被抑圧者の教育学 パウロ・フレイレ著 小沢有作、楠原彰、柿沼秀雄、伊藤周訳 1979/05/30 亜紀書房

被抑圧者の教育学 パウロ・フレイレ著 小沢有作、楠原彰、柿沼秀雄、伊藤周訳 1979/05/30 亜紀書房
この本を読んだ経過

それが曖昧なのです。学生時代(数十年前)、女の子にすすめられた記憶があります(彼女ではありません。私は全然モテなかった)。でも、この本は1985年発行の第5刷なので、もう社会人になっていました。多分、古本屋で学生時代を思い出して買った(?)のではないか、と思います。

買ったまま読んでいないと思って今回読み始めたのですが(お風呂本)、線が引いてあります。ミミズが這ったような線は、私の線に間違いありません。そして、最後まで線引があるので、一度読んでいたんですね。全く覚えてないけど。失敗したのは、前回と同じ赤いボールペンで線を引いてしまったことです。前回の線と見分けがつきません。本は読むごとに気がついたこと、重要だと思うことが異なるので、線の色もその回ごとに違ったものにしたほうがいいと思います。

イリイチが『脱学校の社会』で本書に触れていたので、今回読み直しました。共通しているところもあるけど、根本的なところで違っているとも思いました。

気になったのは、カッコ内の文字が本文より少しだけ小さいことです。年寄りにはそれだけできついのです。


フレイレと当時の状況
パウロ・フレイレ(Paulo Freire, 1921年9月21日 - 1997年5月2日)は、ブラジルの教育者、哲学者。(Wikipedia

多くのブラジル人にとって、東北部で生まれるということは、ただちに、旱魃、飢え、渇き、過重労働、病気、貧困のまっただなかに生みおとされることを意味している。(本書 P.256、訳者解説。以下、本書からの引用は「本書」を省略)

フレイレは、しかし、内陸部のカアティアンガではなく、海岸都市のレシフェに生まれ、搾取される農民ではなく公務員の息子として生まれたために、ある時期までは、そのような悲惨さとは無縁な環境で育てられた。(P.256)

幼年期に文字を学べるということ、このこともまた、大多数の住民が文字を奪われたまま放置されていた東北部では(一九五五年でブラジルの識字率は五〇%を割っていた)、まれにみる幸運な経験であった。(P.257)

フレイレは(主に農民の)「識字教育」に力を入れるのですが、それが当時のブラジルの支配者に敵視されます。農民(被支配者)は「無学(無知)なままがいい」つまり「支配しやすい」というわけでしょう。1964年のクーデターとともに国外追放(亡命)になります。

本書は1968年(ポルトガル語版、英語版は1970年)に出版された、と Wikipedia にはあります。だとすれば亡命先のチリで書かれたということになります(本書の「あとがき」とは違います)。

キューバ革命が1958年。「ドワイト・D・アイゼンハワー大統領と、その後を1960年に継いだジョン・F・ケネディ大統領はカストロら新政府を「容共」であるとみなし、ケネディ大統領は政権を打倒すべくピッグス湾事件を起こした」(Wikipedia)。1961年にイリイチは CIF (国際フォーメーション・センター)をメキシコに設立します。この年は、「ケネディ大統領が「進歩のための同盟」という、ラテン・アメリカに対する野心的な開発援助計画の幕を切って落とした年である。それはまた、教皇ヨハネ二十三世がその聖職者の定員の一〇パーセントをラテン・アメリカに宣教活動に送ることを要請した年であり、平和部隊〔 Peace Corps. 一九六一年、ケネディ大統領の提唱によって発足したアメリカ合衆国から開発途上国に産業・農業・教育などの援助者を派遣する組織〕が設立された年である」(イバン・イリイチ『生きる希望』編者デイヴィッド・ケイリーによる序論、藤原書店 P.34)。

そんななかで、アメリカが支援するカステロ・ブランコがクーデターを起こします。

支配者に反抗する者は、その主張の中身に関わらず「共産主義者だ(アカだ)」ということになるのですが、フレイレは「共産主義者」でしょうか。たしかにこの本の中にも、ゲバラ、毛沢東、レーニン、マルクスなどの著作からの引用はいくつかあります。でも、フレイレを「共産主義者」だというのは、(共産主義の定義にもよりますが)あまり意味のないことです。「共産主義者だ」というのは、共産主義の定義をともなわず「悪いやつだ」という意味ですから。それは「専門家だ」という言葉が、「その人の言うことは正しいものだ」という意味で使われているのと同様です。


