女の民俗誌 宮本常一著 2001/09/14 岩波現代文庫

女の民俗誌 宮本常一著 2001/09/14 岩波現代文庫
リサイクル本

きれいな本です。2009年の第8刷ですから、最近もらったのでしょう。

岩波現代文庫のために編集されたもので、初出は昭和12年から昭和48年とかなり幅があります(戦前の作品は「女性と信仰」だけです)。

タイトルの「民俗」を「民族」と変換していました。全然意味が違いますね。

みん‐ぞく【民俗】
〘 名詞 〙
① 人民の風俗。民間の習俗。住民のならわし。〔色葉字類抄(1177‐81)〕
[初出の実例]「今世の時運を考へ、人の強弱をはかり、日本の土宜と民俗の風気を知り」(出典:養生訓(1713)六)
[その他の文献]〔韓非子‐解老〕
② 民衆。
[初出の実例]「移三民俗於二仁寿之域一〈略〉文治元年八月廿八日」(出典:東大寺続要録(1281‐1300頃)供養篇)(精選版 日本国語大辞典
みん‐ぞく【民族】
〘 名詞 〙 同じ文化を共有し、生活様態を一にする人間集団。起源・文化的伝統・歴史をともにすると信ずることから強い連帯感をもつ。形質を主とする人種とは別。
[初出の実例]「徃古魯西亜の地方には『シチアン』と云へる蛮野の民族ありて荒漠の原野に住居し」(出典:西洋事情(1866‐70)〈福沢諭吉〉二)(精選版 日本国語大辞典

私は女性のことが分かりません。うまく話せないからです。「セクハラ」という言葉ができてから、ますます話せなくなりました。まあ、男のことも分かるとは言えませんが、自分が男であるため、分からなくても分かるつもりでいなければなりません。

でも、「分からない人」のことを単純に「同じだ」と思い、「平等だ」というのには違和感があります。極端な言い方をすれば犬も猫も草花も「生きものとして同じだ、平等だ」と言っているのと同じです。それが無意味だとは言いませんが、それが意味をなすのは特定の前提や条件下だということです。

人間は犬の気持ちが分かったり、花の気持ちが分かったりします。でも、それは犬と花と人間が「対等・平等だ」ということではありません。いまよりもむしろ戦前や明治以前のほうがその「対等・平等感」は強かったのではないでしょうか。


民俗学

出来事、物、職業、役割、言葉、風習、・・・を民俗学は「書きとめ」ます(記録、録音、録画)。民族学や言語学も同様です。それは「文献学」として始まり、文献学の資料となります。

「書斎文献学」(文献によって本を書くこと、今のコピペや生成AI と同じ。私の文章もその一つです)の元になっている資料(書物)も、やはり「見聞」や「実地調査」ですが、それらの書物を「書く動機」、あるいはその本を「読む動機」は何でしょうか。

分かりません。分かりませんが、一つは「知りたい」という(学問的)好奇心や探究心、もう一つは「物語性」でしょう。前者は「自分の外」にあるものを「自分の内」に入れたいという気持ちで、後者は「自分の内」自体を知りたいという気持ちではないでしょうか(「お金のため」という動機も大きいでしょうが、ここでは考えません)。

この二つは、本来は別々のことではありませんでした。なぜなら、「自分」と「自分以外」というものが近代以前は明確ではなかったからです。西欧的近代(近代的自我)は、この二つの明確な分離から始まったのだろうと思います。「自我としての主体」と「客観的対象(客体)」という「ものの見方」で「他者(他物)」を見ることしかできない近代人が他者(他文化)を見る時、そのフィルターを外すことは困難です。不可能と言ってもいいでしょう。それは人間が人間の感じ方(人間の感覚範囲はとても限られています。赤外線や紫外線は見えません)や考え方(あるいは言語)を抜きに、犬や植物のことを考えろ、と言っているのと同じだからです。

自他の区別(つまり、近代的自我)を持ってしまった人間が他者を見たり、知ったりする時(見ようとしたり、知りたいと思ったりする時)、最小限心にとどめておかなければならないのは、「自分の目(心)にはフイルターがかかっている」ということです。


女言葉
さて山の神海の神は女性であったがゆえに女性が仕えたのではなく、女性が仕えたために多くが女性化されたとみるべきである。それは彼女らが神がかりによって演ずる口誦文芸がそのまま第一人称をもってなされたからである。彼はこういうことをした、というように語るのではなく、私はこうしたと語るのである。(P.9)

