価値

価値

最近、漢字音読み二文字の単語が非常に気になります(笑)。

その後イリイチは、諸価値ということばは、商品とは不可避的に稀少なものであるという経済学的な想定を色濃く反映したことばであると考えるようになった。(デイヴィッド・ケイリー編『生きる意味』P.434、注)

気になったときは『精選版 日本国語大辞典』です。

か‐ち【価値】〘名〙
物事のもっている値うち。あたい。かちょく。〔英和記簿法字類(1878)〕
吾輩は猫である(1905‐06)〈夏目漱石〉三「研究する価値があると見えますな」
人間の基本的な欲求意志関心対象となる性質。真、善、美、聖など。
③ ある目的に有用な事物の性質。使用の目的に有用なものを使用価値交換の目的に有用なものを交換価値という。

わからないけど、漢籍からの引用がないところを見ると比較的新しい単語、または翻訳語でしょうね。

『新明解語源辞典』によると、

中国では古く「ねだん・ねうち」の意味で「価直(かちょく)」という語が使われていた。「価直」は日本でも使われ『続日本紀』(天平元年一月)に例がある。明治になると近世中国語の影響で「価値」という形の語が使われるようになる。ロブシャイトの『英華字典』には、 value の訳として「価値」を当ててある。「価値」が value の訳語として定着するのは明治後期で、『哲学字彙』でも三版になってから「価値」が当てられるようになる。

天平元年は729年です。「価」も「値」も「あたい」という意味です。どちらかと言うと「価」は、商品の値段に使われるような気がしますが、「値段」という言葉もあります。「値段」がどこからきたのかはわかりません。

「 value 」は

語源

From Middle English valew, value, from Old French value, feminine past participle of valoir, from Latin valēre (“be strong, be worth”), from Proto-Italic *walēō, from Proto-Indo-European *h₂welh₁- (“to be strong”).(Weblio

ドイツ語では「 Wert 」。マルクスがどっかで、「ドイツ語には Wert しかないけど、英語には value と worth があっていいなあ」と言っていた気がするけど、確認できませんでした。エンゲルスが

英語には、労働のこの二つの違った面を表すのに二つの違った言葉をもっているという長所がある。使用価値をつくるものであって質的に規定されている労働は、work と呼ばれて、labour に対置され、価値をつくるものであってただ量的に計られるだけの労働は、labour とよばれて work に対置される。(『資本論』第一巻、S63、大月 P.64)

と言っているのを勘違いしていたのかもしれません。ちなみに「worth」には語源が二つ書いてありました。

語源 1

From Middle English worth, from 古期英語 weorþ, from Proto-Germanic *werþaz (“worthy, valuable”); from Proto-Indo-European *wert-.
Cognate with Dutch waard (adjective), Low German weert (adjective), German wert, Wert, Swedish rd, Welsh gwerth, Ukrainian вартість (vartistʹ).

語源 2

From Middle English worthen, wurthen, werthen (“to be; exist; come into being; come into existence”), from 古期英語 weorþan (“to come into being; be made; become; arise; be”), from Proto-West Germanic *werþan, from Proto-Germanic *werþaną (“to come about; happen; come into being; become”), from Proto-Indo-European *wert- (“to turn; turn out”).
Cognate with Dutch worden, Low German warrn, German werden, Old Norse verða (Norwegian verta, Swedish varda), Latin vertere.

value はラテン系、worth はゲルマン系なんですね。英語っぽいことです。labor と work の関係と似ている気がしますが、未確認。

『資本論』を読んでいたころからわからなかったのが、「価値」ということばです。とくに、「商品の二つの要因 使用価値と価値(価値実体 価値量)」で、「交換価値」がいつの間にか「価値」と変わるところです。論述上、価値形態なども含んだ大きな概念で「価値」といっているのかもしれません。使用価値は、

われわれが考察しようとする社会形態にあっては、それは同時に素材的な担い手となっている  交換価値の。(第一巻、S.50、大月 P.49)

こういう書き方は、「使用価値というのはいつの時代にも、どんな社会にもある。それが、商品生産社会では交換価値の素材的な担い手となっている」というふうに読めます。リンゴにはいつの時代にも「食べる(食べられる)」などの使用価値がある、というように。

