実はこの文庫を2冊もっています。1冊は読みたくて大昔に買ったものです。もう1冊は買ったことも忘れていて図書館のリサイクルでもらったものです(笑)。お風呂本です(何度か湯船の中に落としそうになりました)。
「ホイジンガ」は「ホイジンハあるいはヘイジンハと表記した方が原音により近いとも思われるが、いまは慣用に従う」(解説、P.459)ということで、「ホイジンハ」と表記している人もけっこういます。私はオランダ語は全然わかりません。
原書が刊行されたのは1938年。ホイジンガは1872年生まれですから、60代中頃の著作です。1940年には勤めていたライデン大学がナチス・ドイツによって閉鎖されます。そんな空気も本書に漂う気がします。
ホイジンガは「私は二十歳台の終わりまでは手のつけられない幻想家であり、いつも変わりなく白日に夢見る男だった。午後など、友人の医学生に実習のあるとき、夕方また彼らと会うまで私はよくひとりで外の街へ、いずこともなくさまよい出たものだ。そういう散歩のおりおり、私はきまって軽度の恍惚(トランス)の状態におちた」(自伝『わが歴史への道』、解説、P.461)。天才というか、変人によくある話です。西田幾多郎やハイデガー、フロイトやユングなども「恍惚」というか「臨死体験」のようなものを経験したようですが、ホイジンガはしょっちゅうだったようですね。
そういう「日常の意識を超えたもの」の体験は、遊びにおいて「夢中になる」ことと繋がっているように思います。「我を忘れる」と言われるもの、それが遊びの本質ではないでしょうか。「日常」に対する「非日常」。本書の主題は「遊び」ですが、それが「遊びー真面目」という対立軸の中で「回転」していくのが本書の叙述です。
「遊びと聖なるもの」
遊びに関する有名な本にロジェ・カイヨワの『遊びと人間』があります。そこでカイヨワは遊びを「定義」するために「分類」しています。分類することが西洋的理性にとって必要なことであり、分類によって定義されたものが「概念」ということです。『遊びと人間』について詳しくは書けませんが、本書以上に「科学的」だと思います。カイヨワは『遊びと人間』の補論「遊びと聖なるもの」で、
大人の遊びについて深く考察したホイジンガもまた、眩暈の遊びには少しの注意も払っていない。彼はおそらくそれを無視したのであろう。(多田道太郎・塚崎幹夫訳『遊びと人間』講談社文庫、P.271)
つまり、ホイジンガが考察しているのは、遊びのそれぞれの活動に正確な意味を与える心奥の態度ではなく、むしろ外的構造なのである。また、彼が注意をそそいでいる考察対象は形式や規則であって、遊びそのものによって満足させられる心の欲求ではない。
以上のような発想だからこそ、おそらくこの著作は世にも大胆なテーゼを出しえたのであろうが、しかしそれは私の考えでは、同時に非常な弱点の要因ともなっている。すなわち、遊戯的なものと聖なるものとの同一視である。(同書、P.285-286)
「聖なるものーー世俗ーー遊戯」というヒエラルキーを決めれば、ホイジンガ説の構造はバランスを保つはずだ。(同書、P.295)
と言っています。「世俗」は「堕落した聖なるもの」であり、「遊戯」は「堕落した日常」だというのです。そこには明確な「価値判断」があります。
ホイジンガが「眩暈」について書いていたかどうかは思えていません(400頁以上の本書をもう一度読む元気はありません。なんか、「陶酔」については書いていた気がします)。でも、「恍惚(トランス)の状態」の体験、「日常の意識を超えたもの」にホイジンガが本書を書くきっかけがあったことは間違いないでしょう。
価値判断
ホイジンガは「遊び」と「真面目」に「ヒエラルキー」を設けていたわけではありません。
「遊びー真面目、この概念の永遠の回転のなかで、その精神のめくるめくのを感ずる者も、論理的なもののなかには見つけ出すことのできなかった支えを、倫理的なもののなかにふたたび見いだすのである。遊びそのものは道徳的規範の領域の外にある、とわれわれは冒頭で述べた。それ自体は善でもなければ悪でもないのである。(P.430−431)
道徳的意識というものは、正義と慈悲を認識することの上に基づいているのだが、そういう道徳的意識のなかでは、それがいかなるものであるにもせよ、ついに最後まで解きえない、これが遊びなのかそれとも真面目なのかという問題も、永遠の沈黙に入ってゆくのである。(P.431)
遊びは「善悪」という「道徳的な価値判断」の外にあります。道徳的な価値判断は「個別文化的(文化一般ではない)」なものです。
むしろ文化はその黎明における根源的な相のなかでは、なにか遊び的なものを固有の特質として保っていた、いや、文化は遊びの形式と雰囲気のなかで営まれていた、ということなのだ。この文化と遊びが重なり合った複合統一体のなかでは、遊びのほうが根本的な原初にあったもの、客観的に認識できるものであり、具体的にはっきり規定される事実であるのに対して、文化とは、ただわれわれの歴史的判断が、この与えられたものに対して名付けた名称でしかないのである。(P.111)
文化はその根源的段階においては遊ばれるものであった、と。それは生命体が母体から生まれるように遊びから発するのではない。それは遊びのなかに、遊びとして発達するのである。(P.355)
遊びでも暇つぶしでも仕事でも、ある行為に善悪をつけるのはその文化です。日本では家のなかでどうして靴を脱ぐのか、イギリス人はどうして裸足を恥ずかしいと感じるのか、牛・豚・犬などを食べる文化と食べない文化がなぜあるのか、死刑制度がある国とない国があるのはなぜか・・・、それらを功利主義的に、因果論的に(あるいは論理的に)説明することは可能でしょう。しかし、それらはその文化が創った「ルール」に過ぎません(快・不快もそれに支配されます)。ある行為に「善悪の価値判断」をつけるのは、その文化固有のものです。
現代文化批判
ホイジンガにとって本書をかくこと(学問をすること)は文化的な作業であり、そこには遊び的要素があったにちがいありません。そして、カイヨワ同様に「現代文化(当時のヨーロッパ)」に対して批判的な意識をはっきりともっていました。でもそのことと、いや、そうであるからこそ、ホイジンガは「遊びー真面目」をヒエラルキー(善悪の価値判断)の観点から捉えなかったのです。戦争ですら「遊びが産んだ文化」の一つだと言います。
言い換えれば、戦争の文化機能は、戦争の遊びとしての性格にかかっている。ところが、心のなかでは敵を人間として認めなかったり、あるいは「野蛮人」「悪魔」「異端者」「背教徒」などと呼んで、当然認めなければならない最小限度の人間的権利すら敵に与えなかったりする場合がある。こういう場合には、戦争をひき起こした集団が、彼ら自身の名誉を保つためにある種の自己規制を課するということをしない限りは、その戦争を文化の範囲に加えることはできない。(P.191)
私はここに、近代戦争、そしてナチス・ドイツに対する強い怒りを感じます。
しかし、われわれがようやくにしてつかんだ確信は、文化は高貴な遊びというもののなかにその基礎があるということであり、文化が様式と尊厳を最高にふるいうるためには、そこに遊びの内容がなければならないということであった。(P.424)
遊び破り(スポイル・スポート)は文化そのものを犯しているのである。(P.426)
戦争自体は、遊びの一形式であって、それ自体に「善悪のヒエラルキー(価値)」があるわけではありません。しかし、近代戦争が批判されるべきなのは、それが「遊び破り」だからです。ナチス・ドイツは人間の隠れた闇の部分が現れたのでも、非理性的なものでもありません。近代西洋理性の先鋭化です(その証拠に第二次世界大戦後も戦争と殺戮はくり返し起こっています)。ホイジンガの言葉で言えば、「真面目」の台頭による「遊びの要素」の欠落なのです。
遊びを定義するということ
カイヨワは遊びを分類するなかで、ホイジンガは眩暈を無視していると批判しました。分類すると、遊び相互の違いが明らかになります。カイヨワは遊びを「闘争(アゴン)」「運(アレア)」「模擬(ミミクリ)」「眩暈(イリンクス)」に分類したのですが、ある遊びをどれかに分類しようとすると、どうしても他の要素があることに気づきます。そこで、各項目の組み合わせを考えます。しかし、そうやって分類や組み合わせを考えていっても、どうしても「例外」が現れます。なにかを分類するときには、その基準に合わないものは「無理やりどこかに入れる」か「無視する」しかなくなります。いつも記載しているあるアンケートに「性別」の欄があります。はじめは「男性」「女性」だけでした。それがいつからか「その他」という欄ができました。さらにある時から「回答しない」という欄ができました。まだ増えるのでしょうか。「どちらでもない」とか、「両方」とか。なにかを分類したり、数値化するというのは一つの「ものの見方」としてはあるにしても、それが「普遍的」であるとは思えません。
「同一律」や「排中律」など、西洋論理学が作り出した近代科学は絶大な力をもっています。それが唯一の「正しさ」「善」で、それ以外の「思考方法」は「間違い」であって、「悪」であり、撲滅するべきものだという「真面目さ」こそが、現代社会の「非人間性」を生み出していると思えてなりません。
遊び・善悪の彼岸
本書には日本文化についての記述が所々に出てきます。ホイジンガの博識ぶり(歴史的にも、文化的にも)には驚きます。彼は日本に憧れをもっていたのではないか、と嬉しい気持ちになります。
日本においては「真面目」であることが、「道徳的」に語られる気がします。そして、私は「道徳的」であることと「倫理的」であることの違いがわかりません。西洋においては、それらは明確に区別されているんでしょうね。というか、それらはキリスト教という文化の中で分けられることなく結びついていたのだけれど、近代以降キリスト教の衰退とともに分離されたというべきでしょうか。
ホイジンガが人間を「ホモ・サピエンス(知性的・理性的な人)」でも「ホモ・ファベル(作る人)」でもなく、「ホモ・ルーベンス(遊ぶ人)」と呼んだのは、遊びを定義するためでも、人間を定義するためでもないと思います。定義というのは、ある時代のある地方の考え方・特定の文化・ある人たちの「世界の見方(世界観)」にすぎないのです。それを超えたものがあるということ、それを語りたかったのではないでしょうか。遊びは「定義」することのできないものです。それを定義するということは、遊びを「文化の一部」に矮小化してしまうことだからです。ましてや、その定義を「普遍的」なものとして他の文化に押しるけることなど本末転倒であると思っていたのではないでしょうか。
近代西洋文化は、あらゆるものを「分類」「定義」し、文化の中に引き入れます。そのときに「論理」あるいは「意識」というフィルターを通します。そして、そのフィルターは「客観的なもの」「普遍的なもの」だと思いこんでいます。そして、そのフィルターは「特定の時代」の「特定の文化」が作り出したものでしかないことを忘れています。私は私の意識(自意識)を超えることができません。でも、私の意識を超えたもの(それは他者の意識でもいいし、人間の意識そのものでもいいのですが)、その存在があることだけは忘れてはいけないと「最近」思っているのですが。
Actually, I have two copies of this paperback. I bought one a long time ago because I wanted to read it. I forgot I bought the other one, so I got it from the library recycling (laughs). It's a bath book (I almost dropped it in the bathtub several times).
"Huijinga" may be written as "Huijinga" or "Heijinga" because it would be closer to the original sound, but for now it follows the convention" (commentary, p.459), so it is written as "Huijinga". There are quite a few people who are. I don't understand Dutch at all.
Originally published in 1938. Huizinga was born in 1872, so it was written in his mid-sixties. In 1940, the University of Leiden, where he worked, was closed by Nazi Germany. I feel like this book has that kind of atmosphere.
Huizinga said, ``Until the end of my twenties, I was an unstoppable illusionist, a man who always dreamed of the day. One day, I used to wander alone into the city outside until I met them again in the evening. ” (Autobiography “The Road to My History”, commentary, p.461). A genius, it's a common story for weirdos. It seems that Kitaro Nishida, Heidegger, Freud and Jung also experienced "ecstasy" or something like "near-death experience", but Huizinga seems to have experienced it frequently.
I think that the experience of "something beyond the ordinary consciousness" is connected to "being absorbed" in play. Isn't it the essence of play that is said to be "forgetting yourself"? "Extraordinary" as opposed to "ordinary". The theme of this book is "play", but the narrative of this book "rotates" in the confrontational axis of "play - seriousness".
