
見つけちゃったんです。『マトリックス』の新作。もう4年前の作品ですけど、知りませんでした。それもキアヌ・リーブスが主演で、トリニティー役はキャリー=アン・モスがそのままやるって、すごいじゃないですか。
監督のラナ・ウォシャウスキーは、別名ラリー・ウォシャウスキー。1作目から弟と一緒に監督をしています。それでもタッチが変わったのは、主演二人が18歳齢を取っていることもあるのでしょう。
回想シーン、つまり1作から3作のシーンが結構あります。で、私はその場面を瞬時に思い出すことができませんでした。なんせ夢中になっていたのは20年前ですからね。
今、村上春樹を読み直していますが、『街とその不確かな壁』を読んだときの既視感が、『世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド』を読み直して「ああ、これだったんだ」と分かったのと似ています。
それで、1,2,3作も見直しました。
無職のひきこもり老人は、そんなことも簡単にできてしまいます。なんせ、時間だけは自由ですから。
まず、あらためて単語の意味を。
Matrix
(ものを生み出す)母体、基盤、発生源、鋳型、(活字鋳造の)字母、母型、(レコード複製のための)原盤、母岩、石基、行列
【語源】
ラテン語「子宮,母体」の意
印欧語根
māter- 母を表す(motherなど)。material, matterの由来として、木の幹。
(Weblio)
「matrix」の語源・由来
「matrix」という言葉は、ラテン語で「妊娠した動物」「子宮」を意味する「matrix」に由来する。このラテン語は、子供に栄養を与える雌の動物を指す言葉としても使われ、ひいては乳を出す牛のように、栄養源となるものすべてを意味するようになった。16世紀初頭、「matrix」は「子宮」の意味を持つ英語として取り入れられた。やがて、何かが形成されたり発展したりする環境全般を指すようになり、数学やコンピュータサイエンスなどの分野では、行列という意味で使われるようになった。(Weblio)
ラテン語 mater から来てるんですね。英語の発音は「メイトリクス」。一般的な言葉というより、学術用語のようです。数学やコンピュータをやっている人は知っていただろうけど、この映画で一般的になった気がします。
reloaded
「reloaded」は英語の単語で、再度装填する、再びロードするという意味を持つ。主に、銃弾やソフトウェアのデータなどを再度装填・ロードする行為を指す。例えば、銃弾が尽きた銃に新たに弾を装填する行為や、一度読み込んだウェブページやソフトウェアを再度読み込む行為を「reloaded」と表現する。(Weblio)
これは今ではだれでもやったことがある(やらざるを得なくなる)ことです。
revolutions
revolutionの複数形。(政治上の)革命(Weblio)
どうして複数形なのかはわかりません。
resurrection
復活、復興、再流行、キリストの復活、(最後の審判日における)全人類の復活(Weblio)
どうして複数形なのかはわかりません。きっと、Neo の復活と、ザイオンに住む人類の復活を掛けているのでしょう。
弾を避けるときの360°撮影とワイヤーアクション。今では当たり前ですが、当時は新鮮でした。それはもう第1作目で完成していたと言えると思います。同じように丁寧にやればいまでも完成度の高い作品ができるのでしょうが、いまではコンピューター補完(補正)を行ったりして経費を節減しているようで、「新しいからできがいい」というものではないと感じています。
アクションシーンも、カーチェイスシーンもしっかりしていて、あくまでも「カメラ」「レンズ」というものにこだわる感じが素敵です。
コンピューターに支配される人間、コンピューター( AI )の反乱というのは、よくある主題です。『ターミネーター』では、現実世界でコンピュータと人間が戦うのですが、『マトリックス』では、現実世界と仮想世界で戦います。現実世界での戦いをネオは仮想世界で救うわけです。
擬人化したコンピューター用語が面白いのですが、当時分かる人がどれくらいいたのでしょうか。それぞれが人間臭くて、裏切ったり、根に持ったり、味方を装っていたり、いろんな事情があったり、ドラマとしてもとても面白いです。
第一作目がそれ自体でまとまっていたので、大ヒットした結果、二作目、三作目と作ることになった感じがします。第二作目は、恋愛要素やベッドシーンを加えてちょっと趣を変えていますが、評価の分かれるところだと思います。
第三作目は、全体の締めくくりのはずでした。そういう意図で作られたと思います。ただ、第一作目で一応の決着をつけていたので、二作目を踏まえた別の結論が必要となりました。最後のシーンは『風の谷のナウシカ』(1984年)そのものです。スタッフは当然頭に浮かんでいたはずです。
