脱病院化社会 医療の限界 イヴァン・イリッチ著 金子嗣郎訳 1979/01/30 晶文社

脱病院化社会 医療の限界 イヴァン・イリッチ著 金子嗣郎訳 1979/01/30 晶文社
「痛み」は万国共通?

「怪我をしたら、だれでも痛い」。それは、文化や時代に関係なく「事実」だと思ってしまいます。江戸時代の切腹は、(実際に見たことはありませんが)痛かったんだろうな、と思います(遠藤賢司の『カレーライス』は、三島由紀夫の割腹自殺を扱った曲です)。

「痛い(痛かった)んだろうな」

私はお酒が大好きです。ベロンベロンに酔っ払って転ぶこともありますが、その時はあまり痛みを感じません。翌日起きて「なんか痛いな」と思ったら、怪我をしていたことが何度かあります。酔っ払っていなくても、

性のクライマックス近くで受けた傷は、英雄的行為による傷と同様しばしば感じられないのである。(P.106)

「自国(お国)のため」とか、「社会正義のため」「仲間のため」「家族のため」・・・、「火事場の馬鹿力」といいますが、状況によって痛みや苦労が変わることを経験したことがある人も多いのではないでしょうか。

イリイチは、「痛みをどう感じるか」「痛みにどう対処するのか」は、文化的なものだといいます。

脳によって受け取られた痛みの情報から生じる痛みの経験は、その性質と量において、遺伝的所与およびその刺激の性質と強度のほかに、少なくとも四つの要素、すなわち文化、不安、注意、解釈に左右される。これらのすべては、社会的決定要因、イデオロギー、経済構造、社会の性格によって形づくられるのである。子供が生まれたとき、母か、父か、それとも両方ともに苦しむべきかは文化が決める。状況、習慣が苦悩する人の不安のレベルと、自らの身体感覚への注意を決定するのである。(P.105)

腕を怪我した時、「腕が痛がっている」わけではなくて、「私」(あるいは「脳」といったほうがわかりやすいかもしれませんが)が「痛い」と感じるのですから、当然といえば当然です(イリイチは「犬」や「ロボトミー手術」の例をあげています)。

ちょうど「私の痛み」が、独特のあり方でただ私にだけ属するものであるように、私は私の痛みとともにまったく孤独なのである。私はそれを他人に与えることはできない。私は痛みの体験の実存性に何らの疑問を持たない。私は他人は「彼らの」痛みを持つだろうと推定する。もっとも彼らが痛みについて語っても、彼らが何をいっているか知覚しうるわけではないのであるが、私は彼らの痛みの存在を確信している。私が彼らに対する私の同情を確信しているという意味においてのみであるが。しかし、私の同情が深ければ深いだけ、自らの体験に関して相手の完全な孤独さについての私の確信もますます深まるのである。痛みの中にある他人のサインを私は認識する。(P.108-109)

「痛み」や「苦しみ」は他人(自分以外の人)にはわかってほしいけど、わかってもらえないですよね。訴えてもわかってもらえないので言わなかったり、たとえわかったとしても「代わってもらえる」わけではありません。「同情」されてもどうしようもないのです。ただ、治療を受けるときには医師に言わなければなりませんし、「お医者さんにだけは言える」という人もいるかも知れません。治療にはお金がかかりますから、「同情するなら金をくれ」ということになります。

他人の痛みはわからないけど、共感することはできます。これを逆にいえば、「痛みを経験したことがない人は、他人の痛みを感じることができない」ということです。私が小さいときには「歩行器」というものがありました。まだ立って歩けない赤ちゃんをその中に入れると、転ぶことがなく移動することができる「すぐれもの」です(今は介護用のものしか残っていないようです)。私の弟の頃、「歩行器を使うと、立って歩く時期が遅くなる」とかいわれて使われなくなった記憶があります。立って・歩いて・転んで・・・を繰り返してうまく歩けるようになるのでしょう。歩いて転んだことのある人でなければ、転んだときの痛みはわからないような気がします。転び方もうまくなるでしょう(雪の上を歩いたことのない人は、雪の上を歩けないようです)。痛みがわからないことだけじゃなくて、「歩き方」そのものがわからないでしょう。

それは「生きる」ということそのものと同じだと思います。子供に「痛い思いはさせたくない」「辛い・苦しい思いはさせたくない」という親の気持ちはわかります。何でもかんでも子供を殴って痛い思いをさせなさい、ということではありません。どう痛み・苦しみに対処するのか、それを教えるのが「文化」なのです。

文化が医療化されるにつれて、痛みの社会的因子は歪められてしまう。文化が痛みを、本質的で身近な、伝達しえない「負の価値」と認識するのに対して、医療的文化は痛みを、証明でき、測定でき、制御できる体系的な反応としてまず注目する。第三者によってある距離をとって認識されたこのような痛みだけが、ある特定の治療を要求する診断をつくりあげるのである。(P.106)

