戦争論妄想論 宮台真司ほか 1999 教育史料出版会





















戦争論妄想論

戦争論妄想論



目次

宮台真司 「情の論理」を捨て、「真の論理」を構築せよ

姜 尚中 『戦争論』の虚妄

水木しげる [随筆コミック]カランコロン漂流記「戦争論」

中西新太郎 現代日本の「戦争」感覚-「ゴーマニズム」に揺れるこころ

若桑みどり 『ゴーマニズム宣言』を若者はどう読むか

石坂 啓 [漫画]ある日あの記憶を殺しに(辺見庸『ものを食う人びと』より)

沢田竜夫 人はいかにして兵士となり英雄となるか〈同時代的戦争映画論〉

梅野正信 戦争論言説を超えて

小林よしのりの「戦争論」に対する反論集である。

読んでいるあいだは「なるほど」と思うのだけど、読み終えるとやっぱり小林よしのりの方が影響力があると思えてしまう。宮台の論文などは、最初の部分で「誰がこれを楽しんで読むというんだろう」と思ってしまった。

小林の持つ影響力というのは、小林の「戦争論」が善し悪しとは別に戦後50年間に日本が育てだ論理(倫理)土壌の上に咲いた花であることは認めざるを得ない。

泥棒がよいことである(条件付であってもなくても)という論理(倫理観)を作ることは、泥棒が悪いという論理(倫理観)を作るのと同じように難しい。泥棒という行為が成り立つ構造が存在する限りは。

構造の中での勝負は、同じ土俵にたつ限り構造に有利な方が有利である。不利な側は対等に勝負をしようとするならば、構造そのものを問題にしなければならないのだ。戦後の「さよく」や民主教育は構造そのものを問うことをないがしろにしてきたのではないか。そういう点では、小林の「戦争論」は戦後50年間培われた「平和教育の陥穽」をついた」ものである。構造そのものを問わない平和教育が不可能であるとは言い切れない。例えば、キリスト教的倫理観での説明も可能である。しかし、この構造は民主主義(市民社会的な意味であるが)を含んでいる。構造批判は民主教育の否定に向かう可能性を孕んでいる。そういう意味では構造自体を問えなかった可能性もある。

境界領域の蔓延、タブー破壊の快感・・・、これらの現実の「中」にしか新たな民主教育、平和教育の可能性はないのである。

小林は、自分が「漫画家」であることにある種の劣等感を持ちつつ、それを読むものの劣等感(「漫画ばっかりよんで」としかられ続けた)を共感に変えた。所詮漫画であるという漫画に対する社会的価値観を利用したのだ。しかし、漫画という文化は小林が利用できるような社会的位置づけにはもはやない。書店にも古本屋にも漫画が占める面積は大きい。それを「子どもが読むくだらない本」ということはいまやできないのだ。漫画がもつ文化的意義を正当に評価されたとき、小林は「ごーまんかます」こともできなくなる。傲慢ではないからである。

いずれにしろ、私たちは「自分で」考えなければならない。過去の人々が生きた歴史の中で、蓄積された人類の知恵の中で、それらの内の「限られた」知識の中で。
宮台真司 「情の論理」を捨て、「真の論理」を構築せよ

4 なぜ日の丸・君が代は無内容なのか

p29要は、日の丸も君が代も、国家形成の理念に言及しない端的に無内容その者であるがゆえに、逆に何を読み込んでもいいわけです。だから体制を越えて続いているし、そのときどきで為政者がかってな意味を付与しているのですね。



5 インデペンデンシーとコントリビューション

p33「仲間以外はみな風景」的な感受性があります。これもまた「みんな仲良し」的な共同体主義の、直接の帰結だと思われます。



11 結・リベラリズムを構築せよ

p54私は成熟社会化(近代成熟期の到来)に対応した教育改革すなわち、「同調支援型」から「自己決定支援型」へのシフトを要求しています。そうした改革で子供たちがある程度自己責任原則でふるまえる力を持つようになった段階で、少年法を「保護更正型」から「自己責任型」にシフトさせるのです。



p56日本社会は、法律にもとづく意志決定によってではなく、共同体の空気によって動きます。共同体の空気が変化するとき、象徴的な人物・事物の変化が大きな役割を果たします。だから、社会のどこもかしこも法律が字義どおり運営されていない共同体システムを温存したまま、憲法だけ変えるのは危険なのです。
 中西新太郎 現代日本の「戦争」感覚-「ゴーマニズム」に揺れるこころ

P99「押しつけられている」という感覚の問題と「タブー破りの快感」についてだ。



P100タブー破りの文化につねに可能性として孕まれている「暴力性」が、タブーを破る快感の優越によって見すごされてしまうことを



P101ショー化されたタブー破りは、「面白くっても大丈夫」というどこかのCMに見事に表現された、どんな世界P102を笑いものにしてもオーケー、誰も責めたりしないから、という、王様にまで持ち上げられた文化消費者の自覚されない暴力性を呼びさます。



P128消費社会、消費文化のイメージ上では王様のくせに社会に参画はできていない。それだからこの状況に風穴を空けてくれる権威主義的ポピュリズムの出現は、同時に、「欄外」でしか自分を見せられない文化が逆転して権威を勝ちとる文化的下克上の性格を帯びている。
梅野正信 戦争論言説を超えて



P238これまでの平和(教育)論がタブーとしてきた部分、いわば平和教育の陥穽を巧みに衝くことによって、はじめて、魅力的な物語を提供できているのである。



戦争論言説に惹かれた若い世代が聞きたいのは批判ではない。彼らが本当に聞きたいのは、責任を持って対抗的に提案される、現実的な「選択肢」なのである。

(2000年記)

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