私は最近、自分のことを言う時に困ってしまいます。「私は」と言ってみたり「僕は」と言ってみたり、「お父さんは」と言ってみたり、・・・。老人といわれる歳になって「何でいまさら」と思います。ボケてきたのかもしれません。職場とか限定されたところではそれほど迷わなかったのですが、そういう組織に属さなくなったからかもしれません。逆に自分のことを言うこと(割合)がふえているのかもしれません。

戦後の民主教育は、西欧近代思想を植え付けるものです。「自由・平等・独立」などです。それに一番必要なのは、論理的思考であり、英語(印欧諸語)的発想です。現代英語で一人称単数の主語(代名詞)は「 I 」だけです。二人称の主語(代名詞)は「 you 」だけです。それ自体は迷いようがありません。迷うとすれば、文が終わったあとに「 , don't you? 」「 ,Sir 」「 ,mam 」などを付けるかどうかでしょう。その「付け加え部分」こそが話者の心情を表しているといえるのかもしれません。

英語の小説では「 She said, 」とか「, she said. 」とか必ず誰が言った言葉かを明示します。まあ慣習ということもあるでしょうが、言葉自体(つまり文法自体)には男性・女性の区別が少ないのです(「文法性」、つまり本来のジェンダーはありますが)。

日本語は違います。少なくとも話し言葉では違います。国会での議論は、基本的に「文語(文章語、標準語ともいわれる)」で行われていますが、それを「口頭で」答えるときには日本語ですから、やはり差が出ます。声の高さや声質のことではありません。ヨーロッパでの議論もほぼ「文語」でしょうが(トランプの発言は分かりません)、なんか本質的には日本語と違う気がします。

「男女同権」は「男女同言語」から始めなければならないのでしょうか。私はNHK朝ドラ『虎に翼』を思いだしてしまいます。

ところが婦人が参政権を得てから、このような事件はほとんど姿を消した。女性は買収にのることが少なかったし、そういうことがあると、逆にうわさの種をまいて候補者が不利になることが多かった。また女性を暴力でおどすことも効果がなかった。とにかく選挙にともなう血なまぐさい事件はいちじるしく減ってきた。(P.191)

「〇〇ハラ」が増えていくのと並行して、「ゴシップ」やSNSでの炎上が盛んになっています。「ワイドショー」は「情報番組」になり、「噂話」が「女性的なもの」ではなくなりました。男性、いや「世界」が女性化しているのかもしれません。あるいは(表面的には)「中性化」ともいえます。

男性・女性は「生物学的性」になりました。それに対して「社会的性役割」を指す言葉として「ジェンダー」という語が現れたのは最近のことです。

女性(というより「おんな」と言ったほうが日本語的です)が担っていたもの、男性(おとこ)が担っていたものは、どんどん商品(サービス)になっていきます。そして男性も女性も単なる「人的資源」つまり「商品(中性的性)」になっていきます。

生物種(種類、ジャンル、ジェンダー)としての「女性」ではなく、社会に必要な「種(種類)」としての、社会を作る(構成している)ものとしての「女性性(おんな性)」は失われることはありません。


自由

こうして女たちは主人に、または夫に隷属するまえに選択の自由はあった。選択の自由がなかったというのは、本人に選択の意志や能力がないか、または周囲のやむを得ない事情による場合が多かった。

この選択の自由は重要な意味を持っている。それによって女の運命がきまってしまうものだからである。そして自ら選んだものは大切にした。このことがあったからこそ女は家のよき伝承者たり得たのである。女を頑固なものにしたのもそうした自由意志がその最初にあったからである。(P.35)

しかし、女の持つこうした伝承者的な性格とかしこさは、学校教育の発達によってしだいにかげのうすいものになって来た。(同)

儒教的な道徳や武家的な慣習の十分浸透しなかった社会では女の地位はけっして低いものではなかった。(P.42)

「いやになったもの同士が一緒にいるのは道徳にあわんでしょう」と対馬のある老婆はいった。(P.43)

「テボをふる」(離婚して実家に戻る)は、なんとなく「出戻る」に語感が似ています。

ここで言われている自由は、民主主義(教育)が掲げる「形式的自由」のことではないと思います。

なぜなら、新しい教育は、子が親の職業をうけつがねばならないということは要請しないのである。しかも現今では日本総人口一億人のうち、農業人口は二〇〇〇万、それ以外は農業以外の職業にたずさわっている。そしてしかもその大半は俸給生活者か職場労働者である。そしてそれはすでに家を生産単位とする職業ではなくなっている。したがって子が親の職業にしたがわねばならぬ要素はいたって少ない。これらの人々にとって家族生活というのは安息のためのものである。しかし農家の場合は必ずしもそうではない。(P.37)

