言語の本質-ことばはどう生まれ、進化したか 今井むつみ、秋田喜美著 2023/05/25 中公新書

言語の本質-ことばはどう生まれ、進化したか 今井むつみ、秋田喜美著 2023/05/25 中公新書
ゆる言語学ラジオ

私は語学が苦手です。理由は詳しく書きませんが、トラウマのようなものがあって外国語を勉強しようとすると嫌悪感が生じます。だから言語学も勉強する気になれませんでした。

4年前(まだ4年しか経ってないんだ)、引きこもっていた私に先輩が声をかけてくれました。「こんな本読んでみない?」それが橋本陽介さんの『「文」とは何か』(2020、光文社新書)です。その本自体はそれほど面白いとは思いませんでしたが(というか内容を覚えていない)、自分が使っている(使われている?)日本語に興味を持ちました。そしてたまたま見つけたのがYoutubeの『ゆる言語学ラジオ』(2021/01/22-)です。

面白かったなあ。当初、「言語オタク」の水野さん(水野太貴)はこんなに有名になるとは思っていなかったんじゃないかなあ。堀元さん(堀元見)に勧められて、「やってみた」という感じだったと思います。売れると思ってなかったから、正統派言語学とは違う、「面白い」言語学の紹介という感じでした。ところが人気が出て、「YouTubeクリエイターアワード」まで取っちゃった。

そうすると、チャンネルに影響力ができちゃった。仕事(集英社の編集者らしい)とは関係ない(たぶん)はずが、内容に責任もできてきちゃったんだと私は想像しています。初めから監修の人(学者)がいたようですが、内容がだんだん正統派の方に向かっていって、専門的になるとともに、面白くなくなっていったように思えて、最近は観ていません。

著者の一人今井さんが登場した回は観ました。当時の私にはあまり印象がよくありませんでした。たまたま新聞の広告で、「水野太貴」「ゆる言語学ラジオ」という文字が見えた時、買ってしまったのがこの本です(古本だけど)。


オノマトペ

「ゆる言語学ラジオ」でも何回も出てきました。

そう、「げらげら」とか「もぐもぐ」とか「ふわふわ」とか、日本人の生活になくてはならない、あのコトバである。(本書、P.ⅶ、以下「本書」は省略)

著者は、言語(ことば)は「オノマトペから始まった」という仮説を立てます。

言語も、外界のモノや出来事をパントマイムで写し取ることから始まったのではないか、ただし、声という媒体で。(P.251)

ニカラグアの手話の進化で見られたように、私達の祖先も、発音でアナログ的に外界のモノや出来事を模写していたのが、徐々にオノマトペに変わり、オノマトペが語彙化され、体系化されて、現在の記号の体系としての言語に進化していったのではないかという仮説、いわば「オノマトペ言語起源説」を真剣に考えてみたいと思うようになった。(P.252)

たしかに、ものを食べながら何かを言おうとすると「もぐもぐ」と聞こえるような気がします。英語で「 yum‐yum (ヤムヤム)」というのもそう聞こえる気がします。犬の鳴き声が「わんわん」ときこえたり「 bow-wow 」と聞こえるのももっともだと思います。「バン bang 」「ボン bong 」・・・、これはオノマトペではなく「擬音語」ですね。

「げらげら」「ふわふわ」はどうでしょうか。「げらげら」と声に出して笑うことは普通ないし、「ふわふわ」と音を立てて飛ぶものも普通はありません。g 行の音がなんとなく「大きい」「下品」な感じがして、 f 行の音(とくに「フ」)が「軽い」「空気」の感じがします。息を吹きかけるときの音が f (というより h )の子音に近いということかもしれません。

小学生(中学生?)のときに、「濁音(バ行など)」「半濁音(パ行など)」という単語を教わったときに、「何で濁っている音なんだろう」と思った記憶があります。だから「半分濁っている」というのは全然意味がわかりませんでした。何の本だか忘れましたが、最近読んだ本で、一生懸命バ行・パ行の解説をしていました。その著者は「濁音・半濁音」という単語を使わず解説していて面白かったのですが、読み終わってから「そんなこと解説されなくても昔から濁音・半濁音という文法用語が使われていたじゃないか」と思いました。