イリイチは前者の「文化」、つまり「医療的じゃない文化」「伝統的文化」を、後に「ヴァナキュラー」という言葉の中に解消させていくのですが、

伝統的文化が進化させてきた忍耐心の対象であった病苦は、ときに耐えられなぬほどの苦悩、苦しみを求める祈り、狂気の冒瀆などを生み出すが、これらは自己規制的なのである。威厳のある受苦に代わる新しい経験は、人工的にひきのばされた、不透明な、非個人化された保持である。痛みを殺すことで、人々は、自分自身の次第に枯れ衰えていく自我の無感情な観客にしてしまっているのである。(P.121)

「自我」が衰退していくのではありません。むしろ、自我は「肉体」という制限を離れてどんどん肥大していきます。無感覚な肉体は、どんどん欲望を膨らませていきます。もう、少しの刺激では満足できません。

痛みに対する感受性が次第に低くなれば、人生の素朴な喜び、楽しみを経験する能力も衰えるものである。麻酔された社会では、人々に生きているという感覚を与えるためには次第に強い刺激が必要となってくる。薬物、暴力、恐怖が、自我の経験を引き出す次第に有力となりつつある刺激なのである。(P.119)

他人の痛み
身体的痛みを他人に伝達することは不可能であるにもかかわらず、他人の身体的痛みを知覚することは基本的に人間的なことであるから、これを括弧の中にくくってしまうわけにはいかない。患者は医師が自分の痛みに気づかぬ存在だとはとうてい考えられないし、それはちょうど拷問台の人が虐待者について同様に考えられぬのと同じである。われわれが痛みの感覚を共有するという確実性は特別なものであって、われわれが人間性を共有するという確実性より以上のものである。(P.109)

医師が私の痛みをわかっているかどうか、最近わからなくなりました。歳を重ねるごとに体のあちこちにおかしなとこがでてきて、病院に通うことが多くなりました。この田舎にも病院はたくさんあります。病院に行くと、まず「質問票」なるものを書かされます。看護師がそれを見て、「今日はどうされましたか」と訊いてきます。「これこれこうなんです」というと、待たされた挙げ句に一応医師と会うことができます。医師は聴診器を当てることもせずに、「レントゲンを撮りましょう」「血液を取りましょう」「尿検査をしましょう」などと検査を指示します。検査をうけて、結果が出るまで待たされます。その後医師に会うと「この数値が異常ですね」とか「ここに影が写ってますね」とか、私と目も合わさずに話します。そして、「〜〜薬を処方しておきますから、様子を見てください。」

医師が見ているのは私でしょうか、私の病気でしょうか。間違いなく、私ではなく「私の病気」ですね。医師とは個人的な付き合いがあるわけでもないし、彼は「仕事」をしているだけです。それは仕方がないことなのでしょうか。

痛みを客観化する能力の進歩は、医師に対する過度に激しい教育の結果の一つなのである。(P.111)

頑張って勉強して医科大学に入り、(お金をかけて)大学で勉強し、過酷と言われるインターンを経験したあとで、患者一人ひとりの「痛み」に共感していたら、仕事にならないのかもしれません。


平均寿命(余命)
寿命の最高は変わっていない。ただ平均寿命が変わったのである。(P.65)

「高齢(化)社会」と言われて、老人の数(割合)は増えているようです。ただ、200歳まで生きる人が現れたわけではありません。人間の寿命は医療の進歩と関係がありません。乳幼児の死亡率が低下したこと、出生率が低下していることなどで、老人の割合が増えただけです。

「平均寿命」は「0才児の平均余命」です。『余命1ヶ月の花嫁』の病名は乳がんだそうです(私は観ていません)。

乳癌の術後五年の生存率は五〇パーセントであり、それは医学検査の回数と治療法にかかわりのないものである。この率が治療を受けなかった婦人の癌の生存率と異なるという証明はない。(P.27)

あるサイトによると、乳がんの5年生存率「ステージ0は95.5%、ステージ1は89.1%、ステージ2bは78.6%、ステージ3aは58.7%、ステージ3bは52%、ステージ3cは50%以下」だそうです(宇都宮セントラルクリニック内 乳腺外来棟『乳がん治療用語集:5年生存率・10年生存率・ステージについて』。

ただし、

つまり5年生存率とは、「がんの治療開始から5年後に、再発の有無に関わらず生存している人の割合」のことをいうわけです。5年生存率は、がんが完全に治る可能性とは限りません。しかし、また同時に、必ずがんで亡くなっているとも限らないのです。(同サイト)

生存率50%とは、50%の人は死んで、50%の人が「治る(治癒する)」わけではないということです(「治癒」した人はどのくらいいるのでしょうか)。

この本が書かれた50年前よりも、「定期検診」で小さながんが発見されていることを考えると、乳がんの5年生存率は変わっていないのでしょう。

しかし、癌の九〇パーセントを占める一般の癌の生存率は、この二五年以上の間不変である。(P.27)

「余命50年の花嫁」とか「余命100年の花嫁」では映画(ドラマ)になりません(「余命200年の花嫁」は映画になりそうです)。人は(生きものは)「必ず死ぬ」のですから。

日本は(世界は?)「高齢社会」になりました。でもそれは、「長寿社会」になったわけではありません。


免疫

「健康で長生きしたい。だからこのサプリ(食品、薬)!!」こんなCMを見聞きしない日はありません。「血圧(血糖値)を下げるお茶」、「膝関節を滑らかにするグルコサミン」「肌をしっとりとさせるコラーゲン」「腸まで届く乳酸菌」・・・。私の妻も母も「骨密度を上げる薬」を医者からもらって飲んでいます。私も一昨日から膝が痛いので、「なんとかしなくっちゃ」と思っています。

