イスラーム文化 その根底にあるもの 井筒俊彦著 1991/06/17 岩波文庫

イスラーム文化 その根底にあるもの 井筒俊彦著 1991/06/17 岩波文庫
図書館リサイクル本

井筒さんの本は読んだことがないように思います。この本は講演です。

昭和五十六年春、国際文化教育交流財団の主催する「石坂記念講演シリーズ」第四回目として、私はイスラーム文化に関する三つの講演をする機会をもった。(P.227)

イラン革命のすぐあとです。「オイルショック」(1970年代に2回)以降、日本でも中東情勢が大きく報道され続けています。中東といえばイスラーム(イスラム)の国々です。マスコミがイスラムをどのように報道しているのでしょうか。

U23がアジアカップで戦ったカタールとイラクはイスラーム教(スンニー派)の国です。今も続いているイスラエルと(パレスチナ自治区の)ガザ地区の戦争ですが、イスラエルはユダヤ教の国です。ガザ地区を支配しているハマス(ハマース)はイスラーム教スンニー派の原理主義だと言われています。

私はイスラーム教については何一つ知らないのですが、少し整理します。よく聞くのは「スンニー派」よりも「シーア派」です。マスコミはシーア派とかスンニ派(スンナ派、スンニー派)をわかるように報道しているでしょうか(同様のことはロシアとウクライナにも言えますが)。イラン(ほとんどがシーア派)ホメイニ師(私はハメネイ師との違いがわからないほどなにも知りません)が起こしたイラン革命(1978-79年、この本の単行本が発刊されたのは1981年)はなんだったのでしょうか。その後、9.11事件(アメリカ同時多発テロ、2001年)が発生し、アメリカはアルカイダ(スンニー派)の指導者オサマ・ビン・ラディンを殺しちゃったわけですが、アメリカはどさくさに紛れてタリバン(スンニー派)アフガニスタンを壊滅的に破壊し、ついでにイラクまで攻撃しちゃったわけです。そしてイラク(スンニー派)サダム・フセイン(スンニー派)を逮捕して殺してしまいました。このイラク戦争には日本の陸上自衛隊も派遣されました。

このような事情をマスコミはどこまで報道し、日本国民はどのくらい知っていたのでしょうか。私はまったく知りませんでした。せめて派遣された自衛隊員は教えられていたと信じたいのですが。

ティッシュ・トイレットペーパー・生理用品

オイルショックの映像でよく流されるのは、トイレットペーパーの買い占めに走る光景です(「トイレットペーパー騒動」1973年、Wiki)。その騒動な「なぜ」起きたのはについては、よくわかりません。

日本でティッシュ(「ティッシュペーパー」は和製英語)が発売されたのは1953年。箱入りティッシュが発売されたのは1964年、東京オリンピックの年です。一般に普及したのはもっとあとでしょう。それまではどうやって鼻をかんだり、ちょっとジュースをこぼしたのを拭いたりしていたのか覚えていますか。

TOTOがウォシュレットを発売したのが1980年。それまでは(いまでも)トイレットペーパー(和製英語)です。丸く巻かれたトイレットペーパーの前は古紙のちり紙、または新聞紙。その前はなんだか知っていますか。

ティッシュやトイレットペーパー(あるいは生理用品)がない時代はそんなに昔ではありません。別に調べなくてもその頃のことを知っている日本人はたくさんいるはずです。ところが、大昔から「人間はティッシュやトイレットペーパーを使う動物」だと思いこんでいるようなところがあります。私自身、その頃の記憶は曖昧です。ウォシュレットを使い始めたのは十分おとなになってからですが、なんとなくウォシュレットがないと用を足しにくく感じてしまいます。ウォシュレットなしの用の足し方に自信が持てないのです。

