
「オストアンデル」
一見ドイツ語かオランダ語のようですが、「押すと餡出る」、つまり「饅頭」のことです。
チンプンカンという新語の日本に流行したのも、この時代(柳田の幼少の頃・・・引用者)のことである。人は一般にンの附く語を面白がり、ちょうど饅頭(まんじゅう)をオストアンデルといったり、袴(はかま)をスワルトバートルといって笑ったと同じように、時々は後で註釈の入用なことを承知の上で、カンとかトンとかいう語を多く採用せんとした形跡は、以前も寺院や山伏の名だけには普通であったが、この期に入るに及んでやや法外に拡張した。(P.344)
「スワルトバートル」がわからなかったのですが、「座ると場取る」、袴のことだそうです。今の若い人は知らないと思うので、今度「饅頭」を食べる機会があったら使ってみたい(袴を履くことはないでしょうが)。
文庫本で639ページ。ちくま文庫は「ニーチェ全集」も厚いけど、紙がいいのかな。製本技術が良くなっているのでしょう。新漢字仮名遣いだし、引用の通り「ルビ」もたくさんついていて、とても親切です。中古で送料込み345円。
昭和初期から終戦直後にかけて書かれたもので、昭和10年代、いわゆる戦中に「こんなことが書けたんだ」と思うと、著者の凄さを感じます。柳田は官僚でもありましたから(実態は知りません)、ひょっとしたら官僚や学者が今より「もの」が言える時代だったのかもしれません。
著者の生まれ
私は明治八年亥歳の夏、播磨の神東郡の辻川という村に生まれ、十歳の歳の秋までそこで大きくなった。(P.12)
かりに私が井の中の蛙(かわず)で、東京語と日本語のけじめも判らぬ者だったとしても、もう今頃は何か考えずにはいられなくていただろう。まして私たち田舎者は、毎日この問題に苦しみ抜いて来たのである。(P.10)
学生時代、私はいろいろな地方から来たたちと同じ下宿にいました。山口県から来た人は、普段は「標準語」(「共通語」ではない)でしたが、親と電話で話している「山口弁」はまったくわかりませんでした。東北から来た人も「方言」は話しませんでした。徳島から来た人は、変な京都弁を話していましたが、なぜでしょう。その人が、私が話すのを聴いて「その言い方、可愛いね」と言ったので、私が「方言」を話していることに気づきました。それまでは気づいていなかったのです。それ以来、自分の話言葉や書き言葉に気をつけてはいるのですが、なんとも自分自身では「どれが方言なのか」がわからないのです。
ロコ・ソラーレ
北京オリンピックで有名になったカーリングですが(それまで「カーリング」というスポーツがあることすら私は知りませんでした)、「もぐもぐタイム」とともに「そだねー」という掛け声が流行語になりました。東京の人も大阪の人も九州の人も、それが「そうだね」だということはわかります。でも、「そうだね」と「そだねー」は違います。むしろ「だよねー」(EAST END×YURI『DA.YO.NE』1994年)に近いかも知れません。「そうだね」は「長い」ので「疑問の余地はあるけど、認めようかな」という間があります。「そだねー」は疑問を挟む「暇・隙間」がほんどありません。ちなみに「だよねー」は、明確になっているもの、わかっているものの「確認・同意」です。
「可愛いね」と言われたのは、「そうしょっ」という言葉です。「そうでしょう」の「で」がなく「う」が促音化した形です。「で」は頭の中では発音しています。「そうでしょ」あるいは「そうっしょ」「そうdしょ」「そうtしょ」という閉塞音があります。
この「頭の中では〈そうでしょう〉」というのが問題で、言葉を音(聴覚)ではなくて字(視覚)として捉えているということです。つまり私は「書き言葉」として「ことば」を捉えていたのです。
翻訳
関西から来た人は、比較的方言を「直し」ません。そして結構「口数が多い」気がします。東北や中国・四国、あるいは九州から来た人は、「標準語」を話し、比較的「口数が少ない」ような気がします。関東でも茨城や埼玉などから来た人は、方言を話すことはありません。
私の今住む郊外の村などには、若い頃はいわゆる御座敷にいた婦女が多い。ものを問えば必ずきれいな東京語で答えるが、その代わりにはほんのわずかな間があって、口で一ぺん訳しているのだということがよく判る。そうして折々は訳しきれない語がまじるのである。子供などのまだ翻訳に馴れぬ者は、この間が突拍子もなく長くて、ただまじまじと顔を見るのは本意ないようだが、これでも実は標準語を承認しているのである。(P.465)
表現の国語教育は、どうしても話し方から始めなければなるまい。話すのと同じ心持ちをもって筆を執り、一方にはまた話すのと同じ用語によって、思惟することを教えなければならぬからである。この二つの階段において翻訳する必要があるようでは、正直な子供ほど口数が少なく、筆が鈍くなることを免れがたいであろう。(P.497)
方言を「隠そう」とすると、話したいことを「標準語に翻訳」する必要が生じます。
これでもし人が二重生活を営むべく強いられるとしたら、その不幸不便は、外国語との二重生活に比べて、何層倍苦しいものかわかったものではない。(P.477)
家ではドイツ語、外ではヘブライ語という人がいたとして、その人はともかくもどちらかの語で(多分ドイツ語で)考え、言葉にすることができます。それを言葉にするときに、外では別の語(ヘブライ語)にすればいいのです。標準語と方言の場合、日本語で考え、日本語という言葉にするときに、もう障碍があるということでしょう。
沖縄弁が「沖縄語」なのかどうか、それは定義次第ですが、フランス全土で「フランス語」が、イギリス(大英帝国)全土で「英語 English 」が話されているわけではありません。「日本は単一民族」などと思っている人は少数でしょうが、日本語は「国語」じゃないし、「母語」は「母国語」ではありません(田中克彦『言語の思想』参照)。
言葉の自然の統一を促進する道は考えないで、ただ片端から中央の御注文に応ずるのだったら、田舎の小学校の時間は、何倍あっても東京にはかなわぬだろう。劣勢承認を目的とする国語政策は、もういい加減にやめてはどうか。(P.463)
柳田は民俗学者として有名です。農商務省の高級官僚として全国を見て廻ったことが民俗学の著作の基礎になっているようです。言語学はどうなのでしょう。日本には古くから「言葉」の学問がありましたから、柳田が言語学者と言われるのかどうかはわかりません。私は聞いたことがありませんでした。
方言
本書は「方言論」が中心ですが、柳田國男の「日本語論」であり、「言語論」でもあります。いや、この三つが分けられない、ということだと私は思います。
様々な方言(主に名詞)が掲載されていて、それぞれがとても面白いのです。山口で話されている方言が、関西関東にはなくて、東北にあったり、それが日本の古語の名残だったりします。
たとえば「独楽(コマ)」。各地でヅグリ・ツグリ・ツブリ・ヅングリ・ツングンリ・ツムグリなどと呼ばれています。
日本では円いものをツブラ、円くしたものをツグラといっていたことは、『蝸牛考(かぎゅうこう)』という書にも多くの例証が掲げてある。(P.103)
