まえがき
「したがって、本書は、最初から順序よく読んでもらってもよし、もしも、漢文や書き下しの(FF)部分を読むのがめんどうならば、口語訳の部分だけを適当に拾い読みしてもらってもよし、特に重要な自行と語法については、数箇所に分けて、まとめてあるから、そこだけ読んでもらっても、実力の向上に十分役立つに違いない。」(P.1-2)
第一部
珍文漢文
高校生の受験勉強向き
名前と号
号は漱石、本名は金之助
〈漢文〉〈書き下し文〉〈口語訳(現代語訳)〉
字(あざな)と仇名(あだな)
二十ヲ曰レ弱、冠ス
「字とは男子が青年(二十歳)になったときに本名のほかにつける別名なのだ。」(P.15)
石に漱(くちすす)ぐ
耳を洗う
重要事項と語法のまとめ
名 生まれたときにつける本名。
字 本名とは別につけるもの。普通は他人を呼ぶときに用いる。
号 名・字以外の別名。
他に、諱(名の正式な呼び方)、諡(死後に贈る称号)などがある。
当は〈再読文字〉で、(まさに・・・べし)のように、まず、副詞的に読み、返読してから、助動詞的に読む。
未(いまだ・・・ず)まだ・・・ない(否定)
応(まさに・・・べし)当然・・・べきだ、きっと・・・だ(当然、推量)
宜(よろしく・・・べし)・・・がよい、・・・が適当だ(勧告、適当)
須(すべからく・・・べし)・・・が必要だ、ぜひ・・・(し)たい(必要、意志)
将=且(まさに・・・す)・・・しそうである、・・・しようと思う(推量、意志)
猶=由(なお・・・ごとし)ちょうど・・・と同じだ(比況)
盍=何不(なんぞ・・・ざる)どうして・・・ないのか(反語の勧告)
書き下し文 訓読〈返り点・送り仮名に従って読むこと〉した通りに、漢字と仮名まじりの文語体の文章として、書き記すこと。
曰 口から言葉を発していふ。
謂 相手に向かっていふ。
言・道 内容のある事柄をいふ。
云 人の言葉を伝えていふ。
可 可能(・・・できる)、(・・・して)よろしい
能 能力によってできる。
得 機会をとらえてできる。
可 状況から判断してできる。
すなわち
則 ・・・レバ則チとよみ、条件と結果を示す。
・・ハ則チと読み、強意を示す。
即 すぐに
乃 そこで・やっと
便 簡単に・すぐに
輒 そのたびごとに・たやすく
第二部
パチンコ屋の宣伝
閑人免進
日本語 中国語
自動車 汽車
汽車 火車
自転車 自行車
新聞 報
ニュース 新聞
句読に苦闘する
「白文」返点も空白も句読点もない
「「白文」を句読点で区切ることを「句読を切る」というが、句読を切りながら読むことは教養人としての条件であったというわけだ。」(P.38)
陶淵明『桃花源ノ記』桃源郷
「理屈はさておき、有・無・多・少、などの語が述語として用いられているときは、それらの語の前に置かれる語句は、場所(あるいは場所的感覚)を示す働きをし、後に置かれる部分は(意味上の)主語のような働きをするということだ。」(P.44)
返読は変読か
「なお、「句読点」や「返り点」「送り仮名」を訓点といい、訓点に従って読むのを訓読ということにもまた注意しておきたい。」(P.57)
干宝『捜神記』李夫人
重要事項と語法のまとめ
「復・又・亦は、いずれも「亦」と読むが「復」は〈ふたたび・もう一度〉の意味であり、「亦」は〈その上・加えて〉、「亦」は〈・・・もまた〉の意味である。」(P.63)
「代名詞の送り仮名 「ガ・ノ・レ」を必要とするものは、そのまま、「ガ・ノ・レ」と送り、「レヲ」を必要とするときは、「ヲ」だけ送り、「かクノ」と読む場合には「クノ」の部分を送る。」(P.65)
不復出焉(まだいでず、部分否定)二度とふたたび出なかった
