
本書について
今回読んだのは中央公論社版「世界の名著 22」で、図書館のリサイクル本です。
角川文庫版も持っています。小場瀬卓三訳(角川文庫、1963/12/10)は解説を入れても126ページの薄い本です。これはわたしが(たぶん)高校生くらいのときに古本屋で買った本で、ずっと本棚にありました。数カ所線引がありますが、たぶん読んではいないと思います。
ただ、「解説」にだけは数種類の線が引かれていて、旧所有者の書き込みもありますから、旧所有者も私も解説だけは読んだのでしょう。
今までさんざん「我思う、ゆえに我あり」と書いてきて、なぜ読まなかったかというと、「人間は考える葦である」(パスカル『パンセ』、これも読んでいない)よりもずっと「当たり前で大切」だと思ってきたからです。
最近読んだといっても、もう半年以上前です。今回感想を書こうとして書き抜きをしたのですが、そのとき大切だと思ったことと、いま大切だと思うことはだいぶ違います。
本を読んで理解できるかどうか、どれが大切なのかなどは、その時の気分によるところが多いのですが、その時に何を考えているか、そのためにどれくらいの予備知識があるかも大切です。だから、一年前、十年前に読んだときはなんとも感じなく読み飛ばしたことも、あらためて読むと理解できるだけじゃなくて、その重要性も感じることがあるのです。
近代西欧思想を高らかに宣言したと多くの人がいうコトバです。
Je pense, donc je suis.
フランス語です。当時(1637)、学術書といえばラテン語(正式な言語)で書かれていたのですが、この本はフランス語(俗語)で書かれました。ラテン語で書けば、ヨーロッパ中の学者(知識人)が読むことができます。フランス語といってもどんなフランス語なのかは私にはわかりません。1637年といえば、日本では江戸時代です。その頃の日本の文献はたぶん正式文書は漢語で書かれていたと思うし、通俗書は漢字仮名交じり文で書かれていたでしょう。そのうえ、庶民が「〜候」などと言ってはいなかったはずです。いずれにしても、庶民は文字の読み書きなどできない時代です。それはフランスでも同じです。ですから、庶民に向けて書いたのではないことは明らかです。
教会で『聖書』は何語で読まれていたのでしょうか。印刷されたフランス語訳聖書は1530年だそうです(ジャック・ルフェーヴル翻訳)。でも、多くの教会ではラテン語聖書が使われていたのではないでしょうか。日本では未だに漢語訳の仏典によるお経が一般的です。「南無阿弥陀仏」「南無妙法蓮華経」「色即是空空即是色」とかね。なんかそのほうが「ありがたい」気がしてしまいます。
「我思う、ゆえに我あり」は、Je pense, donc je suis. よりもラテン語の cogito ergo sum の方が有名です。Wikipedia によると、『哲学原理』(1644)でデカルト自身がこのラテン語の表現をしているそうです。
ラテン語よりもフランス語で書いたほうが、ヴァチカンの目に止まりにくいと考えたのでしょうか。
当時、ローマの宗教裁判はもちろん新教国では問題とならず、また旧教国フランスの僧侶も俗人も、ローマで裁判されるというおそれはなかった。ローマの裁判は事実上イタリア人だけを対象とした。(野田又夫「デカルトの生涯と思想」、本書『世界の名著 22』所収、P.40)
ガリレオ・ガリレイはイタリア人だから異端裁判にかけられたのですね。
ではどうしてフランス語で書いたのでしょうか。憶測はできます。1633年にガリレオ・ガリレイが地動説を唱えて異端審問にされたことの影響と見ることもできます。実際、デカルトは同じような考えに基づいて書いた『世界論(宇宙論)』の刊行を中止しています。そして『方法序説』を書いた理由をこう述べます。
第一の理由は、もし私がそうしなければ、以前に私がなんらかの著作を出版しようとする意図をもっていたことを知っている多くの人が、私が出版を思いとどまった原因を、事実以上に私に不利なものだったかのように思いこむかもしれないからである。(本書 P.219、以下本書からの引用はページ数のみ記載)
きっと今と同じように、尾ひれのついた噂が流れていたのでしょう。デカルトは小心者といえば小心者、良識的といえば良識的です。角川文庫版の訳者小場瀬卓三さんは「解説」で、
