美食倶楽部バカゲー専科 ユーズド・ゲーム編集部編 1998 キルタイムコミュニケーション

  借りた本である。別に貸してくれといったわけではなく、無理矢理貸されたといったところ。文章の調子が貸し主にそっくりである。彼がそのまま口にしそうな文章である。内容は面白いのだが、私はゲーマーではないので(ゲーム専用機を持っていない。あっ、初代ファミコンはあるが、ほとんど使っていない。)ゲーム自体にはそれほど興味はない。特にクソゲー、バカゲーは趣味の世界なので、入り込むと楽しいが、それ以外の人には時間の無駄にしかならない。しかし、そのバカゲーも解説によって面白くなったりする。読んでいるだけでやってみたくなるゲームもあるのだ。
ゲームをテキストとして解読する作業は知的な遊びであり、貸し主にふさわしい。クソゲーは解読者を得てバカゲーになる。クソドラ(くだらないドラマ)はバカドラに、クソ絵はバカ絵になる。
解読の対象は、そこいらじゅうにあるのだ。こういう作業が、文化(人々の努力の結晶)を正当に継承することになる(可能性を持っている)。これも「脱構築」の作業といえるかもしれない。人生を楽しむための知的なゲームだ。



(2000年記)

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