知っていますか?アイヌ民族一問一答 新版 上村英明著 2008/01/20 解放出版社

知っていますか?アイヌ民族一問一答 新版 上村英明著 2008/01/20 解放出版社
考古学

三内丸山遺跡の発見によって、

この遺跡が東北の北部に位置したことから、文化の流れが、西から「遅れた」東に浸透するという常識をもくつがえしたのです。(P.17)

最近数十年の考古学上の「発展」が、常識を覆しつつあります。いまの義務教育でどのように教えているのかはわかりませんが、本当に日本人の「常識」は変化したのでしょうか。私の常識が「変わっていない」だけなのでしょうか。

ところが一方で、北海道・東北北部では、弥生文化の浸透は進まず、縄文文化に鉄器の使用を加えた「続縄文文化」が紀元前三世紀〜七世紀にかけて展開し、また交易ではサハリンを通して大陸から琥珀製の玉類などが伝わりました。つまり、この時期以降、現在の日本列島の西部と東部では、それぞれ異なる文化が発展していくのです。(P.17-18)

この「発展」は何を意味しているのでしょうか。あるいはなぜ「浸透」しなかったのでしょうか。グレゴリー・ベイトソンは「分裂生成」という考え方を作り出しました。

人は、近隣の人間たちに対立させてみずからを定義するようになるのである。(中略)イギリス人はできるかぎりフランス人のようにならないように、フランス人はできるかぎりドイツ人のようにならないように。なによりかれらはみな、議論するさいにはたがいの差異を誇張するものなのである。(デヴィッド・グレーバー、デヴィッド・ウェングロウ『万物の黎明』P.66)

モースによれば、その逆がただしい。すなわち、過去の人間は(現在以上に)大いに旅をしていた。とすれば、遠方への一、二ヶ月にわたる旅の立ち寄り先で、かご細工、羽毛枕、車輪のようなものが常用されていたとして、そうした物品をだれも知らないということは端的に考えられない。(同、P.196)

その問いへの回答としてモースは、まさに文化がみずからを隣人に対抗して定義する方法がこれなのだと考えた。(同、P.197-198)

先に述べたように、分裂生成とは、たがいに接触している社会が、おたがいを区別しようとしながらも、結局は共通の差異のシステムのうちで結合することを意味している。(同、P.204)

どちらの社会(アテネとスパルタ・・・引用者)も、他方の社会の鏡像である。それによって、どちらの社会もたがいにとって必要な不可欠な分身となり、いっぽうの社会に対しては、そうあるべきではないものを示す必要不可欠の実例となるのである。(同、P.205)

見えるのは自分ではなくて、他者です。他者を見ることによって自分を定義するということでしょうか。アテネとスパルタは、普通思われるような「敵対」をしていたわけではありません。侵略し合っていたのでもありません。

しかし古代ギリシャ人にとって都市同士の戦争は、夏の間しか起きない年間行事のようなものでした。夏は農閑期でヒマ、食料も足りなくなるので、「よし、となりの都市と戦争でもして収穫でも奪ってくるか!」ではじまるのです。ですから、古代ギリシャ人は夏しか戦争をせず、戦争の最長記録もスパルタの40日間程度でした。

夏に戦争を始め、秋になれば「あっ、やばぇ!もう秋だ!俺ブドウの収穫あるから帰るわ!」「解散!」「また来年!」という感じで戦争は終結。そして戦場の死者は一割にも満ちません。食料を得るための戦争で人が死ぬのは本末転倒だからです。(藤村シシン『古代ギリシャのリアル』P.221-222)

今年の大河『豊臣兄弟』の第1回では、武士だか、山賊だかが村を襲うところから始まりました。そんなことがなかったとはいえないけど、普通ありえないのです。収穫後の作物を狙って毎年山賊が来たとしても、村が崩壊するような攻撃はしません。だって、次の年に襲えなくなるじゃないですか。領主が農奴を殺さないように、主人は奴隸を殺さないし、宗主国は植民地を壊滅させてはいけないのです。資本家が労働者や犯罪者、反体制思想家を根絶やしにしないのも当たり前なのです。多分、山賊はそれを意識的にやっていただろうと思います。宗主国の国王や資本家が「意識的」なのか「本能的」なのかはわかりませんが。それと比べ、近代戦争、あるいはトランプの起こす戦争は、どこか間違っています。

「いくさを終わらせるためのいくさ」「戦争を終わらせるための戦争」なんて、ホッブスの「妄想」をいつまで引きずっているのでしょうか。徳川政権が「戦争を終わらせた」わけではないし、第二次世界大戦が「世界平和」をもたらしたわけでもありません。

学校で習う日本史は、「ヤマト朝廷」から見た歴史だし、現在の、あるいは歴代の権力者から見た歴史です。そこにアイヌの歴史、民衆の歴史が抜けているのは当然と言えば当然です。

ここで見直したいのは、それぞれの文化が独自に発展してきたにもかかわらず、アイヌ民族の存在や歴史を日本史の枝葉とするとらえかたが、長く続いてきたことです。従来の視点を転じ、続縄文文化人や擦文文化人をアイヌ民族の起源と考えれば、アイヌ民族の独自の歴史体系が現れてくるはずです。(P.19-20)

アイヌ民族から見た歴史と大和民族から見た歴史は、別の歴史観を作るでしょう。でも、どうして「歴史(あるいは神話)」が必要なのでしょうか。それは私がアイヌ民族だとしても大和民族だとしてもユダヤ民族だとしても、「私」の「アイデンティティ」がそれを必要としているだけなのではないでしょうか。


『ヒトはなぜ歌うのか』

NHKで2024年5月2日に放送されました。もう内容は殆ど忘れました。

認知症で自分の名前すら忘れてしまっても、なぜか「音楽記憶」だけは消えない不思議。その謎を解く鍵を握るのはアフリカ熱帯雨林に住む狩猟採集民・バカ族。「言語よりも音楽」によるコミュニケーションが暮らしの中心にあるという。森の中で歌い踊るバカ族の豊潤な音楽シーンをたっぷりと紹介。太古の昔に獲得した私たちの脳と音楽の密接な関係とは!?最先端の脳科学、音楽人類学など多面的なアプローチで「音楽の起源」に迫る。(NHKホームページから)

バカ族の女性7人がうたう歌を録音して解説していました。「驚いたことに」7人とも別のメロディ、別のリズムで歌っていたのです。一人目が歌い始めます。二人目、三人目と増えていくのですが、それぞれ旋律が違うし、拍子(3拍子とか4拍子)も違うのです。たとえていえば、一人目が「いつの日か、いつの日か、私は聞いた、・・・」、二人目が「なに、なに、いつ、いつ、きいた、・・・」、三人目が「私は聞いてない、だれも聞いていない、だれが聞いたのだろう、・・・」といった感じなのかな(私が考えたデタラメです)。

前の人(他の人)と違う歌い方をすることによって、自分が自分であること(自分の存在)を示す、とても高度な歌い方です(七人目は大変でしょう)。「違う」ということで参加する、なんとなく「分裂生成」に似ていませんか。

考えてみると、世界の音楽の多くはこういう風に成り立っているように思います。インドの民族音楽は、13拍子などがあって、それは「5・8拍子」でもあり、「5・5・3拍子」でもあったりします(うる覚えです)。タブラ、シタール、タンプーラ、ハルモニウムなどがそれぞれ違うリズムを刻んでいるようにも思えます。これは多分、私が音をうまく聞き取れない(聞き分けられない、音楽の才能がない)ということも原因です。

バリのガムランも、やはりそれぞれの楽器が別のリズムを奏でている気がします。全体で速くなったり遅くなったり、派手に叩いたり、そっと叩いたりしますが、それぞれのリズムは違っている気がします。

ガムランにそっくりなのが、ジョン・ケージのプリペアード・ピアノです。ピアノの弦にコルクや金属のポルトを挟んで、ピアノを打楽器にしてしまいました。各弦が途中で止められているとともに、隣の弦に影響して、妙な共鳴を起こし、ガムランの楽器ような音を出すのです。