かれは進歩的な人間だったが、けっして革命的な人間ではなかったのである。(角川文庫、1963/11/10、P.112)
と言っています。
さて私にこの書物を書かせた第二の理由は、無数の実験が必要でありながら他人の助けなしでは行えないために、自らを教育するという私の計画がいよいよ遅々として進まないのを日々見ていると、たとえ世間が大いに配慮してくれると期待するほどのうぬぼれはもたぬにせよ、私より後まで生きる人々が、後日次のように私を非難する種をまいておくほど、私自身のことをなおざりにしたくはないからである。すなわち、いかなる点で彼らが私の計画に協力しうるかを知らせることを、私がそれほど無視しすぎなかったならば、私ははるかによい遺産を彼らに残しえたであろうに、と。(P.219)
あとから「手伝ってくれ、と言ってくれたら良かったのに」と言われたくなかったのでしょう。逆に「手伝ってくれ」と言っているようにも取れます。素直ですね。
デカルトは数多くの実験を行って、それを発表しています。当時だって実験を行うにはお金と時間と人手が必要でした。どれも無限にあるのではありません。特に「時間」だけはどうしようもありません。あの実験もこの実験も「したい」という思いが溢れていました。そしてその結果を公表したかった。自分が自分である証として。「自分が存在した(存在している)」という証として。その気持も「Je pense, donc je suis. 」ということばに込められている気がします。遍歴生活、軍隊生活、隠遁(引きこもり)生活の中で彼は叫びたかった。「私はここにいる(いた)」と。それは教えられた言語(ラテン語)ではなく、「母語」、自分にとって最も思いを表すことができることば、フランス語で。この感情を彼は「理性」と呼ばざるをえなかったのではないでしょうか。
デカルトはフランス語で書いた理由をこう述べます。
また私が、私の先生たちのことばであるラテン語でなく、私の国のことばであるフランス語で書くのは、生まれつきの理性のみを用いる人々のほうが、むかしの書物しか信じない人々よりも、私の意見をいっそう正しく判断してくれるだろうと思うからである。(P.221)
「生まれつきの理性」、ドイツ人なら「直観」「悟性」「先験的」とでも表現しそうなことです。
言語が思考に影響を与えるということでもあります。私はイリイチの「教えられた母語とヴァナキュラーな話し言葉」の違いを連想しました(ヴァナキュラー = その土地・地域・家独特、そこで育ったもの)。いま私が書いているこの日本語は、「教えられた母語」としての「共通語(標準語)」です。方言に象徴される「ヴァナキュラーな話し言葉」はどんどん失われています。教えられた母語でも感情表現は(ある程度)可能でしょうし(中世の学校では、ラテン語以外で会話することを禁じていたこともありました)、理性的に考えることはできます。理性的(論理的)に考えるためには、むしろ教えられた母語のほうが向いているかもしれません。ヨーロッパでいえば、それがラテン語です(でした。いまは英語なのかもしれません)。
論理的(理性的)な言語は「自然言語(そこで生まれ育った言語、つまりヴァナキュラーな言語)」の中には存在しません。自然のなかに「論理そのもの」があるわけではありませんから(それを見つけ出すのは人間の側です)。ことばというものを「考える」とすぐ「意味するものと意味されるもの(シニフィアン・シニフィエ)」の分離が現れます。「考えるものと考えられるもの」との関係が外に現れたものです。それを「ある」と考えると、それが「一意に対応する」ものじゃないことが見つかります見えます。「デノテーション(外延、外示、一次的意味、明示的意味)とコノテーション(内包、共示、二次的意味、暗示的意味)」などが見えてきます。そういう面倒で曖昧なことがない言語、それは「論理(概念)でつくられた言語」でしかありません。いわゆる「人工言語」です。コンピューター言語はとても論理的で曖昧さを許しません。ジョージ・オーウェルの「ニュースピーク Newspeak(Wikipedia) 」(『一九八四』1949年)やエスペラント語(私は全然知らないけど)なども連想してしまいます。ラテン語が形成されていった過程にも同様なものがあるように思います。
