一 「一つのことば」とは何か
ことばを持つ人間と持たない人間
ことばの数をかぞえる
「こうして一六世紀以降、さまざまな異なった言語の見本をあつめた「博言集」が出されるよう(FF)になった。」(P.4-5)
「世俗における有用性と学問における有用性とはちがうことは、どんな学問についてもある(FF)程度は理解されているとはいえ、言語学にとって不幸なことは、およそ何かのことばを学ぶ動機がいつでも、そのことばが使えるようになるという、ひとえに実用性にあるということだ。」(P.6-7)
琉球語か琉球方言か
「つまり、あることばが独立の言語であるのか、それともある言語に従属し、その下位単位をなす方言であるのかという議論は、そのことばの話し手の置かれた政治状況と願望とによって決定されるのであって、決して動植物の分類のように自然科学的客観主義によって一義的に決められるわけではない。」(P.9)
(・・・)「言語学にとっては、その第一歩において、何がことばかという、まず研究対象の設定(FF)というところで大きな困難につきあたるということだ。」(P.10-11)
言語の呼び方
「民族という規定しにくい複雑な性格をもつ人間集団を、言語によって定義する方法は、マルクス主義の民族理論を含む、あらゆる科学的思考に共通である。」(P.13)
韓国語と中国語
「つまり、ホーレン草やスズメの政治的な分類がナンセンスであるように、言語の分類は言語そのものの原理によらねばならないのであると。言語の科学にとっては、これこそが他に依存しない、言語に則した分類原理なのである。」(P.16)
「言語」か方言か
「しかし言語学で言う方言とは、一定の地域内で話されている、その地域特有の言葉と言うほどの意味であって、そこには地域による差別感を介入させてはいけない。」(P.17)
「方言とは、(FF)抽象的な「言語」あるいは「〇〇語」というものが、土地ごとにあらわれた具体的なすがたである。しかし、一つ一つの方言と、これら方言を超越した「言語」像とのあいだの距離(感)は、個々の方言によってちがうのである。その中心的な「言語」像から離れれば離れるほど、その方言度は高くなり、さらに遠のくと、もはや方言ではなくて別の「言語」になる。方言にとどまったほうが好もしいと思うか、いっそ別の「言語」になってしまうほうを選ぶかは、いちじるしく話し手、あるいは言語共同体の意志にかかっているのである(第七章参照)。そして、中央政府は「方言」が「言語」になってしまうことをおそれ、つねに警戒を怠らない。方言の「言語」化は、その地方の話し手を分離独立運動に導く危険をはらんでいるからである。
ヨーロッパの諸言語では、この区別がはっきり意識にのぼっていて、言語は language, lanue, Sprache などと言いあらわされて、方言 dialect と対立している。」(P.17-18)
「しかし、言語は方言より格が高く、方言は言語に依存する。すなわち、方言というのは、それより上位の、より大きなことばである言語の下位単位である。」(P.18)
「したがって言語とは、多かれ少なかれ頭のなかだけのつくりものである。別の言いかたをすれば、言語は方言を前提とし、また方言においてのみ存在する。それに対して方言は、言語に先立って存在する、よそ行きではない、からだから剥がすことのできない、具体的で土着的なことばである。」(P.19)__Nota Bene!!
国家が言語をつくる
「しかし書くという面から見ると、「言語」はたいていは書かれ、それによる文学が存在し、新聞や教科書が印刷される。それに反して「方言」はふつうは書かれることはない。ひとたび方言が書かれると、ドイツ語では Schriftdialect 「書き方言」と呼ぶが、「書き方言」はすでに(FF)「言語」への第一歩を踏み出しているのである。」(P.20-21)
それ自体としての言語
「言語学が科学になるためには、言葉に加えられている、あるいはことばに等級をつけて区別するあらゆる外的な権威を剥ぎとっていかねばならない。こうしてことばからまず文字が剥ぎとられ、次には国家や民族が追放された。しかし最も重要な課題は、話し手を追放することだった。」(P.22)
「すなわち、ソシュールにとって必要であった社会とは、一つのことばを引き出す手段としてのみ必要なのであって、一たびそれが手に入れば、即刻、社会のほうは見ないようにして捨て去らねばならない。」(P.22)
「そうすれば、すべての言語社会は固有語=言語共同体という関係をもちながら対等に並ぶことができる。ソシュールがおこなったのは、言語にまつわりつく、こうした社会的、政治的威信を骨ぬきにすることだったのである。」(P.24)__固有語(特有語、イディオム idiome)。言語共同体 communauté linguistique
二 母語の発見
母のことば
「ただひたすらに母の胸に抱かれながら、いつのまにかおぼえたことばが、気がついてみたら、おとしめられた黒人英語であったり、ガ行鼻濁音のない西日本の方言だったりするわけだ。
しかし親たちは、その新しく生まれた子供が障害なく話していけるようにとたえず気がかりである。つまり、人間は生まれるとすぐに、からだとことばとのこの二つの座標軸のなかに位置づけられていて、その外に出ることはない。言い換えれば「我々は親から受けた肉体を通じて自(FF)然とつながり、母のことばによって社会とつながる」(アイヒラー)のである。」(P.27-28)__わかるけど、「からだとことば(こころ)」という二元論、(ことばと心の二元論、ことばと文字の二元論)、多層化する二元論は、ある時代、ある地域での考え方である。文字とことばの分離は一二世紀西欧、心と体(自然)の分離は紀元前のインド(アートマンとブラフマン)、個人と社会の分離も、多分一二世紀西欧。分離したときから、統合への模索が始まる。総合と分解、帰納と演繹。
空間と時間は分けることができず、今日、そうであるような方法で一つに関係づけることもできないのです。(イバン・イリイチ『生きる希望』P.239)“Space and time could not be isolated and put into relationship in the way they are today.”