「つぶらな瞳」は「円い目」ということなんですね。ウルトラマンシリーズ生みの親は「円谷英二(つぶらやえいじ)」。なるほど。
たとえば男子の頑丈な、背が低くてよく太っている者を、ヅングリムックリなどというのは、確かにいったんこの種の独楽の名を、通って来た後の形容語であろうと思う。(P.106)
また、ヅグリは別の地方ではドオグリと呼ばれるそうです。
円錐形に切るというのは中心に向かって先を尖らし、それを軸にして廻すことで、すなわち心棒を通さぬ我々の昔の独楽である。それをはっきりとドングリといっているのを見て、私は始めて東京の小児などが、樫の実をドングリと呼んでいる原因がわかったのである。(P.107)
動詞・形容詞の例を挙げましょう。
たとえば、私の子ども頃使っていた幾つかの動詞が、一つになってしまった事がある。私どもの地方では転び方に三つあった。アタケルというのは縁側などから落ちる事、マクレルは土手などの傾斜から転げる事、コケルは平らな所で躓いたりして立っているものが倒れる事であった。東京の子供には着物の汚し方は一つしかない。(中略)、ただ転んだというより他ない。(中略)。広島の痛いには三通りある。ニガルはしくしく痛むことで、腹がニガルなどという。ハシルは歯などの差し込むように痛むのをいい、歯がハシルという。ウズクは腫れ物などの痛むにいう。この区別のできぬような者は低能とされるのである。(P.619)
医者・歯医者に「どこが痛いんですか、どう痛むんですか」と訊かれて、「ここが、なんかこう、ズキズキというかズシズシというか、ジワジワというか・・・」、表現に困ります。医者には私の「痛み」はわからないのですから、「仕方がない」と思っていました。矢野茂樹さんが『哲学・航海日誌』で、
これはもはや、「他人の痛みはどうすれば分かるのか」という、いわば認識論的問い(いわゆる「他我認識の問題」)ではない。「他人の痛み」ということでわれわれはいったい何を考えているのか、その意味、その論理の問題(他我の意味の問題)にほかならない。(矢野茂樹『哲学・航海日誌』P.13)
として、哲学的に書いていますが、言葉の問題として捉えるなら、相手に「感情」「思い」「心持」「考え」などを伝える(分かってもらう)のが言葉ですから、伝わらない言葉は「不完全」です。
口語と文語
「話言葉」は一般的には「口語」ですが、武士・ヤクザの口上や、婚礼(冠婚葬祭)の挨拶、演説、などの「晴の言葉」は形も単語もほぼ決まっています。日本語の特徴と言われる「敬語」もある意味で形が決まっていて、それから外れると「笑われ」たり、「馬鹿にされ」たりします。「言葉が悪い」「頭が悪い」「ものを知らない」「態度が悪い」「場をわきまえない」「場が悪い」と言われるのです。この「晴れの言葉」は「公の言葉」でもあります。
それに対して「書き言葉」は一般的に「文語」ですが、これは明確に形が決まっています。代表的なのは「公文書」ですが、昔は漢文で書かれていました。漢字は「真名」、仮名は「仮の字」です。「女文字」とも言われていました。
日本の文章道の上で、いちばん重要なことは、漢字問題すなわち男文字の問題である。(中略)しかし、支那人と同じような漢文を書いた時代は短かった。日本人には漢文は巧く書けないのだから、後には漢文としては誤っている日本式の漢文となり、もっと下っては字だけでも漢字で書こうというようになって、こうした不文の約束は明治から大正の後までも続いて来た。(P.589)
それでも公文書は漢文で書かれていたし、漢文で書けばどの地方に住んでいる人でも(漢字を知っている人なら)読むことができました(発音、イントネーション、アクセントは違うかもしれません)。特に法的な文書は「地方には伝わらない」というわけにはいきません。
中国では、北京語と広東語ではまったく発音が違うそうですが、「毛語録」はどちらでも読めたそうです。その後、さまざまな「簡体字」の制定・普及などの変遷がありましたが、発音にかかわらず読めるというのは、漢字が「表意文字」だということが大きいでしょう。
漢字(文字)には「方言」が(ほぼ)ないのです。今日、文章を書くときはたいてい標準語で書きます(口語でも文語でも)。昔の文語・漢文と同じです。文章を書くという技術は、「ふだんの言葉(話し言葉)」の技術とは別です。
文章のみならず、演説でも、晴の言葉は、全国民一人残らず、皆標準語によろうと努力せぬ者はなかったのである。標準語の問題の起こるのは、話言葉、すなわち我々が呼吸と同様に無意識に、毎日口から出している口の言葉の上だけである。(P.556)
文法
コンピュータープログラムはプログラム言語の文法通りに書かなくては動きません。でも話し言葉は文法通りに話さなくてもいいのです。
言語から技術や形式を抽出したものが文法です。
いわゆる正しい文法は実は文章の上の問題であった。言語の第一次の用途は相手を動かすことで、これが偶然に法則に合い、もしくは法則を生み出すは格別、そんなことを考えつつ物を言っている者は、教師以外にはないのである。(P.274)
単語と文法がわかれば、外国語でも文章を書けますが、それは外国語を話す技術とは異なります。では、話す技術とは何でしょうか。
それよりも上手にまたは簡潔に、遺憾なく心中を人に語り得たという喜びを体験させて、だんだんに言葉を一つの生活技術として、磨いていく風習を盛んにしたいのだが、それには選択の能力とともに、できるだけ豊富な資材を供することが必要である。(P.461)
「心中を話せた」、そして「分かってもらえた」という経験がありますか。私は「話せなかった」、「分かってもらえなかった」という経験のほうが遥かに多いのです。「話せた」「分かってもらえた」という経験は、むしろ当たり前で、それで記憶に残らないのかも知れません。それが言葉の(話すということの)「役目(目的)」ですから。「通じなかった」「違和感を感じた」ということが、「方言に気づく」ということで、「自分の言語に気づく」ということでしょう。
でも、最近は特に「話せない」「分かってもらえない」という経験ばかりです。どこか「分かってもらえない」「伝わらない」ことを仕方のないことだと諦めています。
これは私がおかしいのかも知れません。人が言っていることを「本当の気持ちを言っているのか」と疑って、素直に聞けないからです。人が言っていること、その心中を納得せず、疑ってばかりいると、自分の心が冷えて縮こまっていく気がします。報道されること、つまり自分が見たり聞いたり体験したりしていないことは「基本的に」信じないようにしていますが、「特殊詐欺」などの報道は、さらにそれを強めています。「人の言うことを信じるな」つまり「私の言うことを信じるな」と報道しているのですから。「クレタ人は嘘つきだ、とクレタ人は言った」ということです。
目の前の人が言うことよりも、書物に書いてあることのほうが納得できます。
目の前の人が言うことで泣いたことがありますか。最近歳のせいか、ドラマを見て泣くことが多くなりました。ドラマや映画(それは役者の本心ではありません)を見て泣いた経験、それは「口語」ではなく「書かれたもの(シナリオ)」で感動することです。
日本語は語彙不足?