現代音楽では、たとえばテリー・ライリー(現在日本に住んでいるそうです)のミニマル・ミュージックでは、簡単な一小節、たとえばピアノを指4本で、それぞれ「レ・ミ・ファ・ソ」だけを弾きます。それは「ミ・ファ・ソ・レ」でもいいし、「ミ・ソ・ミ」でも自由です。4本の指だけで、指の位置替えもないのでだれでも引けます。3拍子でも4拍子でも何拍子でも構いません。途中で変更しても構いません。これをくり返し聞いて(弾いて)いると、なんとも気持ちがいいのです(テリー・ライリー『ア・レインボウ・イン・カーヴド・エア』参照)。「トランス状態」に近づくというか、法華の太鼓(世界でも珍しい胴のない太鼓)を敲きながら「南妙法蓮華経・南妙法蓮華経・・・」と唱えていると気が遠くなっていくのと似ています。テリー・ライリーは、好きな楽器を持ち寄って、あらかじめ作られた100個程度の「一小節」の楽譜の好きなものを選んでもらって演奏したりしています。いつ弾き始めるか、どう弾くか、いつ止めるかも自由というような曲も作っています。

西洋音楽(いわゆるクラシック)の父と言われるバッハですが、かれの対位法、カノン、フーガなども似ています。主旋律(主題)があって、その反転した旋律があって、各音符を二倍した旋律や、半分にした旋律などで構成されます。それぞれが変調し、曲全体が全体として主題を構成しています。

主題が最も小さいのはベートーベンの交響曲第5番『運命』でしょう。「ダ・ダ・ダ・ダーン」と4音です。それだけで1曲が構成されています。

最近、やっと、メロディ(ボーカル、主旋律)以外の要素も気にするようになりました。ビートルズは50年以上聞いているし、YMOも何百回も聞いていますが、最近はドラムを中心に聞いてみたり、ベースを中心に聞いたりしています。私は楽器が弾けないし、二つの音を分けて聞くことすらできません。とくに耳が悪いのか、ベースの音が聞き取れません。バスドラの音と区別できないことも多いのですが、それでも聞いていると、ポールや細野晴臣のベースが、ギターやキーボードの音と「掛け合い」をしているのがわかるようになってきました。それは「自己主張」とは違います。お互いを高め合っている感じです。チャクラなんかを聞いていると、小川美潮のボーカルを引き立ててかつ邪魔をしないドラムやギターの弾き方が、美潮ちゃんに対する「愛情」のような、包み込むような感じで満ちています。音楽をやっている人はそういうことは一瞬でわかるんでしょうが、私は半世紀かかったのです。恥ずかしい。

考えてみれば、オーケストラでは、第一バイオリン、第二バイオリンそれぞれは同じロディーとリズムで弾いていますが、各パートは別の旋律を弾いています。

それらに共通しているのもがあるとすれば、「ひとつの場所」に」「いま」「みんなが集まって」「音楽しよう」としていることだと思います。お互いがお互いの「原因」となり「結果」となり、相互に関係し合うことで音楽が作られていきます。ジャズのアドリブの掛け合いなんかはまさにそうですね。

この原則は変化しています。ひとつは「楽譜」ができたということです。記譜法の確立とともに、いま、ここで作曲者と演奏者が同じ場所・時間にいる必要がなくなりました。ビートルズの映画『レット・イット・ビー』(何種類かあります)を観ていると、四人が集まって曲を作っているように見えますが、アルバム『アビー・ロード』は、四人が同時に集まることがなく完成したともいわれています。ひとりがレコーディングスタジオに行ってテープに録音し、別の一人がそれを聞いて自分のパートを録音する、といった具合です(あとはジョージ・マーティン任せ)。YMOも似たようなもので、細野がベースパートと簡単なメモを残して、坂本が何十時間もひとりで音作りをする、高橋がドラムパートを録音する、の繰り返しです。この、楽譜・録音、そしてデジタル化が音楽に与えた影響は計り知れません。それであんなに素晴らしいアルバムができることは、素人には奇跡としか思えません。

「ヒトはなぜ歌うのか」の中国系の解説者の説明を否定するつもりではありませんが、それは、脳科学や生理学の問題ではなく(それは結果、あるいは現象形態であって)、別の次元で考えなければならないと思います。「分裂生成」でもありません。それらの客観的現象でもなければ、「アイデンティティ」を出発点とした主観的な現象でもありません。「花が歌ってる」というような比喩を超えた「或るもの」です。


北海道
たとえば、海防の重要性を説いた林子平は、『三国通覧図説』(一七八六年)のなかで、日本に隣接する三つの外国として「朝鮮・琉球・蝦夷」に関心を向ける必要をとき、とくにロシアの南下に備えて、日本人の「蝦夷地」観を改め、この地を国内として確保することを主張しています。(P.38-39)

明治維新の翌年一八六九年、

日本によるアイヌ・モシリの「本土化宣言」でした。しかし、宣言はしたものの、じっさいのところ「北海道」は日本の外、この時代でいえば「植民地」であることが日本政府の本音でした。(P.39)

私は戦後生れですが、本州のことを「内地(ないち)」と呼んでいました。北海道は「外地(がいち、朝鮮や満州と同じ)」だったのです。

一八七三年、

この七個師団は、近衛師団のほか、東北から九州までの六つの軍管区に配備されましたが、北海道には名目的に第七軍管区が設定されたものの、国軍は配備されませんでした。(P.39)

その後屯田兵や何やらがあって、第七師団となり、『ゴールデン・カムイ』のような状況になります。

北大(北海道大学)についても言及されています。

「樺太・千島交換条約」が締結される三年前の一八七二年、開拓使は、日本政府の政策に協力させるアイヌ民族のエリートを育成するため、三五人のアイヌ民族の子どもや青年を東京に強制移住させました。その内一八人は芝増上寺に設けられた開拓使仮学校で、また残りの一七人は青山の開拓使官園で皇国臣民としての教養や農業、牧畜などを学ばされました。生活環境の大きな変化から、仮学校からの逃亡者が続出し、二人が死亡しました。多くの学生が北海道への帰郷を望んだため、七四年には、二五人の帰郷を許可し、翌年には仮学校そのものを札幌に移転させました。

開拓使仮学校は、その後札幌農学校を経て、北海道大学になり、植民地経営のエリート官僚養成学校になりました。」(P.51-52)

もとを辿れば、北大は、アイヌ民族(の同化・支配)政策のために作られたものだったんですね。

北海道を「日本固有の領土」というのを聞いたことがありませんが(私は北海道をアイヌ民族に返すべきだと考えていた)、「北方領土は日本固有の領土です」という主張は歴史的事実と異なっていて、根拠はどこにあるのだろうと思っていました。

アイヌ民族、いわゆる蝦夷人は日本所属の人民なので、アイヌ民族が住むところは日本の領土である、というものです。(P.41)

さらにいえば、この論理は、現在まで続く領土問題とも大きくかかわっています。たとえば、なぜ「北方領土」がはるか昔からの領土を意味する「日本固有の領土」と表現できるかといえば、このとき主張したアイヌ民族の居住権しかその根拠はありません。(中略)アイヌ民族は日本政府の領土確保に、一八五〇年代からずっと利用され続けてきました。(P.42)

トランプの「グリーンランド領有」や「ガザ地区保有」とはぜんぜん違う論理です。グリーンランドに住む人、ガザ地区に住む人が「アメリカ人だ」とはさすがに言えないでしょう。アメリカに住む人はイギリス人だと言っているようなものだから。


人類館事件

近代国家が確立するようになると、先住民族に対して「同じ国民」という建前よりも、「劣等な異民族」という蔑視感がむしろ露骨な本音として現れるようになります。一九世紀に発明された「博覧会」は、権力に都合のよい巨大なメディア装置でした。(P.58)

英国のロンドンではじまった「万国博覧会」にならって、日本でも博覧会がはじまったのは一八七七年です。そして、日清戦争で勝利を収め、日露戦争を間近に控えた一九〇三年、大阪市天王寺で「第五回内国勧業博覧会」が開催され、民間パビリオンとして「学術人類館」が設けられました。(P.58-59)

去年も大阪で「万博」が開催されました。1970年の万博の頃は、私は「科学少年」として憧れていました。

「学術人類館」では、アイヌ民族など生きた人たちが展示されていました。私が若い頃には、お祭りに「見世物小屋」がありました。「ろくろ首」や「へび少女」などがありました。「親の因果が子に報い〜」などの口上がありました。またサーカスが来ることもあり、猛獣使い、綱渡り、小人の道化師などがいたようです(どちらもお金がないので入れなかった)。

博物館では、「アイヌの生活」とかの展示があり、近年まで再現された住居とともに人形があったように記憶しています(今はどうなっているのか知りません)。佐渡金山などの展示では、人形が鉱物を掘ったり、砕いている様子などが再現されているのではないでしょうか。