ことばが「何かを(誰かに)伝えたい」というものだとすると、「何か」を「誤解や曖昧さがないように」「そのまま」伝えられることが理想です。ことばを使わずに「暴力」で伝えることもできます。DVなどはそうなのではないでしょうか。でも、伝える相手が多くなったときいちいち暴力を振るうことは不可能になってきます。暴力を使わずに意思を伝えること、それがことばです。
自分がことばを使うこと(理解できること)は相手もことばを使うこと(理解できること)と同義です。「赤」と言えば、相手も「赤」を理解する(その内実がなんであろうと)だろうことを前提としています。でも、どこからどこまでを「赤」というかの範囲は人によって異なります。文化によって、国によっても違います。「赤」ということばが惹起するイメージ(情熱とか、共産主義とか)となると文化によってまったく異なります。それがヴァナキュラーということです。より多くの人に伝えるためには、そのヴァナキュラー性を、いわば個性・独自性を削っていかなければなりません。論理的な言語というのはまさにそういうことばです。オーウェルの考えた「ニュースピーク」は、まさしく抑圧と支配のための言語です。ラテン語はローマ帝国を支配するための言語だったし、植民地には宗主国のことばを強制します。共通語(標準語)の学校教育等での強制は、結果として国民支配の道具になります。支配地域が広くなればなるほど、言語はヴァナキュラー性を削ぎ落とされた「論理的」なものにあるのではないでしょうか。
方言が失われつつある現代、「感情(気持ち)を表現するなら方言じゃなきゃ」という感覚はなくなりつつあるように思います。そういう感覚が残っている人なら、「感情を表現するのがヴァナキュラーなことば」「論理を表現するなら共通語」という意味がわかってもらえるのですが。
近世のヨーロッパの学校ではどのようなことを教えて(学んで)いたのでしょうか。
これ以後には、詩篇集と聖歌の教育を主眼とした中世の学校に、「形式科」の三学(ラテン語文法、修辞学、論理学)、「実質科」の四学(幾何学、算術、天文学、音楽)が加えられ、最後に神学教育によって完全なものとされることになる。(フィリップ・アリエス『〈子供〉の誕生―アンシァン・レジーム期の子供と家族生活』みすず書房、P.134)
中世の末期にいたるまで、そして多くのばあいそれ以後においても、宮廷人、軍人、行政官、商人、労働者など、いかなる職業であるにせよひとつの職業に入るためには、その職業に入るに先立ってその活動に必要な知識を学ぶことが必要とされたのではなく、その職業に先ずは直接に入り、そしていったんその内部に入ってから、すでに経験を積んでいる大人と一緒に仕事をしたり、生活上の共同体のおかげで、日常的な活動のなかでこれらの知識を身につけていたのである。(同書、P.184)
また、イヴァン・イリイチは17世紀後期のドイツについてこう言っています。
かれらは教育を受けるために学校に行ったのではありません。ペンの持ち方を学ぶために学校に行ったのです。わたしは中世についても同様なことを語ることができます。教育を受けるために学校に行くという考えは、非常にゆっくりと現れてきました。(イバン・イリイチ『生きる意味』藤原書店、P.101)
当時、ものを書くという技術や何かを勘定するという技術は職人だけがもっていました。近世において、学校では読む技術(これは聖職者に必須の技術)を教えていましたが、書く技術について教えることは職人のギルドの反対にあっていました。
というのは、それらの一般的原理が私に教えるところでは、人生にきわめて有益なもろもろの認識にいたることが可能なのであり、学院で教えられる理論的哲学の代わりに一つの実際的哲学を見いだすことができ、これによりわれわれは、火や水や風や星や天空やその他われわれをとりまくすべての物体のもつ力とそのはたらきを、あたかもわれわれが職人たちのさまざまなわざを知るように判明に知って、それらのものを、職人のわざを用いる場合と同様それぞれの適当な用途にあてることができ、かくてわれわれ自身を、いわば自然の主人かつ所有者たらしめることができるのだからである。(P.210)
デカルトが目指したのは、職人だけがもっていた技術を「学問」にすることです。資本主義の発達に伴う工場の機械化には、職人の技術を分析・分解・単純化・標準化することが必要でした。そのために必要なのが科学的な知識です。それぞれの職人が持っている技術を「知識(知)」として学問のなかに取り入れること、それは職人がもつ「特殊な」技術を「一般化」することです。