たしかに「バーン」というのは重たくて大きな音で、「パーン」というのは高くて乾いた音だと感じるし、「ハーン」では気が抜けた音に感じます。でも、ことばに恣意性(これは「社会性」ということとあまり違わない)があるのなら「バ行の音は汚くて重たい」と思っているからそう聞こえるのかもしれません。「重たい音」と「重たく感じる音」との違いは「ことばを知っている人」には判断が難しいと思います。

これは「接地問題」とも関わっていて、「バーンという音がして、ドキッとした」という「経験」と「ことば」との結びつき、あるいは結びつけることができるかどうかということです。私は怖がりで、未だにお化けが怖いのです。ではお化けを見たことがあるかと聞かれると「見た事があって怖い思いをした」とは答えられないのです。「お化けは怖いものだ」と教えられ、ドラマや映画では「怖がらせるため」にお化けを登場させます。お化けを怖がることで(あるいは怖がるフリや、怖くないフリをすることで)コミュニケーション(社会生活)が成り立ちます。

「異性愛」というのも、「男は女を、女は男を好きになる」というのを、映画・ドラマ・小説などで繰り返し繰り返し叩き込まれます。それが「最高に幸せ」で「最高に辛い」ことだと。そうすると「人間は異性を好きになるもの」「それが自然なこと」「性本能」などということになります。そうすると、同性を好きになることは「不自然」「異常」「人としておかしい」と感じるのは当然だと思います。「バ行が汚い」と「バ行が汚く感じる」との差のことです。接地問題を「社会性」と区別することの難しさです。

著者がいうように、

実は、オノマトペの持つアイコン性には、二つの種類がある。一つは、ことばを覚える前の赤ちゃんでも感じることのできる、脳が自然と感じる音と対象との間の類似性である。もう一つは、解釈によって生まれる類似性である。前者が「似ているから似ている」なら、後者は「似ていると思うから似ている」と言ってもよい。(P.164)

の違いのことです。


言語の発生・進化

この本については『人種と歴史』(レヴィ=ストロース)の感想文の中で書いてしまったので、とくに書くことはないと思っていたのですが、書き始めたらきりがなくなりそうです。感想文の繰り返し(コピペ)になりますが、レヴィ=ストロースはこう言っています。

文字も冶金術ももたないが、岩壁に画像を描いたり石器をつくったりはする原住民部族と、フランスやスペインの洞窟にみられる遺跡がこれと明らかな類似を示している西洋の古い諸形態を、比較しないでおれるだろうか。疑似進化論が、遠慮なく行ったのはまさにこのことである。(中略)そこで、このやり方は、部分を全体とみなすこと、つまり、二つの文明(一つは現にあるもの、他は消滅したもの)のいくつかの似姿が類似しているという事実から、すべての形姿の類似を導きだすということである。(P.24)

材料の使用、道具の形、したがってまたその用途はさまざまであり、この問題では一方が他方についてわれわれにほとんど教えてくれはしない。まして、言語や社会制度や宗教的信仰について、どうしてそれらが教示してくれるだろうか。(『人種と歴史』みすず書房、P.25)

部分(既知のもの)から全体(未知のもの)を想像すること(仮説形成)は、チャールズ・サンダー・パースによって演繹・帰納に対する第三の方法として「アブダクション(逆行推論・仮説形成推論)」と名付けられました(間違っているかもしれない。パースは読んだことがないので)。

人間にとってアブダクション推理はもっとも自然な思考なのであり、生存に欠かせない武器である。(本書、P.246)

そして言語によって、人間がもともと持っているアブダクション推理が、目では観察できない抽象的な類似性・関係性を発見し、知識創造を続けていくというループの端緒になるのだと筆者たちは考えている。(P.248)

このように考えると、

チンパンジーの中にも、ごく少数であるが対称性推論ができる(あるいはしようとする)個体が存在しているのかもしれない。だとすれば、人間特有のアブダクション推論の萌芽は、私たちの祖先にすでに存在しており、進化の過程で徐々に形成されていったものであるという可能性が浮かび上がってくるのである。(P.243-244)

ヒトは、居住地を全世界に広げ、非常に多様な場所に生息してきた。他方、そのために多くの種類の対象、他民族や自然などの不確実な対象、直接観察・経験不可能な対象について推論・予測する必要があった。未知の脅威には、新しい知識で立ち向かう必要があった。(P.245)