民主主義の思い出

ジョン・F・ケネディ大統領(民主党)が暗殺されたのは1963年11月22日。なんとなく記憶にあるし、その映像はその後も繰り返し放送されたので、知っている人も多いと思います。前回のアメリカ大統領選後の「2021年アメリカ合衆国議会議事堂襲撃事件」は記憶に新しいところですが、「アメリカの民主主義」とは何でしょうか。

私は戦後の民主教育のもとで育ちました。小学校や中学校では「学活(学級活動)」「HR(ホームルーム活動)」で、「民主的な話し合い」が行われました。国語や数学などの学科と違って、テストがあるわけでもなく、ただ教室に居ればいいので、だいたいの生徒はだらけていました。多くは担任の先生が議題を提起して、生徒が意見を交わします。でも、発言する生徒はほとんどいなく、先生が発言をうながしたり、しまいには指名したりします。で、結局は話し合いらしい話もなく、多数決で決定します。そんなことが毎週繰り返されました。

同じようなことは、就職してからの労働組合運動でも体験しました(業務が民主的に行われた記憶はありません)。執行部が提起し、質疑応答(討論)が行われるのですが、発言するのは1・2名です。多くの人は、お弁当が目当てで「動員」されてきているだけですから、「早く終わんないかなあ」と思っているわけです。私が発言しているときに、後ろの席の組合員が「まただよ」と、多分私に聞こえるように呟いたのを今も鮮明に覚えています。私は怒るべきだったのかもしれません。でも、そんなことをすれば、その人はもうその会議には出席しないだろうし、出席者の数はいつも会議の成立ギリギリなのですから、聞こえないふりをして正解だったのかもしれません。

不思議なのは、学校においても組合においても、採決のときにはみんなが参加するということです。そしてほとんど否決されることはありません。なんか「参加する」ことそのものは疑問に思わないようです。

先日衆議院選挙が行われました。「自公の過半数割れ」という結果ですが、たいていの国政選挙・首長選挙は投票率が50%前後です。だから、半数を超えても切っても「国民の半数以上・以下」の判断ではありません。今回の投票率(53.85%)の低さをある評論家が「政治的に無知な国民」と言っていました。そうなのかもしれません。私は「投票すること」が「今の体制を認めること」だと思っています。つまり、民主主義という「土俵」は疑わない人が半数(あるいはそれ以上)いるということです。ちなみに今回のアメリカ大統領選挙の投票率は65%だそうです。


銀行型教育 banking education

現状の教育をフレイレはこう言います。

語りかける内容が、価値についてであろうと現実に関する経験的事柄についてであろうと、それらは語りかけられる過程で生気を失い、硬直してしまう。教育は、一方的語りかけという病に陥っている。

教師は、現実があたかも不動で、静止していて、明確に分類された、予言可能なものであるかのように語る。(P.65)

こうして、教師の言葉は具体性を失い、空虚な、阻害されまた阻害する饒舌となる。(同)

そして、

一方的語りかけ(それはつねに語りかける人である教師によるものであるが)は、生徒を語りかけられる内容の機械的な暗記者にする。さらに悪いことには、かれらはそれによって容器、つまり、教師によって満たされるべき入れ物に変えられてしまう。

入れ物をいっぱいに満たせば満たすほど、それだけかれは良い教師である。入れ物の方は従順に満たされていればいるほど、それだけかれらは良い生徒である。(P.66)

フレイレは教育を二種類に分けます。「銀行型教育」と「課題提起教育」です。

銀行型教育は、教師と生徒を区別し、生徒を「入れ物(容器)」と考えます。つまり、人間は生まれたときには「空っぽ」で、それは教師が(誰かが)何かを詰め込まないかぎり「空のまま」だという前提があります。

銀行型教育にあっては、知識は、自分をもの知りと考える人びとが、なにも知っていないとかれらが考える人びとに授ける贈物である。他者を絶対的無知としてみなすのは抑圧イデオロギーの特徴であるが、探究の過程としての教育と知識はそれによって否定される。

教師は、生徒に対して必然的な対立物として自らを演ずるようになる。生徒の無知を絶対的なものとみなすことによって、かれは自分自身の存在を正当化するからである。(P.67)