デカルトにはどこかに職人を羨む気持ちがあったのかもしれません。すべてを知識として、学問として一般化することは、「全知全能になろうとすること」です。それは神に与えられた使命をまっとうするというよりは「神に取って代わろう」とする行為なのではないでしょうか。
さて、肝心の「我思う、ゆえに我あり」のことに触れましょう。
西田幾多郎はこう言います。
自己は自己の對象となることはできない。自己の對象となるものは自己ではない。(西田幾多郎「デカルト哲學について」『哲学論文集 第六』所収、旧全集第十一巻、P.148)
「考えられる我」は認識・知覚・考察の対象となりますが、「考える我」にはそれができません。デカルトにもそれがわかっていたんだと思います。たしかに「考える我」は疑いなく「いる」ように思えます。でもそれだけでは「我あり(我が存在する)」とは言えないのです。「我」を対象にする限り、「「「考える我」を考える我」」を考える我」・・・、どこまでいっても主体としての「我」を対象とすることはできません。
すべてを疑った末に、「私(我)だけはある」という結論に達したのですが、その「私」を対象化できないということは、私から見た対象である「他者」や「他物」が「ある」ことも確実ではなくなります。そう言っている「私」がいないのですから。つまり、主体と客体が「ある」という為に(代わりに)「神」だけが「ある(存在している)」。そのおこぼれとして(神を分有することによって)「自分たち(私、あなた、人間、動植物、自然、宇宙)」があるというのがデカルトの論理だと思います。だから、デカルトは「神」を持ってこざるをえなかったのです。というか、デカルトの論理は「神の存在」という前提のもとに成り立つのです。
この「考える我」と「考えられる我」の関係は、英文法でいう「能動」と「受動」の関係です。日本語の学校文法は英文法が基礎となっているので、能動と受動という関係に疑問を持つ日本人は少なくなっているかもしれません(そのうえ今では小学校から英語を勉強しています)。英語やフランス語などのインド=ヨーロッパ諸語には能動と受動の他に「中動」というものがあります(ありました。中動の詳しい話は金谷武洋さんの『述語制言語の日本語と日本文化』の感想で書きました)。
日本語でも同じようなものはあります。たとえば「富士山が見える」というのは「富士山を見る」でも「富士山に見られる」でもありません。そこには「主体(我思う)としての私」はいません。そこに英語の「 I 」、フランス語の「 je 」はいないのです。でも、フランス語では主体としての(主語としての、あるいは代名詞としての)「 je 」は不可欠です。
ラテン語の「 sum 」は、不規則動詞 sum,esse(ある、いる)の直説法・現在、1人称単数形です。ですから、一語で「 I am 」「 je suis 」と同等の意味をあらわすのですが、英語やフランス語では動作の主体としての「 I 」や「 je 」が明確に(目に見える形で)表現されています。現在何千とある言語の中で主語が必須なのは8つだそうです。
主語が不可欠な言語は、パルムターの報告によれば、地球上に8つしかなく、それが今、7つになろうとしているのである( David Perlmutter, Deep and Surface Structure in Syntax, 1971 )。(金谷武洋著『述語制言語の日本語と日本文化』文化科学高等研究院出版局、P.18)
具体的に言えば、すべての文に主語が必須な言語は、まずスェーデン語、デンマーク語、ノルウェー語、オランダ語、ドイツ語、英語の6つが挙げられる。一方、ラテン語から派生したロマンス諸語のなかで主語が義務的になったのは2つしかない。それがフランス語とスイスで話されているロマンシュ語である。(同)
明確な主体(主語)が必須とされる言語、あるいは文化というのは普遍的でも一般的でもないと私は考えています。その8つの言語の一つであるフランス語で、デカルトは自分を思いを書いたのです。
神が必要だった、あるいは神の存在を前提としてそれを証明するためにデカルトは『方法序説』を書きました。神の存在証明としてあげられているのは3つです。一つ目、