私は人形が怖くて(とくに薄暗いところで見る人形)、にがてです。本物っぽいのは怖いし、いかにも偽物なのはがっかりします。わがままですね。よる、おもちゃの人形が動いたり(『胡桃割り人形』とか)、博物館の展示物が夜動き出す(『ナイト・ミュージアム』)とか、映画や動画の影響でしょう。人形や物に命が宿る話は世界中にあるでしょうが、普段は命(魂)がないと思っている文化と、普段から命(魂)があると思っている文化があります。


差別

戦後の民主教育の中で、「自由・平等」を叩き込まれた私ですが、その「自由・平等」を信じていながら、私は「差別主義者」です。

背が小さく、力が弱く、運動が苦手だった私は、殴り合いの喧嘩をすることがありませんでした。喧嘩も「痛いこと」も嫌いだったので、「暴力」には反対です。自分が弱かったから暴力が嫌いなのか、暴力が嫌いだから「平和主義」なのかはわかりません。きっと自分が弱いから平和主義者なのでしょう(トランプが考えていることは全くわかりません)。

そして同時に、私は差別主義者です。何を差別しているかというと、女性、朝鮮人、中国人、アイヌ、インディアン、高卒、身体障碍者、精神疾患者、子ども、老人(自分も老人だけど)・・・、挙げればキリがありません。物理的な暴力で差別するわけではなく、態度や言葉、視線などです。実際にはそれら多くの人には会ったことがないので、直接的な差別はしていなくても、普段自分が生きていることがそれらに繋がっていると感じています。意図的にそうしているわけではありません。反射的に、とっさに、自分を抑えることができずにそうなります。二〇世紀末から言われるようになった「〇〇ハラ」に、私はついていけません。暴力や差別、あるいは「犯罪」の構成要件として「動機(意図)」が必要だと考えていた私にとって、「意識しない罪(犯罪)」というのがわからないのです(意図的なハラスメント、無意識なハラスメント、過失的なハラスメント、緊急避難的・自己防衛的ハラスメント、などの区分があるのでしょうか。それは行為に対する罪なのでしょうか、感情に対する罪なのでしょうか)。西欧には「原罪」という考え方がいまも根付いていますから、「本人が自覚しない罪」には慣れているのでしょう。トランプは自分の行動を、あるいはイラン人も、「意図・自覚」していないのかも知れません。それは「運命」なのだと。

無意識に、とっさに、自然に出てきてしまう差別をしないようにすること、それは「できるだけ人と関わらない」ということです。あるいは、相手の反応を見ないようにすることです。それに一番ふさわしいのは、こうやってSNSに書き込んだあとに、反応を見ないことです。なぜ書くのかと言えば、やっぱり誰かに読んでほしい、伝わってほしいということがあるからです。そうするとやっぱり反応が気になってしまう。自分が見知らぬ人の反応に耐えられないのはわかっています。だから、反応がない(見てもらっていない)というのは安心するし、その反面、自分のやっていることの無意味さに心が折れそうです。

戦後の民主主義が「個性の尊重」と言ったとき、すでに西欧的な「インディヴィジュアリティ」とは無縁な概念として取り入れたのだろうと思います。「エゴ」という言葉が持つ意味は、「個人」とは全く違ったものと感じられました。「エゴイスト」は「自分勝手」「わがまま」のことでした。「行儀作法・礼儀」と「マナー」は戦後、全く異なる意味に解釈されたのではないでしょうか。

「自我同一性」や「多様性」は、日本人には馴染みがないもので、それが「アイデンティティ」や「ダイバーシティ」という言葉に代わったとき、あるいは「嫌がらせ」が「ハラスメント」に代わったとき、日本人の多くは、そのカタカナの意味(原語がもつニュアンス)を知らずに受け入れたのだろうと思います。それでもそれが流通すると(それが流通するのは、専門家や権力者によってですが)、何か「いい意味」「重要な意味」をもつものとなり、いつか「常識」となります。「それはハラスメントだよ」と言えば、その行動を躊躇させることになり、「それがダイバーシティだ」と言えば、正しいことのように感じることになります。与党にとっても野党にとっても、保守にとってもっ革新にとっても「共通の言葉」というものは、たいてい中身(実体)がない言葉です。

この「常識」が困るのです。日本人で、玄関で靴を脱ぐのに違和感を思える人は少ないでしょう。私は、韓国時代劇や日本の時代劇で帽子を脱がないのがすごく気にかかります。それくらい、私は差別主義者です。


民族

民族について、著者は、

つまるところ、民族とはアイデンティティを共有する最もまとまりのある集団のひとつだといっておくことにします。ただし、そのアイデンティティも当事者のおかれている自然・社会環境、多数者との関係性、そしてときには「血」という認識によって変化します。(P.116)

スッキリとしていて明確です。著者は私と同年代です。ですから、「アイデンティティ」という言葉が日本に流入してきた時のショック(違和感)を知っているはずです。それはとても知的で学問的な言葉でした。カタカナでは意味がわかりませんから、当然「どういう意味だろう」と思うわけです。「猫」とか「パン」とか「マッチ」とか「学校」とか「病院」というような「単語」とは違うので、どんなものかイメージがわかないのです。「精神・肉体」のように、完全にわかっているわけではないけど(世間もわからないものだと言っているけど)、なんとなく「対」になるものとして理解している場合もあります。

もちろん、文章の流れや、使われている状況から「こんなものだろう」と予想することはできます。きっと子供はそういうことが優れていて、自然に言葉を覚えるのだろうと思います。そして、感じているイメージではない使われ方をしたときには、「自分の考えていることは違っていたのかも」と思ったり「話している人が間違えているんじゃないか」と思ったりしながら、「修正」を加えていきます。

でも、「アイデンティティ」はそういう言葉ではありませんでした。「アイ=愛、目」とか「デン=電・田」「ティティ」「ティ=T、紅茶」とか分解しても、何も浮かんできません(「ダイバーシティ」は「ダイバー=潜水夫」「シティ=街」と分解して理解しました。ぜんぜん違ったど)。明治以来の翻訳文化では、仏典や漢籍に詳しい超知識人が無理やり既製の漢字熟語を当てたり、翻訳熟語を作ったりしていたので、それに習って「同一性」「自己同一性」「自我同一性」などの翻訳語が作られました。ダイバーシティが「多様」(「性」はあまり意味のない語です)という漢字二文字になったように、たいていの(複合語ではない)名詞の翻訳語は漢字二文字で表すことが慣例となっていました。「アイデン」は古典ギリシャ語の「 ταὐτά ( αὐτό )」、ラテン語の「 idem 」ですから、日本語にすれば「同(おなじ)」、なので「アイデンティティ(古典ギリシャ語: ταυτότης 、ラテン語: idemtitas )」は「同事」「同性」「同的」とでもするべき(二文字で表すべき)程度の日常用語ですが、それでは意味(すくなくともエリクソンが意味しようとしているような)が通じません。これはアリストテレスが「それがそれであるところのそれが何であるかということ」、言い換えれば「実体」が「それである(イデア・形相を分有している)ということ」というような意味であり、「私が私であること」、つまり「僕って何?」の「問いそのものが答え」となったものなのです。日本語でいえば「それは何って、それそれさ」といったところでしょうか。

ところが日本人にとって、「僕って何」という問いは自覚されるものではありませんでした。「私いること」と「私あること」は別のことだったし、どちらも当たり前のことでした。私いることは、同時に私あることだったのです。「犬いること」と「犬あること」が「同じ言葉」であるからこそ、西欧では「犬あることとはなにか=犬とな何か」を「知ること(学問・科学)」が生じました。「犬あること(犬がいること)」も探求されましたが(存在論、神学)、その二つは常にお互いに前提され、あるいは混同されてきたように思います。存在とは別に性質などのイデアがあるというプラトンの説(イデアが実体であり現実の存在は仮想・仮象である)は、紆余曲折を経て日本に流入してきました。

「自然 φύσις, nature 」は日本語の「あるがまま」や「息吹(ある意味では魂)」に近い言葉でしたが、それが人間(=自分)の外側にあるものだと考えられるようになるのは(つまり自分の外と内が区別されるようになるのは、そして人間=自分が制御・処分できるようになると考えるのは)、キリスト教(ユダヤ教キリスト派)の影響でしょう。

同様に「社会」という言葉も明治以降に scociety の訳語として登場したものです。日本には、 scociety や community はなかったし、いまでもそういう意味では「存在」しません。

「関係 relation 」というのも「関わり」「係り」とは別の意味です。「認識 cognition 」は「認め識る」ということですが、「識」は「意識」の「識」同様、仏教用語で、私にはよくわかりません。

