梅干」とか。A、B単独では美味しい。健康にもいいかもしれない。でも、AとBを一緒に食べるとお腹を壊したりします。逆に、いい取り合わせもあるでしょう。「混ぜると危険」の漂白剤なんかもそうです。

ある新しい薬品が、いま市場にある全ての薬品とどういう関係にあるのか。いや、食品や飲料、金属などすべてのものに対してどういう反応をするのかを検査することは不可能なのです。さらにAとBとCではどうか。無数の組み合わせを検査することは不可能です。

人間の体の神秘にみちた動きに少しでも目を向けてみれば、原因と結果が単純につながっていて、原因から結果へと直接たどれることは滅多にないことがわかる。原因と結果は、空間的にも時間的にもかけはなれている。病気や死亡の原因をつきとめようと思えば、見た目には関係もない、いろんな分野の研究成果を集めて、はじめてわかることが多い。

私たちは、いつもはっきりと目にうつる直接の原因だけに気を奪われて、ほかのことは無視するのがふつうだ。明らかな形をとってあらわれてこないかぎり、いくらあぶないといわれても身に感じない。(P.212)

99人には問題がない薬があなたにも問題がない、という保証はありません。「鰻と梅干し」を食べると、全員お腹が痛くなるわけではありません。食べるときの体調もあるでしょう。本人も記憶にない昔の出来事、たとえば農薬に触ったとか、ハチに刺されたとか、それが今の薬と重大な相互作用を起こすかもしれないのです。

メトキシクロールが安全だといわれるのは、それだけのときには、大量に蓄積しないからであって、いつもそうとはかぎらない。何かほかの原因で肝臓が弱ると、メトキシクロールは、ふだんの百倍も体内に蓄積し、DDTと同じようにいつまでも神経系統をいためる。でも、はっきりとした肝臓病にならなくても、自覚症状がなく少し肝臓がいたんだだけでも、このようなことが起こる。たとえば、別の殺虫剤を使ったとか、四塩化炭素を含有する洗剤を使ったとか、トランキライザーを飲んだとか(トランキライザーには塩素化炭化水素系のものがあって肝臓に副作用をあたえる)、そんな何でもないようなことで、こうしたことが起こる。(P.218)

放射線によるこのような被害は、ラジオミメチックーー放射線に似た作用のある化学薬品ーーによってもひき起こされることが実験の結果明らかになっている。放射線に似た作用があるため、ひろい範囲をおおい、殺虫剤、除草剤もそのなかに入り、染色体をいため、正常な細胞分裂をかきみだし、突然変異をまねく。このような遺伝物質の破損のために、当人が病気になることもあるが、また世代があらたまってからはじめて影響がでることもある。(P.231-232)

あなたが自分の一生を無事に終えたとしても、あなたの子供、あるいは孫に影響することもあり得るのです。

益虫・害虫

「怖いぞ〜」という脅しではないのです(ある意味では脅しですが)。脅されて行動を変えるのは一時的ですから。経験(体験)がないことはすぐに忘れてしまうし、他人や子孫には伝わりません。

わたしが中学生の頃、「食物連鎖」という言葉が教科書に載りました。それまでは「弱肉強食」という考えが中心で、その頂点に人間がいるというものでしたから、大きな変化です。そして、共生や寄生という考えも教えられました。今でいう「生態学」です。「人間中心主義」は崩れるかに思えました。

でも、食物連鎖の頂点にいるのはやはり「人間」でした。他の生物は、互いに関連しているにしても、結果的には「人間を生存させるため」に存在するのでした。共生(片利共生も)にしても寄生にしても、あるいは益虫や害虫にしても人間から見て、さらには「私から見て」「益になるかどうか」ということであり、わたしの「主観」の投影です。

昆虫はウィルスや細菌におそわれるばかりでなく、菌類、原虫類、微生物、そのほか極微世界の目にも見えぬ生物(これはたいてい人間には有益な生物)にも悩まされている。(P.316)

益虫と害虫のちがいも、腐敗と発酵のちがいも、人間中心に見たものです。食物連鎖という視点から見れば、「腐敗」といわれるものがなければ、植物も動物も一世代(あるいは数世代)で地球上からいなくなってしまいます。私たちは無数の細菌やウィルスとともに生きています。空気と同じように、細菌やウィルスに包まれて生きているといったほうがいいかもしれません。昆虫も植物(雑草)も関係しあって生きています。それぞれの存在にどういう意味があるか、どういう関係を持っているかを人間の言葉で表現する(見つけ出す)ことはできるかもしれません。でも、それは薬の相互作用と同様、無限の組み合わせです。

