東大の先生!文系の私に超わかりやすく算数を教えてください! 西成活裕著 2024/10/21 かんき出版

東大の先生!文系の私に超わかりやすく算数を教えてください! 西成活裕著 2024/10/21 かんき出版
図書館本

図書館の新刊コーナーにあったので借りてきました。

似たような本で、読んだことがあるのは『東京大学の先生伝授 文系のためのめっちゃやさしい 確率』、『東京大学の先生伝授 文系のためのめっちゃやさしい 人工知能』。どちらも「ニュートンプレス」から出ています。

本書のシリーズには『東大の先生! 文系の私に超わかりやすく数学を教えてください!』『東大の先生! 文系の私に超わかりやすく高校の数学を教えてください!』があります。それぞれ中学生用(R15)と高校生用(R18)です。同じ著者の本に『東大の先生!文系の私に超わかりやすく物理を教えてください!』があります。「かんき出版」は元光文社社長が作った会社だそうです。

こういう「入門書」や「参考書」は、その学問の「エッセンス」がわかって便利です。

同じようなものに「超訳 〇〇」があります。「超訳」は天馬龍行さんが考案した翻訳法で、アカデミー出版の登録商標だそうです。これが「エッセンス」だけを取り出したものか、「意訳」か、「創作」かはわかりません。そういうことは昔からあって、「天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らず」(『学問のすゝめ』)という一文で「福沢諭吉のエッセンス」だと言われたりします。今回、Wikipedia で「福沢諭吉」の項目をちらっと読みましたが、Wikipedia も「エッセンス」が書かれているものです。私は『学問のすゝめ』を読んだことがないので、実際にこの一文が持っている意味は知りませんが。

本の目次、見出しなども、その内容を簡潔に表しています。索引も Wikipedia や Google などの検索に便利です。

こういったものは、西欧では12世紀頃から始まったようで、そこには本(書籍)に対する見方の大きな変化がありました。それは「本そのもの」ではなくて、その「内容」に価値があるという変化です(書籍のテクスト化)。「容れ物(本自体)」ではなく「内容」が大事だということです。いまではあまりにも当たり前のことなので、それ以前に人は本を「どう見ていたのか」を感じることが難しくなっています。『開運!なんでも鑑定団』(テレ東系)に「福沢諭吉の書」が出てきたとき、どう感じますか。書かれている内容も気になりますが、先ず「本物かなあ、偽物かなあ」と考えて、次には「鑑定額はいくらかなあ」と思います。価値は「内容」ではなくて「金額(貨幣価値)」ですね。書物(古本)や骨董の価値を「金額」で表すというのは、テクスト化のずっと後のことで、「本物か偽物か」という区別でさえ、当時はなかったかも知れません。

キリストの聖骸布や聖杯、仏陀の遺骨が全世界にあります。それが「本物か偽物か」というのは関係がなくて、「聖杯である」ということ自体に意味がありました。それを透して(通して)「キリストの教え」や「神の国」を見るためのものだったからです。本が著者の「心情」や「思想」を表していると考えられるようになるのは、本のテキスト化によってです。それまでは、「著者」というものすらあまり重要視されませんでした。なぜなら、本は「聖書」と同じように「神の言葉」、あるいは「真理」を表しているもので、それは「誰が書いたか」とは別のことだからです。キリストを通して神の言葉が表されたり、ヨハネを通してキリストの言葉が表されたり、アウグスティヌスを通して「神の国」が語られたりしました。誰が書いた(言った)かは、「付随的」なことだったのです。


アナログ時計からデジタル時計

1980年代に、外見上は似たような、でも内容的にはもっと根本的な変化がありました。アナログからデジタルへの変化です。

イギリスの新聞社が行った調査では、イギリス人の6人に1人がアナログ時計を読めないという結果で、その多くは35歳以下だったそうです。(P.382)

時計は「時(時間)」を測るための道具です(使用者から分離された)「道具」という概念も、12世紀頃から始まります)。それがなければ「人間は道具を使う動物だ」などという発想はできません。その後、手足なども人間の精神から見れば「道具」だ、ということになってきます。

時計(時を測る器具)は多くの文化にあるでしょう。簡単なのは「日時計」です。太陽の影の方向で時間を測ります。その影の長さで、季節もわかるでしょう。でも、影を見るということは太陽が出ているということですから、日時計を見るまでもなく、空を見上げて太陽の位置がわかれば大体の時間がわかります。

アナログ時計は短針だけを見ればいい(P.388)

そもそもアナログ時計はざっくり時間をつかむためのものなので、細かく見なくてもいいかな。(P.391)