なんとなれば、より完全なもの〔神の観念〕が、より不完全なもの〔私の存在〕の結果であり、これに依存するものであるというのは、無からあるものが生じるというのに劣らず、矛盾だからである。したがって、当の観念は、私よりも完全でかつ私が考えうるあらゆる完全性をみずからのうちにもつところの存在者、すなわちひとことでいえば、神であるところの存在者、によって、私のうちにおかれたものである、というほかはなかった。(P.190)
彼は「空虚(無)」というものを否定していました。
二つ目、
というのは、もし私が唯一のものであって、他のすべてから独立であり、したがって、私がわずかながら完全な存在からの分けまえとしてもっているものを、私自身から得ているのならば、同じ理由により、私がみずからに欠けていると知っているところの、残りの完全性のすべてをも、私自身からとりだしえたはずであって、したがって私は私自身、無限で、永遠で、普遍で、全知で、全能であり、けっきょく、神においてあると私の認めえたあらゆる完全性をもつことができたはずだからである。(P.190)
デカルトは「神に近づきたかった」。場合によっては神になれるという可能性も感じていたのかもしれません。
三つ目、
しかるに、ふたたび完全な存在者の観念の中には現存ということが含まれており、それはあたかも、三角形の観念にはその三つの角の和が二直角に等しいことが含まれ、球の概念の中にはその各部分が中心から等距離にあることが含まれる、のと同様に明証的であり、あるいはむしろいっそう名称的である、ということを私は見いだした。(P.191-192)
よくわからないので別の機会にじっくりと考えようと思っていますが、ぱっと見た感じで言えば、「自分は不完全だけど、私は完全なものを思考(志向)できる。だから、私は完全な存在者の一部を分有しているとしか考えられない(プラトンのイデアのように?)。現実に存在しているものは観念と合致しているのだから、観念が存在している以上、神が存在していると言わざるをえない」ということでしょうか。
これには、「観念(人間の頭の中にあるもの、あるいは主体)」と「存在(客体)」を混同しているんじゃないか、というツッコミが当然入るわけです。でも、そういう批判も主体と客体を分離して別のもの(存在と呼べるかどうかは別として)と考えているわけです。「考える私(主体)」と「考えられる私(客体)」という見方をしている限り、その批判はデカルトを乗り越えることはできません。
ちょっと気になった文章があります。理解できなかった文です。
というのは、実験がそれらの結果のほうの大部分を確実なものとしているのであり、それら結果が演繹される原因の方は、それら結果を「証明」するよりはむしろ「説明」する役をしており、まったく反対に原因こそ結果によって「証明」される、のだからである。そして私がそれら原因のほうを「仮説」と名づけたのは、すでに述べたもろもろの第一原理からそれら原因を演繹できると私は考えるけれども、その演繹をここではわざとしないのだ、ということを人々に知らせるためにほかならないのである。(P.220)
う〜ん、わかりません。後半の角川文庫版の訳を見てみましょう。
そしてわたしはそれらをば仮定と名づけたが、それはもっぱら、わたしはそれらをばさきに説明した第一の諸真理から演繹できると考えてはいるが、しかもわざとそこから演繹することを欲しなかったということを知ってもらいたかったからがためにほかならない。(角川文庫版、P.93)
「仮説」が「仮定」となっています。それはどちらでもいいのですが、デカルトは自分が発見していた「第一原理」に自信をもっていました。それこそが「我思う、ゆえに我あり」です。すべてはそこから説明(演繹)できると。「第一原理 → 仮説 → 実験結果」ですが、この「結果」が「原因(仮説)」を証明すると言っています。第一原理は「原因 ↔ 結果」(因果律)を超えたものだということです。原因・結果という現実の世界を超えたもの、それが「私(あるいは人間)の存在」です。現実の世界(自然)を超えた存在としての「私(人間)」、デカルトは神に近づこうとしていたんだと思えます。