なので、「民族とはアイデンティティを共有する最もまとまりのある集団のひとつ」というのはそのとおりなのですが、世界の色々な文化が色々な言語で同じ表現をしているとしても、その「意味するところ」が同じだとは思えないのです。


マジョリティ
「私は大和民族なんていうアイデンティティをもったこともないし、そもそも大和民族ってなに?」という人がほとんどですが、それは大和民族が日本という国家の圧倒的多数を占めている民族だからであって、そのことを日常意識する必要もないからです。逆に、それだけ大和民族アイデンティティにどっぷり浸かっているということです。(P.116)

私はそれを「アイデンティティ」だと言えないことは、いま書いたことでおわかりいただけると思います。言い方を換えれば、私は「マジョリティ」です。日本において日本人であり、日本において男性であり、日本において大卒であり、日本においてヘテロセクシャルです。「マイノリティ」ではないから「アイデンティティを意識しない」あるいは「アイデンティティにどっぷり浸かっている」ということでしょうか。平等・不平等に気が付かなかったのでしょうか。あるいは、私は日本において低所得者であり、日本において地方在住者だから、所得や文化(商品、制度、サービス、方言等)についてのみ、不平等や差別を感じるのでしょうか。

そういう意味でアイデンティティを捉えると、この本が「啓蒙書」のように見えてきます。自分のアイデンティティに「気づかないヤマト民族」の人、あるいは「持つことが難しいアイヌ民族」に、アイデンティティを自覚させることがこの本の目的なのでしょうか。自分がいることと自分であることが違うんだよ、だから「僕って何」と問わなければならないだよ、と。つまり、「僕は僕として生れてくる」のではなくて「僕は僕になる」ものなんだと言っているように思います。たしかに、日本に生まれるから日本人(出生地主義?)なのではなくて、生れてから日本語を覚えて日本人になるのだ、というのを否定することはできません。白紙の状態で生れてきて、そのあと日本人色に染まる、そうだとも言えるでしょう。

それに対し、多くのアイヌ民族(出身者)は、確固たる自信をもって自らのアイデンティティを常に認識しているわけではありません。むしろ、いつも葛藤を重ねています。(中略)あえていえば、「アイヌ民族」というアイデンティティを自分のものにするかどうかで揺れ続けている人びとがアイヌ民族なのです。一方、二一世紀のグローバル化の時代、民族のアイデンティティに振り回されずに、個人として自由に生きていけばよいのではないかという人もいます。原則は間違っていませんが、そのようにいえるのは、自由にそのアイデンティティを否定したり、自由に新しいアイデンティティを選択できる立場にいるからだということを忘れてはいけません。(P.116-117)

個人のアイデンティティと民族(文化)のアイデンティティとを同列に語れるのでしょうか。

「お金がなくても生きていける」と言えるのは、お金持ちだ(お金に不自由したことがない)からかも知れません。同様に「なんにでもなれる」という幻想も、マジョリティだから持てるのかも知れません。

アイデンティティを選択するというのは、「僕って何」という問いとは違います。ドラマ『ルーツ』(1977年)のような自分の由来を尋ねる問いでもありません。「僕」とは別に選択可能ないくつかのアイデンティティが存在する(「僕」とは別に在る)、つまり、「〜になる・〜である」《自由と可能性》があるのだということです。洋服を選ぶように「私」を選ぶ可能性です。

画家になりたい、小説家になりたい、アイドルになりたい、スポーツ選手になりたい、・・・。私も小さい頃から「〜になりたい」という夢をいくつも持っていました。「〜になる可能性がある(なんにでもなれる)」というのが戦後の民主主義教育が植え付けてきたことです。それが「自由・平等・民主主義」と表現されたのです。そして多くの(ほとんどの)人が、挫折してきたのだと思います。ほとんどの総理大臣が、政治家の「血」を引いているなかで、田中角栄は「平民宰相」ということで支持されました。豊臣秀吉は「貧しい農民から天下人」になったということで人びとから慕われています。日本人は古くからそういう想いがあったのでしょうか。

「〜である」と「〜がある」が同じ「 be動詞(古典ギリシャ語: εἶναι、ラテン語: esse )」で表されるように、「〜が生じる(生まれる)」と「〜に成る」とは共に「 become (古典ギリシャ語: γἐνεσις )」で表現されます。「人間になる」という日本語の表現ができたのは多分近代以降のことで、「おとなになる」とも違うし「犬になる」とも違います。「白くなる」と「白が生じる」とは別のことですが、アリストテレスは「〜がある」と「〜である」、「〜が生じる」と「〜に成る」の違いを一生懸命説明しています。ところが、それがラテン語に翻訳されると(あるいは西欧キリスト教と一緒になると)逆の混乱が生じます。be動詞を「繋辞 copula と存在 existense 」に分け、「ウーシア」を「実体 substance と本質 essence 」に分けてしまうことによって、プラトンの真意もアリストテレスの真意も、かえってわかりにくくなったのかも知れないのです(たとえその要素がプラトンやアリストテレスにあったとしても)。

私はアイヌ語は全くわかりませんが、岡智之氏の「アイヌ語と朝鮮語のナル的表現」(日本言語学会171回シンポジウム)をチラ見しただけで、日本語・アイヌ語・朝鮮語は西欧語と違った「がある」「である」「が生じる」「になる」の系列がそれぞれ存在していて、それらが時制などと絡み合っていることがわかります。

それはほとんど言語構造の違いによる混乱です。日本語で説明できないのも、あるいは当たり前だと受け入れられるのも、言語(もっというと文化)の問題です。

中東(あるいは西洋)におけるユダヤ人問題と、アメリカにおける黒人問題やインデアン問題、日本におけるアイヌ問題は、なにか共通の「差別問題」ではあります。でも日本における特殊性を考えずに、アイデンティティという西欧語(インド=ヨーロッパ諸語)あるいは「帝国語(日本でいえば標準語)」、あるいは文法(文字文化)共通の「一般的な(あるいは普遍的な)差別図式(構造)」で捉えることの中にこそ、(少なくとも近代以降の)「差別の問題」が生じるのだろうと思います。


法律

日本には世界に冠たる「戸籍制度」があります(さらに「住民登録制度」もあります)。寺帳、宗門人別改帳以来えんえんと続いてきたものですが、壬申戸籍を見た記憶があります。思い違いかも知れません。少なくとも改製原戸籍は見ました。身分欄があって、紙を貼ってあるのもあったし、ペンで線引されているだけのものもありました。

日本人にとって「法」とは何なのでしょう。先日読んだイザヤ・ベンダサンの『日本人とユダヤ人』に「法外の法」のことが書かれています。

今のべたような「人間味あふるる判決」とか、また「人間性の豊かな」「人間ができている」「本当に人間らしい」とかいう言葉、またこの逆の「人間とは思えない」「全く非人間的だ」「人間って、そんなものじゃない」「人間性を無視している」という言葉、さらに「人間不在の政治」「人間不在の教育」「人間不在の組織」という言葉、この、どこにでも出てくる、ジョーカーのような「人間」という言葉の意味する内容すなわち定義が、実は、日本における最高の法であり、これに違反する決定はすべて、まるで違憲の法律のように棄却されてしまうのである。(中略)というのはこの法律は「人間性を無視しない範囲内」では厳然として存在し、それをおかせば罰せられるのである。(山本書店版、P.83)

ベンダサンも日本人がいう「人間」が「ホモ・サピエンス」のことではないことは知っているはずです。それはある意味で「世間」や「自然」に近いものです。西欧における「法 law 」は「法則」であり「法律」です。日本人にとって「法律」と「法則」は全く別のものです。法律は「人が作ったもの」で、法則は「人が作ったのではないもの(自然なもの)」だと思えます。そしてそれとは別のものとして「法(ダルマ dharma )」「人の道 tao 」「理(ことわり)」があり、それは仏教でも、道教でも、儒教でもなくて、ベンダサンの言うように「日本教」としか呼べないものかも知れません。

キリスト教圏には、「罪 sin 」と「犯罪 crime 」があることくらいは知っています。イメージ的には「神の法(律法)」を破るのが「罪」、「人間(王)の法(法律)」を破るのが「犯罪」でしょう。中世末期、教会と領主(王侯貴族)の権力が分離したとき、罪と犯罪が区別されました。そして、その分離と呼応するように、第三階級が「公 public 」「私 private 」という概念をつくります。それを忘れると、「犯罪は行為か意図か」などという論争が起こります。犯罪の要件として「動機」を求めたり、「責任能力」の有無を考慮したりするのは、「自我意識」「自覚」「アイデンティティ」という意味では西欧的ですが、行為(外に現れた事実)だけで判断しないという意味では日本的です。日本人に「法律意識」が根付かない、裁判になりにくいというのは、「意識の低さ」や「経済的な問題」だけではないと思います。私が「ハラスメント」という言葉に戸惑うのは、日本的なのかも知れません。