口語も口語、毎日の話言葉、ふだんの会話の日本語が、まちまちであるのが不便であり、また不体裁でもあって困るのである。文章は始めから統一している。目的によって形が変わるというだけで、誰が書いてどこへ持って行っても、通用しないというものはない。口の言葉も改まったものだけは統一している。(P.446)
「統一する」というのは、お上(政府)が「標準語を制定する」ということではありません。
日本語の語彙は今とても決して豊富ならず、新しい経験はいつも叙述の器物を溢れ、「言うに言われる」情感ばかりが、日ましに複雑になって、どんな粗末な表現の仕方でも、誰かがきっと真似するという世の中に、どうして惜しげもなく古いものは棄ててきたか。(P.316)
前述の名詞や動詞の例のように、心中(心持)を表現するために複数あった単語は、「言語の統一」つまり「標準語に統一」するために一つに(単純に)なってしまった、と著者は嘆きます。
全体一つの物事にただ一つしか語がないという状態を、結構なことだと思うのからして誤っている。我々はむしろなるべくいろいろな同意語または近親語を共存させ、一日も早くその中から、下品な不精確な語辞と用法との、消えてなくなるだけの機会を供与しなければならぬのである。(P.44)
とにかくに個々の国民の自主的なる選択によって、自然に選り出されていくものを我々は標準語にしたいのである。従って中央都市の語だからと言って、盲従模倣をする弊を防ぐはもちろん、一般に人真似ということをいやなことと思わせたい。それには東京のこのごろの新語や、または昔からの変わった物言いを、無邪気に批評させてみることも、練習になってよかろう。(P.460-461)
それよりも上手にまたは簡潔に、遺憾なく心中を人に語り得たという喜びを体験させて、だんだんに言葉を一つの生活技術として、磨いていく風習を盛んにしたいのだが、それには選択の能力とともに、できるだけ豊富な資材を供することが必要である。(P.461)
例は並べようとすればいくらもあるが、沖縄のような離れ島でなくとも、地方の生活事情や慣行の差にもとづいて、一つの土地に存し他処には対訳のない言葉はまだたくさんある。現に動詞や形容詞などは、生硬な漢字を並べて女子供に使えないのを取りのけてしまうと、大都市は普通の田舎にあるものの三分の一の語数も持っていないのである。単なる全国標準語化の前提としてでなくとも、標準語そのものを豊富にすることは、独立して目今の急務である。
我々の晴の言葉の機会はこの通り激増し、打ち明けたいと思う内の心持ちは、だんだんと細かくなって行くのに、これを表すべき単語は元のままといいたいが、むしろ安心のならぬ新語に取って代わられて、百年前に比べると大分減っている。(P.469)
方言を収集したり、研究したり、「方言集」を出版するのは方言を「否定」するためではありません。
収穫した稲を干すために、束ねて掛けるために木を組んだものを「ハセ・ハサ木・ハデ木」などと呼びました。私も手伝ったことがあります。今は見かけません。稲は乾燥機で乾かすのでしょう。
人はこの語によって悲しみ憂い、また考えることができたので、ちょうどそれに該当する言葉は、今は少なくとも東京語の中にはないのである。(P.565)
方言そのものの研究としては、まず消え残っている地方の言葉に留意し、それが現実に運ぼうとしていた心持が、果たして東京語なり今ある標準単語なりにも、伝わっているかどうかを検すること、そうしてもしなければこれからどうするのかを考えてみることにしたい。標準語を揚げて地方の言葉を尋ねるという採集手帖の方法は、こういう大切な部分を看過する懸念がある。(P.567)
言葉は文化とともにあります。文化の中にないもの(「物」とは限りません)は、それを表す言葉もないのです。農家、大工などの職業、馬を使う文化と牛を使う文化、それぞれに様々な言葉があるでしょう。別の文化にはそれがないのですから、それを表す言葉がなくても不便ではありません。ただ、「痛い」「嬉しい」「楽しい」「悲しい」などの感情(心中、心持)を表す言葉はどの文化にも必要だし、多分それらの違いを微妙に表すためには、言葉が豊富な方がいいと思います。単語が乏しい(数が少ない、単純)だと、それを表現する行為も単純になります。「腹が立つ」「憎らしい」「気に食わない」の中にも様々な種類(差)があるはずですが、それを「殺してやる」としか表現できない場合、行為もそれだけになります。そんな犯罪(戦争も含めて)が目につきます。
新語
日本語には、漢語として(漢字・仏教と一緒に)中国から輸入された語がたくさんあります。その後、日本で作られた漢字熟語もたくさんあります。日本で作られた漢字(国字)もできました。さらに江戸時代末期以降、西洋語の翻訳語が漢字でたくさん作られました。
言葉を「豊か」にするため、新語をどんどん作ればいいのでしょうか。
できた当座から新語字引を引かなければ、なんのことだか判らぬ新語を、勝手にのさばらせておいて何が標準語運動か。おおよそ分けのわからぬことをいう者は、今日のいわゆる知識人であると私は思う。(P.372)
新たに生まれた口語は、大部分が実は文語であった。多くの同時代人はこれを口真似するのがせいぜいで、意味までは掬(く)み取らずに時を過ごし、中には理解をもって到達とし、わかればすなわち信じてしまうという、経典に対するような読者があり、さらにひどいのは陀羅尼を覚えるように、意味の不明ということに功徳を認める者さえあった。(P.549)
国会議員の選挙が終わって、突然「比較第一党」という言葉を聞いたときには「えっ?」と思いました。「過半数じゃないけど、議員数が一番多い党だ」というのはなんとなくわかります。新語ではないようですが、聞いたことがありませんでした。でも「比較」しなくても「第一党」です。
「新しい物や新しい考え方には新しい名前が必要だ」。もっともらしいですが、「新しい商品には新しい商品名が必要だ」というのを言い換えているような気もします。
「新しく生まれた子には新しい名前が必要だ」。まあ、兄弟姉妹が同じ名前だと混乱します。でも、今はいない祖父母や会うことの稀な叔父叔母の名前なら不都合はありません。欧米ではわざと同じ名前を付けて、区別するときに「〜Jr. 」だの「〜二世」だのとしますね。日本でも歌舞伎役者や落語家は「襲名」して、「○代目」を名乗ります。
新語が必要だという思いには、「一つのもの(シニフィエ)」には「一つの言葉(シニフィアン)」が対応するという思い込みがあります。
一番気がかりな近頃の傾向は、方言にはことごとく標準語の対訳が、あるかとでも思っているらしい人の多いことである。(P.283)
この文章が書かれたのは昭和六年(1931年)です。小林英夫訳のソシュール『言語學原論』が出版されたのが1928年(1972年改訳『一般言語学講義』)ですから、柳田はきっと読んでいたでしょう(あるいはそれ以前に原書で)。
同じことが外国語の翻訳にも言えます。「パブリック」に対応する日本語は「オオヤケ」ではなく、「ワタクシ」に対応する英語は「プライベート」なわけではありません。「エネルギー」は法律名にもなっていますが、対応する日本語(翻訳語)はないのでしょうか。あるいは日本には「エネルギー」がなかったのでしょうか。「エネルギーの使用の合理化及び非化石エネルギーへの転換等に関する法律(省エネ法)」の前身は「熱管理法」(昭和23年)です。確認していませんが、「熱管理法」には「エネルギー」という文字はないでしょう。「熱」とか「燃料」なら日本人にもわかるでしょうが、「エネルギー」というのはわかりにくい言葉です。たぶん、西欧においてもその意味をわかっている人は少ないのではないでしょうか。
エネルギーの語源は古典ギリシャ語の「エネルゲイア」で「現実態」と訳されてきました。それと対応するのが「デュナミス(可能態)」です。この哲学用語が長い西欧の歴史の中で、近代に突然科学用語になったわけです。その後、科学用語が「日常語」になりました(エネルゲイアの意味はありません。ウヴェ・ペルクゼン『プラスチック・ワード』参照)。これは石炭や石油(あるいはウラン)などの燃料ではないし、「活力」や「栄養」でもないのです。アリストテレスは言います。
ところで、説明方式は幾つかの語から成らざるをえず、しかも定義するものは新語を造ってはならない(なぜなら、新語は人々に理解されないから)、しかるに既成語はその表すすべての事物に共通である、だからして必然に、或る事物の説明方法をなす諸語は、その事物より以外の事物にも属し適用される。(『形而上学』1040a、邦訳旧全集 P.260)