空間と時間の区別はガリレオとケプラーとともに始まり、それが意味するのは、対岸のない世界、死者が不在の世界の到来です。この新種の世界では、事物が現にこうあるのは、自然の生命力でもなければ、神の創造的行為がそうであれと命じるからでもありません。生得権は撤回され、事物がそのようにあるのは、今日言うところの、遺伝子コードのためなのです。(P.239)
で、わたしがそこで俎上に乗せた議論は、わたしが歴史家であり、歴史家として知っていることは、まさにその速度の概念がガリレオ以前にはなかったことでした。ガリレオが最初に一時間幾マイルという発想、もっと正確に言えば与えられた時間に対する距離と考え、時間と距離を異なった、区別される実在として互いに関連させた時、彼はあるタブーを犯していることを知っていました。今と此処 hic et nunc は厳密に相互に関連し合っていたので、人々には、その一方だけを取り上げて語ることなどできなかったのです。しかしガリレオは時間を空間から切り離して観察できると主張したのです。(P.305)“And the argument I tried to make there was, I’m an historian, and I know that the very concept of speed is something that before Galileo wasn’t there. When Galileo first conceived miles per hour, or more precisely distance in a given time, he knew that he was breaking a taboo by relating time and space to each other as distinct entities. The here and now, hic et nunc, related so intimately to each other that you could not speak of the one without speaking of the other. Galileo claimed that he could observe time apart from space.”
ガリレオは自分の言っていることを理解させるのに大変な苦労をしました。積分の観念の分析はライプニッツとニュートンによる無限小の計算の考察を要求します。今日、近代がその上に依拠している時間の観念それ自体が、現代物理学や現代哲学、そして現代生物学において危機に瀕しています。これには疑う余地がありません。しかしわたしがここで言いたいのは、現代の時間概念はすでに、生きられた時間の充実した継続とは関係なく、また結婚式の誓いにある「永遠(とわ)に」とも関係がないということです。これは「終わりがない」ということを意味しているのではなく、「今、隅無く」を意味しているのです。“He had the greatest of difficulty in making himself understood. Analysis of this idea of integration would require the invention of the infinitesimal calculus by Leibniz and Newton. Today the concept of time on which modernity based itself is in crisis in modern physics, in modern philosophy, and in modern biology. No question about this. But my point here is that the modern concept of time was already unrelated to lived duration, to the “forever” in the marriage vow, which doesn’t mean “without end” but “now totally.”__西田幾多郎。「アキレスと亀」を考えようがない。どうして単純なもの(一つの式)で表そうとするのか。
ガリレオ・ガリレイ(伊: Galileo Galilei、ユリウス暦1564年2月15日 - グレゴリオ暦1642年1月8日)
ヨハネス・ケプラー(Johannes Kepler、1571年12月27日 - 1630年11月15日[1])
「母から同時に流れ出す乳とことばという、この二つの切りはなしがたい最初の世界との出会いの時点に眼をこらすことによって、ことばの本質に深くわけ入っていく手がかりが得られる。」(P.28)
ラテン語とラテン系諸語
「ソシュールは、一つの社会集団に共有される一つのことばという概念を引き出してきて、それを固有語(イディオム)と呼んだ。」(P.29)
「自分たちの話していることばが「母語」であるという認識にたどりつくためには、母語でないことばがまずあって、それに対立する自分自身のことばという自覚が生まれてこなければならなかった。」(P.30)
「しかしその当時は、書きことばはただラテン語だけであったから、行政、軍事、文化にかかわる記録はすべてラテン語でおこなわれた。」(P.30)__学問のことばというより、書くことばはラテン語しかなかった。書くこと(アルファベット)という言葉。それは、ヘブライ語であり、ギリシャ語であり、教会ラテン語である。
「奇妙に思われることは、このラテン語が帝国の名をとってローマ語と呼ばれることなく、最初の発祥の地の部族の名で呼びつづけられたことである。(FF)このことは今日見るような状況とひきくらべてみると、国家と言語との関係が、その後いかに大きく変わったかを物語るものだ。」(P.30-31)
「したがって、これらの言語はラテン語系諸語と言ったり、ローマの国名にちなんでロマン(ス)諸語と呼んだりしている。」(P.31)
ラテン語は死んだ