「成文法」かどうかということは、「文(文字)」がその社会においてどういう意味を持っているのかということで、文字一般の性質以上のものです。

以前は漢字を書机の上にこそよく使ったが、大部分は『節用集』風の無理な宛字であり、もしくはいわゆる和訓を代表するまでのもので、実際に用いた外国の語はいくらもなく、それも皆十分に日本化した専門の言葉の、長い間に土着したものばかりであった。耳でいったんその音を聴きながら、掌(てのひら)や畳の上に書いてもらったり、あるいは説明を受けて始めて合点し、それから今度は自分も真似てみようとしたりすることは、少なくとも田舎では新しい現象であった。(柳田國男「国語史 新語篇」文庫版全集21,P.344)

それよりももっと困ったことは、文語すなわち書いたものに出てくる言葉なら、どれでも勝手に口語に使ってよく、おまえ知らんのかと逆捩じを食わせたり、あるいはどんな字を書くのかと畳の上に描かせてみたりするという日本独特の奇抜な会話が、現在では普通になってしまった。これとでたらめな漢字を二個合わせて、ろくに漢語も知らぬ者が、任意にいくらでも文語を作るという、途方もない慣行とが提携したのだから、虎を野に放つがごとし、たちまちにしてわが邦の普段の口言葉は、めちゃめちゃに荒れてしまったのである。

(柳田國男「標準語と方言」文庫版全集21、P.456-457)

へへえそれはどんな字を書きますかと尋ねたり、畳の上や掌へ一して棒してなどと書いて見せたりすることは、ラジオばかりでは絶対に不可能であって、これがまた行く行く国語を文字の助けなしに、ひとりで働かせる新しき大きな刺激になっているように思う。(同、P.515)

ラジオが文字文化を超えたものなのか、文字文化の延長なのかは重大な問題ですが、ほとんどの文化、ほとんどの時代は、「文字が前提になり得ない社会」でした(ほとんどの人が字を知らなかったので)。そこでは権力、暴力と「法」は同じものであって、法が社会正義だなどという言説は、権力者の戯言でした。「法措定的暴力」「構成的権力」などは文字文化の中でのみ出てくる発想です。

「北海道旧土人保護法」「アイヌ文化振興法」などの「法」をアイヌ民族がどう考えているのを読み取ることはできませんでした。日本の法律がゲルマン法やローマ法の輸入だとしても、そうではなく律令制の延長だとしても、やはりそれは独特なものです。「法外の法」というのは、法に対する考え方・感じ方・見方が違うということです。普遍的な法、一般的な法、グローバルな法がありえないのは、普遍的な文化・民族・宗教がないのと同じことです。国家、領土、国際法、商品社会、資本主義社会、民主主義、正義、・・・、それらが「人類社会・歴史」のなかでいかに「特殊」なものであるのか、いま「マジョリティ」と言われているものがいかに「特殊」なものであるのか。それを私は心から識ることができるのでしょうか。

マックス・プランクはかつてこう述べている。「新しい科学的真理は、既存の科学者に、それが間違っていたことを納得させることで古いものに取って代わるのではない。古い理論の支持者がやがて死に絶え、後続の世代が新しい真理や理論を身近で明白なものと感じることで、そうなるのだ」。わたしたちは楽観主義者(オプティミスト)である。そうなるのに、さして時間はかからないと考えたい。(前出『万物の黎明』、P.592)

きっと私は「差別主義者」として死ぬのでしょう。どんな差別をしたのか、何が差別なのかを知らないまま。

でも私は「楽観主義者」ではありません。まだ「一世代」も経っていませんが、本質的なところは変わっていないにも関わらず、見た目(現象)はずいぶん変わりました。「グローバル」が「ユニヴァーサル」に変わりましたが、グローバル化の前は「インターナショナル」でした。「インター(間)・ナショナル(国家)」は、「国際化」と訳されました。そこには「私の国」と「他人の国」という前提があります。グローバルは、「地球規模(地球全体)」ということですから、そこには「私の国」という視点が影を潜めています。あえていえば「私の住む地球」です。他人(他者)はどこに行ったのでしょうか。月や火星でしょうか。「ユニヴァーサル」は「ユニバーシティ(大学)」と同じです。そのものが「大学」という学校を意味しているわけではありませんが、色々な学問・学科が一つにまとまっているということで、ひとつの学問・学科の学校は「カレッジ(単科大学、短期大学、専門学校)」と言われます。

「ユニ」は「一つに」ですが、「ヴァーサル」はよくわかりません。「回る(回す)」とか「向ける」とかいう意味だそうです。物が動いたり、物を動かしたりする時にそれをどう見るかという文化的問題が在るように思います。日本語でも「動き回る」という表現がありますが、別に「回ってる」ということを表現しているわけではありません。西欧における運動が、円運動を本来の運動としたアリストテレス由来なのかはわかりませんが(キリスト教的には直線的な一方方向の運動でしょう)、「回る(回す・回される)」「向く(向ける・向けられる)」が「意志」や「意図」、「自我」と結びついていくなかで、ユニヴァーサルは「普遍的(多様なものが一つになった)」という意味を獲得します。それは「色いろなもの」「個別のもの」あるいは「個人」が「普遍的になった」のではなく、個物や個人を超えたもの(個物や個人とは別にあるもの)が「普遍だ(である)」ということです。これはプラトンのイデア論そのものです。キリスト教においてはそれは神に属するものでした。

私の祖父母から、父母、そして私の世代、私の子どもたちの世代になるにつれて、すべてのものを「普遍」という立場から見るようになっている気がします。それは「個別的なもの」「特殊なもの」を「普遍(一般)」で説明しようとします。「男も女も人間だ」「大和民族もアイヌ民族も人間だ」と言ってしまうところに、近代以降の「差別」が生じることになります。日本教的にいえば、「あいつは人間ではない」という差別で、同じ人間とは認めた上で、その特殊性(個別性)を認めないのです。トランプはイラン人が人間であると認めても「同じ人間」としては認めていない気がします。同じであるというのは「経済的価値(お金)」であるという意味でしょう。その違いは日本教においては、人間は「自分の外」にあり、欧米では「自分の中」にあるといえるのではないでしょうか。

世界を覆いつつある「普遍性」は、差別をイデアでしか捉えません。その解決は、普遍性の象徴である「経済」的なものに限られます。普遍性を優先する社会では、特殊性や個別性を表に出してはいけないのです(表にするときには、数とかお金とかに変えられます)。それを表出することが「ハラスメント」「罪」です。みんなが「自由・平等」で、「民主主義」を求めるものなのです。


アイヌ新法

この本が出版されてから18年が経ちました。

「アイヌ文化の振興並びにアイヌの伝統等に関する知識の普及及び啓発に関する法律(アイヌ新法)」は2019年に「アイヌの人々の誇りが尊重される社会を実現するための施策の推進に関する法律」に変わりました(今回始めて知りました)。

この「アイヌ」「アイヌ文化」「アイヌの人びと」はそれぞれ意味が違うことはわかります。「アイヌ人」と「アイヌの人びと」は違います(「〜人」という呼び方には国家主義的意味が含まれます)。これを「形容詞」「普通名詞」「代名詞」などと捉えることもできます。文法的に捉えるということです。あるいは「インディアン」と「ネイティブ・アメリカン」、「黒人」と「ネグロ」「ブラック」のような「言い換え」と捉えることもできます。あるいは言語学的に「意味するもの」と「意味されるもの」の関係と捉えることもできます。でも、それが表す「意味」が違うのですから、どちらの捉え方も一面的です。差別は「意味づけ」にあります。差別は「意味されるもの」にあるわけでもなく、「意味するもの」にあるわけでもありません。さらに「その中間」にあるわけでもありません。

「意味するもの」と「意味されるもの」については、別の機会に書きます。アリストテレスが、「数える数」と「数えられる数」と表現したことの変形です。アリストテレスは「主観」と「客観」として定義したわけではないのですが、それは「能動と受動」「主体と客体」として2000年以上西欧を支配してきました。「主体と客体」あるいは「内側と外側」「内面と外面」として捉えるところに西欧的(印欧諸語的)な特異性があるのです(能動と受動もここから生じます)。神( God )と人間の関係も西欧では主体と客体(何を主体とし何を客体とするか)の問題です。仏(あるいは日本の神)と人間は外と内の関係ではありません。