「演繹 déduction」ということばは、学校で数学の授業で「帰納」とセットで習ったと思いますが、日常では使われませんね。西欧ではいろいろな意味で日常的に使われるようです。この二つの言葉が対になる語としてセットで使われるようになるのはニュートン(1642-1727)以降です。先程書いた「第一原理 → 仮説 → 実験結果」という流れの意味でデカルトは演繹という言葉を使っています。
では「帰納 induction」はどうでしょうか。ラテン語では inductio 、古典ギリシア語 ἐπαγωγή の訳です。現代の用法では、「いろいろな具体的な事象から一般的な法則を導きだす」というような意味ですが、プラトンやアリストテレスの用法は、具体的(現実的)なもの(個物)を見て、そこにイデア(形相)を見るような「視線転換(視点上昇)」の意味です(古田裕清『西洋哲学の基本概念と和語の世界』参照)。それは実在するもの、具体的なもの(あるいは既成の概念)を「疑う」ということとはまったく違います。むしろデカルトの言う「生まれつきの理性」が当然に導くものです。「原因が第一原理を証明する」ということにはなりません。第一原理は証明されるものでも疑われるものでもありません。
人間はどうすれば神に近づけるのでしょうか。それは「個々の私」つまり「個人」で達成できるものではありません。ある人はあることを達成するだけで終わってしまいます。しかし、
こうすれば、あとの者は先の者が終えたところからはじめることになり、かく多くの人の生涯と努力とをあわせることによって、われわれは皆いっしょに、めいめいがひとりで達しうるよりもはるか遠くまで進むことになるであろう、と思ったのである。(P.211)
誰かが後を継ぐ、そしてそれは「初めから」ではなくて前の人の「終わりから」始められるということです。デカルトは、前の人の「遺産」をどう考えていたのでしょうか。『方法序説』しか読んでいない私にはわかりません。彼の実験道具が残っているのかどうかわかりませんが、「物」として残ることもあるでしょう(遺物がその文化を表すというのには疑問が残りますが)。多分、デカルトが想定しているのは文献でしょう。彼は実験結果や思索の成果を公表(出版)したがっていたのですから。でも彼はこれとは違うようなことも言っています。
あることを他人から学ぶ場合には、みずから発見する場合ほど十分に、そのことを理解しそれをわがものにすることができないものだからである。(P.215)
実際私自身のことをいえば、もし私が若いときすでに、そののちになって私が証明を求めた真理のすべてを、人から教えられ、それを学ぶのになんの労苦もいらなかったのであったなら、私はおそらくその他のどのような真理をも知るにはいたらなかったであろう。(P.217)
P.211と反対のことを言っているように見えませんか。知識(知)は増加するけど、経験がともなわないとだめだということです。
デカルトは単純に前の人の遺産を引く次ぐことが「進歩(あるいは進化)」だと考えていたわけではないということです。「私自身」の若い頃の遍歴の経験がここで語られているのです。
デカルトは1596年にフランスで官僚(高等法院評定官)の子として生まれました。2歳で母をなくし、祖母と乳母に育てられます。学校を卒業すると「本を捨てよ、街へ出よう」(寺山修司)という感じで、遍歴が始まります。三十年戦争に参加したりもしますが、結局オランダで「炉の部屋引きこもり生活」を始めます。そして『方法序説』を出版するのですが、こんな生活ができたのはたぶんいくらかのお金があったからでしょう。
「高等法院評定官」は「法官貴族(法服貴族)」で、「封建貴族」とは違ってお金持ちのブルジョワが土地や官職を買って「貴族」になったものです。
『方法序説』は故郷を離れ、社会的しがらみを避け、既成(既得)の知識を再吟味して行く末に「第一原理」にたどり着く道すじ「方法」を書いたものです。それは既成の知識を引き継ぐことではなくて、それを疑い、自分で考え抜くという道すじです。彼は自分がたどり着いた「第一原理」に自信がありました。「我思う、ゆえに我あり」は「我疑う、ゆえに我あり」なのです。でも、みんなが同じようにするべきだ、あるいはできるはずだとは思っていなかったのではないでしょうか。私はできるかぎりのことをやった、あとの人はそんな苦労をしなくても私の成果から始めればいい、そう思っていたんではないでしょうか。でも、そこには、つまり彼の著作には彼の「経験そのもの」は書かれていません。経験そのものを書くことはできないのです。
