自己のテクノロジー フーコー・セミナーの記録 ミシェル・フーコーほか著 1988 田村俶他訳 1990 岩波書店

自己のテクノロジー フーコー・セミナーの記録 ミシェル・フーコーほか著 1988 田村俶他訳 1990 岩波書店

「性の歴史」の理解を助けるとともに、書かれなかったフーコーの晩年の考察を知るのにとてもいい。

7章(グッドマン)8章(ハチトン)9章(フーコー)がおもしろい。


Mon Jun 24 01:20:08 2002




⟨impressions⟩

It is very good for helping to understand "the history of sexuality" and for learning about Foucault's later thoughts that were not written.

Chapter 7 (Goodman), Chapter 8 (Hachiton) and Chapter 9 (Foucault) are interesting.


Mon Jun 24 01:20:08 2002




いかにして自己を主体化するか―この問いの探究は、「真理と権力」を考察したフーコーの初期の問題系へと立ち帰っていく。自らの思想遍歴を語ったインタヴュー、《自己の主体化》を論じた講義録は、未完におわったフーコーの構想を展望させる貴重な記録となっている。




私たちは自分を捜し、自分の過去、自分の出自(ルーツ)を探し、あるいは自分たちの歴史を知ることによって、自分が何かを知ろうとしてきた。少しでも知ることによって安心しようとしてきた。そして他人に対してもそういう目で見ようとする。
しかし、過去を知ることによって現在の自分(他人)を規制してしまっては何の意味もない。あくまでも私たちは現在を生きるのであり、いま、自分が何をしようとするのか、その決定こそが大切なのである。過去はそのための材料にすぎない。
02/06/02

自分は存在しない。というより「いわゆる人間」なるものも存在しない。
自分が存在しないという言い方が悪ければ、「自己は存在する。しかし主体は存在しない。」
存在しない主体が、自分の行動を決定する。
服従する主体と、自己を決定する主体。
「自分」「自己」「主体」という言葉は紛らわしい。しかし、それらを定義することはできない。定義すること自体が、その否定になるからである。しかし説明することは必要である。それぞれの地域、それぞれの時代の言葉で。
02/06/24

フーコーは西洋の思考の中で、西洋の思考を解体しようとした。それは、日本にはそのまま当てはまるわけではない。日本には日本の特殊性があり、日本型思考の中で、日本型思考を解体することが必要なのである。



[ ISBN-13 : 978-4000040563 ]


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