つまり、著者はアナログ時計(の短針)を「日時計のように見なさい」と言っているのです。アナログ時計を使って、東西南北を見つける方法がありました。忘れたけど。

そのあと機械仕掛けの時計ができますが、その制作で一番大変だったのは季節によって昼の長さと夜の長さが変わることです。そのために文字盤とは別のメモリが付いていて、それが季節や月を表します。1日を24に分けたとしても、夏の昼間の時間間隔は長く、夜の時間間隔は短かったのです。それを均等に24個に分けるのが「定時法」という仕組みです。江戸時代の時計を見たことがありますが、とても複雑です。上部に12この切れ目があって、その月の切れ目ににおもりを吊るします。日本は不定時法だったので、そんな複雑な構造になっていました。ガリレオは1583年、振り子時計を作りました。彼は一定時間にどれだけの距離を進むか、つまり早さを考えるために、時間と空間を分離したのですが、そういう考え方には、その振り子時計も関係していたでしょう。昼の一時間と夜の一時間が違っていては、速度の計算ができませんから。昼でも夜でも今で言う距離は変わりませんが、同じ道が夜歩くと長く感じたりしませんか。時間も距離も「実感(感覚)」と結びついています。

時間は観念的な考えだというのは、それがどれだけ現実のものとの関わりを持っているかによります。日時計も振り子時計もアナログです。時間は具体的な「もの」と関係づけられていました。つまり、時間は具体的なものだったのです。

最初のデジタル時計は、私が中学生か高校生の時だったと思います。「パタパタ時計」と言われていました。たとえば時間なら「0,1」「0〜9」分だったら「0〜5」「0〜9」の数字が書かれたプラスチックの板があって、それがパラパラと変わって時刻を示すものです。卓球やバレーボールの点数板もそんな感じでした。時間は「朝」「お昼」「夕方」「深夜」を表すものではなくて単純な「数字」になりました。朝の空気、昼の暑さ、夕方の寂しさ、夜の静けさとの結びつきはなくなってしまったのです。実際、夜は暗いもの、寝るものではなくなりつつあります。

今は車のスピードメーターも、温度計もデジタルです。若い人は、数字が増えていくことでちゃんと「スピード感」を感じるのでしょうか。デジタルの温度計を見て、「暑い」とか「寒い」とか感じるのでしょうか。私が心配しているのは、空を見て「時間」がわからなくなったように、温度計を見ないと「暑さ・寒さ」を感じることができなくなるのではないか、ということです。暑くなったら服を脱ぎ、寒くなったら服を着る、ということができなくなるのではないか、という老婆心です。温度計を見て冷房を点けたり、暖房を点けたりしていると、暑さ・寒さを経験しません。さらに、今はサーモスタット(センサー)で「自動的に」温度を調整してくれます。サーモスタットが壊れたとき、冷房を入れるか暖房を入れるのかを「適切に」判断できるのでしょうか。

「CD(コンパクト・ディスク)」が発売されたのは1982年です。これは「デジタル」です。それまでは「レコード(アナログ)」でした。IBM の PC (パーソナル・コンピューター)が発売されたのが1981年、Macintosh( Mac )が発売されたのは1984年です。そこから世界の「デジタル化(二進法化)」が始まったんだと、私は思います。

最近は「デジタル庁」ができるほどに、政府はその推進に躍起です。それは、デジタル時計を普及させようということではありません。社会のあり方をデジタル化しようということです。それはパソコンなどの「 IT 」を普及させようということです。パソコン(コンピューター)の内部は二進法です。つまり電気の「オン(1)・オフ(0)」スイッチが、たくさん並んでいるということです。「3」も「100」も「0と1」で表されます(「3」は二進法で「11」、「100」は二進法で「1100100」)。

デジタル化は一種の数字化です。一時期、生徒を点数で評価するということが問題となりました。「人間を数字で評価するのはおかしいんではないか」と。でも、そう言っていた父兄も「血圧」や「血糖値」で一喜一憂するようになりました。そしてその数値は「病人である(というより治療の対象である)」「病人でない(健康だというのではなく、「可能性としての病人」)」の判断基準です。「優劣」だけではなく「善悪」「正義・悪」「美醜」「味方・敵」など、すべての判断を二分法で行う社会です。そして困ったことに、それらは人間が「決める」ことですから、基準が変化します。血圧の基準が「160」から「130」になったことは記憶に新しいのですが、一晩で(夜中の12時で)一挙に病人が「3000万人増えた」と言われています(血圧が130と160の間にあった人です)。

デジタル化を推進したいのは、すべてを数値化、つまり単純化して、データとして、大量に(安価に、速く)管理するためです。「日本の人口は1億2380万人」というのは、その一人ひとりの個性をなくす(削ぎ落としてしまう)ことによって言えることです。


日本人は算数が得意?