文字は、ことばと同様、対象の一部を表したものです。ただ話し言葉とちがって、ある場所、ある時間、つまりある状況を離れて存在することが来ます。話し言葉は、その文や単語ではなく話された状況が意味を作り出すのですが、文字はその全体性を捨象することによって固定化したものです。それが経験(体験)を表さないのは当然です。「自転車の乗り方」が書いている本を読んだからといって自転車に乗れるようになるわけではありません。デカルトは自分の経験を『方法序説』という本にしました。しかし、それが彼の経験自体を表しているとは思えませんでした。その相反する気持ちを素直に書いていると思います。
文字は部分しか表しません。全体を表すことはできません。それは抽象です。でも、それはなにか全体を表しているように思えます。それはデカルトの「不完全さ」が「不完全なるがゆえに」「完全なもの(神)」の一部を表している(分有している)ということと同じことだと思います。
デカルトは機械論的世界観だと言われます。
猿はまたどれかほかの、理性をもたぬ動物と、まったく同じ器官をもち全く同じ形をしているような機械があるとすると、その機械がそれら動物とどこかでちがっているということを認める手段をわれわれはもたないであろう。(P.206)
ちょっと長いですが、続きを見てみましょう。
しかしながら、われわれの身体とよく似ておりかつ事実上可能なかぎりわれわれの行動をまねるような機械があるとしても、だからといってそれがほんとうの人間なのではない、ということを認めるための、きわめて確かな二つの手段を、われわれはやはりもつであろう。その第一は、そういう機械が、われわれが他人に自分の考えを述べるときのように、ことばを用いたり、またはほかの記号を組み立てて用いたりすることは、けっしてなしえないだとうということである。というのは、なるほど一つの機械がことばを発しうるように、さらにはその器官になんらかの変化を起こす物体的作用に応じて、なんらかのことばを発しうるようにさえたとえばどこかをさわると「なんのご用ですか」と問うとか、ほかの場所にさわると「痛い」と叫ぶとかつくられている、と考えることはできる。けれどもそういう機械が、自分の前でいわれるすべてのことの意味に応じたこたえをするために、ことばをさまざまに排列するとか考えられないのである。これは人間ならばどんなに愚かなものにでもできることである。さて第二の手段は、そういう機械は多くのことをわれわれ同様に、あるいはときにはわれわれ以上にうまく、なしうるであろうが、やはり必ず何かほかのことではなしえないことがあって、この点から見てその機械は、認識によって行動しているのではなく、ただ器官の配置のみによって行動しているのだということが、暴露されるのである。というのは、理性は普遍的な道具であってあらゆる種類の機会に用いうるものであるのに対し、それらの器官は、いちいちの個別的な行動のためになんらかの個別的な配置を必要とするのであり、したがって、生のあらゆる状況において、われわれの理性がわれわれを行動させると同じしかたでその機械をして行動せしめるにたるだけの、多様な器官の配置が、一つの機械の中にあるなどということは、実際上不可能なことだからである。(P.206)
デカルトは夭折した娘フランシーヌの人形を作り、トランクに入れて持ち歩いていた、という寓話は有名です。金塚貞文さんの『デカルトの鏡』(1998、河出書房新社)には、当時の国営鏡工場とともにデカルトの人形らしき話が出てきます(話の舞台はデカルトが死んだあとのフランスです)。ある娘が人形なのか、人間なのか。それを判別する方法がこの文章です。映画『ブレードランナー』(1982、原作はフィリップ・K・ディック『アンドロイドは電気羊の夢を見るのか』)では、デッカードがアンドロイドかどうかを判定する機械を使って脱走したアンドロイドを探します。最近の話をすれば、ChatGPTを使って書いた文章かどうかを判別するプログラムというものがあります。フェイク動画(画像)かどうかを判別するプログラムも盛んに作られています。最初の文章は、「そのプログラムは不可能だ」といっているように思えます。それは、その機械も、その機械を判別する機械も人間がつくったものだからでしょう。