Play and the Sacred
One of the most famous books on play is Roger Caillois' Play and Man. Therefore, Caillois "categorizes" play in order to "define" it. Classification is necessary for Western reason, and what is defined by classification is a "concept". I can't write about Play and Humans in detail, but I think it's more "scientific" than this book. Caillois wrote a supplement to Play and Man, titled "Play and the Sacred." do not have. He probably ignored it. (Translated by Michitaro Tada and Mikio Tsukazaki, Play and Humans, Kodansha Bunko, p.271)
In other words, what Huizinga considers is the innermost part of play that gives precise meaning to each activity of play. It is not the attitude of the individual, but rather the external structure. Also, his attention is focused on forms and rules, not on the desires of the mind that are satisfied by play itself.
It is precisely because of the above ideas that this book could have come up with such a bold thesis, but in my opinion, it is also a very weak point. That is, the identification of the playful and the sacred. (ibid., P.285-286)
The structure of Huizinga's theory should be balanced by adopting a hierarchy of ``sacred--profane--play''. (Ibid., P.295)
. "Secular" is "depraved sacred things," and "game" is "depraved daily life." There is a clear "value judgment" there.
I'm not sure if Huizinga wrote about "vertigo" (I don't have the energy to read the 400+ page book again, I think he did about "euphoria") . But there is no doubt that Huizinga's experience of "trance", "something beyond everyday consciousness" inspired him to write this book.
Value Judgments
Huizinga did not create a 'hierarchy' between 'play' and 'seriousness'.
"Play-serious, in the eternal rotation of this conception, even those who feel their minds twirl, find support that they have not found in logic, in ethics." We said at the outset that play itself is outside the realm of moral norms: it is neither good nor bad in itself (pp. 430-431). )
In the moral consciousness, which rests on the recognition of justice and mercy, whatever it may be, finally The question of whether this is play or seriousness, which cannot be solved until the end, also enters into eternal silence.(P.431)
Play is " It is outside the "moral value judgment" of good and evil. Moral value judgments are "cultural specific" (not culture-wide).
Rather, culture, in its primordial phase at its dawn, retained something of the playfulness as an inherent quality; It means that it was in business. In this complex unity in which culture and play overlap, play is the more fundamental, primal, objectively recognizable, and concretely defined fact, Culture is simply the name given to this given by our historical judgments. (P.111)
Culture, in its primordial stage, was something to be played. It does not emanate from play as a living organism is born from a mother. It develops in play as play. (P.355)
Whether it's play, pastime, or work, it's the culture that decides what is right or wrong. Why do Japanese people take their shoes off at home? Why do British people feel embarrassed about bare feet? Why are they there? It would be possible to explain them utilitarianly, causally (or logically). However, they are nothing more than "rules" created by the culture (pleasant and unpleasant are also governed by them). Attaching a “good and bad judgment” to an action is inherent in that culture.
Critique of Contemporary Culture
For Huizinga, writing this book (studying) was a cultural task, and there was an element of play in it. No doubt. And, like Caillois, he was clearly critical of "modern culture (Europe at the time)." But that and, no, that's why Huizinga didn't see "play-serious" in terms of hierarchy. Even war is said to be one of the “cultures born of play.”
In other words, the cultural function of war depends on its character as a game. However, in our hearts we do not recognize our enemies as human beings, or we call them 'barbarians', 'devils', 'heretics', 'apostates', and so on, giving them even the minimum human rights that we ought to recognize. It may or may not. In such cases, the war cannot be included in the cultural realm unless the groups that caused the war impose some sort of self-regulation to preserve their own honor. (P.191)
I feel a strong anger towards modern warfare and Nazi Germany.
But we have finally come to the conviction that culture has its foundation in noble play, and that culture is the supreme sieve of style and dignity. In order to get it, there had to be the content of the play. (P.424)
Spoiling sport violates culture itself. (P.426)
War itself is a form of play and has no "hierarchy of good and evil" per se. However, modern warfare should be criticized because it is "playful". Nazi Germany is not the manifestation of the hidden dark side of humanity, nor is it irrational. It is the sharpening of modern Western reason (as evidenced by the repeated wars and massacres after World War II). In Huizinga's words, it is the lack of the "play factor" due to the rise of "seriousness".
Defining play
In classifying play, Caillois criticized Huizinga for ignoring dizziness. Categorization reveals differences between plays. Caillois categorized play into “struggle (agon),” “luck (alea),” “simulation (mimicry),” and “dizziness (irix).” I notice that there is So he thinks of combinations for each item. However, even if you think about classification and combination in this way, "exceptions" will inevitably appear. When you classify something, you have no choice but to "forcibly put it somewhere" or "ignore" anything that does not meet the criteria. There is a column of "Gender" in a questionnaire that I always write. In the beginning, it was just “male” and “female”. At some point, a column called "Others" was created. In addition, from time to time, a column "Do not answer" was created. Will it still increase? "neither" or "both". Classifying and quantifying something is one way of looking at things, but I don't think it's universal.
Modern science created by Western logic, such as the "rule of identity" and "rule of excluded middle", has tremendous power. That is the only "rightness" and "goodness", and the other "way of thinking" is "wrong", "evil", and should be eradicated. I can't help but think that it creates "inhumanity".
Amusement: Beyond Good and Evil
In this book, there are several references to Japanese culture. Huizinga's erudition (both historical and cultural) amazes me. I feel happy that he must have longed for Japan.
I feel that being "serious" is said to be "moral" in Japan. And I don't see the difference between being "moral" and being "ethical". In the West, they are clearly distinguished. Or should I say, they were connected without being separated in the culture of Christianity, but since the modern era, they have been separated with the decline of Christianity.
Huizinga called humans "Homo Rubens" (players), not "Homo sapiens" (intelligent and rational people) or "Homo faver" (makers). I don't think it's to define play, nor to define humans. A definition is nothing more than a local way of thinking in a certain era, a particular culture, or a certain people's "view of the world (worldview)." I think he wanted to talk about the fact that there is something beyond that. Play is something that cannot be "defined". To define it would be to trivialize play as a "part of culture." Even more so, I think they thought it was putting the cart before the horse to push the definition as "universal" to other cultures.
Modern Western culture "classifies" and "defines" everything, and draws it into the culture. At that time, it passes through the filter of "logic" or "consciousness". And I believe that the filter is "objective" and "universal". And we forget that the filter is only created by a "specific culture" in a "specific era". I cannot transcend my consciousness (self-consciousness). However, I have recently come to think that we must not forget the existence of things that transcend my consciousness (whether it be the consciousness of others or human consciousness itself). but.
[著者等]
ホイジンガ
一八七二年、オランダに生まれる。一九〇五年、フローニンゲン大学教授。一九一五年、ライデン大学外国史・歴史地理学教授。古代インド学で学位を得たが、のちにヨーロッパ中世史に転じ、一九一九年に『中世の秋』を発表し、大きな反響を呼ぶ。ライデン大学学長をも務める。主な著書に『エラスムス』『朝の影のなかに』『ホモ・ルーデンス』など。一九四五年、死去。
高橋英夫
昭和五年(一九三〇)、東京に生まれる。東京大学独文科卒業。文芸評論家。『批評の精神』(中公叢書、一九七〇年)で亀井勝一郎賞、ケレーニイ『神話と古代宗教』(新潮社、一九七二年)日本翻訳文化賞を受賞。主な著訳書はほかに『役割としての神』『神話の森の中で』『小林秀雄 歩行と思索』、ケレーニイ『ギリシアの神話』上下、シュタイガー『詩学の根本概念』などがある。
まえがきーー序説
一九三八年六月十五日 ライデンにて J・ホイジンガ
Ⅰ 文化現象としての遊びの本質と意味
「それは、遊びというものは最も素朴な形式のそれ、動物の生活のなかのそれでさえ、すでに純生理学的な現象以上のものであり、また純生理学的に規定された心的反応以上のものである、ということである。遊びというものは、純生物学の行動の、もしくは少なくとも純粋に肉体的な活動とでもいうものの、限界を超えている。すなわち、遊びは何らかの意味を持った一つの機能なのである。」(P.16)
「その点はどう見るにしても、とにかく遊びのこうした意味とともに遊びそのものの本質のなかに一つの非物質的な要素が明白にあらわれてくる。」(P.16)
これまでの遊びの定義は不十分である
「なぜ遊びは行われるのか、何のために遊びをするのかという原因、目的をそれらは問題にしている。」(P.18)
「つまり、それらは問題の部分解釈でしかないことがわかるのだ。」(P.18)
「この遊びの迫力は、(FF)生物学的分析によっては説明されないものだが、じつはこの迫力、人を夢中にさせる力のなかにこそ遊びの本質があり、遊びに最初から固有なあるものが秘められているのである。」(P.18-19)
「自然は遊びを、それもほかならぬ緊張、歓び、面白さというものをもった遊びを与えてくれたのである。(LF)この最後の要素、遊びの「面白さ」は、どんな分析も、どんな論理的解釈も受けつけない。オランダ語の「 aardigheid (面白さ)」という言葉が、最もよくその特徴を示している。この言葉のもとになっている aard は、ドイツ語の Art に対応し、あり方とか、本質、天性という意味である。「面白さ」とは本質的なものだということである。つまり、面白さとは、それ以上根源的な観念に還元させることができないものであるということの、いわば証明になっているのが、この言葉なのだ。」(P.19)
「つまり、かりにそういう名で呼ぶのに値するものとして言ってみれば、この遊びは一つの全体性と呼ぶべきものである。」(P.20)
「理性に基礎づけられているというのでは、どうしてもそれを人間界だけに限定することになってしまう。遊びというものが現に存在するということは、特定の段階の文明とか、何らかの形の世界観とかに結びつかられることではない。」(P.20)
「けれども、遊びを認めることによって、われわれは欲すると否とにかかわらず、精神というも(FF)のを認めることになる。というのは、その本質がどういう点にあるにもせよ、遊びとは単にある本質を成り立たせている素材というだけのものではないからである。」(P.20-21)
「だが、そういう絶対的決定論をのりこえた精神がそこに流れ込むことによって、はじめて遊びの存在ということが可能になる。」(P.21)
「われわれは遊びもするし、それと同時に、自分が遊んでいることを知ってもいる。だからこそわれわれは、単なる理性的存在以上のものである。なぜなら、結局、遊びが非理性的なものだからである。」(P.21)
文化因子としての遊び
「要するにそれによって物に名を与え、その名で物を呼んでいる。物を精神の領域へ引き上げているのである。このように言語を創り出す精神は、素材的なものから形而上学的なものへと限りなく移行を繰り返しつづけているが、この行為はいつも遊びながら行われるのである。どんな抽象の表現でも、その後に立っているのは比喩であり、いかなる比喩のなかにも言葉の遊びが隠れているからだ。」(P.23)
「だが、この場合も同じことで、神話が世界に存在するものに被せるどんな気まぐれな空想のなかでも、想像力豊かな魂は、冗談と真面目の境界の上を戯れているのである。」(P.23)
「しかしそれに対して、いまわれわれが考えようとしているのは、真の、純粋な遊びそのものが文化の一つの基礎であり、因子であると証明しようということなのである。」(P.25)
自律的な範疇としての遊び
(P.25)__幸せ=不幸
「注目してよいことは、人間は遊びという重要な機能を動物と共有していながら、この笑うという純生理的働きの方はもっぱら人間だけの特有なものだ、ということである。アリストテレスのいう「笑う動物 animal ridens(アニマル・リデーンス)」は「理性人(ホモ・サピエンス)」という言葉よりもいっそう純粋に動物と対立する人間を示した言葉なのだ。」(P.26)__『動物部分論』三巻一〇章673a8。「理性人(ホモ・サピエンス)」は証明できないし、事実でもない。
「また、われわれが笑劇や喜劇を滑稽だと思うのも、そこで演じられている行為そのもののせいではなく、そこに盛られた思想内容のせいである。」(P.26)
「しかもそのうえ、こうして遊びを大きな範疇的対立の領域から切り離してしまうことによって、われわれは考えをまた前へ進めることができる、遊びは賢愚という対比の外にあるものだが、同時に真偽、善悪の対比についても、その外にあるものだからだ。(FF)遊ぶことはたしかに精神的活動の一つではあるが、それ自体のなかにはまだ道徳的機能はなく、美徳とか罪悪とかの評価は含まれていない。」(P.27-28)
「たとえば、比較的素朴な形式の遊びには、初めから楽しい気分と快適さが結びついている。運動する人体の美は、遊びのなかにその最高の表現を見いだしている。一方、比較的複雑な形式の遊びには、およそ人間に与えられた美的認識能力のうち最も高貴な天性であるリズムとハーモニーが織りこまれている。このように遊びは、幾本もの固いきずなによって美と結ばれているのである。」(P.28)__音楽の美しさ、視覚以外の美、絵画のリズム・ハーモニー
遊びの形式的特徴
「そういうわけでわれわれが遊びを、生物学的にも論理的にも完全に定義することはできない生命体の一つの機能として取り扱うことは、初めに述べたとおりで、変わりない。遊びという概念は、注目すべきことに、それ以外のあらゆる思考形式とは、つねに無関係である。」(P.28)
「なぜかと言えば、それらは形態から見れば発達の度は進み、はっきりと組織されてもいて、目で見てそれとわかる特徴を幾つも帯びているのに、原始的な遊びを定義する際には、とうていわれわれの分析を受けつけない「純粋な遊びそのもの」という一つの質に、ただちに突き当たることになるからである。」(P.29)__自由ではなく、存在的、自然的
「しかし、本能という概念を導入することは、一つの未知数Xを持ち込んでその蔭に隠れることだし、また最初から遊びの有用性を前提におくのは、論理学でいう「不当前提 petitio principi 」を犯すことになりそうだ。子供や動物が遊ぶのは、そこに楽しさがあるからで、まさにその点にこそ彼らの自由があるのだ。」(P.30)__子供も文化の中で遊ぶ。それを自由と呼ぶ。制限がないわけではない。制限の中で遊ぶのだ。
「肉体的な必要から課されるわけではないし、まして道徳的義務によって行われるものでもない。それは仕事ではない。暇な時、つまり「自由時間」に遊びをする、ということなのだ。ただ遊びが文化機能となることによって、はじめて必然、課題、義務などの諸概念が、結果として副次的に遊びと関係をもつようになってくる。(LF)こうしてここに遊びの主要特徴の第一を得たことになる。それは「自由」なものである。事実、(FF)それは「自由」である。直接にこのことと関連しているのが、第二の特徴である。(LF)遊びは「日常の」あるいは「本来の」生ではない。むしろ遊びはそれに固有の傾向によって、日常生活から、ある一時的な活動の領域へと踏み出してゆくものである。」(P.30-31)
「遊びに夢中で耽っているうち、どうかするとそれが恍惚状態に移ってゆくことがあって、「ただ本当のようなふりをしている」というような言い方が、まったく当てはまらなくなったりするすることもある。」(P.31)
「「日常生活」とは別のあるものとして、遊びは必要や欲望の直接的満足という過程の外にある。いや、それはこの欲望の過程を一時的に停止させる。それはそういう過程の合間に、一時的行為として割って入る。遊びはそれだけで完結している行為であり、その行為そのもののなかで満足を得ようとして行われる。」(P.32)
「ところが、遊びの固有性として、規則的にそういう気分転換を繰り返しているうちに、遊びが生活全体の伴奏、補足になったり、ときには生活の一部分にさえなったりすることがある。」(P.32)__遊びと都市との関係は?
