芸術と現代
1
「ことにたとえば、写真資料と録音テープは、芸術家が利用することのできる芸術についての知識を、時間的にも空間的にも著しく拡大した。」(P.9)__その分自分は小さくなった。「進化」しているのは、拡大し、相対的になった自我の歴史だけである。そして人間存在自体は変わっていない。
(P.9)__数が増えると質が落ちる。いや、さらに自分の専門は小さくなる。すべてを量に変え、量のみが優先される社会。
(P.11)「大衆社会」__人が数になる社会。数となった他者が増え、肥大した自己が小さくなる社会。
「モスクワの「バレエ」の振付けに、新しい要素がほとんどなく、ニュー・ヨークのそれに、しばしば独創性が豊かなのは、「ボリショイ・バレエ」が大衆性を目指し、「ニュー・ヨーク・シティ・バレエ」が同市の人口の百分の一だけを対象として意識していることと、無関係ではあるまい。」(P.11)__数が増えると均一化する。
「技術文明に特徴的な価値の体系は、世俗的である。その内容を消費面からみれば、物質的な「快適さ」であろう。可能な最小限度の努力で得られる「快適さ」が理想とされる。たとえば、ボタンを押し、「つまみ」を回しさえすれば、番組が出るテレビの機械は、その理想に近い。椅子から立って「つまみ」を回す努力さえも省き、遠隔操作で番組を変えることができれば、なおさら理想的であろう。病人用でないテレビの機械がそういう方向に「進歩」することと、番組そのものが、知力または想像力にかける負担の最小限度で、楽しみを与えるように(つまりどんな馬鹿にもわかるように)工夫されることとの間には、明らかに並行関係がある。このような価値が、芸術家にとって容易に受入れがたいのは、当然だといわなければならない。芸術家が求めるのは、「快適さ」ではなくて、表現だからであり、ーー自己表現は快適であるとはかぎらないーーまた努力の最低限ではなくて、おそらくは大きな努力や注意を通じてのみ得られるだろうところの楽しみの最大限だからである。(LF)他方、生産面で、技術的、工業的社会に特徴的な価値は、最小の手段で最大の目的を達成すること、つまり「効率」のよさである。目的と手段を鋭く区別し、「効率」を標準として、手段を合理化するとき、重要な役割を演じるのは、「手段」という概念である。」(P.12)
「その意味での「方法」は、(FF)「熟練」と対照的である。」(P.12-13)
「物質的な快適さに対しては、精神的な表現、方法に対しては熟練、効率に対しては自己目的としての生産過程。このような対立は、価値の水準での、芸術家の現代社会における疎外の内容である。」(P.13)
2
「他方、細分化された知識を求め、秩序づけ、綜合して、一箇の対象を処理するためには、専門家を組織することが必要である。たとえば行政における官僚組織、産業における技術者の組織など。このような組織の行動の主体は、組織内の特定の個人には還元されえない。すでに述べたように、一つの社会における組織の役割の増大は、社会的行動の主体の非人格化を意味し、そういう傾向の著しい社会のなかでは、仕事を通じて自己の人格を実現しようとする個人、ことにそのような個人の典型としての芸術家が、人間として疎外される。かくして芸術家は社会の支配的な価値とは相反する価値を保持し、社会の典型的な認識方法とは異なる仕方で事物に接し、社会の大多数の人々とは根本的に違う生き方を求める。現代美術の含む問題の多くは、そういう状況に対する芸術家の反応の仕方との関連において、理解されるだろう。反応の仕方には、大別して三つがある。すなわち、自己表現第一という態度、社会への反撃、および社会との和解の試みである。」(P.14)
自己表現第一
「芸術家がものをつくるのは、すでにつくられた形に、新しい形をつけ加えるためである。別の言葉でいえば、彼のつくる形の意味は、すでにつくられた形の総体との関連においてのみ定義される。その場合に、芸術家にとって、自己を表現するかしないかは、第一義的な目的ではない。」(P.15)
「芸術を越える何ものかが、芸術全体の意味を保証するとき、その全体に新しい要素を加えること(創造)が芸術家の目的となり、彼自身の自己の表現はそのための手段となる。」(P.15)
「彼らがしきりに過去の大家の作品を模写したのは、にせものをつくるためでも、技術的な訓練のためでもなく、名画というものが画家を離れて存在すると信じ、画家の仕事の一つが、その名画を何度でも描き出すことだと信じていたからである。」(P.15)
「個性的な自己ではなくて、普遍的な自己。」(P.16)
「そこでロマン派の詩人たちが発明したのは、次の三つの考えである。第一に、芸術は、芸術を越える何ものかとの関係において価値があるのではなく、それ自身が価値であるということ。第二に、その価値の内容は、芸術家の個性的な自己の、ことにその内部の世界の表現であるということ。第三に、その表現の手段が豊富であればあるほど、芸術作品は豊かになり、与えられた規則が少なければ少ないほど、芸術家は自由であること。」(P.16)
「芸術家の目的と手段との関係は、ここではほとんど逆転し、かつての手段(自己表現)は目的となり、かつての目的(創造)は手段となった。」(P.16)
「なぜなら感情もまた、人間の精神活動のなかでは、最も身体的な部分であり、当人の幼時の環境や同じ文化のなかで生きているだれにも共通の要因(国語、都市生活、その他)によって、当人の意志とは独立に決定されることが多いからである。」(P.20)__「痛さ」の感覚も、信長や蔵ノ助の時代と今とでは違う。
社会への反撃