髪の毛を食べても髪が生えてくるわけじゃないように、貝殻を食べても骨が丈夫になるわけではありません。「まったくならない」と言っているのではありません。カルシウムは、水に解けないと体に吸収されません。でも、貝殻や魚の骨は水溶性ではありません(そうなら、川や海の水で溶けてしまう)。タンパク質は「元の持ち主」の痕跡がなくなるまでアミノ酸に分解されてはじめて利用されます。元の持ち主が、牛や豚であろうと、大豆であろうと関係ありません。もし、元の持ち主の痕跡があると、「拒絶反応」を起こし、体はそれを攻撃します。「免疫機能」というやつです(ワクチンはそれを利用したものです)。

台湾では2015年に臓器移植法が改正され、「処刑された囚人からの臓器の使用、および臓器の販売、購入、仲介を禁止」(ETAC「2015 —台湾の臓器移植法が改正され、公布されました」)したようです。

わたしが生きている世界は、台湾で死刑を宣告された一四名の人々が  わたしは断固死刑制度に反対していますが、台湾ではいまなおそれがおこなわれています  かれらの臓器を無傷のまま摘出し、日本で移植に用いるため、人工呼吸器を装着したまま銃殺されるような、そうした世界です。(イヴァン・イリイチ『生きる意味』藤原書店、P.430)

臓器移植で一番問題となるのが、この「拒絶反応」です。そういう意味では「自己」と「非自己」とは明確に区別されます。

世界には、「牛は食べるけど、豚は食べない」文化や「豚は食べるけど、牛は食べない」文化、「牛や豚は食べない代わりに大豆を食べる」文化など、いろんな文化があります。どれもタンパク質(アミノ酸)を摂取しているという意味では同じです(最近は「昆虫食」も普及してきているようです)。自分が生まれ育った文化で「食べないもの」は「食べられない」のではありませんが、拒絶したくなります。「人肉食のタブー」はいたるところにあります。


乳酸菌

『ヤクルト』が発売されたのは1935年(株式会社ヤクルト本社ができたのは1955年)(「人も地球も健康にYakultー沿革」)。その後たくさんの商品を開発していることは知らない人がいません。「手洗い、うがい、ヤクルト」「強い菌で、強く生きる」など、たくさんのキャッチフレーズがあります。

『明治プレーンヨーグルト』が発売されたのが1971年。1973年に『ブルガリアヨーグルト』という名前に変更されます。

「免疫食細胞説」でノーベル賞を受賞したメチニコフ博士の発表により、長寿の町と一躍世界の注目を集めたスモーリャン地方。

ブルガリアの南部、ギリシャと国境を接する山岳地帯に位置し、ロドピ山脈とその渓谷を流れる急流が美しい景観を織りなしているこの地方には、80歳以上の老人が多く、100歳以上の人も少なくありません。(明治ブルガリアヨーグルト倶楽部「長寿伝説の街、ブルガリア、スモーリャン地方」)

また、晩年には老化の原因に関する研究から、大腸内の細菌が作り出す腐敗物質こそが老化の原因であるとする自家中毒説を提唱した。ブルガリア旅行中の見聞からヨーグルトが長寿に有用であるという説を唱え、ヨーロッパにヨーグルトが普及するきっかけを作ったことでも知られる(ブルガリアのヨーグルトも参照)。自身もヨーグルトを大量に摂取し、大腸を乳酸菌で満たして老化の原因である大腸菌を駆逐しようと努めた。(中略)現在ではヨーグルトを経口で摂取しても、胃において乳酸菌は、ほとんど死滅し、腸には到達しないことが判明している(ただし死滅した加熱死菌体も疾病予防効果などの健康上の効果が存在する可能性は残されている)。 (Wikipedia「イリヤ・メチニコフ」)

菌による発酵(腐敗)を利用した食品は世界中にあります。お酒のほとんどはそうですし、日本には納豆やぬか漬け、醤油や味噌など、たくさんの発酵食品があります。それらがその「地域(風土)」と密接に関係していることは間違いありません。それらの菌は沢山の種類に分類されていますが、「同じ菌」は別の風土でも「同じ作用」をするのでしょうか。

発酵と腐敗は同じものです。それが人間によって「都合がいい」か「悪い」かで区別しているだけです。「害虫・益虫」「家畜・害獣」も同じです。人間が人間の「都合」を考えることは当然かも知れません。


不要なもの(価値)

わたしが生きている数十年の間にも、「害虫」から「益虫」に変わったもの(あるいはその逆)がたくさんあります。なくてもいいといわれていた「扁桃(腺)」も、今はめったにとることはない、いや「アデノイド」手術と名前を変えて行っているようです。盲腸(虫垂)はどうでしょう。

ヒトにとって虫垂は欠かせない存在である、それは善玉菌の備蓄機能を備えているからである要出典]。今日においてもこの機能は必要なものであるが、食糧事情の大幅な改善により善玉菌を摂取しやすいことから、この機能はさほど重要視されていないと見られている。 (Wikipedia「虫垂」)