ソクラテスもプラトンもアリストテレスも、自分の考えを当時のギリシャ語で表すのに苦労したでしょう。でも、それを伝えるために「新語」を作ることは極力避けているのです。人に伝えるため(理解してもらうため)に「言葉」があるのですから、新語(聞く人の知らない語)を使うのは自己矛盾だからです(アリストテレスは、自分の考えが「新しい」とすら思っていなかったんじゃないでしょうか。彼は探求して知り得たこと ιστορἰα 、そして考えたことを語っただけだと思います)。
それと一つに説くのはひどいかも知らぬけれども、近年の外国語や粗相な翻訳語が、片ことのままで盛んに通用しているのも、半分の責任は相手の素朴さにあった。それどういう意味かと問い返すだけの勇気を、若い人たちに付与することが、国語教育の最初の要件であろうとは思っている。(P.212)
政治家や専門家が「耳慣れぬ言葉」を使ったとき、「それはどういう意味ですか」と問う勇気が必要です。「書かれたもの」に「問う」ても答えてはくれませんが。
言葉がさまざま(多様)であること
「バベルの塔」の話は有名です。みんなが同じ言葉で話していた頃、天まで届く塔を作ろうとした人間を神が怒って、互いの言葉を通じないようにした、という話です。ブリューゲルの絵(1563年頃)が有名です。
日本国内の方言(地方語)の話とはスケールが違いますが、言語に地域差があるのは、それぞれの地方の風土、文化、伝統などが異なっていることと同じです。その言葉が「どの様にできたか」「どの様に伝わったか」などよりも、「その言葉がその地域で十分に必要を満たしているか」こそが大切です。それは、その地方の人が変わるように(生まれたり、死んだり、他の地方に移動したり、他の地方から流入したり)、必要があればふえ、不要になれば使われなくなります。生活様式が変わっても、川の流れや雨量などが変わっても同様です。
そして、言葉に必要なことは、「その時、その地域・共同体で通じること」です。地球の反対側に住む人に伝わる必要はないのです。そのためには、その地域・共同体がある程度まで自立・自存していることが条件です。地域・共同体が他の地域・共同体に依存する度合いに応じて、他言語の知識(とその使用)が必要になります。標準語や共通語の必要性があるとすれば、それは地方(農村)が中央(都市)に、中央が地方に依存しているからです。これは対等な依存ではありません。地方(農村)は自立しうる(自立できた)からです。逆に都市は(特に近代都市は)食糧すら生産できないのですから、地方に依存(寄生あるいは搾取)しなければ存在できないのです。
地方を自立できなくするにはどうすればいいのでしょうか。つまり地方を都市に依存させるにはどうするか。それは地方の自立の基盤をなくすこと、共有地や共有物(コモン)をなくすことです。貨幣を流通させ(つまり賃労働を普及させ)、商品に依存させることです。そして、都市(商品社会)に対するあこがれ(欲望・尊敬)とともに、地方に劣等感をもたせることです。物だけではなく、学校(学問)、医療などのサーヴィスを求めるようにすることです。
地域で通用する言葉(方言)をなくすことも〈コモン〉の喪失(取り上げ・搾取)だと思います。
ラジオ
同時に、その宣伝(普及・開発・啓蒙)の手段として、新聞・ラジオ・テレビ、後にはスマホ・インターネットがあります。著者はラジオについて、
口で説かねばならぬ問題が年とともに増し、ラジオはまだ耳の文学を要求する。字を看てようやく合点する今までの国語教育が、ちっとも補修せられずにいたから、この期に及んで茫然自失しなければならぬのである。(P.464-465)
その次にこれは必ずしも計画でなかったろうが、ラジオが藪から棒に知らぬ人を引っ張って来て、しかも空気の向こう側で話をさせる結果、顔つきや挙動で弁舌の下手を補充することが絶対にできなくなったこと、いわゆる仕方語で心のない者を笑わせるような、馬鹿げたことのなくなったのが嬉しい。(P.514)
ラジオは「目言葉」ではなく「口言葉・耳言葉」、つまり「文字文化(視覚文化)」ではなく「口承文化(聴覚文化)」に近いと言っているように感じます。たしかに、ラジオは音だけだし、文字(本)は「見る(読む)」だけで、音はしません。ただ、ラジオが「文字文化」の中から生まれてきたもので、「文字文化」を否定するものではないことには注意が必要です。
私は落語は好きで、CDも何枚か持っています。「音」だけですが、それでも落語家の動きや表情が見えるように思えるのは、不思議です。そのうえで、「落語家の動きや表情」が見えなくても面白いのが、名人芸だとも思います。5代目古今亭志ん生の落語が好きですが、私は志ん生の映像はほとんど見たことがありません。志ん生落語の本ももっていますが、それは声すらわかりません。「鎮西八郎為朝」なんて言葉は、志ん生の江戸訛では聞き取れませんが。
マクルーハンは『グーテンベルクの銀河系』で、活字印刷という「視覚(中心の)文化」から、電気の時代、つまりラジオやテレビなどの「聴触覚文化」への移行(というより、感覚のバランスの変化・偏り)を書いています。「目は口ほどに物を言う」「顔に出る」「顔色を伺う」という諺があるように、言葉を「視覚・聴覚だけのもの」として捉えてしまうところに混乱が生じます。文字だけで心持を伝えたり、声(音)だけで思いを伝えたりすることは、不可能とは言えないにしても困難なことです。プロポーズのときに、声(あるいは文字、指輪など)だけではなく、時間や場所、雰囲気、動作、タイミングなどいろんなことを考えます。「その時・その場所・その物」という静的(断面・平面)なものではなく、「今・この場所」を含めた動的な「流れ(ものごと・過程)」全体を考えます。
今なら「 Line やメールでいいんじゃない?」という人もいるかも知れません。「視覚(あるいは物)中心の文化」「文字の文化」は、衰退しているどころか、その範囲を拡大しています。
流れる(そして消えていく)言葉は「文字」という「物」に固定されます。「ものごと」は時間の流れを含めて「静止」させられます。ソクラテスにとって「文字」によって知識を得たり、それを書いたりする人は、
(略)書かれたものは価値の少ないものだということを、みずからが実際に語る言葉そのものによって証明するだけの力をもっているならが、そういう人は、それらの書物からつけられる肩書で呼ばれてはならない。(中略)これを「知者」と呼ぶのは、パイドロス、どうもぼくには、大それたことのように思われるし、それにこの呼び名は、ただ神のみにふさわしいものであるように思われる。むしろ、「愛知者」(哲学者)とか、あるいは何かこれに類した名で呼ぶほうが、そういう人にはもっとふさわしく、ぴったりするし、適切な調子を伝えるだろう。(プラトン『パイドロス』278、邦訳旧全集 P.264-265)
ソクラテスは「文字」を信用していませんでした。
じっさい、パイドロス、ものを書くということには、思うに、次のような困った点があって、その事情は、絵画の場合と本当によく似ているようだ。すなわち、絵画が創り出したものをみても、それは、あたかも生きているかのようにきちんと立っているけれども、君が何かをたずねてみると、いとも尊大に、沈黙して答えない。書かれた言葉もこれと同じだ。(中略)それに、言葉というものは、ひとたび書きものにされると、どんな言葉でも、それを理解する人々のところであろうと、ぜんぜん不適当な人々のところであろうとおかまいなしに、転々とめぐり歩く。そして、ぜひ話しかけなければならない人々にだけ話しかけ、そうでない人々には黙っているということができない。(同書275、邦訳 P.257)
でも、書かれたもの・変わらないもの(固定されたもの)が悪いものだということでもありません。「万物流転(パンタ・レイ)」についてはこう言います。
いや、そればかりか、そのようなもの〔決して同一状態にないもの〕は、何者によっても認識されえないことになるだろうね。なぜなら、認識しようとする者がそれに近寄った瞬間に、それはもう別のもので別の性質のものになっているので、それがどのようなものであるのか、あるいはどのような状態にあるかは、もはや認識されえないだろうからね。そして、いかなる認識も、それが認識しようとする対象がいかなる一定の性状をももたないならば、これを認識することはないだろうからねえ。(プラトン『クラテュロス』439、邦訳旧全集 P.168)
古代ギリシャに流れ込んできたフェニキア生まれの文字は、商人の匂いがしていました。今の言葉で言えば「お金の匂い」がしていたのでしょう。プラトンになるとその嫌悪感はうすれ、アリストテレスでは、その雰囲気が感じられません。マケドニア支配下のスタゲイロス生まれのアリストテレスは、ギリシャ語が「コイネー ἡ κοινή διάλεκτος 」になっていくのを見ていました。つまり「標準語(共通語)化」です。標準語と文字とは相性がいいのです(商品と貨幣とが相性がいいように)。