銀行型教育が教師と生徒とをどのように考えているか、フレイレの挙げた10の例を引用します。

1 教師が教え、生徒は教えられる。

2 教師がすべてを知り、生徒はなにも知らない。

3 教師が考え、生徒は考えられる対象である。

4 教師が語り、生徒は耳を傾ける  おとなしく。

5 教師がしつけ、生徒はしつけられる。

6 教師が選択し、その選択を押しつけ、生徒はそれにしたがう。

7 教師が行動し、生徒は教師の行動をとおして行動したという幻想を抱く。

8 教師が教育内容を選択し、生徒は(相談されることもなく)それに適合する。

9 教師は知識の権威をかれの職業上の権威と混同し、それによって生徒の自由を抑圧する立場に立つ。

10 教師が学習過程の主体であり、一方生徒はたんなる客体にすぎない。(P.68)

この「教師」を「専門家」「政治家」「医者」などに置き換え、「生徒」を「一般市民」「民衆」「患者」などに置き換えても、これらすべてが言えるのではないでしょうか。あるいは「親(大人)」と「子(子供)」と置き換えることもできます。

フレイレは、「支配者・抑圧者・地主」と「被支配者・被抑圧者・農民」などを、とくに当時のアテン・アメリカのことを念頭に置いているのですが、これは世界を覆いつつある(といわれる)先進国、近代西欧思想そのものを語っているのだと思います。

銀行型概念では、暗黙裡に人間と世界の二分法が仮定されている。すなわち、人間は世界や他者とともに存在するのではなく、たんに世界のなかにあるにすぎない。人間は再創造者ではなく、傍観者にすぎないのである。

この見解によれば、人間は意識的存在 corpo consciente ではなく、むしろ意識の所有者、現実についての預金を外界の世界から一方的に受け入れるべく開いている空虚なにすぎない。(P.73)


課題提起教育
解放に真にかかわる人びとは、銀行型概念を完全に否定し、それにかえて意識的存在としての人間と、世界に向けられた意識としての意識の概念を採用しなければならない。かれらは、預金をするという教育目標を捨てて、それにかえて世界との関係にある人間の課題を設定しなければならない。

意識の本質  志向性  に相応する課題提起教育 'problem-posing' education は、コミュニケを拒絶し、交流を生みだす。(P.80)

自由の実践としての教育は、支配の実践としての教育とは反対に、人間が抽象的存在で、世界から孤立し、独立し、切り離されているという考えを認めない。それはまた、世界が人間とはかけ離れた実在であるという考えも否定する。(P.84)

フレイレは「課題提起教育」を「対話的教育」とも呼びます。

したがって、課題提起教育の実践は、なによりもまず最初に、生徒―教師の矛盾の解決を要求する。そうでなければ、認識者が協力して同じ認識対象を認めるさいに不可欠な機能、つまり対話関係は、成り立つことはできない。(中略)対話をとおして、生徒の教師、教師の生徒といった関係は存在しなくなり、新しい言葉(ターム)すなわち、生徒であると同時に教師であるような生徒と、教師であると同時に生徒であるような教師 teacher-student with students-teachers が登場してくる。(P.81)

ここには、誰かを教えるだけの者も、自分一人で学ぶだけの者もいない。

人びとはお互いに教え合う。世界によって媒介され、また、銀行型教育では教師によって所有される認識対象によって媒介されながら、相互に教えあうのである。(P.82)

銀行型教育を成り立たせているのは、イリイチの言う「学校という制度」です。「子供」という概念が一般的になったのは、西欧では18世紀です。そして「子供期」というものも、学校制度とともにできてきます(アリエス『〈子供〉の誕生―アンシァン・レジーム期の子供と家族生活』みすず書房、参照)。


「守らなければならない」と「守られなければならない」

「子供は守らなければならない存在」。

同様に無知な農民、労働者、被抑圧者、被支配者も「守らなければならない」。「守られなければならない」との違いは、「能動と受動」です。「自分のこと」と「他人のこと」ともいえます。前者は主体的、後者は客観的。そして主体的であるということは、「責任が生じる」、あるいは「責任を感じる」ということです。でもその責任を果たすことはできません。主体(個人)の力の及ぶところではないからです。なので、社会(制度あるいは予算)をつくり客体視する(自己とは別の存在だとする)ことで責任を取らずにすむわけです。