「欠かせない」は「要出典」で、「重要視されていないと見られている」(重複表現)は「要出典」になっていませんが(どういう人が書いたのでしょう)。必要なのでしょうか、不要なのでしょうか。

まつ毛に住むダニと、毛髪に住むダニと、陰毛に住むダニは違います(「要出典」)。そに住む「雑菌」も違うでしょう。西欧では、これらの菌やダニを「一緒にする」と、「適者生存」や「弱肉強食」が起こると考えがちです。チャールズ・ダーウィン( 1809年2月12日 - 1882年4月19日)の進化論が、決定的な影響を与えました。日本の学者・今西錦司(1902年1月6日 - 1992年6月15日)はそう考えませんでした。彼が言い始めたのは「棲み分け」です。生物の種と種は「競争」し「滅ぼし合う」のではなくて、「棲み分け」て共存しているというのです。隣り合った種、あるいは遠く離れた種でさえ、協調関係にあるようです。まるで「コミュニケーションをとり合っているかように。

西欧では、「競争」ではなく「食物連鎖」と言い換えられてきているようですが、それでも同じことです。どうして「棲み分け」が可能か。わたしの知るかぎり、今西はそれを解決していません。いや、むしろ「解決できない」あるいはもっといえば「解決しようとしてはいけない」と思っていたのではないかと、わたしは思っています。そこに「生命の生命たるもの」「聖なるもの」を感じ、「解決しようとすること」に「西欧人のおごり」を感じていたのではないでしょうか(「要出典」)。

同じようにダーウィンの理論を批判している人に、『昆虫記』のジャン・アンリ・ファーブル(1823年12月21日 - 1915年10月11日)がいます。「ダーウィンはファーブルの研究を「讃嘆」し、彼を「比類なき監察家」と呼んだが、ファーブルは進化説と戦うことをその仕事としていた。(『ファーブル昆虫記』岩波書店、第5巻人名注、P.403)」ファーブルはイギリスの先輩学者に敬意を表し、実験(観察)方法を手紙で尋ねたりしている(一つのことで何度もやり取りしている)仲なのですが、進化論をボロクソに言います。ダーウィンは進化の過程を観察した(見た)ことがないじゃないか、と。ファーブルは、標本を見て、その構造を解析したわけではありません。昆虫の行動を観察したのです。そして、その構造からは説明できないどころか、構造に反するような行動を次々と発見していきます。そこには通常の因果関係はありません。ファーブルはそれを「本能」と表現します。その探求(説明)は、「後の人に託そう」といってそれ以上語りません。私はファーブルがそこに「神(自然)の摂理」を感じていたのではないかと思っています。そのキリスト教の信仰心のようなものは、私には認め難い(縁のない)ものですが、禅と今西錦司(あるいは西田幾多郎)の関係に近いものを感じます。その「本能」は、現在使われる「生存本能」や「母性本能」などとは「似て非なるもの」です。今の本能は(学者として)「知らない(わからない)」と言えないがゆえの「捨て台詞」にすぎません。それはイリイチの言葉で言えば「(科学や宗教に対する)堕落した信仰」そのものではないでしょうか。


健康と病気

「健康とは病気じゃないことか、病気とは健康じゃないことか」。別の言い方をしてみましょう。「幸福じゃないことが不幸か、不幸じゃないことが幸福か」。どう感じますか。西欧人なら即座に「そうだ」といいそうな気がします。日本人は、答えるのに若干の間があるのではないでしょうか。道を訪ねた時、西欧の人は知らなくても一生懸命説明しようとし(結局ウソを教える)、日本人は知っていたとしても「知らない」と言いがちだそうです。

ヨハネス・ベックは、中産階級に属する  とはいえ、ここドイツにおいて中産階級に属さない人間がいるでしょうか?  現在三十歳の人々と、現在十八歳の子どもたちとの間のジェネレーション・ギャップに驚いています。というのも、現在十八歳の子どもたちはほとんど日本人と変わるところがないのです。(前出『生きる意味』P.408)

今はわかります。わたしとわたしの父の感覚は違います。祖父との感覚とも違います。もちろん、子どもたちとも感覚が違うます。たぶん、伝統と断絶している分、日本のほうが変化が早いと思います。結果として、世界の「均質化」が進んでいるということです。それでも、西欧と日本の文化・考え方は「どこか」異なります。

「健康」という漢字は「和製漢語である」という説と「明時代に使われていた」という説があるようです。いずれにしても、江戸末期・明治時代から使われていたようです。

学童ヲシテ柱梯ニ擧リ或ハ綱渡リノ藝ヲナサシメ五禽ノ戯ヲ為テ四肢ヲ運動シ苦学ノ鬱閉ヲ散シ身体ノ健康ヲ保ツ(福沢諭吉『西洋事情』巻之一「學校」、慶應義塾大学メディアセンターデジタルコレクション)

「五禽ノ戯」は、

五禽戯は「調身」、つまり体を動かすことを中心とした医療気功です。(中略)虎戯、鹿戯、熊戯、猿戯、鳥(鶴)戯の5つで構成されており、すべての動きは経絡を通して、五臓にリンクしています。(漢方ライフ「「五禽戯」はなりきることが大切。動物の動きで健康に!」)

