ジェンダー史10講 姫岡とし子著 2024/02/20 岩波新書

ジェンダー史10講 姫岡とし子著 2024/02/20 岩波新書
図書館から

たまたま、街に出て図書館の新着コーナーで見つけました。パラパラとめくったのですが、「ジェンダー」の定義も「イリイチ」の名前も見つかりませんでした。それでかえって興味を惹かれて借りてきました。岩波新書だもの。変な本は出さないよね。

「岩波新書10講シリーズ」というのは知りませんでした。すでに一〇冊ほど出ているようです。どういうシリーズなんでしょう。「〇〇入門」のようなものでしょうか。

久しぶりに巻末の「岩波新書新赤版一〇〇〇点に際して」を読みました。

しかし、日常生活のそれぞれの場で、自由と民主主義を獲得し実践することを通じて、私たち自身がそうした閉塞を乗り超え、希望の時代の幕開けを告げてゆくことは不可能ではあるまい。(中略)まさにそのような教養への道案内こそ、岩波新書が創刊以来、追求してきたことである。

岩波新書はいわゆる「専門書」ではありません。各分野の専門の著者が、その分野の(その時点での)最新の研究結果を専門じゃない人(一般の人)にわかりやすく書いてくれています。

いま私は、イリイチの『生きる希望』の感想文を途中で中断し、ベルクゼンの『プラスチック・ワード』の感想文に移り、それを中断して本書の感想文を書いています。「希望」はまさしく、イリイチの本のテーマです。「プラスチック・ワード」は、この岩波の文章の中にも「自由」「民主主義」などが含まれています。

ベルクゼンは、プラスチック・ワードを「科学の専門用語が日常言語(日常生活)を侵しはじめたためにできたことば」と規定しています。あと、本書ででてくる「ジェンダー」「セクシャリティ」「アイデンティティ」などを挙げています。そして、その専門の世界と日常生活を結びつける役割を果たしているのが「エキスパート」だと言います。エキスパートは「専門家」ではありません。

エキスパートとはある分野に精通した者のことである。ドイツ語では、エキスパートと専門家( Fachmann )とでは意味が異なる。専門家とは、結晶学者や市場調査員や行政専門家のように、自分の領域の内部で活動する者のことである。それに対して、「エキスパート」という語は、専門分野と日常言語のあいだを行ったり来たりする。(『プラスチック・ワード』P.155)

岩波新書の著者は、多分ほとんどが「大学教授」でしょうから、「専門家」であり、「エキスパート」ではありません。

でも、岩波新書自体が、「専門世界と日常生活」を結びつけるものです。ためしにAmazonを「岩波新書 ジェンダー」で検索をしたら「岩波ジュニア新書」を含めてたくさん出てきました。「ジュニア」の頃から「ジェンダー」という言葉に親しんだ子どもたちが大きくなっていきます。その子どもたちにとって、ジェンダーという言葉は「犬」や「猫」や「テレビ」「スマホ」と同じで、当たり前にあるもの、意味を調べたり教えられたりするものでもないでしょう。私にとってはジェンダーという言葉は、就職してから何年も経って突然現れたものです。当然意味がわかりません。でも、仕事に関係がなかったので調べもせずに暮らしていました。その間にマスコミでも「あたりまえの日本語」として使われるようになりました。「男女平等」という「民主主義・人権」の基本単語まで「ジェンダー平等」あるいは「ジェンダーフリー」という言葉に変わりました。ハテ、どうしよう。私が知っている唯一のジェンダーという名前のついた本はイリイチの『ジェンダー』です。1982年に出版され、邦訳も1984年に出ていますが、読んだことはありませんでした。ちょっと前に読みました(もちろん邦訳)。驚きました。けっして難しいわけではありませんが、すごく内容の濃い本です。そしてそれは私が思っていた「ウーマン・リブ」や「フェミニズム」とはまったく違うのです。イリイチのいう「ジェンダー」とは、

私はこうしたジェンダーという言葉を用いて、行動上のある特性、すなわちヴァナキュラーな文化における普遍的な特性を明示することにした。ジェンダーによって、男にかかわる場所、時間、道具、課題、話しことばの形、動作、知覚と、女にかかわるそれらとが区別される。このかかわりこそが、時間と場所に固有なものであるために、社会的ジェンダーというものを形成する。私はこれをヴァナキュラーなジェンダーと呼んでいる。というのは、男と女にとってのこうしたかかわりは、ヴァナキュラーな話しことばがそうであるように、土地の古風な人びと(ラテン語で gens)に固有なものだからである。(『ジェンダー』邦訳、P.2)

「ヴァナキュラー vernacular 」は、「その土地々々で違う」くらいの意味です。「普遍的な」というのは原書では「 universal 」ですが、「変わらない」という意味ではありません。地域ごとに違うのですから、「全世界共通の」なんて意味でもありません。

イリイチが「ジェンダー」と対照的に使っているのが「セックス」です。一般的にいわれる「生物学的性差」のことです。


ジェンダーとはなにか

世間(日本)で使われている「ジェンダー」の意味が知りたくて本書を読んだのですが、なかなか出てきません。イリイチについては、最後まで一度も出てきません。ありました。

ドイツの新しい女性史の機種として登場したギゼラ・ボックは、一九八八年に書いた方法論的な論文のなかで、生物学的な意味と社会的・文化的な意味の両方で使われていたドイツ語の「ゲシュレヒト( Geshlecht )」という用語(日本語では性、ジェンダーなどと訳される)を、「ジェンダー」として概念化しようとした。すなわちゲシュレヒトは本質的なものではなく、社会的・文化的・歴史的な変数のカテゴリーであることを明確化したのである。(P.39)

ジェンダー( gender )は、もとは文法用語であり、ヨーロッパ系の言語で男性、女性、中世と(FF)いう名詞の性を表している。名詞の性は人為的に決定されるため、同じ意味をもつ名詞の単語でも言語によって性が異なることがある。たとえば太陽はイタリア語では男性名詞、ドイツ語では女性名詞である。この人為的という観点から、性差の生物学的決定論を避け、女/男という性別・性差の構築や両性関係の文化性、社会性、可変性を主張するためにジェンダーという概念が用いられるようになった。(P.41-42)