歴史、書かれた歴史を勉強するのは大切なことです。でも、自分の親や祖父母の話を聞いたことがあるでしょうか。「年寄は昔話をするから嫌だ」と私自身が思っていたし、そのはなしを信じるより「紙に書かれたもの」の方が「信憑性がある」と思っていました。私にとっては「書かれた文字」の威力(権威)は絶大なのです。私の経験上、書かれたものやマスコミがどれほど「間違った(事実とは異なる)」ことであるかを知っているはずなのですが、自分と書かれたものや報道されたものと親や祖父母の話とどれを「信じ」ればよいのか、最近ますますわからなくなっています。特に自分が「あたりまえだ」と思っていたことがどんどん崩れているのが現状です。

私はずっと「正しくあろう」として生きてきたし、「社会正義」がなされないことに対する怒りで「不満(不満足)」を感じ続けてきました。それは「道徳」や「政治闘争」や「宗教」では解決されないものだと思っていたので、生き辛い思いを抱きつつけてきました。そこにはある種の「信念」のようなものがありました。いま、その信念そのものが足元から崩れています。その信念と宗教があまりにも共通点が多いことに気づいてしまったからです。

文化
ポッパーによりますと、各文化は、それなくしては独自の文化として自己を保持することのできない構造的枠組を本来的にもっている。この枠組は思考、感情、行動についてのいくつかの重要なカテゴリーの構成する内的構造体であって、それがその文化の成員のものの考え方、感じ方、行動の仕方をあらかじめ決定する、というのであります。ですから当然、この文化的枠組の提示する範疇的決定線から外れて  あるいは、それに反抗して  考えたり、感じたり、行動したりすることは、その文化共同体に属する人々にとっては極めて困難な、というより不可能なことでありまして、もし敢えてそうするような人があれば、たちまちその文化から疎外されて余所者扱いされ、もっとひどい場合になると反逆者として殺されさえもする、ということになります。(P.14)

わたしはその文化や社会、言い方を変えれば「世間」に反抗してきたし、そこに居場所がない寂しさを感じ続けていました。わたしはいま、その文化、つまり日本(日本語)がいかに自分を形作っているのかに気づき始めています。それを批判し続けてきた「道具」そのものに疑問をいだいているのです。

私を形作っているのは、戦後の民主教育に代表される西洋的なもの(そこには西洋論理とキリスト教の影響がある)と日本的なもの(気が付かないものがほとんどだけど仏教的なものと日本古来のものの融合)という二つの文化です。文化の衝突について著者は

だが、とポッパーは付け加えていいます、決して危険だけではない。異文化の衝突から起こりうる危険は疑いもなく大きい。しかし、同時に、それはまた文化的創造性の源泉でもありうる、と。(P.15)

今日、後でお話するイスラーム文化もまた、地中海文化、イラン文化、インド文化、アフリカ文化等との文化枠組的接触の、創造的エネルギーの働きの所産にほかならないのであります。(同)

二つの全く違った伝統的文化価値体系の衝突によって惹き起こされる文化的危機。そのダイナミックな緊迫感の中で、対立する二つの文化(あるいはその一方)は初めて己を他の枠組の目で批判的に見ることを学ぶのです。(P.16)

「批判的」というのはとても耳障りの良い「民主的」な言葉です。似た言葉に「否定的」があります。その二つはまったく異なることです。私がやってきたことは「否定」だったのかもしれません。明治以降の日本が行ってきたことも、それ以前の「日本的なもの」の否定だったような気がします。いまの日本における「〇〇ハラ」や「差別(障害者・老人・学歴など)が基づいている感情は、「批判」なのでしょうか「否定」なのでしょうか。どんどん後者の意識が強まっているように思えてなりません。「多様性を認める」と言いながら、「生きづらさ」がどんどん増えてきているように思えるのです。

砂漠の宗教?