福祉(慈悲・寛大さ)の要求は、被抑圧者、被支配者、搾取される貧しい人々を、「より守らなければならない」存在にします。福祉がなければ生きていけない、制度・政治(国家)がなければ生きていけない人びとをつくります。福祉や医療、学校には莫大なお金がかかります。福祉、病院や学校、つまり「制度」に依存する人びとができあがります。よりお金がなければならない、という思いと、より福祉を充実させなければならない、より学校や医療に依存しなければならない、という思いは同じなのです。それは同時に「お金がなければ生きていけない」「商品がなければ生きていけない」人びとです。お金や商品は、生きていくための「自然(自立手段、 tool )」に置き換えられます。お金や商品は新たな「自然」となり、それを疑うことができなくなります。

国会では「103万円の壁」が議論されています。それは個人所得の減税の話ですが、与党はそれを渋り、野党は進めようとします。同時に野党は福祉の充実を求め、与党はそれし渋り続けるでしょう。そして「小出しに」します。それが「国民のため」であるかのように。まるで自分たちが「寛大」で、「慈悲深い」のだと言わんばかりに。

自分たちの寛大さを見せびらかす機会を確保しつづけるために、抑圧者は不正をもまた同時に行い続けていかなければならない。

不正な社会秩序がこの寛大の永遠の源泉であり、それはし、絶望、貧困によってはぐくまれる。」(P.18)

福祉の充実にはお金がかかります。減税はそのためのお金を減らす(かもしれない)のですが、いずれにしても、そのお金は「(与党の、あるいは野党の)政治家」のお金ではありません。税金(国民のお金)です。それでも野党の政治家も、与党の政治家も、福祉やその制度を充実すれば「責任を果たした」気になるのでしょう。


被抑圧者

フレイレが主に教育(改革)の対象者としているのは、農民です。

抑圧の現実に埋没しているために、かれらは自らを被抑圧者として自覚できないのである。(P.20)

抑圧者と被抑圧者のあいだをつないでいる基本的要素のひとつが命令 prescription である。一人の人間の選択を他人に強制することはどのような命令にも見られることである。それによって、命令される人間の意識は命令者の意識にしたがうものへと変えられてしまう。(P.21)

自己卑下は被抑圧者のもうひとつの性格であり、それは抑圧者がかれらにくだす評価の内面化から生まれる。(P.50)

かれらは自分を無知な者と呼び、「教授」は知識のある人、自分が耳を傾けるべき人であると言う。(P.51)

この人(農民)たちが、学校に通っていたのかどうかはわかりません。

メキシコでの貧困者とは三ヶ年の学校教育を受けなかった者であり、ニューヨークでは十二ヶ年の学校教育を受けなかった者ということになる。(イリイチ『脱学校の社会』邦訳 P.17)

でも、「命令と服従」の関係は、銀行型教育と同じものです。教育がかれらをそう考えるようにしたというよりは、その抑圧者と被抑圧者を成り立たせている社会構造が「銀行型教育」と同じものであるといったほうがいいでしょう。

こうした現象が生ずるのは、それは被抑圧者が日常経験のある時点で、抑圧者にたいして同化しようとするする態度をとるからである。

このような環境のもとにあって、被抑圧者は自分を対象化できるほど明瞭に、  つまり、自分がその環境の外側にいることを発見しうるほど明瞭には、自分自身について考察することができないのである。(P.19)

その反面、被抑圧者は現実経験のある時点で、抑圧者の生き方にたいして、抑えがたい魅力を感じている。(P.49)

被抑圧者(負け組)は、お金持ち(勝ち組)、たとえば高級時計や高級車を見せびらかすような人たちを「鼻持ちならない嫌な奴(守銭奴)」だと嫌っています。でも、同時に「自分もお金持ち(勝ち組)」になりたいと思っています。

「パンが食べたい」が「お金がほしい」とが同じことになっています。この二つはまったく別のことです。食べられるパンの量はかぎられています。一度に身につける時計は普通ひとつです。一度に乗れる車は一台です。でも、欲しいお金の量は限界がありません。貯金通帳や伝票に書かれている数字は「0」をいくらでも書き足すことができます。請求書や領収書の「0」の数を間違えた人はたくさんいるでしょう。そのことは現実のお金が増えたり減ったりすることとは関係ないし、10,000円札を食べても1000円札以上にお腹が満ちるわけでもありません。

