神と仏 日本人の宗教観 山折哲雄著 1983/07/20 講談社現代新書

神と仏 日本人の宗教観 山折哲雄著 1983/07/20 講談社現代新書
出所不明

どうして私の本棚にあったのかわかりません。古本屋のマークもないし、図書館リサイクルの印もないし。(三色の)マーカーで線が引いてるので、古本なのは間違いありません。

私は宗教が嫌いです。科学的・論理的な思考で「宗教と戦うために」生きてきたような気がするくらいです。学生時代、ある「宗教と戦うために」オーバーオールの胸ポケットに『共産党宣言』を入れて出かけたことを今でも思い出します。「お守り」のようなものですね。それ自体が「宗教的」なのですが。それ以後も宗教にはなるべく関わらないように生きてきました。


民衆のアヘン

でも、「お守りなし」で生きることは、とてもつらいことです。マルクスが「民衆のアヘンである」といった宗教ですが、そのマルクスの文章を引用します。

宗教的悲惨は、現実的悲惨の表現でもあれば現実的悲惨にたいする抗議でもある。宗教は追いつめられた生きものの溜息であり、非情な世界の情であるとともに、霊なき状態の霊である。それは人民の阿片である。

人民の幻想的幸福としての宗教を廃棄することは人民の現実的幸福を要求することである。彼らの状態にかんするもろもろの幻想の廃棄を要求することは、それらの幻想を必要とするような状態の廃棄を要求することである。かくて宗教の批判は、宗教を後光にもつ憂き世の批判の萌しである。」(マルクス「ヘーゲル法哲学批判序論」、『ヘーゲル法哲学批判序論』国民文庫、P.330)

宗教なしに生きるということは、痛みを「アヘン(鎮痛剤)」なしに耐える、ということです。

私は宗教とは別の「鎮痛剤」の「処方」を考えてきました。でも、見つかりません。マルクス主義を「信じる」ことは、マルクスの思想に反することでした。暴力は嫌いでしたから、暴力なし(暴力とは何かという問題もありますが)で世の中を変えられないのか、と考えていました。「痛みの原因」を探していたのです。


商品としての宗教

「どうしたら痛みに耐えられるのか」よりも「どうしたら痛みがなくなるか」を考えてきたのです。苦痛の反対は「快楽」です。でも、いまの世の中で「快楽」「安楽」「満足」を得るためには「お金」が必要です。「お金なし」に、つまり「商品を使わず」に得ることができる「快楽」はほとんどありません。いや、一部あります。息ができないことは「苦しい」ことです。今のところ「空気」は商品ではありませんから、呼吸器に障碍がない限り、息をすることはできます。だから、「息をしたい」という欲求は普通普段)はないのです。水はどうでしょうか。残念なことに「水道水」は商品です。食べ物はどうでしょうか。これもほぼ商品です。庭で野菜を作ることはできます。でも、種や苗や肥料を買ったり、水道水で水をあげなければならなければ、それらは商品です。

ものは商品になることによって「欲望の対象」になるのです。学校、医療、車などの交通手段も同じです。もっと美味しい食べ物、もっといい部屋、もっと美味しい水、もっと美味しい空気、もっといい車、もっといい学校、もっといい病院、・・・、毎日目にする「広告」がこれらの欲望をつくり出します。

これらを「煩悩」と呼ぶこともありますが、こういう欲望は平安時代や奈良時代にはなかったはずです。少なくとも民衆にはなかったはずなのです。少なくとも「満足」はあったはずです。満足したうえで、余裕があれば「もっと便利なもの(美味しいもの)を作ってみようか」ということになったはずです。今は、満足するために「もっと便利なもの(美味しいもの)を作ろう」とするので、「満足」することがありません。いつでも欲求不満なのです。いくら物があふれていても「不満」なのです。

今、「世界平和統一家庭連合(旧統一教会)」(公式サイト)が問題となっています。昔から「国際勝共連合」(Wikipedia)なるものを作っています。不思議なことに、最近はニュースで取り上げられることはありません。安倍元総理銃撃事件の裁判が進めば取り上げられることもあるかも知れませんが。

私は、母親がある宗教を「信仰している」ことではなくて、その宗教が、つまり幸福が「商品」となっていることだろうと思います。商品となった宗教(幸福)は、一時的な「満足」をえられるかも知れませんが、他の商品と同様、それはたちまち「不満足」に転化します。


不満足(向上心)

「必要は発明の母である」と言われます。西洋のことわざ「 Necessity is the mother of invention 」が明治時代に輸入されたものです。それまでは、それに相当する日本のことわざはありませんでした。

スウィフトの『ガリヴァー旅行記』(1726年)にあるそうですが、それ以前からあったのでしょうか。

日本語から考えると一体何のこっちゃと思いますが、これはmotherを直訳してしまったせいです。

motherには冠詞のtheをつけて、「起源」「源」の意味があり、「必要は発明の始まり」と訳せばわかりやすいのですが、これではやはり味がありません。(「英語のことわざ」)

現在の信仰は、「自分は不幸(不満足)である」ということ(起源、源、 the mother )から始まると思います。それは明治以前の信仰(宗教)とは似て非なるものです。

著者は、「日本文化の独自性を探る」ために、「神と仏」というテーマを、

それは要するに、われわれ自身のアイデンティティを探るためにも必須の課題であるといわねばならない。(P.16)

なぜアイデンティティを探らねばならないのでしょうか。アイデンティティは「探らなければ見つからない」ものなのでしょうか。エリクソンが「アイデンティティ」という概念を発表(発見・発明)したのは1950年代、大きく取り上げられたのはアメリカのテレビドラマ『ルーツ』(1977年)、三田誠広の『僕って何』(1977年)あたりからだと思います。

