
ブックオフの110円コーナーにはなかったので、メルカリかどこかで買いました。こういう「時節もの?」の本は、すぐ内容が古くなるので、110円コーナーに並ぶのも早いのですが。
「内容が古くなる」というのは、「内容が事実と異なってくる」という意味ではありません。この本が出版されて約1年が経ちますが、その1年については書かれていないということです。なので、この1年間に起こった事実でこの本の内容を批判するのは、「筋違い」です。
最近、「新型コロナ」の話題はニュース(報道番組、情報番組)でも取り上げられることがないので、この1年間に何があったのかは私はわかりません。知人が最近「コロナにかかった、苦しかった」と言っていたので、病院ではまだ検査をしているのでしょう。どういう検査かはわかりませんが。
「新型コロナウイルス」がマスコミに登場してすぐに、SNSなどに「某国の陰謀論」などが投稿されました。もちろん投稿した人が事実を知っているわけではありません。なにか大きな(?)ことが起こるたびに陰謀論が飛び出します。選挙にしても、地震にしても、台風にしても。その投稿が、「陰謀を起こした側の人間」によるものか、「それに反対する側の人間」によるものか、単なる興味や思いつきか、それすらわかりません。
私自身がそう思ってしまいます。先日のロシアの地震のときも「核実験・核事故ではないか」と思ってしまいました。津波が起こるような実験・事故なら大変なことですが。それはマスコミや小説、ドラマ、映画の影響でもあるし、実際に「(政治的・経済的)権力」は「嘘を言う」し、それ以上に「事実を言わない」ということを経験から知っているからです。
大橋眞さんがYoutube(ニコ動だったかな?)にあげた動画は削除され、ほとんど「非難のための非難」が画面を覆い尽くすことになったときには、ほんとうに胸が苦しかったです。大橋さんは「陰謀だ」と言いたかったのではなくて、「学問的に間違っている」ということを言いたかったのです。「病気の検査にPCRを使うことの無意味さ」「mRNAワクチンの危険性」などを主張していました。
私が思うに、ファイザー社や政府のお抱え学者が言うことも、そうじゃない(良心に基づく?)研究者が言うことも、「私を含めたほとんどの人」にはわからないということこそが問題です。「mRNAワクチン」も「mRNA」も「RNA・DNA」もほとんどの人がわからないのです。「ウイルス」というのは「悪いやつ」「悪いもの」だという感覚しかありません。「ウイルス」「細菌(バイ菌)」と「毒」の違いすらわからない人も多いと思います。「ウイルス」というのは中身のない「脅し言葉」でしょう。「鬼が来た」「悪魔が来た」と同じです。いや、後者のほうがまだ「真実」に近いかもしれません。「PCR検査」の「PCR」が「何をするためのものなのか」を知っている人はさらに少ないでしょう。
この本の著者も、大橋さんも、(分子)生物学の基本から話をしてくれますが、ニュース等ではそれすらありません。
ちなみに、いまだに「新型コロナ」と呼んでいる国は、たぶん、日本だけです。
実際に「ワクチンに効果があったか」「副作用・副反応はどうだったのか」に興味がある人はほとんどいません。天気予報と同じです。
まあ、博打と同じで、「コインの表が出た」「裏が出た」という結果は変わらないし、ワクチン(英語ではヴァクスィーン。バクチと音が似ているかも)を打っても「コロナにかかった」という人もいれば、ワクチンを打たなくても「コロナにかからなかった」という人も多いので、どう検証するのか、それをどう評価するのかということそのものが検証・評価と同様に問題になりますが。
PMDAに提出されていたファイザー社のデータは驚愕すべきものでした。LNPはすぐに血液中にも現れ、接種部位の濃度は48時間後でも高く(そして48時間後までのデータしかない・・・引用者)、時間が経つにつれて肝臓や脾臓、副腎で多く見られるようになりました。さらに驚くべきことに、卵巣にもLNPが集積することがわかったのです。(P.129)
これは大橋さんも言っていたことで、それによって将来「不妊症」になる人がどのくらいいるのか、それは10年後、20年後になってみないと検証できないかもしれません。
ワクチンの有効性についてのファイザーの実験報告書を読んだことがあります。日本語のホームページに掲載されていたのですが、再確認しようと思ったらそのページは見つけられなくなりました。それでも英語のページには残っていたのですが、いまでもあるのでしょうか。大規模な対照実験でしたが、「有効性」については素人の私でも疑問を持ちました。