これらのいろいろな面と、したがってまた物( dinge )のさまざまな使用方法を発見することは、歴史的な行為である。(同、P.48)

マルクスの発想は、アリストテレス以来の伝統に連なっています。

さて、われわれが所有している物の何れにも二つの用がある。そしてその両者ともに、物そのものに即している、しかし物そのものに即していると言っても同じような仕方ではない。何故なら、一方の用は物に固有のものだが、他方の用は固有でないから、例えば、靴には靴としてはくという用と交換品としての用とがある。(アリストテレス『政治学』1957a、岩波文庫 P.51)

この「用」を「価値」に置き換えると、使用価値と交換価値ということになります。もう少し先を読んでみましょう。

しかし、それは固有の用い方ではない。何故なら靴というものが存在するにいたったのは交換のためではないからである。他の所有物(クテーマ)についても同じことが言える。何故なら凡てのものが交換術(メタブレーチケー)の対象となるからである。そしてこの術は最初には自然に合致した事情から、すなわち人間たちがあるものは充分以上にもち、あるものは充分以下にもっているという事情から起こったものである。ここからしてまた商人術(カペーリケー)は取財術に自然によって属するものでないということも明らかである。何故なら、もしそうだとしたら、その術を用いる人々は自分たちにとって充分であるだけのものを得るためにのみ交換をなしたに違いなかろうから。(同、P.52)

「クテーマ κτῆμα 」は「家畜」、「 κτῆσις (クテーシス)」は所有という意味。「メタブレーチケー」はわかりません(「 μετά (メタ)」は変化、差異性、あと、越えるなどの意)。「商人術 καπηλική 」は「小売業」。

私は当時のギリシャの経済状況をよく知りませんが、このあと貨幣が出てきますし、商人も出てきますから、商業があったということです。商人は「余ったものを売って足りないものを買う」のではない、と言っていますから、商品はあったけれども、「売るためにものを作る」つまり「商品をつくる」ことは、それほど「自然(当たり前)」ではなかったということでしょう。ただ、「足りない人」と「余っている人」がいることが、交換の原因だということです。

それ以前から、金(きん)やダイヤモンドは「価値があった」と思います。でも、それは「有用性」とは違います。それらが装飾以外に使われたのでしょうか。それらが価値があったのは、「錆びない」性質や「硬さ」のせいではなく、「稀少だったから」ではないでしょうか。ギリシャ神話のミダース( Μίδας )王の話は印象的です。彼は触るものすべてを金(きん)に変える能力を得ますが、金は飲むことも食べることもできません(その後ミダース王は「ロバの耳」になりますw)。

使用価値がもともとあって、商業が使用価値を価値の担い手とする、ということではないと思います。商業(交換)で「価値」が生まれた時、ひるがえって、それを担うものとして、使用価値が考えられたのではないでしょうか。リンゴが食べられる事自体は「使用価値」や「価値」と呼ぶ必要はないでしょう。商品を売るために、それに価値があると言わざるをえなかった、つまり、アリストテレスの言う「商人術」の一つです。価値という言葉はもともと「商品(商業)」の雰囲気を背負っているのです。

そして、価値は「足りないもの」から生じます。足りなくても必要がなければそれまでのことですから、それは「必要だけど足りないもの」であり、それを求める「欲望(渇望、 desire )」が生じます。何かを求めること(欲望)が、何かを稀少性にし、それに価値を見つけます。商品社会では、商品に価値をつけ、稀少にする(差異化する)ことによって、そのものにたいする欲望が生じます。稀少性、つまり欲望を生み出し続ける社会が商品社会(資本主義社会)です。「子供の時欲しかった、白い靴。母にねだり手に入れた、白い靴」(井上陽水『限りないもの、それが欲望』、母は白い靴を作ったのではなく、「商品」である靴を買ったのでしょう。子供の僕はただ靴を欲しがっただけかもしれませんが、その欲望は「商品(あるいは貨幣)」に代わってしまいます。でも、その子供は「10足、100足」欲しがったのでしょうか。多分違います。使用価値としての靴は「一足」でしょう。人間の欲望が「限りないもの」だというのは、商品社会が生み出したものです。