「遊びが仕えている目的そのものが、直接の物質的利害の、あるいは生活の必要の、個人的充足の外におかれているからである。」(P.33)
「遊びは日常生活から、その場と持続時間とによって区別される。完結性と限定性が遊びの第三の特徴を形づくる。」(P.34)
「ところが、それが時間的に制約されていることと直接関係して注目に値する特徴が、もう一つある。遊びは文化形式として、ただちにはっきり定まった形態をとるようになる。一度でもその遊びが行われれば、それは精神的創造あるいは精神的蓄積として記憶のなかに定着し、伝えられて伝統となるのだ。それは子供の遊び、西洋すごろく、競争のように、いったん終わったあとですぐまた繰り返すこともできれば、長いあいだをおいたあとで反復することもできる。この反復の可能性は遊びの最も本質的な特徴の一つである。」(P.34)
「遊びの時間的制限よりもっと強く目につくのは、遊びの空間的制限である。」(P.35)
「不完全な世界、乱雑な生活のなかに、それは一時的にではあるが、判然と画された完璧性というものを持ち込んでいる。遊びが要求するのは絶対の秩序なのである。」(P.35)
「緊張、それは不確実ということ、やってみないことにはわからない、ということである。だから、遊びは緊張を解こうとする努力である。」(P.36)
「遊びそのものは善悪の彼岸にあるとは言ったが、この緊張の要素は、どうやら遊びとある種の倫理的内容を共にし、それを分かちあっているようである。つまり、この緊張のなかで、遊ぶ人の各種さまざまの能力が試練にかけられるのだ。」(P.37)
遊びの規則
「遊びの規則は絶対の拘束性をもち、これを疑ったりすることは許されない。」(P.57)
「ところで、まえにもすこし触れておいたように、高度に真面目な世界のなかでも、ぺてん師、偽善者、かつぎ屋の類は、遊び破り(スポイル・スポート)より、いつも気楽な立場におかれている。遊び破り(スポイル・スポート)、すなわち背教者、異端者、革新者、良心的参戦拒否者などの立場はもっと厳しい。」(P.59)__投票しない人
遊びという特殊世界
「遊びという例外的な立場と特殊な位置は、それが何か秘密の雰囲気に取り巻かれていることを好むという、特色あるあり方のなかに明らかに示されている。幼児でさえ、すでに、彼らの遊びを小さな秘密にして、遊びの魅力を高めている。それは自分たちだけのためにあるので、他人のためにあるのではない。他の連中が向こうのほうで何かをやっていても、それは、いまのところ、自分たちとは何の関係もない。遊びの領域のなかでは日常生活の掟や慣習はもはや何の効力ももっていない。われわれは「別の存在になっている」のだし、「別のやり方でやっている」のだ。」(P.40)
「変装した人や仮面をつけた人は、他人の役を、別の存在を「演ずる(プレイ)」のである。いや、そうではない。彼は別の存在そのものなので「ある」。」(P.41)
「その外部から観察したとき、われわれは遊びを総括して、それは「本気でそうしてる」のではないもの、日常生活の外にあると感じられているものだが、それにもかかわらず遊んでいる人の心の底まですっかり捉えてしまうことも可能な一つの自由な活動である、と呼ぶことができる。この行為はどんな物質的利害関係とも結びつかず、それからは何の利得も齎されることはない。それは規定された時間と空間のなかで決められた規則に従い、秩序正しく進行する。またそれは、秘密に取り囲まれていることを好み、ややもすると日常世界とは異なるものである点を、変装の手段でことさら強調したりする社会集団を生み出すのである。」(P.42)
闘争としての遊びと表現としての遊び
「すなわち、遊びは何ものかを求めての闘争であるか、あるいは何かを表す表現であるかのどちらかである。」(P.42)
「もちろん祭祀行為には、供犠式、競技や、また演じられた見せ物行事もあるが、要するにこれらの儀式は、待望されていたある宇宙的な出来事が演じられたり、再現されたり、また形象化されたりすることによって、神々の心を動かし、神々がその出来事を現実に受け給うようにするもので、これが祭祀である、という思想が底に流れているのである。」(P.46)
遊びと祭祀
「レーオ・フロべーニウスが言っているように、人類は自然の秩序を彼らの意識の上で捉えたそのままの形で演じ遊んでいるのである。」(P.47)
(フロべーニウス)「彼は言う、「本能などというものは、人間が現実のもつ意味に直面したとき、己の寄方なさ、儚さを悟って考えだした作り事である」と。そして、これと同じ強い調子で、しかもさらに確かな理由から、彼はあらゆる文化の進歩ということについて、それは「何の目的のためなのか」とか、「なぜそうなるのか」「どんな理由からそうなのか」といった説明をしようとする過去の古くさい傾向に反対する。「最も悪質な因果律の暴政」であると、彼はそういう立場、時代遅れの功利主義の概念を決めつけている。」(P.48)
遊びにおける神聖な真面目さというもの
「プラトーンの遊びと神聖なるものとの同一化は、神聖なものを遊びと呼ぶごとで冒涜しているのではない。その反対である。彼は、遊びという概念を精神の最高の境地に引き上げることによって、それを高めている。」(P.55)__『法律』第7巻、503
「人間は子供のうちは楽しみのために遊び、真面目な人生のなかに立てば、休養、レクリエーションのために遊ぶ。しかし、それよりももっと高いところで遊ぶこともできるのだ。それが、美と神聖の遊びである。」(P.55)
「その形式からすれば、奉献の目的のために場を画することと、純粋な遊びのためにそれをすることとは、まったく同じものだと言える。」(P.56)
「この説によると、いまわれわれが問題にしている文化過程そのものの発端に、早くも理性的な考え方と功利的な意図があったことになる。功利主義的説明、これこそまさにフロべーニウスが戒めたものだった。」(P.57)__動物だけでなく、昆虫や植物の生き残り、拡張、進化までが目的論的、功利主義的説明でなされる。
祝祭の本質
「聖事は祝われるものである。それはそれは祝祭という枠のなかに入るのである。」(P.59)
信仰と遊び
「こういう恐怖の表わし方も、その一部分はまったく本心からの自発的なものだが、またある一部分は伝統的義務としてのそれなのである、とイェンゼンは言う。「その時には、そういうふうにすることになっている」のである。女たちは、いわば演劇のなかの端役であって、(FF)自分たちが「遊び破り(スポイル・スポート)」になってはいけないということをよく知っているのだ。」(P.62-63)__「そういうふうにすることになっている」と「そういうふうに考えることになっている」は同じ。
(マリノフスキー)「「祭儀行為の起源は、ただすべての人々の心性にある信じやすさというもののなかに根ざしているにすぎない。ある一派の権力を高めるために、その行為を欺瞞的な仕方で維持してゆくなどということは、そういう歴史的発展の最終期の祖にすぎ(FF)ない」のである。」(P.64-65)
(イェンゼン)「彼らはその周囲をひしひしと取り巻いている大自然と関係を迫られ、それと対決したのである。彼らは自然の無気味な悪霊を捉えて、それを表現しようとしたのである。」(P.65)
「欲しようと否とに関わりなく、われわれは未開人の信仰の概念を、つねにわれわれ自身の思考概念の厳密な論理的規定の中に移し替えているのである。」(P.67)
「われわれの遊びという概念のなかでは、本当に信じていることと信じているらしく見せかけることのあいだの区別が、消えてしまうのだ。」(P.68)
「現代人は、疑いもなく遠く隔たっているもの、奇異なものを理解するのに、非常に優れた能力をそなえている。」(P.69)__現代人=近代的西洋人
「仮面をかぶった姿を眺めること、それははっきり規定された信仰観念とは結びつかない、純粋に美的な経験であるにしても、そのときわれわれはたちまち「日常生活」のなかから連れ出されて、白日の支配する現実界とはどこか違った別の境界へひきこまれる。それは、われわれを未開人の、子供の、詩人の世界へ、遊びの領域へと導いてゆく。」(P.69)
遊びと密儀
Ⅱ 遊び概念の発想とその言語表現
言語史および種々の言語のなかで「遊び」概念がうけている異なった評価
「といっても概念というものは、われわれ相互のあいだで使われている言葉によって規定されているのみならず、その言葉から限定さえも受けているということは、たえず十分に自覚していなければならない。言葉と概念、この二つを生んだものは、物事を研究する科学ではなく、ものを創造する言語である。」(P.72)__サピア=ウォーフの仮説 +α
「遊びとは、あるはっきり定められた時間、空間の範囲内で行われる自発的な行為もしくは活動である。それは自発的に受け入れた規則に従っている。その規則はいったん受け入れられた以上は絶対的拘束力をもっている。遊びの目的は行為そのもののなかにある。それは緊張と歓びの感情を伴い、またこれは「日常生活」とは、「別のもの」という意識に裏づけられている。」(P.73)
「いったい遊びをしない民族はない。しかも、その遊びはどれもみな著しく似かよっている。ところがそれでいて、すべての言語が、現代ヨーロッパの諸言語のように、それを揺るぎなく、同時にほぼ一つの言葉によって把握することにはなっていない。」(P.73)
「ところで、いわゆる原始言語のなかのあるものが、一般的な類のなかに含まれる種に対しては、それを表現する幾つかの単語をもっているのに、その類全体をさしていう言葉はまったくもっていないという周知の事実がある。」(P.74)
ギリシア語における「遊び」の表現
「文化機能としての競技を、遊び・祝祭・聖事という複合体から切り離すことはまったく不可能である。」(P.78)
「ギリシアでは、あらゆる機会にどんな出来事をも契機として催された競技が、非常に強力な文化機能になっていたために、ギリシア人はそれをすっかり「日常茶飯のこと」、それをするのが当たり前なことと感じていた。だから、それをあらためて遊びとして考えるということはしなかったのである。」(P.79)
サンスクリット語における「遊び」の表現
「まことに奇妙なこととは思うが、古代インドでは非常に多くの種類の競技がひろく行われていたのに、とくにそれを言い表す特定の言葉から初めから欠如しているのである。」(P.81)
シナ語における「遊び」の表現
アメリカ・インディアン語における「遊び」の表現
日本語における「遊び」の表現
「注目すべきは、ある「師のもとに」遊ぶ、ある「土地に」遊ぶというような言い方があることで、これは、遊びという意味のラテン語「ルードゥス ludus 」が学校という意味をももっていることを思い出させる。」(P.85)