mRNAワクチンによる健康被害も深刻です。国が設けた予防接種健康被害救済制度では、mRNAワクチンによる死亡認定者がすでに668人にのぼっています(2024年6月21日発表分まで)。それにもかかわらず、国はいまだに「mRNAワクチンは安全なワクチンである」というスタンスを変えていません。(P.197)
「認定」されているのですから、「安全なワクチン」ではありませんね。それでも、「668人が犠牲になっても、それの何十倍、何百倍の人の命を救った」と言うのでしょうね。ファイザーの報告書では、4万人以上を対象とした実験で、「ワクチンを打ってコロナになった人」と「ワクチンを打たないでコロナになった人」の差は百人程度だったと記憶しています。99%以上の人は、「コロナにかからなかった」のです。それでもファイザーは「有効率95%」と結論したし、マスコミもそう報道しました。さらに「変異株にも有効」というのは、同様の規模の実験をした結果だとは思えません。
病気というのは「治すもの」でしょうか「治るもの」でしょうか。
「治す」というのは、「医者が患者の病気を治す」、あるいは「薬や治療が病気を治す」ということで、能動的な行為です。「自分で治した」も同じで、「自分という主体」が「病気(の体)という客体」を能動的に治すということです。「病気」は「受動的に治されるもの」になります。でも、こういう使い方よりも、「(病気や痛みが)治った」という方が私にはしっくりします。これは英文法でいう「過去形」でもないし「完了形」でもありません。「病気の状態から、病気じゃない(健康な?)状態に成った(移行した)」ということです。
英語を習うと、何でも「能動・受動」で考えてしまいがちです。「あいつは性格が変わった」というのは「変える」でも「変えられる」でもありません。「変わる」のです。英語でも同様の表現が可能ですが、「 He changed his personality. 」とか「 His personality has changed. 」とか、どうしても「能動・受動」に引っ張られます。印欧諸語には「中動態」というのがあって、「変わる」に近いように思いますが、世界(先進国のこと)は「英文法的」な思考が支配的です。
自分で元の状態に戻る生物の特性を「ホメオスタシス(恒常性)」と呼ぶことがあります。心臓の鼓動が速くなっても元に戻る、傷が塞がる、熱が下がる、ウイルスが侵入してきてもそれを排除する、などです。切り傷から血が出るのは、ホースに穴が開いて水が漏れるのとは違います。生きていれば、傷口は自然と塞がります。傷薬や、包帯や、縫合はそれを「手助け」するだけです。つまり、死んでいたらどんなに頑張っても傷口は塞がらないのです。「傷口に生体反応がある」という刑事ドラマのセリフは、「死んでからついた傷」なのか「生きているあいだについた傷」なのかという区別です。
そのための一つの機構が「免疫」です。ウイルスなどの異物(自分じゃないもの)を区別し攻撃する仕組みです。それを人為的に作ろう(強化しよう)とするのが「ワクチン」です。「免疫」という言葉は「アレルギー」同様、生物学を超えて使われるようになっていますから、そういう意味では日常語です。でも、ここにも「自分」と「自分じゃないもの」が「能動・受動」の関係で忍び込んでいます。あくまでも「自分の体を治す」のではなくて、「自分の体が治る」のです。
著者は獣医学科出身だそうです。動物(生き物)に興味があったのでしょう。そして、病気の動物を「治したい」という思いがあったでしょう。「職を賭しても伝えたいことがある」。政府や学会の多数派に対して異議を述べるその心に、私は共感します。著者は「新型コロナウイルスワクチンの長期的リスク」を7項目(まとめを含めると8項目)を挙げます。項目だけ列挙しておきます。
- コロナウイルスに対する抗体について
- 新型コロナウイルスワクチン接種による重症化のリスク
- 従来型風邪コロナウイルス感染の重症化に関するワクチンの影響
- 新型コロナウイルス変異株感染の重症化に関するワクチンの影響
- 未知のコロナウイルス感染の重篤化に関するワクチンの影響
- ヒトコロナウイルスの感染バランスに及ぼすワクチンの影響
- 新型コロナウイルスワクチンがウイルスと進化に及ぼす影響
- まとめ
これらはどれもが今でも有効だと思います。