明治の学校で気功がおこなわれていたかどうかは知りませんが、きっとゲーム感覚で体を動かしていたのでしょう。「苦学ノ鬱閉ヲ散シ」って、当時から学生の勉学は「苦」だったようです。勉学で「鬱(うつ)」になったのは夏目漱石だけじゃないんですね。

病気と健康の境目は微妙です。最高血圧の基準値は160だったのが「血圧130を超えたら」になりました(この辺はいろいろあります)。一晩で3000万人が「病気になった」ともいわれています。誰が基準を決め、変えたのか。専門家ですね。つまり医者です。患者ではありません。ある日血圧を測ったら「140だった」なんてこともあります。当然自覚症状はないのですが、「最近めまいや動悸はありませんでしたか」と聞かれると、なんとなくあったような気がしてしまいます。本人の自覚や認識とは別なものとしての「病気」が「客観的実在性」をもつようになっています。

物理的測定法の使用が、病気が真に存在するという信仰、病気は医師と患者の知覚から存在の自律性を持つという信仰を準備した。統計の使用はこの信念を補強した。(P.126)

病気と同様に、健康が臨床的位置をもちはじめ、臨床的病状の欠如ということになった。正常というものの離床的基準は健康であることと結合したのである。(P.128)

基準からの異常としての病気が、治療の方向づけを与えることで医療の介入を正当化するだけで十分だった。(P.130)

基準が数値(物理的)として客観性をもつようになり、それからの逸脱が病気、逸脱していないのが健康、ということになりました。それは本人がどう考えていようが関係がないのです。病気が自律性をもつということは、本人の自律性(感覚、感情、意識的行為)が失われたということです。

病気は「疫病神」や「悪霊」から解放されたはずですが、それがふたたび「知らない間に」「いつの間にか」「忍び寄る」ものとなりました。

社会がひとつのクリニックになり、すべての市民は病人となり、いつも血圧を測定され、正常範囲「以内」に血圧を安定させられる患者なのである。(P.130)

健康は、努力して(血圧を測られ、薬を飲みながらも)維持しなければならないものとなったのです。体は、自動車や機械などのように常に「メンテナンス」しなければならないものになりました。


中世において、

死は、一生の間対面すべきものであったのが、一瞬の出来事に化したのであった。(P.140)

連続する時間が優位になるにつれて、その精確な測定といくつかの事件の同時性の認識に対する関心もたかまり、個人の同一性の認識のための新しい構造が工夫されたのである。個人の同一性は、個人の一生の完全さの中にではなく、事件の連続と関連してもとめられるようになった。死は一つの全体の終わりではなくなり、連続の途絶となったのである。(同)

この辺の歴史はフィリップ・アリエスの『図説 死の文化史 人は死をどのように生きたか』(写真がたくさんあって面白い)と同じです。一コマ一コマは止まっているけど、全体としては動いている、まるで映画のフィルムのようです。そして最後は「The End」。

これは「自己同一性(アイデンティティ)」と同じ問題を含んでいます。古典ギリシア時代から、何かを「対象」として認識する時、その対象(あるは世界全体)が「運動」しているかどうかという問題がありました。「ゼノンのパラドクス」が有名ですよね。動いているもの(止まっていないもの)、変化するものは「認識できないじゃないか」という問いです。古典ギリシアにおいては、ある意味どちらでもよかった。「生まれ変わり」があったからです。「生まれ・生き・死ぬ」ということが続いていくからです。運動しているけど、全体として変わらない。そういう世界だったからです。

あるいはまた、オルペウスやムッサイオス、ヘシオドスやホメロスなどといっしょになることを、諸君のうちには、どんなに多くを払っても、わが身に受けいれようとするひとがあるのではないでしょうか。というのは、わたしは、いま言われたことがもしほんとうなら、何度死んでもいいと思っているからです。わたし自身にも、そこの暮らしは、すばらしいことになるでしょうからね。(プラトン『ソクラテスの弁明』41a、全集第1巻、P.111-112)

ソクラテスにとって、「死」は魂を閉じ込めている肉体の死であって、魂の死ではないのです。むしろ、魂の解放でした。

ところがキリスト教(ヘブライズム、セムの文化)が流入して大きく変化しました。世界に始まり(旧約聖書『創世記』)と終わり(新約聖書・終末論)ができたのです。世界だけじゃなく、人間も「死んだらおしまい」です。

開いた墓地が天国や地獄の門よりも広く開かれて浮かび上がり、死との対面は不死よりも、王、僧侶、神自身よりも、確実なものとなったのである。人生の目的というよりは、人生の終わりになってしまったのである。

個人の死の究極性、内在性、親近性は、ただ単に新しい時間間隔の部分ではなく、新しい個人性の出現でさえあった。(P.141)

宗教改革以後、ヨーロッパの死は、気味悪い(マカブル)ものになり、その状態が続いたのである。(P.143)