「すなわち、日本人の生活理想のなかでは、異常なまでの厳粛さ、真面目さというものが、森羅万象はただ遊びにすぎざるなり、という虚構の思想の奥に隠されている、ということである。キリスト教中世の「騎士道」のように、日本の「武士道」も、あくまでも遊びの領域のなかで展開されたのだった。日本語はいまででもまだ、遊びの発想を「遊ばせ言葉」、つまり上品な話し言葉として保ちつづけている。」(P.86)
「畏れおののく仰ぎ見られる高貴の存在は、ただみずから進んであることを遊び給うというそのことが、ある行為をなし給うことになるのだ、というわけである。」(P.86)
セム語族における「遊び」の表現
ロマン語言語における「遊び」の表現
ゲルマン諸言語における「遊び」の表現
「われわれは遊びを遊ぶのである。換言すると、この活動のあり方を表現しようとすれば、名詞のなかに含まれている観念をもう一度繰り返して動詞のなかで言い直さなければならない。このことは、どう見ても、この遊びという行為が非常に特殊な、独立的なあり方をしたものであること、それは日常的な生き方の外に出た活動であることを意味している。遊ぶということは、日常的な意味での行為をすることではないのだ。」(P.93)
(P.94)__価値観の想定。この場合の「価値」はだれにとっての、だれのためのものか。
「遊びと危険、不安定なチャンス、冒険ーーこれらは、みな密接に繋がりあっているのだ。」(P.98)
遊びと闘争
「そして、競技や闘技(アゴーン)ーーじつにその範囲は、ごく(FF)つまらない遊び事から、血腥い、死さえも招く闘いまで拡がっているのだがーーと同じように、武器による真剣勝負というものも、やはりまさしく真の遊びなのであって、特定の規則に従いつつ運命の相互的試練を行うことという根源的なイメージのなかで、その問題をとらえてみればよい。」(P.99-100)__現代戦争において「終わり」とはなにか。
「古代文化にあっては、闘争と遊びの範疇がたがいに分かつことができないものであったとすれば、次に来るのは、狩猟即遊びという両者の一致でなければならないという結論が生まれてくる。しかしそれは、どんな言語のなかにも、どこの国の文学のなかにも、いたるところに見いだされるものだから、それについてはこれ以上長々と説明する必要もあるまい。」(P.101)__女の遊びと男の遊び
音楽的意味における遊び
エロス的な意味における遊び
真面目という言葉、真面目という概念
「真面目をあらわすさまざまの言い方は、ギリシア語でもゲルマン諸言語でも、またその他のどの言葉の場合でも、ただ遊びという一般的概念に対して、「遊びではないもの」という消極的な概念を打ち出そうとして、言語が副次的にやってみた試みに過ぎない、と。」(P.108)
「遊びは正(ポジティヴ)であるが、真面目は負(ネガティヴ)である。真面目の意味内容は遊びの否定であると規定できるし、実際それに尽きている。「真面目(エルンスト)」とは単に「遊びではないもの」であって、それ以外のものではない。これに反して遊びの意味内容は、けっして「真面目ではないもの」とは定義できないし、それに尽きるものでもない。つまり、遊びというのはなにか独自の、固有のものなのだ。遊びという概念そのものが、真面目よりも上の序列に位置している。」(P.109)
Ⅲ 文化創造の機能としての遊びと競技
遊びとしての文化ーー「遊びから文化になる」ではないこと
「そこで、これからの考察を通じて、文化は遊びの形式のなかに成立したこと、文化は原初から遊ばれるものであったことを明らかにしてみたい。」(P.110)
「むしろ文化はその黎明における根源的な相のなかでは、なにか遊び的なものを固有の特質として保っていた、いや、文化は遊びの形式と雰囲気のなかで営まれていた、ということなのだ。この文化と遊びが重なり合った複合統一体のなかでは、遊びのほうが根本的な原初にあったもの、客観的に認識できるものであり、具体的にはっきり規定される事実であるのに対して、文化とは、ただわれわれの歴史的判断が、この与えられたものに対して名付けた名称でしかないのである。」(P.111)__「われわれ」は近代西洋人でしかないこと。それも男性、と言いたいところだけど、ヴァナキュラーなジェンダー(相補的)で言うと、そこに現代的な「男女の関係(対立的)」を読み取ってはいけない。
「こういうふうに、競争とか誇示ということは、慰み事、楽しみとして文化のなかから発達してくるのではない。むしろ、文化に先んじているのである。」(P.112)
遊びの対立的性格
競技の遊びである
「ほかのどんな遊びもそうなのだが、競技もやはりある程度までは、目的を欠いたもの、と言わざるをえない。つまり、それはそれ自体のなかで始まり、かつ終わる一つの完結体であり、その結果いかんは、そのグループにとって必要やむをえないものである生活過程とは何らかかわりがない。」(P.117)
「この「成功」が、遊ぶものに対して長短の差はあっても、暫くのあいだは持続する満足をもたらすのである。」(P.118)
「もちろん見物人などなくてもかまわないのだが、どんな遊びでも、遊ぶものが自分の成功ぶりを人びとに向かって自慢することができるという点が、非常に重要なのだ。」(P.118)
勝つということ
「ところが実際問題としては、こうしたはっきり示された優越性の効力が押し広げられて、遊びで勝った人が世上全般にわたって秀れているというふうに誇張される傾向がままあるものだ。そうなると、これは何か、遊びそのもので勝った以上に勝ったということになる。すなわち、勝者は尊敬を得、名誉を帯びるのである。そしていつもこの名誉と尊敬は、すぐさま勝者の所属しているグループ、関係者の全体に及ぼされてゆく。」(P.119)
「それは、競技本能とは、まず第一に、力に対する渇望とか、支配しようとする意志とかを言うのではない、ということだ。根源的なのは、他人よりも擢んでたいという欲望であり、第一人者になりたい、第一人者として尊敬を受けたいという願望なのである。」(P.119)
賞・賭金・利得
「とにかくしかし、価値、賞、勝利、利得、儲け、報酬などの言葉の意味範囲を、意味論的に純粋に明確に弁別することは、ほとんど不可能である。ただし、遊びの領域のまったく外にあるのが報酬である。それは、奉仕を果たし、労働を行ったことの正当な報いということだからだ。」(P.121)
(ラテン語 pretium)「プレティウムから出た言葉が英語ではいくつもの形に変わってきていることは前に記したが、ドイツ語、オランダ語では一つである。Preis、prijs は、競技に、籤に、商品に必ず付いている。競技者は「賛美」され、籤引きでは「賞」を獲得し、商品には「値段」がつくというように。」(P.122)
「冒険、まだはっきりわからない勝利への期待、成行きの不確かさ、そして緊張が、遊ぶ心の本質をなしている。この緊張が遊びの重要性と価値に対する意識を特徴づけるのだが、こうして緊張が高まってくると、それは遊戯者に、いまやっているこれは遊びなのだ、ということを忘れさせるのである。」(P.122)__守銭奴から資本家へ。
「しかし、古代文化というものは、当時の民衆の感情もそうなのだが、われわれの道徳的判断とは少しも合致しないのだ。兎と針鼠の寓話では、主人公の役は欺いて勝ったほうが占めている。」(P.123)
「注目に値するのは、いずれ希望は充たされるだろうと見込みをつけて行われる、この二種類の商取引、協定は、直接に賭け事から発生してきたものであることだ。そこで、ことの関連からいって、この場合、根源的なものは遊びなのか、それとも真剣な利害関係のほうなのか、という点が問題になってくる。中世も末葉のころジェノアやアントワープで、非経済的性質をもった、将来の可能性の賭けというような形の定期取引、生命保険があらわれるのが見いだされる。そこでは、賭けは「人々の生や死について、男児が女児かという誕生について、航海や巡礼行の結果について、外国の領土、地点、都市の占領について」行われていた。こういう契約は、もうすでに純商業的性格を帯びるようになったところでも、不許可の賭博行為として繰り返し禁じられた。」(P.125)
古代社会の対立的構造
古代中国の季節の祭
「供犠祭、奉献の舞踊が首尾よくいったとなると、万事は上々、高きに在すもろもろの力はわれらの側につき、世の秩序は保たれ、宇宙や社会の幸はわれら一統のために確保されたのだ。もちろん、この感情を整然とした繋がりのある、一連の理性的思考の結論というふうに想像してはならない。これはむしろある生活感情であり、多かれ少なかれ定式化した信仰という形をとった満足感である。」(P.128)
他の国々における闘技の遊び
「相聞歌の応答、球技、求愛の戯れ、問答遊び、謎解き、ここではすべてが、両性間の生き生きとした競技の形をとって、ある総体的な一世界を形づくっている。歌謡そのものが、厳格な詩法の掟や、少しずつ変化してゆくリフレイン、問答などによった典型的な遊びの産物なのだ。」(P.130)
「いかなる勝利も、悪に対する善の力の凱歌を勝利者に与え、それとともに勝利を獲ちとった集団の幸福を現実化させる、つまりそれを本当に実現させるのである。」(P.131)
「つまり、賭け事は神的な力の働きを意味したり、その力を規定したりしているのだ。」(P.131)
賭けの祭儀的意味
「また、ヘルト(FF)は賽子遊びは祭儀的意味を有するという考えから、原始時代の遊びはけっして完全に意味での遊びではないと結論しているが、これには、私は断じて否定したい気持ちに傾く。むしろ、賽子遊びが祭儀のなかに位置を占めているということは、賽子遊びが真の遊びの性格をもっているからである、と見てよい。」(P.133-134)
ポトラッチ Potlatch
ポトラッチの社会学的基礎
「ポトラッチのような術語は、ひとたび科学的用語のなかに受け入れられてしまうと、たちまち符牒にされやすく、人々はこの言葉を使いさえすれば、もうそれである現象の説明がついたように思って議論をやめたしまいがちな、そういう言葉の一つなのである。」(P.142)
クラ Kula
「この神聖な儀式制度すべての根底に、われわれは見紛うことなく、美のなかに生きたいという人間の欲求を見る。この欲求が満足を見いだす形式、それが遊びの形式なのである。」(P.143)
遊びにおける名誉と徳
(『イーリアス』)「この叙事詩の関心は、戦闘行為そのものにあるのではない。むしろそれは一人一人の英雄の「武勲 ἀριστεία」というものにあるのだ。」(P.148)
悪口合戦
「男の子たちのあいだにもそういうものが認められる。だから、彼らの振舞いを思い起こしてみれば、こういう悪口合戦を遊びの形式の一つと性格づけるには十分であろう。」(P.148)
文化因子としての競技的原理
(P.159)__論争、たとえばソクラテスの対話は遊び?