人間は、自然から法則を学び、「科学(学問)」をつくりました。そして、どの学問もその自然の法則に沿うことが目的だったはずです。それがいつしか、「自然に逆らう(抗う、あらがう)」ための学問になりました。医学もそうです。「病気になる」のであって、「病気にする」「病気にされる」わけでないことは明らかです。
「ワクチン」という「自己防衛」は、「自然に沿う」ものでしょうか、「自然に抗う」ものでしょうか。なんか「自衛のための軍隊」と同様のロジックがありそうです。
このように、IgG4が増えるとスパイクタンパクを標的とした免疫反応が抑えられてしまうので、炎症反応も軽くなります。捉え方をかえると、炎症が抑えられている(発症を予防している)ことになってしまいます。(P.169)
風邪をひくと咳がでて、発熱します。これが「発症(病気の症状が出る)」です。風邪は数種類のウイルスが原因だと言われていますが、その特効薬はありません。咳止め薬や解熱剤などの「対症療法」があるだけです。その結果、咳や発熱が止まったとしても、「ウイルスがいなくなった」わけではなく、「感染している(病気である)」ことに変わりはありません。
この症状は、ウイルスが起こしたものではありません(ウイルスが発熱するわけではない)。死体が風邪のウイルスに感染していても咳をしたり、発熱したりはしません(腐る・発酵するときには熱を出すでしょうが)。咳や発熱は、生きている患者自身の反応です。ウイルスを排出したり、発熱によってその増殖を抑えたり、自己免疫力を高めたりしようとしているのです。それを咳止めや解熱剤で抑えてしまったらどうなるのでしょうか。走った後は、息が「ハアハア」となり心臓が「バクバク」します。多分血圧も上がっているでしょう。そこに降圧剤を投与したらどうなると思いますか。多分気絶するのではないでしょうか。死んでしまうかもしれません。
たしかに咳が止まらないのは苦しいし、発熱は自分の細胞まで殺してしまいます。そのときに咳止め薬や解熱剤は必要でしょうが、いちばん大切なのは「寝ること(体を休めること)」だと思います。昔は子どもが風邪を引いても「そんなの寝てれば治る」と言って、薬も飲ませませんでした。それは「貧しかった」とか「薬がなかった」ということとは別だと思います。それが「自然に沿う」ということだったのです。
「mRNAワクチンによる死亡認定者がすでに668人」ということですが、それ以外の人は死なないということでしょうか。そんなことはありません。誰もがいつか死にます。「mRNAワクチンでは死ななかった(mRNAワクチンで死んだとは言えない)」ということです。
極端な話をします。自分の子どもが医者に「このワクチンを打つと50%の人は死にます」と言われたら、私だったら打つ前に「打たなかったらどうなりますか?」と訊きます。その時の医者の答えは「それはわかりません。助かるかもしれないし、死ぬかもしれません」だとしたら、どうしますか。新型コロナワクチンはそういうことなのです。
逆ならまだわかります。「このワクチンを打つと50%の人は助かります。打たなければ助かるかもしれないし、死ぬかもしれません」。これなら打つかもしれません。同じことを言ってるんですけどね。
前者の場合、ワクチンを打って子どもが助かれば、「子どもを助けた」ことになります。子どもが死ねば、あなたは「子どもを殺した」ことになります。ただ、子どもが助かったとしても、ワクチンを打ったから助かった、というより、そもそも新型コロナに感染しなかった確率のほうが数百倍高いのですが(それがファイザー社の実験データです)。
この本を読んでも、そうだとも、違うともわかりませんでした。書かれている事実は事実でしょうが、それが「人工物かどうか」を判断できる事実かどうかは私にはわからないからです。
ほかの事実としては、コロナ禍の最中に(ロックダウンなどがあったにも関わらず)GAFAなどの利益が過去最高となったことです。売上が伸びたとは思えません。昨日(2025年8月13日)の日本の株価は過去最高だそうですが、近年の経済成長率はほぼ0%です。多分今年も0%か、ひょっとしたらマイナスかもしれません。
わからないことは、ファイザー社が「いくら儲けたか」ということです。日本が新型コロナウイルスワクチンを「一本何円で買ったのか」「何本買ったのか」ということすら私にはわかりません。税金で買ったのですから、調べればわかるのでしょうか。世界中の国が争って買ったのですから(多分ほぼ言い値で)、その利益は計り知れません。ファイザー社は「人類をコロナから救うため」に利益を考えずに開発して販売したのでしょか。そうは思えません。
