
古書店で110円。「物語論」のようなものを読んだことがなかったので、つい買ってしまいました。
読み始めたら、「つまりありありと”紫式部”の霊姿を私は見た。」(P.11)と出てきたのでびっくりしました。
彼女の『源氏物語』をどんなに利用してもよい、金儲けに使ってもよい、食い物にして大いに結構である、というのが彼女の答えであった。そのかわりとして、生涯、”紫式部”の召使いになり、ときどきは彼女のお世話をすること、というのが契約の内容だった。(P.11)
でも、読むにつれて、段々と面白くなってきました。古文がたくさん出てきますが、大抵は現代語訳も載せてあります。古文も漢文も全く読めない私が読めたのだから、大丈夫です。
「物語論」というよりも、「モノガタリ論」です。日本には「〜物語」という古典がたくさんありますが、そういった物語ができる「前」までのことが書かれていると言っていいでしょう。
本書の意図について、こう書かれています。
母語とは、生まれ落ちてそれで育つ特権的な言葉のことをいう。(中略)すべての地上に、この現在という時間を、そして過去においても、生きてきたしまた生きつづけている人類が、それぞれの母語を深めることによってのみ対等でいられることを、私は日本語を通して知らしめたい。(P.23)
その「母語」についての知識が、私にはまったくないのです。
私はしかし、本書で、モノガタリと称される文学とは別の叙述の形式があって、それが深くは物語文学を支える多様な系の一つとしてあることを、以下に見ていこうと思う。それはフルコトと称されていた、という課題にむかう。(P.24)
私は読んだことがありません。カオスの中から世界が創られ、神々が作られ、「天孫降臨」、「万世一系」の天皇家のことが書かれている、程度のことは知っています。
古事記(こじき、ふることふみ、ふることぶみ)は、日本の日本神話を含む歴史書。現存する日本最古の書物である。その序によれば、和銅5年(712年)に太安万侶が編纂し、元明天皇に献上されたことで成立する。また、その時に舎人親王なども加わっている。上中下の3巻。内容は天地のはじまりから推古天皇の代までの記事である。(Wikipedia)
『古事記』はその名の通り、「古い事の記」です。「古事」を著者は「フルコト」と読みます。その「古い事」とはいつ頃のことでしょうか。
すなわち五世紀代までの伝承が口頭においてなされてきたのをおもにフルコトと認識していた、ということになろう。(中略)そして、ここがだいじなことだと思えるのは、実際に口頭伝承の成立というかたちでの、フルコトの大活躍は、まさに文字とぶつかりあう六世紀を舞台とする、ということになろう。(P.55)
『古事記』は漢字で記されています。言葉を表記するのには漢字しかなかったのですから、当然です(それ以前に日本に文字があったとしても、大和朝廷が採用したのは漢字でした)。
『古事記』の文体は純粋な漢文体になっていない。漢文のわくを守りながら、苦心の、日本語の、伝達の機能を果たす目的で、独特の漢字かな交じり文(かなはむろん万葉仮名)によって書かれている。フルコトとして訓めるようにそももそも表記が工夫されているということにほかならない。(P.65)
「レ点(一字戻る)」「一二点(二字以上戻る)」などを使って漢文のように読むのですが、中国語で書かれているわけではありません。
「文字にした(書かれた)」から、現在まで伝わっているのですが、「文字にする(書く)」ということと「語る(話す)」ということはまったく別のこと(むしろ対立するもの)です。
われわれの体験にだって、日本語を漢字であらわすいろいろな工夫や、ときには遊びがさまざまにあって”豊かな”書き言葉を作りだしている。国字のような”漢字”や、中国にはない”漢語”をいっぱい作りだして言語生活を楽しむ、ということをしている。古代人にしろ、同じことだったろうと思われる。いや、われわれ以上にそうだったろうと、本格的な表音文字をもたないかれらの文字言語の生活について、その漢字漬けで書くしかない日々の明け暮れに対して、同情を禁じることができない。かくて、漢語の羅列めかして書かれているものの、じつはほとんど漢語がでてこないという、不思議な書物『古事記』はもたらされた。(P.89)