(古代ギリシア)「裁判官の前で行われる訴訟が闘技(アゴーン)と呼ばれていた事実は、ブルクハルトの解したように、後世の単なる意味ありげな比喩、仮託ではない。むしろその反対なので、それらの諸概念は、古代においては原始的融合の状態にあった、ということなのだ。実際のところ、かつて訴訟は、言葉の厳密な意味において、真の闘技そのものであった。」(P.162)
「このむやみやたらに飲食物をとったり、暴飲暴食したりする競技には、ポトラッチとの関連も見出すことができる。」(P.163)
(ローマ)「むしろここでは、早くもその初期のころ、競技の契機は、人々が自らそれに参加して行うということから、ただその目的だけのために備わった雇われ競技者の闘うさまを見学することに移ってしまったという、特異な現象がある。疑いもなくこの推移は、ローマ人のあいだに、競技そのものの祭儀的性格が、ことのほか強く保存されて残っていた事実と深く結びついている。前にも述べたことがあるが、そういう代理による行為こそ、祭祀にふさわしいものではなかったか。」(P.163)
「われわれは、競技的なものが文化に対してもっていた意味を示すのには、まったく違った言い方をしなければならないのだ。それは「闘争から遊びへ」という移行でも、「遊びから闘争へ」というものでもない。ただ、「遊び的闘争のなかにある文化」というものへ向かっての発展なのだ。」(P.165)
「この遊びの心と組み合わされるのが名誉、威信、優越であり、美を目指す精神である。すべての神秘的、呪術的なもの、英雄的なもの、芸術的なもの、論理的なもの、造形的なものは、気高い遊びのなかに形式と表現を探り求めている。文化は遊びとして始まるのでもなく、遊びから始まるのでもない。遊びのなかに始まるのだ。文化の対立的、競技的基礎は、あらゆる文化よりさらに古い遊びのなかに、そしていかなる文化よりさらに根源的な遊びのなかにおかれているのである。」(P.165)__Nota Bene !!!!!!!!!!!!!!!!!
「文化の素材がだんだん複雑になってゆき、いろどりゆたかになり、煩雑になってゆくにつれて、あるいは営利生活、社会生活の技術が、個人的にも集団的にも、細部までくまなく組織化されてゆく程度が進むにつれて、古い文化の根源的な地盤の上に、遊びとの接触をもうまったく見失ってしまったような多くの理念、体系、観念、学説、規範、知識、風習の層が、しだいに厚く積もってゆく。こうして、文化はますます真面目なものになってゆき、遊びに対してはただ二次的な役割をしか与えなくなる。」(P.166)__「進化」を抜きに語ろうとすれば、その変化は人が密集して住むことが原因のように思える。人は社会的な動物かもしれない(日本語の社会はよくわからないが)。でも、集まって営む必要性と、集まりすぎることによる弊害は、動物行動学者ならある程度見当がつくのではないか。
Ⅳ 遊びと法律
競技としての訴訟
「ギリシア人のあいだでは、法定での両派の抗争は一種の「討論(アゴーン)」と見なされていた。それは神聖な形式をふみ、厳しい規則に従いながら、抗争する二派が審判官の裁きを請求する闘争であった。」(P.169)__日本が裁判(陪審)国家になりつつあるということ。
「しかし、裁判官の鬘はそのかみの官服の遺物という以上のものなのだ。機能の点で、それは未開人の原始舞踏の仮面と、密接な関連があると見られるからだ。それは、着用者を「別の存在」に変えてしまうのである。」(P.171)__制服一般も同じ。
「つまり、訴訟はまず賭け事として観察することができるが、次に競争として、最後に言葉による闘争として見ることができる。」(P.172)
「こうして、神託、神明裁判という概念、籤占いによって事を決めるという観念、つまり遊びによる決定ということーーちなみに、なぜそれらのものを遊びと言うのかというのかといえば、ある裁定が究極的な力をもち、覆すことができないという考えは、その基礎を遊びの規則であると見た場合に限って成り立つからであるーーと、裁判官による裁決という観念とが溶けあって、唯一不可分の複合体を形づくっているような一つの思考領域が、われわれの眼前に浮かび上がってくる。」(P.173)
神明裁判・籤占い
「しかし、これはもう、後世の考え方から割り出した一つの解釈ではないだろうか。結局のところ、真の出発点は競技そのもので、誰がこれに勝つかということではなかったか。」(P.178)
権利をめぐる競技
(P.181)__『竹取物語』と同じ。
裁判と賭け
遊び形式による裁判審理
「ヴェルナー・イェーガーは、ギリシア人の政治風刺は単なる道徳的説教とか個人的な怨恨に用いられたのではなく、もともとある種の社会的機能を満たすものだったにちがいない、と指摘する。」(P.188)__『パイデイア: ギリシアにおける人間形成 ((上)) (知泉学術叢書)』
Ⅴ 遊びと戦争
秩序を守った闘争は遊びである
「言い換えれば、戦争の文化機能は、戦争の遊びとしての性格にかかっている。ところが、心のなかでは敵を人間として認めなかったり、あるいは「野蛮人」「悪魔」「異端者」「背教徒」などと呼んで、当然認めなければならない最小限度の人間的権利すら敵に与えなかったりする場合がある。こういう場合には、戦争をひき起こした集団が、彼ら自身の名誉を保つためにある種の自己規制を課するということをしない限りは、その戦争を文化の範囲に加えることはできない。」(P.191)__近代戦争批判
「だがそれも、全面戦争の理論が現れるようになっては、おしまいである。こうしてついに戦争における遊びの要素の最後の名残もふるい落とされ、それと同時に、そもそも文化、正義、人間性のすべてが放棄されてしまったというのが、現状なのだ。」(P.192)
「闘技の契機は、まず、あるものをめぐって両陣営の各々が、こちらこそそれを所有する権利があると信じてたたかう場合、さらに、両軍がたがいに相手を、それをめぐって争いあう敵対者として認め合う場合に、はじめて働くのだ。」(P.192)
古代の戦争の競技性
「聖なる価値をもった神の裁決を得ようとして、勝つか負けるかという試練を受けること、それが戦争なのである。裁判、賭博、籤占いも神々の意思を啓示することができたが、それらのかわりとして、こんどは武器の力が選ばれるのだ。」(P.194)
「われわれが「正義」といっているものは、古代的な考え方のなかでは「神々の意思」あ(FF)るいは「明証された優越性」というのと同じことである。」(P.194-195)
決闘裁判
(P.198)__将棋やチェスのコマも代理。
「復讐とは名誉感情の満足である。」(P.200)
「決闘は、その本質において、祭式的な遊びの形式の一つであり、抑えきれない憤怒から思わず犯してしまいかねない殺人の規制なのだ。」(P.201)
古代の戦争の祭儀性と闘技性
敵に対する礼節
「しかし、戦争に勝つということに対する関心があまりにも大きくなってしまうと、そういう関心よりも、根源的な文化のあり方の上に立ち、またそこに意味を見いだしていたこの礼儀の慣行が働くのが抑止される、ということはあった。」(P.210)
儀式と戦術
闘技的原理の効力の限界
「あくまでも誠実さをもって名誉を守らねばならないのは、ただ同等の立場に立つ者を敵として闘うときだけである。」(P.212)
「何といっても、この遊ぶということが、すべての文化そのものの基礎なのだ。」(P.214)
「しかし、あらゆる法的拘束力が消え去って、完全に荒廃してしまった社会でも、闘技的衝動というものは失われない。それは、人間性そもそもの資質なのである。」(P.215)
英雄の理想像
「これらの理想、制度、慣習すべてを包んだ闘技的大複合体は、中世ヨーロッパ、回教諸国、日本で最も豊かな展開をとげた。しかし、ほとんどすべてのキリスト教騎士道の世界よりいっそう明瞭に、これらすべてのものの基本的性格が示されているのは、日出ずる国日本においてである。」(P.217)
戦争の文化価値の過大な評価
「しかしまた、そのためにそういう歴史像は、最も優しい心情の持ち主までも動かして、戦争が現実にとった姿を美徳と知識の泉として、讃えさせるという邪悪にも導いたのである。」(P.218)
「われわれが多くの民族に伝承として伝わる騎士道から知ったとおり、これをすべて文化の美的形式として語ってしまうと、この制度の祭儀的背景を見失う危険を冒すことになるのである。」(P.221)
Ⅵ 遊びと知識
競技と知識
「世の中には闘わねばならぬことはいくらでもあるのであり、人々はそれらのことをその数だけのさまざまなやり方でたがいに闘いあうのである。はたしてうまくゆくかどうか分からない籤を引いて吉凶を占いもすれば、肉体的な力や技量を競いもし、血腥い闘争を闘わせたりもする。勇気や忍耐力を比べあい、また大言壮語ぶりや騙し方を競争する。力比べ、試験、芸当が課されることもある。それは刀剣を造るという鍛冶の課題であったり、巧みな韻を考案する詩の問題であったりする。質問が出され、それに答えるということもある。また、この闘争は神託、賭け、訴訟、願かけ、謎などの形をとることもできる。だがどんな形をもったものでも、本質においてそれらがすべて遊びであることに変わりはない。」(P.222)
「すべての競技の初めには遊びがある。すなわち、ある空間的・時間的限定のなかで、特定の規則、形式に従いながら緊張の解決をもたらすもの、それも日常の生活の流れの外にあるものを作り出そうとする協定がある。ここでは、完成されねばならない目標、つまりかち得られねばならない結果というものは、ただ二義的な意味で遊びの課題の上に付け加えられる問題にすぎない。」(P.223)
「しかし、なにかを知っているということにいたっては、魔力だったのである。すなわち、彼にとっては物事の一つ一つの知識はいずれも聖なる知識であり、秘密をおびた、魔力的な知恵なのだ。彼にとってはどんな知識でも、ことごとく世界秩序そのものと直接の関係があるからである。」(P.223)__意識の外と繋がっている。
哲学的思考の発生
「この祭祀的競技のなかで哲学的思考が、空疎な遊びからではなく神聖な遊びとして誕生したのである、と。」(P.228)
謎解き競技は祭祀の一部である
「謎を解くということが、供犠の式そのものと同じで、不可欠なのだ。謎を解くことによって、神々を否応なしに動かしてしまうのだ。」(P.229)
「むしろ、それら無数の矛盾しあう解釈が、そっくりそのまま祭儀の謎の解決になっていたのだ、ということが分かってくるであろう。」(P.230)
「生命は賭けの質なのだ。生命が賭けられてーー遊びの上に立ってーーいるのである。」(P.230)__神が神聖なのは、全知全能だから。
古代ノルド文学の質問競技
(P.234)__古い伝統に乗っかっており新しい文化にはソクラテステス問答があわない。祭事(まつりごと)、聖なる遊びであった可能性。
「こういう二重化を、われわれは、真面目なものが冗談に堕落したとか、冗談が真面目の水準まで高まったと考えてはならない。そうではなく、むしろ文明化した生活が、ようやくこの二つの領域のあいだに大きな分裂を作り出してしまい、それをわれわれがそれぞれ真面目と遊びに区別するようになっただけなのだと見るのが正しい。それは根源的な位相のなかでは分かつことのできない一つの精神的媒体を形づくっていたのであり、文化はそういうもののなかで生長してきたのである。」(P.235)
社交遊びとしての謎問答
問答論
神学的・哲学的論議
謎解き遊びと哲学
Ⅶ 遊びと詩
予言詩人
詩は遊びのなかに生まれた
(P.259)__松尾芭蕉
愛の法廷
「ときには、恋人たちは普通の機知の謎を出して、たがいに試しあうこともあるし、それが文学の知識のこともある。われわれはまえに、教理問答(カテキズム)の形式は謎解き遊びと直接に関係している、と言っておいた。事実、極東の社会生活のなかでいつもきわめて大きな役割を演じてきた試験制度などもその一例である。」(P.264)
教訓詩
「ほとんどあらゆる古代の教えが韻文形式をとっていた動機はなんであったのか。これについて、書物というものをもたなかった社会は、そういうやり方で文章を憶えるほうがやさしかったからである、と実利主義的な考えのなかにその原因を求めるのは、おそらく部分的にだけ正しい。そこには深い理由がある。文化の古代的な相のなかでは、生活そのものが、いわばその構造においてなおも韻律や聯(ストローフ)の組織をもっていたのだ。(LF)現代でも、高尚な問題の表現ということになれば、やはり詩のほうがより自然な様式である。下って一八六八年の明治維新にいたるまで日本人は、国家文書の最も重要な部分を詩形式で作(FF)るのを常としていた。」(P.265-266)__詩=韻文。なぜ、詩形式が適した表現なのか。