「人口の半分以上を占める女と子供は、読み書きと政治の世界からはじめから閉め出されていたために、かれらは生まれながらに自然に話していたことば、すなわち母語以外の言葉を知るはずはなかったのである。
日本にシナ古典語、すなわち漢文が入ってきたときも同じ状況が生じた。ごく一部の、外国語(シナ語)をよくするエリート官僚、文化官僚のほかは、いっさいの文字を知らず、ただただヤマトのことばを話していたのである。」(P.32)
「だから女こそは日本をシナ化から救い、日本のことばを今日まで伝えた恩人なのであったと言わねばならない。
ラテン語はさまざまな諸言語を話す人達の上に帝国の言語として君臨し、その下の言語を見えなくさせていた。かつてギリシャ語が唯一の言語であったとすれば、ラテン語は唯一の書きことばであった。」(P.33)
われわれにとって、歌うことや踊ることが話すことと何か少し違うように、当時の人々にとって、話すことはラテン語の〈セルモ sermo 〉であって、言語を用いること、つまりラテン語の〈リングア lingua 〉とは何か違うものと理解されていた。ラテン語は音と文字が一体となっており、文字だけでなく、思考もいっしょにとらえるのである。(イヴァン・イリイチ『テクストのぶどう畑で』P.65)
そこでは修練者がふるさとで使っていた方言が書き記されたことは一度もなかった。あるいは彼らの方言は、母語として認識されてすらいなかったのかもしれない。これは百姓にとっても、騎士にとっても同じことであった。アルファベットは、まだ日常の話し言葉につきまとってはいなかった。(P.66)
ダンテの俗語論
『俗語について Dee culgari eloquentia 』1304年
「ロマンス語世界には、その後、俗語を「母語」( materna lingua )と呼ぶ習慣があらわれ、父祖からの伝統に価値を置いた、古代ローマ以来のラテン語を呼ぶ patrius sermo すなわち「父のことば」と対立することになる。すなわち、母語が家庭の日常のことばであるのに対し、「父のことば」には、家庭の外の公的行事や、一族の伝統と制度に対する超家庭的な言語への自覚が示されていた。」(P.37)__上記イリイチの文章と比較せよ。
母語の思想
(母語)「それは国家主義に対して破壊的な力を発揮する、国家をのり超えるところの民族主義の思想である。」(P.40)
母語と母国語
アイヌ人、オロッコ人
ウィルタ(ウィルタ語: уилта、ロシア語: Ороки)は、ロシア連邦サハリン州の樺太(サハリン島)東岸を主な居住域とする少数民族で、ツングース系に属する[1][注釈 1]。その生活の舞台は、伝統的には樺太中部の幌内川流域と北部のロモウ川流域であった。アイヌからはオロッコ (Orokko) と呼ばれた[2][3]。オロチ族ないしオロチョン族と混同されることもあるが、異なる民族である[4]。本来の言語はツングース諸語の系統であるウィルタ語である[5]。なお、言語学者を中心にUiltaを「ウイルタ」と書くこともある。
(中略)
ウィルタが守り神とする木偶(セワ)の制作を受け継いでいる大広朔洋によると、ダーヒンニェニ・ゲンダーヌの義妹であった北川アイ子が2007年に網走で死去して以降、日本ではウィルタの民族的アイデンティティを名乗る人は絶えてしまったという[10][27]。兄の死後は彼女も館長を務めた「ジャッカ・ドフニ」は、2010年10月31日をもって閉館した。「ジャッカ・ドフニ」に収められていた収蔵品は、散逸することなく、一括で北海道立北方民族博物館に収蔵されることになった[28]。(Wikipedia「ウィルタ」)
ウィルタとは何か? : 弦巻宏史先生の講演記録から 彼らの憲法観を考えるために(名古屋学院大学論集 社会科学篇 リポジトリ)
母語の日本語訳
イスラエル国民の母語
「イスラエルの建設後、多数のユダヤ人が生まれ故郷をすてて新設の母国へもどった。」(P.47)
「そこは母すらも知らない国だからである。」(P.47)
人とことばのつながり
「何しろイスラエル国家は、捨ててきた故国の母語に執着する、言語的忠誠心の乏しい、ふらちな国民を少しでも減らすために、ヘブライ語のできないものは法令によって公職から排除しているからである。
しかし、大多数の日本人の場合には故国と祖国が一致するように、母語も国語も一致し重なりあう。そのときは、それらをかけあわせた母国語という表現に矛盾は起きないのである。」(P.50)
三 俗語が文法を所有する
聖なる技術
「「書きことば」「話しことば」と言い、その二つには同じく「ことば」という共通項があてがわれてはいるけれども、それは近代になってからの新しい発見と言わなければならない。
だから、中世ヨーロッパにおいて書かれる唯一のことばであるラテン語は、ギリシャの伝統にしたがって「文字(グラムマ)の技術(ティケー)」と呼ばれたのである。「文字の技術」すなわち我々が「文法」と訳しているものは、その根本において自然ではなく、つくりものである。文法=書きことばは、我々の日常言語の外にあって、それをはるかに超越した別世界を形づくっている。」(P.54)
「ダンテがいうように、俗語は「すべての人によって用いられている」のに、文字術は一部の者だけが「二次的に」、つまり、つけ足しに学ぶ術だ。だから原理から言えば、俗語は文字術をはじめから圧倒しているはずなのに、文字術は幾重にも厚い防壁でまもられている。その防壁の最大のものは何であったか。「文法」である。
文法こそは文字の術の基底をなす、人類史上最大の発明品の一つである。母語の話し手は、術の書きことばにのぼりつくために、この文法を手がかりとし、この術にたずさわるかぎり、最後のきわまで文法と離れることはない。なぜか、 それが母語ではないからである。」(P.56)
ネブリーハの「文法」
「すなわち、ダンテが俗語で書いたのはラテン語を知らない女たちのためであったが、ネブリーハが俗語文法を書いたのは国家のためであったのだ。」(P.58)
「「ちょうど私どもがラテン語を学ぶためにラテン文法の術を学ぶのと同じ様に」と述べられているとおり、このカスティリャ文法は、カスティリャ語を母語にしない人たちのために編まれている。」(P.60)