私はイスラームと言うと、「アラビア半島(アラブ)」をイメージし、ターバンやアラビアンハット(布の上に輪っかを乗せたような帽子)や「砂漠」をイメージします(もちろん行ったことはありません)。

全体的に砂漠的風土のなかで生まれ育った宗教という漠然として意味でならば、イスラームはたしかに砂漠的宗教であるかもしれません。しかし、もう少し厳密に考えますと、イスラームはその起源においてすら、アラビア砂漠の砂漠的人間の宗教ではなかったのであります。(P.25)

こうしてイスラームは最初から砂漠的人間、すなわち砂漠の遊牧民の世界観や、存在感覚の所産ではなくて、商売人の宗教  商業取引における契約の重要性をはっきり意識して、何よりも相互の信頼、誠、絶対に嘘をつかない、約束したことは必ずこれを守って履行するということを、何にもまして重んじる商人の道義を反映した宗教だったのであります。またそれと同時に、先祖伝来の生活の慣習を至上のものとして尊重し、そこから出てくる単純な生活のルーティンを守って、ものをあまり考えずに生活していくことのできる砂漠のベドウィンとは違いまして、都市の複雑な人間関係のなかで刻々に変化する生活の状況に敏感に対応し、人生の敗残者とならないために、たえず思考力を働かせてゆかなければならなかった、活発で、現実的な商人のメンタリティーを反映する宗教でもありました。」(P.29-30)

私がなんとなく思っていたイスラーム感(「観」というほどイスラームのことを知らない)が崩れました。

著者は『コーラン』をメッカ期(610?-622年)とメディナ期(622-632年)に分け、いくつかの視点からイスラーム教の特徴をコンパクトに書いているのですが、それを網羅することはしません。

私が関心があるのは、やはり「自己(自我)」のありかた、「他者・自然」をどう見つめるかということです。


存在

まずは「存在」についてです。

哲学的にはこのようなものの見方を一般的に非連続的存在観と呼ぶことができると思います。存在の根元的非連続性。もちろん時間的にばかりでなく、空間的にもです。空間的に世界は互いに内的に連絡のないバラバラの単位、つまりアトムの一大集合として表象されます。これがふつうイスラームののアトミズム=原子論的存在論と呼ばれている有名なものですが、とにかくこのように世界にあるいっさいの事物が時間的にも、空間的にも、個々別々であって、しかもそれら個々別々の事物の一つ一つが、それ自体多数の不可分割的な微粒子、つまりアトムの組み合わせからなっている。それらの微粒子は、お互いに融合し合うことが絶対にない。微粒子相互のあいだにも、それらの微粒子の集合で出来上がっている事物相互のあいだにも、何ら内的連結がないのです。ただ偶然に並んでそこにあるだけなのです。

そうなりますと結局、われわれの経験的世界は、哲学的には因果律の成立しない世界ということになる。因果関係で内的に結ばれているものは、この世界には何一つ存在しない。また、そうであればこそ神の全能性が絶対的な形で成立しうると考えるのであります。

もともと因果律というもの  原因があって、結果がある。原因になるものにある種の創造力があって、自分に内在するその力の働きで結果にあたるものを自分の中から生みだしていくのでありまして、因果律というものを認めますと、それだけ神の創造能力が減ることになる。神に頼らなくても、事物がそれぞれ自分なりに働けるようになるからです。(P.75-76)

もう一つ、ここで申し上げておきたいことは、因果律(そして人間の場合には自由意志)の否定を伴うこの非連続的存在感が、イスラームの正統派  スンニー派と呼ばれている非常に大きな、ほとんどイスラームの大多数を占める人々  の根本的な哲学なのであるということです。もっとも、この哲学がスンニー派のなかで完全な形で確立されるのは、西暦十一世紀から十二世紀にかけてのことでありまして、『コーラン』自身はそこまでは明言しておりません。(P.78)

絶対的な唯一神からアトミズムが産まれるのですね。因果関係、つまりあらゆるところに原因と結果を見る西欧や原罪を信じるキリスト教、輪廻転生と因果報応を基礎とする仏教徒もまったく異なります。

「自由意志」というのは、主体の意志が客体に影響を与えるという能動的行為です。これは印欧語に特徴的な「能動・受動」の関係です、。逆に言うと、因果関係や「自由」というのは主体性を基礎としているということです。