柳田が「文語はもともと統一されている」と言いう所以です。文字は時間や空間を越え、ラジオのように「空気の向こう側」に声を届けます。でも、それは「言葉の一部」でしかありません。その一部を手がかりとして、読者(聞く人)は著者(話者)の「心中」を察し、補足し、「言葉全体」として理解しようと努めます。文字や音(つまり部分)を「全体」に翻訳するわけです。
それが可能なのは、「おなじ文化」つまり「おなじ言語」を持っているからにほかなりません。
この翻訳が必要でしょうか。この翻訳こそが「人の言葉数を少なく」しています。
たとえ読み書きは満点でも、物が言えず、暗記しかできず、腹では小さな子供ほどしか物が考えられず、いつまでも「言うに言われぬ」だの「名状すべからざる」だのをくり返すようでは、せっかく上品なよい言葉を、口真似させつづけた甲斐がありませんからね。(P.510-511)
今、ものの見方には三つあると思います。一つは、本や絵画を見る見方です。そこに「何が書かれて(描かれて)いるか」ではなくて、その「作者の心情」を見よう(読み解こう)とするものです。抽象絵画にはそれが強い気がします。ニ番目は、(アイドルなどの)アクリルスタンドや写真集を見る見方です。アクスタを作った人の心情やカメラマンの心情を見るのは特殊な人で、あるいはどの様に作られたのか、どんな素材で作られているのかでもなくて、それを通して「アイドルそのもの」を見る見方です。三つ目はどんな素材で作られているのか、製本技術や紙の種類などを見る見方です。食べ物や飲み物については最後の見方が中心ですが、三つの見方のバランスは人によって違うでしょう。
アクリルスタンドを「アクリルの塊」、本を「紙とインクのシミ」、絵を「キャンバスと絵の具」と見る人は少ないと思います。仏像を「削った木」とは思えません。ラジオを聞く時、ドラマを観る時、その「空気の向こう側」には、ディレクターや音響、カメラマンなどのスタッフが居ることはあまり考えません。BGMすら現場で鳴っていると思っています。役者は雑音がある中でカメラに向かって演技をし、マイクに向かって話しているのですが、それを自分に向かって話していると考えないと白けてしまいます。写真集のアイドルも、自分に向かって微笑んでいるように思うのです。
ラウコオー洞窟の壁画(約2万年前)に書かれた牛は「牛」なのでしょうか「牛の絵」なのでしょうか。多分、「牛」と「牛の絵」との区別はなかったと思います。
「ゑ」は「絵」の呉音である。日本語には字をさすことばがなかった(今もない)と同じく、絵をさすことばもなかった(ない)。「ゑにかく」は「ピクチャーにかく」のような言いかただが、遠江の庶民も知って使っているのだから日本語のなかに定着しひろまっていたのだろう。都辺(みやこ)の知識人も絵のことは、ほかに言いようもなさそうだから、「ゑ」と言ったのだろうが、外来語という意識があるから歌のなかで使うのははばかったのだろう。(高島俊男『漢字雑談』P.243)
字(漢字)は、表意(象形)文字なので「意味」があります(アルファベットも元は象形文字です。「 A 」は「牛 ox 」です。でも、「 A 」に「牛」という意味はありません)。ですから、文字には「力(ちから)」があります。「牛」という文字と「ウシ」という音(声)と「実際のウシ」との関係は文化ごと(時代ごと)に違います。「牛の絵」も同様です。ソシュールの「シーニュ(シニフィアンとシニフィエ)」は、その一部(ある時代のある文化の言語に関する事柄・関係の一部)を表したに過ぎません。
聖書やイコンは「文字」や「本」や「絵」ではなくて、「神の言葉・世界」を覗くための「敷居」(イリイチ)でした。「書かれている(描かれている)もの(物)」と「書かれている(描かれている)こと(事)」は分けられませんでした。仏像とそれを取り巻く寺院は「仏の世界」「仏の教え」とは分けられませんでした。その感覚はアクスタや写真集に「アイドル」を見る見方に近いかも知れません。
書かれ(描かれ)たものに、書いた(描いた)人の心情が表れているという見方は、イリイチによれば12世紀のヨーロッパに「黙読」とともに現れたのです(視覚と聴覚の分離)。そしてそれは同時に「見る人(読む人)」という「自我(私の心情)」を生み出すのです。
本が著者の心情を表すものだとすれば、問題なのは「内容」であって、「容れ物」としての本は内容とは関係なくなります。これをイリイチは「本のテキスト化」だと言います(イリイチ『テクストのぶどう畑で』)。この事があって、始めて「活字印刷(活版印刷)」が可能になるのです。容れ物が文庫本になろうが、写真になろうが、コピーになろうが、内容が失われない限り問題にはなりません。それがラジオになり、映画になり、テレビになっていき、1980年代以降は、「容れ物(実物)」がない「デジタル(=データ)」になりました。
活字が頭脳と心とを分離したということが、マキャヴェリ以来現在までヨーロッパ人に影響を及ぼしている精神的外傷の原因である(マクルーハン『グーテンベルクの銀河系』、旧邦訳 P.332)
しかし、活字印刷が可能だったのは、イリイチの言う「本のテキスト化」が前提にあると思います。
「表れたもの=シニフィアン(声や文字)」と「表すもの=シニフィエ(意味)」との分離は、言葉と「心情(思い)」の分離です。これは言語(記号)の本質ではないし、ある文化のある時代に特殊な「ものの見方・考え方」でしかありません。この分離は「語彙を増やせば解決できる」というものではありません。
同語意識
訛語と方言の差別は歴史的にもよく立っている。前者はすなわち同じ一つの言葉の、外から来た者にはよく認められる言い方のちがいであり、後者は通弁を要する知らぬ語であったのである。これを混同して考えている限りは、地方語の起こりなどは答えようがないかも知れない。
訛語は元来客観に基づく名であった。外から聴く者にはこれを指示することがはなはだ容易であるに反し、内に住する人々にとっては、往々にしてその範囲を決しがたかったのは、それが差別の新たなる発覚を前提とし、私のいう同語意識の破壊を意味したからである。(P.310)
「同語意識」はいわゆる「同族意識」「内輪意識」です。同じ言葉を話す仲間、心が通じ合う仲間です。別の言葉でいえば「共同体(コモン)意識」です。これは〈コモン〉(共有物・共有地)がなくなることで消滅していきます。〈コモン〉がなくなるということは、それらが誰かの「占有物」になるということです。その「誰か」という外部が立ち顕れるところに「自・他」の区別が生じます。自他が顕れることで「一体化意識」が薄れます。
「容れ物」と「内容」の区別は、道具とその使い手の区別であり、自と他の区別です。
いうまでもないが、言語も一つの社会事物である。我々が主で、言語は従である。換言すれば、言語は我々の道具で、我々の生活するために具(そな)わっているものである。(P.581)
言葉を「道具」として見る視点こそが、「言葉と心情の分離」なのです。
言葉を道具としてその「使い手」から分離することこそが方言の問題であり、標準語(共通語)という幻想を生み出しているのではないでしょうか。
文化の展開をその障碍の側面から見て行くと、常に生物の成長と同じように、最も抵抗の少ない楽な方面に進んでいることが目に着くが、その中でも言語がことに環境の威圧に鋭敏であったのは、おそらくはそれがいつの場合にも手段であり器械であって、後代の文人接客のごとく、意識してその最上の利用を完成しようとした者がなかったためであろう。(P.150)
「成長」と「進化」は違います。成長はいわば「未完成」から「完成」へ、そして「崩壊(消滅)」へとの変化です。
言葉は変化します。でもそれは「未完成」から「完成」へと変化しているわけではありません。現代日本語が江戸時代、平安時代より「完成」に近づいているなんて言うのは思い上がりでしかありません。絵画より写真が、写真より映画が、映画よりテレビやパソコンが「完成している」などとは思わないでしょう。いや思っている人がいるかも知れません。私は若い頃、自分の親よりも、祖父母よりも「進んでいる」と思っていました。でも、年齢が増すとともにわかりました。ちっとも進んでなんかいないのです。いや、「生きる力」に関してはむしろ「劣っている」と感じています。世界が(文化が)進んでいると思うとしても、それと引き換えに「生きる力」、自立・自律・自存する力は衰えてきています。気象変動や戦争の報道がされています。そのときに気になるのは、電気・水道・医療・学校などがなくなって大変だということです。どうして電気がなくなると「命に関わる」のでしょうか。半世紀(あるいは一世紀)前には、そんなものはないのがあたりまえでした。私はイスラエルの侵攻を強く避難しますが、ガザ地区の惨状、食料や医療の不足の映像は、どこか違和感があります。ガザ地区の住民は半世紀前にはどの様に食料を得ていたのでしょうか。その当時に病院や医療品が豊富にあったのでしょうか。私は中東に行ったことがないので、その頃どんな生活をしていたのかはわかりません。ただ、鉄筋コンクリートやビニール袋と引き換えに、人々の生きる力が失われているように感じるのです。