人と人の関係は、神と人間の関係を反映します。西欧における神と人間の関係は、反転して他者と自分(自我)の関係になりました(イリイチはこれを「最善の堕落は最悪 Corruptio optimi quae est pessima. 」と表現します。イリイチ『生きる希望』邦訳、P.346)

日本では、他者は自己とともに外にも内にも(あるいは外でもなく内でもなく)ありました。それは「目の前」にあって、「世間」と表現されました。それは法 law とは関係のないものです。


個人、個性

だれでも自分の中に好きなところと嫌いなところがあるように、好きな部分だけが自分でも嫌いな部分だけが自分でもありません。他人に対してもそうです。ところが分割できない(インディヴィジュアル)自分のアイデンティティが求められるとき、その部分が全体(「私」とか「あなた」)になります。嫌いな部分も含めて私(あなた)だと思っていても、その部分を否定することによって「アイデンティティ」が成立します。その部分をどうするのかは「私的」なことになります。

「アイツはこういういい所(悪い所)がある」のがわかっていても「アイツ全体」を善悪・正邪と判断しなければならないのです。それが「公的」なことなのです。西欧で告解が義務付けられたとき、あるいは領主の法によって罪が犯罪になったとき、「公私の分離」が起こったのだと、私は思います。普通は(つまり近代的自我を持てば)自分を「正」、相手を「悪」とするでしょう。「私」は「私の村」「私の国」「私の文化」に広がります。

明治維新以降、日本は自己否定した(つまり悪いところ・弱いところを素直に認めた)ために、西欧文化をあっという間に吸収しました。エリートとして西欧に留学した人は、おおよそその西欧文化に圧倒されたでしょう。それでも「日本的私」をもち続けた(見つめ続けた)夏目漱石などは、精神衰弱になりました。自分でも「人間」でもない「猫」から(自分を含めた)人間を見つめる目は、自分のでも、他者のでも、神からの視線でもなく、「世間」の目だったのではないでしょうか。

同じように近代西欧と接した文化(民族)には、西欧文化を「悪」とした文化も多くあります。対等に西欧文化と接したところもありますが(日本も含めて、はじめはほとんどがそうでしょう)、西欧文化の方は対等には扱いませんでした。いや西洋文化もはじめは異文化を「対等」あるいは「考慮に値するもの」と考えていたのです。大航海時代は、敵対・征服のための渡航ではなく、「発見」のための旅だったと思います(もちろん、派遣を指示した人には交易のためですが)。その異文化に対するいわば好奇心のようなものは、以後もつづきます。「博物館(博物学)」や「博覧会」はそういう民衆の心が残っている証拠なのではないでしょうか。たんに胡椒や大麻・アヘン・コーヒーのためではなかっただろうと思います。


自由

大和民族とアイヌ民族・琉球民族もはじめから敵対していたわけではないと思います。蝦夷アイヌと樺太アイヌ・千島アイヌも同様でしょう。分裂生成のようなものもあったでしょう(「他人のふり見て我がふり直せ」)。カリスマ的な人や、手を付けられないような乱暴者もいたでしょう。

ある民族が他の民族に「追われて」生活圏を離れて「辺境の地」に逃れたという言い方がされます。その「逃げた」民族は「弱かった」とか「負けた」とか、さらには「劣っていた」と思われてしまいますが、変なやつ(変人、暴力的な人)から「逃げる」「命令に従わない」「移動する」ということをグレーバーは「実質的な自由」と言います。

しかし、わたしたちにとって忘れてはならない重要なポイントは、ここでは「自由」を抽象的理想とか形式的理念(「自由・平等・友愛」のようなもの)として語っているのではないということである。これまでの章では、人が実際に実践できるような社会的自由の基本形態についてお話してきた。(一)自分の環境から離れたり、移動したりする自由、(二)他人の命令を無視したり、従わなかったりする自由、(三)まったくあたらしい社会的現実を形成したり、異なる社会的現実のあいだを往来したりする自由、である。

いまや理解できるのは、最初の二つの自由  すなわち「移動する自由」と「命令に従わない自由」  は、より創造的な三つ目の自由のための足場のような役割をはたしていたということである。この三つ目の自由の「足場」が実際にどのように機能したのか、いくつかを明らかにしてみよう。ヨーロッパ人が最初に遭遇した北アメリカ社会の多くでそうであったように、最初の二つの自由が自明であるとみなされているかぎり、王はつねに、つまるところ遊戯王としてしか存在できなかった。もしかれらが一線をこえれば[まじめな(シリアス)王になろうとするとき]、かつての臣下たちはいつでもかれらを無視するか、どこかよその場所に移ることができたのだから。」(前出『万物の黎明』P.569-570)

これは、今日のDVを考える上で、あるいは暴力や差別を考えるうえで、とても重要なことです。


移動

この最初の「移動する自由」がいまどうなっているでしょうか。移動する民をどのように定住させるのかというのは為政者にとって、とっても大切な問題でした。太閤検地や人別帳(宗門別人別帳)、明治以降の戸籍、住民票など、様々な施策が取られました。それには暴力も伴いますが、人が移動しなくなったのは、多分「快適さ」もあったのだと思います。移動するということは、多分に危険があります。山賊、暴風雨、言葉も文化も違うところに移動することを恐怖だと思うのは、やはりその文化の特徴のような気がします。さらにそこに政治権力の暴力が加わります。そして「外」の世界は異世界となり、同時に憧れとなります。アンビバレントな世界観が生まれます。

死に向かうものとしての生、成長と老化、動の一断面(一瞬)としての静。弁証法として考えることもできるでしょうが、それは人間の側の捉え方(見方)の違いでしかありません。断面、あるいは静、あるいは生、成長という一面的な見方、それの最たるものが科学です。科学はすべての変化(運動)を静止(数式)として捉えます。数式は、過去や未来を現在という断面で捉えることです。未来に対する不安、過去に対する後悔は、期待と根拠に代えられます。

ほとんどの子どもは「動くもの(移動するもの)」として生れてきます。そして成長する(変化)ものとして。動物も、あるいは植物もそうです。命とは同一性を保ちながら変化するものです。福岡伸一はこれを「動的平衡」と呼びました。ですが、いま、歩くことは制限されています。端的に自動車などの交通機関がなければ「動けない」のです。動くとしても、「有」から「無」への移動ではなくて、「点から点」、「空港から空港へ」「コンビニのあるところからコンビニのあるところへ」の移動で、その途中は「不要(無、あるいは必要悪)」なのです。交通手段は「利便性」の名で、その途中の存在を否定してしまいます(高速道路ができると途中の街が衰退するのは当然です)。

大陸の反対側や別の大陸で「文化的遺物」が発見されたとき、すぐに「交易」という言葉が浮かびますが、それは近代的な発想で、人が移動「しなく」なるまでは、もの(物事)は「人とともに」移動していたのだと思います。制度も物も人から離れて存在するのではなくて、それらは人とともにあります。


求める、助ける、受け入れる

移動が可能になるのは、「私が動ける」ということだけではありません。移動を受け入れるものがなければなりません。その一つは自然です。水や空気がないところには移動できません。でも、それと同程度(あるいはそれ以上に)大切なものは、「人」です。一緒に移動する人だけではなく、たとえひとりで移動したとしてもその人を受け入れてくれる人(人びと)です。人というより「文化」と言ったほうが近いのかも知れません。

たとえば、オーストラリアのアボリジニは、大陸の半分を移動しても、それでもまだ故郷と同種のトーテム半族に分割されたキャンプをみつけることができた。つまり、半分の住民は、彼らを歓待する義務があるが、(性的関係は厳禁である)「兄弟」、「姉妹」とみなされた。いっぽう、半分の住民は、潜在的な敵であるが、同時に婚姻のパートナーとみなされた。(前掲『万物の黎明』P.138)

旅人はそこに住みつくこともできました。

たとえば、現代のマルトゥ族は、あたかも自分たちをトーテム的な共通の祖先の子孫であるかのように語るかもしれないが、実際には、任意の居住集団のメンバーのうち、共通の祖先に由来する(プライマリー)生物学的親族の占める割合は一〇%にも満たないことがわかっている。ほとんどのメンバーが、近接した遺伝的に関係を共有しておらず、出自もきわめて広大な地域に拡散している。共通の言語を基盤としてすらいないかもしれない。(同書、P.318)