私はmRNAワクチンと新型コロナウイルスはセットで計画されていたのではないかと疑っています。もちろん、決定的な証拠があるわけではないのですが、あまりにも早くmRNAワクチンが世界市場に投入されたことから、事前に周到に準備していたのではないかと思ってしまいます。(P.188)
日本政府も最初は2回ワクチンを接種したら新型コロナウイルスに打ち勝つ(おそらく終息に持ち込める)と喧伝していたのですが、その一方で、ワクチンメーカーと8億8000万回分もの購入契約をしていました。このことから政府は、最初からこのワクチンを定期接種することを承知していたものと思われます。(P.188-189)
これは「陰謀論」でもなく「陰謀」でもありません。それは「企業戦略」「経営戦略」です。そして各国政府にとっては「政治戦略」です。
なので、問うべきは「人工物かどうか」ではなくて、「なぜこの戦略が成り立つのか」です。
「死ぬ die 」は英文法では「自動詞」です。なので「能動・受動」はありません。それとは別に「殺す・殺される kill 」は「他動詞」なので能動(殺す)・受動(殺される)があります。私の知る限り、どの文化でも「死ぬ」と「殺す」の差はあると思います。そして「死ぬ」は「自然に沿うこと」で「殺す」は「自然に逆らう(あらがう)」ことなのではないでしょうか。
「mRNAワクチンによる死亡認定者」は「死んだ」のでしょうか、「殺された」のでしょうか。私には「死ぬこと」と「(法・コンプライアンスに基づいて)殺すこと」が曖昧になってきているように思えます。どちらも医学上(法律上)の「死の定義」に基づく「数」や「確率」になってしまっています。私にとっては、死ぬことは「脳死判定の基準」とは関係ないし、殺すことは「死ぬこと」とはまったくちがうレベルにあることで、それは「確率」「数」で納得(正当化)できることではありません。「0.1%なら許される」「一人なら許される」というものではないのです。
子宮頸がんワクチン(HPVワクチン)は、大きな副作用(副反応との違いは能動・受動の関係に近い)が報告され、一旦は推奨されなくなりましたが、2022年から「積極的推奨」が再開されました。それどころか、男性にも推奨され始めています。
「病気になる」と「病気にする」「病気にされる」の違いが、日本でも不明瞭になっています。ほとんどの人は「分子生物学」に対する知識がないし、「ワクチン」に対する知識もないでしょう。「子どものためにワクチンを打たせる。子どもは知識も判断力もないから」、そうかも知れません。ところが、その親にもその知識がないのです。
いま放送されているフジテレビのドラマ『明日はもっと、いい日になる』を観ています。児童相談所に出向を命じられた福原遥が演じる刑事の話です。親は「ペアレント・トレーニング」を受けなければ「普通の親」になれないのでしょうか。まるで、親は児童心理司や児童福祉司でなければ子どもが育てられないかのような話です。そうでない人(つまりほとんどの人)は「専門家」や「施設(行政・法律)」に頼らなければならない、ということになります。熱を出していそうな子どものおでこに手を当てるときに、保育士が「ごめんね、触るよ」と言わなければならないのです。それが日本の現実を描いているのかもしれません。それは私にはとても生きられそうにない社会です。
「子どもの人権」と「親の人権」の板挟みになって職員は苦悩するのですが、私の若い頃には「子どもの人権」も「女性の人権」も「男性の人権」すらも「お題目として」しかありませんでした。「ひどい時代だ」と思うかもしれません。でも、今の「人権」や「コンプライアンス」を守るということは何に支えられているのでしょうか。このドラマで描かれているのは「親が子を想う気持ち(多くは母性愛の変形)」と「子が親を想う(慕う)気持ち」です。そしてそれらは「人権」や「コンプライアンス」につながるものではありません。むしろ対立することだからこそ職員は悩むのです。昔「親子愛」と言われていたものです。それは「人権」や「法律」に支えられていたわけではありません。子どもが熱がありそうだったら、押さえつけでてもおでこに手を当てる。そのうえで「寝てれば治る」と言えたのです。私は今の日本がその頃よりも「いい日になった」と思わないし、「明日はもっと、いい日になる」とは思えないのです。
