移住と言語変容 小野米一著 『岩波講座 日本語学 別巻 日本語研究の周辺』1978/03/28,所収

サルの言語と人類の言語 伊谷純一郎著 『岩波講座 日本語学 別巻 日本語研究の周辺』1978/03/28,所収
ことばの変化

個人は、生まれて以来、さまざまの社会的環境のなかで、言語を身につける。その言語は、個人の成長の過程でおりおりに推移をたどる。そのような言語が、二以上の個人を通じてまったく同一ということはない。どのような意味でかの個人差が、つねに存在する。

言語による表現も理解も、個人の行為としてのみ成り立つ。別々の個人である話し手と聞き手との間において、表現意図と理解内容とが、一致するのはむずかしい。人は、そのずれを最小限にしようと努力する。自分の目に見えるもの・心に浮かぶことを正確に表現しようとし、また、相手の言うことを相手の身になって受けとめようとしたとしても、そのずれは小さくなるだけであって、なくなることはない。

このように、言語は、それ自体として、つねに変化する契機をはらむ。」(P.157)

ことばの変化を「個人の特殊性」と「コミュニケーションの特性」に求める視点が提示されます。

移住と言語変容

移住によって、個人間とは別の「違う言語」に触れることになります。メインに取り上げられているのは「植民地北海道」(P.159)への移住(入植)です。一世から四世までの言語変化を調査しています。現在は五世くらいでしょうか。

東北・北陸地方のことばが、北海道移住者のことばづかいの基盤になったと考えられる。(P.159)

このように、変化の方向を「減少〔方言消滅)」と「増加(共通語化)」の二方向に置いて、それぞれ四つずつの類型としてとらえることができる。(P.178)

さまざまな方言が使われていたのが、「北海道地域共通語」に変化し、それが「共通語(標準語)」に変化していきます。私が学生だった頃(つまりこの本が出版された頃)、下宿にはいろいろの県から来た学生がいました。だいたいは共通語を話していましたが、京都から来た学生だけは「京都弁」を止めませんでした。それが結構かっこよくて、女の子にもてていました。私は共通語を話しているつもりでしたが、その人に指摘されてはじめて自分の言葉に方言が混じっていることを知りました。東北から来ている学生が実家に電話をしているのを聞いたことがありますが、何を言っているのかわかりませんでした。山口から来ている学生のことばも殆どわからず、驚いたことを覚えています。

この、「方言を直す人」と「直さない人」の差は、自分の生まれた地域に愛情を持っているかどうかの差のように思います。

日本語内部での方言接触においても、日本語と外国語との接触においても、あるいはまた諸言語の接触においても、そこにおける言語変容の度合いには、けっきょく、文化の優位性の意識、さらにいえば母語に対する誇りと愛情の意識が、大きく作用するようである。(P.195)
二重言語生活

普段共通語で話している学生は、学生仲間での会話で使うことばと、実家で使うことばを使い分けていることになります。

先住者のいる地への移住においては、自らの言語と先住者の言語との接触がおこる。そのさい、三つの事態が想定される。第一には先住者の言語を駆逐してしまう場合、第二に先住者の言語を全面的に受容する場合、第三に両者が互いに影響を与えあいながら共存する場合、である。北海道への移住は第一の例で、ハワイやブラジルへの移住は第二の例とされよう。(P.193-194)

先住者の言語とまったく関係なく、自らの言語だけをもちこみ、保ちつづけるということは、ありえないことであろう。(P.194)

戦時中に日本が「外地」で行った日本語教育や、ソビエト連邦の中でのロシア以外の国においては、現地のことばを駆逐することはできませんでした。西欧の植民地においてはアフリカとアメリカ大陸とアジアでは若干様子が違うようです。特殊な例はイスラエルです。話しことばとしては1700年以上使われなくなったことばを復活したからです。

労働者として移住した場合と、支配者的地位についた場合とでは、言語変容にもちがいがあるであろう。

イスラエルにはさまざまの背景をもった人々が移住によって集まり、ヘブライ語を復活させて日常語として使うにいたった。(P.192)

言語変容の原因

変容の可能性は冒頭に書いたことにあるのですが、実際の変容の原因は何でしょうか。その一つは、この論文のテーマである「移住」です。その他に書かれているのは「植民地化」などの政治的なものです。その他には「経済的」なものもあるでしょう。

さらに、それを推し進めるのは「教育」と「マスコミ」です。

今日では、全国各地で、マスコミ、とくにテレビを通しての共通語の攻勢をたえず受けつづけている。その二重言語生活は、方言->地域共通語->全国共通語、という共通語化の過程を内包する。

諸外国においても、移住による二重言語生活とともに、移住によらない二重言語生活もある。(P.195)

学校やマスコミでは共通語(支配語)を使うことを教えられ、方言を使うのは「田舎者」であり「カッコ悪い」ことだと植え付けられます。ですから、この論文の調査結果は調査前から予想されたものでもあると思います。それでもこういう調査とともに方言の記録も必要です。

逆に、どうして地方ごとに方言ができたのでしょうか。人類がアフリカ大陸から世界中に広がったように、言語もあるところで発生して世界中に広まったという説があります。でも私は、言語はそれぞれの地方で発生したと思っているし、人類がアフリカから世界中に広まったとも思っていません。証明できることではないですから、どちらでもいいのです。たとえ、一箇所から広まったとしても、ことばはその地域の風土や文化に根ざしています。なぜなら、コミュニケーションは言語だけで成立するわけではないからです。言語は、その背景にある文化や歴史や、発話者やそれを聞く人の経験、発話の場所や気候、時間など、さまざまな(あるいはすべての)背景をもって成立します。学者はとかく「本に書かれている文章」を「ことば」だと思ってしまうフシがあります。

だからこそ、変容しても通じるのではないでしょうか。どこかに「ヴァナキュラーなもの」を必ず含みながら、変容していくのです。教育とマスコミ(そして政治や経済)は、そのヴァナキュラーなものをどんどん破壊しようとします。それらは「権力」なのです。権力を排除することは、弱い者・力のない者にはむずかしいと思います。だからこそ、現在あるものの中にヴァナキュラーなものを見つけ出すことが大切なのではないでしょうか。それこそが「生きる力」なのですから。






[著者等]

小野米一(おの よねいち) 1939年生、北海道教育大学教育学部助教授


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