という「推論(仮説)」になります。私は「疑似(似非)進化論」だと思います。

「必要があった」だから「進化」したのでしょうか。「他民族」は「不確実(多分、予測や理解が出来ないという意味だと思う)な対象」でしょうか。サルとヒトには共通点がある、だからヒトはサルから進化した(正確には「共通の祖先」から進化した)という思考方法は、まさに「部分から全体を推理する」という思考方法です。

私はアブダクション推論をする、だからヒトはみなアブダクション推理をする。私にとって「他民族(あるいは他者)」は「不確実」だ、だからヒトは他者を不確実な存在だと考える。「しょせん、他人は他人だ」という声が聞こえそうです。何のことはない。私が(も)そう考えるからです。でも「他者が不確実だ」というのは、他者を「理解したい」「理解できる(同じものがある)」と考えるからです。そして自分という「主体」があって、他者や自然という「対象」があると考えるからです。(ここまでコピペ)

この結果は、言語経験がほとんどない赤ちゃんですら、母音と大きさの関係性に気づいていることを示している。(P.32)

昔「サルでもわかる」というタイトルを付けた本が流行りました。読者を「猿並み」に扱っているわけですが、サルに申し訳ないと思います。「犬並み」ということばもあります。「お犬様」という必要はありませんが、猿や犬は劣っていて、人間は「優れている」という観念があるのでしょう。

「赤ちゃんですら」というのは、「大人は赤ちゃんより優れている」と私は感じてしまいます。そもそも「ことばがわかる」「ことばを話せる」というのは「優れている」ということでしょうか。

また、どうして赤ちゃんはことばを話せるように「なる」のでしょうか。どうして立って歩くように「なる」のでしょうか。

それを問う(問そのものを問う)のが「言語の起源」であり「言語の本質」だと私は思います。


デジタル

どうも最初の印象が悪いと、批判的なことばかり書いてしまいます。それを「自問」する必要性を考えながらも続けます。

脳には「言語野」というものが想定されています。そこが損傷するとことばが話せなくなったり、理解できなくなったりします。「右脳」「左脳」の機能というものもあります。

従来は、言語、子音、そして計算などは、脳の左半球で処理され、音楽、楽器音、母音、雑音、人が泣いたり笑ったりするような音声あるいはハミングのようなもの、そして虫や鳥獣の声などは右半球で処理されていると言われてきた。したがって、左半球はロゴス的な脳であり、右半球はパトス的な音声ならびに自然音を処理する脳だということになる。たしかに欧米人を被験者にして実験をおこなってみるとこのことが明らかになる。

ところが、日本人はそうではなかったのである。角田忠信(一九七六年)がこの事実を発見するに至った方法についてはここでは省略するとして、その結論だけ要約することにしたい。日本人は、音楽、西洋楽器音、機械音、雑音を右半球で聞いているのだが、左半球では、言語音、子音、計算のほかに、西欧人が右半球で聞いている母音、感情音、虫や鳥獣の声、法楽器の音をも処理しているというのである。すなわち、日本人の右半球は無機的な音だけを処理し、ロゴス的、パトス的、自然的な、つまり有機的な音声は、すべて左半球で聞いているということになる。

角田は、このような違いが遺伝的なものではなく、おそらく日本語の特殊性にもとづくものであろうと述べている。それは、日本で育った朝鮮人が日本型を示し、朝鮮人一世は西洋人型を示すといった、また日系二世についての一連の実験から導かれた結論であるが、いったい日本語のどのような構造がこの差をもたらすのか、違いをもたらすものが果たして言語なのかあるいは文化なのか、といった点はまだ完全に解明されているとはいえないようである。(伊谷純一郎「サルの言語と人類の言語」『岩波講座 日本語学』別巻、岩波書店、P.4)

角田さんのこの説は人気がないようですが、問題は「刺激に対して脳のこの部分が反応した」→「その部分がその機能を担っている」と考えることです。

「車(あるいはエンジン)が止まった」という現象を見て、「エンジンが故障した」と思い込むのは「早とちり(悪い推論)」ですね。ガス欠、バッテリーがなくなった、電子回路の故障・・・、さまざまな原因があり得るのです。そこで忘れがちなのは「エンジンだけで車が走っているのではない」という単純な事実です。「言語野」「脳の活動域」を「測る」から、それが原因(要因、作用の基、そこで捉えている)だと考えるのですが、それはとても近代的(西欧的)な考えです。昔日本人は(多分西欧人も)「心(心臓)」で考えていました。それは「間違い(劣った考え方)」なのでしょうか。