「死」は「自分自身(自我)」を失うだけの、単に「恐ろしい(おぞましい)」ものになりました。この死のイメージと、工業化社会は同じ考え方にもとづいています。

死に対するわれわれの新しいイメージはまた工業的エトスにぴったり符合する。今世紀の変わり目におけるように、すべての人々は生徒であるとされ、根源的な愚かさの中に生まれ、生産的生活を送る以前に八年の学校教育を必要とする立場に立っていたのであるが、今日、人々は生まれつき病人であるという印をつけられ、正しく生きようとすれば、すべての種類の治療を必要としている。ちょうど義務教育による消費が、労働における識別の手段として役立つように、医療における消費は、不健康な労働、汚れた都市、神経をまいらせてしまう交通を和らげるための手段として用いられるにいたっている。医師が生命を救う者として工業的な設備の助けをかりて行動しているとき、殺人的な環境を思い患う必要が、いったいあるのだろうか。(P.155)

いまや患者ではなく、医師が死と闘うようになったのである。(P.157)


棲み分けと共生

もともと日本にいなかった動植物や昆虫が、日本に入ってくることがあります。外来種とか、帰化種などといわれるものです。本国では安定している種が、日本で大発生することがあり、ニュースになったりします(ブラックバスなど)。国内種を駆逐してしまうケースもあります。いまよく見かける「セイヨウタンポポ」は、私が子供の頃に見た「たんぽぽ」ではありません。日本の自然環境(風土)に合わず死んでしまった外来種も膨大にあるのでしょうが、誰にも知られていないでしょう。

眉毛のシラミが頭髪に移動したらどうなるでしょう。わかりません。人の皮膚には様々な菌(雑菌)がいます。人によってもっている菌は違います。体の部位によっても菌の種類は違うでしょう。普通は自分の菌には免疫を持っているので、それで炎症を起こしたりするこはないのですが、体調が悪くなって菌同士のバランスが崩れることがあります。「腸内フローラ」はその一例です。それらの雑菌は「普段は悪さをしないだけ」ではなさそうです。腸内細菌がいなければ、人間は栄養素を吸収できないだろうという人もいます。腸内細菌同士はもとより、人間と腸内細菌もまさしく共存しているのです。

乳酸菌飲料の乳酸菌が腸まで届いたらどうなるでしょうか。私にはわかりません。ただ、腸内フローラが大混乱になることは想像できます。

ペスト、スペイン風邪、新型コロナウイルスはどうでしょうか。これらは「外来種」なのでしょうか。それともウィルス界のバランスが崩れて大発生したのでしょうか。その解明は専門家に任せます。私が心配なのは、みんなが殺菌消毒剤を使いまくったことです。手元のティッシュには「ばい菌を99.9%除去、ウィルスも」と書いてあります。この謳い文句のとおりだとすると、新型コロナウイルスだけでなく、ほとんどの菌を除去してしまいます。共存している相手がいなくなってしまうのです。自然界では、持ち主(家主)がいなくなった場所はフリーゾーンで、必ず他の種がその場所を埋める(占める)ことになります。私にとってその種は「見知らぬ種」なので、免疫がありません。太古の祖先から引き継いだレトロ遺伝子が対応してくれるものも多いでしょう。でも、それは新しい隣人と付き合ってからです。

もともと私の体や、部屋の中にいた細菌はどこから来たのでしょうか。

全世界的な現代における栄養不良は、乳児の栄養不良の二つの型に反映されている。乳房から瓶への転換はチリの赤ん坊を風土病的低栄養生活へと導いた。同じ転換が、イギリスの赤ん坊に病気を招くような嗜癖的過剰栄養の生活をもたらした。(P.258)

イリイチは、このことを詳しく書いていません。粉ミルクは改良されて、多くの栄養素を含んでいるでしょうが、それは母乳ではありません。母乳は人によって含まれているものが違います。血圧が人によって違うように、赤ちゃんだってひとりひとり必要とする量や質は違っているはずです。それを万人共通なものとすれば、ある栄養素は過剰で、ある栄養素は不足ということになります。母乳は飲むのに、粉ミルクは飲まない赤ちゃんもいます。どうすればいいでしょうか(私はペットフードのことが頭に浮かびます)。

栄養素の問題ではなく、母乳には母から受け継ぐ雑菌と、その免疫成分が含まれているのではないでしょうか。少なくとも乳首を咥えることで、そこにある雑菌は子供に移ります(最近は母乳を与える前に乳首を「消毒」するようですが)。そもそも産道に住む雑菌が母から子供に与える最初のプレゼントだ、という人もいます。子宮内では、そのプレゼントは渡せないということでしょうか。子供は母親の分身であるとともに母親にとって「非自己」です。拒絶反応が起こらないということが神秘的です(妊娠中毒症のことはわかりません)。

現在、ほとんどの赤ちゃんが衛生的な(消毒された)病院で生まれるでしょう。自宅(あるいは実家)で出産すれば、先祖代々の雑菌をプレゼントできるのですが。さらに帝王切開や無痛分娩もあります。生まれたときから『無痛文明』の中にいるようです。


素材(スタッフ)

子供に必要な栄養素として、粉ミルクにはカルシウムが入っていると思いますが、それは貝殻を砕いたものではいけません。カルシウムはCaではなく、水はH2Oではありません。それは、牛肉と豚肉と大豆がどれも「タンパク質」ではないのと同様です。