「いまよりも物(商品のことです)がほしい」と思うこと、「もっとお金がほしい」と思うこと、それが抑圧者(支配者)の内在化だと思います。抑圧者はかれらの内部にいます。だから、それを疑うことをしないのです。

まことに、ボスはかれらの内部にいたのであった。(P.53)

自分が被抑圧者であること、そして、自分が抑圧者を内在化していることを「自覚」すること、それを促すのが「被抑圧者の教育学」です。

フレイレは、その自覚のために文字の習得が必要だと考えました。「かれらがおかれている客観的状況とそれについてのかれらの自覚、つまり自分と世界、自分がそのなかで、それとともに存在するところの世界についてのさまざまな知覚の水準に精通するようになるため」(P.109)に、被抑圧者にも革命指導者にも「対話」が必要なのです。

この自覚を「気づき」という人もいます。対話のなかで「気づく」のです。でも、この自覚は「知識」ではありません。知識と言ってしまうと、そこに「教える―教えられる」という関係がちらつきます。それは「教えられる」ものではありません。むしろそれは「経験(体験)」です。経験が知識になることもあります。体験が知識にならないこともあります。つまり、体験(感覚)とそれを経験(知覚)にすることは別のことです。経験が重なると、それは「習慣」になることもあります。習慣になると、体験を忘れたり、経験を忘れたりするのですが、そのへんをアリストテレスは考えたうえで「知識」の何たるかを説いているのですが、それは別稿で。

体験や経験(感覚や知覚)をしているのに自覚していないことは、「存在している」と言えるのでしょうか。逆に、存在していないのに体験や経験をしたと自覚することもあります。「UFOを見た」という体験をした人に、「それは存在しないんだよ」と自覚させるのが難しいように、自覚していない人が存在を自覚することもとても難しいと思います。

でも、被抑圧者を解放するためにはそれが必要だとフレイレは考えたんだろうと思います。フレイレは、その自覚を「主体化」と捉えているように思います。

主観性を欠いた客観性など考えられない。(P.27)

客観性を主観性から切り離すこと、現実を分析したり現実に働きかけたりするときに、主観性を否定してしまうことは、客観主義である。(P.27-28)

客観と主観を結びつける方法が「文字」です。

「日記」を考えるとわかるように、文字(文字化)は、自己(の内面)の外在化だとみなされています。自分が書いた文字を見るときに生じる感情は、「自己というもの」が客観的に存在しているという感覚です。そこに「我あり」と思うのです。文字をとおして、自己も客体も客観的に存在すると思えば「唯物論」となり、客体も自己のなかに存在すると思えば「観念論」になります。記憶も自己も存在するというのは、古典ギリシャの「ムネモシュネ」とはまったく違う感覚です(イリイチ『H2Oと水』新評社 P.74、参照)。記憶は存在する、聖書のなかに神も歴史も存在する、というのはキリスト教における客観性だと思います。

(十二世紀に・・・引用者)〈聖職者の人生 cita clericorum 〉は、理想の〈庶民像 forma laicorum 〉となったのである。識字能力にかけた人々があこがれるべき対象となった。そしてそのために、文字の知識のない人々は、より優れた人々、すなわち文字の知識を有する人々から「無教育な人間」として必然的にいやしまれ、管理され、監督される立場に、自らをおとしめるのだった。(イリイチ『テクストのぶどう畑で』法政大学出版局、P.93)

そして、文字が知識(主体性)と同一視されていきます。ここに話し言葉と書き言葉の分離(あるいは混同)が生じます。

われわれにとって、歌うことや踊ることが話すこととなにか少し違うように、当時(十二世紀・・・引用者)の人々によって、話すことはラテン語の〈セルモ sermo 〉であって、言語を用いること、つまりラテン語の〈リングア lingua 〉とはなにか違うものと理解されていた。ラテン語は音と文字とが一体となっており、文字だけでなく、思考も一緒にとらえるのである。(イリイチ 同書、P.65)