この部分で全体を考える思考法(アブダクション推論といえるかも)は、決して一般的なもの(普遍的なもの)だとは思えないのです。

部分で全体を考える、つまり「全体は部分の集まり」あるいは「全体は部分に分けることができる」という発想は、本書に何度も出てくる「デジタルとアナログ」「離散性と連続性」という考えに反映されます。デジタル(言い換えれば「個物」)というものが「ある(存在する)」と著者は考えているのではないでしょうか。

ことばの知識は言語の領域いとどまらず、言語の外部と一般的には考えられている数や数学の領域での思考も変えていく。言語と思考は、右足と左足のように片方が一歩進めばもう片方が必然的に歩みを進めるような関係で、互いにブートストラッピングを繰り返す。(P.248)

私もそうだと思います。「数の概念」のない文化はたくさんあります(ケイレブ・エヴェレット『数の発明』)。

コンピュータは「デジタル」で動いているのではありません。素子(記憶素子など)の電荷の有無が「0」と「1」ですが、実際には「まったくない」「完全に荷電している」ではありません。その素子も、それの測定機器もアナログです。どんなに理論的に正しく、正確な設計をしてもそれで何かが動くわけではありません。「数」「デジタル」「部分」が「存在する」と考えるのは決して一般的な思考方法ではありません。

「アブダクション推論」がアナログの世界をデジタルの記号につなげ、記号のシステムを作り、それを成長させ、洗練させていくと筆者たちは考えるのである。(P.253-254)

そもそも小学2、3年生は「1」の意味が接地できていない。人間は、抽象的な概念を簡単に接地できないのだ。

ちなみに数の概念のように、抽象的な関係性だけから成り立つ概念を表すオノマトペが存在しないことは、第5章で述べたとおりである。1や1/2が接地できないと、その先にいくら進んだ概念を教えられても記号から記号への漂流になってしまい、計算の手続きは覚えていても腑に落ちた理解に至ることができないだろう。(P.254-255)

私は「「1」の意味が接地できていない」という文章で、「そもそも接地できるものか」と考えざるをえないし、そもそも「接地とはなにか」に立ち戻らざるをえません。


経済性・生産性(効率性・利便性・節約)

少量の表現でたくさんの内容を伝えたいという志向性は、前項の生産性の話へとつながる。(P.71)

一つの形式に複数の関連する意味が対応していれば、覚える形式が一つで済む、それに加えて、複数の意味についても、バラバラではなく整理して覚えることができる。(P.72)

つまり、「セブンイレブン」は「ことば(あるいは進化)」の帰結だということでしょうか。セブンイレブンがない国(地域)はたくさんあります。将来、世界中に「コンビニ」があるのが「進化(進歩)」した社会(文化)なのでしょうか。「コンビニがあるべき」と著者が思っているとは思いませんが、コンビニ(スーパー)ができたことによって、田舎からは「商店」がなくなりました。車は「あれば便利」なものではなくて、「それがなくては生きていけない(稀少性・欲望・ニーズ)」ものになりました。

「人間は足がなくなったから、車を発明したのではない」のです。

著者は「言語の大原則」に「変化すること」を挙げています。また、

進化するにつれシステム化(体系化)が進むのは、言語に普遍的な特徴といえよう。(P.153)

言語は自己生成的に成長・拡張し、進化していく(P.259)

とも言います。

本当に進化していくものなのでしょうか。進化していくと思う一因は、「知識は一方方向に増え続ける」という思いがあるのではないでしょうか(「あとがき」参照)。コンビニが商店を駆逐したように、「できるもの」と「なくなるもの」があるだけではないでしょうか。

英語のように、単純化していく言語もあります。日本語も方言に代表される「バナキュラー」なものがなくなり、共通語化(標準語化)しています。これを「デジタル化」と言ってもいいでしょう。その結果、ことばにアナログ性(全体性)がなくなり、「中身」が薄くなります。そこに「新しいことば(新語)」が生まれる余地が生じます。ヴァナキュラーなもの(多様性)が失われる代わりに新語(ギャル語など)が作られるのではないでしょうか。「進化する」と考えると、そこに「必要性」や「経済性」を考えたくなってしまいます。