永い一生の間にしみじみと感じたことは、人が心を語る力の、おいおいと衰えていくらしい傾きであった。書いたもののきわめて乏しかった時代の方が、はるかに今よりも常人の心が、読みやすかったということである。(P.443)
「ベーシック・イングリッシュ」はチャールズ・ケイ・オグデンが1920年代後半に提唱したものです。基礎語850語と簡単なルール(文法)からなっています。ジョージ・オーウェルの『1984』に出てくる「ニュースピーク(新語法)」は、
われわれの言葉と比較した場合、ニュースピークの語彙は僅かなものであり、さらにその数を削減しようとする新しい方法がたえず工夫されていた。ニュースピークはまさしく、年毎に語彙が増加するよりも減少するという点で他の言語体系すべてと異なっていたのだ。一語減ればそれだけ効果を増大させることになった。選択の範囲が狭まると、それだけ物を考えようとする誘惑が減るからであった。(『1984』ハヤカワ文庫、P.403)
「サピア・ウォーフの仮説」(言語的相対性原理、サピア1920年代、ウォーフ1940年代)を持ち出すまでもなく、私たちの考え方は使う言語に規制されています。
単純な言語は思考を単純にする、というような単純なことではありませんが、言語の統一が「地方差をなくす」ということであれば、「共通する部分」以外が捨てられていきます。捨てることを強要されるのです。世界中で町並みや風景が同じになり、どこへ行っても「コカ・コーラ」が飲めるようになります。「コーラ」といえば「コカ・コーラ」の味を頭に浮かべるようになります(国によって、コーラの味は違うそうです)。全国(全世界)で観光資源の開発が必須になり、地元の風景は「一個の商品」に変わり、結果として地元の人が「立入禁止」になることも多いのです。作られた商品としての風景は、いずれ飽きられ、最後には廃墟になります。
規格化された商品は、「誰でも使える」「誰にでもフィットする」ものでなければなりませんが、結果として「誰も使いこなせず」「誰にもフィットしない」ものにならざるを得ません。そして、商品は「物」としての寿命が来る前に、「機能」として使えなくなります。アナログのテレビ、3Gの携帯電話の多くは、故障する前に廃棄されました(アナログのラジオ放送もなくなりそうです)。
「多様性」(何にでも「〜性」を付けるのはニュースピークの「 -ful 」のようなものですが)は「ダイバーシティ」という語に代わり、「差異」「差別」など多様な言葉をなくしていくでしょう。「ジェンダー平等」は「男女平等」の意味を不明確にしました。「ジェンダー平等は男女差別を増幅する」という文章を理解する人はもうすぐいなくなりそうです。「エコ」は「エコロジー」と「エコノミー」の差別をなくして、ガソリン自動車を廃車にするでしょう。
言語変化という問題
言葉は変化には方向性があるのでしょうか。多分ありません。たとえば「 p 」「 ph 」が「 f 」「 h 」に(あるいは逆に)変化する「傾向」があるのでしょうか。日本語や古典ギリシャ語などの幾つかの「歴史がわかる」言語だけで、「言語変化の法則」を導き出そうとするのは、あまりにも非科学的です。実験もできないし、現実として多くの言語で(日本語を含めて)「 p 」「 h 」は残っているのですから。
それを「進化」だの「正しい言葉」だの「制定」だのというのはおかしいのです。
第三には、いわゆる標準語は、時代に伴のうて変わって行くということ、これも私などは当たり前と心得ているのだが、制定などという語を使う人の中には、あるいは国中でいつまでも守れるようなものを、きめておこうという念慮がありはしないか。この点を明らかにした上でないと、国語統一の方策は立たない。(P.451)
コセリウは、
言語は変化することによって創られ、変化することをやめるときは、その状態のままで「死滅」する。(コセリウ『言語変化という問題』岩波文庫、P.409)
と言います。言葉は「確実」で「固定的」なものではないから、意味を表します。私が「頭が痛い」という時、その言葉が意味があるのは、それが日本語文法にかなっているから、あるいは個々の単語が一般に使われているからではなく、その言葉によって「自分」「相手」などが「なにか新しい状況になる(変化する)」からです。その可能性があるからこそ、言葉(話すこと・書くこと)は意味をもつのです。それが聞き手にとって、知らなかったこと・気づかなかったことであったり、知っていても状況が変わっただろうことが分かったりするのです。「頭がズキズキする」「頭痛だ」など、あらゆるものから、「頭が痛い」じゃないものではなくて「頭が痛い」という言葉を選ぶこと、そこに人間の意志や自由の根本があるとコセリウは考えているようです。
言葉は「生成(創造・変化)」です。ギリシャ語の「ゲネシス γένεσις 」は「白く成る」「おとなに成る」(転化・変化、存在から存在)という意味と、「子どもが生まれる」(生じる、非存在から存在)と両方の意味があります。日本語の「生成」は「無から有(非存在から存在)」に重点がある気がします。日本人にとって「無(仏教的にいえば空)」というのは、それほど不思議な考え方ではありません。でも、「アリストテレスは真空を嫌った」と言われるように、アリストテレスは「可能態(デュナミス)が現実態(エネルゲイア)した」(可能性が現実となった)と「変化」の方に重点があったように思います(だから「生成変化」と言う日本語は別の意味の結合です)。もう少し詳しくいえば「出来上ってしまった(現実になってしまった)」というより(そういう意味でもあるけど)、出来上がりつつある(今現に現実化している)最中なのが「エネルゲイア」です。寝ている大工は「デュナミス」として大工で、「働いている最中」が「エネルゲイア」としての大工です。
しかし、絶え間なく(一回こっきりではなく)その機能によって規定され続ける生きた言語は、できあがったものではなく、具体的な言語活動によって常にできつつあるものである。つまり、言語はエルゴン〔製品・作品〕ではなく、エネルゲイア〔ちから・作用・活動〕であり、よりくわしく言えば、一つのエネルゲイアの「形式」であり「作る能力(ポテンシア)」である。(前掲『言語変化という問題』、P.46)
「ポテンシア」は「デュナミス」のラテン語訳です(エネルゲイアはアクトゥスでは表現できなかったのでしょう。デュナミスは「ダイナミック」に、そして「ダイナマイト」になっちゃったし)。コセリウが言いたかったのは、共時態としての、つまり「平面的(断面的)な」「固定した」言語あるいは文法というものを「仮想」することはできるけど、現実の言語(言語使用)は絶えず創られているということです。
方言、地方語、あるいは少数言語と言われるものが話されている地域、あるいは文化は「共同体的」であると言われます。
日本において、地域、あるいは「村落共同体」は衰退しつつあると言われます。共同体(共同社会、コミュニティ community、Gemeinde )という言葉は、一般的なのでしょうか。「運命共同体」なんて言葉もあるので、一般的なのでしょう。「コミュニケーション」は当たり前の言葉ですが、わたしはどうも「コニュミケーション」と覚えてしまっていて、自信がありません。「コミュニケ(共同声明、 communiqué )が発表されました」などと報道されることがあります。〈コモン common 〉はどうでしょうか。あまり聞き慣れない単語かもしれません。この系統の単語は、英語やフランス語を小さい頃から使っていないと、きっとニュアンスがわからないのではないでしょうか。
私のイメージは、農村(あるいは村落)の社会・人間関係は「閉鎖的」で「変化を好まない」、つまり「固定的・静的」ということです。そして「閉鎖的・保守的」だからこそ方言が存在するのだというものです。明治以降の「文明開化」「啓蒙」、戦後の「民主化」は、その「閉鎖性」を打ち破る(つまり共同体性を打ち破る)ということで「発展」していくという見方をしていました。「わたしゃあ、生まれてから一回もこの村を出たことねえ」という話を、そうなんだなあ、と聞いていたわけです。