「高度に発達した技術社会では、労働者(の大多数)が、必ずしもコルヴィッツの描いた意味で悲惨ではない。高位高官は、必ずしもグロスの描いたように、個人として下品で、高慢であるとはかぎらない。たとえそうであるにしても、それがヴィエトナム戦争の、あるいはアルジェリア戦争の、あるいは日本式公害の原因ではない。巨大な悲惨をつくり出した政策、正義の巨体な侵害を導いた決定、およそこの社会における無慈悲な行動の主体は、組織的な権力の構造であって、その中にいる特定個人の性質ではない。」(P.22)
和解の試み
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「世界中の芸術は、単に大衆の手の届くものになったのではなく、そのすべてが等しく評価されるべきものとして、手の届くものになったのである。そこで大衆の芸術に対する態度は、美術史家のそれに近づくであろう。素人と専門家とが違うのは、芸術作品に対する態度においてではなくて、芸術作品に関する知識の量においてにすぎない。しかし芸術家の態度とは、根本的に異なる。すべての他人を受入れながら、自己を主張することはできないからである。」(P.31)
「全世界の、あらゆる時代の芸術を前にして、芸術家と大衆との間の距離はかつてないほど大きい。」(P.31)
4
「しかし一般には、少数の部族が外部との接触なしに伝統を保存することはきわめて困難であり、外部との接触は伝統的な芸術を商品化する。芸術作品の商品化は、エスキモーの場合に典型的なように、彼ら自身が(FF)作品を芸術として意識しないがゆえに、たちまち徹底するのである。」(P.32-33)
「しかるに西欧帝国主義は、植民地に特権的支配層の支持者として現れるから、現地の反体制運動は、必然的に、反西洋(または反日本帝国主義)の運動に結びつくだろう。」(P.34)
「「鶯」を英語にどう訳するかは一つの問題であり、「ナイティンゲイル」について英語の文章をつくるのは、また別の問題であろう。」(P.36)__鶯とナイティンゲイルは鳴き方が違うかも知れない。(笑)
「本当にその言語に慣れるためには、その背景としての文化全体にも慣れなければならない。文化の全体に慣れるためには、当該芸術以外の領域でも、芸術家の生活環境のなかに、西洋社会と共通の要素がなければならない。それは芸術家の態度によって決まるものではなく、社会の工業化の水準によって決まる。また芸術的言語そのものに、特殊国民的なものと、普遍的で国際的なものがあり(たとえば印象派の絵画的文法は前者の例であり、抽象的表現主義のそれは後者の例であろう)、外国人が前者に慣れることは困難であっても、後者には慣れやすいということがある。」(P.38)
「小津はカメラの低い位置や、その固定と「カット」による「モンタージュ」や、途切れがちに口ごもる会話などによって特徴づけられる映画的様式をつくり出した。このような様式は、畳の生活に慣れ、自己完結的な場面の連続的継起として(起承転結の構造としてではなく)、人生を体験し、日常生活において明示的な命題によってではなく相互の「気持」を察することによって、人間関係を処理する習慣のなかで育った人間のみが発明することのできるものであろう。」(P.40)
「芸術の問題は、何を模倣するかではなく、模倣は創造ではないということである。」(P.41)
都市の個性
1
「高度工業国のなかで、どの町も似ていること、日本の場合ほど徹底した例は、他にないだろう。日本国では「都市化」が急速に進んでいるばかりではなく、すべての都市の外観が似てくる傾向もまた、極端である。」(P.43)
「第一に、「都市化」の速度(あたえられた時点での規模ではない)は、その都市の「伝統」を知らない市民の増加を意味する。」(P.43)
「もっと一般化していえば、社会移動性の増大は、地域的文化の差を減じるように働くのである。」(P.43)
「第二に、経済的・工業的・技術的価値の優先という習慣は、ーーそういう習慣がなければそもそも「高度成長」がなかっただろう、ーー都会をどこまでも同じ形につくりあげる強い力をもっている。その価値の内容が、明瞭に定義された比較的単純な目標を、合理的な手段で達成することにあり、その意味で普遍的なものだからである。」(P.44)
「第三に、明治以来の天皇制官僚国家は、極端に権威主義的であり、中央集権的であって、地方自治の発達する余地をほとんど全く残さなかった。政治的に見えれば日本の都市は、住民の都市ではなかった。しかも文化的には、日本国中が東京帝国大学と銀座八丁目の方を向いていたのである。(今なお、地方大学は万事において、ーー実に学生運動のやり方においてさえも、ーー「東(FF)大」を範とし、今なお地方の都市は、その繁華街を何々銀座と称んでいる。)住民にとってその町が自分たちの町でなければ、その個性をつくり出せるはずがなく、かつてつくりあげられた個性が維持されるはずがない。」(P.44-45)__citizn
「大企業は生産の面で中央への系列化を進め、大量生産と運輸手段の発達は消費面で全国を均質化し、強力な「マス・コミ」(殊にTV)は情報の面で地方差をほとんど撤廃しようとしている。そこで日本国中どの町へ行ってみても、同じような建物のなかに、同じような商品がならんでいて、同じような車が往来し、全く同じ服装をした娘たちが同じ歌をくちずさんでいるということになった。」(P.45)__地域格差はつくり出している。