「民族のアイデンティティ」というとき、言語、衣装、習慣などの共通点を取り上げます。それも帝国主義的言語、つまり近代以降の考え方です。ユダヤ人を語るとき「ユダヤ民族はヘブライ語で繋がっている」わけではないことは、西欧人には「当たり前」であったにも関わらず。

イリイチは、追いはぎに襲われて半殺しになったユダヤ人をユダヤ教の祭司やレビ人は見捨て(素通りし)、サマリア人が助けた、というイエスの譬え話(「ルカによる福音書」10-30〜37)を取り上げています。それが「隣人とはなにか」の答えなのだと。

そして彼が言ったのは、わたしが理解するところでは、わたしの隣人とはわたしが選ぶ人のことであり、選ばなければならない人のことではない、ということなのです。わたしの隣人とは誰であるべきかを決定するカテゴリーは存在しないのです。(前掲『生きる希望』、P.102)

他方、それはたちまち倒錯しました。誰がわたしの他者であるのかを選ぶ個人の自由は、サービスを提供するための権力と金の行使に形を変えました。これはあのサマリア人の物語に含意されていた自由の質を隣人の観念から奪い去るばかりではありません。それは、良い社会というものがどう機能すべきかについての非人称的な見方を作り上げたのです。それはいわゆるニーズを創出します。サービスのための諸々の必需品、けっして満たされることのないニーズです  健康はもう十分に行き届いているだろうか、教育はもう十分、行き渡っているだろうか  それゆえ、西欧文化の外ではまったく知られていないあるタイプの苦しみは、そのルーツをキリスト教にもっているのです。

現代人には、ここで深い悲しみに沈んでいる女性や、あそこで苦しんでいる男性を放置しておくほどいやなこと、不快なことはありません。そういうわけで、「技術ヲ使ウヒト homo technologicus 」であるわたしたちは、この目的を達成するもろもろの仲介物を創出しました。これが、わたしが「最善の倒錯は最悪 perversio optimi quae est pessima 」と呼ぶものです。わたしはたぶん善きキリスト教徒で、だれかに頼まれれば世話もします。しかし、それでもわたしが放置している人々のための慈善施設が必要となります。十分な時間を手にした真の友が十分にいるようなことはけっしてありえないことはわかっています。だとすれば、これはやってもらうほかない。サービス機関も作ってもらうしかない。そして無制限とはいかない生産性をどう分配するのかは、倫理学者の議論に任せるしかない、ということになるのです。(同、P.109-110)

あのサマリア人があのように行動するのは、彼の行為が善だからであって、この男を助けることができたり、できなかったりするからではありませんし、この男が医療介護を必要としているからでも、食物を必要としているからでもなく、その男が、自分がそのサマリア人であるとして言うのですが、わたしを必要としているからなのです。(同P.375-376)

いかにもキリスト教的です。それを差し引いても、ここに描かれているのは、格好つけるわけでもなく、偽善でもなく、自尊心でもなく、憐れみでもなく、義務でもない、「助ける自由」です。それは「助けられる望み(希望)」でもあります。

それは「親子だから」「友人だから」「恋人だから」ということでもありません。まして「約束(契約)」でもありません。「助けてしまう」のです。「支え合う自由」、これは「自助」「共助」でもないし、「公助」という制度化でほぼ完全に失われるものです。能動でも受動でもないし、権利でも義務でもありません。近代西欧的な意味での「自由」ですらありません。

それを抑圧・禁止する・躊躇させる「律法(法律・制度)」をイエスは批判したのではなかったでしょうか。

「助ける(手出しする)と後で面倒だ」「アイツを助けたら自分が困る」というのは、「アイツが食べたら(取ったら)自分が食べられない」と思うところから来るのではないでしょうか。この思いは、現代では「アイツが買ったら自分が買えない」「アイツのが売れたら、自分のは売れない」と同じことです。そこにあるのは、ローマ法的所有(占有)概念であり、〈稀少性=欠如性 scarcity 〉です。商品が持つ〈希少性〉は、「需要の稀少性」と「供給の稀少性」を創り、交換を主とする「ニーズ」に基づく「経済」を必然化します。そこでは物の移動と人の移動が一致しません。物が広範囲に移動すればするほど、人の移動はなくなるのです。

「自分のものは君のものじゃない」「君のものは自分のものじゃない」だから「君のものでなければ自分のものにしよう」、これが「共有地問題」です。


所有

人間のクランは、それぞれ、ある種の動物を「所有(オウン)」しているとされる  つまり、「クマ・クラン」、「ヘラジカ・クラン」、「ワシ・クラン」などである  が、しかし、その意味するところは、クランのメンバーは、その「所有」する動物を狩ったり、殺したり、傷つけたり、消費してはならぬ、ということである。実際には、かれらにもとめられているのは、その動物の生存を支え、繁殖を促すための儀礼に参加することなのである。

ローマ法の所有概念  現在のほとんどすべての法制度の基礎となっている  が独特であるのは、ケアをしたり共有したりする責任が最小限に抑えられているか、完全に排除されている点である。ローマ法では、占有 possession にかかわる三つの基本的な権利がある。 usus (使用する権利)、 fructus (所有物の産物を享受する権利)、 abusus (損害を与えたり破壊したりする権利)である。最初の二つの権利しかもっていないばあい、これは usufruct [用益権、使用権]と呼ばれ、法に保護された真の占有とはみなされない。つまり、真に法に即した所有を規定する特徴は、人がそれをケアしない、あるいは意のままに破壊するという選択肢を有していることなのだ。(前掲『万物の黎明』、P.182)

レンタルやサブスクは、所有権の売買ではありません。最近「使い捨て」が推奨されているので、だんだん聞かなくなってきていますが、日本には「もったいない」という言葉があります。「勿体」の意味はわかりませんが、物や人を大切にする思いがあったのだと思います。つまり、ローマ法的な処分権とは異なる思いです。アイヌ文化に「ヒグマ・クラン」「サケ・クラン」のようなものがあったのかどうかわかりません。動物は神の使い(遣わしたもの)ですから、それを所有して自由に処分するという考えはなかったでしょう。

それは成文法や、契約ではないのです。神と契約(旧約・新約)しようなどという発想は特殊なもので、他の民族では神は契約の相手になり得なかったでしょう。神との契約に基づき、自然を所有( possession )したり、管理したり、制御したり、処分したりできるということを、西欧人以外に考えた民族があるのでしょうか。

そしてそれは神との契約ではなく、人間の「権利 right 」(人権)であると考え、自然(土地を含めて)を「資源 resource 」と考え、人まで資源と考える民族がいたのでしょうか。自分の役に立つものはすべて資源であり、それに抵抗するものは資源を脅かす敵なのです。現代から見れば、奴隸や、畑や、樹木や鉱石は「資源(物)」と扱われていたように見えます。でも、当時の人びとは、そうは思っていなかったはずです。ムチで叩かれながら、汗水・血を流してピラミッドを作っているとしか想像できないなんて、なんて想像力が貧弱なのでしょうか。寒さに振るえながらチセのなかで暮らし、お腹をすかせながら(お腹をすかせて待っている家族のために)ヒグマを狩る、そんな想像しかできないのは、自分が飢えや寒さを怖がっている(耐えられない)からではないでしょうか。

「その代わりに、私たちには商品と働く(賃労働)場がある」、さらには「私たちにはスマホと、コンビニと、自動車と、病院と、学校がある」としか考えられないのは、とても不幸なことだと、私は思います。そして、商品・賃労働・スマホ・自動車・病院・学校をもたない人びとを「可哀想だ」と哀れみの目で見つめるのです。「可哀想」が「劣っている」になり、差別になります。この半世紀で、子どもを見つめる目が変わっていることに気づいているでしょうか。

その思考の束縛、閉塞感がある限り、稀少性の罠に気づかない限り、差別はなくならないでしょう。


普遍的主体

この所有する「主体」とは何でしょうか。普通に考えると「私」「自分」ということになりますが、それを「個人」だとすると、シカを保護(ケア)したりヒグマを狩ったり神に帰したりするのは「私」ではなくて「私たち」でしょう。「私たち」に「私たちは〜」と話しかけている相手は含まれるでしょうか。日本語や英語はどちらも同じなので、気をつけないと騙されます。アイヌ語では「チオカイ」(話相手を含まない)と「アオカイ」(話相手を含む)に分かれているそうです(中野巴絵「アイヌ語ラジオ口座テキスト」vol.3)。「私たち」に「私」が含まれていることは明らかですが、これもどうも怪しい時があります。