宗教は「アイデンティティ」として「個人的なこと」なのでしょうか。それを「山田太郎」という個人ではなく、「日本文化」「現代社会」と関連付ける(同一視する)ということは、「社会的なこと」なのでしょうか。

この「社会的(あるいは公的)」と「個人的」の捉え方こそが、日本文化と西欧、中国などとの違いだと思うのです。「社会」は「 society 」の訳語として明治時代に当てられましたが、その二つは「似て非なるもの」です。

かつて society ということばは、たいへん翻訳の難しいことばであった。それは、第一に、 society に相当することばが日本語になかったからなのである。相当することばがなかったということは、その背景に、 society に対応するような現実が日本にはなかった、ということである。(柳父章『翻訳語成立事情』P.3)

「社会はどこでも、いつの時代でもあっただろう」「普遍的だ」と思うことこそ「近代西欧的文化」の特徴です。ちなみに「文化」は漢籍にある(中国に昔からある)語ですが、明治時代に「 civilization 」の訳に当てられました。その後「ドイツ語 Kultur、英語 culture 」の訳語にもなったため、「カルチャー」が「文化」、「  civilization 」は「文明」と使い分けられるようになりました。字からわかるように、「 civil 市民」の派生語です。この「市民」がまた分かりにくい。「市(いち)に住んでいる人」という意味でないのは明らかです。

「宗教」は、

しゅう‐きょう‥ケウ【宗教】
〘 名詞 〙
① ( 宗と教、または宗の教、あるいは宗すなわち教の意。「教」は教説で、「宗」はその教が主とするところの理 ) 仏語。仏の教え。また、宗門の教え。
[初出の実例]「象法千年末法万年、自任二宗教之重一」(出典:蕉堅藁(1403)悦雲怡首座、住淡州棲賢、京城諸山疏)
[その他の文献]〔碧巖録‐五則・垂示〕
② ( [英語] religion の訳語 ) 人間生活の究極的な意味をあきらかにし、かつ人間の問題を究極的に解決しうると信じられた営みや体制を総称する文化現象をいい、その営みとの関連において、神観念や聖性を伴う場合が多い。アニミズム、トーテミズムなどの原始宗教や、呪物崇拝、多神教、およびキリスト教、仏教、イスラム教などの世界的な規模のものがあり、文化程度、民族などの違いによって、多種多様である。
[初出の実例]「此国二者種々の宗教あり」(出典:航魯紀行(1866)〈森有礼〉八月二四日)(精選版 日本国語大辞典

もともとは①の意味ですが、著者が用いているのは(そして一般に、とくに信仰のない人に用いられているのは)②の意味でしょう。①は「信仰・信じること」とは別のことです。実際、この本には「神の教え」「仏の教え」が書かれているわけではありません。本書における「神と仏」は「神道・仏教」という宗教における「カミとホトケ」です。


「神と仏」を照らす三つの重点と六つの視点

「われわれ自身のアイデンティティ」を探るために(「われわれ」が「社会・文化」で「自身」が「個人」?)、著者はプロローグで三つの重点を挙げます。

私がまず第一に重点をおいたのは、「神」と「仏」というのはそもそもどのような性格をもつ観念であるのか、それぞれの特徴を明らかにすることであった。

ついで第二に、この「神」と「仏」がこんどはどのような相互の関係をとり結んでいるのか、その構造を明らかにすることであった。」(P.17)

そして第三に、これがもっとも大事な点なのであるが、そのような神々や仏たちとわれわれ日本人がいったいどのような関係をとり結んできたのか、という問題がくる。(P.17)

それにもとづく各章の内容を簡潔にまとめています。

第一章の「見えるものと見えざるもの」という思考枠は、「仏」における可視性と「神」における不可視性という特徴を対照させて考察するための枠組みである。(P.18)

ついで、第二章にとりあげた「媒介するものと体現するもの」という思考枠は、直接的には神と仏にみられる固有の働き、あるいは作用という問題にかかわる。この場合、「媒介するもの」というのは霊や神霊の媒介者をいい、一般的には託宣や口寄せを行う宗教的職能者を指す。

これに対し「体現するもの」というのは、超自然的な威力を自己の身体に充電し内面化する者をいう。(P.19)

第三章の「死と生」という思考枠は、宗教経験において死と生の意識がどのように現れるかを考えるための枠組みとして設定した。すなわち、宗教的な修行によって人間の心身がどのよ(FF)うな変化をしめし、その結果どのような法悦(エクスタシー)の体験をえるか、といった問題がここでの中心テーマとなる。その点で「死と生」という二項の関係の中には、日常的な身体の「死」と、非日常的な身体への「再生」という二項の関係がふくまれている。(P.19-20)

第四章では「祟(たた)りと鎮(しず)め」という対比的な思考枠をとりあげてみた。(中略)そしてその場合、前者の祟りの局面に深くかかわったのがカミの機能であり、これに対して祟りの鎮静という局面に大きな影響力をふるったのが、ホトケの作用であり仏教儀礼の体系であったことは注意されてよい。この祟りと鎮めの対抗関係は、たんに宗教儀礼においてだけではなく、わが国の政治的なコンテクストにおいても無視できない作用をおよぼしたのである。

次に第五章の「廻(めぐ)りと蘇(よみがえ)り」というのは、聖地の巡礼という宗教行動を軸にして、人間と神仏との出会いの意味を考えるための思考枠である。(P.20)

最後に第六章の「美と信仰」というのは、主として礼拝対象としての神仏の荘厳さ、甘美さの源泉をたずねようとして設定した思考枠である。(P.21)