山や峠の向こうには鬼が住み、子供(男の子も女の子も)がそこを越えないように仕向けました。でも、それは「村のタブー」ではありませんでした(「神聖な場所」ということとは違います)。冒険心(探究心・興味・憧れ)はそこの向こうを向いていただろうし、大人も村の中だけで生きているわけではなかったからです。
村の女性が「他所者・旅人・行商人(・たまに研究者)」に恋をする(結果、村から出ていったり、子供を儲けたり、死んだりします)」という昔話をよく聞きますが、それは男性の「妬み」でしょうか、女性の「願望」でしょうか。それとも別の意味があるのでしょうか。
峠の鬼を「追い剥ぎ」、山の鬼を「山賊」だという人もいます。それもあったでしょう。でも、「鬼がいる」という大人は、その山や峠の向こうに、自分たちと同じような人びとが、同じような生活をしていることを知っていたし、多分日頃からなにかのつながりがあったはずです。
峠や山の向こうが「〇〇村〇線〇号」、こちらが「✗✗村✗線✗号」になってしまえば、子どもに鬼の話をすることはできません。
モースによれば、その逆がただしい。すなわち、過去の人間は(現在以上に)大いに旅をしていた。とすれば、遠方への一、二ヶ月にわたる旅の立ち寄り先で、かご細工、羽毛枕、車輪のようなものが常用されていたとして、そうした物品をだれも知らないということは端的に考えられない。(グレーバー、デヴィッド・ウェングロウ『万物の黎明』邦訳、P.196)
古代の、いや、人間が人間になった頃から、人びとは長い旅をしていました。自分の村(バンド)を離れて、何百キロあるいはそれ以上の旅をしました。昔、山口県の大島や、北九州の若い娘は、瀬戸内海を縦断して大都会に何年か奉公していたそうです。そして地元に帰って来るのですが、その時には都会の言葉や物、あるいは文化も村に持ち込んでいるはずです。でも、それは採用されませんでした。宮本常一か誰かの本で読んだのですが、この地方同士の交流に、私は「違和感」を感じました。「村は閉鎖的」という先入観があったからです。
ある文化が「採用・不採用」(「借用・拒絶」)されることについて、グレーバーらはグレゴリー・ベイトソンの言葉を借りて「分裂生成」といっています。
先に述べたように、分裂生成とは、たがいに接触している社会が、おたがいを区別しようとしながらも、結局は共通の差異のシステムのうちで結合することを意味している。(同書、P.204)人は、近隣の人間たちに対立させてみずからを定義するようになるのである。(中略)イギリス人はできるかぎりフランス人のようにならないように、フランス人はできるかぎりドイツ人のようにならないように。なによりかれらはみな、議論するさいにはたがいの差異を誇張するものなのである。(同、P.66)
グレーバーらは、アテネとスパルタの関係などにも言及しています。お互いに「おれたちは、あいつらとは違う」「あいつらが悪い見本だ」ということで、「同族意識」「内輪意識」、あるいは「共同体意識」を高めるということです(その論理は同じなのですが)。それに大きく役立っているのが「同語意識」です。若者が「若者言葉」を使い、不良が「不良言葉」を使うのは、専門家が「専門用語」を使うのに似ています。他の言葉を「知らない」から使わないのではなく、「知っている」からこそ、その言葉を使わないのです。
なるほど、と思います。津軽弁がわかる人は、津軽弁を聞けばどの村の出身か、その村のどの地域の出身かまでわかるそうです。標準語はそういう差異をなくしていきます。この説に従えば、ある村は別の村との違いを強調して、共同体の結び付きを強めるということになります。「言語は差異の体系だ」ということを共同体(文化全体)まで拡大したとも言えます。それでは、地方と都市の間にも同じことが言えそうです。実際、半世紀前まではそういう意識が残っていたように思います。相互に「おれたちは、あいつらとは違うんだ」と考えて、自分たちの生き方に自信をもっていたのです。資本家(金持ち)と労働者(貧乏人)にも同じような思いがありました。もちろん、地方には都市に憧れる人がいたし、都市には地方に憧れる人がいました。
でも、次第にその憧れは一方的なものになっていきました。みんなが都市に憧れ、金持ちに憧れるようになっていったのです。それが方言の衰退と歩調を合わせているように見えます。
なぜ、ASDはテレビや映画のキャラクターを模倣できるのでしょうか。彼らが模倣することばやアクションは、彼らにとって強い興味を引くものであり、しかもビデオなどで再生して自分の好きな場面を何度も観ることができます。行為者の心的状況は理解できなくても連合学習的にそこに見られるパターンを検出し模倣するようになります。(松本敏治『自閉症は津軽弁を話さない』P.154)
共通語圏では周囲の人々からことばを学ぼうがテレビやビデオからことばを学ぼうが、結果的に同じ共通語になります。そこでは定型発達(TD)の子供とのあいだに、方言を使用する地域でみられたような差は認められなくなります。(P.216)
たまたま、方言主流社会では、ことばの学びの差が方言か共通語かという形ではっきりと見えただけなのです。(P.217)
テレビやラジオ、あるいは「本(文字)」が持つ力です(それは、もともとは「言葉」がもつ力です)。それらには、基本、方言が登場しません。そして、テレビ・ラジオ・ネット動画(ネットニュース)などは、定期的(場合によっては数分に一度。それは「お金」を出せば観なくて済むようになっています。サブスクやNHKの受信料など)に「新商品の宣伝」がなされます。標準語は「商品」と一緒に流通するのです。
普段は自分が「日本語」を使っていることを意識しません。方言を使っていることも意識しません。意識しないから使えるのであって、意識しながら使うのであれば「方言を標準語に翻訳する」ことと同様、スムースに話せなくなる気がします。それを意識しないことが「共同体」があることなのではないでしょうか。
「差異」とか「定義」という言葉には、どうも近代西洋的自我意識の投影がある気がしてしまいます。『万物の黎明』に出てくる「わたしたち」は、現代の西洋社会(西洋文化の中)に住む人々であるのは当然(著述に必要)なのですが、それが「かれら(アメリカ先住民や新石器時代人など)」を語るとき、その視線は「わたしたち」を離れて、「神の視線」に近づくように思えるのです。それは私がまだ『万物の黎明』を理解していない(じつはまだ半分も読んでいない)からなのか、「著述上(学問上)」の必然なのか、わかりません。
言語は話し手によって、「意図(目的)的に創られ」「意図的に言い換えられ」「意図的に新語を創ったり間違えられる」ということです(フロイトなら「無意識に間違える」と言うでしょうが)。話し手は、言語を「改新」します。聞き手は、ある場合にはそれを「採用」します。、
改新とは言語(ラング)をのりこえることであり、採用とはデュナミス(言語的知識)としての言語をそれらの超克に適合させることである。(コセリウ、前掲書、P.120)
話し手にとって可能性であった言語は、聞き手に採用されることで現実性になり、それによって次に話す時の可能性となります。「採用するかどうか」、それは「次の話し手」であろう聞き手の意志によります。「何言ってんだ」「言い間違いじゃないのかい」と言われないためには、話し手はやはり言語体系の中で話さなければならないのです。
りこうな近頃の犬は顔を視る。そうして主人もまた相応に、喜怒を色に表すようになっている。人と犬との間の言語の必要は減退した。もしくは単なる標準語をもって、用を弁ずる可能性が加わった。(P.198)
言語が使用者の制定に出でたもので、聴き手の発行した約束手形でなかったことは、牛言葉、犬言葉の例を採れば証明しやすい。(P.199)
たまたまテレビを点けたときに、外国の少女が映っていました。彼女が何を言っているのか、全然わかりません。少しして犬が現れました。彼女は犬を呼んでいたのです。
実際また少しく語気を強くすれば、カーと言ってもコーと言っても、従順にその歩みを止めかも知れない。彼等に対してのみは一農夫もすなわち君公であって、いわば完全に新語制定の権能を掌握しているのである。(P.184)
津軽弁で話しかけても、沖縄弁で話しかけても、英語で話しかけても、なんか犬には通じそうな気がします。主人が悲しそうな顔をしていると、そばに寄ってきてほしいですよね。逆に野生動物にも方言がある、と書いている人もいます。これもありそうです。また、動物が発するのは「言語ではない(あるいは完全な言語ではない)」という人もいます。