表音文字(アルファベット)でも、「遊び」はあります。そもそも文字で「言語を表しきる」ことはできませんから。
いくら紙に重々しく書かれているからといって、それだけではかならずしも権威ある伝承になりきらないので、西郷信綱氏の論じられるように(『古事記研究』、一九七三年)、音声主義とでもいうべき、訓みを声にするという完成状態が求められたのだろう。(P.100)書かれた文献はヨムことを成り立たせているものの、それをそのままではカタルことができない、という原則がここにあろう。誦習したという「旧辞」は言うまでもなく書かれた文献としてあった。(P.179)
当時、黙読というものがあったのでしょうか。
黙読 (もくどく)silent reading
ひとりで,声を出さないで文章を読み,意味をとってゆく行為,技術。いまでは日常化してなんの疑いももたれてはいないが,歴史的には近代市民社会形成過程のある時期以降に支配的,社会的になった様式,慣習である。これに対して,ローマの文人社会で公開朗読会が本の出版にひとしい意味をもっていたように,古代,中世では声を出して他人にも自分にも聞かせる〈音読〉が支配的様式であった。これは〈音読〉が共同体内部の語り,吟遊詩人の伝統と直結していたためである。(中略)
日本でも〈音読〉から〈黙読〉への移行は,明治維新以降のある時期に起きていると思われるが,まだその過程についての研究は進んでいない。ともあれ,近代社会の運行は,それのない時代を尺度にすれば,ものすごい速度で行われる各種の,そして大量の〈黙読〉(その技術を植えこむのが学校教育の一主眼)によって支えられている。(改訂新版 世界大百科事典 「黙読」、執筆者:香内 三郎)
西欧においては、「書く」という行為も、「声に出して」「体(手や舌だけでなく身体全体)を使う(動かす)」ものでした。
〈筆記する人 scriptor 〉は筆を持ち、〈口述する人 dictator 〉は指図する。十二世紀の著作者が、自ら筆をとり、蜜蝋の書き板に草稿を記すのは、特別な場合だけだった。まして高価な羊皮紙の上に自ら筆で記すなどということは、著作者の思いもよらないことだった。それは〈書く人 amanuensis 〉と呼ばれる別の人々の仕事だった。(イリイチ『テクストのぶどう畑で』邦訳 P.95)当時のやり方によるならば、筆記者はベルナールの口述を自分の手につぶやきかけながら記すのだった。つまり筆記者の口が尖筆を持つ手を導いたのである。読書と同じように、書くこともまた依然としてぶつぶつとつぶやく活動のままだった。(同書 P.98)
紫式部は、「ぶつぶつ」とつぶやきながら『源氏物語』を書いたのでしょうか。『源氏物語』を読む人は、声に出して読んでいたのでしょうか。わかりません。
アルファベット(表音文字)というのが特殊な文字で、一つ一つの文字には意味がなく、文字のつながりが「発音」を表し、「意味」を担います。ですから、「声にして読む」というのがむしろ当然です。漢字は表意文字ですから、一文字一文字が「意味」を表します。「山」を「サン」と読んでも「ヤマ」と読んでも意味は同じです。「山」の一画目が「ヤ」で、二画目・三画目が「マ」というわけではないので、声に出しながら書くというのは難しいかもしれません(画数が多い字だともっと大変です)。仮名は画数が少ないですから、つぶやきながら書くことも容易かもしれませんが。
昔のラテン語聖書は「子音のみ」が書かれていたそうです。読む人はそれに母音を足しながら読んでいました。
子音(呼吸を妨げるもの)と母音(肺から飛び出た「霊」である息吹に付けられた色を示すもの)との双方に記号を当てはめることで、社会的に計り知れない大きな意味を持つ一つの技術が作り上げられた。この技術を用いる社会は、他の様々な文化を有する共同体から自らを離床させる。(前掲『テクストのぶどう畑で』P.112)