「そして事実そのとおり、コロンブスに発見されたアメリカ大陸の諸族と、イベリア半島のカスティリャ外の諸地域が、やがてこの文法の支配をうけることになるのである。」(P.60)
文法のイデオロギー
(上田万年)「上田はヨーロッパで学ぶべきものが、明治のはじめにおいて何であるのかをはっきりと自覚していた。しかし、ことばを母にたとえる思想は日本に根をおろさなかったし、おろす必要もなかったのである。だから、ヨーロッパという歴史的土壌で生まれた「母のことば」は、日本という歴史的風土にうつされたとき、母と国家がないまぜになり、あるいは母が国家に組みしかれて、「母国語」という表現を生むに至ったのである。」(P.63)
文法とな何か
「ほんとうは、あらゆる文法は「文法」であるかぎり、それぞれ正しくも誤りもないのである。
言語学は正しいとか誤りとか、あらかじめきまったものさしをもってことばにのぞまない。ちょうど生物学が、カブトムシは正しいがミミズは誤っているなどとは言わないように。」(P.64)
「文法の起源は何よりも「正しいことば」を与えるための道具であったから、ひとえに間違ったことば、すなわち非母語を話す人のためにある。」(P.65)
「そもそも、それは文法あってのことばなのだから。他方、俗語は文法がないから(文法を学ぶ必要がないから)こそ俗語なのである。
だから、ネブリーハが考えついた「俗語の文法」というのは、それ以前の常識にしたがえば、あきらかな形容矛盾か、そうでなければ単なるたとえでしかなかった。しかし、俗語が、異なる言語あるいは異なる方言の話し手にその使用を命じたとき、形容矛盾は形容矛盾でなくなったのである。」(P.65)
文法が自由な表現を妨げる
(P.66)__「自由」とは何か。むしろ文法によって失われるもの、失われる表現したいもの、表現したいものそのものが無くなるのではないか。あるいは変質するのではないか。
「しかし「たとえばフィン・ウゴール諸語とか、とりわけチュルク系諸語のような比較的単純で規則的な構造の言語」がそうであるように、「明らかに体系が規範を凌駕している」(コセリウ)といえるような言語の部類に入る日本語にあっては、たしかに相対的には「むずかしい文法」はいらないのである。複雑なパラダイムをもつヨーロッパの諸語にくらべれば、日本語は、文法知識の欠如が伝達上重大な結果をもたらすような言語ではない。つまり、日本語インド・ヨーロッパ諸語にくらべて、より規則的な言語であるという点で、「むずかしい」「明確な」文法はありませんという谷崎の指摘はまちがっていない。」(P.67)__よくわからない。
「母語にあっては、文法は話し手の外にあるのではなくて、話し手が内から作っていくものであるからだ。知らない言語や古語の文法は、我々にとって一方的に受けとるものであり、ただひたすらにその支配に服するためにそれを学ぶ。しかし母語の文法は、話し手みずからがその主人であり、彼はそれを絶え間なく創造し発展させているのである。だから、古い規範からみて破格だの誤りだのと呼んでいるものは、じつはかれの文法の内的進化にほかならないのである。」(P.68)__内的進化。「進化」だろうか。
「文法が創作をさまたげるものだと、もっと積極的に煽動的に言いきっているのはガストン・パリスである。」(P.69)
(P.69)__ヤーコブ・グリム
禁止の体系
「(誤りをつくるのは規範であるからだ)。」(P.70)
「誤りだとわかるのは、それが理解できるということの何よりの証拠である。」(P.70)
(P.70)__アンドレ・マルチネ
「言語が国家の手によって国語にされたとき、そこに作り出される文法は、もはや、ことばを扱いながらことばとは別の、作法や礼儀の書物に一歩近づいている。そこでは、おのずと生まれ、内から湧き出てくることばが、「話し手の介入を許さぬ」「すでにできあがった」「国のことば」として「文法によって与えられる」ものへと造りかえられる。文法教育とは、権威によって母語をおしつけ、自らのこころでものを言わせないようにし、ことばを書くということは、自分の外の、なにか決められたものによってしかおこなえないと思い込ませるしつけのことである。
この過程のなかで、「文法」は不可欠の位置を占めている。すなわち、母語の文法はことばそのもののために必要なのではなく、国家とその附属設備である学校と教師のために要求されるのである。
たえず変化することによって、新しい歴史的状況(意識の変化)に適応していこうとすることばの性質に反して、文法とは、真の意味におけることばでないことばを作る作業であることがわかる。すなわち、文法はその本性において、ことばの外に立ってことばを支配する道具である。ことばは現実であるのに対して文法は観念であり規範である。俗語が文法をあてがわれたとたんに、それは、なによりも地域と時代をこえて、ことばの恒常性を保つための装置であると(FF)いう第二の性格をあらわにしてくる。」(P.71-72)__美しい花はある、花の美しさはない。流行語。若者言葉。「権威」=父?「父」=絶対的第三者がいなくなったらどうなるか。
エリートといじめられっ子
四 フランス革命と言語
国家の言語
フランス フランス語、ブルトン語、オック語、フランコ・プロヴァンス語、フラマン語、ドイツ語・アルザス語、コルシカ語、バスク語、カタロニア語
「「推定される」というふうにぼんやりした言いかたをせざるを得ないのは、フランスには全国的な規模でおこなった言語に関する新しい調査資料がほとんどないからである。あとにもさきにもまとまったものとしては、わずかに一八六三年のものが知られているだけである。」(P.81)
フランスのなかの非フランス語
「ヨーロッパの人たちでさえ、「フランスの少数民族」と、彼らの住む「ヨーロッパ内植民地」に注意をそそぐようになったのは、ごく最近のことである。それはなぜ植民地と呼ばれるのか。フランス政府は、たとえば危険のともなう原子力発電所を、これら非フランス語の話し手の住む辺境地域に建設することによって反対運動をかわそうとしてきたからだった。」(P.82)__日本も同じ。多分ロシアも。
オック語とオイル語
(P.86)__ラテン語 hoc それ。hic はここ?