かし、この点に関連して、それよりももっと重要なことは、このように異常な鮮明度をもって、異常に尖鋭な輪郭で生き生きととらえられたあらゆる事物が、ポツンポツンととぎれていて、それぞれ独立に浮かび上がっているだけでありまして、それら相互のあいだに内的結びつきがないという事実なのです。(P.79)

そしてこのイスラームのアラブ的性格がやがてイスラーム文化自身の中で、これと正反対なイラン的、ペルシア的性格と正面から衝突することになります。

イラン人(ペルシア人)の世界認識は存在の空間的、時間的連続性を特徴とします。(P.79-80)

アラブ的性格とペルシア的性格。同じイスラーム世界のなかでの大きな対立抗争があるということです。

もともと、血のつながりによって統一された社会は閉ざされた社会であります。いまイスラームが血縁関係をもって社会構成の市場の原理とすることをやめて、代わりに共通の信仰をその位置に据えたということは、イスラームに普遍性、一般性、世界性を与えることになりました。その発端においてアラブの宗教であったイスラームは、突然ここに人類全体に呼びかける世界宗教になったのであります。血のつながりとか、血統のよし悪しがぜんぜん問題にならない世界。どんな人種、どんな民族でもかまわない。簡単にいえば、だれでもその気になりさえすればイスラーム共同体の一員となれるのです。(P.122)

だから、現実の人間はたしかに悪に染まっており、堕落して汚れたものではあるけれども、それは偶然的な汚れであって、本質的な汚れではない。人間の力で直していけるものである。このような自信、人間の自己肯定的態度が、メディナ期のイスラームにはっきり出てきます。(P.137)

人間が原罪を背負ったり、前世の因果(業)を背負ったりしていると、ある意味「にんげんだもの」とどこか赦される(救われる)ことがあります。仕方なかったのだと。でもイスラームにおいては赦されることがありえません。その意味では、現世における自己の行為そのものがとても大切になります。どんな親(家)に生まれたのか、どういう教育を受けて育ってきたのかではなくて「どう生きるのか」ということを中心に考えるのは、西欧的にいえばとても「個人主義的」に見えます。でも、その「個人」とは西欧とはまったく異なるということです。

終末の日、その到来を知らせるために天使が喇叭(らっぱ)を吹き鳴らす。それを耳にしてあわてふためき、逃げまどう大群集。もう父もなければ母もない。親子のつながりも夫婦の縁も、もはやなんの役にもたちません。(P.118)


アトム化した合理的個人の行動基準、つまり善悪の基準とは何でしょうか。

砂漠的人間においては、

一人の共通の祖先の子孫であるという自覚、ある特定の部族の正式の一員であるという自覚があってこそ、人ははじめて一人前の人間である。部族からはぐれた人は文字どおり人でなしです。要するに人間的価値のすべてを部族が決定するのであります。(中略)自分の部族が昔からよしとしてきたものが善、悪いとしてきたものが悪なのであり、そのほかに善悪の基準は全然ない。それが砂漠的人間の道徳的判断の唯一の基準であり、最高の行動原理です。(P.116)

イスラームが宗教的共同体の理念をひっさげて、真正面から衝突していったのは、まさにこういう砂漠的人間の精神だったのであります。(P.117)

神との絶対的契約に基づくイスラームでは、社会関係も契約です。

人間として、人間である限り、本性上平等だというのではなくて、共同体的社会の契約構造においては、この契約関係に入った人は誰でも平等だということです。つまり人間の自然的本性のようなものを考えに入れない、特殊な社会契約的平等であります。(P.125)

法律の源(もと)は聖典、つまり神の啓示であり、それの法的解釈は純粋に論理的である。イスラーム法はこの点で啓示と理性とのきわめてイスラーム的な出会いだということができます。(P.157)

われわれ現代人の生活と法律との関係について、法律学者はよくこんなことを申します。法律というものは、われわれがそのなかで生きている空気みたいなものだ。社会で生きていくためには必要欠くべからざるものだが、われわれはその存在をふだんは意識していない、と。(P.159)