著者の考えではなく、ボックの受け売りだということでしょうか。説明はこれだけです。著者にとっては「日常語」なんでしょうね。そして私のような「浅学者」のために付け加えたという感じです。著者のことばで書いてほしかったのは「ないものねだり」なんでしょうね。ボックのこの論文が何かを知りたくて、ググってみたけど見つかりませんでした。代わりに見つけたのが、

バーバラ・ドゥーデンは、旧西ドイツで新しい女性史を立ち上げたパイオニアの一人である。女性学の旗揚げ大会(ベルリン、一九七六年)のさいにドゥーデンはギゼラ・ボックとともに「愛による労働、愛としての労働」という家事労働に関する論文を発表した。家事労働の超歴史的がまだ疑われていなかった当時、彼女たちは、近代以前の家事は生産労働と区別することはできず、生産労働から分離した近代に今日的な意味での家事労働が誕生したこと、そのさいに愛による労働である家事には対価は不要とされたことを指摘した。この家事労働の歴史性と無償である根拠の指摘は、当時、同じように不変だとされていた家族の歴史性が明らかになるのと呼応しながら大きな注目を集め、女性史の必読文献となった。日本の一九八〇年代の言論界で大きな影響力をもったイヴァン・イリイチの「シャドウ・ワーク」も、この論文に多くを負っており、以後、ドゥーデンはイリイチと密接に研究協力をする関係にあった。(「18世紀の身体認識(姫岡とし子)」Gender History)

あれ、著者じゃん、知ってるんじゃん。そりゃあ専門家だもの、学者だもの、東大名誉教授だもの。これを読んだときに、著者は意図的にイリイチを無視したとしか思えなくなりました。


セクシャリティ
詳しくは第5講以降の各論のなかで述べるが、私領域に目を向けることで、たとえば出産や身体、セクシュアリティなど、従来は歴史学研究の対象となるなど予想もしなかったテーマにも焦点が当たるようになった。(P.26)

「セクシャリティ sexuality 」ということばはどういう意味なのでしょうか。何となく「セックス、性交、性に関すること」というイメージがあります。weblioには、「性的関心、性欲、性行為、男女の別、性別、性的特質、性的能力」など様々な意味が載っています。参考文献の中でほぼ唯一読んだことのあるミシェル・フーコーの『性の歴史』は「 Histoire de la sexualité 」です。

「セクシュアリティ」というフロイトの概念には、もともとイメージを喚起するところがあった。フロイトは「精神( Psyche )」を、測定しうるか、あるいはいずれにせよ量として把握可能なエネルギーが内部で循環する装置のようなものと考えていた。(中略)フロイトは「精神」を自然科学の観点から解釈したわけである。フロイトの著作に端を発し、十九世紀の物理的エネルギーの概念に支えたれたことばが、日常言語のなかで使われるようになって久しい。(ペルクゼン『プラスチック・ワード』藤原書店、P.50)

「セクシュアリティ」というプラスチック・ワード。ペルクゼンの本から推測すると、西欧ではこのことばを性的な意味だけでなく、「嗜好」とか「性格」というニュアンスで使うこともあるようです。フロイトが「汎性的」であるなら、すべての人間の行動は「性(欲)」から生じることになるから、何にでも使えます。結果として、

言いたいのは「物事はそうなっている」ということだけだ。ひとりの「わたし」が、周囲の世界との私的な関係、その慎ましさ、壊れやすい間接性や直接性を放棄して、「わたしの関係」「わたしのセクシュアリティ」「わたしの過剰反応」というように、わたしが何かを所有しているかのように語るなら、みずからの経験をきわめて一般的なカテゴリーのもとに囲い込み、自分という個を普遍的な思考の枠組に結びつけることになる。そのとき「わたし」は、まったく異なる目的のために用意された客観的言語によって私的領域を変形しているのであり、自分自身を科学の対象にすることによって、自分自身から疎外されるのだ。いまや「わたし」はひとつの「症例」となる。こうして自分から距離をとれるようになって、最初はほっとするかもしれない。しかし、その人は自分を科学に売り渡しているのだ。

このような「わたし」は、なにものかに服従しているのだ。(前出『プラスチック・ワード』P.56)

「出産は病気じゃない」と言われます。(病気とはなにかということを明確にせずにいうと)私もそう思います。産婆制度についてはこの本にも書いてありますが(P.127〜)、いまでも助産師、助産所として存続しています。産婆は出産を補助するだけではなく、さまざまな技術と権限をもっていました。そのなかには中絶や間引きもありました。女性の人生そのものに寄り添い、「家」や「ムラ」の秩序そのものを左右する力をもっていたのです。そしてその世界はけっして男性が代わることのできない世界です。いや、でした。いまでは産科の男性医師も多いのでしょう。

出産や育児について知りたい時、「本(歴史書でも、マニュアルでも、入門書でもいいけど)」で調べたり、医師に相談したりするでしょう。そして産むのはたいてい病院です。私は自宅で生まれ、弟は病院で生まれました。ちょうど切り替わる頃だったんでしょう。いまでは病院がなければ出産できない(あるいは違法な出産となる)のは、なぜなのでしょうか。病院に依存し、出産(と病院)が稀少性(ニーズ)になることで、人びとの「生きる(産み育てる)力」が減っているのだと思います。その原因は一つには産婆さんに象徴的な「女性の領域(世界)」が失われたことにあるのではないでしょうか。

「お産は痛いのも、苦しいもの」だと言われます。私にはわからない世界です。それなのにどうして女性は「子どもがほしい」というのでしょうか。「子どもが可愛いから」という人もいます。「子どもをつくる」とか「妊活」とかということばすらあります。そういう意識が生まれたのはせいぜい一世紀くらいのことだと思います。それまで子どもは「できる」ものであって(天からの授かりもの)、「つくる」ものではありませんでした。

「子どもをつくる」というのは能動的行為です。「子どもを作らされる」というのは受動です。「子どもができる」というのは「中動」でしょうか。私は英語以外を習ったことがないのでよくわかりません。

「雨が降っている It rains.」の主語は何かがいまだにわかりません。「雨を降らせる」「雨に降られる」というのなら、「だれが」ということがあります。『創世記』に「光あれ Let there be light.」ということばがあります。『 Let it be 』というビートルズの名曲があります。50年近くビートルズを聴いていますが、いまだにその意味がわかりません。中学校1年生で「行こう Let's go 」を習った時、どうも腑に落ちない気がしたのを思えています。私は語学の才能がないことを自覚していますが、それだけでしょうか。