アリストテレスの言葉で言えば、もの(個物)は素材(質料)とイデア(形相)で成り立ちます。そのイデアを「文化」と解釈すれば、イリイチの言う事に近づきます。同じ成分が入っていて、数量化されうるような同じ刺激(味)があったとしても、食べる場所や気候、時間帯、いっしょに食べる相手によって違うことはよく経験します。同じ「見た目」でも「神戸牛です」と言われたときと、「オージービーフです」と言われたとき、「昆虫です」「ミミズです」と言われたときはどうでしょうか。「人肉です」と言われたら、私は食べません。

イリイチはこれを道具に当てはめて、「コンヴィヴィアリティな道具」と言っていました。後に、それを「ヴァナキュラー」という言葉で一般化するとともに、現実に近づけます。

素材としての物質(空間や時間も含めて)は均質です。でも、現実のものは決して均一ではありません。均質なものは「存在する」とすらいえないのです。犬と猫が違うように、男と女は違います。それを「動物」とか「人間」とかの概念で均質化してしまうことに反対して提唱するのが「セックスとジェンダー」です。「動物」とか「人間」というものは存在するといえないのです。時間が均一に流れないことは明らかです。ガリレオ空間のような均質の空間はありませんし、それに時間軸を含めたミンコフスキー空間も存在しないものです。それらはイデア(概念)でしかありません。そして同時にイデア(文化)なしには人間は認識ができないのです。私は外界をガリレオ空間として認識します。絵や写真、テレビ、映画を見るときには「近代遠近法」で認識します。文化からはのがれられないのです。

ただ、自分がいる文化が唯一の文化ではありません。私は、西欧人のように感じたり認識したり考えたりすることはできません。もちろんピダハンのようにもできません。西欧人が書いた本を読んだり、アメリカ人がピダハンのことを書いた本を読んだとしても、それは欧米人が「わかる(認識できる)」範囲で書かれたものです。その理解は「論理的(ロジカル)」です。「ロジカル」つまり「ロゴス(ことば)的」です。インド=ヨーロッパ語文法に当てはまること(=インド=ヨーロッパ文化に当てはなること)の範囲で「わかる」ということです。ですから、欧米人が「わからないこと」こそが、インド=ヨーロッパ文化以外の文化の特徴です。

私は「義務教育」でその「西欧の論理」をたたきこまれました。そのためには、インド=ヨーロッパ語を理解するための言語が必要です。それが日本における「共通語(標準語)」です。イリイチの言う「教えられた母語」です(それに対立するのが「ヴァナキュラーな話し言葉」)。共通語(標準語)は、明治以来の西欧文法に基づいた言葉で、まさしく「論理的」な言葉です。工業化社会(資本主義社会)で生きるためには、その「教えられた日本語」と「論理」が必要です。


社会的医原性
個人の健康に対する医学的損害が社会政治的伝達様式によって産み出されるとき、私はそれを「社会的医原病」と呼び、この言葉で、健康ケアの制度的形態にとって、より人目を引き、可能な、かつ必然なものとなった社会経済的変容によるすべての健康に対する損害を指そうと思う。社会的医原病はたくさんの形式の病原の種類を示している。医療の官僚性がストレスを増加させ、不能をもたらす依存性を倍加し、新しい辛い需要を生み、不快と痛みに対する許容性を下げ、個人が苦しむ際に人々が譲歩する余地を低下させ、自己ケアの権利すら放棄させることによって不健康をつくり出すとき、社会的医原病は隆盛になる。健康ケアが基準化された項目・特色とされてしまうとき、すべての苦悩が「入院させられ」、家庭が誕生・病い・死に対して適さぬものになるとき、人々が自己の身体存在を体験する際の言語が官僚的でまわりくどいものになるとき、苦悩、悲しみ、治癒が患者の役割の外側のものになり、異常性のレッテルをはられるとき、社会的医原病は働きはじめるのである。(P.38-39)

自分の父母や祖父母を考えたとき、彼らは痛み・苦しみに耐えることを知っていました。それらを「感じるすべ(イリイチの言う「技術」)」を知っていたと思います(もう訊くことはできませんが)。祖父母は最後までそうでした。ケアをする家族がいましたから。父もそういう人間でしたが、家族がいなくなったとき、痛みを我慢せずに病院に行くようになったような気がします。現在はそういう「我慢」は「根性論」などと言われて批判されています。私もそのような「生きる技術」を批判し、否定して生きてきました。「生きる技術」をもたないで生きるために、お金や商品、医療に依存して生きてきたのです。その私が言う「資本主義を終わらせよう」という言葉に力がなかったのは当然ですね。「痛みを感じる技術」や「死ぬ技術」を私はもっていないのです。


人間は楽をしたい?