イスラーム法の場合はこれとは違います。少なくとも敬虔な信者である限り、人は法を意識することなしには、日常生活すら生きることができない。そういう仕組みにできているのです。(P.160)

西欧における法は、神ではなく個人と個人との契約関係です。結ばないことも可能ですし、それを破棄しても(基本的には)神に罰せられるわけではありません。罰するのも人間です。日本における法関係はどちらとも異なります。変わってきてはいますが、法は契約関係ではなくて「ものごとのあり方」です。一人ひとりはそのなかに「置かれている」のです。


イジュティハードの門の閉鎖

ところが、イスラームの歴史のかなり早い時期に、法律に関する限り聖典解釈は絶対にしてはいけないと、聖典解釈の自由が禁止されました。具体的には西暦九世紀の中頃のことであります。それ以来、現在まで禁止されたままです。(P.162)

「イジュティハードの門の閉鎖」、ここに至ってイスラーム法体系は完全に固定されてしまいます。そこには柔軟性を欠いた、そして冷酷なまでに整然たる体系があるだけです。聖典の自由解釈を禁止してしまったおかげで、イスラームが収拾すべからざるアナーキーに陥ることだけは避けられました。それはたしかですが、しかしその代わり、活発な論理的思考の生命の根を切られてしまったイスラームは、文化的姓名の枯渇という重大な危険に身をさらすことになるのであります。事実、近世におけるイスラーム文化の凋落の大きな原因の一つでそれはあったのです。(P.163)

それを「凋落」だという著者の意識がわかりません。私は「閉ざされた社会」「冷たい社会」は「落ちぶれた社会」だという意識は、変化することと発展を同義に捉える西欧的意識の投影にすぎないと思います。

しかしながら、いわゆるイジュティハードの門を初めから閉じることをしなかったイランのシーア派イスラームだけは例外といたしまして、アラブの世界では未だにイジュティハードの門は開かれていません。(P.165)


シーア派

もうひとつのイスラームともいえる「シーア派」です。

ハンバリー派、マーリキー派、ハナフィー派、シャーフィイ派  これを正統派イスラームの四大法学派と申します。すべての正統派のイスラーム教徒は必ずこの四つのうちのどれか一つに所属しなければなりません。但し正統派(スンニー派)と対立するシーア派にはシーア派独自の法体系があります。(P.156)

外に向かう宗教と内に向かう宗教について、著者はこう説明します。

ところで、イスラームに限らず、一般的に宗教ではよく内と外、あるいはそれに類する区別がなされます。例えば、英語でエクソテリックな宗教とか、エソテリックな宗教とかいいます。エクソテリック( exoteric )とはギリシア語の eksō ( έξω )、つまり「外側」「外で」「外に向かって」というような意味の副詞からできた言葉ですから、要するにエクソテリックな宗教とは外側に向かった宗教。反対にエソテリック( esoteric )の方は、同じくギリシア語で「内側に」という意味の eso ( έσω )から来た言葉でありまして、エソテリックな宗教といえば「内側に向かう宗教」を意味します。仏教でも顕教と密教などと申しますが、本質的には同じ区別です。(P.177)

シーア派は、内に向かう宗教です。

このように、神の言葉の内面に「秘密の意味」を認めるシーア派の人々にとっては、『コーラン』は一つの暗号書です。(P.185)

少なくとも正統派の立場から見れは、まぎれもない異端です。外面的と内面的の区別はあるにせよ、ともかくムハンマドのほかにイスラームの預言者が何人も認められることになるのですから。

「内面的預言」( nubūwah bāṭinah )というこの理念は、イスラームの一般的信仰にとってきわめて危険な、しかしシーア派にとっては決定的重要性をもつ考え方であります。そしてこの考え方を正当化するために、シーア派にはたくさんのハディースが伝承されています。例えばその一つに、「『コーラン』はもの言わぬイマーム。イマームはもの言う『コーラン』」というのがある。(P.193)