「第四に、明治以降の日本人の意識にとって、「西洋的なもの」と「日本的なもの」との対照(しばしば対立)は、都市と農村との格差に(都市の内部では公的な領域と私的な領域における価値の分裂に)、重なっていた。「西洋的なもの」は、新しく、進歩を代表し、合理性や能率の良さ、便利と快適さを内容とする、「日本的なもの」は、古く、停滞(と同時に自己確認)を代表し、感情の機微と行動様式の高度に分化した体系、美的感受性の洗練を意味する。西洋館または後年の「アパート」(今日なお「マンション」その他の外来語が用いられているのは、それらの語が「西洋風」に響くからであり、「西洋風」が便利・快適と同時に、進歩を意味するからである)は、すき間風がなく温かいが醜い。和風の住宅は、美しいが、すき間風があって寒い。このような「西洋風」が、実際の西洋ないし北米(併せて西洋である)の状況を極度に単純化して、その一(FF)面を誇張したものであることは、いうまでもないが、単純化と一面の誇張は、均質化に他ならない。」(P.45-46)__とかに出ていく子どもたちに、母親は「便利・快適」を与えたい。もう自分が面倒を見れないから。父親は、「勉強に(仕事に)行くんだから、便利・快適」は必要ないという。子どもが地元に(自分の家に)いる時は、母親も子どもに「便利・快適」を与えようとは思わない。原因は「地元を離れる」という、「都市と地方の関係の成立」である。いまは父親も子供の「便利・快適」を考えるようになってきているのかもしれないが。
「しかし輸出の「自主規制」は経済問題である。日本国外で「エコノミック・アニマル」とは、まさに万事を経済的観点だけから考える人間を指していたのである。」(P.46)
2
「つまり分析的には捉え難い。父親の顔を認知するのは、無数の要素からなる顔の全体を、そのまま綜合的に捉えるからである。」(P.48)
「おそらくその人間が、あるいは町が、生きてきた歴史の長さ(FF)と無関係ではあるまい。十代の男女の顔が、美しいことはあっても、個性的であることは少ない。」(P.48-49)
「一個人にとっての世界は、自分自身と環境からなり、環境は物(と物相互の関係が決定する空間)、他の人間(とその相互の関係である社会)、および象徴の体系(と殊にその基本的な部分である国語)から成る。」(P.49)
「十六世紀の橋を新橋などとはいっていないで、鉄とコンクリートで上下二段の新しい橋をつくったほうが良い。そうすることによって、交通は便利になり、マルケも、ユトリロも、二度とあらわれぬことになるだろう。現に最近の東京は、そういう方針をとってきたように思われる。自動車交通のためには、広重の日本橋も、成島柳北の柳橋も、押しつぶすことを躊躇しなかった。パリが、少なくとも今までのところ、旧式の橋をのこし、少数者の意向を尊重しているのは、その社会の文化が、マルケやユトリロの描いた美観を、必ずしも交通の能率の下に措かぬからであろう。けだし橋の機能の多様性は、当該社会に生きている価値の多様性の反映にほかならない。」(P.53-54)
「もしパリの個性というものがあるとすれば、このような多様性を包摂するところの文化全体の質にあらわれるのである。」(P.54)
「二つの性質のちがう価値を比較することはできないから、その双方を尊重するほかないのである。」(P.56)
3
「また殊にその変わらぬものが、私自身の変化の自覚を促し、変化の自覚は同時に私自身の存在の持続の意識にかかわってくるからである。」(P.57)
「人はこの町のなかで、単に知的にではなく、感覚的に歴史の現在 présence, Dasein に立ち会うのである。」(P.58)
「・・・(ママ)いや、想出がなくても、この町の喚びさます哲学が、単に万物流転のそれではなく、歴史的発展、すなわち変化を貫く持続の哲学であることは、一目瞭然であるといってもよかろう。」(P.58)
「かつて栄えた港町の中心部は、今や、観光客で生きている。その歴史的な景観を変えては商売が成りたたないだろう。ヴィーンは観光都市ではなく、一国の首都である。(観光事業は、オーストリアの輸出産業の最大のものだが、それでもヴィーンが観光で生きているわけではない。)」(P.59)
「あまりにも早い変化は、個人の適応能力の限界を越える。他方、新たに流れこんで来た人口と、新しい世代によって、変化・発展はいよいよ加速される。かくしてそのような社会では、だれにとっても老いることがむずかしい。今日の青年は明日の老人であるから、老いることのむずかしさは、いわば予感された不安として社会に充満せざるをえないだろう。」(P.62)
「しかし銭には両面があり、他面では、その結果都市の環境に持続する支点が失われ、街全体が世界にも稀に見るほど乱雑醜悪になった。これが現状であるとして、この現状を、美しくしてゆくことができるかどうか。それができるための条件は二つあって、その一つは今なお日本文化に備わっているものであり、もう一つはかつては備わっていて今日失われているものである。(LF)第一の条件は、いうまでもなく、美的感受性の洗練である。(そういうことは、むろん一日に成らぬから、今日なお美的伝統がどれほど生きているかということと密接にかかわる。また都市(FF)は個人のものでないから、大衆の感受性が問題であることはいうまでもない。)たしかに日本の都市、殊に巨大な東京の全体は、乱雑で醜悪である。しかしその部分がでは決してない。すでに個々の建築には美しいものがある。室内装飾に到っては、建築全体よりもあるかに洗練されていることが多い。室内の机の上の食器や茶碗の類に及べば、少なくとも安価な大衆的な水準では、おそらく世界中にこれほど美的に洗練された道具を日常生活に駆使している国民はほかになかろうと思われる。その小さなところでは万事が変わってきたのではなく、長い美的伝統が十分に生きているのである。私的空間の細部にゆけばゆくほど、美的洗練と伝統の持続性があらわれ、逆に公的空間に向かってゆけばゆくほど、すべてが醜悪となり伝統の持続性も失われる。」(P.66-67)