益虫(有益である)というのは人間から見たものであることは明らかです。そしてそれらが相互に関連しあっていることから、「害虫」はいないのではないでしょうか。もしいるとすればそれは自然を克服しようとする「人間」なのではないでしょうか。

たまたま宇能鴻一郎の本を読んでいて思い出しました。今の若い人にはわからないかもしれませんが、昔は蚊帳(かや)をつっていました。もちろん「蚊取り線香」はありましたが、毎日蚊取り線香を焚くのではなく、蚊と人間とのあいだに区切りをつけたのです。毎食のご飯に蠅がつかないように「蠅入らず(蠅帳)」に入れていました。戸棚やフードカバーのことです。蚊や蠅を「殺してはいけない」ということではなくて、食べるあいだ、寝るあいだは「どけて」もらっていたのです。

自然の征服

《自然の征服》ーーこれは、人間が得意になって考え出した勝手な文句にすぎない。生物学、哲学のいわゆるネアンデルタール時代にできた言葉だ。自然は人間の生活に役立つために存在する、などと思いあがっていたのだ。応用昆虫学者のものの考え方ややり方を見ると、まるで科学の石器時代を思わせる。およそ学問とも呼べないような単純な科学の手中に最新の武器があるとは、なんとそらおそろしい災難であろうか。おそろしい武器を考え出してはその鉾先を昆虫に向けていたが、それは、ほかならぬ私たち人間の住む地球そのものに向けられていたのだ。(P.325)

西洋社会は、自然、つまり生物を分類し、物質を分類してきました。生物の基本単位を「種」、物質の基本単位を原子としました。でも、それで生物や物質を「捕らえる」ことはできませんでした。種も原子も更に分析していきました。生物の種類はどんどん増え、原子はさらに小さな単位に分解されました。その先のことは私にはわかりません。クオークやひも理論、不確定原理などで、無機物、有機物、遺伝子、植物、動物などをを説明しようとします。そしてさらには「宇宙」までも。できないまでも「いつかできるだろう」と信じて科学は進んでいます。ところが、肝心の人間については説明できていません。人間に関する学問は自然に関する学問同様に(以上に?)細分化され研究されているにも関わらず、です。

分析が細分化されるにつれて謎が深まっていきます。学問は生物をいつ知り尽くすことができ、ある昆虫(害虫)だけを駆除したり、ある植物だけを繁殖させたりすることができるのでしょうか。学問が人間(自分)を知り尽くすことができないのは、知り尽くすことによって人間(自分)の「自由」が無くなってしまうことに一因があります。知ることと自由との矛盾は、自己を対象とすることによって発生します。自己を知り論理的に決定することは「自由」とは相容れないのです。

自己を知りえないということは、自己を統御(制御、支配)できないということです。それでも自己は「自我」として強硬に自由を求めます。それが「他者」、つまり他人や植物や昆虫の統御に繋がります。そしてそれは自己の統御に失敗するように失敗します。「人間のため=自分のため」と考えている間は無理なのです。

人間の意志に反して、病原菌はひろがっていったのだ。これに反して、大部分の発癌物質は、人間が環境に作意的に入れている。そして、その意志さえあれば、大部分の発癌物質をとりのぞくことができる。化学的発癌因子が私たちの世界に入ってくるのには、二つの道があるーー一つは、皮肉なことに、みんながもっとよい、らくな生活を求めるため、もう一つは、わたしたちの経済の一部、ならびに生活様式がこのようなおそろしい化学薬品の製造や販売を要求するため。(P.264)

新しい化学物質が流通するのは、それで「儲けている」人がいるからです。それは資本主義社会だからですが、社会主義社会であれば化学物質が流通しないとは言えません。レーニン流の計画経済は「人間が経済を統制することが可能である」という前提に基づきます。計画経済のためには、各財の量と流通、つまり「財の関係」が分からなければなりません。そこで巨大な「マトリックス(数学でいう行列)」が用いられます。まさに「生物とその関係」のアレゴリーです。そして、それは不可能だと私は思います。