オック語の盛衰
「オクシタンの言語文化を担っていたのはトゥルバドゥールと称する吟遊詩人たちであった。彼らの活動によってかなり均質で流通域の広い文学語が形成されていたおかげで、南フランスは一二、三世紀のヨーロッパにおいては最も成熟した文学空間をなしていた。」(P.86)
「一一世紀の終わりごろから一二世紀にかけて、ラングドックの中心地のアルビという町に、教会の支配を脱し、清貧の理想を求めた宗教運動が発生する。この一派は、その拠点になった町の名にちなんでアルビジョワ、つまりアルビ派と称される。言語の歴史の上で特筆されるべき彼らの活動のひとつに、プロヴァンス語に翻訳した聖書による伝道がある。これはルターがヴァルトブルク城において聖書をドイツ語に翻訳したときより、さらに三〇〇年も古くさかのぼるできごとであった。」(P.87)
フランスの母のことば
「フランソワ一世が、一五三九年に発布した、ヴィレール・コトレの勅令( ordonnance de Cillers-Cotterêts )と呼ば(FF)れるのがそれである。」(P.89-90)
「この決定によって、一九四〇年以降、フランスにおけるあらゆる公的文章からオック語が姿を消した。」(P.91)
フランス語の防衛と賛美
フランス語の威信
明晰でないものはフランス語ではない
「フランス語が何ゆえにすぐれているかという点で、リヴァロールはそのシンタクス(語順)がすぐれていることをあげる。主語ー述語ー目的語、この語順のみが理性の秩序を忠実に示すものであるから、「ここにはすべての人間にとっての自然な論理がある」「我らの言語の称賛す(FF)べき明晰さ、その永遠の土台はここに由来する」と述べ、その次に、あの、世界中のフランス語愛好者の口にのぼる、永遠の賛辞が記された。いわく、「明晰でないものはフランス語ではない」と。しかし、それにつづく語呂合わせのような一句が引かれることはあまりない。いわく、「明晰でないものはといえば、英語、イタリア語、ギリシャ語あるいはラテン語である」と。」(P.98-99)__主体ー>行為ー>対象(客体、obiectum άντικείμενον )。基体(ὑροκείμενον 主語、subjectum)ー 始動因(動力因 causa efficiens )ー 目的因( causa finalis )ー 質料( ὕλη, materia)
フランス革命と言語
「大革命のほぼ一〇〇年後の一八九四年に、ポール・ラファルグは、その該博な知識を駆使して「革命前後のフランス語」をあらわした。」(P.1000__『怠ける権利』のラファルグか?