復不出焉(またいでず、全否定)読み同じ、前にも、後にも、まったく出なかった
必ズ不レ行カ 必ず行かず 絶対に行かない
不二必ズシモ行一 必ずしも行かず 絶対に行かないとは限らない
与(與)と而 接続しとしての与(與)は、原則として、体言を接続する働きをする。一方、而は、原則として、用言を接続する働きをする。
なお、而については、順接(しかして、しこうして)や逆接(しかるに、しかれども)に読む場合と、置字として、まったく読まない場合とがあるが、
崩(天子の死)・薨(諸侯の死)・卒(卿や大夫の死)・不禄(士の死)・死(庶民の死)
后(天子の妻)・夫人(諸侯の妻)・孺人(大夫の妻)・婦人(士の妻)・妻(庶民の妻)
S・V・O・C
オ・ニ・ト・(ヨリ・ヨリモ)でたら返れ
疑問か反語か
唐代伝奇『杜子春伝』
疑問文の場合→訓読の文末を連体形(や・か)に読む。
反語文の場合→訓読の文末をん(や・か)に読む。
屈原『漁夫の辞』
司馬遷『史記』前漢武帝の頃。BC104〜。四面楚歌、鴻門之会
疑問文として〈何如〉が文末に置かれた場合は、〈いかん〉と訓読して、状態・程度・是非・真偽などの意味を表す働きをするのだ。
一方、〈奈何(如何)〉が文末に置かれた場合は、〈いかん〉あるいは、より意味を明確にするために、〈いかんせん〉と訓読して、処置・方法などの意味を表す働きをするのだ。
平仄を合わせる
近体詩、古詩、楽府、排律
重要事項と語法のまとめ
近体詩の特徴
五言→一句の字数が五字
七言→一句の字数が七字
絶句→全四句
各句の名称は、起・承・転・結、である。
五言は、二・四句、七言は一・二・四句の末で押韻する。
押韻は、一韻到底(最後まで、同じ響きの韻を用いる)である。
律詩→全八句(五言・七言の字数は絶句に同じ)
句の名称については、二句を一組とし、全四聯の構成と考えて、最初から、起(首)聯・頷聯・頸聯・尾聯、と名づける。
頷聯(三・四句)と頸聯(五・六句)は対句にならなければならない。
押韻は一韻到底である。
五言詩は、各行とも、二文字目で一息入れて、後の三字を読み、七言詩は、五言詩に二字加えた構成と考えて、二文字目で一息入れて、三文字目と四文字目を続けて読み、次に後の三字を読む。
第三部
竜骨の粉
殷の遺民(国を失った民をいう)
『論語』述而篇、微子篇
『春秋左氏伝』
「宋襄の仁」
『韓非子』
「「殷」とは、もとはといえば、周がつけた呼び名であって、「商」が本来の国名なのだ。商の国の人々が行ったから、「行商」であり、行う人は「商人」であり、行うという行為自体は「商業」であり、「商い」ということになるわけだ。」(P.137)
臥薪嘗胆
蛍雪之功
商と政
呂不韋
夏、殷、周、春秋、戦国、秦、前漢、後漢、三国、晋、南北朝、隋、唐、五代、宋、元、明、清、中華民国、中華人民共和国
『三国志』Ad280~「魏志倭人伝」
「さて、そのころ、秦の国では、太子が死んで、次男の安国君が太子の位についた。太子となった安国君は日ごろ寵愛していた姫(側室)を正夫人とし、華陽夫人とした。華陽夫人には、子供がいなかった。
ところが、このように寵愛される女性がいるかと思うと、反対に、ほとんど寵愛されない女性もいるわけで、夏姫という女性は、安国君との間に子楚(しそ)という子がありながら、まるでかえ(FF)りみられなかった。当然、子楚も、ほとんど問題にされず、趙の国へと人質として送り込まれた。」(P.147-148)
「ちょうど、そのとき、趙の都の邯鄲(かんたん)に商用できていたのが呂不韋である。」(P.148)