セルモ(話す、speak?, say? 、説教 preach )とリングア(言語、 language )との分離は、言語と文字とを同一視することから起こります。当時まで、アルファベットはキリスト教、ヘブライ文字はユダヤ教、サンスクリットは仏教やヒンズー教そのものでした。それは人間の話し言葉ではなくて、神や仏などの神秘的なものでした。いまでも文字がもつ神秘性は残っているし、それが「言霊」と結びついています。当時の人がラテン語の説教を意味がわからなくても神の言葉として聞いたように、いまの日本でもお教を意味がわからなくても「ありがたい」として聞いているのです。文字そのものが「イコン(アイコン)」のように「意味」を表していました(これは象形文字・表意文字・表音文字の区別とは直接的な関係はありません。それを「現在の普通の言葉(あるいは文字)」で説明できると思うことは、自然や宇宙を科学で説明できると考えるのと同じことです)。

それと結びついたのが、古代ギリシア以来の「主体(主語・質料)」と「客体(述語・形相)」です。アルファベットがセルモ(ロゴス)を表すようになるともに、主体を文字で表すことができる、つまり主体は客観的存在(実在)だと考えられるようになります。それが「我思う、ゆえに我あり」と表現されるに至ります。それまでは「自分がある(いる)」と考える必要はなかったのではないでしょうか。私が今いる場所以外に(たとえば死後に、あるいは文字の中に)私はいないのですから。

アルファベットが聖書から離れるとともに、話し言葉はその文字に捉えられます。でも、それは特殊歴史的(特定の時代・地域)なことで、「人間性」などとは無縁です。ところが、「人間は文字をもつもの」「文字を持つのが人類の発展である」と考えると「文字を奪われた人」(訳者解説)などという発想が浮かんできます。フレイレにそういう考えがあったのかどうかはわかりませんが、文字が「支配者(抑圧者、為政者、エリート)」のための「道具」であったことは事実です。銃やハンマーと同じです。フレイレは、被抑圧者の解放のために「被抑圧者も武器(文字)を持たなくてはならない」いっているのです(「ペンは剣よりも強し」の言い換え)。

私はそうは思いません。革命に銃を用いた人が、革命後に銃を捨てることがなかったように、文字を用いた解放後に、その人たちが文字を捨てるとは思えません。ただ、解放後に銃やハンマーをどのように使うのか、は、銃やハンマーとどう関わるか、によって変わってきます。それによって銃やハンマーがもつ性質(性格)が変わるからです。解放(革命)後、文字もそれとどう関わっていくかのかは私には知り得ないことです。ただ、希望はあります。

人間は、個人としても階級としても、己自身で己を救うことはできない。そのことは救いの理解のしかたと無関係である。この点にこそかれらの誤りがある。救いは他者とともにのみ成し遂げられる。(P.193)


人間化

「子育ては大変」

「子供は目を離すと死んでしまう」

「子供を育てるのにいくら掛かるかわかりますか」

こんな言葉が飛び交い、少子化や晩婚化が進行しています。子育てを妻に任せていた私は、なにもわかっていないのかもしれません。「親がいなくても子は育つ」という言葉は死語でしょうか。

あまり言いたくはないのですが、私は若い女性が好きです。「ロリコン」と言えるかもしれません。若い子(女の子、男の子)を可愛る(身近に置く)というのは古代ギリシャにも見られます。日本にも「稚児」という制度がありました。ただ、そのことは「年を取ったもの」の劣等性を表すものではありません。多くの文化(社会)では、年寄は歳を取っているがゆえに尊敬の対象となりました(ボーヴォワール『老い』参照)。それは男性にかぎらないのですが(二世代前を見よ)、社会学などでは「男性中心主義」と一緒にされました。男性中心社会(少なくとも近代の)は、「男性が賃労働者として働き、お金を稼ぐ」、つまり「資本主義(商品生産)」とともに生じたものにすぎません。「賃労働」と、イリイチのいう「シャドウ・ワーク」の発生です。シャドウ・ワークは主に女性にまかせられ、その価値は産業社会の発展(自立手段の喪失)とともに引き下げられました。それが男性中心社会の形成です。産業社会に男性も隷属している(つまり「物」として扱われる)とともに、女性を「物」として扱う風潮が強まります。近代家族は「賃労働とシャドウ・ワークの合体(共同体)」となりました。それが「性的結合単位」とされる(つまりセックスが公認される単位)となるのはもっと後のことです。