必要性と進化というトートロジー。稀少性(欠損性、何かが欠けている、満たされていない)という幻想が必要性という幻想を生み、進化という理論を支えます。新語(新しい用法)が必要性を満たしているのだとは感じにくいかもしれません。でも、昔になかったことばは昔はその現実(表したいもの、存在)がなかったからに過ぎないし、新語は必要だから生まれてくるに過ぎません。それは「表したいもの(存在)」が「増えた」ということではないのです。

この必要性を考えれば、たとえ間違いを含む可能性があってもそれなりにうまく働くルールを新たに作ること、つまりアブダクション推論を続けることは、生存に欠かせないものであった。(P.245)

ヒト以外の生物は、アブダクション推論をしなくても生きてるけど。私は単純にそう思います。


イマ・ココ
オノマトペとある種のジェスチャーは、ともにアイコン的な記号である。親のこうした行動は、対象との類似性を頼りに、子どもをイマ・ココを超えた世界へと誘(いざな)うのだ。(P.91)

西洋言語学がいかにイマ・ココを捉えていて、日本の学者がいかにそれに捉えられているかを顕著に表しているような気がします。

「イマ・ココ」を考えるのは、「イマ(現在)」と「過去・未来」を分けて考えるからです。「ココ」を考えるのは「自分(中心・主体)」と「対象」を分けて考えるからです。とても西欧(近代西欧)的です。だからこそ西洋では「イマ・ココ」を超える(超越する)必要があったのです。それは言語の本質とは関係ないし、その起源や進化とも関係ありません。

オノマトペという「日本人の生活になくてはならない、あのコトバ」(P.ⅶ)から言語を考えるのはとても素晴らしいと思います。だからこそ、日本の学者は西洋の学問を批判できる可能性があるとおもうのです。そのためには西欧的(進化論的)では「ない」思考方法があるという自覚が不可欠なのです。




[著者等]

今井むつみ
1989年慶應義塾大学大学院博士課程単位取得退学.94 年ノースウェスタン大学心理学部Ph.D.取得.専門,認知科学,言語心理学,発達心理学.著書『ことばと思考』(岩波新書),『学びとは何か』(岩波新書),『ことばの発達の謎を解く』(ちくまプリマー新書),『英語独習法』(岩波新書)など.共著『言葉をおぼえるしくみ』(ちくま学芸文庫),『算数文章題が解けない子どもたち』(岩波書店)など.

秋田喜美
2009年神戸大学大学院文化学研究科修了.博士(学術)取得.大阪大学大学院言語文化研究科講師を経て,名古屋大学大学院人文学研究科准教授.専門は認知・心理言語学.著書『オノマトペの認知科学』(新曜社).共編著 Ideophones, Mimetics and Expressives(John Benjamins),『言語類型論』(開拓社)など.



「新書大賞2024」第1位!
22万部突破! 称賛の声、続々!

「本書を読んで以来、世界のすべてが言語に見えてしまっている。困った(いや、助かった)。」
小川哲さん(作家) 読売新聞・書評欄

「言語の本質は、私の目指す生き方の本質と繋がった。」
橋本愛さん(女優) 週刊文春・私の読書日記

「本書はむちゃくちゃ面白いうえ、びっくりするほどわかりやすい。単純化しているのではなく、ひたすら明晰なのだ。」
高野秀行さん(ノンフィクション作家) 産経新聞・書評欄

「この本はすごい。本当に画期的だと思います。オノマトペ研究をベースに言語と身体のつながりに向かっていくのですが、本書の議論と脳科学、あるいは精神分析をどうつなぐかとか、いろいろな思考の可能性が広がってきます。」
千葉雅也さん(哲学者)

■本書の内容■
日常生活の必需品であり、知性や芸術の源である言語。
なぜヒトはことばを持つのか? 子どもはいかにしてことばを覚えるのか? 巨大システムの言語の起源とは? ヒトとAIや動物の違いは?