もう一つは「生活様式」、簡単に言えば私たちが追い求める「便利さ」です。蠅帳の代わりに殺虫剤を用いる心情です。健康意識も同じです。手を洗う代わりに消毒用アルコールを使ったら、どういう種類の菌やウィルスが死に、それらがどのように関連(多分自分たちと)しているのかを考えることはありません。

「衛生状態が良くなって平均寿命が増えた」また「新生児死亡率が減った」と言われます。そうなのかもしれません。同時に「老人性痴呆症」や「出生前診断」が社会問題となっています。人工授精(試験管ベビー)や「代理母」も論争の的のままです。平均寿命が増え、新生児死亡率が減ることは「正しい」ことなのかもしれません。出生前診断や人工授精や代理母は「正しい」ことなのでしょうか。人によって考え方は違うでしょう。それを「正しいこと」だと考えたにしても「間違ったこと」と考えたとしても、それは「人間が判断したこと」にすぎません。それは犬や猫には無縁なことです。それは精子や卵子、生まれてくる子供にも関係のないことに思われます。最近、私は近づいている老人性痴呆になったときには、平均寿命も関係ないよな、と思い始めました。

長生きをすること、つまり自分の寿命を制御しようとすることは、自然(あるいは命)を征服しようとすることと同じく、私の「自我」に基づく思考方法だと思うのです。

新しい病気(食物アレルギー、花粉症、アトピー(アトピー性皮膚炎))

私が小さい頃にも「アレルギー」という言葉はありました。「あの人、苦手なんだよな。アレルギーなんだ」というような使い方をしていたと思います。その頃にも食物アレルギーの人はいたと思います。そばアレルギーの人も昔からいたし、それで死んだ人もいたでしょう。私の父はそばが大好きでした。私はそばが苦手で「年越しそば」が苦痛でした。それでも無理やり「一口でいいから食べろ」と言われて食べました。死ぬことはなかったですが。

いつの頃からか、さまざまな「アレルギー」が生まれたようです。Wikipediaの「食物アレルギー」の項目には、長い原因食物の表が載っています。私の子供が生まれた頃、「アトピー(アトピー性皮膚炎)」という言葉を初めて聞きました。「花粉症」という言葉も大人になってから聞いた気がします。

これらは自己免疫系の病気ですが、きっと病名はどんどん増えているのでしょう。体の具合が悪い時(あるいは健康診断の数字が悪い時)、病名が付けば治療に健康保険が使えるようになる(かもしれない)だけではなく、なんだか安心します。

「昔からいた」と言いましたが、本当にいたのでしょうか。「〇〇(歴史上の人物)は××だった」という学説(?)がバラエティ番組やマスコミを騒がすときがあります。「文献上の記述」を元に考察するとそうだった、ということらしいです。病気というのは「その社会において」定めるものですから、ある人のある状態が病気かどうかは、文化や歴史の中でその社会が判断するものです。私は社会や歴史とは別に「客観的に」病気は「ある」と思っていましたが、間違いでしょう。

そのこととは別に、アレルギーやアトピー、さらには「がん」(がんも自己免疫系の病気かもしれません)が「化学物質」(直接的に、または蓄積された、あるいは遺伝子上)の影響ではないと言い切れるでしょうか。放射線(原発やレントゲン)、電磁気(ディスプレイや5G)など、今まで人間(生物)が触れたことのない環境が体に悪影響を与えているとすれば、私たちは何を犠牲にしてそれらの「科学」を受け入れる必要があるのでしょうか。

自然

農業も原始的な段階では、害虫などはほとんど問題にならない。だが、広大な農地に一種類だけの作物を植えるという農業形態がとられるにつれて、面倒な事態が生じてきた。まずこの農作方式は、ある種の昆虫が大発生する下地となった。単一農作物栽培は、自然そのものの力を十分に利用していない。それは、技術屋が考える農業のようなものである。自然は、大地に色々変化を生み出してきたが、人間は、それを単純化することに熱をあげ、そのあげく、自然がそれまでいろんな種類のあいだに作り出してきた均衡やコントロールが破壊されてしまった。」(P.27)

「農耕」は、ある特定の作物を限定された場所に植えること、かもしれません。牧畜も同様です。それによって「生産性」が向上するのですが、それがどれだけの規模であっても「自然」ではない以上、自然のバランス(均衡)を崩すことになります。