私が子どもの頃にも、当然「貨幣経済」の中にいました。それでもどこか「お金なんかなくてもなんとかなる」と思っていました。それは「子どもだった」ということもあります。お金がなくても、外にいれば石ころや、地面や、草花や、昆虫など、遊ぶことに困ったことがなかったからです。泥だらけになって帰ると怒られましたが、泥だらけになること自体を怒られたわけではありません。洗濯しなければならないし、破れた服には継ぎを当てなければなりませんから。今は泥だらけになること自体を怒られるのではないでしょうか。全自動洗濯機になっても洗濯が大変なことに変わりはありません。でも、「汚れること」自体は「自然に沿ったこと」です。「汚れないようにする」というのは「病気にならないようにする」、つまり「健康診断」や「ワクチンを打つ」と同じ考えです。
企業戦略(経営戦略)や政治戦略が作り出し、利用しているのは、まさしく「汚れないようにする」「病気にならないようにする」「(ウイルス・他国・他者に)侵略されないようにする」という気持ちです。
「口臭」「加齢臭」「生活臭」などは、その人やその周りの人、あるいはご先祖たちがこの土地で生きてきたこと、その証と同じです(「ファクターX」)。そこには、その人々が一緒に生きてきた細菌やウイルスが発する臭いも含まれています。今、それらは徹底的に排除されようとしています。
「〇〇アレルギー」は「〇〇ハラ」と同様にどんどん増えています。昔から「アレルギー」はあったし、「DV」もありました。でも、それらは「生活すること」「汚れること」で「自然に沿う形」で抑えられてきたのではないでしょうか。それら「共に生きる convivial 技術」は「専門家」「法律」「商品」「お金」に頼ることで、庶民から失われつつあります。
私たちは、ウイルスと「生存闘争」しているわけじゃないし、他者と「生存闘争」しているわけでもありません。自分の匂いを消し、マスクをし、他者にもそれを求めることは「闘争準備」です。それはお互いが強くなる準備ではなくて、触れたらお互いが感染してしまう(アレルギーを起こしてしまう)ので、接触を避けるような準備です。お互いが弱くなります。そして結局抗ヒスタミン剤を買ったり、消臭剤・消毒液を買ったりするしか手段がなくなります。
私は、「この人の匂いが好き」「この人の匂いは気が合わない」と思うほうが楽です。それでもなるべくお風呂には入るようにしています。出かけることも、人に合うこともめったにないのですが。
[著者等]
著者について
(一社)京都生命科学研究所代表理事。1964年東京都生まれ。兵庫県西宮市出身。東京大学農学部畜産獣医学科にて獣医師免許を取得。その後東大初の飛び級で博士号を取得。帯広畜産大学畜産学部獣医学科助教授、京都大学医生物学研究所准教授などを経て、2024年5月京都大学を退職。日本獣医学学会賞、ヤンソン賞を受賞。新型コロナウイルス感染症の蔓延に対し、「1/100作戦」を提唱して注目を得る。著書に『ウイルス学者の責任』『なぜ私たちは存在するのか』(以上、PHP新書)など。
読売テレビ「そこまで言って委員会NP」で紹介されました!(2024/08/04)
オミクロン変異体は「人工物」としか考えられない――職を賭して発信を続けたウイルス学者、覚悟の論証!
新型コロナウイルス・オミクロン変異体の塩基配列(RNAを構成する、四つの塩基の並び方)の変異を見て、ウイルス学者である著者は凍りついた。「同義置換が1、非同義置換が30、こんなことはありえない」。同義置換とは、アミノ酸の変異が起こらない塩基配列の置換のことであり、非同義置換はアミノ酸の変異が起こる塩基配列の置換のことを指す。通常、同義置換/非同義置換はランダムに入るため、同義置換が1で非同義置換が30というのは明らかな異常であると言わざるをえない。それから著者は、本格的にオミクロン変異体の塩基配列の解析に乗り出した。 著者はオミクロンBA.1が出現する直前に、オミクロンBA.1の変異から一つのアミノ酸が武漢型に戻った配列の変異体があるはずだという仮説のもとで検索を行った。オミクロンBA.1に変異する一つ前の、いわば「親」となる変異体である。すると、自然界では到底ありえない事態が起こっていることが判明したのである。
本書では著者が行ったオミクロン変異体の検証について平易に解説し、さらにオリジナル武漢型の特殊性やワクチンと死亡者数増加の関係も考察する。2022年、なぜ超過死亡者(例年の死亡者数をもとに推定される死亡者数を、実際の死亡者数が超過した数)が前年より大幅に増えたのか?
