
1970年前後、サイケデリック・ロックやプログレッシブ・ロックなどというものが流行りました。「Neu!」「タンジェリン・ドリーム Tangerine Dream」「ピンク・フロイド Pink Floyd」「キング・クリムゾン King Crimson」など、さまざまなバンドが生まれます(レコードをたくさん持っています)。ひとつのグループを見ても、まったくメロディーらしきものがない時代やポップなメロディーをもつものまで変わっていることがわかります。そこにはジョン・ケージやシュトックハウゼンなどの現代音楽の系譜もあります。
環境音楽もその一つで、クラシックのコンサートのように「改まって」「真面目」に聞く(能動的に聞く)のではなくて、「そこにある」音楽というものです。音楽は「音」です。「楽しい」かどうかは聞いている人が感じるものです。やっている人の多くは「楽しい」からやっているんでしょうが、それと聞いていて楽しいかどうかは別のことです。
現代絵画も同じです。「何が描いてあるのか分からない」抽象絵画は、描く人は「楽しく」か「真剣」にか、描いているのですが、それを「美しい」と思うかどうかは見る人の勝手です。
わたしは、「プログレッシブ」とか「アヴァンギャルド」とか「現代」という言葉に弱かったので、それらの音楽や絵画を「いいもの」だと思い込もうとしました。「分からない」けど「いいもの」だと考えようとしました。「理解するのではない、感じるんだ」というのは、カンフー映画のセリフでもあります。
でも、せっかくレコードを買ってきて、プレイヤーに載せて針を下ろすと「雑音」のような音が永遠と続くのは「楽しい経験」ではありませんでした。それよりもきれいなメロディーやハーモニーがある方が楽しいのです。
ビートルズは大好きですが、『ホワイト・アルバム』の「レボリューション9 Revolution 9」のあとに「グッド・ナイト Good Night」 のリンゴ・スターの声が聞こえるとホッとします。
「YMO (Yellow Magic Orchestra)」は「テクノ・ポップ」グループです。シンセサイザーやシンセドラムを使ったポップな曲がメインです。いまでも大好きです。
「シンセサイザー」は音作りからはじめます。「シンセサイザー」はピアノやバイオリンなどのような「楽器固有の音」がありません。音の波形自体を作ることで、どんな音でも作れます(実際には「プロフェットの音」、とか「モーグの音」とか言われたけど)。音階や音の大きさは電圧で調整しますから、あらかじめメロディをデジタルデータとして記憶させておくことができます。それを再生(プログラムを実行)させることで、人が弾くことなくメロディを奏でてくれます。
コンサート(ライブ)は、セッティングさえしておけば、ミュージシャンが演奏しなくてもスイッチひとつでできることになるのですが、それではレコード(CD)を会場でかけるのと変わりありません。実際、わたしの大好きなもう一つのテクノバンド「クラフトワーク」では、「クラフトワーク」が出てこないコンサートもあったようです。YMOのコンサートでも、会場に音だけが流れていて、しばらくしてメンバーが出てきたこともありました。
「ライブ」は「ライブ感」、つまり「臨場感」や「偶然性(一回性)」が必要ですから、なんかメンバーが「操作(演奏)」しなくてはなりません。細野はベースを弾いたし(キーボードのときもある)、高橋はドラムを叩くし、坂本はキーボードを弾きます。三人とも超一流の演奏家ですから、問題はありません。
ただ、三人とも「実際に弾く」ということ(つまりアナログ)にこだわっていたように思います。
坂本が世界的になったのは、YMOやそれ以後の他のミュージシャンとのコラボもありますが、やはり映画音楽でしょう。『戦場のメリークリスマス』が好きな人も多いでしょうが、わたしは『ラスト・エンペラー』が最高だと思います。『ラスト・エンペラー』でアカデミー作曲賞をとったのは、坂本龍一とデヴィッド・バーンと蘇聡(スー・ツォン、コン・スー Conf Su)の三人です。
いい映画音楽は、その音楽自体だけではなくて、その音楽を聞けばその映像(シーン)やそれを観たときの感情が浮かんでくるものです。
それだけではありません。その時の感情を作り出すのも音楽です。おどろおどろしい音楽、ロマンチックな音楽など、無声映画の時代から伴奏(BGM)は使われました。それらは「環境としての音楽」です。
森の中や草原での草木の匂い、鳥の声、風の肌触りなど、経験というのはすべての感覚(あるいはそれ以上のもの、隣りにいる人とか、時間とか)が合わさったものです。