読むこと(この場合は声にすること)によって、文字は「命(魂)を持った言葉」になります。
天武天皇が稗田阿礼に「帝紀および上古の諸事(=フルコト)」を誦習(しょうしゅう)させました。これは「暗記させた」ということではなくて、「声に出して訓む」、つまり「日本語として語ることができるようにする」ということだと思います。
日本においても、西欧においても、「言葉(=声にすること)」が大切であり、文字(紙に書かれたシミ)は補助的なものだったのだろうと思います。言い方を変えれば、言葉と文字は明確には分離していなかったのです。「聖書・仏典を持っている(所有している)」だけでは「神や仏の言葉」は”力(ちから)”を持たないのです。
「語り」「語る」「いふ(言ふ)」「のる」「よむ」あるいはハナス(=話す)などの言語行為を意味するいくつかの語に対し、特に「語り」「語る」がもつある種の”力”のようなものを取りだしてみると、結局みぎのようになる。「いふ」は声に出して言うことや意味を取りだす場合(=形式動詞になり、引用の「と」を先立てる場合)を広く被い、前者は「読む」に近い。
「のる」は「名のる」「い=のる(祈る)」などと熟して使われるように、告げる感じがある(=「のる」自体に敬語らしさはない)
「よむ」は一音ないし一字をたどって声にする感じがあり、発音を惜しんで黙読になる場合をも含む。かぞえる、朗読する、うたを詠む、、そして黙読するなどの意味をもつ。一音ないし一字をたどって声にするところに一種の呪術性がこもる場合がある。
ハナス(=話、咄)は、雑談をすることをさし(=「はなし うちとけた雑談」《日葡辞書》)、座談などの場から”俗語”のようにして生じた語でもあろうか。口語として早くからあった語かも知れないが、その起源を容易にあきらかにすることができない。
「かたる」はそれらに対して、ことばによる、本格的な言語活動としての伝達を意味したろう。順序を追って叙述し、くどいまでに時間をかけて説きつづけたりするような場合もきっと「語り」という行為にははいってくることだろう。(P.141-142)
フルコトもカタルことによって、”力”を持ち、権威を持つのでしょう。
語るという行為は文字とたがいに排除の関係にある、ということだろう。文字がないと語ることができ、文字があるとそれは「読む」または「誦(よ)む」ことになって、語ることができなくなる。(P.180)カタルとは、説話ないし言いあらわしたい事柄や思想について、言語行為としてその話題の全体像に立ち向かい、まさに表現へと積み上げてゆくさまを意味する。固定してしまっている表現を一音一音、あるいは一字一字たどりながら声に仕立てていく行為についてはヨム、というはっきりした意味の区別があった。(P.180-181)
十二世紀の文書の中で、「母語」という用語はめったに使われることはなかったが、これは常に〈話し方 sermo 〉を指し、ラテン語としての〈言語 lingua 〉とは区別された。(前掲『テクストのぶどう畑で』P.178)
私にとっては日本語が「母語」であり、学校で習った英語はそうじゃない、といった単純な関係でありません。それは「話し言葉(パロール)」と「書き言葉(ラング)」、あるいは「方言」と「標準語」、もっと大きくいうと「言葉」と「文法」との関係を含みます。
それは「語る」と「読む」との関係でもあります。「文字があるとそれは「読む」または「誦(よ)む」ことになって、語ることができなくなる」(P.180、前出)のです。
「モノ」は、
いうまでもなく『古事記』で言うと、みぎにあげた二、三例を除く圧倒的多数が、物象一般、つまり品物や産物や衣類などと、「物言」「ものまをす」あるいは「物」を食うなどの動詞の対象となる例、および歌謡のなかでの形式名詞「〜もの」とであって、現代語の「もの」と用法上、まったくかわることがない。(P.192)モノは、存在を漠然と、一般的に、非限定的に指示する便利な語として、上代の世界に息づいている。(P.201)