言語を革命する
(一七九三年)「グレゴワールの報告をうけて、一〇月一七日には、共和国のすべての子供はフランス語を話し、読み、書かねばならないと決定された。フランス語のみが革命にふさわしく、フランス語以外のジャルゴンやパトワを用いることは、それ自体反革命的であり、反逆の表明であると政府はみなしたのである。」(P.103)__地域的ジャルゴン( jargons locaux )、イディシュ「崩れたドイツ語」を指すようになったこの語の起源。方言( patois )。
「その前提には、言語の平等という考え方がある。
すべての国民は、共和国の法の前に平等でなければならない。法を平等に享受するためには万人が一つのことばを持つことによって保障される。つまり「自由な国民のもとでは言語は一つで、万人に対して同じでなければならない」のが、「言語の革命」の意味するところであったのだ。」(P.104)
五 母語から国家語へ
国家のことば
「国語」ということばの成立
上田万年の国語論
中央集権への道
「「国語」の誕生は、近代日本国家の誕生と切りはなせないできごとであり、それはまた、日本語の機能の上に生じた大きな変化を示すものである。」(P.115)
「さて、わたしたちが知っておかねばならないは、「国語」は決して日常のことばではなく、明(FF)治のはじめ、西洋の事情などにも学び、熟慮の末作り出された、文化政策上の概念だったということである。」(P.115-116)
罰札制度
(P.119)__方言札とか罰札とか言われるもの。
「最後の授業」の舞台
「アルザス史の教えるところによれば、ヨーロッパの多くの土地がそうであるように、ここも太古、ケルト系の原住民の地であった。ローマの支配下に入った後、ゲルマン系のアレマン人とフランク人とが相次いで侵入し、定着した。そのとき以来、アルザスの北部では今日でもドイツ語のフランク方言、南部はスイス・ドイツ語に近いアレマン方言が話されている。」(P.123)
六 国語愛と外来語
母語をささえるもの
「特定のある言語を母語とする民族は国家を求め、国家は固有の言語を求める。こうして、一〇世紀のヨーロッパにおいては、わずか六つの書きことば、すなわちラテン語、ギリシャ語、ヘブライ語、アラビア語、アングロサクソン語、教会スラブ語のみが知られていただけなのに、今日では五〇以上もの、それぞれ固有の書きことば、すなわち「文法言語」が成立することになった。」(P.130)
「一般に俗語の賛美は、ダンテがそうしたように、「自然」であることがいずれの場合にも強調された。それは、いかなる説明をも要することのない、あまたの古典的作品を背後に、権威づけられたラテン語に対して、遺産ゼロの、なりあがりものの俗語のために弁じ得る唯一の美質であったかもしれない。」(P.131)
母語に贈るほめことば
「異なる言語や方言に対する美醜のこの評価は、すべて美がそのまま醜になり、醜はそっくり美に転化できることを教えている。」(P.135)
「素朴さ、土着性、原初性(オリジナリティ)の強調は、いきおい、都市文明、文字依存言語の対極であるところの、農村的生活、文字になる以前の話しことば、すなわち方言に対する寛容さを培うことになる。」(P.136)
ことばの純粋せとは何か
「私たちはすでに、フランスにおけるピュリスム(純化主義)をみた。それは、社会的上層の言語を正しく純粋とみて、下層のことばをくずれて汚れたものとみなす。農民の土着的な言語もこの下層に属する言語であり、国家の言語から排除されるべき不純要素の供給源であった。しかしドイツにおいては、純粋の拠りどころが逆転する。なによりもたよりとすべきは、「けだかく、汚染されない農民のことば」だったのである。」(P.136)
「その場合、文法構造の固有性を他言語と比較するというような試みをおこなっても、大衆的基盤をもちえない。そこで、言語の純度を分析的に証明しようとすれば、どうしても語彙の独自性に手がかりを求めることになる。語彙(FF)の独自性とは、そこに外来語と思われる異物の混入度が低いことによってはかられる。」(P.137-138)
「そこに生じうるさまざまな議論をこえて、母語であると思われていれば母語であるという共時認識、すなわち、歴史をすべて現在としてとらえる意識が最も公平な判断をくだすであろう。もともと、言語の使用のさなかにおいては、人は語源などをたずねたりはしない。言語のすべては現在化されているのである。」(P.139)__西田。プラスチック・ワードは違う。語源ではなく、人々がどのように使っているか、どんな意味だと思っているかがすべてであるが。
ドイツ語の純化運動
「日本語においては、外来語であることを示す特別の文字があるために、ある語が外来語であるという意識はこの文字を通じて残されやすく、逆に漢字で書かれれば、その前歴は帳消しにされるのである。しかし同じ一つの文字で表記しなければならないヨーロッパの諸語では、同化の過程は早い。」(P.139)
「純粋な状態とは、外来要素が侵入してくるはるか以前のこととして、観念のなかにだけ存在するにすぎない。」(P.141)
外来語の脅威
(西ドイツ ハイネマン、1973年)「ひたすら言語エリート好みに高度に規範化された言語の完成度を誇る代わりに、たえまなく生成し、変化にさらされるところに言語の本質を見、規範はそれに死を与えるものだという考え方は、ついにアカデミーを持たぬことを誇る自由をうちたてたのである。」(P.145)__プラスチック・ワード。言葉狩り。
七 純粋言語と雑種言語
純粋言語の神話
「いうまでもなく古典主義の根拠は、古いことばほどオリジナルで純粋な状態に近く、新しくなればなるほどそれからずれているという考え方にある。」(P.169)
シュライヒャーの印欧祖語
「人間現象を法則科学に仕立てあげるために、そこから、人間の意志を除く手続きを完成することが、一九世紀の科学的思考の課題であり特徴であった。たとえば、「人間の経済活動を支配している法則は、人間の意志にかかわりなく盲目的に作用する」というエンゲルスのことば(「空想より科学への社会主義の発展」)と、シュライヒャーのことばとのいちじるしい一致に、同じ一つの時代精神のあらわれを見ることができるのである。」(P.152)
あらゆる変化は採用である
「なぜなら、ことばを話すときわれわれは、つねにしろうとであって、しろうとが話すからことばは成りたっているのであるから。」(P.153)
「人間は法則のために存在するものではないからである。」(P.154)__Nota Bene!! 法則 law Gesetz.
law
名詞
1a不可算名詞 法,法律 《★【類語】 law は「法,法律」を表わす最も一般的な語で,権力に裏づけられ服従の義務のあることを意味する; rule は秩序・機能などを維持するために守るべき決まり; regulation は地方公共団体などの定める条例》.