「第二の条件は、私的空間(個人の住宅から会社の建物まで)と公的空間(市街・都市)とに同(FF)じ価値の基準を適用する習慣である。」(P.68)
「今結論だけを手短にいえば、明治以降、都市の住民の都市社会への「インテグレーション」が失われたからである。江戸時代の町人は、町をある意味で自分たちのものと感じていた。」(P.68)
「市民たちにとって自分たちの都市がなかったからその街路も美しくなるはずがなかった。誇張していえば、パリの街路が美しいのは、パリ・コミューンがあったからである。(LF)美しい建物をつくる日本人が、みにくい街をつくるのは、不思議であって、不思議ではない。私的生活において心遣いの細かい日本人が、地下鉄のなかで乱暴な群集と化するのは、一見矛盾のようにみえて、実は矛盾ではない。それは一つの現実の両面であり、日本の都市の根本的な問題の一つとして、その現実に直接かかわらずに解決されるものはないのである。」(P.68)
「批林批孔」私註
「大型ジェット機の扱い方は、「人民公社」で学ぶのではなく、シアトルのボーイング会社で学ぶのである。中国の場合にかぎらず、一般に、このような専門技術者の集団は、その仕事の性質上、大衆の生活から離れる傾向をもち、それ自身「選良」の意識を発展させる傾向をもつだろう。」(P.74)
「しかし十九世紀末から今日まで、欧米から日本へ流れこんできたのは、それなしには近代国家として日本がなりたち得なかったであろうところの工業技術や医学や社会制度に関する知識ばかりではなかった。望むと望まざるとに係らず、西洋の音楽や美術の影響が及び、またあきらかに日本の国家権力が望まなかったところの社会主義やキリスト教や人権思想さえも入ってきたのである。」(P.75)
内田義彦の「散策」について
「私はさしあたり弁証法を修辞法として、論理としない。修辞法は、広くものの考え方と重なり、論理は狭くその形式の一つとする。たとえば矛盾の語も、修辞法においては、広く理解し(一般に対立する概念)、論理においては狭く解する(pΛ〜p)。私は、弁証法が、世界を叙述するためには、必要でない、と思う。(そう思う理由は、ここでは述べない。)しかし世界についての真実を発見するためには、有効な道具であったし、またあるだろうと思う。」(P.85)
「しかもマルクス以後の社会科学の世界におこったことは、学問の細分化である。」(P.90)
「そこで、「哲学は世界(の全体)を理解しようとしてきたが、世界を変えることが目的であろうに」という時代から、「科学は世(FF)界の部分を理解しようとしてきたが、その全体を理解することが問題であろうに」という時代へ移って来たともいえる。」(P.90-91)
「日本語で(FF)は、「免」と「自由」との間、日常語と社会科学(または思想)上の用語との間に、つながりがない。その理由は、「自由」のほうが訳語だからである。」(P.91-92)
「「自由民権運動」と「自由が丘」と「自由民主党」の「自由」は、それぞれ明治維新、第一次大戦、第二次大戦後に、英語または仏語からあらためて訳されたもので、「自由が丘」の「自由」が「自由民権運動」の「自由」をふまえたのではなく、「自由民主党」の「自由」が「自由が丘」の「自由」につながるものではない。この場合の「自由」のように社会科学の用語でなくてさえも、なおかつ然り。いわんや社会科学にのみ用いられる用語に到っては、なおさらであろう。問題は、単に用語の大部分が訳語だということではなく、また殊にその訳語に歴史がないというということである。手に慣れぬ道具を用いて、独創的な工作をすることはできない。(LF)こういう問題は、もちろん、自然科学にはない。自然科学の用語は、原則として、数学的言語である。数学的言語は、常にいかなる日常語ともつながっていない。」(P.92)__自然科学の用語も、西洋においてはほとんどが日常語であると思う。
宗達の世界
祇柳随筆
「(例外はあったが、例外は規則を証するものにすぎない。)」(P.118)
「このような文書の叙述法は、おそらく権威主義的な上下の秩序のなかで、処罰される側には、処罰の内容と理由とのつけ合いを検討する習慣がなかったことを、反映しているのであろう。処罰は上から来る。下では、どんな処罰かだけが問題であって、なぜ処罰されるかは問題にならない。」(P.118)__「因果関係」ではなかったのではないか。「合理的」なるものがなかった。
「相手は商売だから、嘘をいい、手くだを用いて、客をだますのを原則とする。だまされまいとするほどならば、はじめからその楽しみは成りたたないだろう。」(P.123)
「徳川時代の文化のもっとも独創的な産物の一つは、まさに売春組織の複雑な儀式的体系である。劇場とならんで、京都・大阪・江戸の遊び場は、ほとんど中世末期の欧洲における教会に似た役割さえ演ずるよう(FF)になった。欧洲の芝居・文芸・音楽・絵画彫刻は、教会に起源を持つものが多い。徳川時代の日本では、劇場と遊里との関係が密接であったばかりではない。文芸(『好色一代男』から『春色梅暦』まで)、音楽(三味線)、絵画(浮世絵およびその木版)の大きな部分が、遊里に題材をとり、半ば倫理的で半ば美的な独特の価値、「粋」もおそらくそこで創り出されたのである。(LF)淇園が少年の時には、その遊里の文化史の青年期に相当していた。そのことは、おそらく次の二つのことを意味したのではなかろうか。一つには、遊里に固有の価値(「粋」)も行動の規則(「通」)もすでに社会的に容認されていて、その価値により、その規則に従うかぎり、遊里内で何が起ころうと、その事は当事者の遊里外での生活には影響することが少なかった、ーー少なくとも上流武士の知行を召し上げるほどの懲罰には及ばなかったであろうということ。しかしもう一つには、遊里内外の価値の二重化は、いまだ徹底して分離されるには至らず、少なくとも化政の吉原とくらべれば、遊里外の価値観の遊里内での行動様式に与える影響が相対的に大きかったであろう、ということである。「粋」はまだ「野暮」と混ざっていた。あそびは恋に転化することができた。」(P.124)