上代語では「もの言ふ」「もの悲しい」そして当該の「もの語り」などがあり、平安時代にはいるともう枚挙のいとまがなくなる。現代語に置きかえる場合、”何か言う””何やら悲しい”などという感じかと思う。しかしその”何”を”何かを言う”というような感じでの対象の指示に受けとると、またちょっと違う感触がする。”何か”と言い、”何やら”というのは”言う”にかかる副詞ないし副詞句の表情をもつとみとめられる。「もの」もまた、その類推から言うと、副詞の表情をもつとみとめることが理解の捷径ではないかと知られる。(P.202)
では、「モノガタリ」とは何でしょうか。
モノガタリ(=話談)する現場にもちこまれる説話はモノガタリだ、ということになる。なんだか同義反復のようながら、ここでは座談の現場を意味する語がそのまま座談の内容を呼称する。そういうことではないかと思う。(P.200)叙べてきたフルコトが伝統的な言語の伝承として、堅苦しく、場合によっては固定的な詞章と化していったり、さらには断片的な言語となっていったりするのに対して、モノガタリは自由な語りの領域を確保しようとする言語活動だ、というふうにまとめられるかと思う。(P.204)
平凡な意見に落ち着くことになるとしても、正式のカタリの時や場所とは別に、モノガタリの時、モノガタリの場所において、あるいは時も場所も限定することなくモノガタリするのがモノガタリだ、ということになろう。
モノガタリとはモノガタリすることであり、モノガタリされる内容をさしてモノガタリと称した、ということだろう。モノガタリとは何よりもまずそのような言語行為であり、ついでその言語行為にもたらされる説話内容をもそのように称した。(P.206)
「(非公式に)語ること」としての「モノガタリ」が、「そのまま文字になった」わけではありません。文字が「フルコト」を記すために困難を抱えていたように、漢字は「モノガタリ」を記すためには適していなかったのです。
だがしかし、けっして、モノガタリされる作り話がそのまま物語文学になるわけではない。物語文学は作り話の内容を昔話的伝承の行われるような場所へ意図的に帰していったところに成立する。昔話的伝承の行われるような場所へ帰していった、といっても、事実上そうするのではなく、書物のなかにそのような語りの場を作りだすことによってそうする。つまり語り手をなかに据えて語るように書く、という基本の態度が設定される。そのためには、一字一音の、しかも語りにふさわしい速記の、あるいは速読の可能な文字がなくてはならなかった。虚構とは意図的に書き物のなかにそのような語りの場所を仮構することにほかならない、と言える。虚構によって語る場を確保する試み、それが物語文学であった。(P.219-220)
かな文字が「物語文学」を作りだした、という歴史的事実とも一致しています。
引用文中の「自由」という言葉を、著者がどのような意味で使っているのかはわかりません。私なりの印象で書きます。
固定的な(変えることができない・許されない)「書き言葉」「標準語」「文法」「読むこと」などに対して、変えられる・変わることが前提であり、創造する(創り出す)ことがその本質である「話し言葉」「方言」「母語」「語ること」の性質のことを、著者は「自由」と呼んでいるのではないでしょうか。
従来の物語文学史ならここからはじまる。そう言っても過言ではない。”書かれた物語”に、ようやく到達する。モノガタリは口頭の言語活動の一つであり、書くという行為には本来、かかわらないはずではなかったか。文字と語ることとは、相いれない、矛盾の関係にあることではなかったのか。
けれども事実上、そのような矛盾をかかえて、書くことのなかに語り手を招きいれ、語る時や場所をうちわくとして設定しながら、語るようにして書く文学を、平安時代の早いころ、平安時代人は易しい表音文字の発明とともにはじめてしまったのだから、われわれもまたその事実を受けいれて考察をおしすすめるしかない。