神話の詩的内容
「未開人にとってさえ、彼らの最も神聖なはずの神話に対する信仰には、最初からある種の諧謔的な調子という要素が染みついてはいなかった、と。詩と共通して神話も遊びの領域に発生したのであり、したがって未開人の信仰は、その全生活がそうであったように、少なくとも半ば以上はやはりこの領域のなかにあったのだ。」(P.271)
文化の遊びの相としての神話
「神話が発展し、未開人のイメージの世界とは切り離された文化によって、伝統的な、確立された形式で受け継がれてゆくようになると、つまりそれが文学となると、そこには遊びと真面目さの区別というものが生じることになる。神話は神聖である。だからそれは真面目なものでなければならぬ。ところが神話の言葉のほうは、相変わらず未開人の言語そのままだ。それはまだ遊びー真面目という対立があてはめられない具象的なイメージを表現する言語である。」(P.271)__神話だけでなく、聖書などの経典も同じではないだろうか。
詩的形式はつねに遊びの形式である
「神話的イメージの場合であろうと、抒情詩、叙事詩、戯曲であろうと、遠い過去の口碑であろうと、現代小説であろうと、そこには、意識するとしないとにかかわらず、いつでも聴き手や読者をとらえ、呪縛する緊張感を、言語によって創ろうという目的がある。つなにある効果(FF)を達成しようとする問題がある。そしてつねにその土台は、緊張を人々に伝えるのに適したある種の人間生活の状況であり、人間感情のケースである。だが、そういう状況、ケースはけっして多くはない。非常に広い意味にとるなら、その大部分は闘争、あるいは恋愛の状況、もしくはその二つの複合したものである。」(P.276-277)__文学の本質。それは闘争であり遊びである。人になにかを伝えようとすることそのものが遊びなのかも知れない。つまり、すべては遊びであり、したがって遊びは存在しない。人間存在そのものが遊び、人間の意識、存在の現象しかとらえられない。
詩は競技のなかに養われる
「解決(答)の価値は、それがどこまで遊びの規則にぴったり合っているかという点だけにかかっている。そういう特殊な言葉を語ることができる者が詩人なのだ。」(P.278)
「すべて、何かを語るということは、イメージ、形象のなかで表現をするということである。客観的に存在しているものと、人間がそれを理解するという行為とのあいだに落ちこんでいる深淵は、存在しているものを形象に変える働きが放つ一閃の火花によって、橋を架けわたすことができるだけなのだ。ただ、言葉に縛りつけられている概念というものは、動いている生の流れに対しては、どうしてもうまく適合できないのは已むをえない。イメージを創る形象の言葉が、事物を表現のなかにくるみ、それに概念の光をあてる。イメージのなかで観念と物が統一されるのだ。」(P.279)__西田幾多郎みたい。
詩人の言葉は遊びの言葉である
「最も古い原始文化の枠そのものが、遊びの圏に嵌めこまれていたからである。」(P.280)
Ⅷ 詩的形成の機能
形象化するということ
「根源にあるのは、知覚された事物が生きて動いている生命体という観念に置き換えられる、ということなのである。それは、われわれの心に、知覚したものを他人に伝えたいという欲求が動き出すやいなや、すぐさま生じる。観念はこうして、形象化する作用として生まれてくる。(LF)観念の世界を生命ある実体から創り出すという傾向は、精神に先天的なもの、絶対にそれなし(FF)ではすまされないものであって、これを精神の遊びと呼ぶことは正しいのではないだろうか。」(P.284-285)
「詩的隠喩が、もはや真の、根源的な神話のレベルで働くものでなくなり、奉献行為の一部分をなすものではなくなると、その擬人化の信仰内容は、迷信とまでは言わないまでも、完全に疑わしいものになってしまうのである。」(P.287)
擬人化された抽象概念
「しかし、はたして聖フランチェスコは、本当に貧困という名前をもち、真に貧困という理念であったものを、そんな一つの精神的存在、天上的存在を信じていたのであろうか。こう冷静に問えば、われわれはゆきづまってしまう。いや、すでにそういう冷静な論理的な言葉で質問することで、われわれはこの観念の感情内容に対してある強制を加えているのである。」(P.290)
(P.292)__言葉・概念が個別具体ではなく抽象性をもつ限り、その境界は曖昧で、言語・個人・文化によって変わる。
「しかし、彼はこのカラーのボタンを一つの生き物だと信じていたわけでもないし、また一つの観念として信じていたのでさえもない。ただ思わず知らず遊びの態度をとっていたわけである。」(P.293)
一般的習慣としての擬人化
「それでも未開人は、人々に恐怖をよびさまさせる動物仮面をつけ、動物として姿をあらわしたとき、内心ではやはり本当のことを「もっとよく」知っていたのであった。」(P.294)
「ーーいや、いったいこれまでに、比喩、寓意なき抽象言語などというものが、そもそも存在しただろうか。」(P.295)
詩の諸要素は遊びの機能である
「韻律の言葉は、社会の遊びのなかだけで生まれるのである。そこにこそ詩は生きた機能を保ち、その意味とその価値をもつ。そして社会的遊びがその祭祀的、祝祭的、儀式的性格を失ってゆく度合いに応じて、それらのもの(FF)も消滅してゆく。押韻、対句方、二行連句(ディスティコン)などの要素はみな、遊びのなかにある攻撃と反撃、優勢と劣勢、問と答、謎と解決といった時間を超越した類型のなかにその意味の根を下ろしているのである。」(P.295-296)
「だんだんと詩の意識的な特質として認識されるようになってきたもの、つまり美、神聖、魔力などは、初めはまだ原始的な遊びという質のなかに閉じ籠められていたのであった。」(P.296)
「ここにおいて彼は、最高の英知に最も接近するが、しかしそれと同時に無意味な空虚にも、また至近の距離にある。」(P.296)
「この無限なものへの欲望こそ、まさに典型的な遊びの機能なのである。それは、ある種の精神病者にも見いだされるが、もともと子供に固有のものである。」(P.297)
「古代人は彼らが自ら創り出した神話に対していかなる考えを抱いていたのかという問題については、われわれは知らず知らずのうちにわれわれ自身の科学、哲学、宗教教義の基準によって判断しているのである。」(P.298)
遊びとしての戯曲
「ところが戯曲ばかりは、それがいかにしても棄て去ることのできない機能的性格のために、つまり、それがつねにどんな場合にも行作であるという点は不変だから、永遠に遊びとのかたい繋がりを失うことがないのである。」(P.299)__TVドラマという叙情話、時代劇という叙事話が担う文化。
「ギリシア人が遊びの分野のすべてを表現する総括的な言葉を所有しなかった事実はまえに論じておいた。ギリシア社会では、(FF)そのすべての表現のなかに深く遊びの精神が浸透していたために、この遊び的なものそれ自体は、なにか特殊なものとして、彼らの心をあらためて惹くということがなかったのだ。」(P.299-300)
「彼はもはやその別の自分を「表現」しているというにとどまらない。それに化身し、それを現実化しているのである。この感情のなかへ、彼は観衆をも引きずりこむのだ。」(P.302)
Ⅸ 哲学の遊びの形式
ソフィスト
「この自らの知識を自慢するという点で、彼らは博識家ヒッピアースのような後期ソフィストに似ている。」(P.304)
「要するに、ソフィストの仕事はまったくスポーツと同じ領域のなかで行われていたわけである。」(P.304)
「いつでも、どんな答でも間違いにしてしまうような陥穽(わな)仕掛けの質問を持ち出すことが、誇りとされていた。」(P.305)
「ソフィストは、その本性から、多かれ少なかれ旅まわり芸人と肩を並べる存在である。彼には少しばかり、生まれながらの放浪者、寄生者というところがある。(LF)だが、それと同時に、ソフィストこそが教育、文化のギリシア的理念が形をとるにいたった環境を創り出した当の存在でもあったのだ。ギリシアの知識、ギリシアの科学は、けっして(われわれのいう意味での)学校などで成長したのではなかった。それは、市民に対する有用で有益な職業教育の副産物としてかち得られたものではない。ギリシア人にとってそれは、自由時間、閑暇 σχολή の結実であり、自由人にとっては国家の業務、戦争、祭祀に要求されない時間はすべて自由時間であった。」(P.306)
「ギリシア語の「問題 προβλήμα 」にはもともと二つの具体的な意味が含まれていた。すなわち、それはまず、楯のように自分を守るために自分の前に置き据えるものであり、第二に、相手に向かって投じて受けとめさせるものだった。」(P.307)
「すべてこれら陥穽(わな)仕掛けの論法は、人々がこれら論理の妥当性の範囲を暗黙の裡に一定の遊びの場として限定し、そのうえで、ディオゲネースのしたように遊びをぶち壊しにする「なるほどそれはそうだが、しかし……」というような言葉を投じたりせず、その限界の範囲を守るという条件の上に立って、はじめて成り立つ。」(P.308)
哲学的対話の起源
「こうして、この動きのなかで、知識は高貴な遊びという形式を帯びてゆくのだ。ソフィストのみが遊ぶわけではない、その点ではソークラテースも、いやプラトーンでさえも同様なのである。」(P.310)
「プラトーンにあっては、対話はいつも変わりなく軽快な、遊びのような芸術形式である。それを証拠立てているのが『パルメニデース』の小説的構成と『クラテュロス』の冒頭の部分とである。」(P.310)
「青年の議論熱は、老人の尊敬されたいという欲望に対照されるのである。「まったくそれは真実のことなのです。」と、『ゴルギアース』のなかでカリクレースは言っている、「そして君たちは哲学をやめて、もっと大きな事柄に向かうならばそのことを理解するようになるでしょう。君たちが青年のあいだで節度をもって行うなら、哲学も好ましいものです。だが、ふさわしいときにやめないでいつまでも長々とそれにかかずらって我を忘れた人間にとっては、哲学は破滅のもとですね」と。(LF)このように、後世のために知識と哲学の不滅の基礎をきずいた当の人々が、彼らの哲学を青年の遊びと見なしていたのである。ソフィストの根本の誤り、彼らの論理的・倫理的欠陥を抉剔しようとするプラトーンは、いつ何時でも、この自由気ままな対話形式の身軽なやり方をとるのを恥とはしなかった。彼にとっても哲学は、いかに深く掘り下げられたところで、結局、一つの高貴な遊びであることに変わりはなかったからである。そしてプラトーンだけではない。アリストテレースでさえも、ソフィストの詭弁、言葉の駄洒落を、真面目に論駁するに値するものと考えていた。それも、彼ら自身の哲学的思考がまだ遊びの領域から離れていなかったからにほかならない。だが、いったい哲学がいままでにそこから本当に解放されたことがあっただろうか。」(P.312)
ソフィストと弁論家
「アリストテレース以降、哲学的思弁の水準は低下していった。極端に走った競技と杓子定規的な学問に逸脱した哲学が、手と手をたずさえて世にはびこった。」(P.313)
「ところで、ソフィストにことのほか愛好されたのに矛盾論法(アンティロギア)と呼ばれるものがあるが、その意義は、その形式の遊びとしての価値という点にのみあるのではない。それは、その点と同時に、人間の判断の永遠の不確実性を、含蓄あるやり方で表現しようとする意図をもつものであった。」(P.315)__論理では捉え表現・説明できないもの。
「二、三の論者は、ニーチェが哲学の闘技的立場をふたたび取り上げて問題としたと見ようとしているが、もしこれが事実であるとすれば、ニーチェがそうすることによって哲学を原始文化の内部に発生した当時の、根源的な領域へ引き戻した、ということなのである。」(P.315)
論争
「つまり、人々が理性を遊びの規則として通用させることに決めた精神的な枠があるわけだが、その範囲内で理性はどの程度の意味をもっているのか。これは痛切な問題だが、いまわれわれはこれに立ち入るつもりはない。」(P.316)
カール大帝の翰林院
十二世紀の学校の世界
学問の闘技的性格
Ⅹ 芸術の遊びの形式
音楽と遊び
「アラビア語とヨーロッパ諸言語のこの意味論的な一致は、どちらか一方が他方からこの意味を借用した結果であるとはほとんど考えられない。結局これは、音楽と遊びの関係を規定するのが、深く心理的なものに根ざした本質的関係であることを示(FF)す、一つの外的な徴としてとらえてよいだろう。」(P.324-325)