経済
主婦と労働者という二足の草鞋を履く場合のアイデンティティ、夫の収入と妻の就業労働の有無や就業形態、出産・育児などのラフサイクルとの関連など、女性の就労は家族に規定される側面が大きいし、逆に、家庭という規範は家庭外での女性労働の評価にも大きな影響を及ぼしている。(P.26)

さりげなく「アイデンティティ」ということばが何度か出てきます。わかりにくいことばです。私が若い頃にはありませんでした。いまでは「ID(アイディ)とパスワードを入力してください」ということばはしょっちゅう聞くし、どちらも忘れがちです。最近は歳のせいか、昨日登録した「ID、パスワード」すら忘れることがあります。それで使えなくなったソフトや見れなくなったWebサイトがどれほどあることか。いずれにしても「アイデンティティ」(「自己同一性」と訳されることもある)ということばはまだ日本に定着していないと思います。この引用文の場合も「心持ち」とか「向き合う気持ち」くらいの意味なのではないでしょうか。それらは西洋で使われる意味とはまったく違います。

そして著者の「労働(あるいは労働者)」の使い方もよくわかりません。その後に「収入」という単語が来ているので、「賃労働」のことですね。「貨幣を稼ぐ労働」ということです。家事、子育て、家庭菜園などはむしろ「仕事」と言ったほうがしっくりきます。賃労働の「労働」は明治以降に「 labor, work, Arbeit, travail 」などの訳語として使われたもので、その二つをごっちゃにすると「家事労働に支払いを」などということになります。

そして著者の言う「経済」というのもよくわかりません。経済は「経世済民(あるいは経国済民)」の略だ、などと物知り顔で言ってもそれは「経済」の意味でも、いまでは殆ど使われなくなった意味です。economy の語源は古典ギリシア語の「 οικονομία (家政術)」です。私の知っている範囲で言えば、それは「家の運営」「家を取り仕切ること」です。「家計のやりくり」というの意味はその一部です。国における「政治と財政」を家に置き換えたものです。アリストテレスが『政治学』を書いた頃は、アテネは都会だったし貨幣経済も発展していたようですが、近代的な経済学における「経済」は「生産・消費・再生産」という基本概念であって、それは「自然との物質代謝」(マルクス?)までを含んだ概念です。それが経済学から日常用語に入ってきたあと、その意味が「市場経済」や「貨幣経済」に濃縮された結果、「お金のやりくり」のことになってしまいました。労働が賃労働のイメージになったように、経済は「お金」のことになってしまいました。

著者が労働という時、読者がイメージするのは「貨幣収入」であり、「商品経済」です。著者は京都出身だそうです。私より年配です。京都のどこで育ったのかはわかりません。私が幼いときも商品社会でしたが、なんとなくお金がなくても人は生きていけるというイメージがあります。道端の花の蜜を吸ってみたり、川で魚を獲って食べたりしていたし、豚や鶏に餌(草)を上げてその豚や鶏を食べたりした経験があります。遊び道具としてメンコやビー玉を買うこともありましたが、そんなものがなくても遊ぶことができました。いまの子どもたちは、花の蜜なんか汚くて吸わないだろうし、川で魚が釣れてもそれを食べるよりスーパーの切り身が「魚」だろうし、公園は危険で汚いところだとされて閉鎖されるし、お金を出さないで遊ぶということ自体を考えられないかもしれません。

私は、貨幣収入が生きていく上で必須のことになる以前に生まれ育ったわけではありませんが、そうではない世界のイメージが少しあるんだと思います。今の社会は貨幣に依存しています。イリイチが批判する「学校(制度)」や「医療(制度)」はもちろんのこと、食べるもの、着るもの、住むところ、遊ぶこと、すべてが商品です。だから、貨幣は貴重でそのうえいくらあっても満足できません。貨幣(商品)に依存することで失った「生きる力」こそを見つめなおすべきだと私は思うので、労働や経済ということばを無批判に使ってほしくないのです。

「経営体としての家族=家」という視点は、イリイチの『ジェンダー』と共通です。ただ、それ(とその崩壊)をどう捉えるのかはまったく異なります。


家族

八〇年代になると離婚の増加や少子化、非婚同居・非婚出産が進展して、家族のあり方は著しく多様化し、中でも家族の典型とされていた夫婦と子どもからなる世帯(核家族)の減少が目立つようになった。その背景には個人のライフコースやライフサイクルの多様化があり、家族のライフサイクルや生活様式も多様化して、現在では、もはやモデル化された家族を描くことはできなくなっている。(P.88)

そうでしょうか。恋愛結婚(恋愛を前提とした結婚)に一元化され、結婚が自己実現の手段となリ(アメリカのホームドラマ・ソープドラマ、それを繰り返す日本のドラマ)、また目標ともなりました。「理想の結婚」なんかないのに、それによる自己実現ができないからと、離婚や未婚が増えてきているのではないでしょうか。自己実現のためには(商品のあふれる)都会に行くしかなく、都会で何も見つけられず、自己実現が遠いことに気づき、そのうえ故郷もなくなっている。都会に家を持っても、親を呼ぶこともできません(養えない、親の同意を得られない)、それが私の現実。子どもが親との同居を望まないし、親もそれが子どものためだと思っています。親は子供を養うこともできないし、子供に帰ってこいともいえません。それが私の現実。核家族が減っているのではなくて、(老人)夫婦二人暮らし、老人の一人暮らし、子どもたちの一人暮らしが増えてきているのではないでしょうか。男女の賃金差が問題になっているけど、数十年前までは夫ひとりで妻子を養い、親の面倒を見ていました。今は「共働き」でもそれは難しいのです。つまり、「名目賃金」や「実質賃金」なんていう統計上の問題ではなく、一人あたりの賃金は半分以下になっているのです。

このように、夫は生計獲得の中心とみなされてはいたが、妻も生計獲得に寄与するることが前提とされていた。夫が多く稼ぐのは、妻は妊娠と子どもの養育という労働のために時間を割かなければならなかったからである。この時期には日常生活を維持するための労働、家事労働  のちに「愛の行為」とされる  は就業労働と同じ価値をもつとみなされ、稼得労働との区別も曖昧であった。(P.100)