内面へ向かうもうひとつの宗派としてスーフィズム(タサウウフ、イスラム神秘主義)があります。

と申しますのは、スーフィズムでは、シーア派のイマーム論とは違いまして、人は生まれや、血筋や、神の選びによって、あるいは先天的に、ワリーであるのではなくて、修業によってワリーになるのだからであります。(中略)自分とか我とかいうものを深く深くどこまでも掘り下げていく。その極点において、我の内面に、我ではなく、潑剌と創造的に働く生けるハキーカ、つまり神を見出し、神に会うということでありまして、これがスーフィズムのいわゆる「内面への道」の第一段階なのであります。(P.211)

現世を神の意志に従って建設し直す、そんなことは問題外です。現世はもうはじめから根源的に悪なのであって、神の意志の実現される場所などではありえないのですから。むしろ一刻も早く現世に背を向けて、現世的なもの一切を捨て去らなければならない。それこそ神の意志だ、というのであります。(P.213)

われわれの実存の中核には自我意識がある。「我」、わたし、というものが先ずあって、その周りに光の輪のように世界が広がる。自我意識は人間存在の、人間実存の中心であると同時に、世界現出の中心点でもあります。しかし、それは同時にすべての人間的苦しみと悪の根源でもあるのです。人間に我があるから苦しみがあり、悪がある。(P.217)

私が我の意識をもつ限り、我と神とが対立する、それが悪なのだ。私が神に第二人称でと呼びかけるにせよ、あるいは神を第三人称でと呼ぶにせよ、ともかく存在は二つの極に分裂し、意識もまた二つに割れてしまうからだ、と。(P.218)

その内面の奥には何があるのでしょうか。

否定に否定を重ねて自我意識を消しながら、我をその内面に向かって深く掘り下げていくと、ついに自己否定の道の極限において、人は己の無の底に突き当たる。ここに至って人間の主体性の意識は余すところなく消滅し、我が無に帰してしまいます。自我の完全な無化、我が虚無と化すということです。

ところが、この人間的主体性の無の底に、スーフィーは突如として燦然と輝きだす神の顔を見る。つまり人間の側における自我意識の虚無性が、そのまま間髪を入れず、神の実在性の顕現に転生するのであります。(P.220)

全世界が太陽の光に満ちているとき、貧素なロウソクなど点しておいても意味がないと言い切ってしまうスーフィズム、つまり神を見た人、神になった人には、もう宗教は用がないのだと言い切ってしまうスーフィズムは、イスラーム共同体の内部にあって歴史的に危険分子として今日まで存続してまいりました。(P.224)

「忘我」あるいは「梵我一如」といえば仏教の概念ですが、スーフィズムの「我ー汝」とはどう違うのでしょうか。

では、なぜ「汝の汝性」(トゥウィー・エ・トゥ)が悪であり、災であり、罪ですらあるのか。この問いはご存知のように、仏教などでも非常に大きな働きをする意義重大な問いですが、それに対する答えは、仏教とイスラームとではだいぶ違ってきます。元来イスラームは人格的一神教でありまして、スーフィズムもイスラーム的神秘主義である限りはやはり人格的一神教ということをそのイスラーム性の最後の一線としてあくまで守りぬこうとするからであります。(P.217-218)

たしかに、仏教やヒンズー教ではたくさんの神がいます。でも、その違いは私にはまだわかりません。

イランはペルシア語です。ヒンズー語と同じインド=ヨーロッパ語です。それに対してイラクはアラビア語(セム語)です(ちなみにイスラエルで復活したヘブライ語もセム語です)。私はセム語はまったく知りません。印欧語については学校で習った英語で少しわかります。ただ、注意したいのは「文法」というのは印欧語の構造に基づいて作られたものだということです。ですからその文法を印欧語以外に当てはめると無理が生じます。例えばWikipediaの「ヘブライ語」の文法の項に「代名詞主語は強調する場合以外は省略される」とあります。日本語も主語(主格)が省略されるなどと言われることがありますが、それは印欧語の文法を日本語に当てはめるとそうなるということで、印欧語が正しくて、日本語が間違っているということではありません。ましてや普遍文法(チョムスキー)なんてものはないと思うし、もしあったとしてもそれは印欧語文法で記述することはできないと思います。