このように、あらかじめ冒頭で内容を要約してくれるのはとても読者に親切です。これは索引や目次、小見出しのように、「テクスト」となった本に特徴的なものです。あらかじめ「あらすじ」を読んでから映画やドラマを観たり、小説を読むようなもので、ドキドキ・ワクワク感はありませんが。ファスト映画やあらすじ動画、あるいはショート動画が流行っています。本にドキドキ・ワクワク感を求める人は少なくなっているのでしょう。

以下において私は、この仮に設定した方向舵をたよりにしながら、われわれにおける民族的アイデンティティの彼岸へと、何とかたどりつきたいものと思う。(P.22)

「民族」がなにを意味しているのかはわかりません。


著者について

著者は1931年生れ。ご存命のようです。私よりずっと年配で、この本が書かれた1983年には52歳くらい。今の私よりずっと若い時です。

かなり以前のことになるけれども、私はあるところで一週間ほど、毎日のように団扇太鼓を打ったことがある。一時間ほどのうちに、両腕や肩が棒の塊になり、二時間もたつと、意識がうすれ、感覚が鈍ってくる。

低次元の話になるけれども、そのとき私は、これはこれで、けっこう無念無想に近い状態ではないのかと思ったものだ。

だが、坐禅をしている場合には、こうはいかない。これまた乏しい体験ではあるが、一時間や二時間坐ってるだけでは、かえって妄想がわきおこってくる。(P.95-96)

「団扇太鼓」は「法華の太鼓」ですね。これは私も叩いたことがあります。けっこう重たくてけっこう疲れます。Wikipediaに、

学生時代に十二指腸潰瘍のため大量に吐血。このとき臨死体験をし、「このまま死んでいくのも悪くない」と感覚を得た。約3ヶ月間入院するが、点滴を受けながら10日間くらい絶食をする。この際、5・6日目あたりから五感が非常に冴え、清澄な気持ちになることを体験。(Wikipedia「山折哲雄」)

とありました。著者にとって宗教とは、私以上に「実体験」なのでしょう。「体験」はことばや文字で伝えることが難しい、むしろ不可能といったほうがいいでしょう。「これですよ」と見せることができないものです。この「ことば、文字、印刷技術」が、文明(文化)に最大の恩恵(影響)を与え、あるいは、私たちを「欲求不満」にしている元凶だと思うのですが。声(ことば)にすると、体験の多くの部分が削ぎ落とされ、ことばに合ったもの(たとえば文法)に制限(規制)されます。さらにそれを文字にすると、声の持つ、あるいは話している表情(状況)などが消えてしまいます。


見えるものと見えざるもの

目に見えないカミは、もともと、広い空間を浮遊し移動するものとされ、山から里へ、里から川へと「遊幸」し、「神幸」すると考えられたが、やがて、仮の宿であったはずの特定の土地に定住するようになる。(P.26)

神々は、自己の主体的な個性を主張しつつ、共同体社会に立ち向かうのではない。社会に対立し、社会に対して予言を降ろすのではない。むしろ共同体社会の内部に深く沈潜し浸透することによって、没個性的な産土神や鎮守の神へと転生をとげていく。「場所」の内奥へと鎮まりゆくことを通して、自己の性格を償却していったのである。(P.30)

著者は、西田幾多郎の「場所的論理」に言及します。

彼によれば「場所」とは、われわれ人間の「意識」や「判断」が成立する根源的な場所のことを意味している。いわば、自己の中に自己の姿を映し、観照し、そして直観する場所である。自己がそのまま自己であるような、そういう場面であるといってもいい。そこには自己と他者が区別されてはいない。客観と主観が対立し、向き合っているのではない。

自己があって「意識」が成立したり、他者が存在して判断が成立したりするのではない。自己と他者、主観と客観が一つのものに融合した「場所」において、われわれの意識や判断は成立する。(P.32)

西田も禅に勤しんだ人です(私は最近まで『善の研究』を「禅の研究」だと思っていました)。その禅修行での体験を一生懸命文章にしようとしたのです。

西田の「場所」は、「空間的な場所」ではありません。それを根拠づけ、それを乗り越えたものです。

プラトンは「空間的な場所」としての「トポス  τόπος 」とは別の「場(ば) χόρα 」に言及します。「形相(イデア)」「感覚的なもの」 とは別の「第三の種族」です。

まず一つには、同一を保っている形相といいうものがあるのですが、これは、生じることも滅びることもなく、(中略)理性の働きがその考察の対象として担当しているところのものなのです。そして、以上のものと同じ名で呼ばれ、また以上のものに似ているものが、二つ目です。これは、感覚され、生み出され、いつでも動いており、ある場所に生じては、再びそこから滅び去っていくものなのでして、思わくによって、感覚の助けを借りて捉えられるものなのです。そして、さらにまた三つ目に、いつも存在している「場」の種族があります。(『ティマイオス』52A、邦訳旧全集 P.83-84)

この「場(コーラ)」は、

これは滅亡を受け入れることなく、およそ生成する限りのすべてのものにその座を提供し、しかし自分自身は、一種の擬(まが)いの推理とでもいうようなものによって、感覚には頼らずに捉えられるものなのでして、ほとんど所信の対象にもならないものなのです。そして、この最後のものこそ、われわれがこれに注目する時、われわれをして、「およそあるものはすべて、どこか一定の場所に、一定の空間を占めてあるのでなければならない、地にもなければ、天のどこかにもないようなものは所詮何もないのでなければならない」などと、寝とぼけて主張させる、まさに当のものにほかなりません。(同52B、邦訳 P.84)

「所信の対象にもならないもの」、つまりことばでは表現できないけど、それによって「質料」や「形相」、あるいは「ことば」がその「座を占める」ができる「受容者」「母のようなもの」を「コーラ」と呼んだのです(アリストテレスは「コーラは場所である」と「寝とぼけ」ました)。プラトンは場所(都市)一般ではなく、「アテネというこのポリス( πόλις、あるいはπόλη)」で生まれ育った、といっているのです。