この「価値」は経済学上の概念でもなく、哲学上の概念ですらありません。経済学でいう「価値」は貨幣という数字に還元できるものです。数字(論理)の経済への応用する学問です。商品、あるいは貨幣があるところには「価値」があると考えるのもおかしいのです。それは、結果から見た(後付)の論理にすぎません。1000年前の「恋物語」が今の恋愛と同じだと思うのは、今の自分の思いを投影しているだけです。1000年前の「アイデンティティ」、1000年前の「セクシャリティ」も同じです。著者なら1000年前の「ジェンダー」を考えることもできそうですが。ここで言われている「価値」というのは近代西欧概念を輸入したもので、それを日本的な価値と混同しているのです。そこに経済的(生産・消費)視点はありません。あるいは経済と貨幣と価値とを同一視しているのです。

妊娠・養育は労働(仕事)でしょうか。著者はシャドウ・ワーク論を意識的に無視しているとしか思えません。イリイチのジェンダー論の一番肝心なところは、それらが「ヴァナキュラーなもの」だということです。西欧人が西欧語で西欧を論じるのは仕方のないことです。イリイチの理論がどんなに革新的なものであったとしても、それは西洋の論理でしかありません。ですから、彼の著書には日本人の私からみると理解できないことがあります。日本の学者が気をつけなければならないのは、西洋生まれのことばを使って日本を解釈するときの盲点です。英語やフランス語やドイツ語をその発音のカタカナ語にして「輸入は成功。それをどう使うかは、使う人次第」ということが往々にしてあります。理論的だけではなくて歴史的にも根拠のないそのことばは容易に独り歩きして、人びとを絡め取っていきます。それが怖いのです。ペルクゼンのいう「服従」というのは、そういうことではないでしょうか。「ソーシャル・ディスタンス」、「ソーシャル」と「社会的」はまったく違います。日本には西欧語でいう「社会」はありませんでした。社会がなければ当然「個人」もありません。アイデンティティがあるわけがないのです。

著者は、きっと「だから、個人・自主性・主体性・アイデンティティ・社会性をもつべきだし、いくらかでももつようになったのが日本の発展(開化)だ」というのかもしれません。「多様化」ということばもでてきましたが、世界が西洋化することが多様化でしょうか。「LGBTを認め、ジェンダー平等を認め、ハラスメントを拒否する」というように、日本人全体が同様に考えることが「多様化」でしょうか。私はどんどん「多様性」が減ってしまっているような気がするのです。


子ども

私がわからないのは、女性は子供を生みたいものなのだろうか、ということです。それは女性の「本能」なのでしょうか。「母性本能」とかは非常に怪しいですよね。子どもができないと人類は滅びます。でも、子供を欲しがらない文化(民族)もあったかもしれません。子どもを作らない種(生物種)もあったかもしれません。あったかもしれませんが、その民族や種は現存していませんから、確認できません。もし、女性は子どもがほしいと思うもので、それを本能と呼んだとしても、それはその文化的な影響が大きいとはいえるのではないでしょうか。

参考文献にもある、フィリップ・アリエスの『<子供>の誕生』(まだ半分しか読んでいない)、から引用します。

子供期に相当する期間は、「小さな大人」がひとりで自分の用を足すにはいたらない期間、最もか弱い状態で過ごす期間に切りつめられていた。だから身体的に大人とみなされるとすぐに、できる限り早い時期から子供たちは大人と一緒にされ、仕事や遊びを共にしたのである。ごく小さな子供から一挙に若い大人になったのであって、青年期の諸段階をすごすことなどない。(アリエス『<子供>の誕生』邦訳、P.1)

ちょうど動物と戯れるように、小さな淫らな猿でもあるかのように、人びとは子供と戯れたのであった。往々にして生じたことだが、子供が死亡したばあい、一部の人々は悲嘆に暮れはしたが、一般的には子供にたいしてあまり保護はなされず、すぐに別の子供が代わりに生まれてこようと受けとられていたのである。子供は一種の匿名の状態からぬけ出ることはなかった。(同書、P.2)

だが(この点が重要なのであるが)夫婦の間、親子の間での感情は、家族の生活にとっても、その均衡のためにも、必要なものとはされていたのではなかった。(同)

嬰児殺しは厳しく罰せられる犯罪であった。しかしながら、この犯罪は秘密裏に行われ、多分かなり普通に見られたのであり、事故の形をとって偽装されていたのである。(同書、P.8)

(18世紀に観察されている子どもの・・・引用者)死亡率の減少の理由は、その対策など考えられないでいた子供を死ぬに任せない、ないし子供の死を促進することを止めた、ということしかないのである。(同)

私が読んだもうひとつの子どものあり方についてもついでに引用します。ダニエル・L・エヴェレットの『ピダハン』です。

わたしの家族は全員、毎日のようにピダハンとわたしたちとの家族観の隔たりを目の当たりにした。ある朝わたしは、よちよち歩きの子どもがおぼつかない足取りで焚き火に近づいていくのを目撃した。子どもが火に近づくと、手をうんと伸ばせば届くほどのところにいた母親が子どもに低い声を発した。けれども子どもを火から遠ざけようとはしない。子どもはよろめき、真っ赤に焼けた石炭のすぐ脇に倒れ込んだ。脚と尻に火傷を負い、子どもは痛みに泣き喚いた。母親は子どもを片手で乱暴に抱き起こし、叱りつけた。(『ピダハン』邦訳、P.127)

わたしはまず、見たかぎりでピダハンが赤ちゃん言葉で子どもに話しかけないことから考えはじめた。ピダハンの社会では子どもも一個の人間であり、成人した大人と同等に尊重される価値がある。子どもたちは優しく世話したり特別に守ってやったりしなければならない対象とは見なされない。(同書、P.128)

親は子どもを殴らないし、危険な場面でもない限り指図もしない。(同書、P.150)

乳離すると、子どもは親に手ずから食べ物を口に入れてもらうことはしないし、甘やかされることもない。男の子なら二、三年のうちに、父親や母親や姉たちが畑や狩りに出ている間に魚くらい釣ってこられるようにならないといけない。(同書、P.152)