そのような書く虚構の文学を古代人は一様にモノガタリと称した。(P.209-210)
物語文学は語ることができるのでしょうか。
文字がないと語ることができ、文字があるとそれは語ることができない、とは、常識を覆すようなことかも知れない。しかし後代の物語文学に就いて、さきまわりして言うと、たとえば『源氏物語』にしても、原則として、これを語ることはできない。端的に”物語文学は語ることができない”とこれを称したい。物語文学は「見る」あるいは声を出しても黙読でも「読む」ことをした。(P.181)
母語を覚えるとき、「昔話」あるいは「絵本」を母親が「語ってくれる」ことは、「読んでくれる」のではないのです。あるいは「話かけてくれる言葉」は、けっして「文字」ではありません。
テレビやスマホから流れてくる言葉、それは何がしかの意味を持っています。何かを伝えているのだとも思います。でも、それは「語り」ではありません。「生成AI 」が作る文章や絵、「 AIロボット」が話す言葉、それが「人が話す言葉」と同等の役割を担っているのだとすれば、そのようなもの(つまり文字が表現しうるもの)が支配的な社会だということです。それは「モノ」(具体、人)ではなく、お金(抽象、数字)が支配的な社会だということです。
- 千早ぶる 神代もきかず 龍田川 からくれなゐに 水くくるとは
去年、ドラマ『ちはやふるーめぐりー』が放送されました。2016年・2018年に制作された映画『ちはやふる 上の句・下の句・結び』の続編です。この「ちはやふる」が枕詞です。
枕詞は『万葉』の時代(奈良時代)において、今日での理解のような、ある種の技巧として自覚されていたかどうか、疑問のあるところで、そもそも”枕詞”というような述語が存在しない。それらは和歌の世界に生き生きと、現実の力を有し実態をもつ言語として機能していたはずだ。それを浜成(藤原成浜、『歌経標式』の作者・・・引用者)は「古事」ー「新意」に対応のなかに発見した、ということであり、ある意味での”枕詞”の自覚だ、ということになる。(P.81)
私が学校で習ったのは、枕詞はそれ自体に意味があるのではなく、それに続く語を修飾する、強調するものだ、という感じです。和歌31音のうちの5音を「無意味な語」に使うなんて、夏井先生なら「勿体無い」と言いそうです(言わないでしょうが)。
言葉、あるいは文章において(特に俳句や短歌において)、ある単語や述語は、「言外の意味」「大きな実態の表現」として存在します。「桜」や「蝉」「夏草」、あるいは「マクドナルド」や「ファミコン」は、物理的な意味ではなく、それが「記憶」や「歴史」を持つものとして使われます。それは「個人の体験・記憶」ということではなくて、その言葉が使われる「社会の体験・記憶」です(それを共同幻想、とか集合的無意識とか呼んでも構いませんが)。それが「文字(=記録)」になっていようと、なかろうと。枕詞は「無意味な修飾語」ではなくて、その当時の歌人(知識人)に共通する「何か」を「生き生きと(まざまざと・ありありと)」表現していたのでしょう。
言葉を話すということは、その既存の(「古事」、過去の、固定された)言語を使って、あたらしい(「新意」、今まであろうとなかろうと、現在の状況を変えるような)言葉を作るということです。古い意味とあたらしい意味が混じり合ったものとして話し言葉は存在します。その言葉が意味するものの解釈は人によって違うけど、そこにあたらしい意味が付け加わって「創造」が生じます。それは「社会的創造」です。本人が意識していようとしていなかろうと。遊び心溢れる人、駄洒落の上手い人、言葉の巧みな人はいますが、だれにとっても「話すこと」は現状の(現実の)創造です(だから「失言」もたくさん生じます)。