「遊びの価値は理性、義務、真理などの規範の外にある。音楽また然りである。」(P.325)
「しかし詩の場合には言葉というものがあって、部分的に、詩を純粋に遊び的な領域から観念と判断の世界へ置き移すことができる。これに反して純粋に音楽的なものは、つねに遊びの領域のなかを漂っていて、そこから出てゆくということはない。」(P.325)
「純粋の祭祀はすべて、歌われ、踊られ、遊ばれるものなのであ(FF)る。」(P.325-326)
プラトーン、アリストテレースにおける音楽
(プラトーン『法律』)「これは、神々と祝祭をともにすることによって、人間界に物事の秩序を打ちたてるためなのです」(P.327)
(アリストテレース『政治学』)「睡眠とか飲酒とかは、それ自体に意味もないし、真面目(スプーダイア)なものでもないが、ただ快適なもの、憂いをはらうものであるがために、われわれはそれを欲するのである。」(P.329)
(アリストテレース『政治学』)「今日では、大多数の人々は音楽を楽しみのためにするものと思っている。しかし古人は、それを教育 παιδεἰα の一つである、と教えていた。なぜかといえば、自然(ピュシス)そのものは、われわれがよく仕事ができるというばかりでなく、そのうえまた、よく閑暇の時を過ごす能力をももつべきことを要求するからなのである。この閑暇こそが万物の根本原理(アルケー)である。」(P.330)
「そこで問題はどうやって自由時間(スコレー)を使うか、ということになってくる。遊びをして過ごすのではない。それでは、遊びは、人生の目的になってしまうだろう。いや、それにアリストテレースにとって遊び(パイデイアー)はただ、子供の遊びとか快楽とかを意味するにすぎないのだから、そういうことは不可能である。」(P.231)
「だからこそわれわれの先人たちは、音楽をも教育(パイデイア)の一つに数え、読み書きと同様に、それが必要であるからとか役に立つからというのではなくて、ただ閑暇を過ごすのに有用なものと考えたのである。」(P.332)
音楽の評価
舞踊は純粋な遊びである
「舞踊と遊びの関係は、舞踊にはどこか遊びがあるということではなく、それが遊びの一部を形づくっているという点にある。つまり、本質の一致という関係である。」(P.339)
ミューズ的芸術、造形芸術と遊び
「手仕事に属するものと見なされる造形芸術には、ミューズの女神は割り当てられないのだ。」(P.340)
「ミューズ的な諸芸術では、現実の美的活動は、芸術作品が実際に演じられることのなかにある。」(P.340)
「それら叙事詩と歴史は、まさに音楽、舞踊のように一つの行為だったのであり、音楽、舞踊と同じような創造が要求されていたのである。とにかく、この行為であるという性格は、詩の芸術的享受が朗誦されるものを聞くことから、ひとり静かに読むことへととげた変化によっても、根本的には消え去らない。そして、これらミューズ的芸術が体験されるその行為自体が、遊びと呼ぶことができるものなのだ。(LF)造形芸術の場合はまったくこれと異なっている。それがすでに素材に隷属し、素材が規定する形態の可能性の制約に縛られていることによって、それはこう気的な空間を飛び翔けていく詩や音楽のように自由に「遊ぶ」ことができない。」(P.341)__こう=>氵+景+頁
「こうして作品の制作にあたっては、遊(FF)びの要素などどうやら存在していないように見えるし、また、それを眺める、鑑賞するという場合にいたっては、まったくそういう点がないのである。それには何ら可視的な行為というものが含まれていない。(LF)このように物を創る仕事、勤勉な手仕事、職業といった性格が、造形芸術に対して遊びの因子が働くのを阻止している。ところがそれだけではない。それらの作品の本質的なあり方も、大部分は実際的目的によって規定されていること、そして、この規定は美的動機に支えられたものでないことなどが重なって、その点がまずまずはなはだしくなっている。 ものを制作する人間の課題は真面目なもの、責任重大なものである。すなわち、遊びめいたことは、いっさいそれとは無関係なのである。」(P.342-343)
芸術作品の祭儀性
「それは、一度でも退屈な会議に列席したとき、たまたま鉛筆を手にしていたことのある人なら、誰でも知っている。全然それとは気づかずに、ほとんど自分がいましていることを自覚せずに、われわれは線やら図解やらを悪戯書きしている。」(P.345)__それを意識的に全体的に行えるのが芸術家である。
「気まぐれな手すさび遊びからは様式は成立しない。またそれとは別に、造形性への意思は、けっして表面の粉飾をもって満足するものではない。その意思は三つのあり方で働く。すなわち、装飾すること、構成すること、そして模倣すること、この三つによってである。」(P.346)
造形芸術における競技の因子
(P.348)__小学校の徒競走、オリンピック、ヨーロッパ以外でも勝つことが大切だったか。
(P.349)__遊びは競技か。エリアーデ『イメージとシンボル』
「職人や商人の組合が有力となり、祭儀に基づいた社会的結合の古い形式を追っ払ったのは、やっと十二世紀以後、都市生活の復活再生とともにであった。」(P.352)
Ⅺ 「遊ビノ相ノモトニ」見た文化と時代の変遷
古代以後の諸文化における遊びの因子
「文化はその根源的段階においては遊ばれるものであった、と。それは生命体が母体から生まれるように遊びから発するのではない。それは遊びのなかに、遊びとして発達するのである。」(P.355)
ローマ文化における遊びの要素
「豊饒 Abundantia、和合 Concordia、敬虔 Pietas、平和 Pax、美徳 Virtus のような形姿は、高度に政治的に発展をとげた社会のあやまたぬ思考が、考えぬいた果てに結晶させた概念ではない。それらはただ、より高きに居ます諸力との即物的な交渉によって、わが身の庇護安全を求めようとする原始社会の唯物的理想なのだ。」(P.357)
「事実、非常にさまざまの違った起源から出てきたまったく異種の力の相互作用のなかから、文化衝動というものが浮かび上がってきて、それが力の蓄積体として具体化されたものが、われわれが国家と呼んでいる存在なのである。そしてその後で、この国家という生きものは、自己自身の内部にその存在理由を探し求めるのだ。」(P.359)
「後期のローマ文化がなしとげた成果の一般的内容によって判断すれば、これらの諸都市は豪壮な計画と雄大な建築の高い価値を誇るものだったとは言え、もうそこには古代文化のなかの最善最良のものが生き生きと残っていたということはできないのである。」(P.360)
「ローマ帝国は内側からわれとわが身を喰いつくして空ろになった肉体であった。」(P.361)
「神聖なものと世俗的なものの表現が、ローマ芸術のなかでは安全に混ざりあっている。」(P.361)
「たしかに、その遊びの要素はつよく前面に押し出されてはいる。だがそれはもう、社会の構造のなかでの、そして社会の行動のなかでの組織的機能はもっていないのだ。」(P.362)__日本における祭りやイベント。
「ともあれ、国家の生存をかけた戦争が始められるに際しても、そこにあったのは、たいてい、飢餓とか危機とかいうことよりも、むしろ権力、名誉をめぐる羨望だったのである。(LF)ローマ帝国における遊びの要素はなによりも「パンと見世物遊びを Pnem et circenses 」という叫びのなかにはっきりと表現されている。「パンと見世物遊びを」、これこそ民衆が国家から要求したものだった。現代の耳はこの叫びのなかに、救済金と映画の無料券を求める失業プロレタリアートの要求、つまり、生計と大衆娯楽への要求以上のものを聴きとろうとはしない傾きがある。しかしそこにはもっと深い意味があった。ローマ社会は、遊びなくしては生きてゆくことができなかった。それはパンと同じように、生活の基礎であった。いや、それこそ聖なる遊びであり、民衆はそれに対し聖なる権利をもっていたのである。この遊びの根源的機能のなかには、すでにわがものにしえた共同社会の幸を、祝祭として祝いまつるということだけではなく、同時にこの聖なる儀式を通じて、未来の幸をさらに強め、確保しようとする念いも籠められていた。」(P.363)
公共精神とポトラッチ精神
「しかしこの豪宕な公共的贈与の精神の本質は、ポトラッチ精神と呼んだほうがより適切ではないだろうか。」(P.365)__命がけでポトラッチするということは、命がけで遊ぶということかもしれない。
中世文化の遊びの要素
「しかし、これら遊びの形式は、たいていの場合、もはや本格的な文化創造の機能をもってはいなかった。というのは、この時代は、詩、祭儀、教説、科学、政治、戦争など大きな文化形式を、すでに古代という過去から継承した時代だったからである。形式は固定していたのである。中世文化はもはや古代的なものではない。中世は、キリスト教のそれであれ、古典古代のそれであれ、主として、伝承された素材を新たに修正し直した時代である。ただ、それが古典古代の根から生じたものでない場合、キリスト教会やギリシア・ローマの思想に養われたものでない場合には、遊びの因子の創造的活動を容れる余地はまだ残されていた。それは、中世文化が直接にケルト・ゲルマン的過去、あるいはもっと遡った土着民的過去の上に築かれたような場合である。騎士道の起源がそれであり、また部分的には封建的諸形式一般もそれにあたる。」(P.367)
ルネサンス文化の遊びの要素
「古代を模倣して生きるということが、ルネサンスの聖なる真面目さというものであった。」(P.368)
「ルネサンスの輝かしさは、すべて空想的・理想的な過去という(FF)装いに身をこらした、陽気で、壮麗な仮面劇である。」(P.368-369)
「ルネサンスは、とくに二つの遊び的な人生のイメージ、すなわち田園生活と騎士生活というものを最高度に具現化して、そこに新たな生命を吹きこんだ。つまり、それを文学的・祝祭的な生としたのである。」(P.369)
「ほとんどルネサンスより以上に人文主義は、玄人とか、その道の通とかのサークルのなかにつよく閉じこめられている社会である。人文主義者たちは、厳密に定式化された生と教養の理想というものを拓いた。彼らは古代的・異教的な形姿を持ち上げ、古典時代の言語によって語ったが、そういうやり方によってさえキリスト教的信仰に表現を与えることを心得ていた。ともかくもそのために、彼らの信仰は何かわざとらしい色合いを帯び、心の底まで真面目にそう考えているわけではないといった性格をもつようになった。」(P.270)
バロックの遊びの内容
「鬘は始め、捲毛の不足分に対する補充として登場したのであり、したがってこれは自然の模倣である。しかし、かつらを被ることが一般的流行になってしまうとそれはたちまち自然の頭髪らしく見せかけるという、いかなる模倣の口実をも失い、様式要素となる。(LF)こうして十七世紀では、ほとんど初めから様式化した鬘を問題にしなければならない。それはまったく文字どおりの意味で、絵画の額縁に対応して、顔の輪郭の枠を意味していた。ーーいや、絵画を額縁に収める習慣も、鬘の流行とおおよそ同時代に発達し、その典型的な様式に達しているのである。」(P.375)
ロココの遊びの要素
「ところで、様式という概念と流行という概念は、正統派美学が一般に認めているよりも近い関係に立っているのである。つまり、生きている社会の美の衝動は流行のなかでは、もろもろの情念、感情と溶けあい、媚び、虚栄心、自負心などと混ざりあう。そして様式のなかでは、反対に、より純粋な形式のなかに結晶化されるという関係である。しかし、様式と流行、したがって遊びと芸術がロココ時代のように密接であったことは、ごく稀である。他には、せいぜい日本文化がそういう例だったくらいのものである。」(P.378)
「十八世紀の精神がさまざまのモチーフを選びながらも、そのなかで意識的に自然へ帰る道をまさぐっていたこと、しかも様式的な形のなかでそれをしていたことを、理解しなかった。さらに、十八世紀がおびただしく創った建築の傑作についても、装飾は建造物のきびしい形にはけっして手を触れるものでなく、したがって建物は調和のとれた均勢の示す気高い品格をそこなわずに保っていたということをも、見逃していた。歴史のなかでも、ロココ時代のように、純粋に遊びと真面目がバランスをとることのできた時代は少ない。」(P.381)__真面目=芸術?芸術とは?