わたしは母性本能があるとしても、それは生物学的なものではなくて文化的なものだと思います。

ついでにアリエスが、絵画から家族観を取り上げているので、それも引用しておきます。

このようにして一年の月々の続き絵に、女、隣人仲間、最後に子どもという具合に新たな人物が登場してくるのである。子どもは、まだ正確には家族生活とまではいかないにしても、身近な生活や一家団欒という、かつては認識されていなかった欲求に結びつけられるのである。(『<子供>の誕生』邦訳、P.321)

異なった世代が三つないしは四つの人生の諸時期を象徴しているような一つの家庭内に、それらをまとめようという考えはもたれていなかった。芸術家たち、そしてまた彼らが代弁している世論は、年代の個人主義的概念に忠実にとらわれていたのであり、すなわち同一の個人がその運命の異なる時々の姿に描かれていたのである。(同書、P.322)

当時、子どもは自分の兄弟姉妹、父母、そして多分祖父母ともいっしょに同じ家(家庭)に住んでいたはずです。子どもは、毎日人生の各時期を見ていたことになります。自分が成長すること、老いること、そして死ぬこともあたりまえのことでした。核家族になって、家から老人はいなくなりました。子どもにとって、「自分が老いること」は「あたりまえ」ではなくなったのではないでしょうか。

そして大切なことは、西欧においては「個人主義」が貫徹されていたということです。それは多分、愛情以上に大切なことだったんだろうと思います。あくまでも「主体があっての愛」ということです。「愛する」ということは主体の能動的な「行為」なのです。「好きになってしまいました」という日本の恋愛とはなんと違うことでしょうか。


歴史

一九八〇年代には、史料に依拠して到達するという歴史学研究の基本認識、すなわち史料操作の的確性と「客観的事実」の存在を二つとも幻想として退ける、歴史学の「言語論的転回」が生じた。ある歴史的事象が記述される段階ですでに取捨選択が働き、記述者の立場が関係してくるため、史料の客観性は前提とならず、また「事実」は所与のものではなく、言語による記述によって初めて「事実」となる、というのである。したがって、すべてのものは言語を通じて構築され、言語によって書かれたものであり、テキストの外に歴史の事実は存在しない。史料は「事実の反映」ではなく、意味を生成するテキスト、ディスクールとみなされ、その意味がいかに構築されたかを解読するためにテキストや表象の分析が行われるのである。(P.47)

認識や解釈の仕方次第で行動や対応も変化し、それがまた新たな現実を作っていくからである。すなわち人びとは歴史を推進する主体であるが、その認識や解釈は真空地帯で行われるのではなく、社会的・文化的な刻印、たとえばジェンダーに関する規範や文化の刻印を受けているため、認識主体は言語以前の自存的なものではありえず、ジェンダー的存在として認識する。こうした認識が人びとのジェンダーに関する語りや実践、経験につながり、日常生活のさまざまな局面のなかでジェンダーやジェンダーアイデンティティが重ねて構築される。(P.50)

これまでの女性史・ジェンダー史研究を踏まえて教科書で言及してほしいのは、家庭と市民を自然で不変なものとして捉えるのではなく、近代化の出発点で「家族」と「市民」の概念が新たに作られたということである。この両者がメダルの裏表として結びつくことによって、近代社会に固有の性別二元的な社会秩序(=公私二元的ジェンダー秩序、第6講参照)が形成され、男性と女性が異なる歴史を歩むことになったのである。(P.63)

1942年、日本の小説家がこう書いています。

獅子がりと、獅子狩の浮彫うきぼりとを混同しているような所がこの問の中にある。博士はそれを感じたが、はっきり口で言えないので、次のように答えた。歴史とは、昔在った事柄で、かつ粘土板にしるされたものである。この二つは同じことではないか。(中島敦『文字禍』青空文庫

「歴女」なんて言葉ができたそうです(私は使ったことはないけど)。女性たちにとって歴史とはなんでしょうか。それは「記録」されなければならないものなのでしょうか。そもそも「歴史」ってなんでしょうか。それが従来は男性が書いた以上、そして男性が文字を独占し、権力を独占してきた以上、それが男性の視点から書かれているのは当然です。生物の歴史、地球の歴史、宇宙の歴史が「人間の視点」で書かれているのと同じです。日本人は日本の視点、つまり日本語で書いているし、ドイツ人はドイツ語の視点で書いているのではないでしょうか。もし、ドイツ語と日本語とが通訳可能だとすれば(著者はそのへんのことをよくわかっているはずだけど)、むしろ「通訳不可能なこと」こそが、それぞれの視点を明らかにするために大切なのではないでしょうか。それを無理やり「同じ言語だ、平等だ」ということこそが、科学的・論理的、つまり男性的な視点なのではないでしょうか。

今年の大河ドラマは『光る君へ』ですが、源氏物語や枕草子が「女性の視点」から書かれたというのであれば、それはそれでいいのです。でも、それが「現代」から見た「女性の視点」ではないということはどうやって確かめるのでしょうか。この本では、「女工哀史」的な視点に対して「当事者の感覚はそうではないんじゃないのか」という疑問が提示されています。私は、その疑問こそが重要なのではないかと思います。それが「ジェンダー平等論」に対する疑問となるのだろうと思うのです。

男性と女性は異なる文化、異なる歴史をもっているのではないでしょうか。それは「共通の教科書で教えられる」ものではないでしょう。むしろ私は、教えられることが「理解する、知る」ことと同義である社会こそが問題だと思っています。もし、ドイツ語と日本語に通訳不可能な部分があるとしたら、男性と女性の間の「それ」こそがイリイチのいう「(ヴァナキュラーな)ジェンダー」です。


ジェンダー化
ただし、その居場所は女性と男性では異なっている。国民はジェンダーに特有の意味合いを強く内包し、ジェンダー化されて形成された。女性と男性には異なる行為空間とアイデンティティが割り当てられ、それらは相補的に関連し、機能的にも補完すべきものであった。(P.107)