西田の「場所」に近いと思いませんか。

今でも「場(ば)をわきまえろ」と言います。それは「所(ところ)をわきまえろ」を含んでいて、それを越えたものです。

この賽の河原にも、地蔵菩薩が立っている。とりわけ、死んだ子供の霊を地獄の責め苦から救い出そうという誓いをもって、この菩薩は柔和なやさしい表情を浮かべて立っているのである。(P.56)

要するに観音信仰は、キリスト教におけるマリア信仰がそうであったのと同様に、母と女の統一された女神もしくは仏母に対する信仰として、不動の地位を占めるに至った。(P.193-194)

「寝とぼけた」アリストテレスも、「その人」は「母親(女)一般(つまりイデア)」から生まれたのではなく「その母親(個別)」から生まれたことを強調しています。「この・あの・その」としか言い表すことのできないもの、それを「述語する」ことによって、限定され、多くのものを失ってしまうもの(削ぎ落とされてしまうもの)を強く意識していました。

「それは犬である」と「定義」すること(ロゴスとすること、説明すること)は、「ポチ(という固有名詞)は犬である」というのと同様に、ポチの一部しか表していないのです。「ポチがポチであること」つまり「それがそれであるところのそれ τὸ τί ἦν εἶναι 」、それをローマ人は「 esseentia (英語 essence )」と表現したのですが、表現することによって失われる前の「それ」こそがアリストテレスが言い表したかった「実体 οὐσία 」 です。それを「基体 substatia 」と「本質 essentia 」と分け、それを「主語」と「述語」に分けて、「別のもの」にしてしまったのです。

文字も影響しています。指さしたときの「犬、母、mother 」と文字の「犬、母、 m-o-t-h-e-r 」の違いです。私は漢字と仮名しか使わないので、西欧人が文字をどう感じているのか、その感覚はわかりませんが、「母は」を「ははは」と書いてしまったら、「母」なのか、笑い声なのかわかりません。これは極端な例ですが、「母」という字を「音」だけじゃなく「意味」としてみているということです。そしてしだいに「(ハハという)音」ではなくて「字」そのものが直接意味を持つように感じます。表音アルファベットでは、「 m.o.t.h.e.r 」というそれぞれの文字には「母」という意味はありません。音はそれを綴る(並べて読む)ことによってでてきます。その後、その音は「母」という意味を実現します。読書(読み書き)を重ねていけば、そのうち「 mother 」という「かたまり(ゲシュタルト)」は「音を通さずに」意味を表すようになるのかも知れません(「母」という字も一字でゲシュタルトです)。

著者の言う「自己の主体的な個性」は、そのラテン語(キリスト教)由来の考え方で、古典ギリシャ語由来ではありません。そういう意味では「神」は古典ギリシャ的(多神教)です。「女性一般」「母親一般」は「柔和なやさしい表情を浮かべて立っている」かも知れませんが、「この女性」「この母親」はそうとは限りません。

(・・・)われわれは、それらの主要な祭神がどのような性格をもつ神であるかを、よく理解していない。また知らなくとも、それで事が足りている。

日本における神々のパンテオンは、同じ多神教の風土とはいっても、そこのところで、ギリシアやインドの多神教的な世界とは大きなへだたりをみせている、といってもよかろう。(P.28)

というのも、イエスの説いたキリスト教の神は、一切の人間的な属性を捨て去った、絶対的な超越神であったからである。キリスト教のカミは、ギリシャ神話の目に見えるカミに対して、目で見ることのできない神であったのだ。(P.37)

そこに仏教(見える仏)が入ってきたのです。

以上からもわかるように、「仏」の表情や肉体は、人間的な形や姿をかたどったものであり、きわめて具象的である。(P.47)

庶民信仰のレベルでいえば、神々の世界で一つの中心をなす体系は、農耕神(稲荷神)と武神(FF)(八幡神)と祟り神(北野天神)の三位一体の関係であるということを、さきにのべた。もしそうであるとすれば、仏・菩薩の世界でそれに対応する中心軸は、観音ー地蔵ー不動の三位一体の関係であったと私は思う。そしてこの二種類の中心軸が、日本人の宗教観を形成する主要な基盤になっているのではないかと思うのである。(P.58)

無理に三位一体(神と子と精霊)に寄せなくてもいいと思いますが。偶数(二、陰陽など)が好きな人と奇数(三)が好きな人で、性格がわかるそうです。

いわば、年中行事的に「神」と「仏」を祀ってきたのである。われわれの現実の生活が喜怒哀楽にみたされ、災害や病気や事故にとりかこまれている以上、それらの人生的な快や不快に対応してそのつど神々や仏・菩薩が求められ拝まれるのも自然であった。それを一口に現世利益の信仰ということがあるけれども、そのような信仰はわれわれ日本人の現世的な人生観や自然観とよく適合していたのである。(P.58)

日本には「自然(じねん)」はあっても、「自然(しぜん、 nature )」はありませんでした。古典ギリシャ語の「ピュシス φύσις 」は「自然・本性」などの意味で、「魂・息・生命・プシュケー ψυχή 」と関係があると思いますが、草花や石ころにも神が宿るという感覚は、ピュシスに近い気がします。たしかに、「物(質料・基体)」に「魂・形相が宿る」という感覚は、「魂・形相とは別に物(質料・基体)がある」と共通点があると感じますが、その共通点そのものが、現在の感覚を当時の感覚に投影しているのかも知れません。「理解する」ということは、「自分の感覚を当てはめる」ということに過ぎないのかも知れません。当てはまらないことを理解するのはとても難しいことですから。