「その後、呂不韋は、子楚を世に出し、自分も利益をあげるために、着々と計画を実行する。」(P.152)
「華陽夫人は、すっかり、その気になり、太子の安国君に、子楚の人望が厚いこと、その子楚を自分の子供として、太子の跡継ぎにしてもらえば後々安心であること、などを涙ながらに訴えた。安国君は夫人の願いを聞き入れて、割符を交わして、子楚を跡継ぎにすると固く約束したのである。」(P.154)
「いくら呂不韋から好意を寄せられているといっても、その妾まで所望するとは、甘えすぎも(FF)はなはだしいといいたくもなるが、そこを、ぐっとこらえて、今まで投資した資本を生かすために、子楚のいいなりに、妾を献上したのである。」(P.156-157)
「そうこうするうちに、秦の昭王が亡くなり、太子の安国君が王になり、華陽夫人が王妃となったために、子楚は、たちまち、太子となった。そうなると、趙も子楚の婦人と子供の政とを送り返してきた。
ところが、秦王になった安国君が、一年ほどで亡くなったため、太子の子楚が王位を継承し(FF)た。これが荘襄王である。荘襄王は、早速、呂不韋を丞相(国王を助けて国政全般を掌握する位)に任命した。このあたり、すべてが呂不韋の思うままに動いており、自然の命運までが呂不韋に味方しているかようだ。
すると、何と、こんどは三年ほどして荘襄王が亡くなったために、太子の政が王となった。政は、いうまでもなく、荘襄王の王妃との間にできた呂不韋の実の子だ。」(P.157-158)
「呂不韋を死に追い込んだ、この秦王の政こそ、後の、秦の始皇帝だ。」(P.160)
殷の都「商邑」
完璧
「壁とは、環状で平たく、中央に穴のある宝玉だ。」(P.162)
『韓非子』「和氏」『韓非子』(かんぴし)は、中国戦国時代の法家である韓非の著書。内容は春秋戦国時代の思想・社会の集大成と分析とも言えるものである。
「繆賢(ぼくけん)のこの進言は、自身の体験をもとにしてのものだけに、説得力があった。しかも、その体験は生死がかかったものであり、それをくぐり抜けることができたのは藺相如(りんしょうじょ)のおかげであ(FF)ったのだ。このような藺相如を繆賢が自信を持って推薦したのは当然であり、趙王が早速、藺相如を召見したのも当然であった。」(P.173)
「刎頸の交わり」
背水之陣
『史記』淮陰侯列伝(わいいんこうれつでん)
不死の薬
「蓬莱(ほうらい)・方丈(ほうじょう)・瀛州(えいしゅう)とは、昔から遷(仙と同じ意味で用いられる)人が住むといいつたえられてきた山だ。斉の威王・宣王・燕の昭王などは、いずれも、人を遣って、そこから「不死の薬」を持って来させようとしたが、成功しなかった。天下の統一を果たした秦の始皇帝は、それらの諸王よりも、まして、熱心に「不死の薬」を希求したが、これも、はかない夢に終わった。」(P.216-217)
重要事項と語法のまとめ
「紀伝体」 歴史書の体裁の呼び名、もともとは、『史記』の体裁が呼び名の始まりである。
本紀→帝王の伝記。
表→年表。
書→国の儀礼・暦・法律などを記す。
世家→春秋・戦国時代・漢代などの王侯の歴史。
列伝→個人の伝記で、特色によって記したものもある。
「編年体」 年代順に事件を記したもの。
「刑罰の等級」
「可」(べし)の意味
〈できる〉←可能
〈してもよい・するがよい〉←適当
あとがき
「授業の合間での雑談や漫談をまとめてみたらどのようなものになるだろうか。その雑談や漫談の間に、実力を養うのに役立つような事柄を折り込んで、しかも、それらが自然と身につくよな内容の読み物ができないものか。本書は、このような発想から生まれたものである。」(P.222)