「性的結合単位」としての家族は「育児(子育て)の単位」ともなりました。それまで子供は「小さな大人である」とともに「共同体の子供」でした。「親子の絆」「母性本能(母性愛)」という幻想も、近代社会に結びついたものです。「子供を生むものとしての女性」というのもつくられました。それは女性を人格ではなく「生物学的性」として捉えるものです。「子供を産める女性」「セックスの対象としての女性」というのも近代に強まります。つまり、若い女性が「尊い」とされるのです。歳を取った女性は「おばさん」「婆さん」と呼ばれるようになります。男性は「賃労働者である」という意味では若い(力がある)ということが尊ばれるようになりました。

「第二の性」としての女性が社会的権利(人権)をもち、賃労働者となる圧力は資本の要請でもありました。それが一定の成果を収めたとき、歳を取った男性も「おじさん」「爺さん」と卑下されるようになりました。男女とも歳を取ると「価値」が下がるのです。ただ、その「価値」とは資本にとっての価値でしかありません。

機械化にともなう産業社会は、当初は「力のある男性」のみを労働者として雇用せざるをえませんでした。機械の発展とともに、(力のない)子供が賃労働者に加えられます。のちに学校制度、子供期の発生などが子供の労働を制限することになりますが、さらなる機械化はその代わりの働き手としての女性を労働者に組み込んでいきます。「ジェンダー」が「セックス」に堕落していきます。学校に行かない(行けない)子供は「可愛そうな子供」と言われるのですが、大学生はもとより高校生も働くこと(アルバイト)が当たり前になりつつあります。そしてそれは「子供の人権」を要求し(「女性の人権要求」がどう結果したかを思い起こします)、日本では成人年齢が引き下げられました。私の親の世代(第二次世界大戦前後)は、尋常小学校を終了すれば学生であろうがなかろうが大人でした。それは「兵隊」としての要請だけではなく、社会全体が「大人扱い」していたように思います。祖父母の時代は、多分「子供期」というのが明確ではなかったでしょう。

社会とその意識は数世代で変わります。そしてそのことを誰も思い出すことなく、「現在は過去より進んでいてより良い社会だ」と思い込みます(新しいこと・若いことに価値があり、古いこと・老人には価値がない)。そして「未来はより良い社会があるはず」であり、現在の社会が不満足(不完全)だと思う人で溢れています。支配者(抑圧者)は、制度を変えずにより多く所有することを要求し、被支配者(被抑圧者)は制度を変えて勝ち組に近づくことを要求します。どちらも社会構造(土俵)そのものには疑いを持ちません。

福祉、たとえば誰でも最新の医用を受けられる、という要求が地方の医療機関をなくしました。誰でも高等な教育を受けられる、という要求が地方の教育機関をなくしています。何時でも物が買える「コンビニ」が地方の商店をなくします(それらの代償として、「自動車の必要性」が提示されます)。それらが「少子化」や「高齢化」のせいだと思っている限りは(マスコミは、そしてそこに登場する専門家は、お教のように繰り返しますが)、その傾向は続くように私には思えます。

「土俵」そのものにどうして疑問を抱かないのか。その「気づき」の方法のひとつをフレイレが提示していることは間違いありません。フレイレの頃は、日本でも「抑圧者―被抑圧者」「支配者ー被支配者」「搾取者―被搾取者」「権力を持つもの持たないもの」「金持ち―貧乏人」「資本家―労働者」など対立構造が見えていました。いまの日本ではその構造が見えにくくなっています。でも、土俵そのものは変わっていません。フレイレが提示したことをいまの日本でどう捉え、どう活かすのか、それが改めて問われていると思います。




[著者等]

パウロ・フレイレ(Paulo Regulus Neves Freire)
(1921年9月19日~1997年5月2日)
ブラジル北東部ペルナンブコ州に生まれる。教育学者、哲学者。「意識化」「問題解決型教育」などを通じ、20世紀の教育思想から民主政治のあり方にまで大きな影響を与えた。その実践を通じて「エンパワーメント」「ヒューマニゼーション(人間化)」という表現も広く知られるようになる。本書が代表作。

A.A.LA教育文化叢書Ⅳ

PEDAGOGIA DO OPRIMIDO、1970

新訳版 被抑圧者の教育学――50周年記念版

近代学校の与える学力中心のもの知り教育が非人間化の過程となり抑圧の強化をもたらしたことを指摘し、被抑圧の第三世界の立場から他者とのかかわり方を変えていくことを主軸にした解放の教育を自己の実践によって語る。文化の解放から新しい政治を展望する教育思想。



[ISBN-13 ‏ : ‎ 978-4750579078]

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