930円の買い物をして、1000円札を渡すと「お釣り70円です」とお釣りをくれます。そのとき日本人は「 1000 - 30 = 70 」という引き算をしています。欧米でもお釣りは70円ですが、そのとき欧米人が行っているのは「 930 + 70 = 1000 」という足し算だそうです。なので、「1030円」を渡すと「多すぎるよ」という笑顔で、まず「 30円」を返されます。それから「 70円」をくれるのだそうです。

これは算数の「得意・不得意」というよりも文化の違いかも知れません。それでも数学オリンピックなどでは、日本はいつも上位です。それはやっぱり小学校・中学校での算数・数学のおかげでしょう。

裏表紙にはこうあります。

R13 小学生はけっして読まないでください

6〜8時間で小学校6年分がほぼ終わり、数学の本質が見えてくる「伝説の書」ついに発刊!

「速く・簡単に」すること。これが「算数の本質」です。

「算数」の本だというのもありますが、著者は具体的な例をいくつも挙げています。著者の狙いは、数を具体的なものから「離陸させる」ということにあるのでしょうか。それとも数と具体的なものを「結びつける」ことにあるのでしょうか。世間の趨勢は前者ですね。それはけっこう難しいことなのです。世界の見方が変わり、世界の見え方が変わることだからです。

数を観念的なものに置き換えてしまえば、あとは観念の世界だけで進んでいきます。100という数を「100個のりんご」で思い浮かべることができる人は少ないのではないでしょうか。でも「 100 + 100 」ならすぐに「 200 」という答えを出すことができます。それは「200個のりんごを思い浮かべることができる・できない」ということではなく、「思い浮かべてはいけない」という世界なのです。「日本の人口1億2380万人」と言うのは「太郎さん、花子さん、一郎さん、・・・」と考えてはいけないということです。私は、6時間で「小学校の算数」がマスターできるのだとすれば、小学校の残りの時間、52554時間を、できるだけ「太郎さん」や「花子さん」と触れ合う時間にしてもらいたいものです。




[著者等]

著者について
東京大学大学院工学系研究科教授。専門は数理物理学、渋滞学。

1967年、東京都生まれ。東京大学工学部卒業、同大大学院工学研究科航空宇宙工学専攻博士課程修了。その後、ドイツのケルン大学理論物理学研究所などを経て現在に至る。

予備校講師のアルバイトをしていた経験から「わかりやすく教えること」を得意とし、中高生から主婦まで幅広い層に数学や物理を教えており、小学生に微分積分の概念を理解してもらったこともある。

著書『東大の先生! 文系の私に超わかりやすく数学を教えてください!』(小社刊)は全国の数学アレルギーの読者に愛され、20万部突破のベストセラーに。『渋滞学』(新潮社)で講談社科学出版賞などを受賞。『とんでもなく役に立つ数学』(KADOKAWA)、『東大人気教授が教える 思考体力を鍛える』(あさ出版)など著書多数。


〈R13指定〉
小学生は決して読まないでください!?

6~8時間で小学校6年分がほぼ終わリ、数学の本質がみえてくる
「伝説の書」ついに発刊!

シリーズ累計35万部のベストセラー『東大の先生! 文系の私に超わかりやすく教えてください! 』の【算数版】。

実は、最初にして最恐の裏ボスがいた算数!
意味不明な「割り算・分数」、ビジネスで超使う「割合」……。
大人ほど完全理解しておきたい!

本書で「数学アレルギー」の根本治療ができるばかりか、
「算数、楽勝でしょ♪」という人ほど驚嘆の声を上げることでしょう。

本書は小学校で習う算数を大体網羅しつつ、「今日から使える計算法」や「誰かに言いたくなる知識」が満載。
文系大人が子どもに教えられるようになります。

東大人気教授の算数教室、開校です!

【目次】
1日目 なぜ、算数こそしっかり学んだほうがいいのか
2日目 【代数】意外に知らないことだらけの「+-×÷」
3日目 【代数】】これで克服! 小数、分数を真に理解する
補講1 壮大な歴史でわかる「単位」の世界
4日目 【代数】アレルギーの元凶! 割合と比を基礎から丁寧に
補講2 使い分ける! グラフ・データ活用をマスター
5日目 【幾何】「ひらめく」「妄想する」「楽しむ」図形の世界
補講3 アナログ時計の読み方をマスター



[ISBN-13 ‏ : ‎ 978-4761277529]

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