しかし、女たちのその本能的な叡智の底にひそむ、不安そのものが、農村の不安定性であることをわすれてはいけない。(同)

「職業選択の自由」は「働かない」という選択を含みません。それはむしろ「勤労の義務」とされています。

最近は「転職」が大流行で、「転職・就職(職探し)」そのものがビジネスになっています。「フリーター(フリー・アルバイター)」という言葉を最近聞きません。終身雇用や年功序列がなくなって、みんなが「フリー」になったということでしょう(ビールすら「アルコールフリー」になっています)。

職業選択は「自由」でも「権利」でもなく、「義務」です。親の職業を受け継がなくていいというのは、誰にとっての自由なのでしょうか。


女性の生理現象は、健康で正常であるかぎり、誰にも見られるものであり、その初めはそれがあることによって、かえって神秘視されていたと思われるのであるが、日本には早くから血を忌む習俗が発達していった。(P.155)

だから、山中の狩人  野獣の血を流すような仕事をしているものでも人の血は忌みきらっていたのである。

とくに祭祀にたずさわるものがこれを忌みきらっている。(P.159)

そればかりではない。生理中は神社にまいらぬとか、自分の家の神のまつってある部屋にはいらぬといった習俗にいたっては全国にわたっていたといってよかったのである。

そのような制限がどれほど女の心を暗くし、またその生活を圧迫していったことか。しかもそれは一応血を忌む習俗のなかから出てきたものであったといっていい。武士は血を見ることを恐れなかったし、それを恐れるものをあざ笑ったけれども、一般の民衆は早くからその逆の道をあるいた。そして神の祭祀にあっても、狩猟の盛んに行われた地帯をのぞいては、犠牲をささげるというようなことはほとんどなかったのである。(P.160-161)

私は血が苦手です。体力がなくて暴力が嫌い、ということもありますし、医者から「君は痛みに弱い」とも言われました。そのせいかもしれません。男だということも大きな一因でしょう。

日本でどうして血を忌む習俗が発達したのか、私は著者の説明ではどうも理解できません。それとも仏教の影響でしょうか。あるいは牧畜ではなくて農業中心だったからでしょうか。豊かな山林があっても、平野の少ない日本では狩猟はあっても牧畜は発達しなかったような気がします。

子供の頃、農家の祖母が鶏をつぶすのを見たことがあります。鶏の羽を掴んで、木の切り株に押さえつけて、ナタで首を切ります。手を離すと、首のない鶏がバタバタと跳ねて飛び回ります。近所の野良犬が何匹か、血の匂いを嗅ぎつけて吠えていました。晩飯は鶏料理です。卵を産まなくなった鶏ですから、スーパーで売っているような柔らかい鶏肉ではありません。でも、美味しくいただきました。強烈な体験でしたが、「人間が肉を食べるというのはこういうことなんだ」と思いました。それは嫌悪感を催すような体験ではありませんでした。それよりも映画やテレビの戦争・暴力・出血シーンのほうが(当時は白黒が多かったのですが)ずっと気持ち悪かったのです。

私は戦争映画はほとんど観ませんが、今でも必ずといっていいほど戦争映画をやっています。その後は任侠映画が流行りました。それもほとんど観ていません。まあ、映画館が身近にありませんでしたから。テレビは比較的早くから家にありました。私が観ていたのは『ウルトラQ』から始まる特撮の怪獣もの、『鉄腕アトム』や『鉄人28号』でしょうか。そのあと「スポ根」物が流行りました。どれも現在まで欠かせないジャンルです。

私は戦後の民主教育において、戦争や暴力に反対することを徹底して教えられました。そして映画やテレビでは、「悪いもの」としての戦闘や闘争が描かれていました。映画やテレビのスタッフも「悪いもの」としての暴力を描いていたんだろうと思います。そのスタッフの技術力は高かったのでしょう。その暴力シーンは現実の流血を超える力を持っていました。子供たちは軍国少年同様に、怪獣やヒーローの人形で遊んでいたのです。

そこに私は、スタッフの意図を超えた「権力のようなもの」を感じます。戦前から続く財閥や右翼の「陰謀論」のことではありません。その財閥や右翼を支えている何かです。それは近代西欧思想と、日本古来の思考を合体した何かです。