媒介するものと体現するもの
もし以上のごとくであるとすると、われわれが辺境の文化を観察し検討するというのは、かつての未知の歴史へとさかのぼってその根源的な意味をたずねるとともに、現在におけるわれわれ自身の立脚点、すなわちわれわれ自身のアイデンティティをたしかめることを意味するといえるかもしれない。

そして、ことは何も政治や文化だけの問題にかぎらない。日本の宗教にかんしてもこれとまったく同じことがいえるのである。(P.67)

中心から見た辺境、あるいは都会から見た農村(共同体)は、「ノスタルジー」を持っています。nostalgia は νόστος + ἄλγος から作られた近代の造語で、「ホームシック」くらいの意味でしょうか。なにか失ったもの、それを求める心の痛みのようなものです。「根なし草感」というか「孤独感」というか。「アイデンティティをたしかめる」というのも「失ったアイデンティティを求めたい」という心の動きです。それは「昔持っていて、今は失ったもの」なのでしょうか。

それが辺境(いわゆる田舎)にあるというのでしょうか。アダムとイヴが楽園から追い出された(失楽園)だから人間(あなた)は原罪、あるいは業(ごう)を背負っていると、誰が誰に語ったのでしょうか。

グレーバーが言うように、それはルソーの『人間不平等起源論』がもつ「仮想の前提(仮定)」、つまり「不平等には起源がある」と同じです。そして、その起源を「農耕」に求めたりします。何に求めるかは別としても、「平等な時代があった、それが変わった(失われた)」という考え方です。

同じ考え方は歴史学、あるいは一部の人類学(民俗学)にもあります。「未開人は原始人だ」「自由・平等な社会だ」というような考え方です。

同様に「未開人は野蛮人だ」というのは、ホッブスの『リヴァイアサン』が想定した「万人の万人に対する闘争」です。だからさまざまな制度(社会契約)を作っているのだ、と。

正反対の考え方のように見えますが、どちらにも共通しているのは、現在の自分の考え方(感覚)を歴史や他文化に投影して「理解(納得)」しようとしているということです。こういうやり方で自分や他者を「定義」することは、いわば「進化論が与えるアイデンティティ」です。そのアイデンティティは「考えられたもの」であって「持っていたもの」ではないような気がします。

ある存在の「根源的な意味」「なぜあるのか」を「根源的(昔の・始まりの・アルケー)の「あり方(本質)」に求めるとき、それは「存在」ではなくなります。それは「失ったもの」になるのです。

アリストテレスがいう「本質 τὸ τί ἦν εἶναι 」は、

それは「何であるか」( τὸ τί ἐστιν )の中に εἰπί(ある)の未完了過去 ἦν(あった)をぶち込んで「何であるか」( τὸ τί ἐστιν )の主観性を打ち破り、それを客観的概念化した表現であります。(日下部吉信『アリストテレス講義・6講』P.61)

「未完了過去」がよくわかりませんが、なんとなく日本語にすれば、「それがそれ(何か)でありつつあったところのそれ(の何)」、「在る」を「生成する( γένεσις 、生じる・成る)」にしてもう少しふつうの日本語に近づければ「それがそれ(何か)に成りつつ、生じようとしていたところのそれ(の何)」という感じでしょうか。それは「何かになりそびれた」わけでも「失われた」わけでもなくて、「今でも成りつつ在り続けている何か」なのだろうと思います。

「同じであること(同一性、 ταυτότης 、アイデンティティ、 idemtitas )」も、「今でもそれ(何か)と同じに成りつつ在り続けているそれ(何か)」です。「探している私」は「つねに/すでに在る」のであって、「成りそびれた」わけでも「失われた」わけでもないのです。

「つねに/すでに在る」ものを「求める」ということは、「あるもの(持っているもの)の不完全性(不満足)」を言い換えたに過ぎません。つまり、「自分は不完全だ(満足していない)」という思いです。それはとても近代的なもので、近代以前の人がそう思っているとは思えません。


死と生  心身の統合
浄土をユートピアとして構想する意志は、現世に対する絶望とうらはらの救済待望によって生みだされたものだ。同時に、その現世に対する絶望は、実は、それほどに現世をいとおしみ、現世に執着していることの反語なのである。ユートピア思想は、本来、人間の暗い部分、すなわち愛欲や煩悩の部分に対してストイックな態度を要求することがない。むしろ人間の心理的な欲求や生理的な欲望の活動を許し、日常生活における自然をみとめる。(P.114)

お腹が空けば食べ物を求める、のどが渇けば水を欲しがる、というのは確かに「自然(ピュシス、息すること)」ことです。ユートピアは「トポス τόπος がない ού」ということです。それと「自然(ピュシス)」とは相容れるものではありません。飢饉や疫病をなくしたい(死にたくない)ということと、「自分は不完全だ(満足していない)」ということはまったく別のことです。


祟りと鎮め
だがそこには、仏教の導入と重なるようにして発生した疫病の流行、天候の不順、そして社会の不安が、神もしくは仏の「祟り」による結果だとする観念が、前面に大きく押し出されてきたのである。(P.125)

なぜ疫病が流行したのか、天候が不順になったのか、社会が不安になったのか、それを「祟り」だと言ったのは民衆でしょうか。たしかに民衆の「自然」は水や食料、病気からの治癒、また場合によっては安定した社会を求めたでしょう。でも、「不安定な社会」をより嫌ったのは「朝廷(権力を持つもの)」ではないでしょうか。それが権力を持つものの「自然」といえるかも知れません。歴史が描くのは「権力者(文字を支配するもの)」の歴史です。

民衆の多くは、食べ物があればよかった、病気にかからなければよかったのではないでしょうか。そこに「不満足」を抱く必然はなかったし、それなりに苦労と楽しみがあったと思うのは、未開人にたいする幻想と同じでしょうか。