「私」の考えていることを、相手を含まない「私たち」と一般化し、相手を含む「私たち」でそれを普遍化(ユニヴァーサル)する傾向が西欧語的で、近代西欧の「自我」になるとその傾向が一段と強くなります。「私」が絶対的存在であり、絶対的「正義」であることはトランプを見れば明らかです。トランプのいう「私たち」の中にいる限り「正義だ」とみなされます。

この周囲を巻き込んだ「普遍的主体」とは、キリスト教における神の再生(復活)にほかなりません。さまざまな「私たち」があるように、主体のあり方も文化によって異なります。その主体のもつアイデンティティが生まれながらのものか、「になる」ものなのか、選択できるものなのか、も文化によって違うのです。それはイリイチのいう〈ヴァナキュラー〉なものです。近代西欧的自我が正しいか間違っているかを「近代西欧的」に言えば、間違っています。それが最終的には他の「自我」を認めないからです。

地域ごとに気候差や地理的形状に違いがあるように、あるいは四季や乾季・雨季、白夜などがあるように、年ごと、あるいは日ごとに違いがあります。そこでは時間の流れすら違うでしょう。そこには色んな人がいます。

同じ人でも気分の良い時もあれば、気分の悪いときもあります。その人も幼い時もあれば、老いる時もあります。私はそこにアイデンティティ(同一性)を見つけられません。老いたり、けがをしたり、病気になった時に、社会(制度)がそれを助ける社会と、人が助ける社会があります。「人が助ける」というのは、「AさんがBさんを助ける」という意味ではありません。そう考えるのは主体・客体(能動・受動)を考えるからです。そうではなくて、文化が助けるのです。痛み方や老い方、死に方はそれぞれの社会が「技術」として持っています。だれもが二度生まれたり、二度死んだりすることはありませんから、それは文化が伝えるしかないのです。それは先天的なものではありません。それを「言語」で表さざるを得ないと思われる社会では、言語と同じく後天的なものなのです。内側と外側をもつ社会(主体と客体をもつ社会)では、その「生きる技術」「痛む技術」「病む技術」「死ぬ技術」を外側で「制度」や「権力」として持つ傾向があります。痛むのは自分だけど助けるのは自分ではありません。そうではない社会では、人びと自身が持ちます。いじめられたり、揉め事があった時に、それに対応する力(技術)を人びとが持つ社会です。

日本はどうでしょうか。いじめや揉め事があった時に、いわゆる「法的手段」を取ろうとはせずに、自分たちで解決する傾向がありました。「お上のご厄介になる」のは嫌だということです。そこに西欧的な法概念が流入してきたとき、それは二分されます。一つは「すべて社会(制度)のせいだ」という幻想と、「個人でなんとかしよう」という傾向です。日本的な「自助・共助・公助」という区分が生じたのです。

その社会では、生きる技術や死ぬ技術は制度の中に解消してしまいます。簡単に言えば、生きる力や死ぬ力が人びとから失われてしまうのです。人びとは、できるだけ「苦痛」を感じないように生きることが求められます。それが「人類の進んできた道」「人類の進む道」、いわゆる「進化」だといわれます(動植物もそうなるために生存競争をしているとみなされます)。寒さや暑さを感じないように、歩かなくていいように、痛まなくていいように生きることが「正しい生き方」です。「動かない」「痛まない」ために、すべての「苦しみ」があることになります。痛む技術がないのですから、それ以外の方法を選択できなくなります。自由はありますが、それは「形式的」なものになります。

でも、戦うこと、強くなること、あるいは権力をもつこと、お金持ちになることだけじゃなくて、逃げること、従わないことなど、「さまざまな実質的な選択肢」もつ社会が、大和民族にもアイヌ民族にもあったのではないでしょうか。

普遍性(ユニヴァーサル)という閉塞した社会ではなく、「外」、つまり、可能性・未確定性(不確定性)が常に当たり前にある(悪としない)社会、差別主義者を差別しない社会を思い浮かべたとき、「希望」が生じるような気がします。

わたしが自分自身に、友人たちと共に、養いたいのは無能力感ではなく、無力感、あのユダヤ人とサマリア人の間にある今・此処を注意深く見守る態度を忘れない無力感です。(前掲『生きる希望』、P.307)

最近多い「子供の頃のいじめが大人になっても消えない」ドラマは、加害者がそれに気づいていないのですが、いじめられた人しかいじめのことがわからないのです。「いじめられる技術」があるかどうかはわかりませんが、学校や家族という閉鎖空間で「逃げる技術」を社会が持っていないことも原因だと思います。いじめの張本人ではなくて、いじめグループに居る人、それを傍観する人は、「従わない技術」を持っていません。社会が持っていないのですから当然です。

生活保護、シェルター、駆け込み寺、いのちの電話、子ども食堂、子どもの人権110番、・・・、それらが日本で実効性を持っているのでしょうか。金銭面でも、人員面でも大変だろうと思います。それらに携わっている人には申し訳ありませんが、制度化され、逃げる自由を失っている社会では、実効性には限界があると思います。この人の力(自由)を制度(法律・司法・行政、軍備・警察、資本)が肩代わりする(奪う)仕組みのことをトランプは「体制 regime 」と呼んでいるのです。

定温室で、空気清浄機(酸素マスク)をつけ、インスタント食品(点滴)を食べ、動かずにリモコンやスマホを触る生き方においては、そして「身体」は病気や老化、煩悩の原因であるだけの「必要悪」で、自分の精神の安寧だけを求める、そういう生き方に、サマリア人の余地はありません。

ユダヤ人の「約束の地」、日本風にいえば「駆け込み寺」のようなイスラエルは、チグリス・ユーフラテス川の外にあるイラクを攻撃しています。戦争が始まり、人の移動はもちろん、ホルムズ海峡が封鎖され、物の移動もできなくなりました。国際法は機能していません。約束事(契約)としての法が「秩序」を保つものである以上に、暴力(法措定的暴力であろうと法維持的暴力であろと)に基づくものであることは明らかです。法(制度)、あるいは暴力によっては差別はなくなりません。アイヌ民族が先住民としての「権利」が認められたとしても、その権利が意味を持つのは近代法の中でのみであり、しかも形式的なものです。「権利」は「権力と利益」だと思うのですが、なぜ「 right 」の訳語になったのでしょうか。なぜ「 right 」が「正しい」という意味を持つのかもわかりません(多分、「そのまま進めていいよ」の意味でしょう)。でも「 left 」は「間違い」ということでもありません(「曲がれ」の意味かも知れません)。

実質的な権利としてのローマ法的所有権はアイヌ民族にも、大和民族にさえ、馴染まないのないものです。自分の体を含めて、他人や自然などを主観の対立物として、邪魔にしたり、支配したり、思いのままに処分したり、そんな「おこがましい」ことをどうして許すのでしょうか。グレーバーの言うように、人びとが移動しなくなった(閉塞した)からかも知れません。私は、一般家庭に自動車がなかった時代を知っています。電話機がなかった時代も、それが「固定されて」いた時代も知っています。物が動くことで、人が動かなくなったことを「体感」しています。私の子どもたちにとっては、自分が動くかわりに「他のもの」が動くことに慣れています(テレビや映画はその象徴です)。

私は家庭で産まれることが普通だった最後の世代です。出産は病気ではありませんから、その当時までは特別な人が病院で産んだのです。いまは、妊娠した時から病院に行きます(妊娠しなくても病院に行きます)。そして、「産むか産まないか」すら選択できます。それは「アイデンティティ」のように選択できることとして、いいことなのでしょうか。




[著者等]

1956年熊本生まれ。慶応大学法学部卒業。早稲田大学大学院経済学研究科修士課程終了。現在、恵泉女学園大学大学院教授。1982年、市民団体「市民外交センター」を設立、代表を務め現在にいたる。先住民族の権利に早い段階から着目し、日本国内のみならず国際機関を通してその回復運動に取り組む。
主な著書『先住民族』(解放出版社)、『先住民族の「近代史」』(平凡社)、『知っていますか?アイヌ民族一問一答』(解放出版社)、共著に『「正義」の再構築に向けて』(現代人文社)、『グローバル時代の先住民族』(法律文化社)ほか。


縄文期から近現代まで、日本史から見たアイヌでなく、アイヌの側に視点をおいた海と列島の社会史。先住民族アイヌと和人の戦いの真実/エミシとアイヌ/世界五大叙事詩ユカラ/民族のアイデンティティ等の問いにわかりやすく。入門書・学校副読本に最適。



[ISBN-13 ‏ : ‎ 978-4759282696]

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