ついでですが、grammer の語根は gerbh- で、「ひっかくこと、また、引っかいてはがすこと、掘り出すことを表す。diagram, programなどの由来として、絵や文字」(weblio)です。それはたぶん「書く(描く)こと」と関連しています。なぜそれが大切かと言うと、「書く(描く)」ということは、内側にあることを外に出して固定することだからです。その固定されたものは「対象(客体)」となり、その対象を見るものが「主体」となります。その主客構造が強い「我―汝」関係を生みだすと思うからです。そしてそれが「主語(主格)―述語(述格)」という「文法」として表現されます。逆に言うと、主客構造が弱い言語では、「我―汝」関係も薄いのです。インドやヨーロッパでは常に「我―汝」関係が問題となりました。その解決は「汝(客体・自然)」をなくすこと(唯心論)では解決できません。主体をなくすこと(忘我)、あるいは主体を客体と一体化すること(梵我一如)ということに向かわざるを得ないのではないでしょうか。客体が主体を作り出しているのではなく、主体が客体を作り出しているのです。それを自覚して自己を客体に解消しようとするのと、あくまでも自己を優先して(自己を優位において)自己を客体と(あるいは自己と客体を)融合しようとするのとでは、まったく異なります。「修業によってワリーになる」というのは主体を重視しています。逆に「他力本願」というのは主体の能動的行為を認めないものです。同じようなことは小乗仏教と大乗仏教にもいえるかもしれません。

つまり、わたしたちの思考方法は「話す言語(多くは母語)」やそれを「表現する手段(読み書きすること、どういう文字を使うか、テレビやスマホやパソコンを使うかどうか、など)」によって形作られているということです。それは広く「生まれ育った(あるいはヴァナキュラーな)文化に規定されている」ということもできます。それ以外の文化(宗教を含めて)を「表現する」「語る」「記述する」ときに、その制約が必ず伴います。かつ、それ以外の表現方法は困難です。それは「偏見」や「差別」とは別のものです。

犬にに餌をやるときに「美味しそうに食べてるな」と思ったり、尻尾を振っていると「嬉しそうだな」と、私は思います。でも、犬の味覚はわからないし、嬉しいと思っているのかもわかりません。それは、私が自分の感情を犬に投影しているからだし、犬を擬人化しているということです。

昆虫食に関して、「昆虫の痛み」が問われることがあります。「アニマル・ライツ(動物の権利)」です。昆虫が痛みや苦痛を感じているか。ペットのブリーディングについて「多頭飼育崩壊」が問題となっています。鶏卵用の鶏の飼育方法(あるいは食肉用の牛や豚)に関して「アニマルウェルフェア(動物福祉)」も国際基準が強化されていますが、その基準の策定や実施に関しては日本は消極的です。それでも私が思うには昆虫よりも犬猫の苦痛のほうがわかるような気がするし、植物が「痛み」を感じているとはあまり感じられません。

いま、眼の前にいる人(同じ文化の人)の気持は察することができるかもしれません(できないことも多いのですが)。でも、100年前(第二次世界大戦以前)の人や、1000年前の平安時代の人がどう感じていたのかは、「いまの」「自分」から推し量るしかありません。当時の人も、現代人と同じように喜怒哀楽があったでしょう。イスラームの人にも喜怒哀楽があるのは間違いありません。でもそれは「いまの私」が感じる喜怒哀楽とはたぶん「違う」のです。

文化の指標として、「主客構造がどれほど強いのか」ということがあると思います。自我(主体)が強いということはそれだけ「客体」も大きくなるのですが、主体と客体は相容れないものなのでどちらかを優先することになります。インドなどでは客体のほうが優位なので、主体を客体に融合(溶解)して主客の一体化を目指します。西欧のキリスト教はきっとセムの影響を強く受けているのでしょう。イスラームと同様に、客体を主体に融合させようとします。そこでは、客体同士の関係、いわゆる「因果関係」さえもが意味をなさなくなるります。他の主体である「他者(汝)」との関係はどうなるかと言うと、絶対的な「他者(我でも汝でもないもの)」、つまり「神」に対する絶対信仰(帰依・従属)の下で成立せざる得なくなるのではないでしょうか。