「器楽が声楽に対していよいよ前面に大きく浮かび上がってくるにしたがって、音楽と言葉の結びつきは緩くなり、それとともに、独立芸術とし(FF)ての音楽の立場はますます強められた。」(P.381-382)
「音楽そのもののために音楽を演奏するということが、だんだんと大きな役割を占めるようになる。ただ、今日の音楽との本質的差異を示している二つの事実があるのだが、それについては、はたしてそれが益になったのか害になったのか決定しないでおこう。その一つは、音楽作品の創作はなおも、主として特定の機会に限られていたということ、つまり典礼とか世俗的な祭事に結びついていたということであり、ーーバッハの作品を考えられたいーー、第二には、芸術としての音楽はそれでもまだとうてい、大衆の水準までおりて、大衆から楽しまれるものになってはいなかったということだ。」(P.382)__大衆の音楽は別にあった。
「どれほど鮮やかに統一された音楽的形式であっても、東洋音楽と西洋音楽を、あるいはま(FF)た中世音楽と現代音楽を結び合わせることはできない。いかなる文化も、それに固有の音楽的約束をもっているし、また一般に耳というものは、よく聞き慣れた音響形式だけにしか耐えられないからである。(LF)そこで繰り返すようだが、この音楽の形態の多様性というもののなかにこそ、それが本質的な遊びであることの証明があるのだ。つまり、音楽は限られたある限界内での一つの協定であり、しかも絶対的な支配力を示すもろもろの規則の協定であって、そこには何ら実利的目的はない。」(P.382-383)__遊び=ヴァナキュラーなもの。
「遊びの規則の違反は遊びを破壊してしまうのである。(LF)古くは、音楽は人間にとって聖なる力、情緒的興奮、遊びとして意識されていた。はるか後の時代になって初めて第四の意識的価値が登場する。それは、ある意味をもった生命の実現としての、生活感情の表現としての、要するに現代的な意味における芸術としての価値である。」(P.383)
ロマン主義の遊びの特質
「ヨーロッパ精神は、過去の古きものへの回帰をたびたび繰り返してきたが、そのたびに必ず古典古代の文化のなかに、そのときの現在の本質によく適合するものを探し求め、それをたくみに見つけ出してきた。」(P.385)
「いっさいのことが恋愛と結婚を中心として、そのまわりを巡って進められることになるのだが、しかもまったくおのずと、他のすべての人間の営み、生活のあり方までがそのなかに引きずり込まれる。すなわち、教育、親子関係、病気と治癒の感情、死と死者への哀悼などがそれだ。感情が文学のなかに棲みついたのだ。」(P.387)
十九世紀における真面目の支配
「労働と生産が時代の理想となり、やがて偶像となった。ヨーロッパは労働服を着込んだのだ。」(P.390)
「社会と人間精神のなかで経済的因子を過大に評価することは、ある意味では神秘というものを殺し、人間を罪業、罪責から解き放った合理主義と功利主義の当然の成行きである。しかしそれと同時に、彼らは人間を愚かしさと近眼視的けちくささから解放してやるべきなのに、それは忘れていた。」(P.390)
「今日まで、ある世紀が自己自身を、また存在のすべてを、物々しい真面目さで受け取ったことがあったとすれば、それはこの十九世紀にほかならなかった。」(P.391)
「女の衣服、より適切に言えば貴婦人(レディー)の服装はーーつまり、ここでは文化を代表する上層部を取(FF)り上げているからなのだがーー男子服が一般に無味乾燥となり、平板化していったのに従わなかったことはおのずと理解できよう。美の因子と性的魅力の機能が、婦人の服装ではまことに根源的なのである。ーー動物では、周知のとおり事情は逆になる。」(P.393)
「たとえば、一五〇〇年から一七〇〇年までの時代を考えてみれば明らかである。男の服装には、激しい変化が幾度となく繰り返されているのに対しーー女の場合には、節度がある、適度の安定性がある。」(P.393)
「十八世紀の終わりになってはじめて、婦人の服装も真に「遊ぶ」ものとなる。」(P.393)
「労働、教育、そして民主制などの理念は、遊びという永遠の原理を容れる余地をほとんど残さなくなったのである。」(P.394)
Ⅻ 現代文化における遊びの要素
「ところが、若い人々の意識のなかではもう「古くさい時代」のものとされてしまうさまざまな現象も、年配の人たちにとっては依然として「われらの時代」という観念のなかに含まれている。それは、彼らがそれに対して個人的な思い出をもっているからだ、というばかりではない。彼らの文化そのものが、なおもその過去の時代とかかわりをもっているからでもある。」(P.395)
スポーツ
スポーツは遊びの領域から去ってゆく
「さて、こういうスポーツの組織化と訓練が絶えまなく強化されていくとともに、長いあいだには純粋な遊びの内容がそこから失われていくのである。このことは、プロの競技者とアマチュア愛好家の分離のなかにあらわれている。遊びがもはや遊びではなくなっている人々、能力では高いものをもちながらその地位では真に遊ぶ人間の下に位置させられる人々(プロ遊戯者)が区別されてしまうのだ。これら職業遊戯者のあり方には、もはや真の遊びの精神はない。そこには自然なもの、気楽な感じが欠けている。こうして現代社会では、スポーツがしだいに純粋の遊び領域から遠去ってゆき、「それ自体の sui generis 」一要素となっている。つまり、それはもはや遊びではないし、それでいて真面目でもないのだ。」(P.399)
「スポーツは完全に奉献性なきものと化し、また、たとえ政府権力によってその実施が指示された場合でさえも、もう何ら社会の構造と有機的な繋がりをもたないものになってしまった。それは、なにか実りを生む共同社会の精神の一因子というより、むしろただ闘技的本能だけの、孤立的な表れなのだ。」(P.400)
「どれほど遊戯者、観衆にとって意義あるものだとしても、それは一つの不毛な機能であることに変わりはない。」(P.400)
「遊びはあまりにも真面目になりすぎた。遊びの雰囲気は、多かれ少なかれ、そこから逃れ去ってしまったのだ。」(P.400)
スポーツとしての非体育的な遊び
(P.401)__賭け、偶然の遊び
「真に遊ぶためには人はふたたび子供にかえらねばならない。このことは、ブリッジのような精緻をきわめた遊びに没頭する場合にも主張できるだろうか。もしそうでないとすれば、そこには遊びの最も本質的な特性が欠けている、ということなのである。」(P.402)__Nota Bene !!
現代職業生活における遊び的なもの
「商業的競争は、太古以来の根源的な、聖なる遊びに属するものではない。それは、商業が他人を凌駕し、隣人をだしぬこうと努力しなければならない活動分野を作りはじめたとき、初めて現れたものだ。」(P.404)__出し抜く必要性はどこから?
「今日行われている意味での記録という言葉は、もとはといえば、その昔、宿にまっさきに到着した騎士、巡礼者が、その成果を宿の梁に刻んで記念とした覚書を指した言葉である。」(P.404)
現代芸術における遊び的なもの
「と同時に、独創性を求める痙攣的な欲望が、創造に対する主だった動機となる。これは、そのときそのときにおいて新奇なもの、前代未聞のものに対して不断に欲求を燃やすことだが、これが芸術を印象主義の坂道へ引きずり下ろし、二十世紀のなかで体験されるさまざまの奇形のなかへ追いおとすのだ。芸術は科学よりも、現代の工業生産過程のなかにある有害な因子から影響をこうむりやすいものである。機械化、広告、センセーションの追求は、いよいよ直接に市場を目標として、さまざまの技術手段を用いて行われるから、芸術に対してははるかに大きな危害を加えることができるのである。」(P.408)
「芸術は自らを社会に対して大きな恵みを与えるもの、と確信をもって知ることができるようになったために、そこから永遠の幼児性といったものが滅び去ってしまったのだ。」(P.409)
「しかしいかなる秘教主義にも、その基にはある協定がある。そういう協定に基づいて秘義を授かったわれわれは、これらのことをかく受け取り、かく理解し、かく賛美することができるようになるのである。秘教主義はその神秘の奥に己を没し去る一つの遊びの共同体を要求するのだ。」(P.409)
現代科学の遊びの内容
「遊びは時間と結びついており、時間とともに流れてゆく。そしてそれ自身を目的としている。それは、日常生活のさまざまの要求の外に出て味わう快い休息なのだという意識の上に乗っている。それらの点は何ひとつとして科学については当てはまるものではない。」(P.411)
「ところが遊びの規則には、嘘だとか真実だとかいうことはありえない。それが変更されるということはあるだろう。しかしそれも、誤りを正すということとは違う。」(P.411)
小児病
「これに属するものには、たとえば、たやすく満足は得られても、けっしてそれで飽和してしまうということのない、つまらぬ気晴らしを求めたがる欲望、粗野なセンセーションの追求、巨大な見せ物に対する喜び、などがある。」(P.414)
「心理的にさらに深いところに基礎をおいた特質で、これまた同様に小児病と名づけることによ(FF)って最もよく把握することができるものには、ユーモア感覚が欠如していること、反感を秘めた言葉に対して、いや、ときには愛情をこめた言葉に対しても、誇張的な反応の仕方をすること、物事にたちまち同意してしまうこと、「他人」に悪意ある意図や動機があったのだろうと邪推して、それを押しつけてしまうこと、「他人」の思想に寛容でないこと、褒めたり、非難したりするとき、途方もなく誇大化すること、自己愛や集団意識に媚びるイリュージョンにとり憑かれやすいこと、などがある。」(P.415)
「遊んでいる子供はけっして子供っぽくない。子供っぽくなるのは、遊びが子供を退屈させたときとか、どうやって遊んだらよいのかわからなくなったときに、初めてそうなるのだ。」(P.417)
政治の遊びの内容
「合衆国の二大政党のあいだにどういう政治的立場の違いがあるのか、これは局外者にはほとんど弁別しかねるのだが、この二大政党制度が二つの遊びの性格を帯びるようになるはるか以前から、早くもアメリカの選挙運動は、大規模な国民的な遊びという形を完全にとっていた。」(P.419)
国際政治における遊び的なもの
「要するに、古代はつねに戦争は高貴な遊びであるとする考え方があり、戦争規則(戦時慣例)は絶対的義務であるという思想も、その大部分がそういう考えの上に成り立っていたが、これはいまからほど遠からぬ過去までは、現代ヨーロッパの戦争のなかにまだすっかり滅び去ることもなく流れていた考えであった。」(P.422)
現代戦による競技の要因
「しかし、われわれがようやくにしてつかんだ確信は、文化は高貴な遊びというもののなかにその基礎があるということであり、文化が様式と尊厳を最高にふるいうるためには、そこに遊びの内容がなければならないということであった。」(P.424)
「法律と倫理的規範の客観的価値を否定するものは、遊びと真面目の境界を、けっして見いだすことができないだろう。」(P.426)
「真の文化は何らかの遊びの内容をもたずには存続してゆくことができない。それは、文化がある種の自制と克己を前提とするものだからである。それは、自分ひとりの目的、意思を究極最高のものと見なしたりすることのない能力であり、要するに、文化とは自ら自発的に承認した一定の限界のなかに成り立つものなのだと理解することのできる能力である。」(P.426)
「遊び破り(スポイル・スポート)は文化そのものを犯しているのである。」(P.426)
「今日、あらゆる人生の分野をその手中に収めようと狙っている宣伝機関は、ヒステリックな大衆反応を狙った手段を弄んでいる。それは好んで遊びの形式をとってはいるが、それをけっして遊びの精神の現代的表現と見てはならない。それは、そのまがいものなのである。」(P.427)
遊びの要素は不可欠であるということ
「遊びー真面目、この概念の永遠の回転のなかで、その精神のめくるめくのを感ずる者も、論理(FF)的なもののなかには見つけ出すことのできなかった支えを、倫理的なもののなかにふたたび見いだすのである。遊びそのものは道徳的規範の領域の外にある、とわれわれは冒頭で述べた。それ自体は善でもなければ悪でもないのである。」(P.430−431)
「道徳的意識というものは、正義と慈悲を認識することの上に基づいているのだが、そういう道徳的意識のなかでは、それがいかなるものであるにもせよ、ついに最後まで解きえない、これが遊びなのかそれとも真面目なのかという問題も、永遠の沈黙に入ってゆくのである。」(P.431)
解説
『中世の秋』1919
『ホモ・ルーデンス』1937
(ホイジンガ)「思想に国民性がなければ、表現方法だって同じことです。問題をヨーロッパより広い範囲に広げれば、あなたも是認されましょう。古代インドはわれわれのそれとは根本的に異なった基(FF)本概念(たとえば、真善美のどれとはまったく別個の系統づけによるもろもろのカテゴリー)を発展させたという事実を思いだしてください。」(P.466-467)
「「歴史」と「人間」を統一しようという巨視的な眼識がはたらいて、それが既知のものや未知のものの間に思いもよらぬ関連を感じ取る直感力に接近してくるからにほかならない。」(P.472)
(ホイジンガ)「この競争の文化生活に対する意味を過大評価してはならないということは、私は拙著『ホモ・ルーデンス』のなかで、同じように強調して主張しておいた。」(P.473)
「この遊び・真面目の相互転換という基本式が、いっさいの概念的思考を排除することを欲したホイジンガのただ一つの図式だったのであり、『ホモ・ルーデンス』にいたるまでの彼の歴史学上の多面的な業績も、最後に到達したこの基本式によって、はじめて完成したのである。」(P.475)
昭和四十八年七月 高橋英夫