それ故に、この点からすれば、富には凡て限りがなくてはならぬように見える、しかし実際においてわれわれが見いだすのはまるでその反対の事実である。(『政治学』1257b、P.54)

私には「人間の価値」「命の価値」などというのはなんかしっくりしません。それは「無限大」なのでしょうか。そものもそれは使用価値なのでしょうか。交換価値ではないでしょうね。「人間」や「命」を対象化し、それを数値化して比較してしまう、そういう傾向が主流の社会に私は生きています。

同じようなことが「意味」という単語にも言えるのではないでしょうか。

「意味」の意味・読み・例文・類語

い‐み【意味】〘名〙
① (━する) 物事の、深みのある趣。含蓄のある味。また、それを味わうこと。
※艸山集(1674)二一・遊向陽寮以戸庭無塵雑虚室有余閑賦詩得閑字・四「半畝荒園疎二野菜一、只無三意味敵二清閑一」
※随筆・麓の色(1768)四「所詮家暮(やぼ)なる内にはやく遊を止て、〈略〉されば此里に来ぬが通者なりといひけん金言を意味すべし」 〔楊載‐敗裘詩〕
② (━する) 言語、作品、行為など、なんらかの表現によって示される内容。また、ある表現が、ある物事の内容を表わし示すこと。
※黄表紙・鸚鵡返文武二道(1789)「人を木馬にしてのればたがいにそのいみをのみこむ事はやしとて」
※海に生くる人々(1926)〈葉山嘉樹〉一三「その金を受取ることに依って、辞職を意味するなんて」
③ 言語、作品、行為など、なんらかの表現によって示される意図・目的。また、表現される動機としてもつ原因、表現の背後にある理由。
※爺(1903)〈島崎藤村〉「医学生の群は互に顔を見合せて、意味もなく笑ひました」
※青年(1910‐11)〈森鴎外〉二四「いや、廃(よ)さう。さうしては、なんだか意味(イミ)があるやうで可笑(をか)しい」
④ 物事が他との関係において持っている価値・重要性。「意味のある仕事」
※号外(1906)〈国木田独歩〉「『露西亜(ロシヤ)征伐』に於て初て彼は生活の意味(イミ)を得た〈略〉」
精選版 日本国語大辞典

「人生の意味」「存在意義」「存在理由」、そんなものはないんだろうと思います。でも、なんか自分の生に「意味(意義・理由)」を見つけたい、そう思ってしまいます。それは「私」というものが「稀少」だと思うからです。一つしかない、取り換えが利かない、唯一の貴重な存在としての自分(そしてそれを脅かすのは「他の自分」、つまり「他者」です)。

僕はやがて年を取り死んでゆく

僕はそれをあたりまえと思ってる

それでも僕は、どうせ死ぬなら天国へ(『限りないもの、それが欲望』)

ところが、欲望はそれで収まりません。それは『人生が二度あれば』(井上陽水)となります。

学校( school )は、「閑暇( σχολή )」から「義務(教育)」になりました。健康も「欲望」から「義務」になりつつあります(なっています)。「知ること(知識、学問、科学)」は「学校・医療機関」が独占し、稀少性となりました。そして、それらを求めることが「欲望(渇望)」であり「義務」となっています。まさしくそれらが稀少性となり、独占されているが故に、その欲望(義務)は満たされることがないのです。満たされることがないが故に、欲望は「無限」であるかのように見えるのです。

いくら知識を得ても、「人生の意味」「人生(人間)の価値」など見つからないことはわかっています。そんなものは「はじめからない」からです。

ともかく、われわれは必要欠くべからざるものではない取財術について、それが何であるか、そしていかなる原因によってわれわれはそれを必要とするに至っているか、ということが述べられた。そうして必要欠くべからざる取財術についても、それは他の取財術とは別のものであって、家政術に本性上属し、食料に関するものであり、前者のように無限ではなくて限界を持つものであるということが述べられた。(『政治学』1258a、P.55-56)

アリストテレスは納得したのでしょうか。私は、本を読むのが苦痛です。「知ること」は好きですが、それが「学校教育」で「義務」となったつらい経験があるからです。欲望が「義務」となり「苦痛」となる社会、それが「私」にとってだけ「苦痛な社会」であるなら、私が存在しなくなればそれでいいのでしょうが。





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