イリイチもほぼ同様のことを言っています。その意味は違います。これはイリイチの誤読、または曲解(またはパクリ?)のように聞こえます。

「ジャンダ―化」ということばが何度も出てきます。著者自身のジェンダーの定義がわからないので、全体を読んだ私のイメージですが、「ジェンダー化」つまり「ジェンダーになる」というのは、「社会的性差別が始まる」という意味に思えます。もしそうだとすれば、「ジェンダー化される前は社会的性差別がなかった」という意味になります。イリイチの言っていることと正反対ですね。イリイチは、「近現代社会においては、ヴァナキュラーなジェンダーが失われ、男女は中性的な経済的セックスになってしまった」というのですから。これはフェミニスト研究者の猛反発を招きました。「男女同権」を主張し、男女が同じ権利、同じ立場、同じ仕事ができるようになればなるほど男女差別が強まるというのですから。

経済的中性セックスというのは、生物的性差(チンチンが付いているかどうか)はあるけど、同じなんだという考え方です。この本の著者はそれを「ワンセックス・モデル」として解説しています(P.118〜)。

このモデルでは、女は、本来押し出されて外にあるべきものが、男ほど十分な熱がないために内にとどまった「不完全な男」(アリストテレス由来の見解)」だと考えられた。この古代から近世まで受け継がれてきた「男と女の身体は基本的に同じ」とみなす身体感を、アメリカの科学史家であるとマス・ラカーは「ワンセックス・モデル」と呼んだ。(P.119)

そして、「身体は文化的構築物」だと言います。

生理学や解剖学による男女の絶対的違いの発見にもとづくツーセックス・モデルの形成は、科学の進歩の結果というより、むしろ男女に関する認識の変化、つまり当時のジェンダー観の反映であった。その意味で、身体=セックスはけっして所与のものではなく、ジェンダーによって構築されたのである。(P.124)

まさか、著者はジェンダーがなくなったら男女の身体の差もなくなると思っているわけではないですよね。

「同じだ」とみるから「差別」が生じます。犬と猫は違います。だから「犬猫差別」は個人の心情ではあっても(それはむしろ「区別」ですが)差別にはなりません。同じ賃金をはらうなら、「計算の早い人」「判断の早い人」を優先します。職種によっては「体力のある人」を採用するでしょう。「同じ」という「土俵」に上がることで、優劣・勝ち負けが生じるのではないでしょうか。学校での成績、受験などでそれはいやというほど感じた人が多いのではありませんか。「違い」を大切にするのが「ヴァナキュラーなジェンダー」、「同じ」を大切にするのが「経済的セックス」だと思います。「多様性」ということばを使うなら、それを大切にするのが「ジェンダー」、それを消し去る(見ないことにする)のが「セックス」です。

女性にも力持ちはいます。私より強い女性はあたりまえにいます。私は日一日と力が落ちているので、その数はどんどん増えるでしょう。その人は同じ賃金でも私より採用されやすいでしょう。計算も判断も私より早い人は私より遅い人より多いでしょう。そしてその数もどんどん増えます。その人たちにとっては「平等サマサマ」です。でも、そのために、つまり平等であるがために不利益を被る(ようになった)人のほうが、遥かに多いのではないでしょうか。

「違い(差異)」が経済的価値観と同様に見られる、つまり「比較される」のは近代西欧的な、道具(対象)としての身体、「客体としての身体」観です。大人だろうが子どもだろうが、それまでは力の差があってもそれは単に違いでした。それに、それぞれの領域は別であって、領域のなかで力の差があったとしても、男と女の力の差というものとは違っていたと思います。

古代ギリシアでは壷絵や壁画に求愛行為や性交シーンが描かれているように、セクシュアリティは肯定的に捉えられ、男性同士の恋愛にも寛容だった。(P.137)

ここで書かれている「セクシュアリティ」は性欲や生殖行為のことでしょうか。それとも「性的嗜好」のことでしょうか。ギリシアにおける「恋愛」は、現在の欧米や日本における恋愛とは別物です。LOVEでもアガペーでもエロスでもありません。たしかにプラトンが定義したということはあるけど、それが一般化したかどうかはわからないし、キリスト教的な「神への愛」などは当然別物です。日本で考えるなら、神への愛は考えられませんし、友人への愛は「友情」です。同様に親への愛や子どもへの愛も西洋とは異なると考えたほうがよいのではないでしょうか。私にはその実態も定義もわからない「セクシュアリティ」を、著者が古代ギリシャに投影して納得するのは自由です。私はそれは「おかしい」と思うだけのことです。

ジェンダー化を嘆く著者と、ジェンダー喪失を嘆くイリイチは対照的です。著者がイリイチに言及しないのもわかる気がします。でも、もし著者が「学問的中立性」を標榜するなら言及すべきだったと思います。ページ数の制限もあるでしょうか。


LGBT

とりあえず、「少数者に配慮する姿勢」を示せばいいという匂いがしてしようがありません。「反民主的」「説明責任を果たしていない」「人権侵害」などのことばで「レッテルを貼る」と、貼った人は褒められ、貼られた人は社会的権利を失います。でも「民主」「人権」などの概念、また「説明責任」も西洋的な発想で、日本人には中味の薄いことばです。「説明責任」は「法的概念」です。それはキリスト教における「告解」に基づきます。聖書に手を当てて「宣誓」することです。「自分(自己)」は、当たり前にあるものではありません。それは、自分自身を「対象」としてみることによって生じます。自分の「内」にあるものを対象化した時、あたかも「自分というもの」があるように思います。それを表現するのが「ことば」である、というのが西洋の考え方ですが、ことばにする前の「自分」というものはどこにあって、それはどうやってできたのでしょうか。私にはいまだにわからないのですが、インド=ヨーロッパ諸語における「主客構造」に基づいて、外的な諸物と同様に自己を「対象化(客体化)」するという契機があって、対象化(外在化)の手段として「文字(記録)」があります。それ(文字)を内在化させたものが「自己」ではないかと思っています。そういう文化(文字の文化)で「内に実在する自己」を「ことばにする行為」が「告解」です。客体化した自己同士の関係が「法」であり「権利 right 」だと思っています。上記の三つの言葉を理解するためには「法」を理解しなければなりません。でも、そういう概念は日本にはなかったのです。「法令遵守」ということばを最近よく聞きます。恥ずかしいことに、最近までその漢字を読めませんでした。日本は「法律に基づく社会」です。そして「文字の文化」です。でも、実質的に「文字を前提とした社会」になったのはせいぜい100〜150年前です。「法の下に平等」と言われるのも同様(あるいは戦後)です。それを「発展」といい「進化」といい「開化」というのは、同様に明治以降に流入した西洋的思考です。


