古文書入門講座 嗣永芳照著 1992/03/10 新人物往来社

古文書入門講座 嗣永芳照著 1992/03/10 新人物往来社
古い文字

図書館から借りてきました。

私は『開運!なんでも鑑定団』(テレ東)が好きです。いろんな書画が出てきますが、(偽物か本物かはべつにして)絵は大体何が描いているかわかります。書は何が書いてあるかわかりません。絵と同様に「それが観ていて美しい」とか、何か「心を動かすものがある」という視点だけならいいのですが、それが「文字」である以上、「何が(何と)書いてあるのか」の重要度は書のほうがずっと高い気がします。

絵が「絵の具の塊」だとしても、書は「炭素のシミ」とはいいにくいのです。そういう意味では、書(文字)ははじめから「抽象性」を持っていた、ということもできます。

文字の持つこの抽象性がその具体性から切り離されたのはヨーロッパにおいて一二世紀頃だ、とイリイチは言います(イリイチ『テクストのぶどう畑で』)。それが一九八〇年代前後に「データ」に変わるのですが、私がここで言う「書がもつ抽象性」は、現在(データの時代、システムの時代)の感覚で感じるものです。

漢文や古文書でいえば「現代語訳(口語訳)」が「データ」、書き下し文(本書でいえば活字の「解読文」)が「テクスト」、そして「白文」や本書における「原文のコピー」がそれ以前に対応するといえば、なんとか辻褄らしいものがつきます。だいぶ違いますが、それくらいの差があるということです。そしてそれが「偽物」「本物」「贋作」「印刷物」「コピー」「お土産品」「大量生産」など、『鑑定団』を盛り上げているのです。


達筆

図書館には「古文書入門」のような本が何冊かありましたが、「本物の書」を「写真(多くは白黒)」のまま掲載したものが多く、「リアル(本物)」が感じられますが、全体的に暗くて文字そのものと地との区別がつかないものが多いのです。この本は文字の部分(と印章など)だけを印刷しているので、はっきりと文字が見れます。それがいいと思います。

はっきりと見えるのですが、何と書いてあるのかはやっぱりわかりません。どれも「達筆」だからです。ほとんどが「公文書」的なものなので、今でいえば「テクスト」として何が書いてあるかが重要な文書なのですが、くずし字や変体仮名、さらには漢文の要素も加わって、私には何が書いてあるのか、ほとんどわかりません。ただ、「きれいな字だな」と感じるだけです。

ひとつだけ「仮名散し書きの年賀状」(P.150)というのがあります。一六四四年前後に書かれた「梅宮」という八条宮初代智仁親王の第二王女の書(年賀状)です。ほぼすべてが仮名書き(一部漢字)なのですが、これが「どこからどういう順に読むか」ということ「すら」わかりません。

さて、テキストからもその風情がある程度感ぜられると思いますが、筆墨美の極致といわれます仮名散し書きは、名称のとおり料紙の右寄り中程から書き始め、左奥に至ったのち、字を小さくしながら袖下→袖上→行間上→行間下と一定の順序に従って余白に散して書き続けていく書式です。(P.152)

書道をやっている人なら何となくわかるのでしょうが、私はそう解説されて(「解読文」の仮名、数字で読む順序まで示してくれている、を見て)から改めて見ても、やっぱりどの字がどこにあるのか見つけるのが大変です。

何を書くのか、だけではなくて、それぞれの文字が全体の中に占める位置・役割、それらが書く前から筆者の頭の中にあるんでしょうね。読む人は「文字」だけではなく、その「書式」も知っていて、そしてその全体が生み出す意味を見るわけです。パソコンで見る「データ」としての文字は、「拡大・縮小」ができるだけじゃなく、ウィンドウの幅を変えるだけでどんどんその位置を変えます。それは「ある」か「ない」かだけが重要で、どんな位置にあるか、どんな大きさであるか、どんな書体であるか、などは重要じゃないし、読み手の環境によって、あるいは読み手の好みによって変えることもできます。この本に掲載されている「原文」だって「実物大」ではないでしょうが。


何が書かれてあるか

「書いてある内容」というのは、「テクストとして古文書を読む」ということですが、全30回の目次をあげておきます。

  1. 大名の年賀状
  2. お悔やみ状
  3. 鎮守様の社地を買う
  4. お寺の昇格免許状
  5. 戒名に係わる珍しい文書
  6. 坊主にされた不届物
  7. 京都市中の宗門人別帳
  8. 明治天皇御寄附金の請取状
  9. 老中連署奉書
  10. 「御用留」を読む
  11. 徳川秀忠の朱印状
  12. 京都所司代の制札
  13. 嫁入りに必要な「人別送り状」
  14. 「畑地譲渡証文」を読む
  15. 「国役金受取状」を読む
  16. 往来手形
  17. 養子証文
  18. お寺さんの借金証文
  19. 女房に逃げられた夫の済口証文
  20. 振売商売の願い書
  21. 石切出稼の送り手形
  22. 年貢免状を読む
  23. 仮名散し書きの年賀状
  24. 不義密通の済口証文
  25. 「奉公人請状」を読む
  26. 借金証文を読む
  27. 信州の養子証文
  28. 「分家請証文」を読む
  29. 水車に係る文書
  30. 「詫証文」を読む

多分「朱印状」以外は教科書にも載らないような「個人的」な物がほとんどです。はじめに「公文書」的と書いたことと一見矛盾するようですが、一七世紀以降(近代)の庶民の生活に近いものが多いのは、この講座の性格でもあり、著者が選んだところもあるでしょうが、近代以降、文字がその地位を確かなものにしていき、庶民のほとんどは「文盲」であったにも関わらず、「文字が前提となる社会」が作られていったということでもあると思います。いわゆる「権力としての文字」です。

生活に直接関わるもの、「通行手形」や「奉公人請状」、「養子縁組」や「嫁入り」「離婚(離縁)」、特に「不義密通」にかかわるものなどは「ドキドキ」しちゃいます。とても「人間」臭くて、「昔も今も変わらないんだなあ」と感じます。それに経済活動(売買や、交易、借金など)の文書が追い打ちをかけます。そこに資本主義や自由主義(個人主義)を見ることもできます。

でも、それらは古文書を「テキスト」として読むことから生まれてくるものです。逆です。「テキスト」として読むことそのものが資本主義や自由主義を生む(のかもしれない)のです。

テキストとして読むことに慣れてしまうと(そういう時代・地域に生まれ育つと)、その逆の読み方が難しくなります。データからテキストを救い出すこと、「実物(本物)」を「テキスト(コピー、贋作、偽物?)」から救い出すこと、その可能性も古文書や「骨董品(お宝)」にあるのですが。




内容説明
この小冊子は、新人物往来社発行の月刊誌『歴史研究』に1988年1月号より1991年1月号に至るまで連載した「古文書入門講座」のうち、30回分を選び、1冊にまとめて上梓したものである。

目次
大名の年賀状
お悔やみ状
鎮守様の社地を買う
お寺の昇格免許状
戒名に係わる珍しい文書
坊主にされた不届物
京都市中の宗門人別帳
明治天皇御寄附金の精取状〔ほか〕



[ISBN-13 ‏ : ‎ 978-4404018892]

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