未開人という言葉は「人間ではない(劣等、後進、あるいは発展途上の人間だ)」という意味合いがあります。あるいは石器時代の人間は「未開人と同じような生活や考え方をしていた」というイメージもあります。
標準語を話す人は方言を話す人を見下しがちです。ドイツ人が自分たちはフランス人とは違うという思いは、アウシュヴィッツにつながっていきます。それはドイツ人(ドイツ語)だけの問題ではありません。
その講義のなかでかれ(テュルゴー・・・引用者)は、この持論を明快なる経済的進歩の段階論へと発展させている。すなわち、社会の進化は、つねに狩猟者からはじまり、牧畜、農耕を経て、現代のような都市商業文明の段階にいたる。狩猟民族、羊飼い、素朴な農耕民族のままの人たちは、社会的発展の前段階の名残であると理解するのがよい。(前出『万物の黎明』邦訳、P.69)
テュルゴーの事例は、わたしたちが啓蒙思想の核心と考えている、文明、進化、進歩といった概念が、実際には批判的伝統のなかでは比較的後発のものであることをあきらかにしている。なによりも重要なのは、これらの観念の展開が、先住民による批判の力への直接の応答としてあったということである。(同、P.71)
テュルゴー( 1727年5月10日 - 1781年3月18日 )は、ジャン=ジャック・ルソー( 1712年6月28日 - 1778年7月2日、『人間不平等起源論』1755年)と同時代の啓蒙主義者です。今でも多くの人がそうだと思っている社会進化論(中身は経済進化論)は、このような起源を持ちます。狩猟採集民(狩猟採集社会)は、「未開の」「発展の前段階で止まったままの」社会である、という考え方です。
言語学者はそんなことはない(はずな)のですが、志賀直哉が「日本の國語程、不完全で不便なものはない」(「國語問題」1946年)と書いたのを鼻で笑っている人も多いかもしれません。日本は「翻訳大国」ですから、チョーサーの『カンタベリー物語』も、アリストテレスやプラトンも、『源氏物語』も翻訳(現代語訳)で読むことができます。でも、なんか違う、というか理解できないのです。私は「可能、現実」「文明、進化、進歩」などの言葉(だいたい翻訳語)が持つ原語の意味を理解できないのです。翻訳者が「意図的」に訳したとは思えないのですが、ヘブライ語の「旧約聖書」が古典ギリシャ語に訳されたとき、プラトンやアリストテレスの古典ギリシャ語がラテン語に訳されたとき、それらは新しい言語の範囲内で(つまり新しい文化の範囲内で)訳されたことは間違いありません。そうでなければ理解されないでしょうから。
志賀直哉の意見が「正しい・間違っている」ではなく、「仏蘭西語のほうがより完全であり、より便利である」という発想(考え方)そのものが近代西洋的(進化論的)だということです。
方言は「未完成な標準語」ではないし、「不便な言葉」でもありません。
標準語(あるいはエスペラント語のような人工言語)が、「より進んだ」言語ではないということです。オナガザルが尾で木にぶら下がっているのを見て、尻尾があるなんて、未完成だ、発展途上だとは思わないでしょう。尻尾がない代わりに言葉を話すこと、それが人間であり、それは(進化論的に)進んでいることでも、遅れていることでもありません。
どの時代の、どの言語も、それ以前、あるいはそれ以後の言語より進んでいたり、遅れていたりするものではないのです。まして別の言語と比べて「こちらの言語のほうが進んでいる」などと言えるものではないのです。
方言に劣等感をもったり、標準語(東京弁)に優越感を感じたりするのは、東京は「進んでいる」「東京にはお金と商品がある」というのと同じことなのです。方言が劣った、汚い、下品な、低級な(あるいは貧しい)言語だというのは、「地方が貧しい(お金や商品がない)」と言っているのです。地方より東京が進んでいる、北朝鮮、ベトナム、チベット、ウガンダ・・・よりも日本が進んでいるという思いこそが近代西洋的なのです。
東京など、大都市に住む人がそう思ったとしても、地方にいる人が「経済的に発展して東京に近づこう」「標準語を話し、英語も話せるようになろう」「方言は標準語よりも劣ってるから、日本語は英語(フランス語)よりも劣っているから」と考える必要はない、ということです。
残念なことに、方言が東京弁と違うことが、同族意識にはなれません。地方があきらかに自立(自律)していない(〈コモン〉が失われている)からです。「ふるさと」というのは否定的な意味、童謡(あるいは昔話)の中の世界になりました。誰もが「生きるための根」をいしない、根無し草になりました。都会に住んでいる人もです。〈コモン〉を失った中で生きるというのはそういうことです。
同族外(共同体外)の人と話すため、文語のような標準語を知ること、方言をなくして日本国中を同じ言葉にしようと考えること自体が近代西洋的なのです。「地方再生」が必要だとするなら、まずは方言を再生すること、そして都市への依存(つまりお金や商品・サービスへの依存)をなくしていったほうが、日本は「豊かな国」になると思います。
隣の家に歩いていけるのに、自動車はいりません。隣の家に行ければ、電話やスマホがなくても話ができます。自立するための分野がどんどん減っています。何が、お金や商品がなくてもできるのか、それは考えること・想像することが可能です。50年前、100年前はそういう生活をしていたのですから。200年前は「標準語」などなかったのですから。
アメリカ先住民がヨーロッパ人を批判したこと、それは「お腹が空いている人に食べ物を与えない」ということです。アメリカ先住民のクランには、多くのクラン外の人たち(言語も違う)がいたそうです。かれらは、長い旅をしたのです。言葉が違ってもそこで生活できる(婚姻関係も持つことができる)というのは、旅先で食糧が必要なときは得ることができたということです。それがかれらの「自由」を支えていました。「旅をすることが可能である」という自由ではなく「実際に旅する」自由です。日本では、基本的に移動(旅)に制限はありません。でも、働いてお金があるときには時間がない、時間があるときにはお金がないのが日本です。
日本でも、お遍路さんや、お伊勢参りの人が「食べ物」や「泊まる所」に困ることはありませんでした。托鉢という修行が成り立つための「助け合い・慈悲」がありました。それがほとんど失われつつあります。人はそれを「福祉」という名で行政や中央に求めています。結果として、それらは商品・サービスとなります。ケアはサービスになり、「助け合い」は、使用料や保険料、あるいは税金という「お金」に還元されてしまいます。「情けは人の為ならず」の意味が変わっているそうです。困っている人に手を差し伸べる、ということではなく、困っている人にかかわらないという態度です。
罪とは、あのサマリア人とユダヤ人の間に存在を始める関係、つまり、自由の行使を通じて、わたしがあなたに呼ばれ、あなたの下に呼ばれてこの人間同士の間、あるいは人間と神の間に結ばれる絆を結ぶよう呼ばれたと感じるためにある種の「当為」を構成するという関係に、敬意を払うことを拒否することです。罪はですから、(中略)いかなる意味においても法の違反ではありません。いつも一人の人間に対する違反なのです。それは一つの不実です。しかし、それを犯罪化することによって、最初の千年紀にあった罪の感覚は変わります。それは規範の違反となります。(イバン・イリイチ『生きる希望』邦訳 P.318)
柳田は、方言が優れている(劣っている)と言っているわけでも、標準語が優れている(劣っている)といっているわけでもありません。かれ自身が抱いたであろう方言への劣等感、そして「言語の統一」という発想そのものが、近代西洋的なんだろうと思います。
[出演者]
柳田國男
( やなぎた・くにお )
柳田 國男:(1875―1962)兵庫県に生まれる。幼少年期より文学的才能に恵まれ、短歌、抒情詩を発表。東京帝国大学を卒業後、農商務省、貴族院勤務を経て、朝日新聞社に入社。勤務の傍ら全国各地を旅行し、民俗学への関心を深める。1909年、日本初の民俗誌『後狩詞記』を発表、以後『遠野物語』から晩年の『海上の道』に至るまで多大な業績を遺す。
解題
『方言覚書』は、昭和壱拾七年五月、創元選書90として刊行。
『国語史新語篇』は、昭和十一年十二月、刀江書院より『国語史』第十二巻として刊行。
『標準語と方言』は、昭和二十四年五月、明治書院より刊行。「日本方言学会の創立にあたりて」は、昭和十五年十月十三日、日本方言学会創立大会における挨拶である。
「国語史論」は、昭和八年七月二十七・二十八日、長野県筑摩郡教育会国語学講習会における講演である。