私がよく失敗するのは、なにかの道具や電気機器(家電など)を買いに行ったときに、目的にあった機能だけじゃなく「これにも使えます、あれにも使えます」と多目的に使えるものを買ってしまいます。「一台◯役」というやつです。でもけっきょくその目的以外には使わないし、その肝心の目的のために使うなら、専用の機材のほうが断然使い勝手が良いことが多いのです。
「万能の機械(AI)」は可能なのでしょうか。デカルトなら「理論上は可能だが、実際上は不可能だ」と言いそうです。
生命を吹き込まれた木偶人形の伝説は、すでに古代オリエント諸国やギリシアにもあったし、中世ヨーロッパのスコラ哲学的雰囲気の修道院や、ルネサンス期のイタリアの宮廷にもあった。法王シルヴェステル二世や、大ルベルトゥスや、レオナルドや、デカルトなどといった、それぞれ当代一流の科学を身につけた知識人たちが、いずれも、この自動人形制作の夢に憑かれていたという事実は興味深い。(澁澤龍彦「人形愛 あるいはデカルト・コンプレックス」『幻想の画廊から』所収、澁澤龍彦全集8、1994/01/07 河出書房新社、P.434-435)
十七世紀の哲学者デカルトは、その娘の死を深く悲しんで、一個の精巧な自動人形をつくらせ、これを「わが娘フランシーヌ」と呼んで愛撫したという。しかし人形愛を語る場合、父親は必ずしも
現実的に父親である要はあるまい。ボオドレエルのような、生命の連続を嫌悪する徹底した反自然主義者は、父親になることを好まず、絶対に後継ぎをつくるまいとする。自分に価値をあたえる方法はこれ以外にはないからである。むしろ、このような狂気じみたナルシストが、みずから父親たることを拒否する立場に身を置きつつ、架空の父親に自己を擬して、ひそかに人形を愛するのではあるまいか。このような自己愛の変形した心理を、わたしは「デカルト・コンプレックス」と名づけたいと思う。(同書、P.439)
オナホールから、ラブドール(ダッチワイフ)、抱き枕、キャラクター人形、マネキン人形など、私はそこに「エロチック」なものを感じます。それらには写真やビデオではなく「直接触れられるもの」、ある意味での「全体性(現実性)」があります。
それらは「独身者の機械」です。
思うに、「独身者の機械」とは、言い得て妙である。近代芸術の深層心理にひそむ最も根本的な問題が、ここに胚胎するとわたしは考える。およそ反自然主義の系譜につらなる近代の芸術家にして、「独身者の機械」を一度でも夢想したことのない芸術家がいるであろうか。(同書、P.438)そこでは、結局、人形を愛する青年と人形との同一性が証明され、青年の情熱が自己愛として規定されている。(同書、P.440)
「独身者の機械」は、それを愛する主体そのものなのです。どうしてそんなことになるのでしょうか。
古代人を熱狂させていた神聖な密儀の習慣のすたれるとともに、他者(女)との交流の確信を失った近代の自意識は、自然を離れ、必然的に機械崇拝におもむかねばならなかったのである。無秩序な自然(女)はナルシシックな自意識を困惑させ、恐怖させる。むしろ人間によってその動きや効果を完全に制御された機械(人工の女)を相手にしたほうが快適ではないか?・・・(同書、P.435)
今なら「女性蔑視」「ジェンダー差別」といわれるような文章ですが、私はジェンダーの衰退そのものがこの状況を作り出していると思います。
すなわち、エロティクな領域において、二つの主体間の交流が断絶され、主体同士の接触が不可能となるような状況をつくり出す。(同書、P.438)
その状況は「恋愛の不可能性」とも呼べるものです(浅見克彦『愛する人を所有すること』参照)。
それは、「考える我」が作り出した「考えられる我」つまり「対象としての我」、それはすなわち他者(女)であり、「対象(機械)としての自然」です。それと「考える我」との交流の不可能性です。
デカルトが「我思う、ゆえに我あり」という第一原理の根拠を神に求めざるをえなかったこと、そしてそれが不可能であったことがデカルトを「独身者の機械」にしたのです。
実験、研究、思索によって、デカルトは「全知全能」に近づこうとしました。でも、自分が全知全能になれるとは考えていなかったと思います。神を失った現代人には、「我(自己)」だけがあります。たとえその自己が肥大し暴走したとしても、それを止めるものはもう何もありそうに思えません。