被害者・加害者、能動・受動、主体・客体
実証主義文化が根づいていたイギリスでは、構築主義は女性史研究者たちからも批判された。彼女たちは、構築主義的な把握では、せっかく立ち上げた女性主体の能動的な営為、経験、女性たちを連帯させるアイデンティティや女性たちの集団的役割が否定され、彼女たちがジェンダー化される受け身の存在、すなわち歴史の客体となってしまうと主張した。(P.49)

「能動的行為には責任が伴って、受動的行為は責任が免除される」に近い考え方は西欧にもあるでしょう。それは、「正当防衛」「自白の強要」「責任能力」など、さまざまな法的形態を取っています。ただ、能動態にも受動態にも主語(主格)がある西欧と、それがない日本では感覚が違います。西欧においては、「主体的に行動できなかった」あるいは「主体性が侵害された」という意味が強いと思います。西欧においては「自分が主体であること」が(言語的に)強制されます。法関係とはまさしくそのことです。日本人の「わたしの責任じゃないもん」というのは、西欧人から見ればまさしく「無責任」です。主体性がない、ということです。責任能力のない「子ども」あるいは「野蛮人」と同様です。

植民地は、客体であった支配国の女性に主体となる機会を与えた。植民地に移住したり、植民地政策に関与したりした支配国の女性たちは、文明/野蛮の図式のなかで、他者を客体視し、「文明国」の人種主義的ナショナリズムを支える主体の仲間入りを果たしたのである。(P.205)

近代以降の西欧において、女性が客体であったというのはそうなんだろうと思います。女性が主体になろうとした、というのもそうなんだろうと思います。自我の確立(文字文化の成立)は、男性にも女性にもそういう圧力を与えます。『光る君へ』で作者が描こうとしていることはそれでしょう。

あたりまえですが、女性が主体化すれば男性は客体となります。そして「客体化した主体」どうしの緊張(闘争・競争)が生まれます。マルチン・ブーバー(今日、法事の席で僧侶が言及していておかしかった)の『我と汝』のように、西欧では「個人と他の個人と」の関係が問題となってきたのですが、その問題が男性と女性の間にも成り立つことになります。その問題が「人間」と呼ばれてきた男性のあいだで解決しなかったのは当たり前で、トマス・ホッブスの言葉でいう「万人の万人に対する闘争」は、それぞれが主体的であろうとすることから生じます。それを調停していた神の存在が薄れたあと、神の代わりをしたのがジャン=ジャック・ルソーの『社会契約論』であり、各種の法学です。

それが男女間にも広がることを、「発展」とか「進歩」と価値的な評価をする人もいます。お互いに相容れない主体動詞は、結局は「力」で決着をつけざるをえなくなります。「弱肉強食」の世界です。自然界(動植物の世界)には「神」も「法」もありませんから、ダーウィンはそれを「最適者生存(適者生存)」と表現しました。その後それは「自然選択」「自然淘汰」などと表現されますが、動植物の世界に自分たちの「主体性(の闘争)」を投影し、神や法の代わりに「自然」を持ち出したのです。

人間界での結果はどうでしょう。法的に(裁判で)解決すればいい、という人もいるでしょうが、そうなっているでしょうか。今月から始まったNHKの朝ドラ『虎に翼』に象徴されるように、「弱いものを助ける法律」というイメージがくり返されていますが、どんなに六法全書が厚くなろうと「主体の闘争」という前提がなくならない以上、「負ける弱者」は存在し続けます。「法令遵守」ということばの流行と「ジェンダー(男女)平等」ということばはリンクしているようにわたしには思えます。いまや幾つあるかすらわからない「〇〇ハラスメント」も同様です。そして始まったのが「告発合戦」です。「ハラスメント」は「加害意識によらない」犯罪です。主体性の調停としての法にもとづく「犯罪」は「動機(主体的加害意識)」を犯罪構成の大きな要素としてきました。いまやその代わりを努めるのは「被害者」つまり「他者」です。自分以外は他者ですから、それはだれにでもなれます。いわゆる「マスコミ」や「SNS」も被害者になり得ます。「被害者の動機」は問われません。「自分が言われた(された)わけじゃないけど、不愉快だ」でもいいし「ニュース・ヴァリューがある」「スポンサーが付く」「炎上する」でもいいのです。

だれでもが加害者になり、被害者にもなりうる社会、相互監視社会が「住みやすい社会」だとは思わないし、それが人類の「進化」や「発展」だともわたしは思いません。

聞き取りの時期には労働条件がより過酷だった明治期は含まれていないが、製糸女工たちは自身の経験を悲惨なものと捉えるよりも、実家に比べて良い生活レベルの享受、家族のための貢献や苦労(FF)の当然視、現金収入、より広い世界の体験などを意識しており、自らは工場労働に積極的な意味も見いだしていたという。(P.182-183)

「加害者ー被害者」という関係は「能動ー受動」という関係です。主体となるということは、能動となるということだから、「女性は被害者」と言ってられないということでしょう。それは労働者が「搾取されている」という被害者であると同時に、そのような体制を維持している加害者でもあるという思いも同じです。また、開発途上国に対する加害者でもあり、地球環境破壊の加害者でもあります。その関係のもとでは、「責任を感じなければならない」、「何か行動をしなければならない」、「変革しなければならない」という欲求不満、罪悪感、義務感をつねに感じなければいけません。

私は「労働者の解放」を願ってきました。「賃労働は搾取だ」と考えてきました。いまでもその思いは消えませんが、その思いが、私の労働をより苦しいものにしていたのかもしれません。自分は弱者で被害者だ、という思いです。


戦争とジェンダー

第一次世界大戦後のドイツでは二〇歳以上の女性に男性と同様の参政権が与えられ、イギリスの女性参政権は三〇歳以上の既婚女性に限定された。この時点でイギリスでは女性参政権反対はもはや時代遅れになっていたし、戦時中の女性の活躍は参政権付与への危惧と障害を取り除いた。ただし、三〇歳以上既婚という制限をつけることによって男性優位の構造は保たれたのである。ドイツでの女性参政権実現はヴァイマール共和国を誕生させた終戦時のドイツ革命による民主化の結果であるが、この時点では民主化の課題の中に女性参政権が含まれることは当然視される状況にはなっていた。日本では、第二次世界大戦後のGHQの戦後改革の結果、女性参政権が実現した。