言語の本質を問うことは、人間とは何かを考えることである。
鍵は、オノマトペと、アブダクション(仮説形成)推論という人間特有の学ぶ力だ。認知科学者と言語学者が力を合わせ、言語の誕生と進化の謎を紐解き、ヒトの根源に迫る。

■本書の目次(一部抜粋)■

はじめに
言語という謎/記号接地という視点/言語の抽象性――アカを例に/言語の進化と子どもの言語習得の謎

第1章 オノマトペとは何か
「オノマトペ」の語源/オノマトペの定義/感覚イメージを表すことば?/写し取っている記号?/オノマトペは「アイコン」/オノマトペの写し取り方アイコンと違う点/まとめ

第2章 アイコン性――形式と意味の類似性
単語の形のアイコン性/音のアイコン性――清濁の音象徴/続・音のアイコン性その他の音象徴/発音のアイコン性――角ばっている阻害音、丸っこい共鳴音/赤ちゃんにもわかる音象徴/聾者の音象徴感覚/発音の仕方でアイコン性を高める/ジェスチャーでアイコン性を高める/オノマトペの脳活動/音象徴の言語個別性/日本語の音韻体系――ハ行、バ行、パ行/韓国語とポーランド語の音韻体系/他言語のオノマトペは理解可能か/音象徴の使い方は言語間で異なるのか/まとめ

コラム1 主食は「パ」「バ」「マ」「ファ」「ワ」

第3章 オノマトペは言語か
言語の十大原則とオノマトペ/音声性・聴覚性/コミュニケーション機能/意味性/超越性/継承性/習得可能性/生産性/経済性――言語になぜ経済性が必要か/続・経済性オノマトペと経済性原理/離散性/恣意性/二重性/まとめ

第4章 子どもの言語習得1――オノマトペ篇
子どもが小さいほどオノマトペを多用する/絵本の中のオノマトペ/オノマトペは言語の学習に役に立つのか/音と形の一致・不一致がわかるか/ことばの音が身体に接地する第一歩/名づけの洞察――ヘレン・ケラーの閃き/クワインの「ガヴァガーイ問題」/単語が多義であることも学べる/オノマトペは言語学習の足場/まとめ

第5章 言語の進化
言語の理解に身体性は必要か/永遠のメリーゴーランド/AIは記号接地問題を解決できるのか/一般語と身体性/音と意味のつながり/隠れたオノマトペ/オノマトペと日本語の方言/なぜ言語・地域固有性があるのか/なぜオノマトペから離れたのか/ニカラグア手話――アナログからデジタルへの進化/事象を要素に分割して結合する/デジタル化するオノマトペの音象徴/意味の派生によってアイコン性を失う/脳の情報処理と言語/オノマトペが苦手な概念/言語の体系性/副詞>スル動詞>一般動詞/英語にオノマトペの体系がない理由/恣意性からアイコン性への回帰/「アイコン性の輪」仮説/オノマトペの歴史/まとめ

第6章 子どもの言語習得2――アブダクション推論篇
ガヴァガーイ問題再び/一般化の誤り――かわいい事例から/「ポイする」/オノマトペを疑う/最強のデータベース、身体を持つロボット/ニューラルネット型AI――ChatGPT/記号接地できずに学べない子どもたち/ブートストラッピング・サイクル/名詞学習/動詞学習/動詞のエッセンスへの気づき/記号接地問題の解決/知識を使う力/演繹/推論、帰納推論、アブダクション推論/ヘレン・ケラーとアブダクション推論/帰納推論による言い間違い/アブダクション推論による言い間違い/誤りの修正/まとめ

コラム2 子どもの言い間違い

第7章 ヒトと動物を分かつもの――推論と思考バイアス
チンパンジー「アイ」の実験/非論理的な推論/動物はしない対称性推論/対称性推論のミッシングリンク/ヒト乳児の対称性推論/チンパンジーの反応/「クロエ」とアブダクション推論の萌芽/人類の進化/まとめ

終 章 言語の本質
本書での探究を振りかえる/AIとヒトの違い/今井・秋田版「言語の大原則」

あとがき/参考文献



[ISBN-13 ‏ : ‎ 978-4121027566]

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コメント

  1. 三文字(i e π)寄れば文殊のヒフミヨ より:
     ≪…「1」の意味が接地できていない。…≫を、十進法の基における桁表示の西洋数学の成果の符号(e i π) 無限(∞) [1] [0] からの送りモノとして絵本「すうがくでせかいをみるの」的に絵本の力で掴みたい・・・

     もろはのつるぎ (有田川町ウエブライブラリー)

     数の概念(自然数)は、身体の運動の回転の操作(一サイクル)が、カタチの[〇]と[▢]で捉えて単位化しているようだ・・・

     [コンコン物語]などの自然数のキュレーション的な催しがあるといいなぁ~