law
印欧語根
legh- 横たわること、横たえること。
(エウジェニオ・コセリウ)「かれは、あらゆる変化は採用であり、採用は人間の意志の行為であること、ちょうどタイプライターの p の文字を一たび f でとりかえたならば、あとは何度たたいても f が出てくるのは少しもふしぎでないのと同様、それは自然の法則とは無縁なものだと説明してみせた。」(P.154)
言語学における人種主義
さげすまれることば
「モデルとしての純血言語の対極にあるのは、ごたまぜ、つぎはぎ、寄せ集めの混成言語、雑種言語である。」(P.156)__和語という純血言語モデル。
「聞いて、ひとこともわからないことばを純だの雑だのとは誰にも言えないはずである。考えてみれば奇妙なことだが、ことばは、他のもう一つのことばに近ければ近いほど、すなわちもう一つの言語の聞き手に理解されればされるほどさげすまれるようになっている。方言がさげすまれるのは、それがある程度はわかるからである。」(P.157)
「同様にわが国では、言語それ自体に即していえば、アイヌ語のほうが琉球語よりもはるかに保障されている。アイヌ語と日本語との絶対的な隔たりのために、たとえ望んだとしても、アイヌ語は日本語の方言にはなり得ない。ちょうど日本語が英語や中国語の方言にはなり得ないのと同様に。しかし琉球語は、単に琉球方言であるか、もしくは、そこへとたえまなく転落する危険にさらされている。
ヨーロッパの南においてはバスク語やブルトン語が、北においてはフィンランド語が、周囲の言語とはあまりに毛色がちがっているために、彼らの言語は民族の固有性を保持するうえで有利にはたらき、潜在的に国家を所有し得る条件をそなえている。その代償として、かれらは、他の民族以上に隣接言語の習得に困難を感じなければならないのである。」(P.159)
固有名詞は固有の言語をつくる
「ほとんど同じ発音の語彙であっても、微妙に異なる文字の綴り方の差を作り出すことによって、独自のすがたを主張できるであろう。この点で、イディッ(FF)シュをヘブライ文字で書くことは、それをドイツ語からへだてておくためには第一級の意味をもっていた。」(P.160-161)
「しかし、ことばの研究方法は一つだけではありえないし、なによりも、ことばは社会的な現象である。つまり、ことばはつねに社会的であるから、それは、国家や民族をはなれてかたちをとることはできない。いな、国家は方言をつぶしたり、あるいは逆に方言を国家語へと造成したりするのである。」(P.162)
「ことばの、部分的ではない、全体現象としての解明こそは、文法主義的言語学から脱皮したことばの科学が到達すべき最終目的であると述べたのはヴァイスゲルパーであったが、この面で私たちは、ドイツの社会言語学者ハインツ・クロスのたてた概念を用いて、従来、言語学が避けてきた、ことばの社会的形態の問題を扱うことができるようになっている。それは「隔絶言語」( Abstandsprache )と「造成言語」( Ausbausprache )の概念である。」(P.162)
言語の造成
「すなわち「隔絶言語」とは、その言語の構造自体によって、他の言語から遠くへだてられているもの、「造成言語」とはそれに反して、(FF)周辺言語からの距離をたもつために、絶えずその差異を強調することによって造成しなければならない言語、あるいは方言のことである。
私たちは、ときに政治権力が介入し、言語を造成することによって民族や国民さえも造成した例を目の前に見ている。」(P.161-162)
スイス語かドイツ語か
ドイツ語に似たことば
「以上において、言語はその話し手に外からあてがわれた単なる自然物のようにそこにあるものではないことを見た。
八 国家をこえるイディシュ語
シベリアのユダヤ人
近いことばと遠いことば
イディシュ語の形成
ユダヤ人の母たち
「ユダヤ人は、イディシュのことをマーメ・ロシュンという。それはヘブライ語で「母のことば」という意味だ。」(P.181)
「しかし、ヘブライ語は聖典のためにとっておかれる聖なる書きことばであるから、日常の俗の生活のなかで、「みそ、しょうゆ」のたぐいの会話に用いることによって汚してはならないとされていた。それは、ユダヤ人社会のなかの男、とりわけ、(FF)教養ある指導的な男たちのための、特権的で権威のあることばであった。学問や聖典のための専用にことばをとっておく じつはこのことがそのことばに死をもたらすものだ。教養ある人たちだけが誤りなく用いることのできる言語とは死語でしかない。それは決して、すべてのユダヤ人に用いられ、解放闘争に役立つことばとはなり得ないのである。ことばは、だれもが誤りをおそれず、権威におびえず、自由に使うからこそ、さまざまな表現がうまれて発展していくのである。」(P.182)__学生運動や組合運動で用いられることば。「うまれる」のは、個性があるから。「発展」していくのではない。変化するだけだ。それは「個性」の表現ではない。もしそうだとすれば、個性とその表現とその人のことばは同じことを表しているにすぎない。そしてそれは、相手があって成り立つ。表現だけではことばは成り立たない。ことばは間主観的なもの、関係そのものである。
ヘブライ文字でドイツ語を書く