菜の花を栽培すればミツバチが集まってきます。菜の花は食べたいけどハチは嫌い、というのは人間(自分)中心主義のわがままですね。ハチがいなければ菜の花は栽培できませんから。ハチに栽培のお裾分けをする、いや「自然の営みの一部を人間はお裾分けしてもらって生きている」くらいの気持ちであってもいいのではないでしょうか。

栽培の規模が大きくなれば、バランスの崩れも大きくなります。鳥インフルエンザで何十万羽(何百万羽?)が毎年殺処分されていますが、それは人間の身勝手以外の何でしょうか。

自然

なぜここの自然はこういう姿をしているのか、なぜこのままにしておかなければならないのか、それは風土そのものに書き記されているのだ。ちょうど、こういうことすべてを書いた本が、目のまえに開いておいてあるように・・・。だが、本をよむ人はだれもいなかった。(P.83)

名言だと思います。読まなかったのは近代西洋文化の影響下の地域だけのような気もします。逆に言えば、それは「本が一般的にある地域」だとも言えると思います。著者はこの本を書きました。でも、自然を本にすることが可能だと思っているのでしょうか。本にすることができるのは「科学」とか「学問」とか言われるもので、それは「自然の一面」でしかありません。「一部」であるのはもちろんですが、今後科学が発展していっても、それが表すことができるのは人間が対象とするものだけです。そして、対象とするのは「人間の意識に上ったもの」もっと言えば「人間の意識だけ」です。その意識と対象の溝(壁)は埋まることはありません。埋まった途端に対象ではなくなるからです。

「自然に分け与える」「自然から恵んでもらう」という考えは本に書かれるような「論理」や「倫理」ではありません。書かれたものではなく、伝統文化としてあったものです。親から子へと連綿と伝えられてきたものです。私は「伝統」は嫌いで、「革新」という言葉に抗えないほどの魅力を感じてきました。私は対象を、つまり現実に存在するもの「そのもの」ではなくて、それが自分の意識に上ったものを「意識的」「論理的に」考える癖がついています。それ以外の考え方をいまだに持てないのです。そしてその「知識」を「判断する」のは、どんなに私が嫌いな言葉だとしても「倫理」以外にはない事は薄々感づいていました。農薬や殺虫剤を売って儲けることが「悪いこと」だと思ってしまうのは、その「倫理」以外にはありえないのに。

そして「論理」や「倫理」は自然にとっては「どうでもいいもの」です。


《補論》

私は知っています。禁止された農薬がその後も流通し続けていることを。また、商品名を変えたり、成分表示を変えたり、さらに新しい成分を常に作り出していることを。

そして、「本当に」使われなくなった後、数十年経っても畑を耕すたびに土壌の奥から農薬が染み出してくることを。

でも、それらは「計測できる」ものです。計測能力には限度があるし、すべての検査所が最新の計測器を備えているわけではありません。そして、「人体に影響」の基準値がどんどん変更されていることも知っています。

Aさんにはなんでもないものも、Bさんには有害かもしれない。999人に無害でも一人に有害なものは「有害」でしょうか。論理的に100人の命と一人の命を比べることができるのでしょうか。

昔、水道局の人に話を聞いたことがあります。細かい数字は憶えていませんが、「この水道の塩素消毒で癌になる確率は10万分の1と言われています。つまり、私たちが作っている水道水で毎年この街の人の3人が癌になっているということです。」と悲しそうな顔をしていました。

彼の悲しみを「杞憂」だと言えるでしょうか。






[著者等]

レイチェル・ルイーズ・カーソン(Rachel Louise Carson、1907年5月27日 - 1964年4月14日)は、アメリカ合衆国のペンシルベニア州に生まれ、1960年代に環境問題を告発した生物学者。

南原實(なんばら みのる、1930年11月12日 - 2013年11月12日)は、ドイツ文学者。東京大学名誉教授。

自然を忘れた現代人に魂のふるさとを思い起こさせる美しい声と、自然を破壊し人体を蝕む化学薬品の浸透、循環、蓄積を追究する冷徹な眼、そして、いま私たちは何をなすべきかを訴えるたくましい実行力。三つを備えた、自然保護と化学物質公害追及の先駆的な本がこれだ。ドイツ、アメリカなど多くの国の人々はこの声に耳を傾け、現実を変革してきた。日本人は何をしてきたか?



[]

シェアする

フォローする