言語が変化するのは、それがまだできあがっていないからではなく、その活動によって絶えずできつつあるからにほかならない。別のことばで言えば、言語が変化するのは話されるからであり、それが話す行為(パロール)の技術と様式としてのみ存在するからである。話す行為は創造的で自由で目的をもったいとなみであり、またそれはひとそれぞれに異なる、次々に現れる新たな表現目的によってきまるという点で常に新しい。(コセリウ『言語変化という問題』邦訳、岩波文庫 P.104)言語変化とは、話すことによる言語の生成そのものにほかならないのである。個々の言語について言えば、それらは言語的知識として創られ、引き続いて用いられる話し方としてのみ存在する。したがって、どんな種類の外因も、話し手の自由と知性を介することなしに「言語の上に」作用を及ぼすことはできない。(同書 P.285)
「言葉」を文法や構造の枠のなかに、あるいは「文字」のなかに押し込めてはいけません。そこからはみ出すもの(数字、文字、あるいは言語そのもので表せない存在・体験)を表現しようとするのが言語です。
「あたらしい」というのは、「進んでいる」「優れている」という意味ではありません。そういう意味なら、「本」よりも「テレビ」「電話」が「進んでいる」ことになるでしょうし、「スマホ」は「優れている」ことになるでしょう。そうではないと思うのです。だれでも「フルコト」を「カタル」しかなく、そのためには「言葉を作る(変化させる)」しかない存在だと思うのです。つまり「会話をせざるをえない存在」だということです。
むろん文字が使われるからとて、知識人たちには一種不可逆的な分水嶺をこちらがわへ、すなわち文字のない世界から知識の世界へと越えた、という実感があるいはあるかも知れないにしても、文化全体としては文字にかかわらない口頭の行為や、身体の行為としての活躍が、生命をもって行われ、ずっとそれはつづくのだから、文字と無文字との文化の複数化がそこに生れたということでこそあれ、世の中の文化の全体が口承から記載へ、と動いたわけではけっしてない。(P.48)
知識人(権力者)のみの道具として文字は使われ続けますが、「文字を前提としない」社会はずっと続きます。文字を前提とする社会になるためには、人びとが「文字を知っている」必要があります。日本で「文字が前提」になったのは、多分20世紀初頭です。
その就学率によって、一九〇〇年を境に、その前後一〇年ほどの間に文盲率が急に減ったと言われているのである。(中略)就学率から文盲率を推定するのが容易に過ぎることは言うまでもないが、明治からは皆が文字を持っているはずのものという前提で、社会が動き生活が営まれるという体制になったことを重視したいのである。(池上禎造「識字層の問題」『岩波講座 日本語学 別巻 日本語研究の周辺』所収 P.79)
私は引きこもり、会話を恐れ、既成の(固定された)商品を消費するだけの人間になりつつあります。私だけではありません。「お金なんてなくてもなんとかなる」という世間の感情は薄れ、商品やサービスを買うために、「給料」を得ることが当たり前の世の中になりました。
私の体験したところでは、多くの人が「本(文字)」と会話し、さらに多くの人がラジオと会話し、さらに多くの人がテレビと会話し、そして今、さらに多くの人が、スマホやパソコンのなかで生れ、育っています。今はニュースで取り上げられますが、そのうち AI の中で生活することが当たり前になるでしょう。まだ問題が発生したり、違和感を感じる間は話題になり注意が払われます。もっというと、当たり前のことは書かれないし、ニュースにもならないのです。
言葉を文字にすることに「違和感」を感じていただろう「古代人」が、「コト」「モノ」「カタリ」を「漢字」で書いたとき、あるいは「モノガタリ」を書くのに「かな」を創り、「仮名(かりな、借字)」と称したとき、 そこには「話すこと」「息吹」「命(魂)」とは違う「何か」を感じていたはずです。
紫式部は何を感じ、著者に何を伝えようとしているのでしょうか。
[著者等]
藤井 貞和(ふじい さだかず、1942年4月27日 - )は、日本の詩人、日本文学者。文学博士(東京大学・論文博士・1992年)。東京大学名誉教授。