「学問」という西欧的視点

西欧は、インド・ヨーロッパ語族の文化の特徴として明確な主客構造があります。どうしの変化がほとんど喪失した現代英語では主語(主格)の位置に来る単語が必須です。主格がないと「命令形」になってしまいますが、それはまさしく主体の意志の強調です。インド・ヨーロッパ語文化に侵入したセムのキリスト教はギリシアの論理学・自然学と結びつくことによって、客体の地位を失うことがなかったように感じます。人であるイエス・キリストという存在がそれを可能にしたのではないでしょうか。客体の追求が西欧的「知(学問)」です。我の探求も、その知と同じ基準で行われました。それはイスラームのような「イジュティハードの門の閉鎖」は行われず、聖書解釈も自然科学や人文科学と同様の基準で行われてきました。

その西欧の知がインド・ヨーロッパ語に基づいているのは明らかです。文法(言語学)はもとより、経済学、政治学、哲学も含めてです。「発展」という視点もキリスト教とインド・ヨーロッパ語の合体の産物です。その視点から見れば「「イジュティハードの門の閉鎖」は「イスラーム文化の凋落」でしょう。しかし、そういう「発展(進化)する世界」という視点は西欧文化の特徴というだけで、それが「正しい」とか「優れている」とかいうこととは関係ありません。

明治維新以降の日本は西欧の文化とともにその思考形式を取り入れてきました。その過程は今も続いています。日本における学問も西欧からの輸入学問となり、すべてが西欧文化の基準で論じられています。「自由・平和・民主主義・SGDs」などはすべてその基準から思考されたものです。でも、日本語はインド・ヨーロッパ語族ではありません。日本における「学問」とその受容はとても特殊なものだと思います。逆に言うと、西欧的な視点を「それとは別の視点」から見つめ得る可能性が「まだ」残されていると私は思います。

井筒俊彦が残した大きな研究にはその「別の視点」の可能性があります。日本語(日本人という言葉は使いたくありません)にはその可能性が残されていると思いながら、私はこの本を読みました。

ところが、日本に住んで日本語を話すのがあたりまえのとき、自分が日本語で話しているとすら忘れていることが多い気がします。最近、見慣れない横文字がどんどん出てきます。私はそれに違和感を感じますが、当たり前のようにマスコミに流れているところを見ると、そのことすら日本では当たり前になっているのかもしれません。ですから、この本のように「知らない文化・思考」を与えてくれ、慣性的な考え方に刺激を与えてくれる本は今後も重要性が増してくると思います。




[著者等]

井筒俊彦
1914年東京・四ツ谷生まれ。
1937年慶應義塾大学英語英文学科卒業、同大学文学部助手。
1941年『アラビア思想史』、49年『神秘哲学』。
1959年から2年間にわたって中近東・欧米でイラスーム研究に従事。
1961年マギル大学客員教授、69年同大学イスラーム学研究所テヘラン支部教授、75年イラン王立研究所教授。
1979年イラン革命激化のためテヘランから日本に帰国。『意識と本質』(1980-82年)、『意味の深みへ』(1985年)、『コスモスとアンチコスモス』(1989年)、『超越のことば』(1991年)、絶筆『意識の形而上学』(1993年)など代表著作を発表。
1993年北鎌倉の自宅にて逝去(78歳)。

イスラーム文化を真にイスラーム的ならしめているものは何か.――著者はイスラームの宗教について説くことからはじめ,その実現としての法と倫理におよび,さらにそれらを支える基盤の中にいわば顕教的なものと密教的なものとの激しいせめぎ合いを認め,イスラーム文化の根元に迫ろうとする.世界的な権威による第一級の啓蒙書.



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