古今集再説
「松林と海にかぎらず、彼らが愛していたのは、決して「自然」ではなく、特定の言葉であった、という結論は、どうしても避けがたいだろう。そこから「歌枕」までは遠くない。」(P.133)
「今でも日本人の多くは、平安朝の歌人のように、自然の風景を愛しているのではなく(そうでなければ、これほどの自然破壊は考えられないだろう)、実は土地の名まえ、すなわち言葉を愛しているのだ(そうでなければ、これほどの観光バスが、自然などろくに残っていない名所に集中するはずがないだろう)。「日本人の自然愛」が、昔も、今も、たとえば中国人や英国人のそれ以上に強かったわけではない。」(P.133)
「『古今集』がはじめて作りだしたか、少なくとも決定的な形で要約した日本文化の型は、非自然愛と言葉への関心にとどまらない。最初の勅撰集は、また最初の都会人(京都の貴族社会)の文芸の要約でもあった。京都・大阪・江戸を中心として発展したその後の日本文芸は、「東歌」や「防人の歌」を含む『万葉集』を継承したのではなく、『古今集』の伝統に従ったのである。(LF)また神秘化され、神聖視されて、特定の集団(殊に家元)の権威の根拠とされた最初の古典が、『古今集』であったということもある。そういうことが十二世紀の末に一度おこると(いわゆる「古今伝授」)、忽ち諸芸能に伝播して、父子相伝、別紙口伝、秘伝という類のことが、早くも十八世紀に富永仲基の指摘したとおり、日本文化の一つの特徴となった。『古事記』の神秘化が、神道家によって行われたのは、「古今伝授」に後れ、その後につづいたのが、国学者であり、その後が明治以来の天皇制政府の官僚である。」(P.134)
「先にもいったように、「四季」の重視は必ずしも自然愛を意味しないが、この先例は、後に制度化され、儀式化されて「季題」となる。「恋」の方は、『万葉集』および以前の肉感性・行動性を失って、心理的状態となり、夢となり、想出となった。九世紀の貴族歌人たちは、もはや女の腿や胸乳をうたわない。彼らの「もの思い」において重要なのは、自分自身の「思い」であって、もはやその「思い」の外在的対象(「もの」)ではなかった。」(P.135)
「優美、日常性、歌枕と季題、都会的な性質・・・その意味で、日本の美学は『古今集』にはじまったといえる。なぜだろうか。おそらく日本の文化が、『古今集』の歌人たちの生きた時代、美術史家のいわゆる平安前期、すなわち九世紀に、はじまったからではなかろうか。」(P.135)
絵巻物と文芸
超リアリズムまたは現実の多義性
「すでに環境が芸術家の立場からみて望ましくないのであるから、それを描写することに意味はないとする傾向(抽象的・非具象的傾向)。どういう手段を用いても自己を表現することが、芸術家の目的であるとする考え方(表現主義的傾向)。公衆はーー殊に商業的に組織された公衆は、芸術家がそのなかで「疎外」されているところの現代社会そのものであるから、芸術家は作品を通じて彼らと「コミュニケート」することではなく、彼らを驚かすことを主な目的とすること(何か新しいことを思いつく必要)。」(P.142)
「抽象的(または非具象的)傾向を徹底させれば、作品と現実の世界(芸術家の環境)との対応関係が失われる。そういう作品を通じて、世界を拒否することはできるかもしれないが、批判することはできない。」(P.143)
「他方、自己表現を芸術の目的と考えるとすれば、夫婦げんかをして夫婦のどちらかが皿を叩き割るのもーーそれはあきらかに強烈で劇的で一瞬に凝集された自己表現であるから、芸術だということになるだろう。」(P.143)
「対象に意味を発見しようとすれば、考えられる無数の関係の中の一つを択ばなければならない。ところが「超リアリズム」の芸術家は、特定の関係を示唆していないから、観点の選択は見る人の自由である。すなわちわれわれは、対象の無意味さと意味づけの恣意性(偶然)との間で動揺せざるをえないだろう。別な言葉でいえば、「超リアリズム」は、対象と観察者との具体的な関係から切りはなされた現実の対象そのものの多義性を、あらわにするものである。これほど現実生活におけるわれわれの視覚的経験から遠いものはない。」(P.145)
「世界を語って、自己を語らないのは、科学である。世界を語らず、自己を表現するのは、ヒステリーの発作である。芸術上の「リアリズム」という語のもっとも豊かな意味は、世界を語ることで自己を表現し、自己表現を通じて現実の核心に迫る、ということであろう。」(P.148)
「シーガルは、具体的現実の特殊性そのものではなく、具体的現実の特殊性から出発して人間の条件一般の普遍性へ向かう運動の軌跡である。」(P.149)
真夏の夜の夢がさめる時
「われわれは過去によって定義された現在のなかで生きながら、絶えず現在によって過去を定義し続けるのである。」(P.153)__Note Bene!!!!!