著者は農家の貧困をたくさん描きます。その貧困が資本主義がもたらした貧困であることは明らかです。

明治初年の農民の生活は悲惨なものであった。それまでの税は物納であり、米で納めていた。それが金納になった。当時日本に流通していた貨幣の量は少なかった。その貨幣で税を納めなければならないことは、貨幣のほとんど流通していない農村社会には大きな負担であった。それがさらに明治一五(一八八二年)に日本銀行ができてそれまで流通していた太政官札が日本銀行券に切り替えられたときに生じた不景気は身にこたえた。そして金につまった百姓たちはどんどん土地を手ばなして小作に転落していったのである。そして明治一九(一八八六)年には農家の三四・四%が小作農になっていた。しかも男たちの多くはその小作地にしがみついて百姓をしなければならず、そのために女たちが現金を手に入れるような働きに出かけなければならなかった。(中略)したがって製糸労働を通じて農家がうるおうという地域は明治の中ごろまではそれほどひろかったとはいえない。

それに比べて綿糸紡績工場の方はそのスタートはおくれたが、はじめから大工場が出現して、やがて多くの女工を吸収しはじめる。(P.126-127)

そして、

稲をつくり、籾をとり、それを各家ですって米にし、さらに臼でついて白米にし、飯にたくまで、曾ては動力の利用はなかったのです。そして家庭内の作業になると、そのすべては女が負担したのです。それらを上手に処理していくのが立派な主婦だったのですが、そうした仕事に追いまくられながらも昔の人たちはどことなくのどかであり、かつ明るさがあったと思います。けっして昔の生活がいまよりゆたかであったというのではありませんが、どこかのどかなものがありました。それは何故だったでしょうか。それにはその生活のなかに二つの重要な生活を明るくする要素を持っていました。一つは時間にとらわれないこと、いま一つは労作業のなかに歌を持っていたことだと思うのです。(P.123)

学校で教えられたことの一つは、「時間を守ること」でした。お天道様(太陽)の位置を見ることではなくて、時計を見ることを教わったのです。

忙しいからそうしているのではない。夜が明けると家へ帰って寝ていた。涼しい美しい月の夜をたのしみながら仕事をして、暑い昼は寝て暮らすような生活がここにはまだ残っていた。

昭和二五、六年ごろまでは、対馬北部には時計のある家は少なかった。時計のないということは時間の観念をなくする。(P.245)

父に腕時計を買ってもらったのは、高校生になったときでした。それまでは柱時計や学校のチャイムで時間を知ったのです。お寺の鐘のようなものです。

歌は分かりません。田植え唄も聞いたことがありません。なんか黙々と稲を植えていたような気がします。祖母は民謡の好きな人でしたが。

それでも私は農家に「のどかさ」を感じます。牧歌的というのとは違いますね(放牧畜産じゃないから)。「ノスタルジー」という言葉が(その意味は分かりませんが)合っているような気がします。

それを支えたのが女性の「おんな性」で、それを破壊したのが男性の「おとこ性」なのかもしれません。だとすれば、「ジェンダーレス」「ジェンダー平等」を叫ぶより、「男とおんなは違う」ということを強調するほうがいいと思います。


民俗学

著者の本を読むのはこれが最初なので、著者が「セクハラ」や「ジェンダー平等」をどう受け取ったのかは分かりません。それでも著者が農民や女を見る視線には優しさがあります。「Ⅲ 女の物語」は、著者の「ストーリー・テラー」(P.324、谷川健一「解説」)としての力が発揮されていて、久々に映像が頭に浮かんでくるように感じました。

新聞も雑誌もテレビもラジオをすべて事件を追うている。事件だけが話題になる。そしてそこにあらわれたものが世相だと思っているが、実は新聞記事やテレビのニュースにならないところに本当の生活があり、文化があるのではないだろうか。その平凡だが英知にみちた生活のたて方がもっと掘りおこされてよいように思う。当節はすべてに演出が多く、芝居がかっていすぎる。(P.229)

著者にとって、民俗学は「学問」でも「物語」でもなかったのではないでしょうか。たぶん、著者の民俗学を「学問」や「物語」に還元することは許されないだろうし、民衆はそれらとは別のところ(次元)で、「報道」や「書き物」にならないところで、「生活」しているのです。




[著者等]

宮本常一(みやもと つねいち、1907年8月1日 - 1981年1月30日)は、日本の民俗学者・農村指導者・社会教育家。(Wikipedia


貧困と闘い困難な生活を生抜いてきた日本の女性たちの素顔を浮彫りにした貴重な記録な単行本未収録の記録.

庶民の歴史のなかで,もっとも明らかにされていないのが女性の歴史である.民俗探訪の旅の目的は,男たちの陰に女たちの息遣いを発見してゆくことでもあった.本書は宮本常一の膨大な著作のなかから,単行本・著作集に未収録の論考を中心に構成され,貧困と闘い困難な生活を生抜いてきた日本の女性たちの素顔を浮彫りにした.



[ISBN 9784006030445]

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