女性参政権実現は、女性の戦争協力の直接的な帰結とはいえない。戦時における女性の「男性の領域」への進出は非常時の例外とみなされ、就業や家族に関するジェンダー構造には、ほとんど変化をもたらさなかった。とはいえ戦争は、戦前からの活動の発酵と熟成の期間を短縮する触媒としての役割を果たし、女性の活躍の場を広げ、キャリアに肯定的な影響をもたらし、女性の地位向上に貢献したことは確かである。(P.215-216)

「女工哀史観」の否定や、「女性の戦争貢献」を主張することはとても勇気のいることです。

その主張は、従来の「女工哀史感」や「戦争被害感」を「古いもの」「時代遅れ」にします。人間が生きていて、その主体などの「存在」が「時代遅れに」「古く」なることはあるのでしょうか。なぜ現在がつねに「新しい」「進んだ」状態だと思わなければならないのでしょうか。そういう評価が、戦争の「貢献」などということばを産みます。それなら、戦争をして、破壊と建設を繰り返せばいいのでしょうか。それがどうして「発展」なのでしょうか。まだ使える家などを取り壊し(捨てて)新しいビルを建てる。使い捨ての商品をつくる。新しいビルは、従来工法で作られた住宅よりも長くはもたないでしょう。プラスチック製品、電化製品は新しい商品を売るためには捨てなければなりません。ゴミだけは製品の何倍も何十倍も消えることはありませんが。

そしてその思いは、将来の「平等」「平和」を「期待」して欲求不満の現在を作ったり、将来「使う(読む)」から、と言って道具や本を買う私と似ています。それらがあれば、「なにかできるんじゃないか」と思うのですが、実際に今やらなければ何にもできないし、読まないまま私自身が存在しなくなりそうです。女性参政権を得た後に世界はどうなりましたか。日本は良くなりましたか。日本帝国主義が生まれたのは「男子普通選挙」の後だし、ナチスを生んだのは「女性参政権実現後」ではなかったでしょうか。


ジェンダー平等に想う

今年、ある大きな公園でのお花見の焼き肉が禁止になったそうです。「火気厳禁」ということだそうです。理由は周辺住民から「匂いがする」などの苦情が出たからとのこと。毎日臭うのはたしかに嫌ですが、ラーメン店からの匂いでもそんな事がありました。私は強烈な「かんすい」の臭いがたまらなくて、製麺所のアルバイトを一日でやめたことがあります。でも、ラーメン店の近くに引っ越してきて、「ラーメンの臭いが・・・」と言えるでしょうか。後からラーメン店ができた場合なら堂々といえますが。私の家の裏は地域の公民館です。古いエアコンもない公民館なので、夏場は窓を開けてカラオケ同好会や、詩吟、大正琴などのサークルの音がうるさいです(窓を締め切った冬でもうるさい)。でも、ここに引っ越してきたのは私です。「エアコンを付けたらどうですか」とは言えても、「やめてください」とは言えません。公園の花見は、多分苦情を言った人が住む前から行われていたのではないでしょうか。

同様のことは、野生動物の被害にもいえると思います。山に入って熊に襲われる人が毎年います(人を襲った熊は膨大な時間と費用をかけて銃殺されます)。そこは熊の領域です。たぬきや狐や熊や害虫が農作物を荒らす被害が絶えません。山の食べ物が不作だった、木を伐採して住めなくなった、飼っていたペットを捨てて増えた、など。でも、人がその領域に踏み込んだということもあるのではないでしょうか。これまで野生動物が住んでいた土地を開拓したい、そこに家を建てたい、という気持ちは悪いわけではありません。でも、その時にはそれらの動物の領域を侵しているのだという意識は必要なのではないでしょうか。

女性が男性の領域に踏み込んできたことを非難しているのではありません。それでは「男女差別(ジェンダー化ではありません)」はなくなりません。イリイチがいうように、学校(教育)制度の義務化が、膨大な「落ちこぼれ」を生みだしました。病院制度は、万人を一生「病人(医師カール=マリア・ベンケルトがいう異常、P.140)」に仕立てました。相互監視がみんなを「犯罪者(あるいはその予備軍)」にしました。でも、学校、病院、監視カメラをなくしても、それは解決しません。というか、それでは解決は不可能だと思うのです。なぜそれらが(主に西欧で)作られたのか。それは西欧を調べてもわかりません。西欧では、ず〜っと西欧語の中で考えてきました。西欧は西欧の解決法があるかもしれません。それは私にはわかりません。私は西欧と日本との「違い(差異)」を見つけることでしか、日本におけるそれらは解決しないと思います。西欧における解決法も日本における解決法も「普遍的」なものではありません。それぞれの文化が「ヴァナキュラー」なものであるように、解決法があるとすればそれも「ヴァナキュラー」なものです。「発展」「進化」「普遍性」からではなく、「男性と女性は違う」「日本と西欧は違う」という視点から作られる「ジェンダー史」には、いくらかの「希望」を抱きます。





[著者等]

姫岡とし子(ひめおか・としこ)
1950年,京都市生まれ.
現在―東京大学名誉教授
専攻―ドイツ近現代史,ジェンダー史
著書―『近代ドイツの母性主義フェミニズム』(勁草書房)
   『ジェンダー化する社会――労働とアイデンティティの日独比較史』(岩波書店)
   『ヨーロッパの家族史』(山川出版社)
   『ローザ・ルクセンブルク――闘い抜いたドイツの革命家』(山川出版社)
   『〈ひと〉から問うジェンダーの世界史 第2巻「社会」はどう作られるか?――家族・制度・文化』(共編,大阪大学出版会)

暗黙のうちに男性主体で語られてきた歴史は、女性史研究の長年の歩みと「ジェンダー」概念がもたらした認識転換によって、根本的に見直されている。史学史を振り返りつつ、家族・身体・政治・福祉・労働・戦争・植民地といったフィールドで女性史とジェンダー史が歴史の見方をいかに刷新してきたかを論じる、総合的入門書。



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