欲望という名でない電車
「おそらく鎌倉仏教と夢幻能の場合を例外として、外国文化の影響の少ない条件のもとで、日本の文芸が語ってきたのは、奇想天外の話ではなく、日常生活の心理であり(紫式部か西鶴を通って藤村まで)、絵画が描いてきたのは、深山幽谷ではなく、身辺の風物であり(絵巻物から琳派まで)、大衆の教師が説いてきたのは、死後の魂の救いではなく、現世の生活の実際的な心得であった(徳川時代の心学から教育勅語まで)。(LF)その文化のなかに、天狗や河童は住んでいたが、ヒェロニムスの化物は決してあらわれなかった。狐や狸は、人間に化けたが、カフカの場合のように、人間がかぶと虫に変形することはなかった。復讐を組織するのに実際的な手腕を発揮した忠臣蔵の大石は、ファウストのように社会的条件を超越する問題にたち向かったのではない。女はたしかに化けて出ることがあったが、その動機は、まことに日常的な嫉妬の怨みであり、決してメフィストフェレスの場合のように世界秩序への関心ではなかった。(LF)たしかに日本ではカミさえも人であり、日常的人間の此岸に属していて、狂人の、キリストの、またはアンティ・キリストの、彼岸には属していなかったのである。」(P.157)
あめりか礼賛
「米国人は彼らの母国語だけで暮らしているばかりでなく、社会がその母国語の使い方にかなりの注意を払っている、ーーということは、それだけでも私にはすばらしいこtのように思われるのである。」(P.161)
「たてまえと実質とが相伴って、公然と「学校差」を認めているところが、さわやかである。」(P.162)
「その標準以下で暮らすことはむずかしい。しかしその標準以上で暮らしている連中は、あまりに少数で日常めだたない。」(P.163)
第一、「有名な人が何かはじめるのではなく、無名の人が何かはじめると有名になることがある、というにすぎない。」(P.163)
「第二、こうして庶民のなかの一人がたてば、周囲がその足を引っ張るのではなく、類は類を呼んで集まり、そこにしばしば雪だるま式に発展する大衆運動が生じる。すなわち時と場合によっては権力に対抗する大衆運動として発現し得るところの、人民相互の横の連帯感が、今日なお米国社会に潜在していることになろう。主君のために腹を切るやつはいない。しかし見ず知らずの黒人のために平等を要求して身を挺するやつは、人種差別の傲慢な社会そのものの中に、今なお生きている。」(P.164)
第三、第四
「自分自身を笑わなくなった時、人も国も、自他を破滅に導くのである。」(P.166)
いざ往かん、君にさも似しかの国へ
「要するに北部と南部とのちがいは、一見したところ、「ペプシ・コーラ」と「コカ・コーラ」の味のちがいに似ている。すなわちほとんど全くちがわないのである。」(P.168)
日米優劣七点
「彼らは英語を話し、そのなかにカタコトの外国語を混えることが甚だ少ない。それは傍からみても、というのはその言葉をよく知らない私のような外国人が聞いても、快いことである。日本の国語は日本語だが、日本人は日本語のなかにカタコトの外国語を混える。それは聞いても、読んでも、私には美しくない。」(P.173)
「しかし日本社会にくらべれば、今なお米国には勇気ある個人が多い、と思う。けだし米国社会には、一種の理想主義が生きのびているからであろう。」(P.173)
「五、核兵器のないこと。」(P.175)
「一九四五年以来今日まで、日本人は戦場で死なず、他国民を殺傷もしていないが、米国人は数万人が戦場で死に、他国民の百万人以上を殺傷している。自国民にとっても、他国民にとっても、はるかに安全なのは日本国であって、米国ではない。」(P.175)
「六、古い学問芸術のあること。(LF)奈良の仏像から江戸時代の儒者の学問まで。その内容を一言で要約することはむずかしいが、強いてその素晴らしさをいえば、此岸的・人間的な文化(象徴体系)に高度の内的斉合性と持続性があって、その体系が知的感覚的に洗練されていることだ。」(P.175)
「七、不景気でもクビを切れれぬこと。」(P.175)
「一般に日本流集団に組みこまれれば、お互いに嫉妬反目しながらも、総じて静かに老いるまで、無事な渡世が保証されるのは、この社会の仕組の有難いところである。」(P.175)
さらば藤純子
「もとより(FF)嘗ての西部活劇が合衆国の社会の現実を描いてはいなかったように、ヤクザ活劇もまた日本社会の現実を、むろん明治大正のヤクザ社会の現実さえも、直接に描いているわけではない。(LF)しかし明治大正ではなく、今日の日本社会に生きている価値を、理想を、大衆の切ない願望を、実に見事に反映しているのである。あの永遠の歌謡曲と共に、「声なき大衆」の価値観のおそらく唯一の積極的な明白な表現。その価値観は、活劇の主人公において、人格化される。」(P.176-177)
「悪玉は原則として別のヤクザ組織だが、その背景にはたとえば明治藩閥政府や大企業のこともある。しかし政府や大企業に対する闘い(FF)が本題ではない。」(P.177-178)
「特定の人間、または特定の小集団に超越するいかなる普遍的価値も、斬りこみの理由にはならない。」(P.178)
「ヤクザ社会は、カタギ社会とは無関係に、自己充足的な小世界をつくっていて、その小世界に、主人公は最も頼りになる男または女としてあらわれるのである。」(P.178)
「しかも主人公は強いだけではない。人情厚く、心優しく、行きずりの娘の親切には泣いて、その恩を一生忘れず、娘の危機を救うためには命を賭ける。(LF)英雄的主人公のこのような性質は、ほとんどそのまま、映画館の外の現実が絶えず再生産している挫折・疎外感を、裏返したものに他ならない。」(P.179)
