春、死なん 紗倉まな著 2020/02/25 講談社

春、死なん 紗倉まな著 2020/02/25 講談社
富雄が彼女と最後にあってから4ヶ月が立つ。その日から断薬している。『薬』と名が付くものは、抗うつ剤、睡眠薬はもとより胃薬も目薬も断っている。

辛いと言えばとてもつらい。何せ、人生の半分以上を抗うつ剤と睡眠薬とともにいきてきたのだ。一生鬱とともに生きることを決めていたのだが、リタイアした今、仕事を言い訳にするわけにもいかない。

まず、左手がしびれてきた。妻は、富雄の父が脳梗塞だったことを気にして病院に行くよう何度も勧めた。しかし、それでまた薬を飲むようになっては意味がない。酒と煙草を止める気もない。しかし、遺伝的要因よりもそれらが要因とならないとは限らない。彼自身も脳梗塞は怖かった。妻を安心させることも兼ねて脳神経内科を受診した。結果は何もなかった。しかし、頚椎の狭窄が見つかった。それが神経を圧迫しているかもしれないと。

治ることはないが薬でしびれを取ることはできる、と言われたが、それでは断薬した意味がない。彼は当然辞退した。

それから、左足の痛み、目のごろつき、げっぷ、腸の張り・・・が続いている。歩くのが怖いので、外に出ることも無くなった。筋肉がすっかり落ちてきている。

ただ、悪い事ばかりではない。薬代がゼロになった。病院に行く日を気にする必要が無くなった。後鼻漏が治った(ような気がする)・・・。一番は「歳のせい」、と諦めていた勃起不全が治ったことである。治ったどころではない。流石に持続力はないが、若かったときより陰茎が大きくなった気がするほどだ。

「春、来なん・・・か」

彼女とは逢えない。こんな年寄を相手にしてくれる女性もいないだろう。自分が若い時に年寄りの性欲など、考えたことはなかった。というよりなにか汚らわしいもののように思っていたようだ。「色ぼけ」という言葉も頭に浮かぶ。

どうして老人の性はタブーのように扱われるのだろうか。女性に性欲があることはほぼ市民権を得ている。なのに老人は。それにもやはり『生産性神話』が関わっているのだと思う。女性の性欲が認められたとは言え、閉経後の性欲が話題になることは少ない。性欲は「子孫を作る」ことに結びついていると思われている。若くたって「子孫を作る」ためにセックスをすることなど殆どないにもかかわらず、だ。むしろ子供ができないようにどれだけ気を使っていることか。

人間にとって性欲は子孫を残すこととは全く関係ない。子供にだって性欲はある。それを見事に描いたフロイトはすごいと思う。性欲は「発情期」とも「恋愛」とも関係がない。あえて言えば人間は生まれてから死ぬまで常に発情し、恋をしているのだ。彼は女性のキモチはわからないが、生理が性欲、発情に関係があるという話を「気の所為ではないか。体調とは関係があるかもしれないが。」と思った。子供を作らないこと、あるいは性欲を表に出さないことに人間は多くの時間と勢力を注いできたのだ。『性の歴史』第四巻にはなにか書かれているかもしれない。

富雄の性欲はいつか無くなるのかもしれない。無くならないのかもしれない。兎にも角にもそれまでは薬の代わりに自慰と付き合っていかなければならないのだ。強まった快感を苦々しく抱えながら彼はそう長いとは思われない遠くを見つめていた。



⟨impressions⟩

老い、父と母、母と娘、男と女、「私」と誰か。
どれもありふれた光景のはずなのに、どうして、こんなにも新鮮なんだろう。
高橋源一郎

蔑みながら羨む。母という女を娘は否が応でも生きる指針にしてしまう。
怖くて見られない心の奥を素手で掴まれた。
中江有里

現役人気AV女優が描く「老人の性」と「母の性」――、濃密な文章で綴られた衝撃作!

「春、死なん」
妻を亡くしたばかりの70歳の富雄。理想的なはずの二世帯住宅での暮らしは孤独で、何かを埋めるようにひとり自室で自慰行為を繰り返す日々。そんな折、学生時代に一度だけ関係を持った女性と再会し……。

「ははばなれ」
実母と夫と共に、早くに亡くなった実父の墓参りに向かったコヨミ。専業主婦で子供もまだなく、何事にも一歩踏み出せない。久しぶりに実家に立ち寄ると、そこには母の恋人だという不審な男が……。

人は恋い、性に焦がれる――いくら年を重ねても。揺れ動く心と体を赤裸々に、愛をこめて描く鮮烈な小説集。




[出演者(プロフィール)]

紗倉まな(さくら・まな)
1993年千葉県生まれ。工業高等専門学校在学中の2012年にSODクリエイトの専属女優としてAVデビュー。15年にはスカパー! アダルト放送大賞で史上初の三冠を達成する。著書に小説『最低。』『凹凸』(いずれもKADOKAWA)、エッセイ集『高専生だった私が出会った世界でたった一つの天職』(宝島社)『働くおっぱい』(KADOKAWA)スタイルブック『MANA』(サイゾー)がある。



「春、死なん」妻を亡くして6年の70歳の富雄。理想的なはずの二世帯住宅での暮らしは孤独で、何かを埋めるようにひとり自室で自慰行為を繰り返す日々。そんな折、学生時代に一度だけ関係を持った女性と再会し…。「ははばなれ」母と夫と共に、早くに亡くなった父の墓参りに向かったコヨミ。専業主婦で子供もまだなく、何事にも一歩踏み出せない。久しぶりに実家に立ち寄ると、そこには母の恋人だという不審な男が…。人は恋い、性に焦がれる―いくら年を重ねても。揺れ惑う心と体を赤裸々に、愛をこめて描く鮮烈な小説集。




春、死なん 紗倉まな著 2020/02/25 講談社 [拡大]



[ ISBN-13 : 978-4065185995 ]


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