村上春樹の作品に多くあるように、『マトリックス』も二つの世界をいったり来たりします。マトリックスが作り出した世界と、「現実の世界」です。違いは、二つの世界が収束するか、拡散するかです。いちばん簡単な終わり方は、どちらかの世界を滅ぼしてしまえばいいのです。正義(善)と悪の世界として描きたい近代キリスト文化では、正義が悪を滅ぼして終わります。日本でいう「勧善懲悪」に近いものです。悪が善を滅ぼしてしまっては希望がありません。視聴者のほとんどは「自分は善の側の人間だ」と思っているわけですから。『スター・ウォーズ』では、帝国が勝利しても「希望はある」として次のエピソードが続きます。連続ものがかならず使う方法です。また、正義が勝利しても「悪の種」を残すものも多くあります。善の側で見ている人の心のなかにも悪はありますから、それが「人類社会の必然」のように思えてしまいます。
『ターミネーター』や『マトリックス』を観たからといって、「コンピューター社会をやめよう」ということにならないところが味噌なのです。
村上作品は「善悪」の対決ではありません。だから、どちらかがどちらかを滅ぼすという展開にはなりません。それはむしろ「自分自身との戦い」です。明治以降日本に流入してきた「自我(エゴ)」に対する反応です。ですから、それはとても近代的です。「赤いカプセルを飲むか青いカプセルを飲むか」は「善(現実)を選ぶか悪(虚構)」を選ぶかの選択ですが、村上作品での選択はそんな単純なものではありません。むしろ主人公は「選択」をすることなく、そういう状況に陥ります。主人公は、選択をするというよりはその状況の中で「葛藤」「苦悩」するのです。それは「正義(善)」のための「戦い(葛藤)」とは程遠いものです。
村上自身が意識しているかどうかはわかりませんが、その選択(葛藤)は「西欧的なもの」と「日本的なもの」、あるいは「キリスト教的なもの」と「仏教的なもの」との葛藤です。どちらかが「正」しくてどちらかが「誤」っているというようなものではありません。西欧的(キリスト教的)には考えにくいものです。このような「二分法」を古来からずっと批判していたにもかかわらず、です。どんなに批判しても、西欧には自己と他者、主体と客体が、主語と述語として存在し続けるからです。それがキリスト教的に「善と悪」になってしまうと、「自分(自分たち)が善、他者(あいつら)が悪」に簡単に転化してしまいます。
これは「ここ(此処、此方、此岸、here )」と「あそこ(彼処、彼方、彼岸、there )」の関係として、どの文化にもあるでしょう。ただ、話し手(一人称)と聞き手(二人称)と対象(三人称)との関係は「善・悪」「ここ・あそこ」同様に文化によって異なります(「時間」も同様です)。日本語は主語=述語という関係が明確ではありません。もちろん日本語にも主語や述語に相当する言葉はあります。でも、その関係は「話されていること」に強く依存します。日本語においては、話し手も聞き手もその「話されていること」の中に深く身を起きます。それを「見ている」というより、「その中にいる」ということです。「その懐に入る」と表現してもいいかもしれません。それは「共感」や「同情」などとも違います。その中に入らなければその話を聞けないのです。その中では「私」や「あなた」は溶解しています(それが直接「イメージ」になるわけではありません)。「ことばが通じる」ということはそういうことなのかもしれません。
西欧においては、「その中」にいても、どっか「それを見ている自分」というものが強い気がします。日本人はその中から「戻ってきて」から「選択」しなければなりませんが、西欧人は「その中」で「選択」することに慣れているのです。「その中」でも自分がいるからです。
『マトリックス』では、「その中」で戦いが始まります。村上作品はむしろ、「その中で戦うことは可能か」と問うているように思います。つまり、まずは「その中に自分を保つことは可能か」という問いであり、その上で「その中の自分は戦うことが可能か」ということです。『マトリックス』はどちらも「イェス」でそれが前提になっています。村上作品は、「戦う以前の自分の存在」を問うています。それは「アイデンティティ」であったり「心(こころ)」であったりするわけです。夏目漱石もそれを問いましたが、彼の「則天去私」の「私」は「アイデンティティ」ではありません。それこそが夏目漱石をロンドンで神経衰弱に陥れたものです。村上春樹は戦後生まれで、戦後民主主義という西洋教育と、英語というアイデンティティの語学教育を受けてきましたから、「私(村上作品では「僕」)」のアイデンティティ性はずっと高いので、その「アイデンティティ」と「心」を併存させようと主人公は葛藤するのです。それを両立(統一)したいと主人公は願うのですが、それは可能なんでしょうか。