「映画が理想化する閉鎖的なヤクザ集団の強い結束(共同体的なものの原型)が彼らに訴えるのは、それが現実の縮図だからではなく(大企業の選良社員は「ヤクザ映画」の主な支持層ではない)、現実には崩れつつあるものの、すなわち失われた「心の故郷」の、集中的な表現だからである。」(P.180)
「西部活劇の善玉は、開拓者であり、新しい社会の建設者であって、善玉の勝利は、単に正義が勝つということを意味するばかりでなく、また同時に、歴史の進歩と米国社会の価値体系の確認を意味したはずである。」(P.183)
「何人の高倉健が何人の悪玉を斬り殺しても、悪玉を生みだした社会的条件が少しでも変わるわけではないだろう。そこには西部活劇の場合とちがって、未来への展望が全くないのである。故に曰く、「古イ奴デゴザンス」。(LF)行動の動機も、西部活劇では一種の「ヒューマニズム」ーー普遍的であろうとする価値であり、ヤクザ活劇では共同体的小集団の特殊で具体的な人間関係であって、その特殊性を普遍性へ向かって超えようとする面がほとんど全く欠けている。」(P.183)
さらば川端康成
「感性的美の悲しさは、感性的世界の中で成りたち得ない主体の持続性、すなわち失われた自我の一貫性に対する郷愁であるといってもよいだろう。」(P.189)
さらば DISNEYLAND
「子供とは過去を知らない人口である。」(P.194)
「このプラスティックの鰐への確信、その童心と高度の技術の結合、にせ物への巨大な投資、ーーそういう事は、全く古今未曽有であり、比較文化論的に独特であり、ただ未来があって過去のないこの社会だけがつくり得る記念碑であろう。」(P.195)
私の広告文
書巻を開き、古賢に逢ふーー『岩波文庫』
「ーーけだし人の知識は時と共に増大するが、人の智慧は時と共に淘汰される。私は古人に賛成する者である。」(P.199)
『論語』(岩波文庫)
『奈良の寺』(岩波書店版)
『日本庶民文化史料集成』(三一書房版)
『亡命の現代史』(みすず書房版)
『荻生徂徠全集』(みすず書房版)
『西田幾多郎全集』(岩波書店版)
「それは個人が択んでそうしたのではなく、その時代においてそうするほかはなかったのである。」(P.204)
「この人の全集を読むことは、またおそらく一般に現代の日本語でものを考えるときの正確さについて、その可能性と限界を検討するための、もっとも重要な手がかりを知ることにもなるだろうと思われる。」(P.205)
『鴎外全集』(岩波書店版)
『齋藤茂吉全集』(岩波書店版)
『片山敏彦著作集』(みすず書店版)
中村真一郎・その三悪と三善ーー『この百年の小説』(新潮社版)
福永武彦を論ずーー『福永武彦全小説』(新潮社版)
情報の伝達に係る今日のいくつかの問題
一
二
三 「直接の伝達」について。
三・一 二人の個人間の情報伝達。
三・一・一
「感情の伝達手段としての言語に限界のあることは言うまでもないし、将棋をさす男の場合とはちがって、「意味づけの枠組み」も二人の間では多かれ少なかれちがう。」(P.214)__相手の「感情」を知るということ
三・一・二
「日本人の集団と現地人の側に重層する集団との間には、極端な「意味(FF)づけの枠組」の相違があり、その「枠組」が双方の所属集団と密接不可分であるかぎり、商売上必要不可欠な最小限度の情報交換があって、それ以上のことは起こりがたい。」(P.214-215)
三・二 当事者組織間の情報伝達。
三・二・一
「(後者はミサイルの質的改良に係る。協定はミサイルを量的に制限し、質的改良競争を制限しない。故にあらかじめ部分的核実験停止協定があって、全面的核実験停止協定は成立しなかった。そもそも部分的核実験停止協定の意味は二つあり、第一には、米・ソ両国以外の国の核兵器開発を妨げることであり、第二には、米・ソ両国による核兵器の改良を妨げないということである。)」(P.216)
三・二・二
「しかし円が切上げられても、一般に日本人の生活がそのために必然的に貧しくなるわけではない。」(P.217)
「しかし批判者はそれほど多くの情報をもっていなかったから、当事国政府が批判者の声に耳をかす可能性はほとんどなかった。ここでは情報の豊富さが、まさに、非現実的な政策を恒久化するための条件にほかならなかった。」(P.219)
「要点は情報の、殊に「極秘」の情報の量ではなく、公表された情報(その量は限られている)を意味づけるのに、どういう枠組を用いるかということにあったのである。」(P.219)
四 「間接の伝達」について。
四・一 現代における情報量の増大について。
四・一・一
「第一ーー学問・技術それ自身にとっても、特定の複雑な対象(たとえば平和問題や公害)を扱うのに、多数の領域を異にする専門家の協力を必要とし、しかもその綜合は容易ではない。」(P.220)
「第二ーー学者または技術者にとっては、極度の専門化が、時間と精力という面でも、思考上の習慣という面でも、社会全体のなかに彼自身とその仕事を位置づけることを困難にする。」(P.220)
「第三ーー社会にとっては、専門家による知識の独占ということがある。大量の情報の大部分は大衆の手のとどかぬものである。たとえば代議士は非専門家であるから、今日の工業社会では、古典時代のギリシアとはちがって、また十九世紀の西欧社会からも遠くはなれて、議題の大部分が代議士の理解できないものとなり、したがって議会民主主義が形骸化するだろう。」(P.221)
「市民の日常生活においても、たとえば不動産業者対一市民、医者対一患者の関係は、法的手続や医療に関する知識の一方向の独占と他方の無知によって特徴づけられるだろう。一方がごまかそうと思えば、容易にごまかせるのである。」(P.221)
「第四ーー国際的には先進国による知識の独占。」(P.222)
「情報の独占は、政治的・経済的・軍事的な力の優位を意味するから、先進諸国による後進地域支配のさまざまな形態が恒久化される。」(P.222)