誰かが言ったはずなのです。「食べ物があるだけじゃ駄目だ(人はパンのみにて生くるにあらず)」と。そこに現代人の「どこまでも不満足」という感覚を投影してはいけません。


巡りと蘇り
「巡る」ことにおいてエネルギーを消尽し、聖地の奥所に到達することによって生命の活力を「蘇ら」せる、というサイクルがこの巡礼という行為の特質をなしている。それは、神仏の加護を媒介にした、死と再生の受難儀礼といってもいいだろう。(P.154)

「エネルギー」「サイクル」なんて、原発じゃないんだし。安易に使ってはいけません。ただ、消費と生産、死と生、などの表現として「廻りと蘇り」といってもいいし、「代謝」、つまり、摂取し、消費し、動かないと生を維持できないという生命(ピュシス)の現代的表現として、「エネルギー」「サイクル」ということばはあり得ます。ただ、「エネルギー」や「サイクル」という単語は、あまりにも内容がありません。それは「石油」や「輪廻」のことではありません。

そういう点では、清水港の侠客や上州無宿の流れをくむヤクザ稼業も変わりはない。彼らは一所不住の旅の困難の中で、渡世して生きる一種の巡礼者だからである。そしてこのような「渡世」を、もしも旅の中における世すぎ身すぎの生活技術であると仮定するならば、われわれはためらうことなくヒッピーやセールスマンも、またジブシーや人類学者、そしてスチュワーデスや船乗りまでをもその仲間に入れることができるだろう。彼らはいつでも危険に直面し、機会を与えられれば異郷での経験を語りながら「遊行」し「漂泊」の生活を送っているからである。(P.156)

「農村」=「閉鎖的」「保守的」=「移動しない」という図式に、最近違和感を持っています。戦争中の疎開や、戦後の闇市、買い出し、あるいは「集団就職」や「出稼ぎ」が農村を「解放」したように描くことや、高度成長期の「(海外)旅行ブーム」を「人びとが移動するようになった」「地球は狭くなった」などと宣伝するのはおかしいような気がするのです。

「定住農耕民」と「移動放牧・狩猟採集民」と区別することも、おかしいことだといわれ始めています。人は「移動するようになった」のではなく「移動しなくなった」のです。

今やっている『フェイクマミー』(TBS系)は「女性問題(仕事と家事育児)」を扱っていて面白いのですが、その題材そのものは半世紀前から繰り返し描かれてきたことです。「核家族化」といわれる現象は、子供も大人(夫や妻)も「移動することを考えられなくなった」という現象です。「逃げ場」がない(想像できない)のです。夫婦関係や親子関係が固定的になったのは近代以降です。アリエスがいうように、近代において「子供(期)」というものが考えられるようになったのです(『〈子供〉の誕生』)。簡単に言ってしまえば「子供いる」ということと「子供ある」が分離されたのです。「子供っぽい」「子供らしくない」という日本語がいつからできたのかはわかりません。「子供は〇〇である」という「定義」が(アリスとテレスがあれほど、別のものじゃないといったのに)、「子供」と「〇〇」を分離してしまったのです(同じことが「妻・夫いる」ことと「妻・夫ある」ことにもいえます)。

子供は「産むもの」ではなくて「産まれるもの」だったし、「いなくなるもの」でもあったと思います。恋愛(日本的には「好きになる」)と結婚はほとんど関係なかったし(ただしそれぞれに複雑な決まり・掟はあった)、商人ではなくても「移動するもの」だったのだと思います。ただ、それらの民衆の生き方の痕跡は「文献(文字)」としてはほとんど残っていませんが。

もちろん、世俗の日常的世界からの離脱という行為のうちには、反秩序への情念と自己解放への渇望がひめられているであろう。(P.157)

もし「人間は移動するものである」と定義できるとすれば、権力を持つものはそれを阻止するために、寺帳、人別帳、戸籍、住民票、マイナンバーカードなどを作成したことになります。日本はそういう点では先進的だったのかもしれません。戦後しばらくまで、戸籍は大切なものではありませんでした。必要ではなかったし、強制も厳しくはなかのです。子供が5歳くらいになると、「もう簡単に死ぬことはないから、役場に届けるか」といった感じです。今でも高齢者には「戸籍上は90歳だけど、実は95歳」なんて人はたくさんいると思います。「太郎ある」と「太郎いる」が分離するにしたがって(家の問題というよりは「税金(財政)」や「行政」の問題として)、アイデンティティが求められていきました。「自己解放への渇望」などはなかったのです。

今日、巡礼は遍路というのは当然のことのように人間の行為とされて、誰もこのことを怪しむ者はいない。しかしながら、はるかに遠い古い時代においては、そうではなかった。そのころ、季節ごとに山を越え野を渡り、そして村や部落の境界を突きぬけて巡行し遊幸してさまようものは、何よりもまず神やタマの一群であり、精霊や祖霊たちの一団であった。(P.159)

海外渡航が解禁され、「移動の自由」は法的に認められました。

今日、ほとんどの人びとは、じぶんが自由な社会で暮らしていると信じている(実際に、たいていの人びとは、すくなくとも政治的には、この社会で最も重要なのは自由であると往々にして主張する)が、ほとんど形式的な自由にすぎない。(デヴィッド・グレーバー、デヴィッド・ウェングロウ『万物の黎明』、邦訳 P.147)

すなわち、ウェンダットにはまがいものの首長とほんものの自由がある。いっぽう、現代のわたしたちには、ほんものの首長とまがいものの自由がある。より厳密にいえば、ハッザやウェンダット、あるいはヌアーのような「平等主義的」な人びとが関心を寄せているのは、形式的自由ではなく、実質的自由であるようなのだ。かれらが関心を寄せるのは、旅をする権利よりも、実際に旅ができるかどうかである(そこから、この問題は、一般的によそもの(ストレンジャー)をもてなす[歓待を与える]義務として位置づけられていたのである)。(同、P.147-148)