「日曜美術館」でも紹介されていましたが、坂本は身近な音や自然な音を集めて(録音して)いました。雨の音、子供の声、街の雑踏、何かをたたいた音・・・。若い頃からやっていたと思います。画家がスケッチをするように。
『12』はほぼピアノだけでできています。はじめて聞いたときには「環境音楽」のようにしか聞こえませんでした。もちろんピアノですから、単なる「雑音」ではありませんが。
昨日、あらためて聞いたときに思いました。これは「雨だれの音」だと。
骨音響学によると、言語の音の平均的な周波数は、
日本語と英語は隔絶しています。日本語の音声の周波数で125から1500ヘルツ、それに対して英語は2000から15000ヘルツと日本語の最高より英語の最低が上という、まさにかけ離れた音域です。(金谷武洋『述語制言語の日本語と日本文化』、P.292)
これを読んで思いました。言葉は話すと同時に「聞く」わけですから、この周波数は「声」を聞くために特化しているはずです。だから、日本語話者と英語話者とでは「自然の感じ方」が違うんじゃないかと。
落ち葉を「カサカサ」というこすれたり踏みつけたりする「音」と感じるか、オー・ヘンリーの『最後の一葉』のように「映像」と感じるか。あるいは「雨」は屋根や葉っぱや窓にあたる「音」と感じるか、『シェルブールの雨傘』(?フランス語は英語より日本語の周波数に近いようです)のような雨に霞んだ街の「映像」と感じるか。
わたしは海外に住んだことがないので、イメージですが、西洋は「視覚文化」、日本は「音声文化」の方にずれている気がします。
わたしにとって雨は「音」です。雨だれの音、「パラパラ、とんとん、とん、パラ、とん、パラ」と規則的でもあり、不規則でもある音です。
画家は、自分の頭(心)の中にさまざまな「色」をもっています。そしてそれぞれの色の「つながり(かたち?)」も。同様に、音楽家はさまざまな「音」とその「つながり(メロディ?)」をもっています。
画家は描くとき、それが抽象画であっても具象画であっても、外界のものを写真のように模写するのではありません。描かれるのは心の中の「色」です。音楽家も同様でしょう。どれほどの色や音の「持ち札」が多いか、それが大切です。
対象(それは「心」も含まれます)の中にいかに形や色を見つけるか、あるいは「音楽」を見つけるか。それが才能でしょう。
何かを作り出すとき(坂本なら作曲をする時)、「内から湧き出す」もの(音楽)があって、それを表現できることも才能ですが、そうではなくて、「対象と一体化する作品」「対象から生まれる作品」というのを坂本は目指していたのではないでしょうか。そこにおいては主体は「対象の中」にあるのです。
それを「個性」と呼ぶ人もいるでしょう。でも、そこでは「主体」や「個性」というものはなくなって(溶解して)います。「意図」を超えて(越えて)いるからです。
わたしはそれを「職人の技」に見ます。意図しなくても手が勝手に動くのです。マニュアル化できるような「正しいやり方」や「効率的なやり方」ではありません。出来上がった作品には「個性」があるかもしれません。でも、むしろ「作品」に見えないこと、そこに「当たり前にある」こと、つまり「環境」であることこそがすごいことなんじゃないでしょうか。
2023/03/28に亡くなった坂本の展覧会が、東京都現代美術館で開催されています。『日曜美術館』で観ました。同じような展覧会はその前にもどこかでやっていましたよね。それも『日曜美術館』で観ました。そのときはまだ、坂本美雨はMCじゃなかったんだっけ。記憶が曖昧です。
「アート」と「坂本龍一」。「アーティスト」ということばが普通の日本語となりました。「芸術家」ということばはあまり聞かなくなりました。「作曲家」「演奏者」は「音楽家」となり、「アーティスト」に含まれているようです。坂本は「アーティスト」なのでしょうか。その作品は「アート」とは違うのでしょうか。「その枠にはくくれない」という意味もありそうです。まあ、肩書なんかどうでもいいし、本人が名乗ってもいいし、他人が決めつけてもいい。そんなもんです。名刺を作るときに考えればいい。
日本では「アート」は「芸術」と訳されました。
げい‐じゅつ【芸術】
〘 名詞 〙
① 学芸と技術。[初出の実例]「本姓金、名財、沙門幸甚子也。頗渉二芸術一、兼知二筭暦一」(出典:続日本紀‐大宝三年(703)一〇月甲戌)
[その他の文献]〔晉書‐芸術伝〕
② 武芸と技術。