「以上見てきたように、近代におけるユダヤ人の言語生活は、三つの領域と三つの言語とに切り刻まれてきた。すなわち、その一つは、かれらの定住地の住民の言語、第二は聖典の言語ヘブライ語、第三は「くずれたドイツ語」イディシュである。」(P.182)
「ことばは一種の社会制度である(ソシュール)という。しかし、あなどってはいけない。それは内なる制度であり、しかも、つねに最下層の人たちの日々の暮らしのなかに基盤がある。」(P.184)
死語を蘇らせる
「一八世紀が啓蒙と同化の時代であったとすれば、一九世紀は、にわかにユダヤ人がユダヤ人であることに居なおり、社会主義の解放運動と一体になって、民族としての解放の道を模索した時代と特徴づけることができよう。」(P.186)
「「屋根の上のヴァイオリン弾き」ですっかり有名になったウクライナのショーレム・アレイヘムは、くずれたドイツ語によって、いかに躍動的な文学世界が創造できるかをみずから世界に示す(FF)ことができた。」(P.187-188)
イディシュ語に運命をかける
(ブンド 1905)「この宣言は、レーニンを大いにあわてさせた。」(P.190)
「アルメニア、グルジア、その他、各民族に与える影響があまりにも大きかったからである。」(P.190)
一つのユダヤ民族語
「このエピソードはじつに興味深い。ビルンバウムのような知識人は、下層ユダヤ人のことばは、やはり特別に学ばなければならなかったのだから。」(P.192)
国家を超えて
九 ピジン語・クレオール語の挑戦
つぎはぎだらけの間にあわせ言語
ピジンの母語化
「アフリカで白人の人狩りによって集められた奴隷たちが、新しい農業労働者として新大陸に輸入されたとき、かれらを買い取った白人の農場主たちは、この、もの言う家畜が、たがいに(FF)仲間どうしで意志を通じあって逃亡したり反乱を起こさないようにと、なるべく異なる部族の出身者どうしを組みあわせて働かせるようにした。こうして奴隷たちは、仲間どうしで意思が通じないようにさせられた。しかしかれらは、自分の所有者とのあいだでは、少なくとも命令と服従との関係を成立させ得るだけの最低限のことばを与えられねばならなかった。このようにして、たとえば主人のスペイン語とのあいだには一種のピジン語が成立したのである。」(P.201-202)
「やがて、この夫婦のあいだに子どもが生まれたとき、子供は家のなかで、両親のあいだで、さらに主人と奴隷たちとのあいだで交わされている話しことばを、この世ではじめて出会ったことばとして受けとり、ただ一つのことばとして引きつぐ。そのとき、子供が生まれてはじめて出会ったことば、それこそまぎれもない母語がここに生まれたのだ。」(P.202)
ロマニストたちの関心
「ピジンやクレオールの起源は、今日では、権威づけられているすべての言語の起源と共通する特徴をもっており、またその雑種的成立過程は、すべての言語にあてはまるのではないかという当然の疑問が出されたのである。それは、純粋祖語モデルを暗黙のうちに前提した印欧語比較言語学の発展にともない、いわばその陰の部分として思慮ぶかい人たちの注意をあつめていた。自然科学を手本とした言語変化の法則性の発見に人々が酔ってうつつをぬかしていたとき、それに水を浴びせかけたのは、ロマニストのフーゴ・シューハルトであった。」(P.204)__個体発生と系統発生。「進化」ということを考える限りで、それは成立する。
パプア・ニューギニアのトク・ピシン
「キリスト教宣教師たちが、すすんでピジンを聖書の翻訳用語として用いたことも、その流布を助けた。」(P.207)
「こうしただかんなトク・ピシン運動は、もちろん予想されるパプア・ニューギニアの政治的独立と手をたずさえてすすんできたのであった。」(P.208)
ニュー・メラネシア語の将来
「そしてエリートは、自らのエリート言語の基盤が、いつでも最下層の人たちの話す日常言語のなかにこそあるのだということ(FF)を念頭からはずさないかぎり、トク・ピシンの裏切り者にならなくて済むのである。」(P.210-211)__エリートの話す言語は文法からなっていて不完全か。それで心は通じないか。通じないのかもしれない。その代償はなにか。
言語科学の一つの前哨
「話している最中の話し手にとって、「歴史」などという、誰も見たことのないつくりものは存在しない。(FF)そこに、ソシュールが共時態を設け、アメリカ言語学が記述主義を貫徹する深い理由があったのだ。」(P.211-212)
「それはたしかに、一九世紀以来の血統書つき貴族的言語の研究が蓄積した知識や方法の成果を土台にしながら、しかもそれを打ち破って、人々をしばりつけてきた、言語による言語の支配、言語エリートの支配から人々を解放することに役立つであろう。」(P.214)__Nota Bene!!
あとがき
(P.215)__私は3,000年以上遅れている。
「詳しく言えば、言語は差異しか作らない。その差異を差別に転化させるのは、いつでも趣味の裁判官として君臨する作家、言語評論家、言語立法官としての文法家、漢字業者あるいは文法家的精神にこりかたまった言語学者、さらに聞きかじ(FF)りをおうむ返しにくり返す一部のヒクツな新聞雑誌制作者等々である。」(P.216-217)
一九八一年秋 東京町田にて 田中克彦