海外渡航が「自由」になっても、お金がなければ海外には行けません。海外に行ってもお金がなければ食事にも泊まるところにも困ります。お遍路さんの実態はわかりません。でもそこには、「自分が移動する自由」が損なわれないように「他人が移動する自由」を保証する制度があったはずです。それが「実質的な自由」です。「職業選択の自由」は「職業に就かない自由」を含む必要があります。「信教の自由」は「信教をもたない自由」であるように。

カミの道とホトケの道が交錯する場合もあれば、別々の世界をつくりあげる場合もあった。

そのような交錯と交流の段階をへて、中世から近世にかけていわゆる「庶民の巡礼」の型ができあがっていったのである。(P.173)

関所(国境)の設置があっても、庶民は「寺社巡り(お参り)」の特権を利用して移動しようとしました。そして、権力もそれを完全に禁止することはできなかったのです。

山賊、追い剥ぎ、マタギ、鬼、天狗・・・、山や峠にはたくさんの「神」がいました。

しかし基本のところでは、カミはシンプル・ライフの側にくみし、ホトケはバタ臭いカクテル文化にその本来の出自をもっていたのである。

だから一口にいって、カミは「自然」に近く、ホトケは「文化」に隣接しているといえないこともない。(P.176)

自然が「シンプル」だなどとどうしていえるのでしょうか。都会が(あるいは社会が)「複雜(バタ臭い)」と思っているからではなでしょうか。明治時代以前の日本人もそう考えていたのでしょうか。自然が「複雜」で、考察の対照とすらできないということが、「要素還元主義」を要請したのだと思います。

多分、世界は複雑(カオス)であって、定義すること、さらに文字にすることが、それを限りなく単純化するものだと思います。とくに表音アルファベットは自然を数十文字で表現しようとするし、さら二進法(コンピューター、あるいは電気の世界)は、それを「オンとオフ」「0と1」「正と誤」「有と無」「 Yes と No 」にしてしまいます。


美と信仰

すなわち、蘇りへの希求は生の世界との決別によってではなく、生の世界から異世界への移行として意識されているのである。それが「旅」というものへの日本人の独特の感覚を育ててきたといえよう。(P.201)

とするならば、これまで日本人が信じてきた神と仏の世界は、現代においてもなお、姿をかえ、形を変えてわれわれの生活の中に生きつづけており、今後も生きつづけていくのではないであろうか。その意味で、今日、神や仏についての信仰や伝承をよりいっそう広い視野のもとに考え直してみることは、われわれ自身の文化的アイデンティティを探るうえでも必要なことではないかと思うのである。(P.201-202)

「死語の世界」「あの世」「彼岸」、「極楽」「天国」「地獄」「涅槃」、あるいは「蘇り」、「輪廻転生」などは信仰する者の世界です。

信仰心のない者(あるいは一部の宗教の信者)にとって、一番怖いのは「自分がなくなってしまう」ということです。つまり「アイデンティティがなくなること」です。アイデンティティを探る人は、逆に言えば「アイデンティティ喪失」を怖がっているのです。アイデンティティを「失った」「無くした」「探さなければならない」と思うのは、アイデンティティが「在る(あるいは在ると思っている)」からにほかなりません。そういう人にとって「自己喪失の恐怖」は「自己喪失の希求」なのです。それは「法悦(エクスタシー)の希求」です。

自分であり続けながら、自分ではなくなること。命綱を付けならがらバンジージャンプをすること、安全だとわかっているからジェットコースターに乗ること・・・。「アイデンティティ」を持ってる人と、そうでない人にとって、その意味はまったく異なると思うのです。そしてそれは「信仰」とは別の次元にあるともいえます。「自分がなくなってもいいから人助けをする」「自分はなくならないから人助けをする」、これは「人助け」とは別次元のことなのです。それを「正義」とか「悪」とか「善悪」、あるいは「 Yes 、No 」にしてしまうのは、あまりにも世界(自然)を単純化しているのではないでしょうか。

世界(自然)に対しては、人間はあまりにも無力( powerlessness )です。でも、つねに「欲望をもちながら不満足であり続けること」を強要される社会では、それは無能力( impotence )として表現されます。「あなたが不満足でありつづけるのは、あなたが無能力(無能)だからだ」ということになります。

そして、制度・体制に依存するか、もっと能力を身につけるか(財産を身につけるか)、あるいは信仰するかの選択を迫られます。でも人間は「万能」でも「全能」でもありえません。であれば「無力であり続けること」、「人が無力だからこそできる社会」というのは、信仰を持たない私にとってはとても魅力的に思えます。



補足
こころの時代〜宗教・人生〜

今年の2月に放送されたものの「再放送」です。偶然観ました。本当に偶然です。『こころの時代』なんて観ることはありません。先日、山折さんの『神と仏』の感想を書いたばかりです。それまで「山折哲雄」という名前すら知りませんでした。「運命」「偶然」あるいは「縁」のようなものを感じてしまいました。

現在93歳だそうです。お元気です。「親鸞の歳、90を超えた」とおっしゃっていました。


無常

日本の「諸行無常」は水の流れのような「恒常的」(静止画的)だけど、インドの無常は動画的だ、とおっしゃっていました。

はじめてインドに行った時、「インドの匂い」に驚いたそうです。実は私もそれを体験したことがあります。さまざまなものが混ざった匂い、食べ物、御香、人、汚物、・・・。日本も半世紀前までは「匂い」がありました。多分、日本は雨が多く、川の流れも速いので、それほど強くはありませんが、人の住むところには(独特の)「匂い」がありました。川の流れにも、ドブの流れにも匂いがありました。人にも匂いがありました。