[初出の実例]「芸術未熟の者、名僧知識に逢たりとて、開悟すべきにあらず」(出典:天狗芸術論(1729)一)③ 鑑賞の対象となるものを人為的に創造する技術。空間芸術(建築・工芸・絵画)、時間芸術(音楽・文芸)、総合芸術(オペラ・舞踊・演劇・映画)など。また、その作品。〔和英語林集成(再版)(1872)〕
[初出の実例]「今我国の有様を西洋諸国に比較して、文学芸術等、彼に及ばざるもの甚だ多きが如くなれども」(出典:通俗国権論(1878‐79)〈福沢諭吉〉初)
④ 高等学校における教育課程の一つ。各科目に必要な知識や技術を取得させ、創造的表現と鑑賞の能力を高めることを目的とする。音楽、美術、工芸、書道が含まれる。
芸術の語誌近世まではもっぱら「学芸・技術」の意で用いられたが、明治期に西洋文化の摂取が盛んになるに及んで、英語の art その他、美の表現・創造を共通の概念とするヨーロッパ各国語の訳語としての③の意が出現した。ただし、明治初期にはむしろ同じ訳語に「美術」を用いることがより一般的であり(たとえば明治五年(一八七二)の西周「美妙学説」、同一八年(一八八五)の坪内逍遙「小説神髄」)、「芸術」が新しい意義で定着するのは、ほぼ明治三〇年(一八九七)前後である。(精選版 日本国語大辞典)
坂本も、若い頃には「人に聞かせる」音楽を作っていたと思います。「いい音楽」「楽しい音楽」「きれいな音楽」を必死に作っていたのではないでしょうか。音楽を「職業」としていた以上、そして、それを「お金にしなければならない」「お金で評価される」社会にいた以上、当然のことです。
坂本は「YMOはアルバイトの延長でやっていた」というようなことを言っていました。彼自身がその言葉の真意に気づいたのは、ずっと後のことかもしれません。後年の坂本にとって、音楽は「鑑賞の対象となるものを人為的に創造する技術」ではありません。それはとても「日本的」なものかもしれません(「YMOはナショナリズムだ」とも言ってたっけ)。
アカデミー賞の授賞式のとき、蘇聡は中国語で挨拶し、坂本は英語で挨拶しました。それを坂本は後悔したことはなかったのでしょうか。わたしの知りうるところではありませんが。
[出演者]
げい‐じゅつ【芸術】
〘 名詞 〙
① 学芸と技術。
[初出の実例]「本姓金、名財、沙門幸甚子也。頗渉二芸術一、兼知二筭暦一」(出典:続日本紀‐大宝三年(703)一〇月甲戌)
[その他の文献]〔晉書‐芸術伝〕
② 武芸と技術。
[初出の実例]「芸術未熟の者、名僧知識に逢たりとて、開悟すべきにあらず」(出典:天狗芸術論(1729)一)
③ 鑑賞の対象となるものを人為的に創造する技術。空間芸術(建築・工芸・絵画)、時間芸術(音楽・文芸)、総合芸術(オペラ・舞踊・演劇・映画)など。また、その作品。〔和英語林集成(再版)(1872)〕
[初出の実例]「今我国の有様を西洋諸国に比較して、文学芸術等、彼に及ばざるもの甚だ多きが如くなれども」(出典:通俗国権論(1878‐79)〈福沢諭吉〉初)
④ 高等学校における教育課程の一つ。各科目に必要な知識や技術を取得させ、創造的表現と鑑賞の能力を高めることを目的とする。音楽、美術、工芸、書道が含まれる。
芸術の語誌
近世まではもっぱら「学芸・技術」の意で用いられたが、明治期に西洋文化の摂取が盛んになるに及んで、英語の art その他、美の表現・創造を共通の概念とするヨーロッパ各国語の訳語としての③の意が出現した。ただし、明治初期にはむしろ同じ訳語に「美術」を用いることがより一般的であり(たとえば明治五年(一八七二)の西周「美妙学説」、同一八年(一八八五)の坪内逍遙「小説神髄」)、「芸術」が新しい意義で定着するのは、ほぼ明治三〇年(一八九七)前後である。
2017 年発売「async」以来、約6 年ぶりのオリジナルアルバム。
いまだ続く闘病生活の中、日記を書くように制作した音楽のスケッチから、12 曲を選び1枚のアルバムにまとめた作品集。
各曲のタイトルは、曲を制作した日付。
ジャケットは「もの派」を代表する国際的な美術家、李禹煥(リ・ウファン)氏が本作のためにドローイングを制作。
坂本龍一の71歳の誕生日となる2023年1月17日にリリース。
■収録内容
01.20210310
02.20211130
03.20211201
04.20220123
05.20220202
06.20220207
07.20220214
08.20220302 - sarabande
09.20220302
10.20220307
11.20220404
12.20220304