四・一・二
「したがって選択の基準の選択の必要が起こる。したがって選択の基準を選択するための基準の必要も生じるだろう・・・その無限の過程をどこまでも意識的かつ合理的に行うことはできないから、どこかで、あたえられた基準をそのまま受け入れるか、客観的な理由づけなしに、いわば直感的に特定の基準を選ぶか、どちらかにならざるを得ない。」(P.223)
「彫刻をはじめるまえに、ミケランジェロが選んだのは、大理石か青銅かということであったろう。今日の彫刻家はプラスティックから自動車のタイヤまで、ネオン・ランプから歯みがきまで、何を使って何を使わぬかを決めなければならない。対象が多ければ多いほど、選択の偶然性は増す。すなわち芸術家の精神の自由は減ずるだろう。」(P.224)
四・一・三
「第一ーー放送局は大きな組織であるから、政府または大企業(広告、銀行融資、その他)を背景とする。」「そこから「マス・コミ」を通じての「大衆操作」という問題が生じる。」(P.225)
第二「多くの放送局は、「視聴率」に敏感であり、その結果、大衆に迎合する同じような番組のくりかえしーーまさに日本の民間放送において典型的なところのーーが行われる(「一億総白痴化」)。第三ーーしかし放送局は無制限に大衆に迎合するのではなく、当該社会に広く行われている価値体系と著しく矛盾しない範囲内で迎合するのである。」(P.225)
「第四ーー放送局の情報選択には、技術的な制約も伴う。」(P.226)
「一般に高度に組織され(組織は写真に撮れない)、複雑な象徴の体系(たとえば通貨、小切手その他)を利用して成り立つ社会では、その社会の全体に大きな影響をあたえる事件や決定の大部分は、組織を主体とし、象徴の体系を媒介として表現される。すなわち原則として、写真に撮りにくいものである。
」(P.226)
四・二 現代における「意味づけの枠組」の多様化について。
四・二・一
「南北問題。「北」側からみて、「南」側を理解することが困難なのは、支配者が被支配者を理解することが困難だからである。殊に支配者側が、相手方についての豊富な情報をもち、公正で、合理的で、平等の立場での競争を主張するときに、相手方の心情を含めてその全体を理解することはほとんど不可能にちかい。豊富な知識は判断への妥当性を強め、公正な(FF)行動は道義的な正しさへの自信を固くする。しかも合理的な普遍主義は、それが徹底すればするほど、特殊な立場における人間の心情の内側からの理解(それは想像力によるほかない)を閉め出す。」(P.228-229)__理解してしまったら、支配できない。
「被支配者の側から支配者を理解することは、同様に困難である。その立場の特殊性から出発し、議論の普遍的な合理性に達することは不可能にちかいからである。」(P.230)__私の個人主義、高校時代、egoismとの矛盾、個人が尊重される<=>エゴイスト、自由<=>勝手気まま
「その結論は相互理解の不可能ということにほかならない。少なくとも相互理解の不可能を理解する必要がある。支配者側の普遍主義的な「意味づけの枠組」と、被支配者の側の状況の特殊性と結びついた「意味づけの枠組」とを、橋わたしすることは困難であり、したがって相互理解を支配・非支配関係の当事者に期待することは現実的ではない。現実的なのは、理解を前提として関係を改善することではなく、理解を不可能にする関係の構造そのものを変えることである。」(P.230)__「普遍的」「合理的」なものをどう想定するか。すべては「個別」「特殊」である。その「個別」「特殊」は「全体」「普遍」からみたもので、存在には部分も全体もない。
__「究極の真理」を見つけるまで、〈自我〉は満足しない。つまり〈自我〉は満足しない。
四・二・二
「(「外人にも芭蕉がわかるでしょうか」。これは修辞的な質問であって、答えははじめから「否」である。彼らにはわれわれのすべてを解るはずがないし、原則として解ってはならない。)欧米人の側からみえれば、日本人は群を成して行動し(商社の支店から団体旅行まで)、個人としては、最良の場合に、退屈な話し相手であり、最悪の場合には、本心を明かさず何を考えているのかわからぬ策士である。集団主義的な社会では、集団即個人、個人即集団、その絶対矛盾の自己同一を離れて、欧米流の個人は存在しない。個人の本心は、明かさないのではなく、少なくとも明瞭に意識された形では無いのが普通であるーーという文化的特徴がこちら側にある。」(P.231)
四・二・三
「古典的な父子の対立は、共通の「意味づけの枠組」のなかでの対立であった。息子は親父の青年時代を反復していたにすぎない。「ヒッピーズ」に典型的にあらわれた米国の青年層における価値の転換は、新しい「意味づけの枠組」の出現を示す。かつての父子は、十分に話し合えばわかり合えるはずであったし、少なこともそういう期待が双方にあった。今日の父子の間には、しばしばわかり合えないことを当然とする関係がみられる。新旧の世代は別のことばを話す。別の枠組のなかで感じかつ考える。個別的な問題についてどれほど議論をしても、枠組の相違は克服されず、確認されるだけである。将来新世代が成長したときに、今日の「サブカルチュア」が米国社会全体の「カルチュア」となるかならぬか、価値体系の転換が行われ、米国社会が変わるのか変わらぬのか、今のところわからない。今明らかなことは、「意味づけの枠組」の根本的な相違のために、先進国内、殊に米国で、世代間のいわゆる「断絶」が深まっているということである。」(P.233)__変わらなかった(と思う)。父を思い出した。
四・二・三・一
「学生時代の四年間(あるいはそれに続く二、三年を含めて十年にみたぬ時期)は、入学試験準備時代と会社への組みこまれた時代との間にはさまれた人生の有給休暇である。」(P.234)