いつからか「匂いがあること」が嫌われ始めました。「加齢臭」という言葉も生まれました。1999年です(Wikipedia)。私は「人の匂い」というのは「その人が生きた証」だと思っています。どこで生まれ、何を食べて育ったのか、それがその人の匂いを作ります。今風に言えば、それはその人が持っている「細菌の種類」です。親から引き継がれてきた「財産」とも言えるでしょう。家ごとに匂いは違うし、「この人と気が合わないなあ」と思うのも「匂い」のような気がします。

古代ギリシャにも「無常」があります。「万物は流転する(パンタ・レイ)」(ヘラクレイトス)です。これは当然なことで、川の流れも変わるし、植物も人間もいつか死にます。ヘラクレイトスは「誰も同じ川に二度と入ることはできない」という比喩で表しました。鴨長明の「行く川のながれは絶えずして、しかも本の水にあらず」(『方丈記』)と全く同じです。日本の「無常」は「恒常的」だと感じるのは、「日本的」というより「近代的」なのではないでしょうか。


「ブッダも旅をした、キリストも、ガンディーも、松尾芭蕉も旅をした」、山折さんもブッダやキリストの歩いた道を旅したそうです。そして、その考えを理解することができたそうです。つまり、知識(頭)だけでなく、体験するということですね。

ギリシャの丘からエーゲ海を見てみたいなあ。パルテノンの柱に触ってみたい。法隆寺の柱に触れた時、やっぱりなにか感じるものはありました。アゴラの跡地にも行ってみたい。ここで大勢の人が喧々諤々と話をしていたことに触れてみたい(「カテゴリー」は「アゴラに向かって声を出す」という意味です)。

心と体のことをおっしゃっていましたが、それはどの国のどの時代でも同じようにあるでしょう。でも、最近の日本(欧米)では「匂い」を排除するように、「体」を排除しようとしています。「心(精神)」の比率があまりにも大きくなっているように思います。「知性」ばかりが強調され、「感性」が捨てられようとしているとすら感じられます。

旅をすること、体で知ること、「体罰」と「暴力」が混同され、体が置き去りにされています。


生老病死

キリストは33歳でなくなりました。山折さんは「キリスト教は青春の宗教」だとおっしゃいます。キリストにあったのは、「生まれたこと」と「突然の強制的な(非自然的な)死」です。ブッダは80歳でなくなりました。なので「生・死」のほかに「老」と「病」があります。そしてその「死」は「自然なもの」としてあるのでしょう。「老」も「病」も、「自然なもの」としてあるのではないでしょうか。キリスト教においては、「病」や「死」は「突然のもの」「非自然的なもの」かもしれません。

病気の人(あるいは病気とされた人)で、「植物状態」になった人でも、人工心肺や栄養注射で「かなり長期」にわたって「生きている」ことができます。逆に「脳死判定」という「死の人工的な基準」もできました。

この「人工的な死」は、キリスト教的なのかもしれません。


楕円構造

山折さんは、「権威」と「権力」という二つの中心を持った「楕円構造」を考えています。それは「宗教と政治」でもあります。明治維新は、その二つの中心を一つにしようとした(天皇制)、そこに帝国主義が生まれたと。

私はそれには共感できません。山折さんはその他にも「〇〇と✗✗」という「構造」をいくつか挙げていました。「神と仏」というのもそうでしょう。私もそういう傾向があるので、それ自体は否定できません。「AとAじゃないもの」、背反律・矛盾律・排中律などを疑ったら、「考えること自体ができない」と思ってしまうからです。なので弁証法や、微分積分を理解することができないのです。「色即是空」も理解できません。

「心と体」「知性(論理)と感性(感覚)」などもそうです。この「肥大した自我」は、それを分離したままにします。でも、体は「老い」ていきます。それは「精神」以上の「事実」なのですが。認めようと認めまいと。自分が「老いること」を信じなければ、「死」は突然の(不自然な)出来事になります。そしてそれは近代西欧的、あるいはキリスト教的な「信仰」なのですが。


虚仮

山折さんは、夜明け前「妄想」をするのだそうです。世界は仮象であり、妄想であると言われます。たぶん、「私」とか「精神」とかいうのはないのでしょうね。私が死ねばそんなものはどこにもなくなります。

「死ぬのは怖くありませんか」というアナウンサーの問いに、「昔ほどはね」と答えてらっしゃいました。私もそう思いたいし、少しづつ思えてきたようにも思えます。






人は古来、神秘という名の不思議や不安、恐怖にとらわれ、見えない神に祈願を捧げた。6世紀半ば、仏教とともに仏像がもたらされた時、日本人はそこに人間を見、来世を信じた。以来、神と仏は、陰に陽に、いつもわれわれの生活とともにある。肉体から霊魂を救済することをめざす神道、心身一如の状態を理想とする仏教。対照的な2つの宗教と、日本人はどのようにかかわってきたのだろうか。協調、融和、統合の関係を6つの側面からさぐり、日本人のアイデンティティに迫った。

さまざまの場所にいるカミ、ホトケ――古代の人間は、カミやホトケのような存在が、この宇宙空間のさまざまの場所に生息し生活しているのだと考えたとき、ようやく心の平安をえ、自分たちの生活の指針をうちたてることができると感じたのではないだろうか。現世を超越する怒りのカミやホトケ、あるいは山や川や樹木のように、われわれの身辺によりそって加護の手をさしのべてくれる慈愛にみちたカミやホトケが、しだいに一つのまとまりのある世界を形成するようになった。つまり、遠いところに超然としている天空のカミもいれば、近いところに寄りそって立つ地蔵菩薩のようなホトケもいる。そこから、さまざまな性格や属性をもつカミやホトケとわれわれ人間とを結ぶ、多様な遠近感覚が生みだされ、育てられていった。――本書より



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