私はコンピュータプログラムが楽しいです。コンピュータを自分の意志で制御することが楽しいのです。自分の手で(アナログに)できることを一つ一つコンピュータにやらせることが楽しい。定型的な作業はどんどん自動化していっています。一つの手順をコンピュータにやらせるための労力は結構あります。悩んで調べて研究して、試行錯誤に膨大とも思える時間を費やすこともあります。たったクリック一つも省略できるよう、プログラムに労力を費やすのですが、その時間・手間とクリックに要する時間・手間を比べると前者のほうが間違いなく大きい(まあ、多くの人、例えば10,000人が10回使うプログラムなら、100,000回のクリックが省略できますが)。それでも、プログラムが思い通りに動いたときは「嬉しい」のです。

これは、私の個人的な「楽しみ」ですが、プログラマーはそれを毎日何時間も仕事でやっているんですね。私のプログラムは動かなくてもかまわないのですが、プロはそうはいきません。どんなに困難でも「動く」ようにしなければなりません。それも日数(時間)的な制限のなかで、です。プログラマーを雇う側は、「この仕事は、何時間工程で、費用はいくら」と決めています。だから、プログラマーは「いかに短時間で、短いプログラムで」と工夫しますし、出来上がりが不完全(バグがあっても、リソースを重視したり、リソースを無駄にしても力技で動けばいい)でも、リリースせざるをえないこともあるでしょう。結果として、「重たい(動きの遅い)」ものができたり、ユーザーに不親切なプログラムができたりします。

スーパーのレジは、どんどん人が減らされています(無人のコンビニもできているそうな)。その分、お客が自分で会計操作や、商品を持ち帰るための袋詰め作業をするようになっています(これもイリイチのいう「シャドウ・ワーク」だと思います)。先日老齢の母に請求書が郵送されてきました。詳細は省略しますが、母はクレジットカードを持っていないので請求が来るはずがないので驚きました。それも、その「省コスト」の影響です。

文明における進歩は、苦痛の総体を減少させることと同意語になってしまった。そのときから、政治とは幸福を最大限にするというよりは、痛みを最小とする活動であると考えられるようになった。その結果、痛みは本質的に医療団体の道具箱が無力な犠牲者に有利に用いられないという理由で、彼らに加えられる受身の出来事であるとする見方が出てきたのである。

このような文脈においては、痛みに直面するよりは痛みから逃れる方が合理的に思われる。たとえ激しくいきいきとした状態を放棄する犠牲を払ってでも、である。(P.118-119)


そのイリイチは今はいない。

15年以上もインタビューを拒否していたイリイチが1988(〜1992)年、D・ケイリーから受けたインタビューが『生きる意味』(藤原書店)という本になっています。そこで『コンヴィヴィアリティのため道具』(1972年)について尋ねられたイリイチは、

あなたはわたしに、かつて存在した人間についてお尋ねです。その人間とはもちろんわたしのことあり、わたしはその人間に関して全面的に責任を負っています。(中略)しかし、それらは、もはや死に絶えた、過去に書かれたしろものなのです。(邦訳、P.179)

どうしてインタビューに応じなかったのかという理由は、

わたしはいかに書くべきかを知っており、自分が何について書きたいのかも知っている。人々にわたしの書いたものを読ませよう。誰かに〔面と向かって〕話しかけたいとは思わない。これがいまなおわたしのとり続けている態度です。(同書、P.176)

25年前に、自分か知らなかったこと、気がつかなかったことを素直に認めながら、その当時の状況は今より知っていた、と言います。さらに、自分の祖父母と自分とは

概念かつ知覚的な位相は、過去と不連続なのです。わたしが動き回る空間を紡ぎだしている諸公理は、わたしの祖父がなおも自明視していた諸公理と同一のものではありません。(中略)すなわち、われわれの認識活動において、そうした固定観念を織りなす縦糸は新しい仕方で織られているということが。いわばナイロン素材であるがゆえに、他のいかなる時代の縦糸にも似ていない縦糸に沿って、われわれはわれわれの会話を紡ぎだしているのです。(同書、P.186)

わたしは次のことを信じています。すなわち、昔のテクストを注意深く読むことによって、学生たちを、われわれが自明視している世界から連れだすことはいまなお可能であるし、十二世紀のラテン語のテクストを、現代英語、つまり、われわれがふだん使っている英語に翻訳することはもはやできないということをかれらに示すことも可能であると。(同書、P.189)

イリイチが祖父と何語で話をしていたのかはわかりませんが、そこに「普遍」「共通」のものはないのです。他の国の、1000年も離れた人が残したラテン語を英語(の単語)に翻訳することはできないし、半世紀ほど離れた祖父との考え方、感じ方、あたりまえだと思っていることも違います。25年前の自分と今の自分は違います。

それでも、この本は「いい言葉の宝庫」です。そのうちのいくつかは、このあとの著作で深められていきます。逆にいえば、後の著作からこの著作の意味がわかることもあります。「謝辞」にある1976年はイリイチが50歳のときですが、力がみなぎっているのを感じます。「みんなに読んでもらいたい」という気持ちが強く表れています。

何かを「一つ知る」ということは「一つ解決する」ということではありません。一冊の本に何十もの参考文献があるように、「一つを知る」ということは、その数十倍の「わからないこと」が増えるということです。それと同時に今まで「知っていたこと」に「たくさんの疑問を感じる」ということです。ソクラテスの「無知の知」とはそういうことなのではないでしょうか。そこに絶望を感じるか、希望を感じるか。イリイチの著作から学べることはまだまだありそうです。







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