村上作品に度々登場する「壁」が「自我の壁(鎧)」であることは間違いありません。日本人にとってはそれは「心の壁」であり「超自我」であり「社会」でもあります。フロイトの理論は西欧近代の自我を前提としたものですから、日本には当てはまらないのです。日本人にとって、その壁は「無意識への通路」を秘めたものでもあります。急激にできた日本人の「自我」には上も下も右も左もありません。
西洋では、近代になって通りへと開かれていた城や家の扉が閉じられて、内側と外側ができました。日本でその扉が閉じられたのは明治以降、特に戦後です。トイレも風呂も密閉空間になり、個人が「自分の部屋」をもつことが「普通」になったのも戦後のことです(覗きや盗撮の意味が変わり、その重要性と犯罪性が高まります)。
それでも(それだからこそ?)村上春樹は「壁」にこだわります。壁は段々と強くなり、自由自在(フレキシブル)に変形して、その理解から逃れようとします。
村上春樹は「壁」を捉えられるのでしょうか。
ちょっと理由があって、村上春樹論になってしまいました。
4作目を観直そう、っと。
[スタッフ・キャスト等]
マトリックス 1999アメリカ 監督:アンディ・ウォシャウスキー 他 出演:キアヌ・リーヴス、ローレンス・フィッシュバーン、キャリー=アン・モス ほか 原題:THE MATRIX
マトリックス リローデッド 2003アメリカ 監督:アンディ・ウォシャウスキー 他 出演:キアヌ・リーヴス、ローレンス・フィッシュバーン、キャリー=アン・モス ほか 原題:THE MATRIX RELOADED
マトリックス レボリューションズ 2003アメリカ 監督:アンディ・ウォシャウスキー 他 出演:キアヌ・リーヴス、ローレンス・フィッシュバーン、キャリー=アン・モス ほか 原題:THE MATRIX REVOLUTIONS
マトリックス レザレクションズ 2021アメリカ 監督:ラナ・ウォシャウスキー 出演:キアヌ・リーヴス、キャリー=アン・モス、ヤーヤ・アブドゥル=マティーン二世 ほか 原題:THE MATRIX RESURRECTIONS
映像世界に革命をもたらした画期的な撮影手法が見せた独創的でスタイリッシュなアクションとその斬新かつ奥深い世界観が衝撃を与えた「マトリックス」の続編。ついにコンピュータに発見されてしまった人類最後の都市ザイオンの危機を救うため、ネオたちは再びマトリックス世界へと侵入する。監督は引き続きアンディ&ラリーのウォシャウスキー兄弟。オリジナルキャストに加え、「マレーナ」のモニカ・ベルッチが新たなキャラクターとして登場。本作「リローデッド」と第3弾「レボリューションズ」の2本の続編が5ヵ月の間を置いて連続公開されることでも話題に。
自分が暮らしていた世界が実はコンピュータが作り出した仮想現実の世界と知り、モーフィアス率いるゲリラ集団に加わり、やがて人類の救世主として覚醒したネオ。コンピュータの支配から人類を解放するための闘いを続けるネオとその仲間たちだったが、ある時ついに人類最後の都市ザイオンの位置がコンピュータに特定されてしまう。ザイオンを救うためには、マトリックスの全ての入り口にアクセスできるという人物“キー・メーカー”の存在が不可欠だった。そこでネオとトリニティー、モーフィアスは彼を求めて再びマトリックス世界へと足を踏み入れるのだったが…。
かつてない斬新な映像とプロットで全世界を席巻したSFハイパー・アクション第3弾にしてシリーズ完結編。様々な謎を残したまま、人類最後の都市ザイオンを死守する反乱軍と仮想現実マトリックスを支配する人工知能の最終決戦が繰り広げられる。2003年11月5日に異例の世界同日同時刻公開を敢行。
昏睡状態に陥り、現実世界と仮想世界の間を彷徨っていたネオ。仲間の助力で現実に戻ってきた彼は、ある決心を固め、トリニティーと2人だけで敵の中枢に向かう。一方、人工知能側は、ザイオンを壊滅させるため、センティネルズの大群で猛攻を仕掛けた。迎え撃つ反乱軍は、圧倒的に不利ながらも、モーフィアスたちの確固とした信念のもとに死闘を展開する。そんな中、エージェント・スミスは、人工知能も制御できないほどのパワーを増幅、完全にプログラムから独立し、人類の命運を賭けるネオとの最終決戦に備えていた…。
キアヌ・リーヴスの代表作にして、世界的に社会現象を巻き起こした傑作SFアクション「マトリックス」シリーズの18年ぶりとなる待望の第4弾。キアヌ・リーヴスとキャリー=アン・モスが再びタッグを組み、ネオとトリニティーの新たな物語を描き出す。共演はヤーヤ・アブドゥル=マティーン二世、ジェシカ・ヘンウィック、ジョナサン・グロフ、ジェイダ・ピンケット=スミス。監督は過去3作すべてを手掛け、本作がシリーズ初の単独監督作となるラナ・ウォシャウスキー。AIが作り出した仮想世界“マトリックス”に支配されていることを知らずに生活していたネオはやがて覚醒し、“マトリックス”に囚われているトリニティーと人類を救い出すために、新たな戦いへと身を投じていく。



